戦火は遠い。正義の味方はその時、誰よりも観客だった。英雄はその時、何処にも居なかった。
だからそれを討伐せしめたのは、天賦の才を持つ者達だった。決してそこに、彼は居なかった。
――きっと契約が無くとも、彼は居なかっただろう。
そうなれば、誰もが踏み込む問題はあまりにも今更ではあるがその「契約」の事だろう。
そこに
だから物語は進んでは戻り、時系列を狂わせる。つまり彼等の物語は今一度、ほんの少し戻る。
カタルパが語っていた、クイーンとの出会いまで。
□■□
クイーンとの出会いは、唐突なものだった。怒気を放ちながら迫る様子は、警戒しないという方が無理であり、獅子やら虎やらの肉食獣がそのまま立ち上がったかのような外見は、周りの人々に恐怖を与えていた。
カタルパもその例に外れず、後ずさろうとした。だが、その獣人の視線が確実に此方を見ている事、特に自分が履いている靴に――【春雷軍靴 カタルシス】に向いている事に気付いてしまっては、その脚を止めざるを得なかった。
『知っていて来ている』ならば、逃がさない術を持っていて然るべきなのだから。
そしてその獣人の第一声は、警戒のレベルを引き上げて、ある意味でカタルパの平静を奪った。
「それを倒した感想はどうだ。正義の味方」
それは、倒した事実の確認ではなく、感想の有無の確認だった。つまり倒した事そのものではなく――この時のカタルパが知る事ではないが、「倒された」事実に対してではなく――あくまで倒した事実に対する心持ちを問うてきた。
明らかに「知っている」。カタルパを、或いはあの場で倒されたデモゴルゴンも、カタルシスも。【混沌坩堝 ピートース】の事も。
全てを知っている上で、眼前に立っているのだろう、とカタルパは察した。
だとすれば必然、正体は判明とまでは行かないまでもかなり絞られる。あの領域はピートースの状態異常とイグドラシルの植物による監獄と化していた。そうであるにも関わらず情報を得られたと言う事は、「そういう性能」を有した〈エンブリオ〉を持つ〈マスター〉か、或いは――
「ジャバウォックの同類、と考えるのが妥当だよなぁ」
その言葉に、獣人は眉(厳密に獣にそうした部位がある云々は問わないにせよ)を顰めた。
言葉を間違えた心算は無かったが、言い方を間違えたらしい。
「まぁ……まぁ、いいだろう。今日の私は気分が良い」
怒気も覇気も感じさせない、感情を押し殺したかのような声音に、本能的に身が震えた。
人の形を取っていようとも、眼前の存在は獣なのだ。決して人と相入れる事の無い、理性に相反した――カタルパが最も敬愛するそれに反した――野生を保有している、直情的な存在なのだ。感情的な存在なのだ。
だがそれでも、その獣人からはそれを今だけは感じなかった。封印の錠をかけたかのように、感じられないのだった。
「ところでお前は、【
「……?あ、あぁ、そうだが……」
「何故そこまで攻撃的になってしまったのだ?本来それは、ただ計算の合理性を突き詰めただけのジョブだった筈だが」
ジョブの根底を知っているかのような発言には触れず、カタルパはありのままを回答した。
「ただ単に、俺の本質がこのジョブに似合わず攻撃的だったってだけだよ。アイラがそれを物語っている」
紋章をスっと差し出す。そこには鎖に縛られた十字架が描かれていた。その拘束された正義が、真に自由になる事は叶わない。解き放たれて、この世界にその正義を証明する事は無い。今の彼の正義は、ただ一人の為に存在していて然るべきものなのだから。
「……そうか。ならば私は謝らなければならないな」
「……それまた、何故?」
「お前に『我々』は頼みたい事があるからだ」
「頼み事?管理AIが何を言うんだ?命令すればいいじゃないか」
「それでも良かったが、この世界の原理は『自由』だ。それを遵守しているお前からそれを剥奪する事は出来ない。だから強制はしない。そこらのクエストと同じように、私は依頼するだけだ」
「……そう、か。で、その内容は」
そうして聞かされた内容は、特筆して語る事ではない。知られていた情報を今一度開示する事に意味は無い。ただ、カタルパはそれを快諾し、そこでクイーンが初めて感情的な態度を取ったという事実だけは、記しておこう。
□■□
カタルパは、倒し過ぎた。運命に操られたまま、半ば押し付けられたまま。MVPを取らなかっただけで貢献はしたものも数多くあり、それは、「戦闘を行わない筈の者」の行動ではなかった。かと言ってそうした、非戦闘員が戦闘を行う「自由」を、別段世界は束縛しなかった。何処までも、根底にある自由だけは守られるものである。
そうしてカタルパの剣は、最早
カタルパから戦闘と言うものが、外れてしまったのだ。
だがそれでも、カタルパは正義の味方であり続ける。プレイヤーを殺害する心算は無いが、悪を許容しない心は残されていた。暗躍する悪を、蔓延する害悪を。【諸悪王】が生み出される為に生み出された悪達を。カタルパは敵対視し続けるだろう。彼に心酔している彼等彼女等は、カタルパを敵対視している傾向にあるのだから。そうなってしまえば必然、アイラに刃が届くのだから。
計算する手を止めて不意に見た空は、あのスキルで見た世界のように青い。次に《
「どうしたんだい、カーター。空なんか見て」
空「なんか」と呼んだアイラに苦笑する。その空の為に一生を懸けた人間がいたと言うのに、あまりにもあんまりじゃないか、と。
「まぁ、たまにサッパリしている所が、アイラらしいよ」
「本当にどうしたんだい、急に」
「いいや、先は長そうだな、と」
「終わりなんてないだろう?」
「知っていたさ」
『計算部屋』の窓を開け、そのまま飛び降りる。
「《
重力と運動エネルギーを無視して、空中を駆け出す。カタルパは今、宙を歩いている。そこにアイラも追従している。カタルパの完全な分身でもある彼女は、カタルパが受けている効果を同様に受ける。
大義的には電磁浮遊に分類される筈のスキルも、伝説級武具【春雷軍靴 カタルシス】の力によって空中歩行となる。
『おいマスター、衆目を浴びるが良かったのか?』
鎮めるようなネクロの声がした。こんなに多様性を強調したような世界観であれば、空中歩行の一つや二つは見過ごされるとは思うのだが。事実視線はそれ程向けられていない。
『それはマスターが
「それもそうか」
「え、ちょ、カーター!?速度を速めないでおくれよぉ!」
辞めるとは言わないまま、空中歩行は止まらない。
□■□
――それを見る影が、三つあった。
「あ、叔父さん」
「はぁ?なんで空に……あ、ガチだ」
「え、ホント?居るの?」
『落ち着きなヴァート!それよか経験値を寄越しな!』
『ケルベロスも落ち着いてね』
少しづつ本来の調子を取り戻している少女に全力のフォローをする青年と、弱体化をかけて援護している少女の三人組は、多分この先も変わらない。自殺を許さず凌辱を許容するジャンクフードしか食べない皇女も、決して覚めない一夜の夢を魅せる質素なもの――具体的には100リル以下のもの――しか食べない姫君も、きっと変わらない。変わらずに永劫、ゲームをゲームとして楽しむだろう。
――果てから見る影が二つあった。
「なーんでせんせーはこっちに居るの?」
「彼処に居場所が無いからだよ。それにしても、それで『生きている』と言うんだから笑わせてくれる」
罅割れた壺のようになっているルビンに、エイルは嘲笑を向ける。「そうまでして生きたいか」と。
「んー、身体なんて所詮容れ物だし、いいんじゃない?容れ物が傷ついているだけで、私の『
TYPE:ボディ・ワールドの〈エンブリオ〉、【混沌坩堝 ピートース】の少女は笑う。いつか誰かが、必殺スキルの『滅びの神』を越えて、〈エルピス〉を引き出してくれる事を。
その役目が自分でない事を知っているエイルは、嘲笑ではなく微笑した。またおかしな役目を押し付けた事に、少しだけまた後悔する。
「どうしようか、本当に」
ある男の生体を真似たエイルは、不意にそう呟いて、
『どうもこうもない。為すべき事は全て悪なのだから』
同じ声でそう、聞いた気がした。
□■□
二人は、見上げながらそれに気付いた。
「あ、アズール」
「お、私の《
元から居る事を知っていたかのような態度のまま、木龍は動き出した。カタルパを追い掛けるように、地を這い始める。
「え、これ置いていかれるやつ?困るなぁ。《
腹を指で線を引くようになぞり、そして。
「《
最早慣れた手つきで腹を切る。なぞった線が切り取り線であったように、スパッと切れたそこからは、血の一滴も伺えない。どうやら先程のスキルは、手品などで見られる切断マジックをスキル化したものらしい。
月兎のように腕の力で跳ね、木龍に付き添うように走る。《
言えば乗せて行ったのに、とアルカは笑い、蔦でミルキーを絡めとる。そのまま木龍の頭部にストンと着地させ、ミルキーは分たれた半身をくっつけた。安全に必殺スキルを使用する方法を見出したようだ。
それは、彼女なりの戦い方。以前彼女がやっていたような、『誰かに追い付く』為のビルドではなく、自分の為の、自分の長所を限りなく活かす為の構成。武人故か、或いは別の何かか。何れにせよ才覚を表している。
「と言うかカーター。空を歩くと私のスカートの中が……」
「それは盲点だったな」
「ちょぉっ!?」
《天電原々》を解除し、大地へと落ちる。
そう言えばそうだったな、と手遅れの段階で気付き、平謝りをする。羞恥と怒りでアイラが何を言っているのか分からなかったが、そうこうしている間に地を這う龍は追い付いた。
「え、なに?夫婦喧嘩?」
「やめなさいよ、犬も食わないんだから」
「――変わりませんね、貴方達は」
「……セムロフ、お前急に来るなよ……」
突如割り込んできたセムロフに驚きながらも、平静は崩れない。
――成程、これが日常か。
王国ではあるのだろうがよく分からない場所に立ち、仲間と談笑している。それは日常の一コマ以外の何物でもなかった。
……なんだ?此処で死ぬのか?
そんな当たり前に触れてこなかった所為か、それをありのまま受け入れる事がカタルパには出来ないでいた。
人並みの幸福も、人並みの日常も、庭原 梓には無かったのだから。カタルパにそれが、分かる筈も無かった。今から知るには、知らないまま生き過ぎた気さえする。
それでも、それがカタルパなのだ。智力の化け物。正義の味方。そして、新たなる「人生」を歩む者。魔を祓う梓弓が如く、その生き様は簡潔で、質素で、それでいて神々しい。
隣には正義の女神が居る。だから彼等は止まらない。例えそれが壊れた、間違った、歪な正義だとしても。それがエゴに塗れた偽悪であったとしても。それだけが、彼等にとっての正当なのだから。止まれない。止まってしまえば、何もかもを放棄しなければならなくなる。そこから先は、気付いた時には一方通行だったのだ。故に、止まってはならない。愚者と嘘つきが、それでも正しくある為に。
いつかその正義を手放し偽悪を掴むその日まで。
( °壺°)<かくして彼等の物語は終止符を打たれ、正義の味方は間違い続ける。
( °壺°)<いつかそれが、偽悪という正解に辿り着けるように。
( °壺°)<長々と、延々と。やめるだやめないだの詐欺まがいも挟みながらここまで参りました。
( °壺°)<比喩も何も無く、皆様のお陰で御座います。いかがでしたでしょうか?お気に召しましたでしょうか?
( °壺°)<どうあれこれにて閉幕で御座います。ここまで読むのにかけた時間はお返し出来ませんが、代わりとして感謝を申し上げます。