其は正義を手放し偽悪を掴む   作:災禍の壺

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第九十話

 第7形態、超級に達した【絶対裁姫 アストライア】は、公正公平(フェア)という能力特性があった。

 《上皿の如き世界に審議を(アース・トライアル)》からも見て取れるように、それは『自身』と『相手』の二人の公平を意識したものだっただろう。

 だが現在に至っては、違うと言える。つまりその公平の対象が、すり替わっていると言える。

 それも、カタルパ・ガーデンと【絶対裁姫 アストライア】自身に。

 絶対裁定(アブソリュート・ジャッジ)はただ悪を屠る為に。

 公正公平(フェア)はただその二人の為に。

 そうして、【絶対裁姫 アストライア】の性質は、完成した。して――しまった。

 

□■□

 

 蝿。

 蠅とも書くあの虫。

 誰もが知るあの虫を、今更説明する事も無いだろう。説明するまでもないのだから。

 兎角そんな、現実世界に即した蝿が、近頃アルテアを飛び回っていた。とは言え、偶に見かける程度であり、大した問題ではないと思われた。

 〈マスター〉であれば大抵は「あ、蝿だ」などと言って無視していたらしいが、〈ティアン〉の中で周りを飛ぶ音が五月蝿くて(語源的にもまさに、と言った所だが)叩き潰した者が居たらしい。

 

 問題はそこから発生した。

 その蝿を「素手で」叩き潰した〈ティアン〉が、【毒】【麻痺】【呪縛】の三種の状態異常に襲われたと言う。

 小さな蝿に見慣れていなかった者が、如何なる罠があるかも理解せずに叩き潰した結果だ、と言えばそうなのかもしれないが、問題はその、「見慣れていなかった」点にある。

 そもそもデンドロの世界に於いて――或いはステータス等が存在する大抵のRPGの世界に於いて――小さいと言うのはデメリットとして見られやすい。

 生存競争に於いて、小さい故に小回りが効く、と言うのは利点ではあるのだが、魔法やスキルがあるこの世界ではどれ程図体がデカかろうとそれら技能によりいくらでも応用は効く。それならば大きくても小さくても変わらないが、もう一つ、これは現実世界での生存競争でも言える事だが、大きい、と言うことはそれ相応の威圧感を持つ。

 様々なゲームや物語で終版の敵が、若しくは強敵が大きかったりするのも、「大きければ強い」等という在り来りなセオリーから来ている。実際、圧倒的な質量というのは確かに脅威であり、ある程度の大きさを持つものはそれなりの気迫を持っているのだ。

 相手を威圧させるスキルもあるそうだが、それを引き合いに出すと終わらないので割愛。

 

 まぁつまり、だ。

 ファンタジー世界で小さくなるように進化するというのは邪道とされやすいのだ。群れで行動する事が基本ならばまだしも、今回話題となっているその『蝿』は複数体発見されていながら、どれ一つとして群れでは行動していなかったと言う。

 〈マスター〉はおろか〈ティアン〉もこれが〈エンブリオ〉によるもの、もしくはそのものと認識し、再発防止の為に蝿に接触しない事を近隣の住民に勧告し、〈マスター〉は〈マスター〉で、原因究明の為に動いた。

 とは言え有志参加であった事と報酬等が無かった事から参加する者は殆ど居らず、結果出向いたのは、最早言うまでもない面子であった。

 二人一組(ツーマンセル)の正義の味方と狂騒の姫君と勇気の暴龍である。言うまでもなかっただろうが、念の為。セムロフ・クコーレフスが今は居ないのだという事が、どれ程重要かを示す為にも、念の為。

 

□■□

 

 蝿は、一体一体の統率が取れているかのように飛んでいた。蝿特有の滑らかで不規則な動きではあったが、近くの蝿と一定の距離を空けており、それ以上近づくような素振りは無い。

 

「あっきらかに人為的よねー」

「そう、だな」

 

 模擬であれ死闘(但し一方的)を繰り広げたミルキーがそう零す。

 【麻痺】と【毒】、そして【呪縛】。解除不可能ではない所が救いではあるが、戦闘になった時にその三重の状態異常は痛手だ。

 

「《レジスト・パラライズ》、《レジスト・ポイズン》、《レジスト・カース》……ほんの気休めだけど、無いよりはマシだよね」

「あぁ、助かるぜ、アルカ」

 

 既に辺りには人気は無く、深い霧が立ち込めていた。【霧中手甲 ミスティック】の《霧生成》によるものだ。だからと言って気配が探知出来たりする訳では無いが、濃霧の中でも羽音は響く。それで何処に居るかは分かっていた。

 

「被害者が語るには、速度は目でギリギリ追えない程度の速さ。多少鍛えていた〈ティアン〉だったから本来の蝿よりは随分と速いヤツらしい」

「蝿、ね。あれは〈エンブリオ〉そのものなのかしら、それとも操られてあぁなのかしら?」

「住民は『見慣れない』って言ってた。逆に〈マスター〉は『見慣れた』って言ってた。多分デンドロ世界には居ないんだろうよ、あぁいう『ちゃんとした蝿』が。だからモンスター作成で作ったかそのものか、だな」

「成程。となると敵はレギオンの〈エンブリオ〉なのかもしれないね。ミルキーや私は広域殲滅を苦手とするから殲滅戦になったらアルカの独壇場だろう」

「レギオン……個体値は低いが群れを成すんだったな。例え兆に別れようとも一つの〈エンブリオ〉と宣うんだからタチが悪いぜ」

 

 分類こそ違えどタチの悪さだったらそちら(カタルパ)も負けてはいないだろう、なんて本音は誰もが隠した。

 正体不明の〈マスター〉だが、〈エンブリオ〉がいる以上、そう遠くにはいない筈だ、とカタルパは濃霧の中で目を凝らす。

 だが、そんな努力を嘲笑うかのように、声が響いた。

 

「――バカバカしいんだよ、あんたらは」

 

 男の声だ。声だけでの判別ほど宛にならないものも無いが、若い男性のような声音だ。

 

「くだらねぇ……くだらねぇ、くだらねぇくだらねぇくだらねぇっ!!」

 

 苛立ちを隠そうともせず、むしろ表に出して男は叫ぶ。

 どこか悲痛な叫びだ。心の傷を自らさらけ出しているかのような叫びだ。

 

「お前らみてぇな……この世界を愛してます、みてぇな奴らにあの人が負けるなんてよぉ!有り得ねぇよなぁ!!」

 

 あの人とは、などという疑問を四人とも抱かなかった。寧ろ、それで合点が行き、納得した。

 

 ――【諸悪王】は、自らではなく他者を悪人とする事で解放されたジョブだと言う。

 

 ならばその影響で悪人になった者が、〈ティアン〉だけと言う道理も無く。

 〈マスター〉が少なからずいて然るべきなのである。

 

「お前らが……居なければ、よぉっ!!ベルゼブブッ!!」

 

 蝿の王と呼ばれた悪魔の名。カタルパ達はそれが〈エンブリオ〉の名である事を瞬時に察した。

 

 【堕落化身 ベルゼブブ】。それが〈エンブリオ〉の名だった。

 元々はバアルと同一視された神であるとか、ルシファーに次ぐ熾天使であったとか、そうした裏話は関係ない。そして、今のこの状況にこれ程までにしっくり来る名も早々ない。

 ともすればその蝿の王は、あの蝿達を指揮する声の主なのだろうか。

 カタルパの「ある知り合い」が語るには、TYPE:ガードナー系列の〈エンブリオ〉を持つ人間は臆病であったり、傷付く事を恐れる人間が多いのだとか。

 ならば目の前の青年も、そういう人間なのだろう。

 「誰か」が居なくなって、傷付いたのだろう。

 悪であれ、その界隈に於いては矢張り、光のような存在だったのだろう。あの【諸悪王】は。

 だがその思いも虚しく、カタルパ達には通用していない。

 触れては行けない事を熟知されている――奥の手である〈エンブリオ〉の基本的な情報が開示されているが故の、弱さであった。

 鎖で叩き落とされ、火球に焼かれ、手鎌による範囲攻撃に粉砕され、木々にすり潰される。

 良くも悪くも現実の蝿に即した見た目だったベルゼブブは、耐久性も即していたようだ。

 だが、尽きない。そこが現実とは異なる点か。

 無尽蔵に、無制限に、青年の服の隙間から際限なく溢れてくる。

 うじゃうじゃと。わらわらと。

 尽きる事無く溢れ出る。

 鎖による叩き落としと木々によるすり潰しではない、つまり火球と範囲攻撃はそれぞれMPとSPを消費している為、無限に(?)湧き出る蝿相手にはジリ貧だ。

 黒幕が現れたのには、その余裕があったのかもしれない。

 打つ手が無くなれば、接触するのは容易いから。

 

「そらそら……最初の余裕はどうしたんだぁ!?」

 

 青年が挑発する。

 だが矢張り、彼らは冷静だった。特にその司令塔、カタルパ・ガーデンは。

 

「あれらはレギオン(軍隊)……群にして個の〈エンブリオ〉。そうだな、アイラ?」

「まぁ……そういう事、だろうね」

「分かり切っていて問うのは悪かったな」

 

 その会話で、ミルキーとアルカも何を言っているかを察する。

 

「へぇ……あれら全部が単一個体なのかー……」

「つまり、()()()()るんだね?どうする?道をひらく?」

「寧ろ……五感の共有でもしてるせいか、『あいつ』に貯まっているんだよなぁ……」

 

 あいつ、とは勿論、あの青年の事だ。刻まれた事で名前も開示されたが。

 

「【ニベルコル】……なんつーか、お誂え向きな名前だな」

 

 カタルパは思わず苦笑した。

 態ととは思えないので、運命と呼称するしかないが――ベルゼブブとニベルコル、である。

 

「多分だが、道を遮るのがこの蝿だけだって言うならアイラが《不平等の元描く平行線(アンフェア・イズ・フェア)》と必殺スキルを併用するだけで突破出来る、と思う」

「……思う?確証は無いわけ?」

「無い。無尽蔵とは言え、まるで()()()()()()()()()かのようなベルゼブブの運用法からして、な。いつでも引き下がれるようにはしておいてくれ」

「了解した」

「オーケー」

「分かった」

 

 三者三様の返答を聞き、改めて敵を見る。

 空さえ覆い尽くすような蝿の群れ。その黒の向こうに、確かに青年、ニベルコルが見える。

 蝿と同化するかのように黒い外套と衣服の間から、今も蝿が這い出て来ている。

 個々の戦闘能力は現実世界のそれと大差ない為、脅威ではない。だが問題はそこではない。三種の状態異常を付与してくる能力が脅威なのだ。

 蛾のように鱗粉を振り撒いて攻撃するのではなく直接的な接触によるものだと言うのは、不幸中の幸いか。

 幸も不幸も無く、眼前にあるのは悪なのだが。――だが、かと言って此方が正義なのかは、分からないが。

 

「《ガーベッジ・リンカーネーション》ッ!!」

 

 ニベルコルがスキル名を叫ぶ。

 するとどうだろう。

 蝿の死体から蝿が現れるではないか。

 

「おいおい……こっちが無限に無双出来ると思うなよ……」

 

 足元の死骸からも再誕(リンカーネーション)してきた為、後ずさる。そして止まる。元からではあったが、蝿に囲まれているからだ。

 逃げ場はなく、今踏んでいる地でさえ死骸に埋もれて安全とは言えなくなった。

 どうやら先程のスキル、《ガーベッジ・リンカーネーション》のコストとしてMPを消費しているようだが、消費しきる前に此方がジリ貧となって蝿に触れるだろう。

 アルカがかけたのも耐性付与(レジスト)であって無効化(キャンセル)ではない。蝿に触れる度に判定があっては、恐らくかかるだろう。

 

 蝿の王、ベルゼブブ。かつて【諸悪王】の際に語った『王と神』の話の再来だ。神と王は相容れない。

 例え窮地であろうと――或いはそこが死地であろうと――彼らに立ち止まるという選択肢は、無かったのだった。

 そうしてアイラは右手に弩弓を構える。

 第2形態のスキルは《不平等の元描く平行線》。

 その時点でミルキーとアルカは理解したが、唯一理解していないニベルコルは、【堕落化身】の蝿を濁流のように向かわせる。統率が取れているようで全く取れていない蝿は、蝿同士の衝突によりその数を減らしながら、《ガーベッジ・リンカーネーション》による再誕で増やしていた。その数はきっと、サイズこそ小さいが“アレ”にも比肩する程に。肥大化して、膨れ上がって、取り返しが付かなくなって。

 

 カタルパとアイラを、容赦なく飲み込んだ。




【堕落化身 ベルゼブブ】
TYPE:レギオン。
スキル、《ガーベッジ・リンカーネーション》を使う事で(時間経過と共にMPを失うが)蝿を死骸から生み出す事が出来る。
ニベルコルから這い出てくる場合、無限ではあるものの生成される個体数に限りがある。一秒に数体程度であり、ニベルコルは常にベルゼブブを生み出しながら服の中に棲まわせ、許容範囲以上の蝿は中身が見た目以上に広い、アイテムボックスのような箱に入れている。

必殺スキルを使うと《ガーベッジ・リンカーネーション》は必要なくなるらしい。

( °壺°)<割とマトモな〈エンブリオ〉だぁ…
( ✕✝︎)<真実を伏せるにせよ、悪特攻、体ぶった切り、木々は友達、みたいな奴らの中じゃそりゃマトモに映るわ

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