Fate/Grand Order 白銀の刃   作:藤渚

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【参】常夜の国(Ⅴ)

 

 

「松陽が………どうしたんだよ?」

 

 高杉の口から不意に出た恩師の名に、銀時の表情が緊張に強張る。

 張り詰めた空気が再びその場に流れ出し、誰かが唾を呑み込む音が微かに聞こえた。

 

「なぁ、銀時。」

 

 ゆっくりと開く高杉の唇、そこから一体何が飛び出してくるのだろうと、銀時は無意識に身構える姿勢を取った。

 

「てめぇ………松陽先生と風呂に入ったことあるか?」

 

「………は?」

 

 ドドドと皆が一斉に床に倒れていく音を背中で聞きながら、銀時は予想だにしていなかった質問に対し、思わず目が黒ゴマのような点になる。

 

「何だぁ?何言ってんのかまるで分かんねえって(つら)してんな。」

 

「分っかんねえわァァァァっ‼何なのお前っ⁉前回のラストを意味深げな一言で終わらせたりなんかしてさ、そいで読み手側の期待散々煽っておきながら、一話隔てて聞きたかった質問がソレってどういうこと⁉さっきまでのシリアス展開真っ只中だった空気返して‼」

 

「あ?馬鹿なお前にゃ聞き方が悪かったな、それじゃこれならどうだ………松陽先生の裸、見たことあるか?」

 

「さっきより酷くなってるゥゥゥっ⁉完全アウトな内容の質問にグレードアップしてんじゃねえか‼どうしたの高杉クン、一体俺から何を聞きたいのぉ⁉捉え方によってはタグ付け替えなきゃいけない事案だよコレ‼」

 

「ええっ⁉銀ちゃんたら、松陽さんとそんな××××(ピ───)な関係だったのぉ?面白そうだから僕にも詳しく教えてよ~!」

 

「ギャーッ‼教師と教え子の淫行だなんて卑猥だわ!破廉恥(ハレンチ)だわ!うら若き乙女や未成年のいる前で、何て(いや)らしいことカミングアウトしようとしてんの白モジャっ‼」

 

「ハイっそこ反応しない!ほら~もう早速あらぬ誤解を招いちゃってるじゃん‼この作品はな、あくまでもギャグとシリアスと戦闘と下のネタを兼ね備えたクロスオーバー小説で進めていくつもりなんだから、あんましアブノーマルな方向に走らせようとしてんじゃねえよ‼」

 

「で、どうなんだい銀時ィ?先生と風呂に入ったことがあんのか?無ぇのか?入ったことがあるとしたらそれはいつ頃だ……?答えによっちゃ、てめぇを今ここで霊核(タマ)ごと焼き尽くすことになるが?」

 

 銀時の胸倉を掴んで詰め寄り、殺気の篭った右眼で()めつけてくる高杉。心なしか……否、彼の周りを漂う琥珀の蝶の数も、確実に多くなっているのは一目瞭然だ。

 

「わぁ、綺麗アル~。」

 

 神楽が無邪気に目を輝かせ、ひらひらと舞う蝶の一羽に触れようと手を伸ばす。すると彼女の方へと首の向きを変えた高杉が、そちらに向かって強く息を吹いた。直後、蝶はまるで風を受けた蝋燭の火のように、輝く身体を宙で四散させ消えてしまう。

 

「あ~!スギっち何するネ⁉」

 

「気をつけな、じゃじゃ馬姫。そいつは蝶のフリをした憎悪の(かたまり)だ。俺の機嫌次第じゃあ、指先が触れただけで骨まで残らず消し炭になるぞ。」

 

「んな厨二臭い要素満点のヤバいモンが常にお前の周り飛んでんの⁉つーかさっきより数が増え、ギャアァァこっち来たァァァっ‼」

 

 鼻先にまで接近しようとしてくる琥珀の蝶に、パニック寸前に陥る銀時。すると見かねた桂が、二人の間に仲裁に入った。

 

「こら高杉!俺達が銀時に確認したい内容というのは、共に入浴した事実の有無ではないだろう!」

 

「……ちっ。ああ、そういやそうだったな。」

 

 高杉の手が漸く離れ、次々と消えていく蝶に銀時は安堵の息を漏らす。床から体を起こす皆の注目も、自然と彼らへと集中していった。

 

「まあ俺としても、貴様が先生と入浴したかについては気になって仕方ないのだが。俺達だって一緒に風呂など入った事がないというのに、ええいどうなのだ銀時⁉」

 

「結局オメーもそれかよ!どっちの味方についてんだヅラァ‼」

 

「大丈夫だよ銀さん、俺も小さい時は大人と一緒に入ってたし、今更恥ずかしがることないって。」

 

「いや藤丸、別に恥ずかしいとかそういうことじゃなくてだな……。」

 

「まあ、戯れはこの辺にしといてやらぁ。」

 

「戯れだったの⁉さっき俺の事本気(マジ)で殺す気だったよなぁスギっち⁉」

 

「てめえまでスギっち呼びは()めろ、燃やすか叩っ斬るぞ。」

 

「よさんかスギっ………高杉。それで銀時、実際はどうなのだ?」

 

 高杉の鋭い視線を背に受けながらも、微塵も動じることのない桂の問いに、銀時は頭を乱暴に掻きながらぶっきらぼうに答えた。

 

「ああ、あるよ。つってもお前らと会うずっと昔に何回かだけどな………んで、それがどうしたんだよ?」

 

「………その時、先生の背中は見たか?そこに何か、『変わったもの』は無かったか?」

 

「は?背中?一緒に風呂入ってんだからそりゃ見るだろ、よく流してたし………背中は、別に普通だったぜ。傷痕一つ無かったと思うけど…………なあ、だからどうしたってんだ?」

 

 中々核心に触れようとしてこない桂にやきもきしながら、銀時はやや苛ついた声色で彼に尋ねる。すると桂は少し考える素振りを見せた後、先程筆記に用いろうと出していた筆を手に持つと、段蔵の記録する紙の空いている下部に穂先を滑らせていく。

 数名が上から覗き込む中、静かに筆を置いた桂は段蔵に断りを得てからその箇所だけを裂き、完成した『それ』を皆に見えるよう掲げた。

 

「な………何ですか、それ……⁉」

 

 新八の声が、驚愕と別の感情で微かに戦慄(わなな)く。驚きを隠せないのは彼だけではない。銀時も、神楽も、そして藤丸達も、そこに描かれたものに絶句する。

 

 

 桂が紙に筆を走らせ、生み出したもの………それは文字ではなく、一つの図であった。まるで何かの紋章のようなその図は、よくよく見れば何かを表している。

 

 

 伸びた(つの)、鋭い牙、そして二つの恐ろしい眼…………一つ一つを合わせて出来たそれを見た誰もが、『鬼』の顔を連想した。

 

 

「……先程、松陽先生の着物を着替えさせた際に気付いたのだが、あの人の背中に赤い刺青のような、この模様があったのだ。」

 

「なっ……んだって⁉」

 

「銀時、てめえがさっき言った昔の記憶が本当なら、こんな気味の悪ぃモンは本来なら先生には無い筈だろ。だが俺もヅラも、先生の背中に刻まれたコレを、実際にこの目で見ちまってんだ………こりゃあ一体、どういう事なんだろうな。」

 

 最後の呟きは誰に向けたものでもなく、高杉は大きく息を零すと、腰を下ろした長椅子の背凭(せもた)れに体を預け、寝室の襖へと目をやった。

 

「……あれ?」

 

 と、ここで首を傾げたのは藤丸。桂の書いた絵と、自身の右手を何度も交互に見ている彼に、気付いたエリザベートが声を掛ける。

 

「仔犬、どうしたのよ?」

 

「いやぁ何かさ…………よく見たら似てるなと思って、アレ。」

 

 ほら、と藤丸が上げた右手の甲には、赤く刻まれたマスターの証……『令呪』と呼ばれる刻印。彼が今しがたやったように、皆もそれと桂の絵を何度も見比べ、やがてあちこちで合点のいった者達が声を上げ、掌を拳で叩いた。

 

「む~……確かに、マスターの令呪と何となく似てる感じがするね。」

 

「ええ。色や形状など、どことなく共通するものがあるように、段蔵も思いまする。」

 

「なあ藤丸、その……令呪?つったっけ。一体そりゃ何なんだ?」

 

「銀さん、カルデアでダヴィンチちゃんさんが説明してくれたのに、もう忘れたんですか?」

 

「それ、私も小難しくて分からなかったヨ。もう一回説明してプリーズ。」

 

「えぇ~……マシュやダヴィンチちゃんほど上手く説明は出来ないと思うけど、仕方ないなあ。」

 

 銀時と神楽の要望に戸惑いながらも、藤丸はコホンと咳ばらいを一つし、やや緊張気味に説明を始めた。

 

「えっと、令呪っていうのはね…………簡単に説明すると、サーヴァントを使役する為の絶対的命令権なんだ。例えば、言う事を聞かないサーヴァントに強制的に命令に従わせたり、またはサーヴァントの戦闘力を大幅に上げたりなんて使い方もあるね。」

 

「ふーん………まるで奴隷につける首輪みてぇだな、見えない力的なもんでサーヴァントを縛ってんのか。」

 

「サーヴァントっていうのは、魔術世界における中で最上級の使い魔だからね。本当はその扱いもかなり難しいんだ。マスターの命令に従わないで意思のままに動き回ったり、時にはマスターを殺そうとしたなんて例もあるくらいだから……そんな大きな力を従わせる為に、こうして令呪があるんだと思うよ。」

 

「成程なぁ。まっ、野良サーヴァントの銀さんにゃ令呪なんて関係ないけどね?俺的にゃ縛られるより縛るほうが好きだし。うん。」

 

「あ~ら奇遇だわ、アタシもそういった加虐思考を持ち合わせているの。そっちの面ではアンタと気が合いそうね、白モジャ。」

 

 互いに目を合わせ、ニンマリと腹黒い笑みを湛える銀時とエリザベート。色々とヤバそうなコンビの誕生に苦笑しながらも、藤丸は説明を続ける。

 

「まあ基本として使えるのは全部で三回、その一画一画が膨大な魔力を秘めた魔術の結晶であり、それが令呪の宿ったマスターの魔術回路と接続することによって、サーヴァントに強力な命令を下すことが出来るものだよ………ふう、こんな感じかな?段蔵、カンペありがとう~。」

 

「お役に立てて光栄です、マスター。」

 

「カンペだったのォォォっ⁉どっから導入されてたか全然分からなかったよ!」

 

「最初の『……』が続いた辺りで、ふと目をやった先にカンペ持った段蔵がいたもんだから。いやぁ助かったよ。」

 

「ふむ………藤丸君、君のその令呪なのだが、俺に少し見せてくれんか?」

 

「え?はい、どうぞ……。」

 

 おずおずと差し出したその手を、桂の両手が軽く包み込む。掌で令呪に触れるなどした後、桂は首を傾げて藤丸を解放した。

 

「ヅラ君、どうかした?」

 

「いや………藤丸君の令呪に触れて確かめてみたのだが、これと松陽先生の背中にあるモノとは、どうも何かが違うようだ。それとヅラじゃない、桂だ。」

 

「違うって……桂さん、分かるんですか?」

 

「ふふん、(あなど)るでないぞ新八君。これでも俺は魔術師(キャスター)として現界しているからな。魔術の心得は元より備わってはおらぬものの、通常のサーヴァントよりはこういったものを敏感に感じ取ることなど容易いものだ。」

 

 得意げに鼻を鳴らす桂にちょっとだけ苛つきながらも、銀時は今しがた彼の言ったことの真意が気になって仕方なく、説明の続きを催促する。

 

「んなことより、どういうこった?藤丸の令呪と先生の背中のソレが関係ないもんとなりゃ、一体何だってんだよ?」

 

「そこまでは俺も分からん。先程も言ったが、本来の俺は魔術師ではない。あくまで触れた時に感じた微々たる魔力のようなものを、俺の中で比べた結果に過ぎんからな……。」

 

 ふぅ、と溜め息を零し、桂は頬杖をついて自身の描いた鬼の刻印に目をやる。その表情からはやや困憊(こんぱい)している様子が(うかが)えた。

 

「ふぁあああぁぁ~……。」

 

 張り詰めた空気の中で、大きな欠伸が一つ。見れば、神楽が眠たげに目を擦っていた。

 

「神楽ちゃん、眠いの?」

 

「ん~……腹もいっぱいになったし、それにもうくたくたアル………。」

 

「ふあぁ……欠伸うつっちゃった。確かにたくさん歩き回って戦って、僕も疲れちゃったよぅ。」

 

「……そうだな、今日はもう休むとしよう。今後のことは明日また話し合うことにするか。段蔵殿、討議の記録ご苦労。」

 

「いいえ、段蔵が自ら引き受けたことです。しかし桂殿、この人数で休むことになると、全員は寝室に収まりきらないのでは?」

 

 テーブルの上のものを片付けながら段蔵が尋ねると、桂は「あっ」と声を上げ、顎に手を当てる。どうやらそちらのことにまで、頭が回っていなかったらしい。

 

「あふ……銀ちゃん、私松陽と寝るアル。あっちの部屋は私らが使うから、お前ら大人はここで休むヨロシ。」

 

「しゃーねえな、まあ俺らはまだ眠くないからいいけど……おい神楽、ちゃんと布団敷けよ、横着して松陽の布団に潜り込むんじゃねえぞ。」

 

「わ~い!皆で寝るなんて修学旅行みたいだね!僕行った事無いけど。ねえねえマスター、枕投げしようよ~!」

 

「んー、今は松陽さん休んでるから、それは後日に回そうか。」

 

「えぇ~……一つの部屋に男女が一緒になって休むだなんて、何かあったらスキャンダルよ?アイドルの名に傷がついちゃわないか心配だわ……。」

 

「大丈夫ヨ~エリちゃん、藤丸と松陽はまず無いだろうし、残ったこの童貞眼鏡も夜這いなんて大それた真似、起こすほどの度胸も根性も無いアル。」

 

「失礼な奴だな君はァァっ‼僕だってその気になれば夜這いくらい───あっ嘘、嘘だよエリちゃん、だからその槍をこっちに向けな、ギャアアァごめんなさいごめんなさい‼出来もしないことを二度と大口叩いたりしませんからァァァァっ‼」

 

 必死に逃げ回る新八と、それを追いかけるエリザベートの二人が繰り広げる追いかけっこ。目の前で繰り広げられるドタバタ劇に笑っていた銀時だったが、ふとどこからか視線のような気配を感じ、周りを見回す。

 すると今居間と廊下を繋ぐ間にある扉が、僅かばかり開いているのを見つけた。

 

「……あぁ?」

 

 その隙間から顔を出し、怪訝な顔で様子を窺うも、目の前には玄関までの暗い廊下が広がっているだけ。

 

「銀さん、どうかした?」

 

「藤丸……いや、今なんか…………やっぱ何でもねえわ。」

 

 まだ疑念の心は晴れていないものの、とりあえず気のせいだと思うことにし、銀時は扉の取っ手に手を掛ける。

 

「………気のせい、だよな。」

 

 もう一度、自身にそう言い聞かせるように呟いて、銀時は扉をゆっくりと閉めた。

 

 

 

 

 

 

   *   *   *   *   *

 

 

 

 

 

 

 

  ────藤丸は、夢を見ていた。

 

 

 頬を撫ぜる冷たい風と、子ども達の声に目を開けると、山間から覗く夕日に照らされた河原の道を、一人の大人と数名の幼子達が歩いているのが見えた。

 

 彼らが囲んでいるその大人は、亜麻色の長髪を風に(なび)かせ、遠目だと性別が分からない。いずれも子ども達はその人物から離れることはなく、絶えず楽し気に話しかけている。

 

 その賑やかさから少し離れたところを、一列になって歩く子どもが三人。

 先頭の幼子は高い位置で結わえた長髪を揺らし、その後ろのきちんとした身なりの子どもは鋭い切れ目で前を見据え、そして一番後ろにいる少年は、眠たげな様子で歩を進めている。彼の頭髪は他の者達とは明らかに異なり、ふわふわとした銀色の髪が、夕日を受けて(きらめ)いていた。

 

 

 

 ………何故だろう。俺は、この子達を知っているような気がする。

 

 

 彼らの遥か後方を歩きながら、藤丸は直感的にそう思う。

 

 すると、銀髪の少年が急に立ち止まり、おもむろに振り返る。二つの緋色の瞳は、真っ直ぐにこちらを見上げていた。

 

 

「──、───────。」

 

 

 ぱくぱくと動く口、そこから声となった音は、聞こえない。

 

 茫然としているうちに銀髪の少年はそっぽを向き、他の子ども達と空いた距離を埋めるように、前へと駆け出していく。

 

 

 いつの間にか、藤丸は足を止めていた。

 少しずつ遠くなっていく小さな背中を、彼らの姿をただ一人見つめる藤丸の横で、夕日は山々の向こうへと徐々に姿を沈めていった────

 

 

 

 

 

 

   *   *   *   *   *

 

 

 

 

 ドスッ、

 

 

「ぐふぇっ。」

 

 鳩尾に走った衝撃と痛みに声を上げ、藤丸の意識は微睡(まどろ)みから一気に覚醒する。

 何が起きたのかを確認するため、寝惚けた意識の中で首を僅かに動かすと、自身の腹部辺りにアストルフォの足が見えた。

 

「もう、アストルフォったら………痛てて。」

 

 まだ僅かに痛む腹を押さえ、藤丸はむくりと体を起こす。壁に掛けてある時計を見上げれば、時刻は二時過ぎを指している。室内に響く時計の秒を刻む音を聞いているうちに、眠気は少しずつ晴れていった。

 寝惚け(まなこ)を擦りながら、藤丸は周りで眠りこける皆の様子を何気なく見回す。壁に凭れ掛かって休む段蔵や、枕の上に並ぶ穏やかな寝顔を順に眺めていくうちに、ふと同じ布団の中で、ぴったりとくっついた状態で眠る松陽と神楽を発見する。

 銀時の言いつけを守らずに、松陽の布団にそのまま潜り込んだ彼女はすやすやと寝息を立てており、その姿はまるで母親に甘える仔兎を思わせた。また松陽のほうも顔色はすっかり良くなり、穏やかに呼吸を繰り返し眠っている様子に、藤丸は安堵した。

 

「ん……?」

 

 アストルフォの掛け布団を直していた時、襖の向こうから話し声が聞こえてくることに気付く。音を立てないように襖へと近付き、僅かに開けた隙間から覗くと、照明代わりの月明かりを受けた部屋で、三人の男達が(さかずき)を傾けていた。

 

「ほいじゃ、お前らもそういうことでいいんだな?」

 

何遍(なんべん)も同じこと言わすんじゃねえよ……不服だが、それしかあるめぇ。」

 

 長椅子に腰掛けた銀時の向かいで、高杉はぶっきらぼうに返す。その隣に座った桂のいるテーブルには、戦闘の際に用いていたあの巻物が数本広げられているのが見えた。

 

「でもよぉヅラ、これって一応藤丸に話してからのほうがよくね?俺らの内でOKってことになっても、やっぱしアイツの意見も聞かねえと……。」

 

「ヅラじゃない桂だ。そうだな、では本人に確認を取るとしよう………なあ、藤丸君?」

 

 不意に名を呼ばれ、吃驚(きっきょう)し肩が跳ね上がる。不敵に笑う桂の顔は、明らかにこちらを向いていた。

 

「何だよ藤丸、起きてたのか?」

 

 桂の一言によりこちらの存在に気付いた銀時にまで声を掛けられ、藤丸は止む無く襖を開け、寝室からのそのそと出てきた。

 

「あはは………ごめんなさい、覗き見するつもりは無かったんだけど。」

 

「いいって、なら今の俺らの話は聞いてただろ?寝れねえってんなら丁度いいや、こっち来いよ。」

 

 そう言って銀時が人差し指で示したのは、ちょうど空いた自分の隣。音を立てないよう静かに襖を閉め、そこへと移動している最中に、おもむろに立ち上がった桂が台所へと向かって行った。

 

「あれ?そのお酒どうしたの?」

 

「ババアが台所にあるモンは好きにしていいっつったろ?だから好きに飲ましてもらってんの。」

 

「……高そうな瓶だけど、それ本当に飲んでよかったのかな?」

 

「い~のっ。まあいざとなったら、高杉クンのポケットマネーで解決してもらうから。ねえスギっち?」

 

「阿呆か、てめえにゃ一銭もくれてやるつもりなんざねぇよ。あとスギっちは止めろっつったよな?本気(マジ)で燃やすぞ?」

 

「悪かった俺が悪かった。だから一旦落ち着こう高杉クン?文章形態だから分かりにくいけど、君の周りにまたあの蝶々(バクダン)めっさ飛んでるから、火事とかになったら危ないからっ‼」

 

「あはは………ところで銀さん達、寝なくて平気なの?」

 

「あ?ああ、不思議なことに全っ然眠くならねえ。さっき段蔵が言ってた通りだな、眠気も無けりゃ催すことも無ぇ、サーヴァントって奴ぁ便利なモンだな。」

 

「だがそりゃあ同時に、生き物としての欲求を満たす必要が無いにも関わらず存在出来ている俺らは、既に『人でなし』になっているってことをまざまざと思い知らされてる、ってことでもあるんだぜ。銀時。」

 

 猪口代わりの湯呑(ゆのみ)に酒を()いだ高杉の言葉に、銀時の笑顔が強張る。そんな事を今まで考えもしなかったのだろう、黙ったまま自身の掌を見つめる彼の表情は、藤丸がまだ見たことのないものであった。

 

「銀さん……。」

 

 何か話しかけようと困惑していたその時、ふわりと甘い香りが鼻先を掠める。

 

「あれ?この匂い……。」

 

 くんくんと鼻を動かす藤丸、彼の嗅覚が捉えたのは、台所から戻ってきた桂がお盆に乗せたもの。

 

「藤丸君、眠れぬようならこれを飲むとよい。温まるぞ。」

 

 桂が藤丸の前に置いた湯呑には、ほかほかと湯気の昇る淹れたての飲み物。色はココアに似ているものの、入れられたスプーンでかき混ぜると一層漂うその匂いは、藤丸にも覚えがあるものだった。

 

「わぁい、ありがとう桂さん。俺これ好きなんだ~。」

 

「はっはっは、そうかそうか。NILO(ニロ)は成分が沈殿している場合もあるから、よくかき混ぜて飲むのだぞ。」

 

「はーい………え?NILO?」

 

「む?NILOだが………何故そう訝しむ、好きなのだろう?」

 

「いや、確かに色も匂いも同じなんだけど………『NI()』なの?『MI()』じゃなくて?」

 

「『MI()』ではない、『NI()』だ。まあ心配するな、君の知っているM〇LOと同様、これも美味しさと健康を兼ね備えたマイルドな麦芽飲料であることに変わりはない。」

 

「あ、言っちゃった。M〇LOって大分バレバレだけど言っちゃったよ桂さん。」

 

 まあ大人の都合は置いておくとして、藤丸は両手で持った湯呑を口元まで近付け、ふぅふぅと軽く息を吹いてから、漸く一口飲む。じんわりと広がる優しい甘さは、やはり藤丸のよく知るもので…………うん、やっぱコレM〇LOだわ。

 

「おーぅ、何か俺も甘いの欲しくなっちゃったなあ、一口くれや。」

 

 藤丸からの返答を待たずして、銀時の手がNILOの入った湯呑を取り上げる。器を傾け、口を離した銀時の顔は、如何にもな不満顔であった。

 

「ヅラよぉ、これ少しばかり薄いんじゃねえか?どうせババアのとこのモンなんだから、粉ケチって使ってんじゃねえよ。」

 

「馬鹿を言え、俺はちゃんと分量通りに作ったぞ。貴様が普段飲んでいるものが濃すぎるのではないか?」

 

「ハッ!銀さん………これで間接キスだね(ポッ)」

 

「えぇい頬を赤らめるなっ!大体俺が飲んだのはこっち、お前が口付けたとこと反対だから!間接キスとか無効だかんな!」

 

 ほんの冗談に対し、焦った様子で(まく)し立てる銀時の反応が予想だに面白く、突き返された湯呑を受け取りながら、藤丸は聞こえないように含み笑いをする。その姿に一人気が付いた高杉も、低く笑いを零した。

 

「ところで、さっき話してたことって何?俺にも話さなきゃ、とか聞こえたんだけど……。」

 

「何だ、肝心なとこは聞いてなかったのか。」

 

「良いではないか銀時。重要な事柄だ、ここは改めて藤丸君にきちんと話をすべきだろう。」

 

「ハイハイ、分かりましたよっと。」

 

 頭を乱暴に掻きながら、銀時はすぐ隣の藤丸へと向き直る。つい先程のちゃらけた様子とは雰囲気が一変し、こちらを見据えてくる二つの紅に思わず緊張し身体が強張った藤丸に、銀時は口を開いた。

 

「藤丸、さっきこいつらとも話し合ったんだが………俺達、この江戸の事をもう少し詳しく調べてみることにしたんだよ。それにあたってだな……ええと……。」

 

「銀時ィ、言いにくいんなら、根性の無ぇテメエに代わって俺から言ってやろうか?」

 

「へっ、テメーの手なんざ借りねぇよ!」

 

「いいから早いとこ要件を言わんか。只でさえ書き上がりが遅いというに、これ以上余計に文字数を喰うでないぞ。」

 

「わーってるつーの!ったくどいつもこいつも………それでな藤丸、お前に……お前さん達に、改めて頼みたいことがある。どうか俺達に、お前らの力を貸しちゃくれねえか?」

 

「いいよぉ!」

 

 F1レーサーもびっくりな速さでの即答と、スリ〇クラブのフラ〇チェン張りにいい返事に、銀時は椅子からずり落ちる。

 

「早ぇっつの!せめてもうちょい考えるとかあるだろ⁉あのな藤丸、銀さん今いつになく真剣なの。カルデアにとっても、そっちの人類にとっても重宝されてるお前を、こんな訳の分かんねえ事態に巻き込んじまって、本当悪いと思ってる………だが、俺はどうしても知りたい。何故俺達がサーヴァントになったのか、一体この江戸(くに)(かつ)て何が起こって、現在(いま)もどんな事が起きているのか…………それに。」

 

 銀時が皆まで言わずとも、続けて何が言いたいのかは当に分かっていた。こちらから逸らした視線が見つめるのは、固く閉められた寝室の襖。見れば銀時だけでなく、桂と高杉も同じ目をして同じほうを向いている。

 彼らと松陽の間には何があったのか、藤丸はまだ何も知らない。だがそれを知るのは、今でなくてもよいだろう。夕刻、河川敷で化け物達に襲われた際に、彼らが振るっていた刃から感じたものは強靭さだけではなく、大切な(ひと)を守らんとする意思であったから。

 

「大丈夫だよ銀さん。別に俺も皆も、巻き込まれたなんて思っちゃいないよ。それにもし、この件に聖杯が絡んでいたとしたら、寧ろこっちの問題に銀さん達を巻き込んだってことになるんだから………まあ、カルデアと通信が出来ていない状態が続いてるから、その辺はまだ何とも言えないんだけどさ。」

 

「藤丸……。」

 

「それに、俺も松陽さんのことが心配なんだ。あの人を追っていた、妙な連中のこともあるし。もしかすると、松陽さんが記憶を無くした事とこの国の変異、どこか繋がっている可能性だって無きにしも非ずだろ……?なんて、カルデア(うち)にいる名探偵みたいに言ってみたり。」

 

 へへ、と照れ笑いを浮かべながら、藤丸は(ぬる)くなったMI……じゃなかったNILOを飲み干す。こんな異常事態に巻き込まれたにも関わらず、微塵も狼狽することの無いこの少年に、銀時達は感服すると同時に、協力の申し出をあっさりと受け入れてくれた彼の器の大きさに深謝した。

 

「藤丸………ありかとうな。」

 

 銀時の大きな手に頭を撫でられ、やや乱暴な手つきに「うぉううぉう」と声を漏らしながらも、藤丸は笑顔を返した。

 

「よーし!そうと決まれば、皆が起きたら伝えなきゃな。きっと喜んで受け入れてくれ……て………。」

 

 唐突に、ぐにゃりと歪む視界。言いかけた言葉は語尾が小さくなっていき、隣の銀時に凭れ掛かる頃には、それは寝息へと変化していた。

 

「藤丸……?え、このタイミングで眠りに入るの?の〇太君だってちゃんと羊を三匹数えてからだってのに、寝つきがいいにも程があんじゃねぇ?」

 

「漸く寝たか………どうやらNILOに施した、安眠の(まじな)いがよく効いたようだな。うむ、初めてにしては我ながら上出来だ。」

 

「お前、いつの間に一服盛ってたんだよ…………おい高杉、お前もヅラにゃ気をつけたほうがいいぜ?何時(なんどき)にナニ仕込まれてるか、分かったもんじゃねえからな。」

 

「人聞きの悪いことを申すな!それとヅラじゃない桂だ!」

 

「ああ、肝に銘じとくぜ……それより銀時、テメエも藤丸の飲んだソレ、口をつけてたじゃねえか。」

 

「へ?あっ────」

 

 高杉がそう放ったのが合図であったかのように、がくりと一気に力の抜ける身体。次の瞬間には、背もたれに倒れかかった銀時の開いた口から、(いびき)が聞こえ始めた。

 

「……全く、単純な奴め。」

 

 溜め息交じりに零しながら、桂は長椅子で眠りこける二人に毛布を掛けてやる。お互いに身を預けるようにして寝ている銀時と藤丸は、どことなく兄弟のように映った。

 

「高杉、お前も休め。俺の知っている限りでは、お前は一睡もしていないだろう。」

 

「別に、眠くならねえから眠らないだけだ。お前こそさっさと休んだらどうだ?キャスターと言えど、あれだけ魔力を消費すりゃあ困憊(こんぱい)しないほうがおかしいぜ。」

 

「そうだな、これを終えたら休むとしよう。」

 

 桂はまた長椅子に腰を下ろすと、広げたままの真っ白な巻物を前に筆を取る。不思議なことに、そこに墨や(すずり)は見当たらない。すると桂の握った筆の先端が、じわりじわりと淡く光り出す。やがて穂先全体が光に包まれた時、桂はそれを紙へと滑らせた。文字や魔術式などを次々に記した筆の軌跡は、僅かな間だけ光り輝いた後、墨と同じ黒へと変化していく。

 

「難儀だねぇ、お前さんも。」

 

「仕方なかろう。強力な魔術も呪文の詠唱も出来ない俺は、こうして事前に術式を書き記しておかねば、いざという時に戦えんのだから。」

 

 真面目(しんめんもく)に作業を行っている桂の様子を、高杉は酒の残った湯呑を傾けながら観察する。すると、その筆の動きが不意に鈍くなった。

 

「………なあ高杉、松陽先生のことなのだが。」

 

 (おもて)を上げぬまま零した彼の声は、どこか暗澹(あんたん)としている。高杉は何も答えぬまま、桂の言葉に耳を傾けた。

 

「もしも、もしもだぞ?あの襖の向こうにいる松陽先生が、仮に記憶を取り戻したとしても………その時俺達の前にいるのは、本当に『松陽先生』なのだろうか?」

 

「………ヅラ、何が言いたい?」

 

「俺とて、先生にまた会えたのは嬉しい。物凄く嬉しい。河川敷で先生の姿を見た時、思わず感情が胸の内から込み上げ、爆発しそうになったくらいだ………だが高杉、お前も知っているだろう?松陽先生に似た…………いや、『松陽先生と同じ』姿形をした、あの男のことを。」

 

 筆を握る桂の手が、僅かに震えているのが分かる。

 彼は恐れているのだ。また再会した恩師が、実は全くの別人である可能性を、自分の中で捨てきれないことを。

 

「……んなこたぁ、俺にも分からねえよ。とにかく今眠ってる先生が目を覚まさねえ限りじゃ、そう憶測を立てんのは早すぎンだろ。」

 

「そう、か……そうだな。可笑しなことを言ってすまぬ。やはり俺も疲れているらしいな、もう休むとするか。」

 

 一方的に喋り続け、桂はテーブルの上の巻物や湯呑を片付けだす。強張った笑顔は、拭いきれない不安からだろう。

 

「……………。」

 

 高杉は湯呑に残った酒を一気に呷り、障子窓の方を見やる。

 

 そこから見える、雲一つない小夜に浮かんだ『月』が、丑三つ時の江戸を静かに照らしていた。

 

 

 

 

 

 

《続く》

 


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