Fate/Grand Order 白銀の刃   作:藤渚

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【弐】邂逅(Ⅲ)

 

 

「いいアルか?転げ落ちないよう、しっかりと掴まってるヨロシ。」

 

 神楽の言いつけに頷き、松陽は定春の背中に恐る恐る腰を下ろす。伏せていた巨体が彼女の合図で立ち上がると、案の定バランスを崩した松陽が後ろへと仰け反った。

 

「わっ!とと……大丈夫ですか?」

 

「す、すみません……ありがとうございます。」

 

 間一髪支えに入った新八により、難を逃れた松陽は彼に礼を述べ、定春の背中に横向きで座る姿勢を安定させた。

 

「わぁ……っ!」

 

 少し高くなった視界に、目を輝かせた松陽は感嘆の声を上げる。歩く振動で触れた箇所から伝わってくる、もふもふとした毛並みも心地良かった。

 

「ふふん、定春の背中は私の特等席アル。今日は特別にお前に貸してやるネ、感謝しろヨ?」

 

「わんっ。」

 

「はい!ありがとうございます、神楽さん。」

 

 向けられた笑顔は眩しく、嫌味や(よこしま)なものは微塵も感じられない。一瞬きょとんとした神楽も、先程までの自身の態度が急に恥ずかしくなり、ばつが悪そうに染まった頬を掻く。

 

「さ……さん、は要らないネ。もっと砕けた呼び方がいいアル。」

 

「そうですか?なら………神楽ちゃん、で如何でしょう?」

 

「うむ、それでいいアル!」

 

 むふ~、と満足気に鼻を鳴らす神楽。そんな彼女の隣で、新八は何か言いたげに松陽を見ている。

 

「おい新八、何もじもじしてるアル。おめーも松陽に名前呼んでほしいんだろ?」

 

「えっ⁉えと、その………はい。」

 

「ふふっ。それでは、新八君とお呼びしてもよろしいですか?」

 

「は、はい!よろしくお願いします!」

 

「くーん……。」

 

「定春君、背中に乗せてくださってありがとうございます。重いでしょうけども、どうかよろしくお願いしますね?」

 

「わんっ、わんっ!」

 

 互いの顔を見合わせ、微笑み合う三人と一匹。少し先を歩く藤丸達も、胸の内がほっこりと温まる光景に笑みを零した。

 

「いやぁ尊い、尊いねえ……。」

 

「マスターが両手を合わせるその想い、絡繰の段蔵でもよく理解出来る気がいたしまする……。」

 

「フォウ、ンキュッ。」

 

「だよねー、尊いよねぇ。尊みMAXだよねぇ。」

 

「アンタ、ちゃんと意味分かってその言葉使ってんでしょうね…………あら?」

 

 エリザベートが何気なく見やった先に、一人先頭を歩く銀時の後ろ姿。団欒する新八達に目もくれることなく、一定の歩幅で進んでいく彼の背中に、エリザベートは早足で近寄っていった。

 

「ちょっと、白モジャ。」

 

 エリザベートが声を掛けると、銀時はいつもの死んだ魚のような目をエリザベートへ向ける。

 

「あ……なんだ、おめえか。」

 

「なんだ、とはご挨拶ね。それよりなぁに?さっきからボーっとしちゃって、髪の毛だけじゃなくお(つむ)の中までクルクルパーになっちゃったのかしら?」

 

 けらけらと笑われ、小馬鹿にした態度をとる彼女に、先刻までの銀時なら食って掛かっていただろう。だが彼は特に言い返してくる素振りも見せず、再びぼんやりした様子で歩いていくだけだった。

 

「……んもう何よ、つまんない男ね!」

 

 すっかり鼻白んでしまったエリザベートは、去り際にあっかんべーを銀時にお見舞いし、そそくさと藤丸達の元へと戻っていってしまう。

 再び一人となった銀時、川沿いに建ち並ぶ家屋の向こうに煌く街灯りを眺める彼だが、その景色は頭の中に入ってなどいなかった。

 

「(………一体、どうなってやがんだ。)」

 

 振り向いた彼の眼に映るのは、新八や神楽と楽し気に会話をする松陽の姿。彼らの話や反応に向けられる笑顔は、銀時の記憶の中に在るものと何一つ変わらない。

 笑顔だけでなく、容姿、声、仕草……出会ってからほんの僅かの間でも、彼の『吉田松陽』である要素を多々認識している。ならば、この男は自分の恩師である『吉田松陽』なのだろうか……しかし銀時は、どうしてもそれを事実と肯定出来ないでいた。

 

「(そんな筈はねえ、だってそうだろ………松陽(せんせい)は『あの時』、俺が───)」

 

 

 唐突に、脳裏で再生される過去の記憶。

 

 曇天の空の下、多くの敵兵に囲まれる自分。

 

 縛られ、囚われた二人の友の間を通り、向かったのは背を向けた恩師の元。

 

 刀を構えた自身の手が震える………嫌だ、嫌だ。この人を(うしな)いたくない。

 

 

 ゆっくりと、こちらに振り向く彼の口が、小さく言葉を紡いだ───。

 

 

 

『─────。』

 

 

 

 

 

「……さん、銀さん!」

 

 耳元で張り上げられた声に驚き、そこで我に返る。隣を見ると、新八が呆れた様子でそこに立っていた。

 

「もう、何ぼんやりしてるんです?さっきから何度も呼んでるのに。」

 

「あ………悪ぃ、考え事してた。」

 

「考え事って………ひょっとしなくても、松陽さんのことですよね?」

 

 的を射た新八の指摘に、うっ、と低く声を洩らす銀時。あからさまに図星だという分かりやすい反応に、新八は溜め息を吐いた。

 

「全く、僕らには話してくれたことなんてなかったから、あくまで僕の推測ですけど………大切な人なんですよね?あの人、銀さんにとって。」

 

「……分からねえ。もしかしたら、よく似た別人って可能性もあるし。第一、あいつはもういねえ筈なんだよ。だってのにまた俺の前に現れて、しかも記憶を失ってるだぁ?んな漫画みてえな展開、そう簡単に受け入れられっかよ。」

 

「銀さん、まさか松陽さんを疑ってるんですか……?どうして、だってさっきはあんな必死に、一人突っ走ってまで助けに行ってくれたじゃないですか⁉」

 

「でけえ声だすんじゃねえよ、うるせえな……さっきのはアレだ。あいつがあんまり似てたから、そいで頭に血が上った勢いに任せたままによ。つーか疑うも何も、冷静になって考えてみりゃ、まずあいつが俺の知ってる先生だっていう確証が今んとこ無いからな。それに記憶がねえってのも、俺らを嵌めるための芝居かもしんねえ───」

 

「ほぁたあああああぁっ‼」

 

 威勢のいい掛け声に続いて、背中に走る衝撃。本日二度目となる神楽のカンフー・キックを受けた銀時は、「ホイコーローっ‼」と豚肉とキャベツを炒めた中華料理名のような声を上げ、数メートルの距離を転がっていくと、その先にいた藤丸を撥ね飛ばす。

 突然の衝撃に「ショウロンポーっ⁉」と豚肉を小麦粉の皮で包んで蒸しあげた包子のような悲鳴を上げて、暫く宙を舞った藤丸は落下の(すんで)のところを段蔵に受け止められ事なきを得た。因みにこれを書いてる奴は、今お腹がとても空いている。天津飯が食べたい。

 

「いってええェェ……こんのクソガキてめぇ‼転がった末に藤丸跳ね飛ばしちまったじゃねえかよ‼一体何がしたかったの⁉人間ボーリング⁉」

 

 頭に大きなたんこぶを抱え、怒鳴りながら体を起こした銀時。しかしそんな彼の前に、拳をポキポキと鳴らした神楽が鬼の形相で仁王立ちしていたので、流石に銀時もそれ以上は何も言えなくなる。

 

「銀ちゃん………今言ったこと、すぐに取り消せヨ。」

 

「か、神楽ちゃん……?何故にそんなお怒りになってんのかな……?」

 

 紅蓮の炎の如きオーラを背中から放出する神楽。まるで不動明王を連想させる彼女の迫力に圧倒され、銀時は思わずたじろぐ。

 

「神楽ちゃん、言いたいことは分かるけど少し落ち着いて───」

 

「うっせぇメガネ!こんな時に餅なんてついてらんないアル!一人で正月気分迎えてろヨ‼」

 

「お約束の聞き間違いだなオイ!誰も餅の話はしてねえっつーの‼」

 

「新八君、餡子と豆打(ずんだ)ならここにあるよ!」

 

「だから餅の話は、ってそれどっから出したの藤丸君⁉」

 

 ツッコミをかます新八に構うことなく、銀時のすぐ正面まで迫ってきた神楽は、未だ地面に尻をついたままの銀時の胸倉を掴むと、青筋を浮かべた額を近付け、激しく怒鳴りつけた。

 

「いつまで拗ねてんだヨおめーは‼忘れられたことがそんなにショックだったアルか⁉確かに私達、銀ちゃんからなんにも聞いてないから、銀ちゃんの大切だった『松陽(せんせい)』の事は何にも知らないアル……でもな、この松陽が銀ちゃんの知ってるほうであってもなくても、好きで大切な人の事を忘れる奴なんか、いるワケねーだろ⁉」

 

 暗い路地に響く騒ぎに、只事でない事に気付いた藤丸達も慌てて駆け寄ってくる。ふと銀時が向けた視線が、定春の上に乗った松陽とぶつかる。よく知った顔が浮かべるその表情は、銀時の知らないものであった。

 

「それに、松陽さっき私と新八に言ったネ………もしかしたら自分が実は凄く悪い奴だったり、思い出したくないくらいの辛くて悲しい思い出があったりだとか、忘れてたほうがずっとマシだったこともたくさんあるかもしれない。けれどそれも全部ひっくるめて自分という存在があるから、ちゃんと記憶を取り戻したいんだって…………それに言ってたヨ。きっと銀ちゃんは凄く大切な人だったに違いないから、一番に思い出すように頑張るって。」

 

「………!」

 

 その一言に、銀時の目が見開かれる。

 記憶が無いのだろう?覚えてなどいないのだろう?それなのに、何故そんなことを言うのか……銀時には、全く理解出来なかった。

 すると、定春の上からやや危なっかしい動作で降りてきた松陽が、おもむろにこちらへと歩いてくる。銀時の胸倉から手を離した神楽と入れ替わり、呆然とする銀時の前にしゃがみ込んだ。

 

「『坂田』さん………私はまず、貴方にお礼を申し上げたいのです。」

 

 松陽の手が、銀時のものと重ねられる。伝わってくる感触と温度は、かつて自分が体験したものと、何一つ変わらなかった。

 

「私は、目覚めた時から既に、一切の記憶を失っておりました。なので先程の方々に追われる身となっている理由も、未だよく分からないのです………自分自身の素性も、名前すら思い出せない。行く宛ても、頼っていい方も知らぬまま彷徨っているうちに、私の目に映る景色は皆、色褪せて見えました。」

 

 掌を握った松陽の手が、微かに震えているのが伝わってくる。それでも伏せた顔を上げ、彼は精一杯微笑んでいた。

 

「でも、坂田さんが私のことを『松陽』と呼んでくださったあの瞬間……色を失った私の世界が、一瞬にして鮮やかに輝きだしたような気がしたんです。でも、坂田さんの反応を見る限り、私がその『松陽』さんである確たる証拠が無いのは、何となくお察しできました。それでも………それでも、私は嬉しかった。例えそれが勘違いからのものだろうと、誰かが『私』を『私』として認識してくださることで、孤独に圧し潰されてしまいそうだった私の心は、暗闇の中から救われたのです………本当に、ありがとうございました。」

 

 

 ………温かい。手を介して伝わってくる体温が、記憶の中の『彼』と同じ声と口調で語る、彼の言葉が。

 

 

「あの、坂田さん……。」

 

「へっ⁉お、おうっ。」

 

(おご)がましいことは百も承知しているのですが………もし宜しければ、私の記憶が戻るまでの間だけでも、貴方の大切な方のお名前をお借りしてもよいでしょうか?初めて耳にした時から、とても感動していたんです。ああ、なんて優しい響きなんだろうと………それに、皆さんがその名で呼んでくださる度に、胸の内がぽかぽかと温かくなるんです。それがとても不思議で、とても心地良くて……。」

 

 銀時は瞠目する。名を貸すことに否定的な思いや感情は無い。だが目の前で嬉しそうに話している、無垢という言葉をそのまま人型にしたような今のこの男に、『吉田松陽』という重荷(なまえ)を一時でも背負わせることはあまりに酷ではないかと、銀時は迷っていた。

 だが彼のそんな複雑な思考も、左右から割り込んできた両者によって阻まれる。

 

「ねっ銀ちゃん、いいでしょ?ちょっとの間だから、私からもお願いアル!」

 

「銀ちゃん、僕からもお願いするよ!ねっ?」

 

「ぐえええ分かった分かった‼だから手ぇ放せってお前ら!首締まる締まるっ‼」

 

 割り込んできた夜兎娘の怪力と、細身は外見ばかりの男の娘の秘めたる剛力に襟首を掴まれ、半ば強引に了解の返答を絞り出すと、二人は同時に手を放し「やったぁ!」とハイタッチをした。

 

「……ちっ。あ~もう、悩んでんのも馬鹿馬鹿しくなってきた。」

 

 ぼりぼりと頭を掻き、銀時は正面へと向き直る。師の姿をしたこの男を改めて前にし、緊張していないなどと言えば嘘になるだろう。こちらを見ては目を逸らす銀時に、松陽は小首を傾げた。

 

「そんじゃ……俺のほうから一つだけ、条件がある。」

 

「はい、私に出来ることであれば何なりと!」

 

「おーい駄目だよ、内容聞くまで何でもするとか言っちゃ。悪い奴の前で絶対そういう台詞言うんじゃねえぞ………その、俺の呼び方のことなんだけどよ。」

 

 暫くの間目を泳がせ、口をモニュモニュさせながら赤くなった頬を掻いていた銀時だったが、漸く意を決し松陽に向かって云った。

 

「坂田さんじゃなくて…………名前で呼んでくれないか、俺のこと。」

 

 真っ直ぐに見据える紅の瞳に垣間見えるは、僅かな期待。

 彼が松陽である真偽は未だ分からずとも、彼の───松陽(せんせい)の優しい声に、もう一度名を呼んでほしい。それが、今の銀時が望むことだった。

 暫し目をぱちくりさせていた松陽だったが、その表情がぱぁっと輝いたのは数秒後であった。

 

「はい!それじゃあお名前で呼ばせていただきますね、銀時『さん』!」

 

 想像していたのとは違う答えに思わず肩を落としそうになるも、にこにこと笑う松陽の様子は心底から嬉しそうで、まあいいか、などと思ってしまう銀時であった。

 

「……ねえ、ずっと端から見てて思ったけど、白モジャが拗ねてた原因ってこの松陽?に忘れられてたからってこと?」

 

「べっ、別に拗ねてねえし!勝手に勘違いしないでよね‼」

 

「いえ、段蔵の眼に映っていた先程までの銀時殿は、まるで悪態をつき駄々をこねる幼子のようでありました。」

 

「んがっ‼段蔵までそんなこと……。」

 

「ねーねー松陽さん、僕はアストルフォっていうんだ!よろしくね!」

 

「アストルフォ、くん………ええと、『さん』のほうがよろしいのでしょうか?すみません、あなたはとても可愛らしいのですが、一見だとどちらかよく分からないもので……。」

 

「おおう、アストルフォの本質をこんな早くに見抜くとは………あ、俺は藤丸立香です。よろしくお願いしますね、松陽さん。よかったら餡子か豆打(ずんだ)食べません?しまうタイミング失った上に地味に重いんですコレ。」

 

 続々と皆が周りに集まり始め、賑やかというよりは少し騒がしい。しかしその真ん中で、自身に与えられた仮初の名を口にされる度に、笑顔が華やぐ松陽を眺めていた銀時の頬も、自然と綻んだ。

 

「それで銀さん、僕らは一旦また万事屋……だったところに引き返す形でいいんですよね?」

 

「あ?そういうことになったんだっけか?」

 

「アンタがさっきそう言ったんでしょ?ちゃんと覚えててくださいよ。」

 

「んー、ヘル○ェイク○野のこと考えてたら忘れてたわ。」

 

「誰だよヘル○ェイク○野って⁉んな無理に流行に乗ろうとしなくても!」

 

「ヘール○ェイク!ヘール○ェイク!」

 

「ああもう、神楽ちゃんまで便乗してこなくていいから!」

 

「「ヘー○シェイク!ヘールシェ○ク!」」

 

「うるっせぇんだよお前らァァっ‼話が前に進まねえだろうがっ‼あと隠すならちゃんと隠せやオラァァァっ!!」

 

 新八の手が藤丸から皿に山盛りに盛られた餡子と豆打(ずんだ)を掻っ攫い、それらを銀時と神楽の顔面に叩きつけたことにより、ぐだぐだ展開に繋がりそうな空気は何とか収束された。

 

「でも眼鏡ワンコ、今戻ったってまたあの妖怪みたいな奴らに追い出されるだけなんじゃない?」

 

「妖怪みたいって……確かに否定はしないけど、中々言う事キツイねエリちゃん。本当はね、僕の家でもある道場に案内したいとも考えたけど………こんなに大勢連れて行ったら、姉上が何て言うか不安で。」

 

「そーだなー、おめえの姉ちゃんおっかねえし。」

 

「姉御には悪いけど、丹精込めて作ったあの暗黒物質(ダークマター)を松陽達には食わせられないアルよ。」

 

 交互に餡子と豆打(ずんだ)を手掴みで口に入れ、もっしゃもっしゃと頬張る銀時と神楽の言い分も否定できず、新八は大きく溜息をつく。

 

「とにかく、ここで時間を無駄に潰しても埒が明きませんし、こうなったら銀さんを踏みつけてでも土下座させて、お登勢さんから許しを頂くしかないですね。」

 

「そだねー。銀ちゃんには悪いけど、どこかで休めるところを探さないと松陽さんの怪我も───あれ?」

 

 ふと、アストルフォが不可思議なことに気がつく。松陽の身に着けている着物はあちこちが破れ、特に右足の辺りには一際大きな裂け目が出来ていた。これはよっぽどの大怪我をしているに違いないと、アストルフォは彼の脚部に目を落とす。だがそこから覗くのは、少し泥に汚れた白い地肌だけ。この箇所の他にも幾つか確認してみるものの、松陽の体に外傷などは一切見当たらなかった。

 

「ねえ松陽さん、どこも怪我とかしてない?痛いとことかない?」

 

「痛いところ、ですか?そういえば、先程逃げる時に足を───おや?」

 

 自身の足を見た松陽もまた、射られた右足の傷が無くなっていることに、ここで漸く気がつく。

 

「……おかしいですね、確かに私はあの時…………あれ?」

 

 どうしたのだろう、まるで(もや)がかかっているかのように、そこの記憶だけが上手く思い出すことが出来ない。

 

「松陽さん、大丈夫……?」

 

 頭を押さえ、俯く松陽を心配するアストルフォ。彼らの様子に気付いた銀時も空になった皿を地面へと置き、「おい…」と声を掛けようとした時だった。

 

 

『キャアアアアアアァ‼』

 

 

 突如暗夜に響き渡ったのは、甲高い女の(こえ)

 続いて段々と大きくなっていくせわしない足音に、その場の空気が一気に張り詰める。

 

「今の……悲鳴、だよね?」

 

 藤丸の疑問に誰かが答えるより早く、こちらに近付く足音の正体が現れた。

 

「助けて……助けてくださいっ‼」

 

 女だった。声からして、先程悲鳴を上げたのはこの女性に間違いないだろう。着の身着のままと言った恰好の彼女は、藤丸達の姿を発見すると、涙と鼻水で化粧の崩れた顔をこちらに向けた。

 

「あっ、おい藤丸!」

 

 銀時の制止も聞かず、女性の元へと駆け出す藤丸。その乱れた服装から、暴漢にでも襲われたのかと推測する。とりあえず彼女の身柄を保護しようと、藤丸は女性に声を掛けた。

 

「大丈夫ですか⁉」

 

「あ……よかった、よかっ────」

 

 こちらへと向かって来る藤丸の姿に安堵し、女性が緩めた口元を開いた時だった。

 

 

  びしゃっ、

 

 

 生臭い赤い液体が、噴水のように女の口から飛び出す。

 頬に飛び散る生温かい感覚は、冷えた気温の中で徐々に温度を失っていった。

 

「………え?」

 

 呆然とする藤丸の目が映したのは、びくびくと痙攣する女性の顔───ではなく、露わになった乳房の間から突き抜けた、血に塗れた異形の手。

 

「見るなっ‼」

 

 銀時の手が、新八と神楽の目元を瞬時に覆い隠す。同時に松陽も自身の背後へと追いやり、目の前の惨事を見せるまいとした。

 ずるり、とその手が引き抜かれたと同時に、支えを失った女性の身体は地面へと崩れ落ちていく。物言わぬ(むくろ)となった彼女を踏みつけ、背後にいた『それ』は姿を現す。

 頭から被る汚れた布の下から、ぎらついた眼光でこちらを睨んでいる。口角を吊り上げた口元は大きく裂け、黄ばんだ色の鋭い歯が並んでいた。

 だが藤丸が凝視するのは、目の前のおどろおどろしい魔物の姿ではない。尖った爪を食い込ませ、それが握りしめているものは………今しがたまで生者だった女の、温かな心臓だった。鮮血に塗れたそれはまだ赤味を保っており、魔物は掴む手を高く掲げると、滴る赤い雫を口で受け、何度も喉を鳴らした。

 

「マスター危ない‼後ろっ‼」

 

 アストルフォの声で我に返り、振り返った時は既に遅かった。背後にいたのは先のものとほぼ酷似した姿の魔物。気がついた時にはそれが振り回した棍棒らしきものが直撃し、腹部に激痛が走る。そして襲ってきた衝撃に、藤丸の身体は大きく吹き飛んだ。

 

「が……っ⁉」

 

 家屋の壁に背中を打ち付け、そこにもたれかかるようにして倒れる藤丸。額から伝ってくる液体は、先程頬についた返り血と同じ温度をしている。不快な鉄臭さに口内のものを吐き捨てると、唾の中に血が混ざっていた。

 

「仔犬……っ‼アンタ達、よくもやってくれたわね!」

 

 激昂したエリザベートは愛用の槍を展開し、二匹の魔物へと突進していく。だが彼女の行く手を、突如目の前に降りてきた複数の影が阻む。

 

「ちょっ……何よ、こいつら⁉」

 

 女の臓物を抉ったのと似た者、般若の顔をした女、白いざんばら髪を振り乱した赤い小鬼など、様々な姿形の魔物達が各々刀や槍、または毒々しい色の爪などを構え、彼女を()めつける。

 同時に、辺り一帯を覆う程の禍々しい妖気が漂う。それは段蔵の過敏なセンサーだけではなく、銀時達までもが感じ取れる程濃いものであった。

 

「な………何ですか、あれ⁉」

 

 銀時の腕を退け、そこから見た光景に新八は絶句する。彼だけではない、その場の誰もが、家屋の屋根の上やら塀の上やら、果ては河川敷からぞろぞろと姿を現す数多の魔物達に、皆一様に言葉を失った。

 

「……ねえ銀ちゃん、この人達もかぶき町の住人なの?なんか僕達を()る気満々な雰囲気なんだけど。」

 

「んなわけねえだろ!火事と喧嘩は江戸の華たぁ言うが、出会い頭に殺意剥きだしてくるような奴は銀さん知りません!あれ、よく考えたら周りに何人かいたかも?」

 

「そんなことより、この状況どうするんです⁉早く藤丸君を助けないと……‼」

 

 狼狽し叫ぶ新八の視線の先には、頭部からの流血で白の制服を汚し、ぐったりとする藤丸の姿。彼の血の匂いに反応した魔物の何匹かが、ゆらりゆらりと近寄っていった。

 

「藤丸君……‼」

 

 咄嗟に後ろから身を乗り出し、駆け出そうとする松陽を、銀時が慌てて止めに入る。

 

「松陽、アンタはここにいろ。定春の傍を絶対に離れるんじゃねえぞ。いいな?」

 

「銀時さんっ、でも───」

 

「大丈夫ネ、藤丸は私達が助けるアル!定春、フォウも松陽を頼むぞ!」

 

「わんっ!」

 

「フォウフォーウ!」

 

 二匹の返事を聞き届け、皆一斉に得物を展開し、魔物の群れ目掛け駆け出す。

 

「あれ?ちょ、また僕だけ武器が展開出来ないよ‼どうなってんのコレ⁉」

 

「おーいぱっつぁん、大事な場面だぞ。しっかりするネこの童貞ヤローがよ。」

 

「え、アンタ童貞だったの?まあ今更驚くことでもなさそうだけど。」

 

「エリちゃんまでそんなことっ‼皆して童貞童貞馬鹿にしやがってチッキショー‼って、あれえええェェまたこのタイミングで刀出ちゃったよおおぉっ⁉やっぱり僕の力の出所って童貞からなの⁉ねえ⁉」

 

 本日二度目となる童貞……じゃねーや新八の悲痛の叫びも、段蔵が魔物に向け放った噴進弾の爆発音によって掻き消されていった。

 

「おらああああぁぁっ!」

 

 木刀を叩きつけ、合間に拳や蹴りも入れ、銀時は次々と魔物を片付けていく。少しの休息もあったお陰か、感じていた倦怠感は大分薄れ、この好機を逃さんとばかりに銀の侍は猛威を振るっていった。

 

「えいっ!やああぁっ!」

 

 こちらも負けてはおらず、アストルフォの振るう馬上槍(ランス)が、まとめて魔物を薙ぎ払う。吹き飛ばされ、息絶えた者達はその姿を塵と変え、霧散していった。

 しかし、一体倒せばまた一体、十体倒せばまた十体と、次から次に湧いて出てくるのでキリがない。いくらサーヴァントであっても、この状況には流石に疲労が募っていく。

 

「はあ、はあ………こいつら全然減らないアル、無限に湧き出て嬉しいのはご飯とお金だけで充分ネ!」

 

「んも~ぅ鬱陶しいわね!こうなったらアタシの宝具で一網打尽にしてやるわ!」

 

「わ~っ‼待ってまってエリちゃん!それだけは駄目~‼」

 

 マイクに見立てた自身の槍を地面に突き立てようとしたが、即座に反応したアストルフォに羽交い絞めにされ、「なんでよ~!」と手足&尻尾を振りながら抗議するエリザベートの姿を、事情を知らない新八と神楽はただ不思議そうに眺めていた。

 

「しかし、エリザベート殿の言う事も最もです……このまま長丁場が続くとなれば、こちらの魔力が続きませぬ。」

 

 段蔵の言う通り、もしこのまま悪戯に魔力と体力を消耗し続ければ、いずれ必ず動きは停止してしまう。そこをこれだけの数の魔物達に襲われてしまえば、一貫の終わりだ。

 アストルフォは周囲を警戒しながらも、前方に目を配る。そこには奮戦する銀時の勇姿が映るものの、あの勢いを保ったままでは恐らく長くは持たない。せめてマスターである藤丸から魔力を供給出来れば………そう思った時、彼の視界の隅で動くものがあった。

 

「!───マスターっ‼」

 

 アストルフォの呼び声に、皆の視線は一点に集中する。立ち上がろうと踏ん張る彼の頭からぼたぼたと垂れ落ちる赤が、出血がまだ治まっていないことを明確にさせた。

 

「馬鹿っ‼動くなっての‼」

 

 すかさず駆け寄ろうとする銀時、だがそうはさせまいと、またも群がってくる魔物達。

 

「ちっ……邪魔だああああっ‼」

 

 木刀を握る手に力が篭る。徐々に刀身に纏わりついていく青白い霧に、彼は気付いてはいない。そのまま刀を横に大きく振った刹那、巻き起こった衝撃波に多くの魔物が巻き込まれ、吹き飛んでいった。

 

「うぅおおお⁉なんだコレ⁉すげえもん出たぞ⁉」

 

 放った本人が一番驚愕する向こうで、「銀ちゃん凄いネ!」と神楽が感嘆の声を上げていた。

 

「よっし、このまま一気に飛ばしていくぜ!」

 

 意気軒昂の勢いを増したまま、銀時は駆け出そうと足を踏み出す。だがその足に上手く力が入らず、銀時はその場に崩れ落ちた。

 

「あ……あれ?」

 

 続いて全身を襲う倦怠感。先程の比ではない、木刀の支えが無ければ起き上がっている姿勢を保てない程だ。

 

「銀さん!上っ‼」

 

 新八の声に顔を上げると、あの布を被った魔物が刀を振り翳していた。避けようにも身体が言う事を聞いてくれない。襲い来る一撃を覚悟した時、「ギィッ‼」と濁った鳴き声を上げて魔物が仰け反り、塵と化した。

 

「………よっし、当たったぁ……。」

 

 利き手を拳銃の形にして、息()きながらも藤丸は微笑む。しかし手傷を負った状態で魔力による弾丸を放ったのが(こた)え、力なく膝をついてしまった。

 

「藤丸君っ‼」

 

 彼を助け起こそうと、咄嗟に走り出す松陽だったが、ぐんっと強い力で後ろに引っ張られる。

 

「わうっ、わうぅ~……!」

 

「ンキュ~ッ!」

 

 振り向くと、松陽を行かせまいと羽織の裾を噛む定春とフォウの姿。健気にも神楽の言いつけを守る二匹に引き留められている間に、魔物達の標的は銀時から藤丸へと変更される。

 

「マスター!逃げてぇ‼」

 

「何してるのよ仔犬!早く立ち上がりなさいよっ‼」

 

 急かされずとも分かっている、だが身体が思うように動かないのだ。貧血によって徐々にぼんやりとする視界の向こうで、異形の群れがこちらに歩いてくるのが見えた。

 

「藤、丸……っ‼」

 

 彼の元に行こうとする銀時も、未だ動くことが出来ないでいる。他の仲間達も、魔物のあまりの多さに近寄ることすら出来ないでいた。

 

「あ……。」

 

 目の前まで来た般若の女が、手刀を構えこちらを見下ろしている。紅の差した口許でニィ…と不気味に笑っていた。

 

「マスター‼駄目だ、やめてっ‼マスタあああぁぁっ‼」

 

 アストルフォの悲鳴が響く中、般若の女は藤丸に向け、手刀を振り下ろした。

 

 

 

 ───ぶしゅ、と肉を断つ音を耳で聞き、襲い来るであろう激痛に備え藤丸は固く目を瞑る。

 

 

 しかし藤丸に(もたら)されたのは、体を包まれる感覚と柔らかな温もり、そして覚えのある……花の香とは違う、優しい匂い。

 

「……え?」

 

 背中に回された手から、少しずつ力が抜けていく。藤丸は声を震わせ、身代わりとなったその人物の名を叫んだ。

 

 

 

「なん、で……どうして………松陽さんっ‼」

 

 

 遠くの方で、残されたままになっている羽織とこちらを交互に見ながら、定春とフォウが懸命に吠えている。

 徐々に(もた)れ掛かる彼の、なんと軽いことか。絹のような髪の間からは、着物ごと大きく裂かれた背中が覗いていた。

 

「(あれ……?)」

 

 だがここで、藤丸はふと疑問を覚える。これだけ大きな傷を負っていても、松陽が出血している様子はないのだ。もう一度彼の背中に目をやると、やはりそこは赤く染まってなどいない────否、そこから漏れ出ているのは血液ではなく、淡い光。

 闇夜に映えるその光が徐々に小さくなり、やがて完全に消滅するまでのその光景を、藤丸を始め皆が呆然としながら見ていた。

 

「……藤丸、君………お怪我は、ないですか……?」

 

 消え入りそうな松陽の声で、藤丸は我に返る。彼の身体が触れる箇所から、僅かに震えが伝わってきた。

 

「ごめん、なさい………銀時さんの言いつけ、破って……しまいました。定春君とフォウさんも……あんなに私を、止めようとしてくれたのに………とんだ悪い人です、ね………私……。」

 

「松陽、さん……。」

 

「でも……少しだけ、悪い人になったお陰で………貴方をこう、して……守ることが出来た………それだけは、本当、に………よかった……………。」

 

 痛みに喘ぎ、何度も言葉を詰まらせながらも、藤丸に心配をかけまいと、松陽はその顔にずっと笑みを湛え続けていた。

 熱くなった目頭から零れた雫が、彼の着物に染み込んでいく。そのまま気を失いずるずると崩れ落ちていく松陽の身体を、藤丸はしっかりと両手で抱えた。

 

「嘘、そんな……松陽さん……‼」

 

「いやああぁっ‼松陽っ、起きてヨ松陽!!」

 

 立ち尽くす新八の横で、神楽が涙目になって悲鳴を上げる。あまりに突然のことに各々が愕然とする中、銀時も例外ではなかった。

 

「松、陽………。」

 

 限界まで見開かれた両の眼で、傷を負った恩師の背中をただ眺めていることしか出来ない自分に激憤し、強く握った拳からは血が滲みだしている。

 

「くそっ!くそっくそおおおぉっ‼動け!さっさと動けってんだよおおおっ‼」

 

 憤り、焦燥、苛立ち。腹の底から湧き上がる感情を、自分自身へとぶつける。木刀を杖代わりにし、重い身体を何とか持ち上げた。

 

「─────っ⁉」

 

 いつもの高さに戻った視界で彼が見たものは、藤丸と松陽に目掛け、同時に飛びかかる魔物達。

 他の者達は、阻まれすぐに迎えそうにない。即座に駆け出そうとする銀時だが、やはり足を踏み出すだけで猛烈な眩暈(めまい)が訪れ、まともに動けない。

 

「く……っ‼」

 

 松陽を抱え、近くに落ちていた箒を構えて応戦しようとする藤丸。

 

 魔物達の刃や牙は、すぐそこまで迫っていた。

 

 

 

「───松陽(せんせい)っ‼藤丸ううぅっ‼」

 

 

 

 

 

《続く》


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