其は正義を手放し偽悪を掴む   作:災禍の壺

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( °壺°)「分かりきっているとは思いますが」
( °壺°)「このお話は狩谷 松斎の物語で御座います」


第四十一話

 当然のように、そこに居た。

 ここに至るまでに、血反吐を吐いた覚えがある。

 だのに、ソレは悠然とそこに突っ立っている。

 同じ場所に立つまでの過程が、あまりにも違うというのに。何故今、ここで、こうして、同じ場所に、立っているのだろうか?

 憤怒の炎が身を焦がす。

 怒りの業火が心を焼いた。

 それでも、その一歩を踏み出す事は無かった。復讐が、力による復讐が、何も生まない事を、熟知していたから。

 握るその拳を、振り下ろす事はせず、ただ睨みつけて、その場を去った。

 最後まで、こちらと目を合わせる事が無かった事は、彼女にとっては嬉しい事であった。

 それだけは、今ここで、言い切らなければならない事だった。

 

□■□

 

 ズキズキと痛むのは心なのだろうか。それとも肉体なのだろうか。

 どちらも、痛んでいない筈なのに、耐えかねる痛みが、確かに彼女を蝕んでいた。

 忘却しようとした過去が、存在していない過去が、存在証明を行い、彼女に叛逆する。

 彼女は思い出さない、思い出せない、思い出す物が無い、という三重苦に苦しめられながら、吐血しそうな程咳き込んだ。

 

「まだ……まだ……で、す……から」

 

 まだ、復讐の「ふ」の字すらやってない、と鼓舞する。

 

「…………復讐?……なんで……?」

 

 自分でも分からない問いに着いた時、反射的に彼女はそれを拒絶し、結果――

 

「ちょっ、ショーちゃん!?」

 

 出会って間もない友人の声が聞こえた気がして、そのまま彼女の視界は、暗転した。

 

□■□

 

「……なんで、この世界はこうも卑屈かねぇ」

 

 男の声が聞こえた気がして、彼女は白いベッドから身を起こした。

しかし、そこには女性の保健医しかいなかった。男なんて、何処にも居なかった。幻聴だったのだろうか、と耳を疑った。まさかニワハラが居るのではと思い辺りを警戒し……気付く。

 

「私、アイツの声、知らない……」

 

 恨もうにも、彼女はまだ、彼を知らなさ過ぎた。

 今この瞬間に復讐が成功したところで、それはあちらからすれば「まだ」、八つ当たりの域だろう。だから、調べなくてはならない。アレを。アイツを。ニワハラ アズサの、その全てを。

 外堀を埋めて、逃げ道を封じて、助け舟を沈めて、蜘蛛の糸をちょんぎって、そうしてから、復讐するのだ。

 

「……なんでだろ」

 

 今更になって、彼にソレ(復讐)をして……それで、何の意味があるのか。

 寧ろ彼は、自分の立場を奴隷(アレ)から人間へと押し上げた、恩人的な何かではないのだろうか?

 

「まさ、か」

 

 その結論に腑に落ちないのは何故か、恩人ではない何かとして見たかったのは何故か、彼女は全く考えなかった。

 

□■□

 

 そんな、四年間のストーカー染みた観察(大学生活)により(最早ストーカーであったかもしれない)、彼女が得た情報はノート五十冊分程になっていた。

 『庭原 梓検定』なんてものがあれば、一級を一発で取れる程度に(そんな検定があった場合、同じく一級を取れる人間はあと二人しかいないだろう。加えて本人か)。

 知った。見知った。彼に於いて知らないものは、精々他者に向ける思いと、彼自身の思い、くらいのものだろう。

 

「それでもまだ、足りな、い」

 

 まだ外堀は残っていて、逃げ道はある。

 埋めなければ。封じなければ。

 先ず己を偽ろう。名を変えて、職を変えて、何もかもを変えて。

 彼の知らない自分で、彼を知る自分で。

 必ず――――

 

□■□

 

 時は経ち、現在に至る。

 かつての名を捨て、刈谷 松斎となった彼女は、媒体を取り外して、嘆息した。

 まだ、外堀は埋めきれていない。

 新しい逃げ道が、生まれたからだ。

 イタチごっこのようにも思えるが、最果てがある事も知っている。

 

「逃がしませ、ん……から」

 

 セムロフ・クコーレフスは、まだ止まる事を知らない。

 刈谷 松斎はまだ、止まってはならないのだから。

 ああ、何故。何故。

 

「…………ここまで復讐に執着するのでしょうか、ね」

 

 きっと、嫉妬や憤怒といったものでは説明がつかない、何かのせいだろう。

 まぁ、ただ。少なくとも。足掛かりは得たのだ。

 そうして彼女は、一冊のノートを開く。

 

「…………」

 

 新しく、文字が書き連ねられていく。

 彼ならば、「コレ」に対してどう対応するだろうか。

 彼ならば、「コレ」をどうしようとするだろうか。

 予想しなくては。脳内のシミュレーション回数が異常に増えていく。

 

 ――彼女は知らない。

 

 それは最早、復讐心によるものではない事を。

 彼女は知らない。

 これを、何と呼ぶのかを。

 

「待っていて下さい、庭原 梓……カタルパ・ガーデンも……!」

 

 何処まで迷走すれば彼女の終着点があるのか、それは彼女にすら分からない。

 或いは、その終着点の有無さえ。誰にも分からないのだ。

 始まりが有れば、終わりが在る。

 それは定理ではなく、定義だ。

 であれば、始まり無きものの、終わりは、果たして。

 

□■□

 

 自己紹介が事故紹介になってしまう彼女は、中身の無い復讐劇に身を費やしている。中身は無いが、意味はある筈だと。そう信じて。

 彼については反吐が出る程嫌っているが、過去を鑑みれば出るのは血反吐かもしれない。また、彼女の過去と彼女の現在は連続しているようでいて断絶していて、直結はしていない。それは彼女という存在が今と過去で分かたれているからであり、二分されているからであり、決して別人になったと言う訳では無い。いや、或る意味では別人になったのだろう。

 

 ――なって、しまったのだろう。

 

 ドラマチックな逆転劇が、起こり得ない事を知っている。だが、だからこそ足掻く。醜く足掻く。

 復讐心はある。だがやりたいのは復讐ではない、という矛盾。

 やりたいのは復讐ではないが、結果としてやるのは復讐以外の何物でもない、という矛盾。

 自分の内で蠢く、この内包されている復讐心は、復讐以外の選択肢を、消し去ってしまったのだろう。

 

「……悲しい事です、ね」

 

 考えを一変させるべく、リセットさせるべく――リセットした所で、結局この結論に辿り着くのがオチだが――彼女は鏡の前に立った。

 鏡で見た彼女自身の姿は、少なくとも以前庭原に会う際に見ていた顔とは似ても似つかないものであった。

 隈が出来ていて、酷く(やつ)れている。

 彼がマトモでないように、彼女もマトモではなくなってしまったらしい。

 世界が彼女を見捨てたように。正解もまた、彼女の手から零れ落ちた。

 

「復讐、ね……」

 

 それをして、或いはそれをする事で、何が残り、何を証明するのだろうか。

 それは何年も抱いてきた疑問だ。

 答えの出なかった難題だ。

 答えを出す事を諦めたのかもしれないし、その答えを悟って答えを出さないように無意識に考えていないのかもしれない。

 どちらにせよ、或いはそのどちらで無いにせよ、今の彼女の内に、正解は無い。

 だから鏡は、そんな伽藍堂な彼女を映す。

 狩谷 松斎という女性を、醜く描き出す。

 嫌ってはいない。憎んではいない。恨んでもいない。

 それなのに胸中で燻る復讐心に、身を焼かれた彼女を。

 

 再ログイン可能まで残り17時間。

 自称探偵――その実、『ニワハラグループ』の奴隷事件専門探偵――狩谷 松斎は、鏡の奥の人物を、キッと睨みつける。

 

「……絶対に、居場所を奪ってやるんだから……待ってなさい、庭原 梓」

 

 「復讐心」が、復讐心でない事を理解せずに。

 ただ、彼を同類にしたいだけなのだ、と。分かり合える者が欲しいのだ、と。そんな自分の心理すら、理解せずに。

 彼女は、忸怩たる思いなど欠片も持たず、ただ、只管に。

 

 自分の外堀すら、埋めていった。

 

 そんな事にすら、欠片も気付かずに。

 

「お腹空いたな……何か、食べるもの、あったっけ?」

 

 狩谷松斎は、踏み外した事にすら気付かず、また踏み外す。

 彼が間違えを正す中、何度も、何度でも、間違い続ける。

 それが――狩谷 松斎なのだ。

 未だ騙されている(、、、、、、、)事に気付かない、未だ無垢であり続けている少女(彼女)

 それだけが、狩谷 松斎の証明である。

 もう、彼女の中には、『終わりよければすべてよし』の精神しか、残ってはいないのだ。




( °壺°)「本名、桐谷(きりや) 晶子(しょうこ)
( °壺°)「名を偽ったと言う割に、面影は強く残っております」
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