そうして。
あらかた人食い妖怪がいなくなり大和という国も落ち着いた頃。
「うーん、平和だねえ。あたしにゃ何もかもうまくいってるように思えるよ」
最初に従えた鬼の頭領、そして今は俺の妻である虎熊がごろりと床の間にねっころがりながら言う。
今では虎熊比売神(トラクマビメノカミ)なんて神号ももらっている。
まあ、俺一人だけ老いないというのも嫌だったしな。神にしてもらった。
こいつには回復術と再生術を習わせて広める役割を与えた。
ついでに俺の知ってる限りの料理の方法も教えた。
もっとも調味料が少ないので再現できるものには限りがあったが。
何かしら信仰の源となるものがなきゃいけないからな。
おかげでいまや竈神の一人になれている。
「いや、好事魔多しといってな。こういうときが俺たちにとってはまずい。
そろそろ煙たがられているころだろうしな」
「まああたしたちは戦神だしねえ、戦争がなきゃ商売あがったりだ」
「戦争はなくならん。外敵がいなくなったら次に何が起こる?
内戦だ。終わらない内戦が続くだろう。こいつは非常にめんどくさい」
「なんで、戦争ならあたしらの出番じゃないか」
「敵味方がわからん戦いになる。どこにつくかの判断はさすがに俺でもわからん。
軍学者じゃないし、戦いは水物だからな。誰が勝つか誰にもわからんだろう」
「でも、あんたはもうなんとかする策を考えてるんだろ?
答えが見つからないときは黙ってるもんねあんた」
「まあな。このへんで俺は歴史の表舞台から去る。
後はちょくちょくと信徒にお告げでもして裏から支えるさ」
「その話、あたしらも一枚かませてもらおうか」
妻がつぶやいた。
「八坂の大将……」
そこには背中に注連縄、胸に鏡、左目に眼帯をした八坂神奈子がいた。
なにやら、憔悴した様子だ。
「天津神の連中は天界とやらを作ってそこに避難するらしい……
あたしらはもう人間たちから煙たがられてる」
俺の家にどっかりと腰を下ろした神奈子は酒をちびりちびりと飲んでいる。
らしくない飲み方だ。
「だろうな、あんたらはもう政治的権力はない。
神が大王の地位を保証するってやっただろ。あれでもう流れは決まった」
虎熊が眉根を寄せて悲しそうに言う。
「なんで、なんでなのさ。神様が王様の地位を保障しているんだろ?
だったらなんで神様が政事をしちゃいけないのさ」
神奈子の声は苦渋を搾り出すかのようだった。
「……政治はすべて王にまかせる、だそうだ。天津神はもはや政を浮世の雑事としか思っていない。
否、われわれ神にできることは力の顕現のみ、知恵では選りすぐられた人間のほうが一方上を行った」
俺は静かに窓から見える星空を眺めながら酒を飲み干す。
「君臨すれども統治せず、だ。国はでかくなりすぎた。
力馬鹿の神様にはもう手に余る。人間はなにしろ数がいるからな。
その中で競争してきた選りすぐりの連中には勝てん。
一方で神はもっと単純だ。力があるものが残る。おまけに数も少ない。
頭のいい奴を産出する土壌は人間のほうに軍配が上がる」
「う、うーん、つまりもう国がややこしくなりすぎて面倒くさくなったって事?」
「そういうことだ。俺もその御多聞に漏れん。信仰さえいただければそれでいい。
そしてそう考えた奴は次に何を考える?暗殺の心配をするのさ」
神奈子ががくりと顔を下におろし、恨めしそうにこちらをにらむ。
「お前はっ、お前は違うと思っていたぞ狭見江竜神……」
「なら俺なりの言い訳を言おうか?この国はしばらく悩む必要がある。
戦乱に、飢えに、貧困に、格差に。
甘やかしてばかりでは人間は成長しない。しばらくは人間自身が悩んでいろいろと試してみる必要があるのさ」
「言い訳は、言い訳だ。そうだろう」
「……そうだな」
沈黙。
「じゃあ、これから私たちはどうすればいいってのさ……」
「ご立派な神殿を人間が作ってくれただろう?」
「ああ、立派な神社だったよ」
皮肉そうに神奈子は笑った。力のない笑みだった。
「そこでしばらくは世に関わらず暮らせばいい。
だが、俺は信徒たちにがんがん命令を出し続けるがな」
「だが信徒たちももう古株くらいしか……ああ、お前のところは入れ替わりが少ないんだったな。妖怪だから」
「だが一線は引く。俺が命ずるのは戒律と教義の仕上げと時代に合わせた変更くらいのものだ。
つまりは教義に関する質問は受け付けるが、どの勢力につくかとかいった政治的な事には答えん。
それはあいつらが考えることだ、責任もてんよ。
神はただ高みから畏怖する人々の進化を見守っていればいい」
ため息。失望したといわんばかりの声が響く。
「結局、お前も天津神と同じか……」
「……時代は変わった。俺たちの戦争も終わったんだ」
「それで、どうする」
「天に昇ったふりでもしよう。俺たちも天界に行ったことにして、巫女や禰宜、預言者にだけ姿を現せばいい。
あるいは、天に昇ったがちょくちょくは様子を見に来るとでも言え」
「考えることは同じか。それしかないのか」
虎熊がおろおろと俺の顔と神奈子の顔を見る。
「え、そんなに人間たちと仲が悪いの。
今すぐ逃げなきゃいけないほど。まずくない私たちの教義的に」
「いや?うちの信徒と人間はそれほど対立してはいない。
ただうちの教団内で俺に従う幹部連中と新参の間では対立が起きてるな」
「ああそういうことかあ……」
俺たちも老害といわれる立場になったわけだ。感慨深い。
「さて、忙しくなるぞ。とりあえず千年は残る教義と聖書を作らなきゃならん」
そうして、俺たちはわずかな手勢を率いて天に昇ったということにして旅に出ることにした。
なあに、幕府と天皇というあり方、あるいはそれに近いあり方ができるまでの辛抱だ。
神奈子と諏訪子は祭りのときだけ顔を出し、それ以外は巫女や禰宜にお告げをする事実上の引退状態に置かれた。
彼女たちはそれでもあの地に残るらしい。けなげなことだ。
そうして、数十年が過ぎた。
大和の国はえらいことになっていた。
木造家屋に電球の明かりが余すところなくつけられ、夜も眠らない世界初の不夜城。
電信柱があちこちに立てられ、山には河童たちによる水力発電のダムが。
短いながらも鉄道が作られ、馬が列車を引く。
ラジオ放送では琴と琵琶が流れている。
町に足を伸ばせば碁会所や将棋会館、はては賭け闘技場なんてのもある。
それらギャンブルの場には必ず我がザミエル教徒が。
俺の教義では賭けは禁止していないし、むしろ俺が広めた。
俺の信徒たちはたくましくやっているようで何よりだ。
もっとも、俺に祈られたところでツキはめぐってこんがね。
そんなわけで俺は平和をついに手に入れた。
価値のある平和だ、そうだとも。
一部完です。これから飛鳥時代、仏教伝来編に続きます。