「――こんな筈では無かったのだ。
こうなる筈では無かったのだ。
何処で踏み違えたのだ?
何処で見誤ったのだ?
他の誰かの妨害か?
自身の怠慢と傲慢か?
何が引き金となり、私を穿った?
…………嗚呼、成程。
お前か、梓」
誰かが、言った。
彼の目の前で、誰かは言った。
その言葉を、結の言葉として。
対して、弱々しく――外見も、内面も――脆弱な彼は、独白した。
「僕は、それを否定したいんだ」
彼女に、そう独白したのだ。
「悪になりたくない、って事?」
まだ社会と言える社会を知らぬ彼女は、そう問う事しか出来なかった。
稚い少女のような、そんな質問を、する事しか。
「それもある。
けど、それ以前に――」
その時の彼の顔は、今尚彼女の、天羽 叶多の、心のアルバムの最前にある。
「――僕は、そんな悪を創った世界を、多分許しちゃいけないんだ。
いや……ちょっと違う。
僕はこんな世界を、認めなきゃいけない。こんな……掃き溜めのような世界を。善と悪の境界のないまま混沌だけが蔓延した世界を――是正しなくちゃ、いけない」
ただの、一介の高校生が。
『世界を憂う』、そんな表情をした事は。
今尚、忘れられるものには、なってくれていなかった。
誰かの言葉を引用するでもなく、自分の言葉で世界を憂いた彼が今、人間性を忘却したならば。
あの『憂い』の為に。この、或いはあの『世界』の為に。取り戻さなければならない。
――それは、天羽 叶多という存在に刻まれている、数少ない『何か』なのだ。たとえそれが、どんな終焉を迎えるのであっても。
それだけが、天羽 叶多を証明するのだから。
□■□
相も変わらず無表情無対応を貫いたカタルパを尻目に、ミルキーと【ギャラルホルン】は相対していた。
【狂騒姫】と、【零点回帰】が、である。
かつて、【零点回帰】が【七亡乱波】であった頃、出逢う前に決着が付いた、あの時の【夜行狩人】ではない。
『
「……何それ?」
『現状最も職業の中で名の長い職業故に頭の片隅に置いていた程度だが……よもや、実際に見る事があるとはな。此方の運命とは些か、悪戯好きなようだ』
「ふーん?初耳」
『いや……其方は最も知っているべきだろう……』
「そーかな?別に私は転職しまくってたら
何だっけ?確か……【転職回数が一定回数に達しました】的なアナウンスが来て……それで、ねぇ?」
『転職回数……?成程、だから多種職業混成派生、か。となると転職するだけではそうなれない訳で……成程成程。其方は数奇な運命を辿るのがお好きなようだ』
「うん、大好き。だって梓と同じよーな道だもん」
『そうか。
《宝玉精製》』
その会話という隙を、【ギャラルホルン】は逃さない。
だがそのような小手先の、見え透いた罠は、今の彼女には通用しなかった。
「よっ、と」
ほんの一振り、手鎌を振るっただけで、幾本もの槍が打ち砕かれ、霰のように地に降り注いだ。
それに【ギャラルホルン】は驚きもせず、黙々と次の手を打った。
『使わない、とは言っていない。そうだろう、勇者達』
「勇者と正義の味方は、微妙に違うけどね」
『そうなのか?
塵になれば等しかろうに。
《Crystal Storm》』
人間性は得ていた。だが、それは必ずしも
水晶に囲われた闘技場。確かにここならば、ソレを放っても問題は無い。恐らく、そういう考えはしていただろう。何も、無計画に放つ訳では無いだろう。
まぁ、そうであったとしても、彼ら彼女らを殺し得る最悪の方法ではあるのだが。
――だったの、だが。
「《五体投地結界》」
『何?……聞いた話では其方は
「さぁ?《アストロガード》」
何故
『【僧兵】系統に【鎧巨人】……成程』
《Crystal Storm》を耐えきったミルキーを見て、【ギャラルホルン】は嘆息した。
『それと』
《宝玉精製》で剣を創り、返す手で後に振る。
ガキンッ、と鈍い音が鳴り響き、奇襲の主、カタルパが鎖を踊らせながら距離をとる。
(《Crystal Storm》を読んだ……?まさか……。あれは此方の最も危険なスキルである、と
いたのだったな。カタルパ以外の策士が、この世界ではない世界に)
【ギャラルホルン】はそこで初めて――恐らく生涯で初めて――戦慄した。
然しそこに恐れは無い。
寧ろそれとは別――否、逆の感情が、表に出ていた。
『
それは確かに人間性の発露の証左であったし、人間と呼ばれるその生命の定義枠に収まった、とも言えるだろう。
なのであれば彼は人間だ。
或いは、【零点回帰 ギャラルホルン】という
――マスターだ。
刹那。
鎖の化け物が、変質した。
□■□
最早昔話ではあるが、カタルパにはある持論がある。
曰く、『モンスターがプレイヤーを狩るのは構わないが、プレイヤーがプレイヤーを殺したりしてはならない』、と。
それにも勿論モンスターが行う虐殺であったり、テイムモンスターでもないモンスターの虐待であったりと例外の『悪』は存在する。
彼はモンスターがプレイヤーを殺す事を悪とは言わない。
だから彼はモンスターに対して《秤は意図せずして釣り合う》を使用しない――使用出来ない。
だと言うのに。
『おやこんな所に』
「
鎖の化け物が、まともに喋った。
一体でありながら、会話をして。
一人でありながら、二人として。
正義の味方が、喋った。
「残念ながら、この状態だとな」
『新たなスキルがない代わりに、第一と第四を使える、というメリットがあってね』
「『《
□■□
【絶対裁姫 アストライア】は、第1形態から第4形態に至る迄、必殺スキルを除き四つのスキルを会得している。
そしてまた、剣、弓、旗、秤の何れに於いても、夫々の形態で一つのスキルしか発動出来ない。
剣であれば《
弓であれば《
旗であれば《
秤であれば《
別の形態のスキルを使う為に今使っているスキルを解除しなければならなかったという欠点を、【絶対裁姫 アストライア】は抱えていた(【共鳴怨刀 シュプレヒコール】の入手でそれは解消されてはいたものの)。
今回、彼女は鎖となった。
鎖とは、縛り付けるものであり、また繋ぎ止めるものである。
カタルパ・ガーデンを戦闘に縛り付けるものであり、カタルパ・ガーデンを戦場に繋ぎ止めるものである。
今回の変質――第4形態から第5形態への進化には、実は彼女とは全く関係の無いモノが関係している。
此度、ミルキーに強化を頼む為に、【共鳴怨刀】をカタルパ・ガーデンは一時的に手放した。
つまり、カタルパ・ガーデンを縛り付ける、いわば楔が、一つ失われたのだ。このままでは、【共鳴怨刀】無しでは、縛り付けられない。一つしかない、楔が消えたのだから。
ともなれば、(本来必要性などこれっぽっちも無いというのに)鎖だけでカタルパ・ガーデンを縛らなければならない。
彼女が武器だから。
戦闘がなくなれば、武器の必要性もなくなるから。
己が存在証明の為に縛り付ける。
カタルパ・ガーデンのアルターエゴとして。
智の方向へ進むなら、武と勇は捨てている。だから責めて、武だけでも。
【共鳴怨刀】の時と同じように、ミル鍵がカタルパ・ガーデンから離れても良いように。
【絶対裁姫 アストライア】とカタルパ・ガーデンだけになったとしても。
彼女に存在意義が存在しているようにする為に。
彼女は気付いていない。そんな行動理念でカタルパ・ガーデンを戦闘に縛り付けておいていると言うのに。
世界で二人だけになったら、戦闘が起こらない事に。
だから、鎖の化け物は、化け物であった。
正義の味方且つ、化け物であった。