───目を開けると、一面の茜色だった。
山も、畑も、道脇のあばら家も、鬼灯の色に染まっている。
目の前を通り過ぎていく、二匹の赤蜻蛉。
ふわり、ふわり。柔らかい。でもくすぐったい。
長く伸びた亜麻色の髪が、風に靡いて頬を掠める。
身を委ねた大きな背中から伝わってくる温もりに、花の香とは違う、優しい匂いに心から安堵する。
ふと、前方にいた一人が足を止め、猫じゃらしを片手にこちらへと駆け寄ってくる。高い位置で結わえた髪が、振動でぴょこぴょこと揺れていた。
「──、────────!」
満面の笑顔で、ぱくぱくと口を動かす少年。
だがその声を、よく聞き取ることが出来ない。
するともう一人も体を反転させ、睨みつけるような顔つきで歩み寄ってくる。
「────!───────────‼」
両の吊り目を更に吊り上げ、何かを怒鳴るその少年の怒りの矛先は、どうやら背負われている自分の方に向けられているようだ。
だが、先程の少年と同様に、伝えてくる言葉の中身を捉えることが出来ない。
何故、どうして───
微睡んだ意識の中で、唐突に不安に駆り立てられる。
もしかすると、彼らの声が『聞こえない』のではなく、『思い出せない』から………だから彼らの伝えてくる言葉の意図が理解出来ないのではないだろうか。
ならば、何故思い出せないのだろう。
この感覚はまるで、幾月……否、幾年もの間、その声を聞いていないかのようで───
「──────、──。」
不意に、声をかけられる。
とても温かで、陽光のような声が紡いだそれは、名前だったのだろうか。
──いつしか夕日は山々の間へとその姿を隠し、橙の空に夜色の帳が下ろされようとしている。
徐々に低くなっていく気温が身に沁みていく中で、掴まった背中から伝わってくる温かさが心地良い。
────こうして過去の記憶を再生するのも、もう何度目になるだろうか。
何度も繰り返していくうちに、記憶の断片は幾つも朧気になっていく。気がつけばもう、あちこちツギハギだらけになってしまった。
もう、どこからが妄想で、どこからが本当の記憶なのかも分からない。
────それでも、それでもせめて、この暖かな記憶が、紛れもない真実であるならば。
この大切な人と、大切な友とまた一緒に、
夕焼け空の下の帰り道を、共に歩くだけの些細な幸せでも、
─────どうか
* * * * *
灰色の空から、しんしんと積っていく白い雪。窓から見える景色は、雪で覆われた山々と地面が延々と広がるばかり。
あ~雪だね、冬だもんね~と寒そうな景色を窓から眺めながら、こたつに身体を入れて温もりを感じつつ、テーブルの真ん中に置いてあるみかんを食すのが、日本の冬の粋な過ごし方というもの。
だが、今が冬だからという理由で雪が降っているわけではない。そう、ここは一年間を通してずっと雪が降り続いているのである。
標高6000mの雪山、その地下に作られたこの施設は、『人理継続保障機関・カルデア』。未来における人類社会の存続を保障する為に世界各国が共同で設立した特務機関であり、主にその工房は地下に存在する。
『カルデアス』により観測された人類史の未来、それは2016年に人類が滅亡するという残酷な結果の証明だった。これを阻止すべく、カルデアに所属するスタッフを始め、『マスター』と称される存在に召喚され、その者と契約を交わした頼もしい英霊───サーヴァント達は、影響を及ぼそうとする様々な過去の特異点事象の特定、そして介入し未来を修正すべく、日夜激しい業務や戦闘に励んでいるのであった。
そんなカルデアの一角、無人の廊下に響き渡る、ツターンッツターンッと床を蹴る音。ついでに鼻唄のBGMもつけながら、曲がり角からひょっこりと現れたのは、スキップをする一人の少年だった。
彼の名は
一見どこにでもいるような平々凡々の印象を受ける彼だが、これまで様々な危機を幾度も乗り越えてきているのだ。神々の闘いや世界の崩壊、宇宙からの来訪者やらデットヒートなサマーレース、果てはハロウィンに出現したチェイテピラミット姫路城メカエリチャン………
そんな多忙の彼であるが、今日は任務という任務は殆ど無く、いわばオフの日なのである。久々にゆったりとした一日を過ごせることに嬉しさを隠しきれず、自然と浮足立っていた。
今日は何をして過ごそうかな?読みかけの本を読むのもいいし、誰かとお喋りするのも楽しい。あ、でも一日中ベッドの上でぐうたらゴロゴロして怠惰に過ごすのも魅力的だよな~………などと様々なプランを頭の中で巡らせていると、ぐぅ、と腹の虫が間抜けな声で鳴いた。
そうだ、その前に朝ごはん朝ごはん。今日の献立はなんだろうなと期待に胸を膨らませ、スキップしながら角を曲がった時だった。
「フォウッ。」
甲高い声鳴き声が聞こえたのと、藤丸の視界が真っ白いものに覆われたのはほぼ同時。
突如顔面にダイブしてきたモフモフとしたものに、「へぶっ」と声が漏れる。
「フォウさん、廊下は走ってはいけませんよ………あっ、先輩!」
顔にへばりついている小動物を剥がすと、せわしない足音と共に現れた声の主の姿を確認する。
「あ、おはようマシュ。フォウ君もおはよう。」
小走りで駆けてきた眼鏡の少女……マシュ、そして腕に抱いた白い小動物、フォウに藤丸はにこやかに挨拶を返した。
「おはようございます、先輩。これからフォウさんと起こしに行こうと思っていたところでした。」
「そっかー、ところでマシュは朝ごはん食べた?今から食堂に行こうと思ってたんだけど、よかったら一緒に行かないかい?」
「いいえ、私も朝食はまだなんです。是非ご一緒させてください!」
藤丸の手からフォウを受け取りながら、マシュは微笑みを浮かべ嬉しそうに答える。
マシュ───マシュ・キリエライト。このカルデアに所属しており、英霊と融合した『デミ・サーヴァント』。の少女
盾の能力を持つクラス・シールダーであり、戦闘においても果敢に奮闘する頼もしい存在………なのだが、現在は自身の魔術回路がONに出来ない状態であり、殆ど戦う機会は無い。とはいっても藤丸のために貢献したいという熱意は変わらず、戦闘に加わる場面はなくともオペレーターとして遠方にいる藤丸を助けたりなど、やっぱり頼もしい後輩なのである。
そして彼女の腕の中で丸くなっている小動物……鳴き声をそのままに名前もフォウ。マシュによく懐き、カルデアを徘徊するこの生き物はリスなのか狐なのか、はたまた猫なのか。皆に『君』やら『さん』やらをつけてよく呼ばれており、その愛くるしさと白いモフモフとした魅惑のボディで癒される者達は数知れず。うーんやはりモフモフは素晴らしきかな。
「そういえば先輩、随分ご機嫌な様子でしたね。何かとても良い事がありましたか?」
「え、そう?そんなウキウキしてた?」
「はい。先程もあそこの角を曲がってこられた際、軽やかなステップと鼻唄が聞こえてきたもので。」
「フォウフォウ。」
「おおう、恥ずかしいところを目撃されてしまったな。まあ、俺が浮足立ってたのは久々の休みだというのもあるけど………。」
照れ臭そうに頬を掻きながら、藤丸は利き手を前へと伸ばす。
すると、その手は画面の外───漫画でいうところのコマの外、TVだとブラウン管の向こう、そんな空間の中へと突き抜けていった。
「せ、先輩⁉」
「ドフォーウ⁉」
目の前で起きたありえないミラクルに、開いた口が塞がらないマシュとフォウを他所に、藤丸は突っ込んだ手を動かして何かを漁っている。
活字だから場面が上手く想像出来ない、だって?───いいか、イメージしろ。己の想像力を膨らませるんだ。使えるものは何でも使うと、漫画の枠線を引き千切る作品だってあるじゃないか。
暫くガサゴソした後、「お、あったあった」と呟いた藤丸がゆっくりと腕を引き抜く。その手に握られていたのは、FGOプレイヤーの方々なら見慣れているであろう、黄色いリボンの赤い箱。
「先輩……その箱はもしや………。」
「これ?プレゼントボックスだよ。APとか経験値の横で、中身が入ってるとピョコピョコ動いてるやつ。」
「いつもそうやって受け取っていらっしゃったんですか⁉私、初めて知りました……。」
驚愕の事実に唖然とするマシュの前で、藤丸は意気揚々とリボンを解いていく。
「今日はログイン7日目だから、ボーナスはお楽しみの呼符ちゃん~………。」
パカリと蓋を開け、中身とご対面を果たした藤丸。だがしかし、箱を見下ろしたままの表情は笑顔のまま固まっている。
「……先輩?」
お楽しみの呼符ちゃんに出会えたというのに、一体どうしたのだろう………まるでビデオの一時停止のように動かなくなった藤丸を心配し、マシュは彼の手にある空いた箱へと目を移した。
「!……こ、これは………っ‼」
* * * * *
「え、何?貰った呼符がいつものと違う、だって?」
所変わって、ここはカルデア内のとある工房。
様々な魔術関連のアイテムが並ぶその奥から、ひょっこりと顔を覗かせる一人の美女。
彼女もまたこのカルデアに所属するサーヴァントであり、その正体は名も高き『レオナルド・ダ・ヴィンチ』。通称ダヴィンチちゃんである。
クラスは魔術師であるキャスター。美人で聡明、何でも出来ちゃう万能英霊………え?レオナルド・ダ・ヴィンチは男性であるのに、このレオナルド・ダ・ヴィンチはどうして女性なのか、だって?えー本人からの説明によると、彼女……もとい彼は自身の人生の最高傑作である『モナ・リザ』の美しさに大変心酔し、現界の際にその美しい姿を自分自身のものとして具現化し召喚されたとかなんとか。
外見はモデルの絵画そのものの艶麗な美女であるが、肝心の中身は生前と何ら変わりない。つまりは見た目はモナ・リザ、頭脳や心はオッサンと、まるで薬を飲まされて縮んだ某名探偵のような状態である。
「はいは~い、長々とした説明ご苦労。それで、君達はこの天才ダヴィンチちゃんに、そのおかしな呼符を確かめてもらいたいとやってきたわけだ。」
うんうんと頷くダヴィンチちゃんの向く先には、並んで怪訝な顔をした藤丸とマシュが立っていた。
「で、その呼符は具体的にどこがおかしいんだい?」
「うーん………詳しいことは、直接見てもらったほうが早いかも。」
そう言うと藤丸は蓋を開け、軽やかな足取りで工房の奥から出てきたダヴィンチちゃんへと箱を差し出す。
「どれどれ~」と興味津々に中身を覗くダヴィンチちゃん。すると彼女の顔も先程のマシュと同様、驚愕が広がっていった。
「こっ……これは……っ‼」
───強張った顔の額を、冷たい汗が伝い落ちる。そんな、ありえない、と呟くダヴィンチちゃんの声は、微かに震えているようだった。
ごくり、誰となく生唾を飲み込んだ音が、静寂に響き渡る。やがてダヴィンチちゃんは、自らの手を恐る恐る箱へと入れた。
皆が固い表情で見守る中、彼女の手に握られていたのは………
「……銀色だね、これは。」
そんなド直球なダヴィンチちゃんの感想に、銀色だよねーと藤丸が返した。
彼女が箱から取り出したそれは、たった一つで聖晶石3個分の役割を果たすという、(運さえあれば)お目当てのあの英霊を召喚出来ちゃう夢のチケット・呼符………なのだが、今まさに問題となっているのはその外観である。
形や大きさ、重さまでは紛うことなきお馴染みの姿であるが、ダヴィンチちゃんが手にしているその呼符は、あの輝かしい高級感溢れるゴールドではなく、何故か銀色。そう、シルバーなのだ。
工房のライトを反射し、キラキラと白く光る呼符を観察しながら、ダヴィンチちゃんは声を漏らした。
「いや~ぁこれはこれは、こんなの初めて見るね。きっとカルデア始まって以来だ、うん。」
「あの、ダヴィンチちゃん………思いの外反応が薄くはないですか?先程あんなに驚かれて、肩まで戦慄かせていらっしゃったというのに。」
「ああ、あれね。読んでる側に緊張感を持たせようかと思ってさ。シリアス満載な雰囲気を漂わせてからの、一転して気の抜けた展開に思わず拍子抜けしちゃってる的なリアクションを期待してるんだけどなぁ。」
「恐らく皆さん、何も言わずに呆れているのではないかと私は思うのですが………ねえフォウさん?」
「フォウ、フォーウ。」
言葉の中に溜息を交え、マシュは腕の中のフォウに同意を求める。一方藤丸はというと、ダヴィンチちゃんの机の引き出しをおもむろに開け、ガサゴソと中を探っていた。
「で、藤丸君はさっきから何をしているのかな?」
「ダヴィンチちゃん、ペン貸して。オレンジのやつ。」
「先輩、何をなさるおつもりですか?」
「ははーん。さては君、そのオレンジペンを使って呼符を元の金色に変えようと考えているね?」
ニヤリと不敵に笑うダヴィンチちゃんに見事に図星を突かれ、硬直した藤丸の半開きの口から「う、」とくぐもった声が漏れる。
「?……何故オレンジ色のペンを使うと、金色に変えることが出来るのですか?」
「それはだねマシュ、銀色の上にオレンジを塗ることによって色が金に変わるからだよ。因みに最近君が藤丸君とよく遊んでいる折り紙の金だって、あれは元々───」
「ダヴィンチちゃんっ、ストオオオオオォップ‼」
突如伸びてきた藤丸の手により口を塞がれ、ダヴィンチちゃんの言葉はそこで遮られてしまう。目をぱちくりさせるダヴィンチちゃんに、血相を変えた様子の藤丸が小声で訴えかける。
「駄目だよダヴィンチちゃん‼マシュはね、あの金の折り紙を本物の金だって信じてるんだから!確かに俺もその事実を言おうとも思ったよ……でもさ、俺の目の前で楽しそうに顔をキラキラさせた上に、「凄いです先輩!金は貴重だから折り紙の袋に一枚ずつしか入っていないんですね、私感動しました!」なんて言われたら、それは違うよなんてもう言えないじゃん?今時こんな子、サンタクロースの存在を未だ疑わない高校生ばりに貴重じゃん?だから頼むよ、その口から告げようとしている残酷な事実を黙って呑み込んでくれないか?どうかマシュには、綺麗な夢を見させ続けてあげたいんだ……!」
空いた手で乱暴に涙を拭い、固く拳を握る藤丸。彼の後ろでは、事情を知らないマシュが聞こえないやりとりに首を傾げていた。
「成程なるほど、君のマシュへの想いは充分に理解したよ。」
「うおおおっ⁉まだ口塞いでんのにどうやって喋ってんの⁉はっ、まさかオナラで……⁉」
「こらこら、天才はオナラなんてするもんか。」
「いや、天才もするから。生き物としての生理現象だからね。」
「ともかく万能英霊の私にかかれば、こんな具合に腹話術を以って会話をすることも容易いのさ。てなわけでそろそろ手を放してくれないかい?ぶっちゃけ息が苦しいんだけど。」
ああ、ゴメンごめんと藤丸は慌てて手を剥がす。漸く新鮮な空気を吸えたダヴィンチちゃんは深呼吸をした後、二人の方へと体の向きを変えた。
「んで、この呼符は何で銀色なんだろう?5枚集めたら金の呼符と交換出来るとかいう期待を持ってここに来たんだけど。」
「そんなチョコのエンゼルのような仕様は実装してませーん。まあ何だ、エラー品なのかもよく分からないけど、これが呼符であることに変わりはない。だったら試しにこれを使って一度召喚を行ってみたらいいじゃないか?」
「ええ……でもこれ、大丈夫なの?」
「そうですよダヴィンチちゃん!もしものことがあったら先輩が危険な目にあうかもしれないじゃないですか!」
「まあまあ落ち着いて、無論その召喚には私も立ち会おう。この未知なる呼符でどんなサーヴァントが
「ダヴィンチちゃん……前もって言っておくけど、召喚されるのは必ずしもサーヴァントってわけじゃあないからね。この間だって☆3の礼装だったし、その前だって………更にその前、見事に爆死したこともあったっけなあ……ははは。」
徐々に低くなっていく声に比例して、藤丸の周りにどんよりと暗い影が差していく。ずるずるとその場にしゃがみ込み、床にのの字を書く藤丸の頭や肩から、ぽつぽつとキノコらしきものが生えてきているようにも見えた。
「だ、大丈夫ですよ先輩!特にこれといった根拠はありませんけど、今日はきっとどなたか素晴らしい英霊の方々が先輩の声に応えてくれます!」
藤丸の腕を掴んで立ち上がらせ、励ましの言葉をかけながらマシュはキノコを採っていく。後輩の健気な言動に胸を打たれ、「ありがとう…」と藤丸は彼女に小さく礼を言った。
「さあ、そうと決まれば準備に取り掛かろうか!」
「おー!と言いたいとこだけど……ダヴィンチちゃん、その前に朝ご飯いってきてもいい?まっすぐここに来たもんだからまだ食べてなくてさ……。」
ぐー、と工房内に響く間抜けな空腹の音は、藤丸とマシュの腹ペコストマックから鳴らされたもの。バツが悪そうに頭を掻く藤丸と思わず赤面するマシュに、出端を挫かれたダヴィンチちゃんは「仕方ないなあ」と苦笑するしかなかった。
* * * * *
守護英霊召喚システム・フェイト。
カルデアの誇る発明の一つで、先の聖杯を巡るサーヴァント同士の戦い・聖杯戦争においての英霊召喚を元に作られた召喚式。
今はシールダー・マシュの宝具である盾を触媒とし、サーヴァントの召喚を行う………のであるが、現実はそうも甘くない。
召喚の代価として一回につき支払われる虹色に輝く結晶・聖晶石。そして先程何度も名前の出た呼符。新たな戦力となる頼もしい仲間を求め、彼らに会いたいという強い願いを胸に抱いていても尚、その英霊が召喚に応えてくれる可能性は限りなく低いのである。こちらが幾ら呼びかけようと、数多の聖晶石や呼符が消えていこうとも………嗚呼、どうして、何で俺のカルデアには来てくれないんだコンチキショーッ‼
「ちょっと藤丸君~、勝手に地の文使って心の鬱憤を吐きださないの。」
「あ、バレた?」
「文章だから読んでる方は分からないけど、さっきからご飯粒つけたままのその口がずっと動いてたからね。」
ダヴィンチちゃんの指摘で慌ててご飯粒を確認しようとする藤丸に、「先輩、どうぞ」とフォウを肩に乗せたマシュがさりげなくティッシュペーパーを渡す。
彼女に礼を言い、受け取ったそれで口元を拭いながら、藤丸はいそいそと召喚式の確認をするダヴィンチちゃんの背中を見つめていた。
「よーし、準備は万端だ。さあ藤丸君、早速例の銀色の呼符で試してみたまえ。」
「……ねえダヴィンチちゃん。俺さっき朝飯の納豆かき混ぜながら考えてみたんだけどさ、この呼符ってもしかして新しいアイテムだったりしないのかな?もしかすると銀枠サーヴァントor概念礼装確定ガチャチケットだったり……。」
「なーにこの期に及んでも弱気な事言ってるんだい!そんなアイテム出てたら工房にいる私が知らないわけがないだろう?ほら、かき混ぜた納豆みたいに粘った根性で!いざトライだよ!あと服に乾いた納豆の粒もついてるから早く取った!」
ダヴィンチちゃんの再指摘により慌てて納豆の粒を確認しようとする藤丸よりも早く、新たなティッシュペーパーを持ったマシュのいち早い発見により乾ききってしおしおになった納豆の粒は回収された。本当に出来た後輩だなあ、うん。
「……よし。では藤丸立香、行きます!」
些か腰が引けている自身を奮い立たせるように、大きな声を張り上げる藤丸。
ダヴィンチちゃんからあの銀の呼符を受け取り、暫しそれを眺めてみる。普段の金色とは異なり、白銀に輝く呼符。一度使用すると消失してしまうので、こうしてみると使ってしまうのも何だか勿体無いような気もする。
「……藤丸立香、行きますっ!」
もう一度声を張り上げる。今度こそは召喚に臨もうと。
再び銀の呼符を眺めて考える……不安が消えたわけではない。しかし同時に、これを用いたらどんなものが召喚されるのだろうという沸き立つ好奇心も、あの時納豆をかき混ぜながら藤丸は感じていた。
「……藤丸、行きまーすっ‼」
再び声を張り上げる。本当に今度こそこの呼符で召喚に臨むべく。
そして言うまでもなく銀の呼符を見つめ─────
「フォウフォーウッッ‼」
甲高い声と同時に、ドカッと鈍い音と共に後頭部に走る衝撃。
苛立ちを含んだようなその鳴き声は、「いつまでやっとんじゃ早うせんかワレエエェッ‼」という怒声にも聞こえた。
「どぅぶっ‼」
いい加減痺れを切らしたフォウの一撃がクリーンヒットし、藤丸は前のめりに倒れかける。
「フォウさんっ⁉先輩、大丈夫ですか⁉」
よろめく足を立て直し、なんとか体勢を立て直す。何とか転倒を回避したことに安堵の息を吐き、ふと利き手の違和感に気がつきそちらに目を落とした。
「あ。」
呼符がない。そう理解したと同時に、藤丸の頭上が青白く光りだした。
展開された複数の光の球が、円を描いて回転し始める。それは正に呼符が用いられ、召喚が行われた合図。
やがて回転の後に出現したのは、三本の光の環。それは召喚されるものがサーヴァントであることの証でもあり、見守る藤丸やマシュ、ダヴィンチちゃんも期待に胸を弾ませる。
光の環が縮小した後、中央に巨大な光の柱が立つ。それが消えれば召喚した英霊のクラスカードが回転しながら現れる………現れる、はずなのだが。
「………あれ?」
おかしい………長い、光の柱が留まっている時間がやたらと長い。
いつまで経っても煌々と輝きを失わない光の柱に、ダヴィンチちゃんも首を傾げる。
「おやおや、これは一体どういう事だろうね?」
「もしや、エラー品を使用したことによるバグ……ということはないでしょうか?」
「フォウ?」
「まさか、藤丸君から預かった後にあの呼符を調べたけど、他におかしな点は──────あっ。」
ダヴィンチちゃんの声で、皆の目は彼女の向いている前方へと一斉に向けられる。
光の柱が形状を変え、巨大な球体へと変化していく。その球は拡大や縮小を繰り返した後、パァンッ!とまるで風船が弾けた際のような大きな音を立て、突如爆ぜた。
「な……っ⁉」
目の前で起きた出来事に、ただ呆然とする一同。
「フォウ!フォーウッ!」
だが惚けた彼らの意識を我に返したのは、頭上を向いたフォウの一声だった。
「!……先輩、ダヴィンチちゃん!あれを!」
マシュが指さす先────そこにあったのは、自分達の頭上で宙に浮き、くるくると回転する4枚のクラスカード。
いずれもその色は銀色。だが藤丸達が普段見慣れている色とはどこか違い、光沢を放っているようにも思える。
藤丸は目を凝らし、カードに描かれた図柄を確認する…………1枚目は剣士、セイバー。2枚目は狂戦士、バーサーカー。3枚目は騎兵、ライダーだ。そして4枚目───
「先輩、危ない‼」
「へ?」
叫ぶようなマシュの声に戸惑う間も無く、藤丸の立つ場所に広がる影。
ヒュルルル、と風を切る音が近付いていることから、何かが落下してきていることに漸く気付いたが時すでに遅し。
「ぶぎゃっ⁉」
視界が白いもこもこしたものに覆われた刹那、とてつもない重力に圧し潰される藤丸。
降ってきた『それ』の下敷きになった彼の耳には、「せんぱーいっ‼」と身を案ずる後輩の声がやたらと遠くに聞こえた、ような気がした。
「こ……これは一体……⁉」
あの時マシュはしっかりと見ていた。あの時空中のクラスカードが光り輝き、その姿が変形していった光景を。
目を見開き、驚愕するマシュの前に突如落下し、藤丸を下敷きにしているもの───それは、白い大きな犬。
もこもことした真っ白の毛に勾玉のような形の眉、赤い首輪をしたこの巨大犬の背中には、よく見ると誰かが乗っている。
片手に菫色の番傘を握り、サーモンピンクの髪色をした頭には変わった形の髪飾りが二つ、赤いチャイナ服を着たその少女は、「んあ?」と気の抜けた声を発して伏せていた顔を上げた。澄んだ蒼色の瞳をマシュに向ける、その少女の顔立ちはとても愛らしい。だが口端についた乾いた涎の跡が何とも間抜けな印象を与えた。
「……お前、誰アルか?」
少女の発した第一声に、思わずマシュは硬直してしまう。
何と答えたらよいのか分からず、互いの間に流れる沈黙の合間に「わんっ」と巨大犬が鳴いた。
「あの、貴女は─────」
漸く勇気を振り絞り、発したマシュの声を遮ったのは、バシャーンッ‼と辺りに響く激しい水音。
「ぶわっ‼冷たっ‼痛いっ‼何だ何だぁっ⁉」
音の方に振り向くと、少し離れた先で頭にバケツを被り、全身水浸しになった眼鏡の少年が、狼狽えた様子で辺りを見回している。どうやら尻を強打したらしく、何度も手で摩っているようだった。
「ダヴィンチちゃん、これは─────」
事態を把握しきれず、ただ困惑するマシュはダヴィンチちゃんに縋ろうと彼女の立つ方角を向く。
それに気がついたダヴィンチちゃんは、緊迫した様子で彼女に向かって叫んだ。
「駄目だ!マシュ、こっちを見るんじゃないっ!」
「えっ──────」
その時、マシュは見てしまった。
ダヴィンチちゃんの足元に、うつ伏せにして倒れている男性の姿を。
─────その人物のズボンが下穿きごとずり下がり、露わになっている筋肉質で健康的な肌色の、尻を。
「っきゃあああああああぁ⁉」
悲鳴を上げ、赤面した顔を両手で覆い隠すマシュ。
直ぐ様背中に隠れるマシュに、「だから見るなって言っただろー」と苦笑するダヴィンチちゃん。
すると悲鳴に反応したうつ伏せの男性が、突っ伏していた床からむくりと顔を上げる。きょろきょろと辺りを見回す動きに合わせ、男の天然パーマ気味な銀髪……白髪?が微かに揺れた。
ふと男がこちらに振り向く。死んだ魚のような目を暫く向けていたが、脱力しきったその顔が瞬時に驚愕と焦りの色に塗り替えられる。
「っきゃあああああああぁ⁉えっちょっ何これ⁉おたくら誰⁉つーかここ何処だよ⁉っていうか見ないで‼俺を見ないでええええええぇっ‼」
驚きやら恥ずかしいやらで、ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる男の声と同調するように、眼鏡の少年とチャイナ少女の声も辺りに響き渡る。
おいどうなんてんだこりゃ⁉知りませんよってか臭‼僕めっちゃ雑巾臭い‼うわっホントだ近寄んなヨ眼鏡!わんわーんっ!本当だお前臭っ!ちょっうつるからあんまこっち来んな!んだとぉゴラァ‼ケツ丸出しのアンタにそこまで言われる資格ねえよっこれでも喰らえ‼ぎゃああああこの野郎雑巾投げやがったっ‼やりやがったな駄目ガネ‼ぶっ飛ばしてヤルヨ!わおーんっ!
「……うーん、これは正に驚きの一言だね。」
うんうんと一人頷くダヴィンチちゃんの隣で、呆気にとられるフォウと共に眼前の喧騒をただ眺めるマシュ。
彼女が立ち上がった巨大犬の下から姿を見せ、「助ケテ~…」とか細い声で救助を求める藤丸を発見するまで、あと三秒。
《続く》