何本目かになるペンが圧し折れた。
そこで彼はようやっと手を止め、現状を見る。
鏡の向こうには、
……やつれた顔だ。
とても人前に出られるような顔では無い。
それでも、今はどうしようもない。ログアウトして、再ログインすれば顔は戻る。けれども、またこうなる事が分かってしまう。だから、それは諦めざるを得ない。
この状況を打開する策は……有るには有る。
けれどそれは、求めているだけで、手を伸ばした所で届かない願いで、叶わない願いで、適わない事なのだ。
こういう時に限って、アイラは彼を救ってくれない。
……いや、と彼は首を横に振る。
救わないのでは無い。見捨てた訳でも無く、救う事を、態と選んでいないのだ。
「どうしたら救えるか」を理解しているから、自分がその役にならないように徹している。
彼女は彼の救世主になろうとしていないのだ。
一度足りとも、一瞬足りとも、彼女は、彼を救おうとはしなかった。
それどころか、彼がこうして迷走する事を、助長している。
『なら私は、君のそれを叶える道具となろう。
何せ私は、君の〈エンブリオ〉だからな』
そう、アイラは語っていた。
であれば、カタルパの意思を理解した上で、彼女は救わず、彼がそれを求める事を許し、彼の手に何も残らない事を、望んでいるように……見えてしまう。
……いや、と彼は再度首を振る。
それは、「自分の〈エンブリオ〉に限ってそれはない」という意味では無い。寧ろ彼は、そうである事を何処かで、きっと望んでいるのだから。
だから今のは、ただ、迷いを払っただけ。
だから、彼の目で猛る焔は、輝かしくなど――無い筈なのだ。
■【絶対裁姫 アストライア】
人の気の無くなった王城の一室には、ただ一人。私だけが取り残されていた。
彼はまだ、ログアウトしていない。
だが、彼が何処に居るかを、私は知らない。
彼の心が読める筈の私が、だ。
混沌とし過ぎていて、読めない。彼の理解者であったつもりでいた私はもう、理解出来なくなっていた。
その動揺で、カタカタと身が震える。
頭で分かる事。『アレはダメだ』という事。
救う救わないの問題では無くなったかのように思える。
アレは、人の心では無い、と。
アレは、彼の本性では無い筈だ、と。
私は、震えるしか無かった。他に、何が出来ただろう。
況してやその、取り返しの付かない幽鬼の誕生に関与したのが、私の一言であったなど、信じたくもないのだ。
それでも、カタルパはあの一言で変わった。
ああ、変わった。変わってしまったとも。
結果的に悪い方向へ、変わってしまったとも。
「どうして、どうして私は……!!」
嗚咽が混じったその声を、聞き届ける者は居ない。
私が彼を支えているから、彼が後押しを得たから……彼は、進んでしまった。私が、後押しをしてしまった。
――断崖絶壁に、突き落としてしまった。
私は、嘘を吐いていたんだ。ずっと、嘘を吐いていたんだ。
とても、彼には言えない嘘だ。
なにせ、それは烏滸がましい。
彼は私を家族として見ていた。私はそれが嬉しかった、
それに甘えて、それに縋って、そのまま引き摺って、いつの間にか突き落としていた。
それ以上を願った私の強欲は、いつの間にか彼を突き落としていた。
傲慢だったのかもしれない。今となっては分からない。
けれど、彼が望んでいたんだ。私が彼を救わない事を。
だから、私はカタルパを救わなかった。
自分自身に、嘘を吐いて。
どうしようもない、嘘を吐いて。
鎖が地を擦る。けれどそれを、気にする心の余裕が無い。
――――いつか、アイラを
そう、彼はいつだったか、私に言ってくれた。
私は、それに応えたい、と思っていた。
けれど、第3段階まで来てみて、どうだ?
私は結局、カタルパを『戦闘』に縛り付けているではないか。
私が《揺らめく蒼天の旗》などというスキルを得たから……カタルパは壊れてしまったではないか。
他の誰かが【シュプレヒコール】を倒しただろう。けれどそれの方が、彼にとっては幸せだったのでは?
彼が殺したから、カタルパは罪悪感で押し潰されそうになっている。だから、私が、こんな力を持っていなければ……良かったのではないか?
「罪深い。実に罪深いよ。私の罪は測り知れないよ。
……それなのに……何を裁けると言うのかな?私如きに裁かれる物があるのかな?
悪かな?私以外の罪人かな?
……ねぇ、それなら、私は、誰が裁いてくれるのかな?
教えておくれ……カーター……」
矢張り、答える声は、何処にも無い。
私を裁く為に鎌を持つ者も、裁く為の裁判を開く者も、苦言を呈する者も、誰一人。
彼の心を理解出来る者がいるのに――私を理解出来る者が、何処にも居ないせいだ。
カタルパの擦り切れた心に呼応するように、私も擦り切れてしまいそうだ。
そのせいか、最近、よく「第4段階」のエンブリオの話を聞くのに、私はここに停滞している。
フィガロも、シュウも、読心した限りではミル
……一体、どうして私達2人は立ち止まっているのだろうね。
誰もが自由で、誰もが我儘で、誰もが身勝手だ。
それがこの世界で、それがこの遊戯だ。
誰も、何も間違いでは無い。何故なら自由だから。
どう生きようと間違いでは無い。
痛覚をONにして自殺する奴がいても。
リスポーンキルを繰り返す奴がいても。
魂を賭ける奴がいても。
どうしようとも、誤りは無い。過ちがあっても、それでも。
何故なら……彼らは自由だから。
だから、間違いでは無い。
NPC
だから、カタルパは間違ってない。
私もそれを否定したら、もう誰もカタルパを信じてくれない。
混沌としていても、私だけは彼の味方でなくてはならない。
正義の味方は一人であってはならない。
いつでも、隣に仲間が居なくてはならない。
願わくば、私が彼の手に収まるのでは無く。
彼の隣に、立てる事を――――
□■□
いつから、眠ってしまっていたのだろうか?
目覚めると、眠る前と変わらない部屋だった。
斜陽が転がるペンを一つ一つ橙に染めていて、もう少しでそれらが暗闇に包まれる事を示唆していた。
起き上がると、パサッと何かが落ちた。
「……布……毛布、かな?」
手触りが良い。
毛皮か何かを使った毛布なのだろう。……暖かい。
それは、私の温もりとは、少しだけ、違った。
なら、誰の……なのだろう?
「カーター?」
……流石に居ない。
彼が何処に行ったのかは知らないけれど、私がここにいたままなら、まだログアウトしていないのだろう。
かれこれ……リアルで16時間くらいのログインかな。
お疲れ様。
私の思いは彼には読まれない。
だから好き勝手させてもらおう。
彼だけが自由なのは不公平だ。
私も、私如きでも、自由を求めさせてもらおうか。
彼の道具にはなりたい。
けれどそれは、アームズのエンブリオとして、では無い。
彼と寄り添いあえる者としての自由を。
彼と戦える、そんな自由を。
「色恋沙汰では無いが……許してくれよ?カーター」
温もりが――私に「近い」誰かの温もりが残った毛布に包まって。
一人、私は三度彼がここに戻ってくるのを、待つのだ。
私だけが、彼を此処で待つのだ。
いつも。
或いはいつまでも。
ミルキーでもなく、アルカでもない。
私が、カタルパだけのエンブリオが。
乙女が。
一人で彼を、待ってあげるのだ。
何処に居るかは知らないけれど、何をしているのかは読むまでもなく察せる彼を、待つのだ。
□■□
徐々、カタルパは私のいるこの部屋の扉を開ける。
ガチャリという音を態とらしくたてて、ゆっくり開くのだ。
「ただいま」
「あぁ、おかえり、カーター」
まだ第3段階である私と、【数神】になる事に成功したカタルパの物語が、始まってくれると信じて。