Fate/Grand Order 白銀の刃   作:藤渚

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【七】 暗雲(Ⅰ)

 

 

 

 

 

 ─────ごぽ、ごぽり。

 

 

 

 微かに聞こえてくる、液体の泡立つ音。そして鼻をつく不快な臭気に、ぼやけた意識は徐々に覚醒していく。

 吸い込んでしまった瘴気(しょうき)()せながら辺りを見回すと、『 』は今自分が置かれている状況を理解し、愕然とする。

 

 眼下に広がるのは、一面の黒い水面(みなも)…………否、これは断じて水などではない。重い質量を保った得体の知れない液体が広がっているその中空(うえ)で、『 』は狭い(おり)の中に閉じ込められていたのだ。

 

 人型を模した、冷たい鉄製の(かご)。中世期の西洋において拷問器具として使用されていたものに酷似したそれの中では、身動き一つ取ることが出来ない。液体から昇る瘴気に何度も咳き込んでいた時、ふと視界の中で何かが動いたのに気が付く。

 

 

 ………人だ。それも一人や二人ではない。朱殷(しゅあん)を更に濁らせ腐敗させたような水……否、これは最早泥と呼ぶほうが相応しい。そんな汚泥(おでい)の中を、何十という数の人の形をしたものが(ただよ)っていたのだ。

 人の形をしたもの、という表しなのは、彼らが既に生者でないことが明確であるからだ。(からだ)の半分以上がどろどろに溶けきっている者、眼球だけが落ち(くぼ)んだ者、頭部を喪失している者など、それらが無気力に浮遊している酸鼻を極めた(おぞ)ましい光景を直視出来ず、『 』は込み上げる吐き気を必死に(こら)えながら目を逸らした。

 

 

 

「ああ何だ、起きたのか……そのまま眠っていたほうがよかったものを。」

 

 

 粘度を含んだ水音と、自身の咳以外に耳に飛び込んできたその声に、『 』は咄嗟に(おもて)を上げる。

 それが発せられた位置を探すため、(せわ)しなく見回す『 』の首が漸く動きを止めたのは、遥か下方───濁った泥に満たされた巨大な器のすぐ傍に(たたず)む、二人の姿を発見した時であった。

 

 目元までを覆った黒い(からす)の面を被った、白と黒の袈裟(けさ)(まと)った不気味な男は、直立のまま微塵も身体を揺らすことなく此方(こちら)を凝視している………しかし、『 』が(おのの)くその対象は、彼の隣に立つもう一人の男の方にあった。

 

 烏面の男とは対称に、暗い室内でも映える(きら)びやがな着物。上着のように羽織ったそれの黒橡(くろつるばみ)の生地には、(たもと)と裾のそれぞれに紅白の曼珠沙華(まんじゅしゃげ)が描かれている。顔が隠れるほどの大きな(さかずき)の中身が()()された間合いで、下ろされた盃の向こうから男の顔面が(あらわ)になった。

 

 

 

 死人(しびと)を連想させるかのような、白い肌。

 

 雪華の如く純白の、癖のある頭髪の間から鋭く伸びる、二本の紅色の(つの)

 

 

 

  そして…………

 

 

 

 

 

  ─────ひゅっ、

 

 

 開いたままの口から、間抜けな音と共に空気が細く漏れ出る。

 

 まるで蛇に睨まれた(かわず)のように、全身が(すく)み上がり動けない。今すぐにでも座り込みたかったが、(いまし)める狭い檻によってそれは叶わぬ望みとなった。

 

 畏縮し硬直したままでいる『 』を一瞥し、白髪の男……『鬼』は盃を(おもむろ)に泥へと近付け、(から)の器にそれを(すく)い取る。

 緩やかに傾けた盃の端から、ぼたぼたと零れ落ちる赤黒い泥。飛沫(しぶき)も上げずに(よど)んだ水面へと消えていく様を眺め、鬼は微笑んだ。

 

「……よし、いい塩梅(あんばい)だ。」

 

 満足げに呟いた後、鬼は傍らに立つ烏面の男へと目配(めくば)せをする。男は返答もせず、頷きもせず、ただ合図に従い行動を開始する。

 じゃら、と擦れ合う金属音を立て、彼が手にしたのは(にび)色の鎖。長く伸びたそれが何処へと繋がっているのかを確かめようと、『 』は唯一自由の利く己の目を動かして、鎖の道筋を辿っていく。

 やがてその鎖の最終地点が、自身の囚われているこの檻のすぐ上に存在していることが分かったと同時に、『 』は彼らがこれから何を行おうとしているのかを悟り、心底から震え上がった。

 

 

 「 嫌だ、()めてくれ 」

 

 

 そう叫ぼうと口を大きく開けたのと、烏面の男が鎖を強く引いたのは、ほぼ同時。

 

 支えを失った鉄の籠は、重力に忠実に従い垂直に落下していく。悲鳴を上げる間も与えられず、『 』は檻ごと汚泥の表面に激しく叩きつけられた。

 

 格子の間から、生温かい泥が容赦なく入り込んでくる。水面から頭が出ることから、深さはそれほど存在するわけではなさそうだ。しかし、動けないのと不快であることに変わりはない。

 

 やめてくれ、助けてくれ。悲痛な声で叫ぶ『 』と、妖しく微笑んだままこちらを見つめる鬼との間に、ぬっと何かが割り込んでくる。

 

 それが手だと理解した刹那───『 』は絶叫した。

 先程上から見下ろしていた、あの『人の形をしたもの』達………物言わぬ(むくろ)であるはずの者達が、一斉にこちらへと集まってきたのだ。

 何本もの腕が、檻を掴み揺らす。彼らの行動の意味を理解した『 』は、必死に声を張り上げ訴えた。

 

 

 やめろ、やめろ。どうかやめてくれ。助けて。頼む。嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ‼

 

 

 ごぼり、とうとう泥は『 』の口の中にまで侵入してくる。徐々に傾きが大きくなり、鼻から、耳から、全身のあらゆる穴から染み込んでいく泥。

 

 瞼を閉じてはいないのに、視界が徐々に暗くなっていく。いや違う、闇に飲まれようとしているのは自分(おのれ)の意識だ。

 もう既に、あちこちの自由が利かない。鉛のように重くなった自身の体は、指一本すらも動かせない状態にまで陥っていた。

 

 亡者達の手により、檻はもう完全に没する手前にある。狭まる視界が最後に映したのは、無機質に傍観する烏面の男。そして盃の向こうから覗かせた、白髪の鬼の────あまりに綺麗で恐ろしい、愉悦の笑み。

 

 

 

 

 ────誰か、誰か助けてクれ   どうカ  どウか………

 

 

 

 

 自分が自分でなくなる感覚に怯え、ここにはいない『何者(だれ)か』に救いを乞いながら、『 』は…………自分(いしき)を、手放した。

 

 

 

 

 

 

 再び訪れる静寂。鬼は残った最後の果実酒を喉に流し、(から)になった瓶を放り投げる。

 陶器の派手に割れる音が後方で響き、思わず片目を(つむ)る鬼。烏面の男はというと、相も変わらず微動だにしていない様子。そんな彼を一瞥してから、また汚泥へと向き直った鬼が、暫くしてから口を開いた。

 

「………ん、そろそろだな。」

 

 牙の並ぶ口許が弧を描いたのと同時に、器の中の泥に異変が起き始める………静かだった水面が徐々に揺らめき、やがて泥は勢いを(ともな)って、ある箇所へと引き寄せられていく。

 その中心に存在するのは、既に頭頂部の金具しか露出していない例の檻。ガタガタと激しく揺れ動くそこへと向かい、泥は浸かった骸ごと渦を巻いて集中し、吸い込まれていった。

 泥の(かさ)が半分になり、膝下ほどになり、やがて完全に干上がったその時、檻に変化が表れる。中に入っていた真っ黒なモノが膨張を開始し、盛り上がっていく(かたまり)が内側から格子を押し上げていった刹那、派手な音と共に檻が砕け散る。

 咄嗟に鬼の前へと(おど)り出る、烏面の男。利き手に展開した錫杖(しゃくじょう)(たく)みに使い、破片を弾き返していく。やがて危険を除いたことを確認すると、烏面の男は無言のまま数歩下がり、また佇立(ちょりつ)の姿勢へと戻った。

 

 

 束縛を破り、解放された黒い塊はその場から移動することなく、ぐねぐねと揺れ動き続けている。やがてそれが少しずつ治まりつつあるのと同時に、塊の大きさも徐々に収縮していく。

 

 球状だったそれが楕円へと変化し、そこから突き出るように生える四本の細いモノ。それらが人間の手と足の形に変形していくと同時に、頭となる丸い部位までもが現れる。徐々に『人』を形作っていくその物体を、鬼は嬉々とした表情(かお)で眺め続けていた。

 

 

 

『お、オ、ぉ………………あアあアアあァァァァァァッ‼』

 

 

 

 一帯の空気を震わせる咆哮が、空間内に響き渡る。

 

 男とも女とも、まして獣ともつかない声で吠える、『人の形をしたモノ』。

 

 

 深淵の闇を連想させるほどにどす黒い(からだ)に刻まれた、『鬼を模した刻印』が、薄暗さの中で強く光を放っていた。

 

 

 

「………よしよし、流石は(おれ)だな。上手くいった。」

 

 

 

 異形の轟きに聞き惚れながら、鬼は呟き一人ほくそ笑む。

 

 

 細めた両の眼が、幽暗の中で妖しく深緋の色を覗かせていた。

 

 

 

 

 

 

 

   *   *   *   *   *

 

 

 

「ここ、って……?」

 

 目の前に建つ古びた木製の門を前にして、藤丸は目を白黒させる。

 年季の入った門の隣に並ぶ、これまた古い看板には大きく『恒道館(こうどうかん)道場』と記されていた。

 

「ちょっと眼鏡ワンコ、アンタに言われるままについては来たけど、何なのよココ?」

 

「あ、エリちゃん達にはまだ話してなかったんだっけ………実は僕の家、道場をやってるんだ。」

 

「ってことは、ここってパチ君ん()なの?すっごーい!何だか門だけでも立派だね!」

 

 ぴょんぴょんと跳ね、はしゃぐアストルフォ。そんな楽し気な彼とは裏腹に、銀時の面持ちは強張ったまま。

 腕に抱えた松陽の様子は、先程よりは幾分か落ち着いている。しかし、呼吸が規則正しいものに変わったのみで、血色の好くない顔色は相変わらずである。

 

「銀時……先生の様子はどうだ?」

 

「ああ、さっきよりは大分マシになったとは思う。」

 

「そのようだな。だがまだ油断は出来ない、早く先生を横にさせてやらねば………。」

 

 そこまで紡ぐと、桂は口を閉ざしてしまう。眉間に皺を寄せる彼が今考えていること、それは恐らく目の前にいる銀時の頭の中でも、同じ疑問が存在しているに違いないだろう。

 

「なあヅラ、さっき見た松陽の背中の────」

 

「銀時、その話は高杉達が戻ってからでも構わんだろう。今は何より、先生を休ませることを先決させなければならん。それと、ヅラじゃない桂だ。」

 

「あ、ああ………そうだな。」

 

 桂の鋭い正論に、銀時はやや阻喪(そそう)する。先程見た不可解な光景への疑念と、松陽を心配する想いとがせめぎ合い、大きく溜息を吐いたその時、神楽が近くへとやってきた。

 

「おう神楽、どうした?」

 

 銀時がそう声をかけるも、返答は無い。ただ泣き出しそうな顔で彼の腕の中の松陽を見つめ続け、やがてぽつりと呟いた。

 

「………銀ちゃん。私、また守れなかったヨ。」

 

 松陽の羽織の裾を握りしめる手と同様に、その声も震えている。瞠目する銀時を始め皆の意識を小さな身体に受け、神楽は尚も続ける。

 

「あんなに、あんなに守ってやるって言ったのに………さっき松陽が倒れた時、怖くて何にも出来なかった………今だって、こうして苦しそうにしてるっていうのに………私、結局は松陽のために、まだ何にもしてあげられてないアル!」

 

「……神楽。」

 

 不意に上げられた(おもて)には、幾筋もの雫が流れ落ちている。二つの瞳いっぱいに涙を溜めた神楽は、何度もしゃくり上げながら銀時に尋ねた。

 

「銀ちゃぁん……松陽、このまま死んじゃったらどうしよう………ぅ、うええ………っ‼」

 

 止めどなく溢れる涙が頬を伝い、彼女の(あか)い服に染みを作っていく。定春にしがみつき、泣きじゃくる神楽を前にした銀時の脳裏に、突として甦る過去の記憶。

 

 

 

 

『……銀時、あとの事は頼みましたよ』

 

 

 学び舎を包む焔が、後ろ手に縛られたその背中を照らす。

 左右に並ぶ見知らぬ男達によって、今まさに吉田松陽(せんせい)は連れていかれようとしている。

 

 

『私はきっとスグに みんなの元へ戻りますから』

 

 

 自身を拘束する縄が解けない、邪魔な連中を退(しりぞ)けられない………。

 

 力の無い子供である今の自分を、これほどまでに(いと)わしいと思ったことはなかった。

 

 

『だから……それまで仲間を みんなを 護ってあげてくださいね』

 

 

 嫌だ、嫌だ、行かないで先生。

 

 お願いだ。俺達からその人を奪わないで、その人を連れていかないで。

 

 

 

『────約束……ですよ』

 

 

 

 振り向いた(おもて)に浮かべられた、いつもと変わらぬ松陽(おんし)の微笑み。

 

 しかし、どこか寂し気な情調を感じるのは、今しがた交わされた契りがこの先叶わぬものとなるのを、まるで暗示しているかのようだった。

 

 

 遠ざかっていく師の背中に向かって、腹の底から叫び続ける。

 

 (うしな)いたくないんだ、傍にいてほしいんだ。

 

 

  行かないで、行かないで、行かないでっ─────先生‼

 

 

 

 

 

「………さん、銀さんってば!」

 

「フォーゥ、フォウ!」

 

 呼びかける藤丸とフォウの声に、銀時は我に返る。怪訝な顔でこちらを見る藤丸の後ろでは、(むせ)び泣く神楽をエリザベートがハンカチで顔を拭ってやりながら(なだ)めていた。

 

「銀ちゃん、本当に大丈夫?さっきから顔、凄く怖いよ……?」

 

 銀時の顔を覗き込み、アストルフォが眉を(ひそ)めて言う。見れば、神楽とエリザベートを除いた皆の視線は、いつの間にか自分へと集中しているではないか。決まりの悪くなった銀時は彼らから目線を逸らし、「……悪ぃ」と小さく謝った。

 

「大丈夫ですよ銀さん、それに神楽ちゃんも。きっと休めばまた元気になってくれますって!さ、早く中に入りましょっ!」

 

 明るい調子で言いながら、新八は門に手を掛ける。しかし木の壁に触れたその手が僅かに震えているのを、銀時は見逃さなかった。

 

 

『もし姉上まで僕の事を覚えてないなんて言い出したりしたら、なんて考えただけで怖くて……。』

 

 

 一昨夜に零した彼の心の内を、今でもしっかりと覚えている。一見気丈に振る舞っているが、それもきっと自身の不安を打ち消すために無理をしてのことだろう。

 

「新八、お前…………本当に大丈夫なのか?」

 

 銀時が尋ねると、こちらに背を向けている新八の肩が僅かに跳ね上がる。暫しの沈黙が流れた後、新八はゆっくりとこちらを向いた。

 

「大丈夫………じゃあないですね。正直、不安で胸が張り裂けそうなんです。でもさっきも言ったでしょ?四の五の言ってる場合じゃないって………それに今は怖いって気持ちより、こんな状態の松陽さんを早く介抱しなきゃって思いのほうが断然強いんですよ。」

 

「パチ君……。」

 

 眉の端を下げ、心配そうにこちらを見つめるアストルフォに対し、新八は笑みを浮かべ強く頷き返す。そうすることで、自身の中に(わだかま)る不安や懸念をも打ち消せるような気がしたからだ。

 

「神楽ちゃんも、そんな顔しないで。もうすぐ松陽さんを休ませてあげられるから、ねっ?」

 

「ぐすっ………うん。」

 

 鼻を(すす)り、エリザベートから借りたハンカチで顔を拭きながら神楽は頷く。そんな彼女を見届けてから、新八は門へと向き直ると、目を閉じて深呼吸をする。数回繰り返した(のち)、腹を据えた新八は目を開き、門へと手を掛けた。

 

「せーのっ─────ただいまァァァッ!」

 

 思いっきり力を込め、やたらと威勢のいい帰宅の声と共に、木製の門は勢いよく開かれる。

 中へ入ろうと一歩を踏み出すべく、新八が片足を上げたその時だった。

 

 

「きゃっ⁉………もう~、びっくりしたわぁ。」

 

 

 凛とした声、それと同時に門の向こうから現れたのは、一人の女性。

 (つや)やかな黒髪を高い位置で結わえ、丸く見開いた目でこちらを見つめるその女性を前にするや否や、新八の顔はF1レーサーも仰天するほどの速度で真っ青になった。

 

「あ、ああああねあねあね……‼」

 

 彼の中から姿を消した筈の不安と懸念は、実は足にしっかりとゴム製の命綱を装着していたようで、数秒間のバンジージャンプを経た後に宙で華麗なUターンを決め、そのまま新八の中へと戻ってきてしまったようだ。

 四の五の云々言っていたあの頼もしさは何処へやら、ダラダラと滝のように冷や汗を流し硬直する新八を皆が唖然として眺めていた時、女性が(おもむろ)に口を開いた。

 

「あら……?」

 

「ひゃっ、ひゃい⁉」

 

 極度の緊張に声が裏返ってしまう新八。張り詰めた空気からそれは伝染してくるようで、藤丸達も思わず固唾を呑み込む。

 女性はきょとんとした様子で(まばた)きを数回繰り返す。直後、彼女は朗らかな笑顔を浮かべてこう言った。

 

「おかえりなさい、新ちゃん!」

 

「………へ?」

 

 思わず漏れ出た、素っ頓狂(とんきょう)な声。新八も、銀時達も、何故か事情を知らない藤丸達カルデア面々までも、揃って目が黒胡麻のような点になる。

 

「あ、あの………姉上?」

 

 おずおずと、新八が緊張を崩さないまま口を開く。どうやらこの女性が先日より会話の中で度々登場していた彼の姉なのかと、藤丸は確信した。

 

「思ってたより早く帰ってきたのね。これからお夕飯の買い物にいくところだったんだけど、新ちゃんもお荷物持つの手伝って………新ちゃん?」

 

 反応の返ってこない新八を、女性は不思議に思う。すると佇立していた新八の体がわなわなと震え、今度は涙が滝のように溢れ出した。

 

「あ……姉上ェェェェェッ‼」

 

 人目など(はばか)らず、女性へと飛び込んでいく新八。実の姉に忘れられていなかったという安心から緊張の糸が切れたようで、彼を受け止めた姉に背中を優しくぽんぽんされながら、新八は声を上げて泣きじゃくっていた。

 

「もう、新ちゃんたら………ところで、貴方がたは?」

 

 新八から対象を銀時達へと移し、女性は首を傾げる。その顔は、こちらの世界に来たばかりに出会ったお登勢達と同じ………初めて目にする、『余所(よそ)者』を前にした時のもの。

 

「あ、姉御……私神楽アルよ⁉こっちの白いモジャモジャは銀ちゃんアル!忘れちゃったの……⁉」

 

「あら可愛い子、神楽ちゃんっていうのね。私は新ちゃん……志村新八の姉の(たえ)よ。お妙って呼んでくださいな。」

 

 穏やかな笑みを湛え、女性……お妙はにこやかに挨拶をする。まるで初対面であるかのような彼女の態度に、神楽も銀時も動揺を隠せない。

 

「………やはり、彼女もか。」

 

 桂が重苦しい声で、静かにそう呟く。

 今目の前にいるお妙はお登勢達とは違い、実弟である新八のことはしっかりと覚えていた。だが彼女の記憶の中には、自分はおろか神楽の存在すら無い……受け止め難い事実に、銀時の眉間に皺が自然に寄っていった時だった。

 

「ぅ、んん………っ。」

 

 腕の中の松陽が、小さく唸り身を捩る。

 我に返った銀時が目を落とすと、松陽の額に少しだけ汗が滲んでいるのが確認出来る。未だ温度の低い身体を抱え直し、銀時は新八へと視線を移す。

 緋色の瞳が訴えるものを即座に察した新八は、袖で乱暴に顔を拭ってから、直ぐ様お妙と顔を合わせた。

 

「姉上っ!事情は後でお話しますから、部屋と布団を貸してください!」

 

「え?ちょ、どうしたの新ちゃん?」

 

「松陽さん……えっと、銀さ……僕の知り合いの方が急に倒れてしまって、それで───」

 

 弟の必死の剣幕に吃驚(きっきょう)しながらも、お妙は状況を確認しようと彼が全て言い終える前に顔を上げる。そして銀時の腕に抱かれた松陽の姿を目撃したと同時に、彼女は表情を一変させた。

 

「……分かったわ、皆(うち)に上がって。新ちゃんはお布団出すのを手伝ってちょうだい。」

 

 (きびす)を返し、力強い言葉で皆を玄関へと促すお妙の姿に、新八の目頭はまたも熱を孕み始める。しかしまた泣いていては姉に怒られてしまうため、再度目を袖で擦ってから、後方の銀時達へと目配せする。

 張り詰めていた面々の顔は安堵から徐々に緩み、共に顔を合わせた藤丸と銀時も、互いに笑みを浮かべた。

 

 

 

 

   *   *   *   *   *

 

 

 

「うんしょ、っと……。」

 

 絞ったタオルから零れた水が、桶へと垂直に落ちていく。程よい湿り気であることを確認し、藤丸は布団の脇に座る桂にそれを手渡した。

 

「はいヅラさん、どうぞ。」

 

「かたじけない、それとヅラじゃない桂だ。」

 

 藤丸から受け取ったタオルを利き手に持ち替え、桂は布団側へと向き直る。強いた布団の上では、先程銀時と協力して寝間着に着替えさせた松陽が、すやすやと寝息を立てていた。

 桂がタオルで額の汗を拭うと、松陽は冷たさに一瞬だけ眉を顰めたものの、優しい手付きに心地良さを覚えたようで、またすぐに穏やかな表情へと変わっていった。

 

「ヅラさん、松陽さんの具合どう?」

 

「ああ、先程より顔色も大分良い。今はとりあえずこのまま寝かせておこう。それからヅラじゃない桂だ。」

 

「よかったぁ………それじゃ、暫くは安静にしておかないと。俺達も銀さんのところに戻ろっか、ヅラさん。」

 

「ヅラじゃないってば桂だってば‼藤丸君っ俺は何か君を怒らせるようなことをしたのか⁉」

 

「えーだってホラ、台本にもそうやって書いてるんだし、仕方ないよ~かつ………ヅラさん。」

 

「今の言い直さなくてよかったよ⁉桂さんで合ってるから!最近何だか君も銀時のようになってはきてないか⁉ええ⁉」

 

 桂が声を張り上げたその時、突如彼の頭頂に衝撃が走る。頭を押さえ(うずくま)る桂の背後に立つ人物を見上げると、ぽかんと開けた藤丸の口からその名が飛び出す。

 

「あ、銀さん。」

 

「痛っつ~………ったく、なに騒いでんだテメーら。静かに松陽休ませるっつったろ。」

 

「痛たたた………痛いではないか銀時ィ!見ろコレたんこぶが出来てしまったではないか‼」

 

「うっせーよっ!オメェの石頭に拳骨落とした俺のが痛いわ!見ろコレ拳に血が滲んじまったじゃねーかっ‼」

 

 ぎゃいぎゃいと大の大人が言い争う光景を眺めていた藤丸であったが、ボキッと不意に響いた音と共にその二人が膝から崩れ落ち、やがて床に倒れたその向こうで、開いたままの障子の辺りに立つ新たな人物を見上げ、その名を口にした。

 

「あ、神楽ちゃん。」

 

「藤丸、姉御がお茶煎れたから来いだってヨ。あとこの(やかま)しい馬鹿共、一人運ぶの手伝うヨロシ。」

 

「うん、分かった………それじゃ松陽さん、ゆっくり休んでくださいね。」

 

 天井から下がる紐を引くと、室内は暗闇に包み込まれる。音を立てないように障子を閉め、藤丸はぐったりしたままの銀時の両足を掴み、桂の襟首を掴んだ神楽と共に大の大人を引き()った状態ですぐ隣の居間へと移動した。

 

「姉御~、皆連れてきたアル!」

 

 神楽が障子を開けると、湯呑を並べるエリザベートと机を挟んで向かい合う位置にいるお妙が顔だけこちらを向き、急須(きゅうす)からお茶を注ぎながらにっこりと微笑む。

 

「ありがとう神楽ちゃん、今お茶が入ったから皆で飲みましょ。今新ちゃんと……えっと、アストルフォ君?だったかしら。その子達がお菓子も持ってきてくれるから、さあさあ座って。」

 

「お菓子⁉キャッホーイ!」

 

 ドタドタと足音を立て、我先にと神楽が室内へ入っていく。続いて藤丸と、運搬途中に意識を戻した銀時と桂が、脹脛(ふくらはぎ)の青(あざ)(さす)りながら居間へと上がりこんだ。

 座布団の上に座った藤丸の隣に銀時が腰掛けたと同時に、障子の向かい側の襖が開く。「おっ待たせ~!」と相変わらず元気のいいアストルフォの後に、盆におかきやらル〇ンドやらの小さな菓子を乗せた新八が居間へと入ってくる。アストルフォが襖を閉めたとの同時に、新八が菓子の入れられた器を机の上に置くと、光の速さで神楽が数個のバー〇ロールを掴み取っていった。

 

「んもぅ仔兎ったら、意地が汚いわよ………それで仔犬、松陽の具合はどうなの?」

 

「うん、大分落ち着いて今は寝てる………ええと、お妙さん?」

 

「はい、お妙です。そう言えば貴方のお名前は何と(おっしゃ)るのかしら?」

 

「あっ、すみません。俺ってば名前も言わずに………俺は藤丸、藤丸立香です。この度は色々とありがとうございます。本当に助かりました!」

 

 深々と(こうべ)を垂れる藤丸に、「あらぁ…」とお妙は驚嘆する。

 

「そんなに恐縮しないで、藤丸君。人として当然の行いをしただけだもの………それで、そちらの方々は?」

 

 お妙が何気なく尋ねると、湯呑を口元に運ぼうとした銀時の手が止まる。それから彼女の方を向いた銀時が一瞬だけ見せた寂しげな表情(かお)に、新八の胸がちくりと痛んだ。

 

「俺は……坂田銀時だ。新八(コイツ)とは色々と縁があってな、まあ一つ(よろ)しく頼むよ。」

 

 新八の頭をわしわしと撫で、銀時は緩やかに微笑む。お妙は相も変わらず笑みを浮かべたまま、今度は桂へと対象を変更した。

 

「それじゃ、そちらのロン毛がうっとおしい方は?貴方も名前を教えてくださいな。」

 

「うむ、少し引っかかる物言いだが構わんか。俺は桂小太郎、決してヅラとか可笑しな渾名(あだな)で呼ばないように頼む。」

 

「分かりました、よろしくお願いしますね。ヅラさん。」

 

「ねえ聞いてた?俺の話聞いてた?」

 

 額に青筋を浮かべるヅ……桂から顔を逸らすと、お妙は皆の顔を改めてじっくりと観察し始める。

 にこにこと崩れることのないその微笑が、どこかいつもより嬉々とした雰囲気を(まと)っているように感じられる。何やら嫌な予感がする………そう直感的に思いながら、銀時は怪訝な表情のまま温かい茶を啜った。

 

 しかし直後、お妙の発した一言により、その口に含んだ茶が外へと吹き出されることになる。

 

 

「それにしても嬉しいわ、新ちゃんがこんなに『門下生』を勧誘してきてくれるなんて。これで道場は安泰ね♪」

 

 

「……へ?」

 

 袋から出したル〇ンドを口に入れようとしたまま、新八は思わぬ言葉に動きを止める。すかさず横から顔を突き出した神楽にそのル〇ンドを食われても尚、新八は自身の耳を疑ったまま、おかきを頬張るお妙を呆然と眺めていた。

 

「あのぅ、姉上………すみません、僕さっきのアクシデントで記憶が飛んじゃったみたいで、詳しい経緯(いきさつ)を教えていただいてもよろしいですか?」

 

「あら、ヤダわ新ちゃんったら謙遜して。それとも勿体ぶっちゃってるの?」

 

「いえ、本当に何が何だか………それに現時点でまた予定文字数オーバーしちゃってるんで、出来れば簡潔に。」

 

「しょうがないわね~、それじゃあざっくりと説明するわよ………先週辺りだったかしら?ほら、新ちゃんと満喫に言った時よ。あの時は驚いたわ~、銀魂一巻を片手に持って唐突に言い出すんだもの。『人事を尽くして天命を待つ……姉上、僕は父上の遺したこの恒道館の(いしずえ)を守る為に、今から門下生を募ってきます!』なんて鼻息荒くしちゃって。」

 

「何かどっかで見たことあるなその流れ⁉アレか⁉ビームサーベ(るー)篇の冒頭で見たヤツだな⁉」

 

「そうして新ちゃんたら興奮したまま、銀魂一巻とメロンソーダの残ったコップを持って満喫を飛び出してっちゃったんだもの。私や店員さんが呼び止めるのも聞かずにね。」

 

「何やってんだこっちの僕ゥゥゥッ⁉ちょ、ち、違いますからね皆さん!そんな突拍子もないコトやり始めたのはこっちの世界にいた僕であって……あれ?でも今は僕が志村新八であるから、姉上の言う通り門下生探しに出たのは僕………いやいやいや‼でもそんな記憶ありませんし、ああ~エリちゃんそんな養豚場の豚を見るような目で僕を見ないでェェッ‼」

 

「とにかくこうして新ちゃんが門下生を集めてくれたんだもの。これから私も忙しくなるわ~、頑張らなきゃ♪」

 

「姉上‼待ってくださいっ僕の話を───」

 

「それじゃあ改めて……皆さん、ようこそ恒道館へ!見たところ性別も流派もバラバラだけど、きっと大丈夫。私と新ちゃんで皆さんを一人前の天堂無心流の剣士に育て上げていきますから。あっ、お部屋の心配はしなくていいからね?たっくさんあるから好きに使ってくださいな。それじゃあ私、お夕飯の買い物に行ってきますね。新ちゃん、私が返ってくるまでの間に中の案内とか済ませておいてね。それじゃっ♪」

 

 一通り喋り倒した後、お妙は立ち上がり居間を後にする。少しずつ遠くなっていく上機嫌な鼻唄を聴きながら、新八は(きし)んだ音を立てて首を動かす。お菓子に夢中になっている神楽とアストルフォを除いて、じっとこちらを見つめる皆の眼は、まるでネットでよく見かけるあの無気力なチベットスナギツネそのもの。肌で痛いと感じる程の視線を受け、ただ硬直するしかない新八の横で、定春とフォウが揃って大きな欠伸を掻いた。

 

 

 

 

 

 

《続く》

 


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