Fate/Grand Order 白銀の刃   作:藤渚

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【七】 暗雲(Ⅱ)

 

 

 

「………そう。ならアンタら、これからはその恒道館とやらに厄介になるのかい。別にこっちは構やしないよ。恩人とはいえ、いつまでも上を占拠されちゃあそろそろいい迷惑だと思ってたからさ………まあでも、そういうことなら仕方ないね。ただし、明日にゃ上の片付けを済ましに来とくれよ。それと、松陽の具合はどうなんだい………そう、そりゃあ何よりだ。ちゃんと元気になったら、また皆で顔見せに来なよ………ああ、段蔵と色男にゃ伝えとく。それじゃあね。」

 

 チンッ、と受話器を置く音が、賑やかな店内に紛れる。咥えた煙草に火を点け、肺を満たした紫煙をゆっくりと吐き出すと、カウンター席で酒を()む一人の男……高杉へと向く。

 徳利(とっくり)の中に残っていた酒を全て猪口(ちょこ)へと注ぎ、一息に飲み干すや否や、「勘定頼む」と短く言ったのと同時に椅子から立ち上がった。

 

「おや、アンタも行くのかい?別に一人なら置いてやっても構わないけどね、家賃も安くしとくよ?」

 

「ククッ……折角のお誘いだが、丁重に断らせてもらうぜ。持ち直したとは言うが松陽のことも気掛かりだ。今日はこのままお(いとま)させてもらう。」

 

 高杉が数枚の(さつ)をテーブルへ置いたのと同時に、奥の暖簾(のれん)からいつもの忍装束へと着替えた段蔵が、手に生菓子(モンブラン)の入れられた箱が収められた袋を持って姿を現す。他の客達の前を通る度に、おひゃらかしの口笛やら名残惜し気に別れの挨拶やらを受けながら、すたすたとこちらに歩いてくる彼女の際どい衣装を改めて見澄ましながら、着替える前のメイド服の方がまだ健全な恰好だったのでは……と心中で呟くも、決して口にはしない高杉なのであった。

 

「高杉殿、支度を整えました。」

 

「おう。それで、道案内は任せていいんだな?」

 

「ええ、今しがた新八殿の道場のある位置を地図で確認し、データを段蔵の中に読み込みましたので………それでは皆様、段蔵はお先に失礼致しまする。本日は色々とご指導、ありがとうございました。」

 

 深々と礼をする段蔵に、たまも同じようにして(こうべ)を垂れる。ふんぞり返るキャサリンの後頭部に一撃を食わしてから、お登勢は段蔵が(おもて)を上げたのと同時に一封の封筒を差し出した。

 

「ほら、今日の働き分だ。アンタのお陰でいつもより多く稼げたからね、本当に助かったよ。」

 

「これは………いいえお登勢殿、段蔵はお手伝いとして働いたのみ、賃金を受け取るなど滅相も……。」

 

「オ?ジャア要ラネーッテコトダナ?ソンナラ私ガ貰ッテヤッテモ───」

 

 お登勢の背後から身を乗り出し、給料の入った封筒を掠め取ろうとするキャサリン。しかしそんな彼女の伸ばされた腕は、更に横から突き出された第三者の手によりぐわしと乱暴に掴まれ、()え無く阻止される。

 

「段蔵さん、労働にはそれに見合った対価というものが必ず存在します。ですので、貴女がこれを受け取ることはごく自然で当たり前のことなのです。お登勢様も私達も、そして本日いらしてくださったお客様方も、段蔵さんと楽しい時間を共用することが出来ました。なので、どうか受け取ってください。そしてもし貴女さえ(よろ)しければ、またこうしてお店に入っていただくことは可能でしょうか?」

 

「そ~そ~、また来てくれよ段蔵ちゃん!」

 

「俺達ゃすっかり君のファンだからな、またヘルプに入ってくれた日にゃ(さつ)束握りしめて駆け込んでくるぜェ!」

 

 たまに続いて声を上げたのは、客席にいた他の男達。酔いで赤く染まった顔に満面の笑みを浮かべる彼らの温かい言葉に、段蔵の胸の内はじんわりと熱を孕む。

 

「………ありがとうございます、皆様。またこちらでお手伝いできる機会がございましたら、是非ともお声を掛けてくださいませ。」

 

 骨が軋むほどの握力で手首を掴まれ、痛みに悶えるキャサリンのくぐもった悲鳴を遠巻きに聞きながら、段蔵はお登勢の手から封筒を受け取る。両の手で持ったそれを愛おし気に胸の前で抱く彼女を一瞥してから、高杉は(きびす)を返す。

 

「じゃあ行くとするか、ご馳走さん。」

 

 礼を残し、出口へと向かっていく高杉の後ろを、段蔵が焦って追いかける。

 扉の引手に触れようとしたその時、不意に背後から声を掛けられた。

 

 

「おっと………そこの御仁、本当に今から外に出られるのでござるか?」

 

 

 高杉と、そして段蔵が振り返れば、一番奥のカウンター席に座っている一人の男が、深藍色のサングラス越しにこちらを見ていた。高麗納戸(こうらいなんど)の特徴あるコートを着込んだその男は傾けていたグラスを口から離し、高杉から目線を逸らすことなく話し続ける。

 

「まだ(ちまた)ではそれほど噂も広がってはおらぬが、近頃この界隈(かいわい)にて『辻斬り』による故殺が多発しているようでござる。そなたのような人目を惹く伊達男が、これ見よがしに美女を伴って歩いていては、格好の標的となるのでは?」

 

 男の置いたグラスの中で、ぶつかった氷同士がカラン、と音を立てる。口許に緩やかな笑みを湛えるその男の物言いに多少の苛立ちを覚え、お登勢もキャサリンも怪訝な態度をとる。

 

「ちょっとアンタ、いきなり何なんだい?」

 

「ソウダゾコノヤロー!大体店来タ時ッカラ妖シ過ギナンダヨテメーハ!何只ノモブキャストノクセニ個性的ナパーツデ身ィ固ヤガンダ⁉グラサンニヘッドフォンニロングコート、オマケニ三味線ナンカ背負イヤガッテ、初登場ニシテ読ンデル側ニインパクト与エテ覚エテモラオウトカ考エテンジャネーゾゴルァッ‼」

 

 読むのも入力するのもかったるい片仮名だらけの台詞から、男の()で立ちは他の客達と比べ、一風変わったものであることが伝わっていただけたであろうか。青筋を浮かべたキャサリンの濃ゆい剣幕に迫られても尚、男は顔色一つ変えることはない。

 

「…………………。」

 

 高杉は一言も発することなく、鋭い眼光を放つ右の深碧(しんぺき)で男を()め続ける。店内に重苦しい空気が流れ、お登勢の咥えた煙草から白い灰が落ちたその時、同じ間合いで高杉の失笑する声が漏れた。

 

「ご忠告をどうも、『見知らぬ』お侍さんよぉ。だが俺も段蔵(コイツ)もそこいらのならず者程度なら、指一本で(ひね)り殺せんだぜ。てめえの言う『辻斬り』がどんなモンかは知らねえが、出会っちまったンならその場で叩っ斬ってやらぁ。」

 

 嗤笑(ししょう)と共に前を向き、高杉は外へと歩を進める。今一度こちらに礼をしてから、段蔵も彼に続いて店を後にし、ぴしゃりと引き戸を閉める音の後には暫しの沈黙が漂った。

 

「………なあ、アンタ一体───」

 

 (おもむろ)に男の方へと向いたお登勢だが、その男が耳に当てたヘッドフォンに手を当て、何やら真剣に聴いている姿が目に入り、思わずそこで言い()してしまう。その数秒後、男もまた椅子から立ち上がり、現金を席へ置いたと同時に扉へと向かって移動を開始した。

 

「ちょっ、お待ちよ!」

 

「ああ、釣りは要らぬでござる。」

 

「あっ、どうも───じゃねーって‼さっきから何なんだよ、アンタ………まさかあいつらの事、何か知ってたりするのかい?」

 

「はて、何の事やら………拙者は今日、『たまたま』この店に立ち寄っただけでござる。先の者共のことなど、とんと知らぬでござるな……。」

 

 お登勢を始め、たまやキャサリン、そして他の客達までもが、その男に対し猜疑(さいぎ)心を強める。こちらに集中する視線をものともせず、男は三味線を(かつ)いだ背中を向け、出口へと足を踏み出していった。

 男の手が引手に触れた時、ふと彼は何か思い出したように顔を上げ、こちらへと振り返る。仄かに笑みを浮かべたその表情に、お登勢達は全身に怖気(おぞけ)を感じた。

 

「ところで、先のあの包帯男…………名は何と?」

 

「アッ、エエト────」

 

「悪いが、見ず知らずの胡乱(うろん)なヤツに、大切なお客の個人情報を流すわけにはいかないね…………さっさと消えな。」

 

 口を開こうとするキャサリンを、お登勢は手で制する。男を睨む彼女の眼には、明らかな敵意が宿っていた。

 

「………分かったでござる。ではこれにて失礼致す、中々良い店であったぞ。」

 

 後ろ手に閉められた店の扉。()りガラスの向こうに映る男の姿が完全に見えなくなるまで、お登勢達はいつまでもその箇所を睨み続けていた。

 

 

 

 

   *   *   *   *   *

 

 

 

 異形の月が照らす明かりの下、繁華街を外れ人気(ひとけ)の無くなった道を、言葉数も少なく歩く二つの影。

 灯り代わりの蝶を数匹(はべ)らせ、煙管を咥え月を見上げながら、高杉は紫煙と共に吐き出した。

 

「ったく、月があんなじゃなけりゃあ、逢瀬(おうせ)にゃぴったりの夜だったんだがな。」

 

「逢瀬……?それは高杉殿と、どなたのものですか?」

 

「あー………いや、いい。忘れろ。」

 

 ほんの軽い戯れを生真面目に捉えられてしまい、話題をはぐらかそうとした時、冷たく吹いた風が二人の間を通り抜ける。

 初夏とはいえ、まだ夜はやや肌寒い。「はっくちゅん!」と段蔵がくしゃみをし、その反動で鼻の穴から黒い液体のようなものが飛び出した。

 

「おいおい、絡繰(からくり)も風邪なんか引くモンなのかい?」

 

「いえ、これは先程お店で頂いたオイルが逆流して鼻から、っくしゅぁい‼」

 

「ちょっ、掛かんだろ………ったくホラ、これでも上に着ろ。」

 

 高杉は(みずか)らの羽織を脱ぐと、段蔵へと差し出す。しかし当の彼女はすぐには受け取らず、きょとんとした様子でその羽織を見ているばかりであった。

 

「……高杉殿、段蔵は絡繰ゆえ、体温の調節などは自動で行うことが出来ます。従って重ね着をしてもあまり意味は────」

 

「いいから着てろ、見てるこっちが寒ィんだよ………それに、ンな恰好してりゃあ自然と可笑しな虫が寄りついてくるってもんだ。」

 

 段蔵に羽織をかけてやりながら、高杉の眼は後方を睨みつける。視線の先にあるのは静まり返った民家、しかしそれらの一角から発せられる微弱な気配を、高杉は見逃さなかった。

 正体を突き止めるべくそちらへと一歩を踏み出したその時、「高杉殿!」と不意に段蔵が彼の名を呼んだ。

 

「おんや~ぁ?お兄さん達、こんなとこで逢引デートでもしてんのかなぁ?」

 

 後ろに気を取られ、橋の方からの足音と殺気に気付くのが遅れてしまう。利き手に刀を展開し振り向けば、そこには柄の悪い天人が数名、似非(えせ)笑いを浮かべ橋の上に集まっていた。

 

「久しぶりだな、絡繰のお嬢さん。今日のお仲間はそっちのひ弱そうな色男だけかい?」

 

 鼻の頭に絆創膏を貼った鮫頭の男が、歯を剥き出し笑みを湛えて前に出てくる。彼が口を開いたのを皮切りに、他の天人達も次々と好き勝手に喋り出す。

 

「この間はよくもやってくれたな?仲間はやられるわ俺らも怪我するわ、挙句にその後来たポリ公連中に大半がしょっ引かれちまうわで、こちとらてんやわんやだったんだぜぇ?」

 

「あーあ、俺ら心も体も傷ついちゃったなー。こりゃあ慰謝料たんまりブン取らねえといけねえや。ま、金が無きゃその代わりに、お嬢さんのはち切れボディで俺らにいいコトしてくれても構わねえんだけど?何ならそこの包帯の兄ちゃんでもいいんだぜ?アンタほどの美丈夫なら、男でもアリなんて変態も仲間(ウチ)にゃいるからなぁ?ヒャハハハハッ‼」

 

 聞くに堪えない下品な嗤い声が、静かな一帯に響き渡る。未だ何も言い返してこない彼らはさぞ怯えた表情を浮かべていることだろうと、期待に胸を躍らせながら鰐男は薄目を開いた。

 

「……………あり?」

 

 しかし、鰐男の目が映したのは、こちらに背を向け何やらひそひそと話をする高杉達の背中。時折ちらちらと様子を(うかが)ってくるその姿は、例えで言うなら学校の昼休み、複数で集まったJKが対象となる人物から距離を置き、遠巻きに観察しながら噂話や陰口を言い合っているような、そんな教室での日常のような雰囲気を(かも)し出している。

 予想外の出来事に二の句が継げないでいると、彼らの話してる内容が鰐男達の耳にも段々と聞こえてきた。

 

「………どうする?(やっこ)さんは俺らのこと知ってるようだが、俺の記憶ン中にゃあ手掛かりになるヒントの一文字も出てきやしねぇぞ。」

 

「少々お待ちくだされ、只今段蔵の記憶データを解析致しまする………。」

 

「お、お~い………テメエら────」

 

「あっ、特定出来ました。」

 

「おっ、何か分かったか?」

 

「はい、彼らは敵エネミーの『ならず者天人』です。クラスは(アサシン)(バーサーカー)、ドロップする素材は主に魔術髄液と記録しておりまする。」

 

「ほう、そこまで分かるたァ便利なモンだな。」

 

「もう少し詳しく確かめたい場合は、フリークエストを選択時に右下の小さなアイコンをタップしていただければ、エネミーの種別や獲得出来る素材などを簡単に確認することが────」

 

「だぁぁぁかぁぁぁらァァァッ‼ヒトをアイテム名で認識するなっつったじゃん⁉あとガン無視とかマジやめてっ!オジサン達そういうのホント(ハート)にクるから傷ついちゃうから‼」

 

「あ?聞こえてやがったのか髄液野郎。」

 

「高杉殿、マスターは未だ素材の数が足りないと困窮しておりまする。早急に彼らを片付け、獲得した素材を追加のお土産として献上いたせば、マスターもきっとお喜びになるかと。」

 

「ほう、そりゃあ名案だな………つーワケだテメェら、苦しみたくなきゃ動くんじゃねえぞ?安心しなァ、一太刀の元に()かせてやるぜ………ククッ。」

 

 煙管を愛刀へと変え、舌なめずりをする高杉の姿は、まるで阿修羅の如し。滲み出る魔力が火炎光背のように揺らめき、喜悦の微笑を浮かべる高杉に、鰐男は体の芯から慄然とする。

 

「は………ハハッ!んなハッタリが通用するとでも思ってんのか!たった二人でこの多勢を相手にしようってんなら、お望み通り揃って(なぶ)りモンにしてやらぁっ‼」

 

 鰐男が鞘から刀を抜き、高杉達へと斬りかかる。他の天人達もそれぞれ己が得物を構え、共に突進していく─────筈だった。

 

「ハッハハァ!行くぜ野郎ど─────あ、あれ?」

 

 ふと鰐男は、静寂(しじま)に響く足音が自身のものだけしか聞こえてこないことに気が付き、足を止める。

 どういうことだ………言いようのない違和感に恐怖すら覚え、鰐男はゆっくりと振り返る。すると彼の眼に映ったのは、虚空を見つめたまま立ち尽くす仲間の天人達。何人かの力なく垂れ下がった腕から、握っていた棍棒やら拳銃やらが次々と橋の敷石へと落下していった。

 

「お……おい、お前らどうし────」

 

 

 

 ずるっ、

 

 

 肩を叩こうと伸ばした手の先で、一体の天人の身体から何かが落ちる。

 ぼとん、と音を立て、足元に転がってきた『それ』に目を落とした途端、鰐男は目を見開き絶叫した。

 

「あ、あ、うあ、あああああああああああっ‼」

 

 空気を震わす程の悲鳴に、高杉と段蔵も異変に気が付く。呆然と立ち尽くす鰐男の前で、次々と(たお)れていく天人達。いずれも頭部や腕、上半身などが切り離され、そこから噴き上がった血飛沫が雨のように降り注ぎ、鰐男と橋を赤く染めていった。

 

「………どういうことだ?」

 

 高杉が呟いたのとほぼ同時に、鰐男がこちらへと振り向く。顔も衣服も、全身を鮮血で真っ赤に汚した男は肩を戦慄(わなな)かせ、けたけたと壊れたように笑い狂っていた。

 

 

 

 ─────そんな男の腹部から覗く、鋭い刃の先端。

 

 

 月夜の闇の中で淡く光る紅色に、流れた温血が伝い彩りを添える。

 

 がくがくと痙攣を繰り返した(のち)、完全に動かなくなった鰐男の躰は刃から抜け、地面へと崩れ落ちた。

 

 

 倒れた巨体の向こう─────そこに立っていたのは、今しがた鰐男を絶命させた大振りの刀を持った、深く(かさ)を被る何者かの姿。

 

 

「あれは………⁉」

 

 段蔵は直ぐ様、自身に搭載されている暗視スコープを起動し、対象を確認する。だが………おかしい。先日この機能を使用した際は、何の異常も見られなかった筈である。

 ならば、この視覚が今映し出しているものは、一体何だというのだろうか………?

 

「おい、段蔵。」

 

 高杉に名を呼ばれ、段蔵は漸く我に返る。暗視モードを解除し隣を見遣れば、琥珀の蝶に照らされた高杉の横顔にも、狼狽の色が浮かんでいるのが見て取れた。

 

「お前さん、『アレ』の姿を確認出来たかい?」

 

「え、ええ………しかし───」

 

「何でも構わん、教えてくれ…………お前が視た奴は、どんな姿(ナリ)をしていやがる?」

 

 露骨に出さずとも、彼が周章しているのは理解出来る。己の眼が映しているものが何であるかをこちらに求める高杉に、段蔵は今しがた視たものをありのままに伝え始めた。

 

「………段蔵の眼は、闇夜でも視界が利くよう設定されておりまする。異常が無ければ、それは対象の顔や輪郭までもを正確に映すことなど容易いもの…………しかし、段蔵が認識したあの者の姿はまるで………………まるで、『影』そのものにござりまする。」

 

 微塵も逸らすことなく、段蔵は自身が『影』と比喩(ひゆ)したモノを睨み続ける。彼女の言葉で合点がいった高杉は、その視線の先を(なら)って辿(たど)る。

 

 

 身動き一つせず、天人の屍と血痕に囲まれた『それ』の風貌は、頭のてっぺんから爪先までもが、深い闇のような黒一色で覆われている。顔があるべき箇所には目鼻などの位置が確認出来ず、また身に(まと)っている衣服までもが躰と完全に同化し、正に影そのものが実体化したような姿をしていたのだ。

 

 

「高杉殿、段蔵は以前に『あれ』と似た(エネミー)と戦闘を行った経験がございます………しかし、大凡(おおよそ)に把握出来ているだけでも、『あれ』は虚ろな残留霊基であった(まが)い物とは明らかに異なります。あれではまるで─────」

 

 そこまで言い()した段蔵を(さえぎ)ったのは、背を向けたまま向けられた高杉の左手。それがゆっくりと下げられていくのと並行し、彼の(おもて)もこちらへと向けられていく。

 

「段蔵、土産の入った袋はちゃんと持ってるな?」

 

「へ?は、はい。此方(こちら)にしっかりと。」

 

「よし、ならいい………彼奴(アイツ)は俺に任せろ。お前さんはその中身、絶対にひっくり返すンじゃねえぞ。」

 

 言うや否や、高杉はゆっくりと前進を開始する。段蔵が背後で呼び止める声も聞かず、彼が漸くその足を止めたのは、あの『影』の目と鼻の先の距離。

 

「………よぉ、『久方振り』じゃねえか。いや、こっちでのお前が俺の事を覚えてりゃあそうなるか。」

 

 片笑みを浮かべ、『影』へと話しかける高杉の利き手の刀が煙管へと変化し、彼は(おもむろ)にそれを口許へと運んでいく。

 得体の知れない、異形のモノを前に刀を納めた高杉に泡を食わされ、言葉を失う段蔵を余所に、火の灯った煙管から煙を堪能しながら高杉は続ける。

 

「つい先刻、酒場で辻斬りの噂話を聞いたばかりだが、ありゃあテメェのことだろ?まさかこんなトコでも、『そいつ』と共に派手に斬りまくってるたぁな。どうなんだい?人斬りにして妖刀、『紅桜(べにざくら)』の使い手……………岡田似蔵(おかだにぞう)さんよぉ。」

 

 岡田似蔵、高杉が人名らしきその単語を口にした途端、『影』が初めて反応を見せる。

 

『……ひヒ、ひヒはハは、ひャはハはハはハあハはッ‼』

 

 僅かに肩を動かしたかと思った刹那、『影』は人とも獣ともつかない嗤い声を、けたたましく辺りに響かせた。

 

『どコかデ()イだ匂いダと思エば、まサかアンタに会エるトはネぇ………イやハや光栄、実ニ光栄だヨ。』

 

 『影』……否、似蔵はひとしきり笑った後、被っていた笠を放り投げる。暗闇に覆われた顔をこちらへと向け、似蔵は()も嬉しそうに語り続ける。

 

『ずゥっト待っテたンだ、アンタみタいナ強者(ツワモノ)が来ルのヲ…………いヤ、アンタがイい。網ニ引っカかッた獲物がアンタで本当ニよカっタ。俺ノ光、俺ノ篝火(カガリビ)、俺の、俺ノ、俺の俺の俺ノ俺ノ、キヒヒヒィィィィッ‼』

 

 狂ったように嗤い、突進してきた似蔵の利き腕と同化した刀、『紅桜』が高杉目掛け振り下ろされる。対し高杉は身を(ひるがえ)し、重い一撃を(かわ)し似蔵の懐へと潜り込んだ。

 

「(コイツが似蔵だってンなら、コレで何とか────)」

 

 すると高杉は唇から煙管を離し、口の中を数回もごつかせた直後、似蔵の顔面らしき場所に煙を吹きかけた。

 今までの喫煙時に(くゆ)らせていたものとは明らかに違う、鮮やかな藤色の煙。それを正面から多量に吸い込んでしまった似蔵に、間も無く変化が訪れる。

 

『ゲほッ、小癪(コシャク)ナ─────へ、ヘぇ………あヘ、アひャァ………?』

 

 体を激しく痙攣させ、似蔵はその場にへたり込む。高杉が紫煙に()めた魔力によってそこには強力な麻薬に匹敵する作用が産まれ、それを(もろ)に吸収してしまった似蔵には、最早指一本動かす力すらも()がれてしまった。

 

「過度に鋭い嗅覚が(あだ)になったな………いや、テメェの最大の不幸は、今ここで、この世界で、テメェを知る俺に出会っちまったってコトだ。」

 

『あア……あハあアぁァぁ………!』

 

「(………さっきの具合を見りゃあ、相当な狂化を付与されてやがる。俺の術が解けてもあの状態じゃあ、(ろく)に情報を引き()り出すこともできやしねえ。なら───)」

 

 高杉の煙管が、再び刀へと姿を変える。月明かりを反射した刃先は、似蔵の首辺りへと静かに当てられる。

 

「じゃあな、今度こそ地獄に送ってやる。」

 

 力を込めた刃が、ぶれることなく斜めに振り下ろされる。ぶしゅ、と肉を断つ音と共に()ねられた頭部は宙を舞い、数回跳んでから敷石の上を転がり、やがて(ちり)となって微風(そよかぜ)に吹かれ、消えていった。

 

「高杉殿………もしや、今の者をご存知で?」

 

 刀に付いた汚れを軽く払い、鞘に納めこちらへと歩いてくる高杉に、段蔵は率直な疑問をぶつける。

 

「………奴は以前、俺の率いていた『鬼兵隊』に属していた野郎だ。盲目だが剣の腕は達人的でな、そこに『紅桜』を使わせりゃあ正に敵無しだった。ま、終いにゃ銀時に敗れたんだがよ。」

 

「『紅桜』とは………先程彼奴(きゃつ)が使用していた、あの紅色の刀のことでしょうか?」

 

「ああ、俺がとある一件で刀鍛冶の男と手を組み、造らせた対戦艦用機械(からくり)機動兵器。内蔵した人工知能によって戦闘の経緯をデータ化し、それを積むことによって能力を向上させていく代物だが………場合によっちゃ、使用者に完全に寄生して精神も肉体も喰らい尽くしちまう、正に妖刀なんて呼ばれた刀だ。」

 

 段蔵に事細かに説明をする最中、高杉の頭の中では別の………先の似蔵について、ずっと引っかかっている疑問が巡り続けていた。

 

 

『どコかデ()イだ匂いダと思エば、まサかアンタに会エるトはネぇ………』

 

 

「(………他の連中が覚えていなかった俺の存在を、どういうわけかあの似蔵の形をしたモノはハッキリと覚えていやがった。捕らえて吐き出させる手もあったが、俺に対してあれ程までの殺意を向けた野郎だ。ありゃちょっとやそっとで済む程度の狂化状態じゃあ無ェ。現界時に施されたか、(ある)いは────)」

 

「!─────高杉殿っ‼」

 

 突然、段蔵が声を張り上げ名を叫ぶ。

 我に返ったのと同時に、背後から凄まじい程の殺気が膨張し、噴き上がる感覚が肌で理解出来る。

 抜刀し、即座に振り向いて態勢を取る。だが眼前に広がる光景に、高杉は思わず我が眼を疑った。

 

 

 

『アあア、あアおアああオあ………ッ‼』

 

 

 

 地の底から這いあがる亡者のように、似蔵『だった』モノの躰が瘴気(しょうき)を伴いながら、再び動き始める。頭部を失っているにも関わらず、どこからが発せられる地響きにも似た唸り声が、夜闇の中に轟いた。

 

「……ハッ、くたばり損ないが。死んでも死にきれねェってんなら、俺がまた何度だって地獄に叩き落としてやらぁ‼」

 

 動揺を払うようにして声を張り、高杉は似蔵目掛け突進していく。頭を喪失したまま、闇雲に振り回される紅桜を回避しつつ確実に距離を縮め、彼の刃が再び似蔵に突き立てられようとした、その時だった。

 

 

『アあああアアああああアアアアアあああアアっ‼』

 

 

 吠える似蔵の胸部辺りに、突として浮かび上がる光。それが形となって現れた刹那、高杉は絶句した。

 

「な………っ⁉」

 

 

 

 伸びた(つの)、鋭い牙、そして二つの恐ろしい眼。

 

 

 それはあの時、松陽(せんせい)の背中に浮き出ていたものと同じ─────

 

 

 

『があアアあぁァァぁっ‼』

 

 その一瞬の狼狽が仇となった。似蔵の振り下ろした紅桜を避けるのに反応が遅れ、高杉はそのまま橋諸共(もろとも)叩きつけられてしまう。

 

「高杉殿っ‼」

 

 段蔵の声もかき消してしまう程の轟音を立て、橋には大きな穴が開く。天人達の遺体が次々と、浅い川へと落下していった。

 

「く……っ‼」

 

 橋の崩壊に巻き込まれつつも、宙で体勢を整えようとする高杉。直後、土煙と瘴気の(もや)から出現したモノに身体を掴まれ、土塀へと叩きつけられる。

 

「がっ、は………‼」

 

 痛みに顔を歪め、尚も抗おうと高杉は身を捩る。しかし彼を土塀に縫い付けるようにして拘束する、触手のようなモノが生えた巨大な黒い塊はびくとも動かない。

 

『……やァっト、捕まエた。』

 

 陥没した首から、新たな似蔵の頭部が生えてくる。

 薄れる靄の向こうに、紅色の光が(きら)めく。黒い塊は似蔵の左腕から生えたもので、気道を圧迫され咳き込む高杉の姿を眺める彼の表情は伺えないものの、()も愉快そうな声色から大凡の感情は読み取れた。

 

『ずゥッと斬ってミたカっタ……白夜叉でモなク、桂デもナく、憧憬(ドウケイ)焦がレてタアンタのコトを………あア、どこカら斬ッてヤロうか?少シずつ刻ンデやロうカ?それトも一思イニ心の臓ヲ貫いてヤロウか?あア、殺スのガ勿体なイクらいだ!キヒっ、キヒヒヒヒヒヒッ‼』

 

 まるで舌で舐めるような動きで、軽く当てられた刃先が二の腕の辺りをなぞる。着物を裂き痛みを伴う皮膚に、高杉は眉を(ひそ)めた。

 狂った嗤い声を上げる似蔵。そんな時、上から放たれる飛来物の気配を察し、紅桜を大きく振る。

 巻き起こった風により、飛来物……段蔵が投げた苦無(くない)は宙で勢いを殺され、一本として目標に命中することなく浅い川へと沈んでいった。

 

「高杉殿‼暫しお待ちをっ、段蔵も今そちらに────」

 

 

 

 

 ────ドスッ、

 

 

 

 段蔵の声を遮り、その音は鈍く響く。

 

 

 

 言葉を失った彼女の眼下で……………似蔵は、紅桜を高杉の胸へと突き立てていた。

 

 

 

 

『ひゃはっ、ひゃははぁハハハハはぁっ‼()ッタ、遂に俺ハぁ、高杉晋助をっ‼あひゃあっはハハははハははッ‼』

 

 

 

 似蔵の左手が離れ、力の抜けた高杉を支えるのは身体を貫く紅桜のみ。

 歓喜に身を震わせる似蔵を、段蔵はただ見下すことしか出来なかった。

 

 

 

「あ………ああ、ぁ………っ‼」

 

 怒りか、或いは悲しみか、あまりの出来事に声が出てこない。

 身を戦慄(わなな)かせ、呆然と立ち尽くしていたその時、不意に身体を後方へと引っ張られた。

 

「きゃ……っ⁉」

 

 尻餅をつき、着地したそこは橋台の手前。何が起きたのか理解出来ず、きょとんとしていた段蔵の背後で、シュルシュル……と微かな音が遠のいていった。

 

『ハハハ……………あ?』

 

 同時に、こちら側にも変化が訪れる。似蔵の周りを飛び回る琥珀の蝶の数が、次々と増えていっているのだ。

 それが何を示しているのかを似蔵が漸く気付いた時、そして俯いていた高杉の口角が吊り上がった次の瞬間、彼の身体が大きく()ぜ、そこには無数の蝶が四散する。

 高杉を(かたど)っていた蝶達は似蔵を取り囲み、パキン、と何処からか聞こえてきた指鳴りを合図に、それらは一斉に(ほむら)を纏い大爆発を起こした。

 

『が───あアアぁぁァぁァアあアアあっ‼』

 

 壊れた橋の穴から、天高く昇る火柱。

 身を灼く炎の熱に身悶え、似蔵は堪らず浅い川へと倒れ込む。しかし、詛呪(そじゅ)の焔はその程度では決して消えることはなく、似蔵は(ただ)れる躰を抱え、その場から駆け出す。

 川の向こうへと消えていく、炎に包まれた似蔵の姿。徐々に小さくなっていく灯りを呆けながら眺めていた時、ひらひらと段蔵の傍に一羽の光る蝶が飛んでくる。二匹、四匹と蝶はその数を増やし、やがて一つの大きな塊を形造った時、それは一人の英霊の姿となって現れた。

 

「高杉殿……!」

 

 驚きと、そして安堵の声で段蔵は其の名を呼ぶ。戦闘により着物は所々破れ、左腕に負った怪我も痛々しい。しかし高杉は不快感を露わにするでもなく、ポーカーフェイスで煙管を吹かせていた。

 

「高杉殿、ご無事で何よりです……。」

 

「お前さんが隙を作ってくれたからな、そん時に即席で作った分身と入れ替わることが出来た……奴は、逃げたみてェだな。」

 

「ええ、深手を負ったとはいえ絶命には至っておりませぬ。ここは段蔵が追跡を────」

 

「いや、いい。それより肩貸してくれねえか?久々に派手にやり過ぎちまった。さっさと眼鏡ン家行って休ませ………」

 

 こちらを向いた高杉の言葉が不意に止まり、どうしたのかと段蔵は首を傾げる。

 

「………段蔵お前、袋はどうした?」

 

「え……………あっ。」

 

 その時、段蔵の脳内で先程の光景がリプレイされる………似蔵が橋を破壊し、高杉が巻き込まれ落下した時、自分は咄嗟にその場から駆け出した。確か苦無を投げた時には既に両手は空いている状態。では恐らく、自分はどこかのタイミングで無意識のうちに袋を放り投げて…………

 

「………申し訳ございませぬ、高杉殿。この段蔵、腹を切る覚悟は出来ておりますので─────」

 

「ああ何だ、ここにあるじゃねえか。」

 

「そう、土産はここに────へ?」

 

 思わず口から出た間抜けな声と共に振り向くと、記憶はないが恐らく乱雑に扱ってしまったであろう、土産(モンブラン)の入った袋は橋から少し離れた納屋のすぐ横に、ちょこんと置かれていた。

 

「何と………面妖な………。」

 

「よし、中は崩れて無ェみたいだ。これでガキ共にどやされなくて済むぜ。」

 

 衣服に傷が擦れる痛みに眉を寄せつつ、高杉は袋を持って段蔵の元へと歩いてくる。

 

「ほら行くぞ、銀時達が騒いで待ってやがるだろうからな。」

 

「は、はい……。」

 

 不可思議な疑問が幾つも残り、やや煮え切らない思いを抱えたまま、段蔵は高杉の腕を担ぎながら、再び夜のかぶき町を共に歩き出した。

 

 

 

 

 

 

   *   *   *   *   *

 

 

 

 

 

「………ふむ、やはりあの男………間違いないようでござる。」

 

 彼らが去っていった橋の付近、建物の影にあるその場所で呟いたのは、スナックお登勢にいたあの三味線の男。

 耳に当てたヘッドフォンからは、無線らしき音声が僅かに漏れている。男は小型のマイクを口元に当て、再び話し始める。

 

「しかし、あの『影鬼』とあそこまで渡り合えるとは、恐ろしい男でござった。共にいたあの絡繰の少女も中々………はいはい了解した、そう怒りなさるな。」

 

 無線越しに聞こえる金切り声に顔を(ひそ)め、男は溜め息を交じえて零し、そして最後に呟いた。

 

 

 

 

「ではこの川上万斉(かわかみばんさい)、只今を(もっ)て帰還致す。良い報告を待たれよ…………我らが鬼兵隊、『総督』殿。」

 

 

 

 

 

 

《続く》

 


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