Fate/Grand Order 白銀の刃   作:藤渚

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【参】常夜の国(Ⅲ)

 

「ぶえぇぇっくしょいっ‼」

 

 大音声(だいおんじょう)と唾を伴った銀時のくしゃみが、室内に轟く。ちょうど正面にいた新八の首元にそれは被弾し「ぎゃっ⁉」と悲鳴が上がった。

 

「ちょっとアンタ何するんですか⁉お登勢さんから借りたばっかの着物なのに、早速汚さんでくださいよ!」

 

「だぁってよ~、この部屋すんげえ埃っぽいんだもん。」

 

「フォ~ウ、プチュンッ!」

 

「ほら見ろ、こいつだって鼻がむず痒くて仕方ねえみてぇだぞ。」

 

「あっはは、フォウ君たら銀さんの頭の上なんかにいるから。」

 

 新八の置いた段ボール箱の上に、抱えた荷物を置く。台所の隅に積まれた荷物の山を暫し見上げた後、銀時は踵を返して歩き、居間へと通じる扉を開けた。

 

「あ、銀さんも新八君もお疲れ。手伝えなくてごめんね?」

 

 こちらに気付いて声を掛ける藤丸は、設置されていた長椅子にエリザベートと座り、アストルフォに頭に包帯を巻いてもらっている。彼の着ている服もまた、新八と同じ渋い色合いの着物であった。

 テーブルを挟んだ向かいでは段蔵が座り、新八の着物をせっせと繕っている。その後ろで、定春はすやすやと気持ちがよさそうに寝息を立てていた。

 

「いいって、それより怪我は平気か?」

 

「うん、ちょっと切ってただけだったみたいだから……心配してくれてありがとう。」

 

「もぅ~マスターってば、動いちゃ駄目だよ!」

 

 頬を膨らせるアストルフォに、「ゴメンごめん」と謝る藤丸。銀時に続いて室内に入った新八は、(せわ)しなく辺りを見回す。

 

「あれ?神楽ちゃんと桂さん達は?」

 

「あの仔兎ちゃんなら、さっき濃ゆい顔の猫耳女と一緒に、汚れた服持って下に降りていったわよ。ツバメと黒猫は、そっちの部屋で先生を寝かせるって入ってっちゃったわ。」

 

 エリザベートが指差したのは、この部屋と和室とを隔てる襖。白地に市松模様のシンプルな柄模様は、銀時と新八にとって見慣れたものであった。

 

 

 ───そう、ここは『スナックお登勢』の二階。本来であれば、(かつ)て銀時が『万事屋銀ちゃん』を構えていた筈の、事務所兼住居であった所。

 

 

 しかし、お登勢にここへと通された銀時は絶句した。無くなった表の看板と同様に、掛けてあった飾りや額縁も姿を消し、仕事用のデスクに至っては、そこに在ったという床の凹みすらも無い。唯一置いてあるこの長椅子とテーブルだけが、妙に懐かしさを感じさせた。

 

「………銀さん、どうかした?大丈夫?」

 

 険しい顔のまま黙りこくる銀時を心配し、藤丸が声を掛ける。こちらに向けられる視線とそれに反応し、銀時は顔を上げた。大丈夫、と言いかけた口だが、目に飛び込んできた光景に思わず動きを止める。

 

「……お前が大丈夫かよ、藤丸。何がどうなりゃそんなんなるんだ?」

 

 唖然とする銀時の視線の先では、顔全体を包帯に覆われた藤丸の姿。まるで頭部だけミイラのようになった彼の辛うじて動く口元が、「前が見えねェ」ともごもご小さく呟いていた。

 

「あれれ?こんな筈じゃなかったんだけどな~、えいっ。」

 

 傾げた頭を指で掻きながら、アストルフォは包帯の端を引っ張ってみると、ちょうど藤丸の喉辺りがギュッと締まる。わたわたと動かす藤丸の手は(くう)を掻き、「ひゅ、ひゅぅ……」と狭い管を空気が漏れるような軽くヤバめの音が、か細い音が包帯越しの口から零れた。

 

「オイイイイィィッ‼ちょ、締めすぎ締めすぎっ‼藤丸死んじゃうゥゥ‼」

 

「キャアアァッ仔犬!アストルフォっ早く緩めなさいよお馬鹿!」

 

 皆の慌てようと痙攣する藤丸に驚き、アストルフォはわたわたと包帯を緩めていく。数秒後、漸く顔を出すことが出来た藤丸は大きく呼吸し、瞬く間に肺を新鮮な酸素で満たしていった。

 

「ごっめ~んマスター!つい力入っちゃって!」

 

「はぁ、はぁ………うん、平気平気。朦朧としてた間に変な夢まで見ちゃったけどね。」

 

「夢?何よそれ?」

 

「んーうろ覚えなんだけどさ……気がついたら大きな川の前に立ってて、そこにいたお婆ちゃんに服剥ぎ取られそうになった。」

 

「それ三途の川ァァァ‼そんで多分そいつ奪衣婆ァァァ‼全然平気じゃないでしょ藤丸君っ!」

 

「でもその人、ヤンキーが着てるみたいなスカジャン羽織ってた上に、頭に高そうなグラサンまで乗せてたんだよ。とにかく怖かったから、着てるスカジャンとグラサン褒めまくったの。そしたらすんげえ気ぃ良くしてくれたみたいで、自前のモーターボートに乗せて川の向こうまで連れてってもらえたよ。」

 

「行かないでェェ‼それ絶対行っちゃ駄目なヤツゥゥゥっ‼」

 

「つーか何で奪衣婆がスカジャンにグラサン⁉黄泉の国のファッション事情も時代と共に移り変わってんの?んなファンキーな恰好で大阪の街中歩いても浮かねぇよきっと!馴染みまくるよ!」

 

「本人(いわ)く、近頃お洒落な恰好の亡者達が来るようになってから、ファッションに目覚め始めたんだって。同僚の懸衣翁(けんえおう)?って人と一緒に罪を測り終えた服を色々着たりして楽しんでるらしいよ。因みにサングラスは霊盤(レイバン)なんだよフフン、ってさり気なく自慢された。」

 

「最後の情報どうでもいいイイィ‼何ちょっと霊盤(レイバン)自慢しちゃってんのババア!そもそもモーターボートどっから?あとあの世で小型船舶免許取れるトコなんてあんのかよ⁉」

 

「『免許?そんなもの必要ないさ……自分(てめえ)の好きな事やんのに、いちいち周りの許しなんざ得るこたぁ無え。そうだろ坊や?』って黄昏ながら、跳ねる水飛沫と共にスカジャンはためかせてたお婆ちゃん、最高にイカしてたなあ……。」

 

「何その無駄なカッコよさ⁉フリースタイルDATSUE☆BBA超イカす!つーか藤丸君、あの死にかけてた数秒の間に、どんだけ内容の濃い臨死体験してたの⁉」

 

「しかしマスター、よくぞご無事でお戻りになられましたね。」

 

「それがモーターボードが川岸に到着する寸前、横から別のボードが突っ込んできたんだよ。船に乗り込んできたリ〇ぐだ子のお面被った女の人が、『アンタはまだこっちに来ちゃ駄目でしょっ⁉とっとと帰って人理救ってきなさいポンコツ‼』って持ってたバットで俺を思いっきり打ったんだ。すげえ痛かったけど、お陰でこっちに戻ってこられたよ…………でもさ、妙に懐かしかったんだよなぁ、あの人の怒鳴り声。」

 

「……ねえ仔犬、アタシ本編だとその人と面識ないけど、リ〇漫画のほうだと会った事も話したこともあるの。もしかすると、そのお面の(ひと)って────」

 

 カルデアサイドの面々が何やら話をしている一方、銀時は「あっ」と短く声を発した後、隣の新八に話しかける。

 

「そうだ新八、お前家に帰らなくても大丈夫なのか?姉ちゃん心配してるだろ。」

 

「いえ、今日は僕もこっちに泊まらせてもらいます。松陽さんの事も心配ですし………それに、もし姉上まで僕の事を覚えてないなんて言い出したりしたら、なんて考えただけで怖くて……。」

 

 震える指で袖を摘み、俯いてしまう新八。声も微かに戦慄(わなな)く彼の頭を、銀時は何も言わずに撫でた。

 彼の言う通りだ。もしもお登勢達だけでなく、自分達がよく知る他の者までが存在の記憶を失っていたとすれば………などと、考えたくもない憶測が頭を過ぎる。

 再び静かになってしまった銀時と新八に藤丸達が困惑していたその時、襖が静かに開かれた。

 

「あ………えっと、ヅラ君スギっち、お疲れ様~。」

 

 重い空気に負けじと笑顔で手を振るアストルフォ。だが和室から出てきた彼らの表情は、どこか陰鬱なものを感じた。

 

「ヅラ……?」

 

 銀時に渾名(あだな)を呼ばれ、漸く我に返った様子の桂は、彼の方を見た。

 

「銀時か………先生なら敷いた布団の上で、よく眠ってらっしゃる。あのまま暫く安静にしておけば、(じき)に気がつくだろう。」

 

 寝間着に着替えさせた後の松陽の着物を抱え、桂は息継ぎすることなく言葉を連ねる。その態度と慌てて繕ったような笑顔に、銀時だけでなく藤丸達も違和感を覚えていた。こちらへと向けられる疑惑の篭った視線にたじろぎ、言葉を詰まらせる桂。するとそんな彼に助け船を出すようにして、高杉が口を挟んだ。

 

「銀時、後でてめえにも確認しておきたいことがある。」

 

「後で、って………今じゃ駄目なのかよ?」

 

「ああ………なるべく部外者には聞かれたくねえ話だからな。」

 

 高杉の眼が動いた先は、銀時達……の背後にある玄関。扉の向こうから聞こえる話し声と足音は、少しずつ大きくなってきていた。

 

「ただいまヨ~!」

 

 扉を開ける音と共に、神楽の元気な声が響く。その声に反応し、むくりと定春が身を起こす。

 銀時と新八が避けた後ろから、何やら大きなお盆を抱えた神楽、そして同じくお盆を持ったお登勢と、こちらは何故か手に赤いポリタンクを携えた『たま』が次々と居間に入ってくる。それと同時に、ふわっと漂う香りが一同の鼻先を掠めた。

 

「おや、大分片付いたね。これならこの人数が入っても大丈夫だろ。」

 

 部屋全体を見回しながら呟くお登勢の、持つお盆の上に乗った大皿には、綺麗な三角型のおにぎりがずらりと並んでいた。一つ一つ丁寧に握られたそれには海苔も巻かれており、端には沢庵も添えてある。

 

「見てコレ!ババアがおにぎり作ってくれたアル、私も手伝ったネ!」

 

 神楽の持つ大きめの盆に乗っているのは、彼女の顔、いやそれ以上はあるだろう、二つのでっっっかいおにぎり。それ一つに何合のご飯が使われているかなど、容易に想像もつかない。

 

「ねえ仔兎……まさかソレ、アンタ一人で食べるワケ?」

 

「違うネ、この手前のヤツが定春の。んでこっち側の一回り大きいのが私の分アル。ふふ~ん、これ一個の中に具がぜーんぶ入ってるアルよ、凄いでしょ?」

 

「わんっ、わんわんっ!」

 

 ででーんっ!という擬音が似合いそうな程に存在感のある巨大おにぎりを掲げる神楽。ほかほかと湯気の立つその姿に、定春は涎を垂らして尻尾を大きく振っている。

 常人では決して食べきれないであろう、これだけ巨大なおにぎりも神楽にかかれば容易いもの。

 

 

 ───唐突だが、ここで先刻の出来事を話すとしよう。

 

 それは、銀時達がまだカルデアにいた時のこと。

 

 

 人影のない食堂で、赤い外套(がいとう)を纏った弓兵(アーチャー)の男は一人、本日のおやつ作りを行っていた。

 オーブンの電子音が鳴ると、弓兵は両手にミトンを()め、オーブンの蓋を開ける。立ち込める甘い匂いと共にそこから現れたのは、天板に並べられた様々な形のクッキー。次々と取り出されていく天板に並ぶクッキーの数はかなりのもの。それもそのはず、これらは全てこのカルデアに所属する職員並びにサーヴァント全員分のものなのだ。

 綺麗な焼き上がりに満足していた時、ふと彼が顔を上げると、食堂の入り口からこちらを見つめてくる、見慣れない少女の姿を発見する。口端からだらしなく(よだれ)を垂らす彼女の視線の先は、明らかにこちら見ている。どうやらクッキーの匂いに釣られてきたのだと推測し、弓兵の男は少女を手招きこう言った。

 

「おいで、よかったら君にも『一口』あげよう。」

 

 

 

 ───この数分後、弓兵は彼女を招いたことを激しく後悔する。なぜあの時、『一枚』ではなく、『一口』などと言ってしまったのか………。

 

 目の前で次々とクッキーが少女……神楽の口内にダイビングしていく光景に、唖然とする弓兵。勿論彼女に今すぐ止めるよう懇願した。このままでは皆の分が無くなってしまう、今日のおやつが提供できなくなってしまうと………しかし、神楽はハムスターの様に頬を膨らせた顔を彼に向け、ふがふがと聞き取りづらい言葉で言い放つ。

 

「『一口』ってのはな、食べ物を口に入れて完全に閉じるタイミングまでが『一口』なんだヨ」と………。

 

 弓兵の苦労の結晶は、強靭な頬袋と悪魔の胃、そして図太い神経を持ち併せた、たった一人の少女によって次々と消えていく。

 ぼりぼりと長い時間をかけた咀嚼(そしゃく)が終わった後、神楽は口内で粉砕されたクッキーを一気に飲み込む。

 ご馳走様でしたアル~と最後に言い残して、神楽は少し残ったクッキーを掌に乗せると、更にそれを摘みながら膨れた腹を抱え食堂を後にした。

 

 

 ……あの後、(カラ)になった数枚の鉄板を前に、弓兵は沸き上がる虚しさを抑え、心に固く決意した。もう見知らぬ誰かに「一口どうぞ」なんて、迂闊に言ってはいけないな、と。

 

 

「わ~ぁ!すっご~い!」

 

 自慢げな様子の神楽の周りをくるくると回りながら、アストルフォは様々な角度からおにぎりを観察する。自分よりも大きなそれの姿を離れた場所から警戒していたフォウは、銀時の頭上に乗ったまま「フォーゥ…」とたじろぐ様子を見せていた。本当、見てるだけでお腹いっぱいになりそう。

 一方こちらでは、たまがお登勢の側から離れ、段蔵のいる長椅子へと近寄っていく。彼女の存在に気付いた段蔵は作業を一旦止め、軽く会釈をした。

 

「失礼致します。段蔵様……で(よろ)しいのですよね?私はお登勢様の経営されている階下のスナックで働いております、機械(からくり)の『たま』と申します。先程は不埒な方々に絡まれているところを助けて頂き、本当にありがとうございました。」

 

「そう畏まるのはお止めください、たま殿。段蔵は貴女を侮辱した輩が素直に許せないと感じたために、行動を起こしたに過ぎませぬ。」

 

「ですが段蔵様………それでも私は、とても嬉しかった。危険を(かえり)みずに私を庇ってくれた貴女に、幾らお礼を申しても足りません。段蔵様、私は出来る限りの事は尽くしますので、何をしたら貴女へのお礼が出来るでしょうか?」

 

「お礼などと、そんな…………そうですね、それでは一つお願いがございます。」

 

 一考の末、段蔵はたまへと体の向きを変える。そしてきょとんとしている彼女の両手を取り、微笑んだ。

 

「たま殿、よろしければこの段蔵と良き友人になっていただけないでしょうか?我らは絡繰である前に、一人の女性でもあります………実は恥ずかしながら、同性の友人というものに憧れを抱いておりまして……このようなことしか考えつかないのですが、いかがでしょう?」

 

 仄かに頬を染め、段蔵はたまの顔色を窺う。丸く見開いた瞳を数回瞬きさせた後、たまもまた段蔵に対し、柔和に微笑み返した。

 

「……ではカラクリ同士ということで、私達二人のことを『カラ友』と呼ぶのはいかがでしょうか?段蔵様。」

 

「カラ友………それは素敵です!ええ、とても!それではどうか、今後より畏まらずにお呼びくださいませ。たま殿。」

 

「そうですか……ええっと、では失礼して…………段蔵さん、と。そうお呼びさせていただきますね。」

 

 和気藹々(あいあい)とする二人の間には、華やかな空気が漂っている。新八に包帯を巻き直してもらいなら、藤丸がその光景を微笑ましく眺めていたその時、お登勢が横から声を掛けてきた。

 

「藤丸、っていったね。怪我の具合はどうなんだい?」

 

「はい、何とか平気みたいです………すみませんお登勢さん、部屋まで貸してもらった上に食事まで用意していただけるなんて。」

 

「若いモンが遠慮なんてするんじゃないよ、ここは(たま)に酔いつぶれた客を寝かせとく以外、殆ど使ってなかったからね。それと、アンタの着てた服についた血も洗濯して大分落とせたから、明日にゃ返してやるよ。」

 

「本当に何から何までお世話になって、ありがとうございます………それじゃもしかすると、僕や藤丸君が着てるこの着物も、その酔ったお客さんの為に用意していたものなんですか?」

 

 ひらつかせた袖に目を落としながら、新八は何気なくお登勢に問う。するとテーブルにお盆を置いた彼女の体が、ほんの一瞬だけ止まったように思えたのを、離れた所にいた銀時は気がついた。

 

「……いや、そいつはアタシの『旦那』のもんだよ。仕舞いっ放しにしてても虫に食われちまうからね、時たま日干ししたりなんかもしてたんだ。」

 

 そう語るお登勢の穏やかな口調を、上げた(おもて)の目に宿る光を、銀時はよく知っていた。しかし幾らこちらが覚えていても、彼女が自分に向けてくれたというそれらの記憶は、今は形も無いという事実の虚しさも同時に痛感し、心が少し痛くなる。

 

 

 だがそんな心境は、お登勢の発した信じがたい一言により、瞬時に驚愕へとすり替わった

 

 

 

「ま、年中お天道様の出ないこんな国じゃあ、日干しったって形だけみたいなもんだけどね。」

 

 

 

「…………え?」

 

 藤丸も、銀時も、その場にいた全員が仰天した。

 ……否、全員というには語弊がある。性格には桂と高杉を除いた面々である。誰とも目を合わせることなく俯いた桂の遥か背後では、高杉がいつの間にか奥の障子窓へと移動し、開いた片側から外を眺めていた。

 

「年中太陽が出ないって………おいババア、そりゃどういうことだよ⁉」

 

「あーもう来た時っから五月蠅(うるさ)い奴だね!原因なんざアタシが知るワケないだろこのクソ天パ野郎‼」

 

「銀ちゃん銀ちゃん、動揺するのも分かるけど少し落ち着こ?ハイ深呼吸~。」

 

 アストルフォに(なだ)められ、一旦沈静化を図るべく、銀時は大きく深呼吸をする。相変わらず頭上に乗ったままのフォウもつられて同じ動作をしていたため、張り詰めた空気が僅かばかり綻んだような気がした。

 

「……で、本当なのか?この街が、江戸が太陽の昇らねぇ国になっちまったってのは。」

 

「アンタら知らないのかい?この江戸の空はね、随分と前から暗闇に覆われているんだ。詳しい話なんて何も伝わってきやしないから、どうしてこうなっちまったかなんて誰も知らない。晨夜(しんや)の区別もつかない程に、年がら年中夜の(とばり)に覆われちまってるのさ………いつからかね、この江戸が『常夜の国』なんて呼ばれ始めたのは。」

 

 淡々と語るお登勢の言葉に、皆開いた口が塞がらない。そんな中、一つ確信を得た藤丸は、腕に装着したままの通信機へと目を落とす。

 外を歩いていた時に確認した時刻、そして今のお登勢の話が本当であれば、この通信機にどこも不備は無い筈なのだ。しかし同時に、新たな疑問が湧き上がってくる。仮にそうであるなら、何故カルデアとコンタクトを取ることが出来ないのだろうか?もしかすると、原因は他にあるのではないのか……?

 眉間に皺を寄せ、考えられる可能性や憶測を推理していたその時、張り詰めた空気の中にたまの声が響き渡った。

 

「あの、お登勢様……そろそろ開店の時間が迫っています。」

 

 部屋の壁に掛けてある時計を見上げ、たまが言う。二本の針はもうすぐ、18時を示そうとしていた。

 

「おやいけない、そろそろ戻らないと客が来ちまうね……それじゃアンタら、すぐ下は店なんだから、騒ぐんじゃないよ。布団は押入れの中に入ってるので全部だから、足りなかったらその椅子でも使っとくれ。それと台所にある茶ぁやら何やら、飲みもんは好きにしていいけど、食器はちゃんと洗うんだよ。いいね?」

 

 いくつかの注意を告げた後、お登勢は桂から松陽の着物を受け取ると、たまと共に玄関へ早足で向かう。草履の鼻緒に指を通した時、ふとお登勢はあることを思い出し、こちらを見る銀時達を振り返った。

 

「あ、そうそう。真夜中にゃ絶対に窓を開けるんじゃないよ。『化け物』が入ってくるかもしれないからさ。」

 

「『化け物』……?おい、それって────」

 

 銀時の問いも扉を開け放つ音に消え、二人は慌ただしくその場を後にする。外階段を降りる音が徐々に小さくなっていくのを聞きながら、残された一同は呆然とするしかなかった。

 

「……行っちゃいましたね、お登勢さん達。」

 

「『化け物』ねぇ………なあヅラ、今ババアが言ってったヤツって、もしかして俺達がお前らと出会った時にやり合った、あの気味の悪ぃ連中のことか?」

 

「ヅラじゃない桂だ。恐らく、それで間違いはないだろうな。奴らが何者なのかも、何処から湧き出しているかも未だに不明だ。現在確認されている三種の個体にはそれぞれ名前がつけられているようでな、布を被った奴が『元興寺(がごぜ)』、鬼面のような顔の女は見たままの『般若(はんにゃ)』、そしてやたら数のいた小鬼は『魍魎(もうりょう)』などと主に呼ばれている。」

 

「あっ⋯⋯ヅラさん。そういえば俺、さっきの騒ぎの中で誰かが話してるのを聞きました。化け物は天人を襲わないって⋯⋯⋯。」

 

「ええっ!?ヅラ君、それホント!?」

 

「ヅラじゃない桂だ。その話は恐らく本当だろう、だが連中が天人を襲わない理由までは俺にも分からん。いずれも奴らは生者を襲い、その血肉や生き肝を(えぐ)り喰らっているらしい。」

 

「生き肝………。」

 

 桂の説明の一部を呟いた藤丸の脳裏に、あの助けを求めて縋ってきた女性が蘇る。

 半開きの口から零れた喀血が、頬を伝う感覚をまだ鮮明に覚えている。胸から突き出た魔物の手、女性の心臓と(おぼ)しきモノを掴んだそれが引き抜かれると、たった今目の前で絶命した彼女の抜け殻となった身体が、糸の切れた操り人形のように崩れていった。

 あまりに唐突だった為に、対応出来なかった。その言い訳は紛れもない事実であったが、やはり藤丸は心中で悔いていた。あそこで狼狽などしなければ、もう少し早く動けたのではないのか………止まない後悔の雨に、自然と顔が険しくなっていく。

 そんな時だった。隣に座っていたエリザベートの肘が、藤丸の腕に軽くぶつかる。彼女を見ると、少し頬を膨らせた様子でこちらを睨んでいるようだった。

 

「素敵なディナーを前にしてるっていうのに、なんて顔してんのよ。仔犬。」

 

「エリちゃん……。」

 

「ま、アンタが何を考えてるかなんて、見抜くのは簡単だけどね。いつもすぐ表情に出ちゃってるし、本当分かりやすい子。だからいっつもババ抜き負けるのよ。」

 

「え、俺が勝てない原因ってやっぱそれ?」

 

「本当に無自覚だったのね、仔犬……。ともかくよ、もし今仔犬が自分の事を責めているのだとしたら…………貴方はちっとも悪くない。だって、仔犬は自分の危険も(かえり)みずに行動を起こしたんだもの。それってとっても勇気が無いと、まず出来るものではないでしょ?それでも、とても残念な結果で終わってしまったのだとしても………仔犬(マスター)が命を懸けてまで救おうとしてくれたことには、何ら変わりないのよ?」

 

「エリちゃん………でも、俺────もがっ⁉」

 

 開きかけた口に飛び込んだものに、藤丸は咳き込みそうになる。仄かな塩味のある物体を一旦口から離して確認すると、それは皿に乗っていたあのおにぎりであった。

 

「とにかく、まずは栄養と休息を充分に取りなさいな。お腹が減ってちゃパワーも沸いてこないわよ。あっそうだ、仔犬の元気が早く回復できるように、アタシが一曲歌ってあげましょうか?」

 

 満面の笑顔の彼女の申し出に、藤丸は全力で首を横に振る。だが同時に、心の中に(わだかたま)っていたものが僅かに綻んだような気がした。

 ぐぅ、と空腹を知らせる音が室内に響く。説明を続けていた桂も、彼の話に耳を傾けていた面々も、その音を鳴らした張本人へと視線を向ける。

 

「あ~、ずりぃぞ藤丸。銀さんを差し置いて抜け駆けするなんざ十年早いぜコノヤロー。」

 

「フォウ、フォウフォウッ。」

 

「早く食おうぜ~、私もうお腹ペコペコアル。」

 

「わうぅ~……。」

 

「でも、確かにお腹が空いたような感じしますね。ダヴィンチちゃんさんには、サーヴァントはご飯を食べることも、寝ることも必要ないって僕らは聞きましたけど………。」

 

「新八殿の仰る通り、サーヴァントは魔力の補給さえ受けることが出来れば、食事や睡眠・排泄等は行う必要はありませぬ。しかし食事を摂ることによって微弱ながら魔力を回復することも可能ですし、それに味覚から伝わる快感を得て、気を休めることにも繋がります。」

 

「ああ、もしかしてさっきヅラに食わされたんまい棒で、俺の魔力が回復したのもそういうこと?」

 

「ヅラじゃない桂だ。それだけではないぞ、あれはそこに俺の魔力を吹き込んだ特注品でな、一本で魔力をほぼフル回復できる代物となっている。一本で充分、これが本当の一本満足というやつだな。」

 

「……まあ、段蔵は絡繰ですので、食べるといった行為を行うことが出来ませぬ。仕方のないことではありますが……少しだけ、(わび)しさのような感情が働いてしまいますね。」

 

 一通りの解説の最後に、寂し気に笑う段蔵。そんな彼女の隣には、たまの持ってきたあの赤いポリタンクの姿があった。

 

「ね~段蔵ちゃん、さっきから気になってたんだけど、それ何?」

 

「ああ。こちらは先程、たま殿から頂いたものです。機械(からくり)の彼女が唯一口に出来るもので、とても美味だからと私にもお裾分けをしていただきまして。」

 

「ふむ、段蔵殿。俺にはそれがどうもガソリンか灯油にしか見えんのだが……。」

 

「ええと、確か………純度の高い、最高品質のオイルだと伺っておりまする。摂取方法は教わった通りですと、ストローを差して口から吸うように───」

 

 一同が見守る中で、段蔵はポリタンクに差したストローを口に……というかそれ、どう見ても石油ポンプなんですけど?別称・醤油ちゅるちゅるとも呼ばれている代物である。

 透明な管を通って液体が吸い上げられ、とうとうそれが段蔵の口内へと到達した次の瞬間、(つむ)られていた彼女の両目がカッ!と開かれる。そして、

 

「口の中がっ‼まさに今っ!戦国乱舞やああァァァァァっ‼」

 

 居間中に響く絶叫と、関節の節々から唐突に吹き出す蒸気に、思わず皆がひっくり返る。唯一微動だにしない高杉は、びりびりと震える空気や白い蒸気にも全く動じないといった様子で、相も変わらず煙管を燻らせていた。

 

「ァァァァ………はっ!も、申し訳ありませぬ皆様!今まで感じたことの無かった感覚に、つい気分が高揚してしまいまして……。」

 

 我に返った段蔵は即座に現状を理解し、自身の起こした事態に羞恥し、思わず赤面する。

 

「いやいや。確かにちょっと……いや大分びっくりしたけど。でも日頃見ることの出来ない、段蔵の意外な一面が見られたと思うと、何だか得した気分だよ。ねっ二人とも?」

 

「そうね~。まあ大声だったら?私も負けてないんだけどぉ?」

 

「マスターの言う通りだねっ!カルデアにいる小太郎君にも、今の見せてあげたかったな~。ねえねえ、マスターの通信機って録画機能とかなかったっけ?」

 

「あ、アストルフォ殿………どうかそれはご勘弁くださいませ。」

 

 あくまで無邪気なアストルフォに恥じらう段蔵、そんな彼女らに苦笑しながら、銀時達もまた次々と身を起こしていく。

 

「まっ何だ、よかったじゃねえか段蔵。絡繰のお前でも美味いと思えるモンが見つかったんだ。たまには感謝しねえとな。」

 

「フォウ、ンキュッ!」

 

「銀時殿………そうですね。味覚など搭載されていても不要なものだと、今までに何度も思ってきたことがございましたが………改めて心より感謝致します、果心居士様。」

 

「うぅ~……すっ転んだら余計に腹減ったアル。もう私食べるヨ!」

 

「それじゃあ僕、お茶煎れてきますね。台所にあるってお登勢さんも言ってましたし。」

 

「新八君、俺も手伝おう………まあ積もる話はあれど、まずは腹を(こしらえ)ることが先決だな。高杉、お前もそれで構わないか?」

 

「………ああ、好きにしろ。」

 

 素っ気ない返事はいつものこと、それを重々承知している桂は新八に続いて台所へと足を向かわせる。

 

 

 ……離れていく足音を背中で聞きながら、高杉は開けた窓から紫煙を吐き出す。深碧(しんぺき)の右目が見上げるのは、江戸の街を覆い隠す暗夜の空。星一つ存在しない漆黒を彩るのは地上からの灯りと、飛び交う宇宙船の照明。

 

 するとそんな暗い空に、一本の光の筋が出現する。(いびつ)な直線となって伸びていったそれはある程度の辺りで伸長を止め、中央部からゆっくりと左右に開いていく。

 

 

 それはまるで、見開かれる『(まなこ)』のように─────

 

 

 

「ス~ギっち!君もこっちに来ておにぎり食べようよ!」

 

 相変わらず空気の読めない、ポンコツさの滲み出た快活な声で呼ばれる。

 振り返らずとも声の主は分かる。だが相手は理性が蒸発しているので、ここで振り向かないと何をしてくるか分からない。仕方なく首を後ろに回すと、案の定目を輝かせたアストルフォが、両手に其々おにぎりを構える態勢をとっていた。

 

「あのな、さっき段蔵も言ってただろうが。サーヴァントは食うことも寝ることも要らねえ、だから俺には食事なんざどうでもいいんだよ。食いたきゃお前らで勝手に───」

 

「何なに?アストルフォ、どうしたアル?」

 

「あ~神楽ちゃん。スギっちがね、おにぎり食べたくないって。」

 

「あんだとぉ⁉スギっちてめェ、アタイの握った飯が食えねえってのかい⁉えぇっ⁉」

 

 新たに加わった神楽までもが、アストルフォと同じようにおにぎり(やたらとデカい)を構え、こちらを()めつけてくる始末。

 戦闘力に()けた高杉といえど、サーヴァント二騎……しかも片や夜兎族を一気に相手取るとなれば、骨が折れるどころでは済まないだろう。このままだとあのおにぎりとは名ばかりの米で出来た弾丸を、どこに捻じ込まれるか分かったものではない………黙考の末、半ば諦めモードとなった高杉は、彼女らへの返事代わりに大きく溜め息を吐いた。

 

 

 

 

 

 高杉が視線を外している間に、空に描かれる光の筋は徐々に広がっていく。

 

 

 

 やがて完全に開ききった時、『(それ)』は淡い光で闇夜を照らす光となって、江戸の空へとその姿を現した────。

 

 

 

 

 

《続く》

 


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