( °壺°)「なら、或る子供の話をしましょうか」
( ✕✝︎)「このタイミングで?しかも番外編でもなく?」
( °壺°)「そうです」
それは或る意味で、昔話なのだろう。一昔前のような物語で、だからこそ「昔」の物語なのだろう。
なので語り始めは、あの定型句としておこう。
むかしむかし、あるところに――
□■□
日本から遠く離れた国に、裕福な家庭があった。
「お父さんお母さん、家族は苗字が同じなんじゃないの?」
そこには、何事にも疑問を抱く少女が居た。その少女はいつも首を傾げる事ばかりしていて、学校の先生にも「質問ばかりしていないで、少しは自分で考えなさい」と言われていた。
「そうだね。でも、お前は知らなくていいのさ。名前なんて人それぞれなんだからな。お前は名前よりも、その美しい黒髪を大切にしていればいい」
誤魔化すように父親は言っていたが、長い黒髪を褒められて、少女は笑顔になった。
そう。最近は、同じ事をずっと疑問に思っている。それは、少女の父親、そして母親の苗字が、彼女の苗字と違う、という事。母親と父親の苗字も違うのだが、自分の苗字はそのどちらでもない、云わば第三の苗字なのだ。
夫婦別姓、というのは聞いた事があるからまだ分かる。だが子供と違う、というのはどういう事なのだろうか。分からない。
少女の家はとても裕福で、よく学校のクラスメイト(友達ではない)から「きっとヤベぇ事してんだぜ、お前のとーちゃんかーちゃん!」などと言われていた。それを鵜呑みにするつもりは無いが、もしかしたら、と頭の片隅にはソレが存在していた。幼い少女の心に、当たり前のように。
「ヤベぇ事」の結果、自分が居るのではなかろうかという、理論が。
少女の居た家庭は裕福であった。それは先程言った通りだ。家は広く、近侍も居て、庭も噴水があったり植物園があったりと文句はない。
だが、それなのに、とても寂しかった。
近侍も大人ばかりで、少女――つまり子供――が持つ無邪気さ、というものに、いつも振り回されていてばかりだ。同調して遊べるような人間は、その家には一人も居なかった。
裕福でありながら、近侍も居ながら、少女は何処か、孤独であった。
それでいて、学校でも孤独であろうとするのだから救えなかった。学校にいる
それを、当たり前だとは認識しなかった。それを、受け入れる事は無かった。馬鹿や阿呆でもいいか、と妥協する事も無かった。
長い黒髪は腰にまで届き、いつしかそれは他者を拒む壁のようになっていた。
そうして彼女は、公私共に孤独で、だから彼女は一人で、真実に辿り着いてしまった。
□■□
「矢張りいつか伝えするべきでは無いでしょうか、お嬢様がこの家の者ではない、と――」
その声は、いつも彼女の近侍を勤めている人間の声。
時間は、本来彼女が眠っている筈の午前二時。
場所は、彼女がいつも立ち寄らない筈の両親の部屋の扉の前。
本来居るべきでは無かったが為に、本来聞く筈の無かった事を、彼女は耳にした。
ナニヲイッテイルノダロウ。
そう思えたなら、どれ程幸福だっただろうか。
しかし彼女は聡く、また賢かった。大人に囲まれて育ったが故に、言われた事を素直に受け止めてしまっていた。子供ならば持っている筈の柔軟さなど、とうに置いてきていた。
だから酷く冷静でいた。
だから残酷な結論に、いとも容易く辿り着いた。
「きっとヤベぇ事してんだぜ、お前のとーちゃんかーちゃん!」
そんな台詞が、今更になって反響してきた。
「質問ばかりしていないで、少しは自分で考えなさい」
そんな台詞が、今更になって彼女の中で反芻された。
「お嬢様は、まだ知らないのでしょう?」
「えぇ、そうね。アレはまだ、知らないわ」
氷よりは暖かく、然れど人の温もりよりは冷たい声。聞き慣れなかったが、大方母親の声だ。
その声が、自分を「娘」や「私の子」などとは呼ばず、「アレ」と呼んだ事を、彼女の耳は都合良く聴き逃してはくれなかった。
「大丈夫だ。どうせ知ったところで何も出来はしない。
第一、ここ以外に居場所が無いじゃないか。あの子の背には、まだ残っているのだから」
「…………ですが」
人を見てなどいないような、見下したような、それでいてとても下卑た声がした。これまた聞き慣れてはいなかったが、間違いなく父親の声だ。母親とは対称的に「あの子」と呼んでいた事を聞き逃さず、また自分の背に何かがあると仄めかした事を、聴き逃さなかった。
そして、「ここ以外に居場所が無い」というフレーズも。耳に残る下卑た声と共に、記憶した。
近侍が狼狽し、閉口した。それを切っ掛けに両親は嘆息し、「仕事があるんだ」「明日の準備をしなくちゃね」と夫々言い残して、咄嗟に隠れた彼女にも気付かず、その部屋を後にした。
いや、仮に彼女と目を合わせていたとしても、彼らは何ら変わりのない対応をしていたのだろう。
眠気覚ましに歩いていたら、眠気なんてものは雲散霧消してしまった。
瞼を擦る。また瞼が重くなったからではない。視界を覆う涙を拭う為だ。
もう、分かりたくないのに、結論は出ているのだ。証明したら後戻りなんか出来ないのに、それをしようと歩き出す。
何かとの別れが近い事を、薄々察しながら。
□■□
奴隷制度、というものを、恐らく彼女はその時になって初めて知った。
歴史上の出来事としては知っていたのかもしれないが、とうの昔に廃止された制度。今こうして見る事など、普通はないだろう。
だが、少し調べればすぐに見つかった。
「『ニワハラグループ』……?」
親に隠れてノートPCを開くと、すぐにそれは見つかった。
自分の背中を写真に撮って、そこに刻まれていたのと
その模様は、日本にある企業、『ニワハラグループ』のロゴと同じであった。
親日家でもない両親が、態々娘にそんな一企業のロゴを
だから、踏み入れた。
その企業の、大き過ぎる闇に。
「どういう、こと……」
奴隷、というワードが何度もそのページには書かれていた。
企業が裏で人身売買をしていた事。表向きでさえ違法な物を売っていた事がある事。
社会の最奥に潜む、最重要機密だろう情報に、彼女は触れていた。
何故自身のいる家の、共用で使われているパスワードでここまで来れたのかは、露ほども理解してはいないけれど。いや、これですら、恐らくは理解していた。理解していて、理解していて――拒んでいたのだろう。
そうして分かった事は、無かった。これはもう、分かっていた事を再確認しただけなのだろうから。今更理解しきっただけなのだろうから。
世界では、最も残酷な理論が現実になる事を、再確認しただけだろう。
「そう、私は……人未満だったのね」
自分が奴隷であった事を、人生で初めて認識した。人身売買されてここに来た事を、認識した。
常人であれば先ずしないだろう貴重な経験だ。だが、それがプラスの経験値になる訳がない。
目頭を抑える。このままでは、目の前の画面すら見れなくなってしまう。
「そうだね。でも、お前は知らなくていいのさ。名前なんて人それぞれなんだからな。お前は名前よりも、その美しい黒髪を大切にしていればいい」
その父親の言葉の真意を、今漸く、理解した。
名前に意識を持って行かせなかったのは、コレに気付かせせない為。それでも改名させなかったのは、自分達が人未満のモノを保有しているという優越感に浸りたかった為。
自慢だった黒髪を褒めてくれたのだって、この背中の模様を少しでも隠す為。
体を洗うのも着替えをするのも、近侍が行ってきたのも、この理論を確固たるものにする。
近侍が嘆いたのは、その苦痛に耐えられなくなった為だと言うのも。
結局。「ここ以外に居場所が無い」と言っておきながら、ここにすら、
彼女は徹底的に調べあげた。『ニワハラグループ』への復讐なんて、これっぽっちも考えてなどいなかった。
考え無しに、これを全て公にしなければ、自分に居場所が無いと思い込んだが故に。
どうして自分に居場所が無いのか。どうしてそうやって奪った奴には居場所があるのか。
子供の頃から何一つ変わっていない、何事にも疑問抱く彼女は、また一つ、一つと、醜い疑問を抱いていく。
人身売買が発覚して、大きく報道されなかったが解決した事を知った。政府に揉み消された事を知った。
たった一人の少年から、御曹司であった少年が発端で解決した事を知った。
「絶対に……絶対に……!!」
嘆くその声は、近侍にすら届かない。孤独な彼女は、誰かに向けて嘆いてはいなかった。
強いて言うのであれば、居るのであれば――神か、現実だろう。
「私の、居場所を……!」
□■□
彼女に過去の記憶は無い。
熱された鉄を背に押し付けられた記憶など存在しない。
薄汚れたボロ衣を着ていた記憶など存在しない。
だが確かに彼女は奴隷だったのだ。
人身売買の果てにあの家に辿り着いたとしても、裕福な家庭で暮らして過去を忘れたのだとしても、その過去は変容しない。
そしてまた、その全てを、彼女は不信に思わなかった。
□■□
そんな彼女は、ある日出会った。
大学生の時だった。
そこは自身の住んでいた家からは遠く離れていて、また何度も見た国名の場所だった。「世界を見たい」と形だけの両親に懇願して来た大学で、見れば我を忘れて暴れ狂うような名前の人間に、出会った。
解決者。歴史の闇を屠った者。政府を敵に回した筈なのに、未だのうのうと、飄々と生き続けている者。居場所を奪った身でありながら、居場所があり、そこに立ち続けている者。
ニワハラ アズサに、出逢ったのだ。
( °壺°)「少女から彼女へ……一体誰なんだろう」
( ✕✝︎)「かつてこのまでヌルい推理ゲームがあっただろうか、いやない。あるわけない」