■カタルパ・ガーデン
――第6形態、なのだろうか?
手にしているものは天秤ではなく、精緻にその模様が施された銀盾だった。もう片方の手に収まる十字剣も、第1形態のものより一回り程小さく見えた。
見ればそれぞれに鎖が付いており、俺の背中に背負われているリュックサック程度の十字架に繋がっている。十字架、銀盾、十字の片手剣の三つ……厳密には繋がっているから一つと見てもいいんだが……。
おいおい、どうなっていやがる?
確かに今迄も特に予兆無く変形っつーか進化はしたさ。だがな。何かしらの原因と言うか、切っ掛けはあった筈なんだ。俺の言葉然り、俺の危機然り。
「アイラ、原因は?」
『分かったら正直に言うに決まってるじゃないか』
「ふむ?突然変異的な感覚でオーケー?」
『そういう事でいいんじゃないかな?』
『まったく貴公等は……まぁ、いつも通りか』
魔導書ですら匙を投げる展開。すまないが俺ですら置いてけぼりなのが現状だ。いきなり第6形態到達とか着いて行けねぇよ。
「……使い慣れていないのか?」
「使い慣れてねぇも何も……初体験だ、よっ!」
「成程」
ガキンッ、と手刀を弾く鎖の音。エイルは一歩退る(なんで手刀と鍔迫り合いして、金属音が鳴るんだよ)。《延々鎖城》の鎖を、今は封じる必要が無い。ここ最近で分かった事だが、この鎖はヘイトを溜める行動を自律的に行うが、俺自身を妨害する事は決してない。寧ろ補助する。俺のヘイトを溜める事は無い――だから今は、踏み出せる。
余談だが、どうして丁度良いタイミングで《延々鎖城》の封印が解除されるのか、だが。解除する度にロックしているからだ。もう少し分かりやすく言うなら、ほぼ毎秒ロックとアンロックを繰り返しているのだ。【数神】のAGIが無ければ出来なかった所業だな、ホント。いや……それもまた、『逆』なのかもしれないが。
つまり、【数神】だったからこそ、《延々鎖城》はこういったスキルになったのかもしれない、という事。
そればかりは、聞けないけど聞いてみないと分からないな。
……そんな今の俺にあるのは二つ。
好奇心。そしてもう一つが、今の俺を突き動かしている――
恐怖心だ。
□■□
俺を置いて行くように、停滞している俺を置いて行くように。
彼等彼女等の『成長』は止まらない。
血肉が上下で二分されたら死ぬように。
植物が育ちきれば枯れるように。
美しい鏡だろうといつか砕け散るように。
不可逆である為に。時の流れや事象が一方通行であるが故に。彼等彼女等は、立ち止まらない。否、立ち止まれない。なら、恐らく俺も進んでいる。
停滞している。立ち止まっている。けれども本当はきっと、ベルトコンベヤーみたいに強制的に進めさせられているのだろう。
だからこそ、怖いものがある。
だからこそ――開いていく差に、恐怖を感じている。
いつか、その差がどうしようもないものにならないか。いつか、差が開ききって見えなくならないか。
いつか、俺の前から全てが離れていかないか。怖いのだ。
危機感……と呼べる代物なのだろう。畏れであって、怯えでもあるんだ。踏み出す勇気のない、自分の中の自分に打ち勝つ武力のない、だがそうした世界に何一つの疑心もない、立ち竦んでいるだけの、案山子のような人間が、俺だ。
そんな俺に、いつか彼等彼女等だけでなく、鎖の少女や幻想の魔導書が見離してしまわないか。
それがとても、怖い。だのにこの脚は、進む事を拒んでいる。
恐怖しているのは、見離される事に対してでもあり――ただそうして、進む事に対してでもあったのだろう。
彼等彼女等が何も見ずにただひたすらにスタスタと進んで行けるのか理解出来ない。進む事と、その理解を、俺は拒んでいるのだ。
変わらない事に、変われない事に、立ち止まりながらも進むしかない事に恐怖して。いつか何かが離れていく事を拒む。
子供の駄々……いや、我儘だろうか。
そんな、あまりにも稚拙な危機感が――『誰か』の、核になっていたのなら。
無意味では、無いのだろう。
□■□
『――【Cross Weapon】』
アイラが、そう零したと同時、俺はその手にあるものを再認識した。
天秤が描かれた盾と、十字の片手剣の正体は、矢張り前触れがなかったものの、第6形態であるらしい。
それをアイラ自身が自覚していなかったのはどうかと思うが。
そしてまた、ステータス欄を見て気付く。
見たことの無いスキルが、3つも存在する事に。
「この状況に於いて、どれ程の
『寧ろ――
『おいマスター、ブライド!避ける準備は出来ているのか!?』
会話はあちらにも届いてはいる。それに割り込む隙がないから、物理的に割り込んできやがった。可愛くねぇなぁ。
【転移模倣 ミミクリー】を使用する気はないらしい。それは自ら課した縛りなのか。全く違う何かなのか。
『っ!マスターッ!』
その、魔導書の叫びが届いたのは、一手遅い事を知ってからだった。
大分忘れていた。あまりに身近にありながら。
〈エンブリオ〉と同じようでいて違う、その癖同じくらいに厄介な存在。
「――〈UBM〉の……特典」
「ネタばらしにしては、味がないな」
それも特典そのものに言われては、とエイルは付け足した。苦笑混じりに。それこそ嘲笑のように。
持っていたのは、
赤と黒と錆びた鉄の色。況してやその赤は知っている。血の赤だ。こびりついて取れなくなって酸化した、赤い絵の具に黒をぶち撒けたような色。
それは、エイル本人や〈エンブリオ〉と違い、《看破》で名前を確認出来た。
「――【歯車鎖刃 オステオトーム】……オステオトーム?」
何かの用語だった筈だが、思い出せない。こういう時だけ俺の智力は無力だ。下らない補正みたいなのが癇に障る。
と言うかチェンソーて。歴史浅すぎだろとか笑いたいが二百年以上の歴史があんだよなぁ。……あれ?原型の名前がオステオトームじゃなかったか?
そういう無駄な思考と言うか、邪推を、世界はそう易々と許容しない。寧ろ絶対零度級の冷酷さを以て潰しにかかる。特にこうした、戦場であれば尚のこと。
と言うか【歯車鎖刃】て……アイラと【シュプレヒコール】の鎖みたいじゃん。被せんなよ、とか思ったりしなくもないが、これ以上は流石に余裕ぶっこき過ぎて死ぬ。
間一髪、という言葉が良く似合う回避。耳元で鳴るチェンソーの音は、それが触れた時にミンチになる事を教えてくれる。何とも優しい設計だ。痛み無く殺してくれると僥倖なんだが、抉って引きちぎるだけのチェンソーだ、そこは期待出来ない。
【怨嗟連鎖】の鎖は逸らす事は出来ても弾く事は出来ない。鎖と鎖の衝突は、どうやらあちらに分があるらしい。
これは本当に、真剣になんないと殺されるし、倒せない。
「――《
「……ほぅ?」
――だから、全力だ。
俺を袈裟斬りにしようとしていた電動鋸の軌道は、その意思とは無関係に歪曲し、勝手に俺の左手にある銀盾に激突した。鎖が絡まり合うような、ギチギチという鈍い音。噛み合わない歯車のように、互いを否定している。意味不明な軌道を描いた電動鋸を手にしているエイルは、目を見開いて驚きを隠そうともしていない。
ズベン・エル・ゲヌビ。天秤座のα星。天秤宮に於いて、左側の上皿に位置する星。
この【Cross Weapon】に関しては、銀盾を指す。
それが由来となったこのスキル、《
これは《学習魔法》など使っていられない。こっちにMP割かねば……またステータス関係スキルですか。しかも今回に至ってはSTR全振りですか。そーですかー。
矢張りアイラは、俺を『戦闘』という枠組みに縛り付けたがっているようだ。縛り付ける鎖。それがアイラの――【絶対裁姫 アストライア】の、本質。
いつも隣で笑い合う彼女は、俺の目的と対極を歩ませようとしている。いや……これまた『逆』なのか。
俺は本当は戦いたくて。アイラはそれを見透かしている――のか。
「うっらぁ!」
「ぐっ!?」
全振りのお陰でアホな程に火力が出る。弾き飛ばすどころか一転攻勢である。だが、そこは奴の厄介な回避力が働き、強大な一撃は当たらない。
全ての攻撃は銀盾へ向かい意味を成さず、此方の一撃は当たらない。俺のMPが尽きればそこ迄だが、一時的な拮抗を俺とエイルは演じている。STRだけでは、届かない。
俺が誇ってきた――非戦闘職が誇ってきたAGIが、足りない。
もっと速ければ、先ず間違いなく届く――筈なんだ。
だから。
「『《
もう一つのスキルを発動。
その瞬間俺とアイラは、鋸が止まるのを見た。
《左舷に傾く南方の凶爪》
ズベン・エル・ゲヌビ。
天秤座のα星の名前で、星が二重になっているとかそういういらん情報は省く。
何処ぞの戦神の剣だろうが死翔の槍だろうが何だろうが、全体攻撃や範囲攻撃でない限り(全体攻撃と範囲攻撃は同類であっても、同種ではない判定)、心臓などではなく左手にある銀の盾に向かっていく。究極にして局所的なヘイト上昇スキル。そして防げばその分だけSTRが上昇して行く。
( °壺°)「……新しく三つのスキルが解放された筈」
( °壺°)「然し使用しているのは《左舷に傾く南方の凶爪》と《右舷に傾く北方の真爪》の二つ」
( °壺°)「つまりはまぁ、そういう事ですよね」