Fate/Grand Order 白銀の刃   作:藤渚

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【捌・伍】 暮夜

 

 

 

「いや~本当にゴメンね。また姉上の悪い癖が出てさぁ、空いてる部屋を物置にしちゃうんだもの。いっそ今晩だけでも銀さんと一緒の部屋だけでもと思ったんだけど、「銀ちゃんは僕と寝るの~!」ってアストルフォ君が銀さんにしがみついて離れないし………とりあえず明日、夜が明けたら片付けて部屋を一つ空けておくから、今晩だけでも我慢して……………藤丸君?」

 

 開始から一方的にずっと喋ってる眼鏡(しんぱち)、じゃなかった新八は、数行に(わた)る台詞が続いても藤丸からの返答どころか相槌(あいづち)すら返って来ないことを不審に思い、彼か腰を下ろしている場所────新八(じぶん)の部屋に敷かれた二組の布団へと目を向ける。

 

 新八から借りた寝巻に着替え、布団の上に正座の姿勢で座る藤丸………だが彼はぽかんと大きく口を開け、あちらへこちらへと(せわ)しなく動いているのは、彼の点になった眼だ。

 

 

 「空いてる部屋が無いから」と新八に相談を受け、それなら今夜だけでもと藤丸が提案した、新八の部屋でのお泊り会。ここが自室だと照れながら彼が通したその部屋は、所々和を想わせるデザインであり、広さも中々。藤丸のよく知る思春期男子の自室(プライベートルーム)であった………たった一つ、部屋中に展開されたアイドル・寺門通、通称お通ちゃんのファングッズが溢れている以外は。

 

 一番目を惹く等身大ポスターを始め、ミニポスターも壁の隙間を埋めるようにして貼られており、棚には今までにリリースされたCD、そしてライブなどのDVDがきちんと整頓されて並べられており、その横に飾られている精巧(せいこう)なフィギュアは、(ほこり)が被らないようしっかりとケース内に納められている。そして極めつけは、新八の布団の上に横たわる大きな抱き枕……そのカバーには溌剌(はつらつ)とした笑顔のお通が、彼女のイメージカラーである檸檬(れもん)色の可愛らしい水着姿で印刷されていた。

 

「………凄いなぁ。」

 

 ぽつりと漏らした呟きに、新八は彼が呆然としている原因が推しアイドルにまみれた自室のレイアウトであることに漸く気が付き、ばつが悪そうに口を開く。

 

「そ、そうだよね。こんなドルヲタの部屋なんて、気持ち悪いよね………ごめんよ。今からでも銀さんか誰かに頼んで、一緒の部屋にしてもらうから。」

 

 抱き枕を背にやりながら、徐々に沈んでいく声色で新八は言う。しかし彼が軽蔑してるであろうと思っていた藤丸の反応は、驚くほどあっさりしたものだった。

 

「別に、全然気にしてないよ?カルデアにもこういう部屋にしてるサーヴァントだって何人かいるし………それに、大好きなものをこれだけ応援できるって素晴らしい事だと思うよ。俺もカルデアに戻ったら、ポスターでも部屋に飾ろうかな………あ、これって新八君の言ってた親衛隊の?へ〜ちゃんと衣装まであるんだ!」

 

 壁に掛けられたお通の横に並ぶ寺門通親衛隊の法被(はっぴ)を眺め、感嘆の声を零す藤丸。一方の新八は彼から返ってきた予想外の言葉に(しば)しの間きょとんとしていたのだが、やがてじわじわと込み上げる歓喜やら気恥ずかしさやらで、リンゴ飴のように赤くなった頬を見られないよう抱き枕に顔を押し付けた。

 

「とととにかく、今日はもう寝ようか!あっ明日、マシュさんから何時頃に連絡が来るんだっけ?」

 

「んーと確か……9時頃だったかな?それまでにはスタンバイしておかないと。」

 

「そそそうだね!じゃあ、電気消すね!」

 

 妙に挙動不審になっている新八が気になりながらも、藤丸は彼が敷いてくれた布団の中へと体を潜らせる。

 カチッ、と新八が電気に繋がる(ひも)を引くと、部屋の中は一瞬だけ闇に包まれるものの、障子紙から突き抜ける外の月明かりが、ぼんやりと室内を照らしていた。

 天井にまで貼ってあったポスターのお通と目が合い、驚いて声を上げてしまいそうになったその時、「……ねえ」と新八から声を掛けられた。

 

「へ?な、何?」

 

「あのさ……僕、君にずっと聞いてみたいことがあったんだけど……いいかな?」

 

 眼鏡(ほんたい)、やべっルビ間違えた。もとい眼鏡を枕元に置きなから、新八は藤丸に問い掛ける。いやに改まった態度の新八を不思議に思いつつも、藤丸は特に気にすることなく「いいよ」とだけ答えた。

 

「それじゃあさ、始めに一つ………藤丸君はさ、いつからマスターをやってるの?」

 

「おおう、いきなりそんな質問が来るとは………そうだねえ、俺がカルデアに来たのが2015年だから、ええと………かれこれもう二年くらいは経ってるかな。」

 

「そんなに………その間、たまには家に帰ったりしてるの?君の親には、友達には会ったりしてる?」

 

「………いや、まだ一度も里帰りなんて出来てないかな。だって人理を修復するまで、カルデアの外にいた人達は皆『いなくなって』いたからね………でも懐かしいなあ。こうして誰かの部屋に布団を敷いて寝るなんて、小さい時友達の家でやったお泊り会以来だし。それに母さんの手料理………また食べたいな。」

 

 ぽつりと零したその直後、藤丸は急に黙ってしまった新八の方を向く。愕然とした表情でこちらを見つめる彼の姿にハッと我に返り、慌てて弁解を述べた。

 

「でででもでも、ちゃんとカルデアでの仕事が終わったらちゃんと帰る予定だよ⁉だからその辺は大丈夫だから、カルデアはそんなブラック………いや、既に片足突っ込んでるようなものだからグレーかな?いやとにかく、別にカルデアは極悪組織とかそんなんじゃないんだからね!勘違いしないでよねっ!」

 

「何で最後の方ちょっとツンデレ風になってるの………それじゃ次、藤丸君はどうしてマスターになったの?」

 

「マスターになった理由、か………そもそも俺がカルデアに来た理由が、コミカライズ版だと偽装した献血員の人が実はカルデアの職員で、そっから訳も分からず拉致同然に連れてこられたって感じになってるけど。」

 

「いやいやいや、それって立派な誘拐事件だよね?人理を救う組織が犯罪起こしちゃってるけどそこんとこいいの?物語を円滑に進めるためとはいえ、そんな事案もローションスライダーの如くスルーしちゃうとか、やっぱり悪の組織疑惑拭えないんだけど?」

 

「まあまあ新八君、細かいことは一旦部屋の隅にでも置いといて………マスターになった理由、俺がマスターを続ける理由、か………んん~改めて言葉にするとなると、結構難しいなぁ。ちょっとまとめるからシンキングタイムちょうだい。」

 

 頭を乱雑に掻いてから、藤丸は暫しの間黙考に入る。うんうんと(うな)る藤丸をぼやけた視界に映しながら、新八は先程彼が言っていた内容を思い返していた。

 

「(自分達以外の人間が消失、か………もし僕が藤丸君の立場になったら、どうなるんだろう。理由(わけ)も分からず知らないところに連れてこられて、今日から人類を救うために死と隣り合わせの仕事を頑張れ、だなんて言われたら………そんなの、数ヶ月分も給料が支払われない万事屋の方がまだマシに思えて………いや全然マシじゃねえわ。家賃もまともに払えないあの天パが従業員に給料払う日なんて、後にも先にも本当に来るんだろうか………。)」

 

 途中から脱線した先で銀時に対する怒りを募らせていた新八であったが、「あのさ」と横から掛けられた藤丸の声により我に返る。

 

「え、なっ何?もし言いにくかったら無理して言わなくてもいいんだよ?ゴメンね、変な質問して─────」

 

「そういえば、カルデアにもいたんだよ?君みたいにアイドルが好きな人が。」

 

「………へ?」

 

 唐突に告げられた一言に、新八はきょとんとする。こちらを向く新八の丸くなった目を一瞥してから、藤丸は続ける。

 

「その人は、俺がカルデアに赴任した時から働いてて、トップの地位にいた人がいなくなった後も、ずっとカルデアを………俺達を支えてくれてた。」

 

 静寂の中に、時折微かに聞こえる近所の犬が吠える声。何も言わずに聞いている新八が今どんな顔をしているのか気にしながら、藤丸は再び口を開く。

 

「お人好しで、どこか抜けてて、甘いお菓子が大好きで、『マギ☆マリ』ってネットアイドルの話になると我を忘れて熱くなって…………もしも新八君と会わせてあげることが出来たなら、きっと凄く意気投合して仲良くなれてたんじゃないかな?」

 

 明るい声色で絞り出す藤丸の声が無理をしていること………そして、彼の語るその存在(ひと)は、もう既にいないのだと、新八は悟った。

 

「……それでさ、ここからが質問の答え。俺が今日まで、カルデアのマスターを続けてこれた理由は色々あるけど、その一つには、『彼』がいてくれたから………そして、その人が残してくれた言葉が、いつも背中を押してくれたからなんだ。」

 

 語尾が震えそうになるのを誤魔化そうと、藤丸は大きく息を吸いこむ。そして吐き出した空気と共に、静かに呟いた。

 

 

 

「『 ─────キミたちなら、大丈夫』 」

 

 

 

 それは新八が思っていたよりもあまりに飾りっ気がなく、あまりに素朴な言葉。

 

 しかし、どこか温かさを感じさせるこの言葉が、何度も藤丸を奮い立たせる原動力となっているのだと理解すると、新八の胸や目頭にも熱い感情(もの)が込み上げてくる。

 

「……えっと、上手く言えなくてゴメンね?ていうかもう眠いよね?すっかり話が長くなっちゃって────」

 

「ねえ、藤丸君。」

 

 唐突に声を発した新八に驚き、布団ごと跳ね上がった藤丸は「うぇいっ⁉」と奇怪な声を上げてしまう。

 

「もしよかったら、この間君が銀さんに話してくれたように、僕にも教えてくれないかな………君がこれまでに歩んできた旅路と、君を支えてくれた『アイドルが好きだったその人』の話もさ。」

 

 そう言うと新八は口角を吊り上げ、二ッと笑う。

 彼の言葉に瞠目(どうもく)していた藤丸だったが、やがて彼もその返答の代わりに、新八の浮かべた悪戯っ子の様な同じ解顔(スマイル)を浮かべてみせた。

 

 

 

 

 

   *   *   *   *   *

 

 

 

 

  コン、コン。

 

 皆が寝静まった夜半の廊下に、木製の扉を軽く小突く音が響く。

 部屋の内側にいる主の返答を待たずに、横へとスライドした扉の向こうから桂が現れた。

 

「高杉、もう寝たか?」

 

 後ろ手に扉を閉め、桂は部屋の主である高杉の方へと顔を向ける。

 しかし名を呼ばれた本人は、桂の登場にも問いにも反応を見せず、先刻アストルフォが敷いた布団の上……ではなく、薄暗い部屋の隅に腰を下ろした状態のまま動かない。

 右半身を壁に(もた)れかけている彼の肩は、先刻桂が彼をこの部屋へと連れてきた時よりも大きく上下していた。

 

「!────おい、高杉‼」

 

 明らかに普通でない……いや、そもそも彼はここに来た時から普通の状態ではなかったのだが、ほんの数刻前に見た時より体調が悪化しているのは明らかだった。

 慌てて駆け寄った桂の手が、高杉の左肩へと置かれようとした時だった。

 

「触るなっ‼」

 

 突如張り上げた声と共に、バシッと乾いた音が室内に響く。

 払われたその手に軽く痛みを覚えたが、それよりも大きな驚愕に桂は目を見張る。

 

「……高杉、お前………。」

 

「………悪ぃ。だがお前も、迂闊(うかつ)に触れないほうがいいぜ─────()()()んだろ?お前にはよぉ。」

 

 ゆっくりと頭を上げ、高杉の(おもて)がこちらを向く。そこに浮かんだ顰笑(ひんしょう)の額を、一筋の汗が伝っていた。

 

「………ああ、視えている。口には出さなかったようだが、恐らくダヴィンチちゃん殿にも視えていたことだろうな。」

 

 眉間に皺を寄せ、言い終えると同時に桂は息を吐く。

 

 

 ゆっくりと持ち上げた瞼の下から覗いた彼の柴色(ふしいろ)の瞳は、高杉を─────否、高杉の左腕に(まと)わりつく、黒い煙のような『何か』を映していた。

 

 

 神楽達とお妙を送ってきた後、この恒道館へと戻ってきてから初めて高杉の姿を目撃した際は、それは只の(もや)程度でしかなかった。しかし微量であれど、そこから伝わってくる禍々(まがまが)しい気配に驚異し、先刻のように詰め寄ってしまったのだった。

 

 黒い靄は高杉の負った左腕の傷から噴き出るようにしてその量を増やしていき、カルデアとの通信が復活した時には、彼の煙管の煙が(かす)んでしまう程にまで膨れ上がり、高杉の身体にねっとりと絡みついていた。

 

 ふと周りを見れば、眼前の異様な光景に自分以外は誰も気付いてはいない。それどころか、高杉本人でさえも自信を(むしば)んでいる靄の存在を認識出来てはいないようであった。

 その事実に唖然とし、表に出さずとも狼狽する桂であったが、藤丸の通信機が展開した空中ディスプレイに映ったダヴィンチが、怪訝(けげん)な顔で高杉を凝視していることに気が付く。何かを言い掛けた彼女であったが、高杉の鋭い眼光に牽制(けんせい)され、それ以上の追求を阻まれてしまった。

 そこから暫くはマシュとダヴィンチを筆頭としたカルデア側と、こちらは藤丸達や銀時らによっての状況確認が行われていたのだが、やはりダヴィンチの眼は所々の合間で高杉を睨んでいる。ふとその時、同じように高杉を観察していた桂の視線が彼女のものと()ち合う。

 それは魔術師(キャスター)である者同士の直感と言うべきか………彼らはその瞬間、互いに視えているものが全く同じであることを悟った。

 

「(恐らく、魔力の察知能力に優れた者………取り分けキャスタークラスのサーヴァントであれば、アレを検地することが出来るらしい。しかしこれは────)」

 

「なあヅラよ………お前の目に見えてるモンの正体、一体何だと予想する?」

 

 (おもむろ)に動かした深碧の右目が、険しい表情の桂を映す。高杉から一歩距離を置いていた彼は、「…ヅラじゃない、桂だ」とお決まりの一言を返してから数秒の後、重たい口を再び開いた。

 

「上手くは言えんのだが…………恐らく、それは呪いの(たぐい)だ。俺の目には、お前を覆う黒い煙のように見えている。しかも厄介なことに、呪いを受けたであろうその傷口からどんどん広がってきているぞ。」

 

「……黒い煙、ねえ。」

 

 そう呟いた高杉の脳裏に(よみがえ)るのは、先刻討ち洩らしたあの『岡田似蔵(おかだにぞう)』の姿をした得体の知れない何か。

 

「カルデアとの通信の際、段蔵殿と共に貴様を襲った存在について話していたな?『シャドウサーヴァント』、と藤丸君達は呼んでいたか。」

 

「ああ。(やっこ)さん、頭のてっぺんから足の爪先まで真っ黒黒助だったぜ。この腕はそいつの紅桜(もど)きにやられたモンだ。お前さんの言う呪いとやらも、どうやら奴の仕業ってことで決まりだな。」

 

「だが呪いと分かったところで、対処する方法が見つからん。生憎(あいにく)俺は解呪を施せるスキルは持ち合わせておらんし、こうなれば明日の朝にでも、急ぎカルデアと相談をして………一先(ひとま)ず高杉、傷の状態はどうなのだ?」

 

「怪我自体は大したことねぇさ、だが─────ぐっ‼」

 

 不意に言葉を詰まらせ、高杉は壁に凭れたまま(うずくま)る。同時に彼の腕から噴き上がる凄まじい黒煙の量に、桂は両の目を見開いた。

 

「高杉っ‼」

 

 咄嗟に手を伸ばし、前のめりになる桂。だが高杉は黒煙に覆われた左腕を持ち上げ、それ以上近付かないよう示してくる。

 

「はっ……参ったな、まさかこんなに進行が早ぇたあ思わなかった。サーヴァントでなかったら、間違いなく即死してるレベルだ………。」

 

「高杉……まさかお前、呪いが既に霊核にまで…………くそっ!」

 

 開いた桂の手から、幾本もの青の巻物が展開される。解かれた巻物の紙面に書かれた呪文が次々と浮き上がり、敷かれた布団の周りへと集まっていく。やがてそれらの文字達は円形を成し、魔法陣となって床や布団に刻まれた。

 

「高杉、ここまで動いてこられるか?厳しいのなら俺が手を───」

 

「いらねえ、っつってんだろ………ガキみてえな扱いすんな………。」

 

 荒く呼吸を繰り返しながら、高杉は重たい体を引きずるようにして動かす。時間を掛けて布団まで辿り着くと、彼は仰向けになって倒れ込み、大きく息を吐いた。

 

「急ごしらえの魔術だが、その陣の中にいれば呪いの進行を多少遅らせることが出来る(はず)だ………今夜は俺もここにいてやるから、朝まで何とか踏ん張れ。」

 

「はー………つきっきりの看病たぁ、俺が銀時と揃って風邪(こじ)らした時以来じゃねえか。」

 

 ククッと低く笑う高杉であるが、未だに安定しない呼吸と止まらない冷や汗が桂の不安を(あお)る。

 

「……とにかくもう寝ろ、少しでも体力を残しておかんと。明日はリーダーやアストルフォ殿達との約束もあるのだぞ?」

 

「ヅラ、お前だって休んどけ……また昨日みてえにふらついても、今の俺じゃ支えてやれねえぜ?」

 

「うるさい。それとヅラじゃない、桂だ。」

 

 魔法陣への魔力供給が切れないように手を施すため、桂は布団の傍らへと腰を下ろす。掛け布団を被せてやろうと上体を動かしたその時、彼の耳を小さな………ほんの小さなささめき声が(くすぐ)った。

 

 

 

 

「なあ………もしもン事があったら、ガキ共と藤丸と………松陽(せんせい)に、代わりに謝っといてくれや。」

 

 

 

 

 ───布が擦れるよりも小さな(おと)で紡がれたその言葉を、桂が拾ったかどうかは分からない。

 

 

 

 乱暴に布団を被せる桂の伏せられた顔の下では、唇を強く噛む口元が(わず)かに震えていた。

 

 

 

 

 

 

   *   *   *   *   *

 

 

 

 カチ、コチと音を刻む時計が、間もなく寅の下刻を示す。

 

 静まり返った志村家の居間では、定春とフォウが丸まった姿勢ですやすやと眠りについていた。

 

「プゥ、プゥ…………フォ?」

 

 熟睡していたフォウの耳に潜り込む、(かす)かな物音。まだ微睡(まどろ)みの中にいるフォウが寝惚け眼で見た者は、静かに開かれる隣の部屋の襖であった。

 

「フォウ……?」

 

 徐々に意識が覚醒していき、フォウはその襖を凝視した。すると開けられた部屋の向こうから、見覚えのある亜麻色の髪がさらりと揺れた。

 

「フォウッ。」

 

 現れたその人物が誰であるかを理解すると、フォウは飛び起き襖の方へと移動していく。起きる気配のない定春を避け、一直線に駆けてくる小さな動物の姿を見た『彼』は、襖に手を掛けたまま動きを止めた。

 

「フォウッ、フォウ。キュ~……。」

 

 『彼』の足元に辿り着くと、フォウは甘えた声で頬を()り寄せる。すると上から伸びてきた二本の手に優しく包まれ、フォウはそのまま抱き上げられる。

 

「フォ~ウ、フォ…………フォ?」

 

 温かい手に背中を撫でられ、すっかりご満悦していたフォウであったが、細めていたクリクリの目を開いたその時、彼は一つだけ違和感を覚える。

 

 今、自分を抱き上げ撫でてくれているのは、紛れもなく『彼』───松陽であることは無論記憶している。

 縁側から吹く微風に流れる長髪も、自分に向けられた柔和な表情も……花の香とは違う優しい匂いも、全て自分の知っている筈の松陽のものであることに間違いは無い。

 

 

 しかし、フォウが抱いた違和感は松陽の………こちらを見下ろす彼の、瞳の色。

 

 

 自分を見下ろし、穏やかな光を湛えている松陽の眼はフォウの知る琥珀に近い色ではなく………暗い室内でも(ほの)明るいと感じるほどの、柳色をしていた。

 

 

「フォウ………?」

 

 外からの月明かりで()っすらと照らされる室内は、時計の音と定春の寝息だけが響く。

 パチパチとまん丸の目を(しばた)かせていたフォウだが、不意に視界がくるりと反転し、手足が畳みに触れた。

 

「フォ?」

 

 床に降ろされたことに気付いたのと、松陽がどこかへと歩き出したのはほぼ同時。足音を立てずに居間を後にしようとする彼の背中を、フォウは小さな歩幅で追いかける。

 

「おや……君も一緒に来ますか?」

 

 (ひそ)めた静穏な声が、松陽を見上げるフォウへと掛けられる。自分の知っている彼とは随分声色が落ち着いてるなぁと思いつつ、「フォウッ」と短く返答すると、松陽は笑みを浮かべて歩を進めた。

 

 

 

 居間から出ると、そこは幾つもの木製の扉が連なる廊下となっていた。恐らくこの向こうで、銀時達が休んでいるのであろう。たまに扉越しに聞こえてくる(いびき)を立てた耳で聞き流しながら、フォウは歩き続ける松陽の背中をてちてちとついていく。

 と、ここで松陽の歩みがピタリと止まり、余所見をしていたフォウは彼の足に鼻を軽くぶつけてしまい、「ンキュッ」と小さく鳴いた。

 

「……ああ、ここですね。」

 

「フォウ?」

 

 ぽつりと呟いた松陽の声に反応し、フォウは視点を彼の向いている正面へと向ける………そこにあるのは、一番奥にある部屋への扉。

 松陽はゆっくりと扉へと近付き、音を立てないよう慎重に開いていく………行燈(あんどん)の明かりだけが灯る薄闇の室内には、床や布団に施された魔法陣や術式に囲まれて横たわる高杉と、胡坐(あぐら)の姿勢のまま眠り込んでいる桂がいた。

 

「ぅ………ぐ、うぅ……っ‼」

 

 絞り出すような(うめ)き声が漏れ、高杉の(かお)に苦悶が浮かぶ。彼の左腕を侵食する呪いは、遂にはキャスタークラスのサーヴァントでなくとも可視化出来る程に進行しており、立ち昇る黒煙に「キュッ⁉」と悲鳴を上げたフォウは、松陽の背後へと逃げ隠れた。

 

「…………………。」

 

 松陽は無言のまま、室内へと足を踏み入れていく。揺れた髪の隙間から覗いたその表情に浮かぶのは、悲哀と心痛………そして、僅かな怒気。

 一歩、また一歩と進んでいき、彼は高杉の()している布団のすぐ横で止まると、その場で膝を折り曲げた。

 

「大丈夫………もう、大丈夫ですよ。」

 

 まるで幼子をあやすような声音で囁き、松陽は利き手で高杉の頬にそっと触れる。冷え切った肌に、掌を通じて伝わる温もりが心地良く、高杉の表情がほんの少しだけ和らぐ。

 

「フォウ……?」

 

 その様子を遠巻きに眺めるフォウの見つめる先で、松陽の手が高杉の頬から左肩へと撫でるように移動していく。自身にも黒煙が纏わりつくことなどお構いなしに、彼の白い手が包帯の巻かれた傷口に触れた、その時だった。

 

 

「フォ……ドフォーゥッ⁉」

 

 

 

 

 ─────突如として幽暗を照らす、白く淡い光。

 

 

 しかし、この明かりは行燈が(もたら)したものではない………来ている寝巻を突き抜けるようにして、松陽の背中に刻まれているとされていたあの鬼を模した刻印が、光を放っていたのだ。

 

 

「フォウゥ…………フォ?」

 

 あまりに唐突な出来事に一驚を喫していたフォウであったが、同時に訪れた変化にも(せわ)しなく目を白黒させる。

 

 室内を覆い尽くさんとばかりに溢れていた、黒い煙。高杉を蝕み、苦しめていた呪いの具現─────それが少しずつ、徐々にではあるが確実に収束していっている。

 

 

 

「────────、─────。」

 

 

 

 僅かに動いた松陽の唇が、何かを呟く。

 

 それが一体どんな言葉を紡いだのか、残念ながら聞き取れた者はここにはいない。

 

 

 やがて黒煙が晴れ、同時に松陽の刻印の光も完全に収まったのを確認すると、フォウは漸く室内へと小さな足を踏み入れる。ゆっくりと松陽の手が離れた後には、まるで先程の苦痛が嘘だったかのように、規則正しい呼吸で静かに眠る高杉の姿がそこにはあった。

 

「フォウ……キューゥ?」

 

 松陽の背後に座り、てしてしと前足で背中を叩く。その動作に反応し振り向いた松陽の額には、幾筋もの汗が伝っていた。

 

「………ふう。」

 

 自身よりも、穏やかに寝息を立てている高杉の額に残る汗を拭ってやる松陽。その(おもて)には、心底からの安堵の微笑みが浮かんでいる。

 ふと彼が顔を上げると、今しがた起きた出来事にも目を覚ます様子も見せず、開いた口から涎を垂らして眠りこける桂の姿が目に止まる。

 展開された魔法陣、辺りに散らばる複数の巻物、そして俯いた目下にうっすらと浮かぶ黒い(くま)から、彼もまた高杉を案じて自身を(おろそ)かにしてまでも、懸命に尽くしてくれていたのだろう。時折「ぬ゛っ」と奇妙な唸り声を洩らす姿に含み笑いながら、松陽は無防備な彼の頭頂に掌を乗せた。

 

貴方(あなた)も、たくさん頑張ってくれたんですね………ありがとう。」

 

 柳色の瞳に光を湛え、優しく声をかけながら頭を撫でてやると、閉じていた桂の口許がほんの少しだけ緩んだ。

 

 

 

   ───────ピシッ、

 

 

 

 不意にどこからか聞こえてきた、不可解な音。

 

 それはまるで、圧力をかけた硝子(がらす)(ひび)が入った時のような、そんな音。

 

 どこから聞こえてきたのだろうとフォウが耳を立てていた時、松陽の様子に変化が訪れた。

 

「ぐっ………うぁっ、う………‼」

 

「フォウ⁉」

 

 胸元を押さえ、突如苦しみ出す松陽の姿にフォウは驚き狼狽(うろた)える。

 

「っ………いけませんね。少し無理を、させすぎました……。」

 

 額から首筋から(にじ)む汗が床へと伝い落ち、開いた口から乱暴に酸素を取り入れながら、松陽はゆっくりと立ち上がる。来た時と同様、ただし足取りは先程よりも重く、それでも二人を起こさないようにと極力音を立てずに扉へと向かって行く。

 

 

 

 

「おやすみなさい………()()()()()。」

 

 

 

 

 ゆっくりと閉ざされていく扉の向こうに消えていく寝顔に微笑みを送り、松陽は扉を閉める。

 

 そのまま(きびす)を返し、来た方向を戻っていこうとする松陽の後に、フォウもついていく。だが二、三歩進んだところで松陽の身体がぐらりと揺れ、咄嗟に寄りかかった壁を伝ってそのまま床に座り込んでしまった。

 

「フォウッ、フォーゥ!」

 

 松陽の膝に飛び乗り、フォウはその顔を覗き込む。すると彼の耳に聞こえてきたのは、一定のリズムで繰り返される呼吸音……そう、寝息であった。

 

 どこか(うれ)いを湛えていた柳色の瞳は完全に閉ざされ、そこにあったのは先刻の悠々たる雰囲気とは打って変わった、フォウのよく知る松陽のあどけない寝顔。

 

「フォウ……?」

 

 目を覚ましてからの変容振りと、今の彼との大きなギャップに困惑するフォウであったが、まあとにかくこんなところで寝ていては風邪を引くだろうと、前足後ろ足ついでに尻尾も使って、懸命に松陽を起こそうとする。

 

「んん……おいたは駄目ですよぅ、フォウさん……。」

 

 すると寝言と共に伸ばされた手がフォウを掴み、小さな体をがっちりとホールドしてしまう。

 

「フォッ、フォウッフォウフォウ………キュ~ゥ。」

 

 じたばたと抵抗を試みるも、そのまま熟睡の態勢に入ってしまった松陽の腕から抜け出すことは容易ではない。そうしているうちに歩いて騒いだ疲れのツケが今回ってきたようで、抗えない睡魔にフォウは逆らうことを諦め、松陽の膝で体を丸めた姿勢を取ると、再び夢の中へと旅立っていった。

 

 

 

 

 

  ────空に浮かんだ『(つき)』が、払暁(ふつぎょう)と共にその瞼を閉ざしていく。

 

 

  朝日の昇らないこの江戸(くに)に、再び朝が来ようとしていた。

 

 

 

《続く》

 

 

 

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