ほんの少し、修正を加えました。意味は……後々のためです。
眼前の
その全てを、誰かが聞く理由は、何処にも無い。
目の前で叫ばれようと、聞く理由は無いのだ。
それでも。庭原 梓は聞き届けた。
理由は無かったが、聞かなければならないという使命感があった。
それでも、聞き届けただけだった。
目の前で失われた命を、救う事は出来なかった。
さて、そこで質問だ、と誰かが彼に言った。
今迄で何度、このような事を繰り返して来たのか、と。
彼は答えた。それは途方も無い数、という程では無いが、少なくもない数だった。
その答えに、その誰かが満足した訳ではない。彼の隣に立つその誰かは、そう聞いて、彼がどういった心の動きを見せるかを、見たかっただけなのだ。
悪趣味だ、と梓は笑う。全く以てその通りだ、と誰かは答える。
怒りか、或いは全く違う感情からか、隣にいる誰かを殴る。それだけで、そこにあった鏡は割れた。
□■□
商人系統下級職【会計士】のレベルがカンストしたので、カタルパはアルテアのクリスタルに触れて商人系統上級職【
何はともあれ、カタルパ・ガーデンは上級職に就いた。一部の〈ティアン〉や、闘技場がある都市、ギデオンにいる【猫神】という職業の〈マスター〉。彼ら超級職に追い付くにはまだ遠くても、こうしていれば何れ辿り着けるだろう、と、カタルパは確信していた。非戦闘職と戦闘職という圧倒的過ぎる格差があるにせよ、超級職という枠組みからは外れていない。悩みの種はどういう条件で、どのようにすれば超級職とやらになれるかだが、それは喫緊の課題では無かった為に頭から弾かれた。
「――ター。カーター。聞いているのか?」
「ん?あ、すまない。聞いていなかった」
カタルパは瞬きを何回かしてから、自身の思念を一旦置いて、アイラの話に耳を傾けた。
何を話していたか、或いはこれから何を話すのか、カタルパは知らない。アイラの口から何が発せられるのか、されていたのか、知らない。
だからこそ、彼にとって初耳の、彼女からすれば何度も言っていたその情報を。カタルパは意外すぎて真に受ける事が出来なかった。
「カーターが上級職になったのと同様、私は第2形態になったようだ」
そんな、たった一文で纏められた文章さえ、信じられなかった。
信じられないが故に、アルテアのクリスタルの前にいたカタルパは、周りも驚く程叫んだ。
□■□
メイデンの状態からアイラは
【絶対裁姫 アストライア】の第2形態は弩弓の形をしていた。弩弓の部分のみの、矢の無い弩だった。弩弓とは、かつて中国辺りで使用された武器で、日本で伝わる所謂和弓とは差異がある。
これ、何で矢が何処にもねぇんだ?と疑念を抱くが、先ずはアイラの説明を聞く事にした。と言うか、それしかなかった。
『私の第2形態、弩弓は、装備補正こそ高くないが、カーターにとっては貴重な遠距離武器となるな。
この形態だと《秤は意図せずして釣り合う》を使用出来ないようだ』
「へぇ、そりゃ大変だな」
ステータスの上昇が使える遠距離武器、なんてのはあまりに酷い性能だろうから、相手側としては嬉しい処置だろう。
――余談ではあるが、何故弩弓なのかと問われれば、意訳が「Cross Bow」だからと答えざるを得ない。
「遠距離武器、と言われても、俺の場合これを使う機会は無さそうだな」
『だが新たなスキルがこの形態で使えるようになっているぞ?まぁ、以前のように、読めない使えないスキルだが』
「それでもなぁ……」
そう言うのも無理は無い。戦う意思が言う程無いからだ。確かに今の所十字の片手剣に弩弓と攻撃出来る武器ばかりになっているが、ステータスや職も、戦う為のそれではない。
――それでも、『非戦闘』へと進んでいく〈マスター〉を、アイラという〈エンブリオ〉は辛うじて『戦闘』の域に収めているのかもしれない。
唯一あったスキルも戦う際に使用するようなアクティブスキルである事も関係するのだろう。
『矢は存在しない。現状は、な。引き絞り、懸刀を引く際には自動的に装填されている。何処から装填されるのかは、生憎分かりそうにないな』
懸刀とは、引き金の事だ。
「へぇ。自動で、ね。んで、どういう弦と翼なんだ、これは」
弩弓は弓と同じように、張力が武器の威力に関係する。張力が強ければ、弩弓の威力は上がる。代わりにその弦を張る事が難しくなる。それ故に、威力に秀でていると速射が出来ない。カタルパが暗に言っているのはそこだ。『威力重視にしたか、速射重視にしたか』だ。
『速射重視故に威力は大して。カーターの力でも楽に撃てるようにはなっている。まぁ、それでも力を殆ど入れずに出来る訳ではないが』
力を入れずに出来るなら、張力も高が知れている。
(俺に合わせてくれたって事だろうけど、STRが低すぎる、って事だよな……)
カタルパも、少しだけ現状を変えようという意思があった、らしい。
試しに1度、弦を張る。本当に何処からとも無く矢が現れた。人がいない事を確認し、懸刀を引くとそのまま矢は射出された。速度はあるが、威力はあまり、といった感想だ。
「まあ、大方予想通り、だな。もういいぞ」
カタルパは人型に戻るよう告げる。アイラもそれに応じる――事は無かった。
「アイラ?」
『……構えろ、主人』
アイラが、カーターと呼ばなかった事に、カタルパは気付いた。それは、少しでも漏洩する情報を削る為の行為だと思ったが、自分が言っていては意味が無い。
ただ単に、本気で警戒していただけだ。俗称で呼ぶ事を忘れる程に。
アイラ…【絶対裁姫 アストライア】に《敵感知》などという便利なスキルは搭載されていない。《不意打ち防御》なんて利便性のあるスキルも持っていない。
それでも、何かが来る、と分かった。
「え、そんなに警戒されるー?警戒しない警戒しない」
現れたのは、〈マスター〉、だった……?
人ではある。それは分かる。年齢は十代なのだろうが、何かこう、説明し難い何か、母性的なものを感じる。恐らくキャラメイクで若くしたのだろう、と予想を立てられる。
〈ティアン〉では無い。それも左手の甲を見れば分かる。
ただどうしようも無く、ヤバかった。
何が。分からない。何故か。分からない。
説明のしようがない「ヤバさ」というものを、カタルパとアイラは感じ取っていた。それでも、警戒しないと言われたのでほんの少しだけ緩め、鵜呑みにしてはいないので懸刀に指をかける。再装填された矢で倒せるとは思っていないが、牽制にはなるだろう、程度に思って。
「別に私は戦わないわよ。戦う意思は、持つだけ無駄ねー。それに、貴方の『それ』じゃ勝てないでしょー」
笑う〈マスター〉。『それ』とは果たして、〈エンブリオ〉であるアイラの事か、〈マスター〉であるカタルパの事か。或いは――その双方か。
どれであれ、どうやら勝ち目は無いらしい、と悟ったカタルパは、懸刀から指を離す。
「物分りがいいと助かるわー」
「貴女は母親か何かか……」
それにその言い方だと、『物分りの悪い奴』がいるように聞こえる。知り合いにいるのだろうか。
少し落ち着きを取り戻してから改めて見れば、整った顔立ちをしている。まあ、関係ない事だが。
「私はアリスン、宜しくねー」
「アリス……ン?え、言い間違いとかではなく?」
「うん、そうよー、アリスン」
「そう、なのか。僕はカタルパ・ガーデンだ。宜しく?」
宜しく出来ない気がしたのは、恐らくカタルパのせいではない。
アリスと入力しようとして間違えたのだろうか、とかすら思っている。
胡散臭い。とても胡散臭い。〈マスター〉なのは分かるが、
とてつもなく、『踏み入れてはならない場所』に踏み入れている気がしてならなかった。
(…………アリスン、ね)
宜しくは出来なさそうだと言うのに、これからも何かありそうだ。
2人握手を交わそうと思い左手を差し出した――――刹那。
「――やっぱり貴方、危険ね」
先程の、のほほんとした会話をしていた者とは思えない声がした。
カタルパが掴んだのは、アリスンの手では無く【ジェム】だった。
カタルパは、【ジェム】という存在をまだ知らない。と言うか、多くの〈マスター〉がまだ知らないだろう。
だからそれが、何なのかは知らない。
それが、《ホワイトランス》が込められている【ジェム-《ホワイトランス》】である事など、尚のこと。
分からなかった、それ故に。
彼女が自分を殺しに来ている事が分かった故に。
【ジェム】を天に放り投げ、大して高くないAGIで後ろに跳ぶ。そして弩弓を構えて。
「『《
未だ完全に理解していないスキルの名を、口にした。
放り投げられようと【ジェム】は既に起動している。受ける術は無い。そう確信
――過去形で語るという事は、今はそうでないという事。では、目の前の光景は、アリスンに何を思わせただろう。
カンストしているとはいえ、それは下級職。況してや非戦闘職。HPも3桁に届くかどうかと言ったところ。《ホワイトランス》を受けるにあたり、ENDもHPも、或いはLUCも不足している。いや、足りないどころの騒ぎではない。アリスンのそれはオーバーキル過ぎる。耐える耐えないの問題じゃない。最早形が残るか残らないか、という問題である。
……それなのに、カタルパに諦めるような素振りは無い。
(彼の頭、どうなっているのかしら)
と、アリスンは心の中でそっと呟く。
彼女が彼を殺そうとした理由は1つしかない。
カタルパ・ガーデンという〈マスター〉が、危険だったから。彼の頭はおかしい。考えている事が常人のそれとは少々……いや大分異なっている。これ以上会話していると喋っていない事を察されそうだったのだ。
……これはカタルパが知る事では無いが、〈マスター〉至上主義であるアリスン――■■■は《ホワイトランス》を選んだ理由に今ある手段の中で最も速く殺せるから、というものがあった。
痛覚はONにしていないのは
そして。待ち侘びたとばかりに《ホワイトランス》は打ち出された。
それは彼のAGIを軽々しく越える速度で打ち出され、ENDを
――だがしかし、彼は、そこに立っていた。
アリスンは大して驚かない。何が起きたか、を理解していたからだ。また、脳裏に浮かべていた《不平等の元描く平行線》に対する推測は、正しかった。
「本当に、〈マスター〉って凄いわね」
耐えられた、と言えどHPは底をつきかけている。状態異常欄にも【左腕欠損】や【出血】等等、立っているどころか生きていておかしいレベルの状態だ。カタルパ自身、意識が朦朧としていた。それでも、まだ死んではいなかったが。現実は残酷である。
出血多量により、デスペナルティを食らう程度には。
《不平等の元描く平行線》については……次回で