TYPE:メイデン。
〈エンブリオ〉のレアカテゴリーの一つ。神話や説話に出てくる女性の名前を持ち、〈エンブリオ〉でありながら人として生活出来る、希少種。共通して《紋章偽装》のスキルを持つ事が可能で〈マスター〉と誤認させる事が可能(とは言え、看破系スキルで破れるが)。
そのTYPEの〈エンブリオ〉を持つ〈マスター〉は共通して「<Infinite Dendrogram>をゲームだと(何処かで)思っていない」らしい。若しくは「リアルでの人の命と、<Infinite Dendrogram>での〈ティアン〉の命を当価値と考えている」らしい。
庭原 梓は何方かと言えば後者である。確かに、<Infinite Dendrogram>はゲームなのだろう。しかしそれでも、「
それ故に、悲しい内情ではあるが、現実と仮想空間での人の命を当価値と考えてしまっているが故に。
庭原 梓は、メイデンの〈エンブリオ〉の〈マスター〉になった。
それと。付け加えるように一つ。TYPEメイデンの〈エンブリオ〉は総じて(条件はあるが)
さて一体、【絶対裁姫 アストライア】という〈エンブリオ〉は、どのような強者に対して能力を発揮すると言うのだろう。
それはまだ、誰にも分からない事だ。
□■□
気怠いながら、惰眠を貪りたいという欲求と戦いながらも。庭原 梓は――カタルパ・ガーデンは
「……カタルパ」
アストライア――アイラは知っている。現実が仮想空間の三分の一の速度で時間が進んでいる事を。
三日間ここにいれば、
つまりこの
「流石に空腹やら睡眠不足やらが表示されるのではないのか?」
「……そうだね」
と言うか表示されているね、とカタルパは微笑を浮かべる。それでもログアウトする気は無いらしい。装備を一新したので――とは言え、まだ初級装備だが――性能をテストしている。
職業にも就き、ジョブが【
【会計士】は商人系統下級職だ。同系統には【
「いやいや。流石にマズいのでは無いか?眠らないなど。
その……私事ではあるが、な?〈マスター〉に倒れられるのは、嫌なのだ」
少女が心の底からカタルパを心配している事を悟った梓は、仕方ないなと言い残してログアウトした。
その時のアイラは、心做しか笑っているように見えた。
□■□
気怠いながら、惰眠を貪りたいという欲求と戦いながらも。庭原 梓は目を覚ました。先程とは似て非なる感覚。真なる目覚め、だ。然れどそれは一時的なもので、本来の眠気がその後襲ってきた。それに必死の抵抗をしながら、ベッドを降りて、リビングへ歩いていく。
一人暮らし故に、いつ起きても、誰にも迷惑がられない。例え目を覚ましたのが深夜であっても。家出したのは間違いだったかもしれないが、こうした平穏な暮らしは正解だったと思っている。
ニュースは<Infinite Dendrogram>が凄い!みたいな事を延々と続けていて、正直見る気もしなかった。
ネットも似たような騒ぎをしていたし、〈DIN〉なる組織が<Infinite Dendrogram>の情報を流していたが、それも見る気にはならなかった。
【会計士】カタルパ・ガーデンの情報が出る訳もない。何せまだ何もしていないからだ。貴重な(らしい)メイデンの〈エンブリオ〉の所持者ではあっても、実績が無いため知れ渡る機会は無い。況してや【会計士】という非戦闘職。知名度が高いわけがない。……と言うか、そんな騒がれても困るのだが。
非常食という印象が拭えない食料を口に放る。<Infinite Dendrogram>では決して味わう事の無い味――この後、もっと酷いものを<Infinite Dendrogram>で食す事になるのだが、それはまた別の話だ――だった。
睡眠……はしようと思えばする程度。いざ寝ようと思うと中々寝付けないものなのだ。だから梓は、寝ようとせずに<Infinite Dendrogram>へ向かおうとした、が。
「……こんなに早いと、あの子が心配するか」
自分の分身でしか無いはずの少女の姿が浮かんだ。何故か、と問われても、恐らく本人ですら分からない。ただ、結果的に浮かんでいて、それ故に梓は布団に潜り、目を瞑ったのだった。
「さて、と……」
たっぷり9時間寝た――梓にとっての「たっぷり」であり、個人差はある――梓は、改めて9時間前と同じように専用のデバイスを付ける。
リンクスタート!と言えば恐らく別のVRMMOの世界へ行く事だろうが、接続を確認し、起動するだけでいい。
梓はカタルパ・ガーデンとなって、今一度<Infinite Dendrogram>へと飛翔する――
□■□
「やぁ、カーター」
「カーターって誰だよ」
出会い頭アイラに
「きちんと寝たみたいだね。感心感心」
「君は僕の母親か何かか……」
尤も、梓の母親を梓は母親と思っていない故に、母親とは何かを良く知らないのだが。
9時間も、つまりゲーム内でいう27時間もログインしなかった為に寝たと判断したらしい。それは正しい事だ。だがそれは、27時間分のロスをしていた事に他ならない。
「さぁさ、レベル上げだぞ、カーター。〈エンブリオ〉には第7形態までの進化があるからな!私もまだまだ強くなって、カーターの力になれるというものだ!」
「レベリング、ね……露骨な説明ありがとよ、誰への配慮かは知らんが」
勿論君への配慮さ、とアイラは笑う。知っている事を言うなよ、とカタルパは苦笑する。
未だ<Infinite Dendrogram>の世界には謎が多い。何せリアルでも2日程しか経過していない。実質的なゲームクリアが存在しないゲーム故、明確な攻略法も存在しない。
このゲームの売り文句である『自由』の下に好き勝手やって、何か見つけたら報告する程度でいい。
だから、だからこそ。
――自由過ぎる輩が少なからず現れるのが、困り物である。
「うわぁぁっ!!」
だが、モンスターよりタチの悪いものが現れる事はある。
「
「っ……下衆め!」
アイラがアストライアとなり、カタルパの右手に収まる。
十字架を象った片手剣は、容易く突き刺さった。
――PKの被害者の〈マスター〉に。
「っ!てめぇ!!」
〈マスター〉を盾にした事を察したカタルパとアイラはPKに席巻する。
被害者の方の〈マスター〉はまだHPが0になっていないらしく、光の塵になっていない――光の塵になる事は、モンスターを倒して知った事だ。アイラが〈マスター〉もそうなると教えてくれた――ようで、宝石のようなものが埋め込まれた左手で這いずっている。
そして、PK。PNは『ミル
カタルパは、或いはアイラは、若しくは庭原 梓は。その行為を、プレイヤーキラーを、許すつもりは毛頭ない。目の前の輩が誰かは知らないが、いくら『自由』が取り柄のゲームとは言え、『これ』は許されない。殺す自由、殺される自由。そんなものがあったって、お天道様か、梓自身が許さない。
「――死んじゃえ!」
PK、ミル鍵が斧を振り下ろす。カタルパはそれを容易くいなし、隙だらけのミル鍵の体に蹴りを入れた。
吹き飛ぶミル鍵。然れどそれは、彼女の思惑通りだった。
――吹き飛んだ先に、先程の〈マスター〉がいた。
錐揉み回転をしながらミル鍵はその〈マスター〉に接近する。そんな状態で斧を振るえば、あっという間にミンチだろう。そうなる前に光の塵と化すかもしれない。
〈DIN〉の情報の一部に、死ぬとリアルで24時間ログイン出来なくなると書かれていた。
カタルパは、それを良しとしない。それを受け入れない。モンスターとの戦闘ならば、致し方ないとも思える。それは殺し殺される関係なのだから。それは
プレイヤーとモンスターは、違うじゃないか、と。そんな理屈にもならない理屈を押し通す。
今カタルパが追いかけた所で間に合わない。〈マスター〉はミンチにされるだろう。それでも。それを良しとしないカタルパは――梓は。そして、彼の〈エンブリオ〉である【絶対裁姫 アストライア】は。
「『《
そう告げて。
□■□
「な、なぁ!?」
ミル鍵はあんぐりと口を開ける。初級装備で防御力がそう高くないミル鍵は、【絶対裁姫 アストライア】の装備補正で攻撃力が強化されている状態での一撃を喰らっていた為、HPに余裕は無い。もう一度食らえば、間違いなくデスペナルティだ。
PKを、「モンスターを狩るより儲かるから」という理由で始めたミル鍵は、1人目を狩ろうとしたこの瞬間、化け物に出会った。西洋貴族のような風貌で、燕尾服を着て、鎖の巻き付いた片手剣を振るう、〈マスター〉に。
逃げなければ、とは思わなかった。何故なら逃げられないから。今この速度は彼に蹴られた分と自らが飛んだ分を加算して出しているに過ぎない。立ち止まれば今のミル鍵よりAGIが高くなっているだろう目の前の〈マスター〉が己を容易く殺すだろう。
況してや、仮に逃げられたとしても、顔を隠すような装備はしていない為、次に出会った時に殺されてしまう。
だから、ミル鍵は、狙っていた〈マスター〉では無く、目の前の〈マスター〉、カタルパ・ガーデンを
「《
ミル鍵は自身の〈エンブリオ〉、【上半怪異 テケテケ】のスキルを発動した。一時的にSTRとAGIを上昇させ、数秒間だけ空中歩行を可能にするスキル。第1形態でありながら、その効果は破格であった。条件として足を地に付けていないという条件があるのだが。
空中で二段ジャンプのように跳ねたミル鍵は、相手の後ろをとった。
(決める……!!)
そう決心して、手斧を振るった。
そして。
カタルパが、空を蹴ってミル鍵の更に後ろに回った。
「え……?」
もう、ミル鍵が何かを発する事は無い。首の上下で体が別れて、光の塵に成ろうとしているのだから。
□■□
《秤は意図せずして釣り合う》は、或る意味自強化系統のスキルだ。
『自分以外にかけられているステータス変動の内、強化されている分を写し取り、自身に付与する』という効果。そしてそれは、一部の運動エネルギーや装備補正も対象になる。
蹴り飛ばされていた運動エネルギーと彼女の装備補正を写し取り、カタルパはミル鍵と並走したのだ。何せ加算されたのだから、自らのAGIを足せば容易に追い付く。そしてまた、《脚は無くとも速くはあり》も、STRとAGIを上昇させ、空中歩行をバフとして付与するスキル。
1分というタイムリミットが《秤は意図せずして釣り合う》にはあったが、そのバフの量は充分過ぎたのだ。
強化されたミル鍵の補正をパクって、空中歩行して首を狩る。カタルパのやった事はそれだけだ。
そしてまた、その対象がいなかった故に、彼はこの間使えなかった。
「悪と判断された相手にのみ使用可能なスキルって……」
「面目無いが、正義の味方みたいで良いではないか、カーター」
『自由』なら、せめてスキルぐらい自由に選ばせて欲しかった。強いスキルではあったが、いかんせん使い勝手が悪い。PKという悪を見たが故に使えたようなものだ。暗殺とかだった場合、使う暇が無い。
まぁ、それでも無いよりはマシか、と。カタルパは立ち上がり、人型になったアイラに笑う。
「あ、それで、大丈夫ですか」
序の用事、みたいな感覚でカタルパは襲われていた〈マスター〉に駆け寄る。
「ありがとう、ございます……」
マスターなのに、やけに気弱だった。PNは『アルカ・トレス』と言うらしい。アルカトラズみてぇだ、とは言わなかった。
その気弱な〈マスター〉、アルカは、ペコペコと何度もお礼を言いながら、ログアウトしていった。クエストが終わって、街を歩いていたら襲われたのだと語っていた。
「あの子の〈エンブリオ〉はどうなるんだろうね、カーター」
「誰一人として同じ〈エンブリオ〉を持つ者はいない、んだろ?予想するだけ無駄な気がするよ」
その意見は正しい。〈エンブリオ〉は〈マスター〉と連動している。〈マスター〉の内面を反映して〈エンブリオ〉が生まれる。そんな中同じ〈エンブリオ〉が生まれるという事は、〈マスター〉同士の内面が全く同じという事だ。それは、現実的に有り得ない話なのだ。
だからカタルパに分かるのは、バルドルでもテケテケでも――アストライアでも無い事くらいだ。
「俺のアイラを誰かも使えるってのは、な」
「お、『俺の』などと言わないでくれ!恥ずかしいじゃないか!」
その可愛らしい態度に、堪らずカタルパは赤面した。
「意外と可愛い面があるのな」
「意外ととは何か!私はオールウェイズ可愛いじゃないか!貴重なメイデンで!プリティーで!カーターもメロメロじゃないか!」
「全部虚偽なんですがー」
「何を言うか!」
お仕置きしてやる!と叫んで拳で頭をグリグリされた――正式名称を知らない――カタルパは、「それ」に少し懐かしさを感じていた。
《秤は意図せずして釣り合う》
自身が悪事を視認する事で(若しくは特定の条件達成)その対象を選択して発動するスキル。
1分間だけ対象にかけられているバフ、一部の運動エネルギー、装備補正によるステータスや状態異常欄の変動全てを写し取り、その内強化されている分を自身に加算するスキル。
発動中であれば、途中でされたバフも加算される。
ストック制でストックは最大2。12時間に1つストックが増える。連続使用も一応は可能な為、ストックを一気に2つ使うのであれば2分間相手のステータスを加算出来る。