誰か、この世界の『視聴者』が、一時停止を押したかのようだった。だのにカタルパ達はその中を悠然と闊歩している。
厳密には、少しづつ駆動している。だがそれでも、何百分の一倍速程度のスローモーション映像を見ているようにゆっくりで、滑らかだ。
【歯車鎖刃 オステオトーム】とその持ち主、エイル・ピースは未だ気付いていない。発動の宣言を聞いてから、未だカタルパ達が超速で動いている事に気付けていない。視界情報が脳に伝達され、認識するまで凡そ0.2秒。その0.2秒が、今のカタルパ達には何十秒にも感じられた。
《
効果は30秒間、《
30秒の経過を以て双方のスキルが解除されるデメリットこそあれ、それでも今は、その30秒があまりにも
『カーター……これは……』
「実際に使ってみないと実感が湧かないだろうとは思っていたが……これ程とはな」
うろちょろと、戦闘中だと言うのに辺りを歩いて回る。そしてピクリ、と映画のフィルムが切り替わるように、ほんの少し人々が動いたのを感じた。近くのカフェテラスで零れた水滴が、真円を作っている。
漸く、0.2秒が経過したのだろう。今のカタルパ達は、エイルにどう映っているのだろうか。それこそ何百倍速の早送りの映像を見ているに違いない。
今のカタルパのAGIは、スキルの補正値込みで50万に近い。それ程元のAGIと、《左舷に傾く南方の凶爪》で上昇していたSTRが高かったのだろう。
つまり、結果として。今のカタルパは、速く、そして強い。
「制ッ!」
故に【オステオトーム】を支えるその左腕を切り裂くべく差し込まれた銀剣は、スっと抵抗なく入り、斬断し、切り落とした。
そして。
「「ぐぅあぁぁぁぁぁぁっ!!!」」
カタルパとエイル、二人の悲鳴が重なる。反射的に、《右舷に傾く北方の真爪》を30秒を待たずに解除してしまう。
エイルに関しては当然であり、カタルパに関しても当然だ。
カタルパは今、
左手を切り落とされたエイルと、右手が辛うじて原型を留めており、それを左手で抱えるカタルパは睨み合う。
元より彼等に、和解の選択肢は無い。これ程までに『水と油』、『犬猿の仲』と言った慣用句が当て嵌る関係は早々居なかった。まだ出会って間もないと言うのに。これが俗に言う、運命の出会いなのだろうか(恐らく違う)。
視線だけが剣と鋸を取って、すり抜ける刃で傷付けあっている。何度も首筋に刃が通る。垂れるのは血ではなく汗だった。
間に合わせの回復薬を飲み干して、HPの回復と止血をエイルは行う。カタルパも左手で丸薬のようなアイテムを放り込む。多少のHPは回復したが、右腕の損傷はどうしようもない。それは、左腕を地に転がしているエイルにも言える事なのだが。
どうしてこの二人がここまで対立するのか、アイラには分からない。だがただ一つ分かるのは、此方が偶発的な正義であったとしても――
――彼方は、必然的にして絶対的な、悪であろう事だ。
□■□
砕けた右腕に銀剣の鎖を巻き付けて強制的に剣を握る。
《右舷に傾く北方の真爪》のデメリットを避けた為、《左舷に傾く南方の凶爪》によるSTR強化は継続している。30秒経たせなければ効果が残るとは、またしてもインチキ染みた効果だが、御託を並べる余裕は今のカタルパには無い。右腕の痛みが、正常な思考を妨げているのは表情からも見て取れた。つまりそれは、エイルにも伝わっている。
「勧善懲悪の遂行者がそれか……笑わせる。自らの正義感に、肉体が耐えられないとは」
拙い売り言葉ではあったが、それを買うのが正義の味方だった。寧ろ、買わねば正義の味方足りえぬかのような。だからそれは売り言葉に買い言葉と言うよりは、挑戦と、その承諾だった。
「オーケー、ぶん殴る」
「その右腕で?」
「勿論。この腕で殴らなくちゃいけない」
堅い決意を感じた。止血された左腕を見下ろしながら、嘆息し、気を引き締める。どうやってかけたのか、エンジンがかかるような音が鳴り、暴虐が嘶き始める。
《左舷に傾く南方の凶爪》の影響下では、その暴虐は届かない。
だからこそ、エイルは【オステオトーム】を地に突きつけた。
石材を鎖刃が砕き、そのまま濁流のように衝撃波を放った。幸か不幸か、それは《左舷に傾く南方の凶爪》では防げない、範囲攻撃に分類される攻撃だった。
勢いが銀盾に収束されない!
舌打ちを一つ零し、再びカタルパは叫ぶ。
「《
『それと……《
AGIが爆発的に上昇し、そのAGIの数値をENDに代入。土石流はカタルパを飲み込んだ。しかし一歩も退かせる事は出来なかった。
ネクロに顔があるならば、驚きのあまり顎が外れていた事だろう。
第6形態である【Cross Weapon】は、第2形態である【Cross Bow】のスキル、《不平等の元描く平行線》を使用出来るのだ!
第1と第4の複合型であった第5形態の【Cross Chain】には搭載されていなかった第2形態のスキルを使用出来るとは。第3形態である【Cross Flag】のスキルに関してはどちらも使用出来ないようだが(旗であるが故のスキルのようなものなので、旗を有さない他の形態が使えないのは、当然のようにも思われるが)。
更に第6形態【Cross Weapon】は、まだカタルパが使用していないスキルが一つ存在する。
《
それは、遥か未来で語られる、【三極竜】を淘汰し得るスキルの一つなのだが、勿論現時点での彼等が知る事は無い。
そこにはもう、一方的な30秒が存在する筈
カタルパはまだ、右腕の痛みを忘れていない。忘れられる訳がない。ほんの数十秒前の事なのだ。その痛みが、本能的にカタルパにブレーキをかける。
攻撃の寸前、さらにその一拍前にカタルパは現れ、剣を振りかぶる。
かの【兎神】も、攻撃の寸前に制御し、自身への衝撃をなくしていた。
だが武の心得がないカタルパは、あるいは恐怖に打ち負けているカタルパは、無駄に一拍分、余裕を作ってしまっている。充分反射で躱せる程の、隙を生んでいる。
一撃が入らない。髪の毛一本すら掠めない。【刻印】が刻まれない。己が右腕を代償に切り落としたあの一度以来、【刻印】のカウントは増えていない。
主人のMPを無駄に食う訳にも行かず、魔導書は置いて行かれたまま苛立ちを募らせる。
(これでは、30秒が経過してしまう!)
カタルパの高AGIの影響下にネクロはいない。それ故、正確に30秒を数える事が出来る。
その時間内にカタルパが恐怖を乗り越えたならカタルパの勝ちだ。あの《右舷に傾く北方の真爪》は解除された時に《左舷に傾く南方の凶爪》の補助すら打ち消してしまう。残りのMPや右腕の状態から考慮して、再びこの状況まで持ってくる事は不可能。
このままでは手詰まりだ。隠された最後のスキルに期待してもいいのだが、今のこの瞬間に使わないとなると、恐らく使えないスキルだったのだろう。
万事休すか。あの猛攻が止み次第、ネクロは《架空の魔書》を発動しようと意気込んだ。
――そしてその瞬間は訪れる。
急激に鈍足化したカタルパ。それを見て嘲笑にも似た笑みを浮かべるエイル。だがその笑みを――カタルパも浮かべている!
STRとAGIの補正は消えた。【オステオトーム】の一撃を、《不平等の元描く平行線》を使用したところで防げる訳が無い。なのにあの希望に満ちた目は、強く握られた剣と盾は、犬歯まで見える笑みは。諦めてはいないという意思の表れでなくて何だというのか!
『待っていたよ』
「この時を、な」
本来それはエイルが放つべきだった一言。それを正義の味方が代弁している。
「お前の負けだ」
『道を譲ってもらおうか、
「『《
【Cross Weapon】三つ目のスキルが今、その鎌首をもたげた。
【Cross weapon】
【絶対裁姫 アストライア】の第6形態。独自の保有スキルは三つ存在し、それとは別に《不平等の元描く平行線》を使用出来る。
《左舷に傾く南方の凶爪》
ズベン・エル・ゲヌビ
前話後書き参照。
《右舷に傾く北方の真爪》
ズベン・エス・カマリ
《左舷に傾く南方の凶爪》にて上昇していたSTRと同じ数値分AGIを上昇させる。上昇幅はそのスキルで上昇していた分だけであり、30秒間上昇した後、双方のスキルが解除され、STRとAGIが元に戻る。発動中は双方が上昇している為、速くて強い。
ストック制。最大ストックは3。24時間で1回復。
《上皿の如き世界に審議を》
アース・トライアル
世界が平坦であった、という古代の価値観に基づくスキル名。アース・トライアルは少し削って読めばアストライアとなる。だからなんだという話だが。
子細不明だが、態々《右舷に傾く北方の真爪》の解除を待ってから発動したという、意味深なスキル。