これからは短期間で投稿できるように、やる気が湧いてくれることを願っています。
人生とは儘ならないことの連続である。
思い通りに生きられる人生なんて決してなくて、必ずどこかで挫折しなければならない時がやってくる。
成長とは諦めを知ること。心の奥底にある本当の感情に蓋をして、目を反らす。そうして人は大人になっていく。
我が儘を言って、身勝手を言って、心のままに思いを述べる。
そんなことが出来るのは子供の時だけだ。
未成年として親に保護されていた時代はいつか終わりを告げて、その先は一人で社会を生き抜く必要がある。
そのためには縁もゆかりもない他者との協調性やコミュニケーション力を身に着ける必要があり、幼かった時に許されていた自由は自制心の向上に比例してどんどん減っていく。そして大人になれば、いつの間にか多くの柵で雁字搦めになっているんだろう。
でも、僕はまだ子供だ。
高校一年生ならすでに社会で働くことができる年齢であれ、それでも未成年だ。未だ成長段階にある年齢だ。
体がそれなりに大きくなろうとも、心は成長しきっていない。
ならばまだ間に合うだろうか。
諦めを知らず、思い通りに事が進むことを願うまだ幼かったあの日のように、身勝手で他人を顧みることなく駄々をこねることは許されるだろうか。
きっと間に合う。
僕はまだ、我が儘を言えるはずだ。
「凛ちゃんともっと一緒にいたいぃい!」
僕は客のいない花屋でごねる。
「ごちゃごちゃ言わないで、しっかり働きなさいよ」
しかし僕の心からの我が儘を、近くで花の手入れをしていたおばさんは適当にあしらう。
おばさんのポニーテールの黒髪が揺れ動く姿をじっと眺めつつ、僕は眉間を寄せる。
「いや、働けって言われても一応今日が初日なのに……いいんですか?」
「何年もここで働く私達の姿を見てるんだから、大体覚えてるでしょ? というか凛が接客してる時はよく手伝ってるじゃない。お給料というか、お手伝いしたお金だって上げたことあるし」
「まあ、そうですけど……」
「花の名前とか、花言葉とか、手入れの仕方とかそれなりに知ってるでしょ? 花束やアレンジメント作りだって凛のついでに教えたら、予想以上に器用にできてたじゃない」
「まあ、できますけど……」
「ほら働ける。それじゃあ接客頑張ってね。上にいるけど分からないことがあったら聞いていいから。あと店先や店内に落ちた葉や花があったら掃除しといてね」
僕を言い負かしたおばさんは花の手入れや確認を終えて、カウンター奥の通路から二階居住区に?がる階段を、手を振りながら上がって行った。
経営者と従業員。
権力の差は圧倒的であり、僕に逆らう余地はない。
「よし、やりますか」
僕はその指示に従うのだった。
◇◇◇
渋谷家で開催された話し合いから一週間が経過した。
あの日アイドルになることに納得した僕は、数日もしないうちに大きな不満を抱えることになっていた。
その不満とは、凛ちゃんが一緒に登校することを禁止したことである。
事の始まりは、おばさんが凛ちゃんへふとした会話をしたことであった。
『今思ったんだけど、アイドルが毎日同年代の男の子と登校ってどうなの?』
『……うーん。どうなのって言われれば……、なんかダメな気もする』
そんな簡潔すぎる会話から生まれた結論によって、彼女は僕に一緒に登校禁止の決定を下した。
アイドルとしてもし大人気になったら、公共の場所では同年代の男性、そして僕でさえ一定の距離を置くかもしれない。サザンとそんな会話をした覚えがあるけれど、まさかアイドルとして活動の一つもしていないこんな早期に宣告されるとは思っていなかった。
僕は発狂した。
それからの僕は、彼女の決定を覆すために邁進する日々を送った。
時には懇願したり、時には登校する彼女に話しかけて無視されたり、時には「自意識過剰~」と煽ってすごい目で見られたり。
だが、結果は散々だった。
彼女は、猛攻する僕を今までにないくらいの鋼の意志で跳ね返した。
ここでもし彼女が甘い裁量を下してしまえば、いつの日か変な噂が立って、仕事に関わってくる多くの人に迷惑をかけるかもしれない。問題の芽は早めに摘んだほうが良い、それが彼女の思慮した結果なのだろう。
元々僕と登校することに乗り気でなかったし、責任感の強い彼女が折れることはなく、結局は僕が折れることになった。
それに加えて、凛ちゃんがアイドル業を始めることで、渋谷家ではもう一つの問題が浮上していた。彼女が抜けた家事の役割を補填する必要があったのだ。
今までは、自営業の店で働くおじさんやおばさんに代わって、凛ちゃんが掃除や洗濯をすることも多々あって、たまに店番をすることもあった。だから彼女の空白は大きく、家事部分のカバーにおばさんが入る代わりに、やることが増えたおばさんの仕事面でのカバーに、人員が必要だった。
花屋では現在進行形で数人だがアルバイトを雇っている。だから、当初はおばさんの穴を埋めるように従業員のシフトを調整してもらえばいいという単純な話だったが、そうすると今の従業員では少し余裕がなくなるらしかった。自営業であるために、おじさんとおばさんの労働時間にはとても自由を利かせられた。どうやらそれが災いしたらしい。
これからアルバイトの募集をするにしても、短期間ですぐに応募があるとは限らない。それに加えて、花屋というのはそれなりに知識と経験、技術と体力が必要だ。簡単に教育できて即戦力となるほどの人材、そうはいない。余裕があるならまだしも、今はできればある程度能力のある人材が欲しいというのが本音だろう。
そこでおばさん達が白羽の矢を立てたかったのが僕らしい。昔からこの花屋に通っていた僕は、花への愛情云々はさておき、知識と技術とその他諸々を凛ちゃんと共に学んできたのだった。なんなら、店番をしている凛ちゃんと時を共にするべく、お手伝いという名目でちょくちょく働いていたくらいだ。
けれど、僕は高校に入学してアルバイトをできる年になっても、きちんとアルバイトとして働く気は毛頭無かった。それは渋谷家の人達にとっても周知の事実であって、具体的な理由を話したことはなかったけれど、僕の意志がとてつもなく固いことは理解されていた。
僕の家は決して裕福ではない。多くはない収入源と貯金を取り崩しながら生活しているのが現状で、将来の大学進学を考えているならば、多大な学費への準備も必要になってくる。普通なら真っ先に働くべき立場だ。
けれど、僕の時間が労働に拘束されてしまえば、今でしか共に過ごすことができない大切な人との時間が少なくなってしまう。そんな犠牲を払ってまで、僕はアルバイトをする気はなかった。
時は金なり。金は時なり。
僕の人生において、お金と時間、どちらを優先するかの順位付けは明白だ。
未来永劫戻ってくることのない時間を失ってまで、お金が欲しいとは思わない。
確かにお金は時間を買える。この交換関係は成り立っているようにも思える。けれど、誰かとの時間がどこまでも未来に続いているというのは幻想で、その時間が無限のように感じるのは錯覚で、目の前の誰かがいつまでも側にいるなんてことは決してありはしない。いつ失われてしまうかも分からない、そんな不安定な未来の時間を買うために、僕はお金を必要とはしない。今を擲って、未来を買うことが、理性的思考の判断では等価交換以上の価値があっても、僕はそれを良しとはしない。
これが僕の考え方だった。だから、アルバイトをすることを望まない。
でも、今回からはその考え方に身を任せることはできない。
今まで好き勝手にやっていたのだ。そろそろ僕も我が儘を押しつけることを止めて、親離れ、親孝行しなければならない。そうでないと僕の面目も、筋も通らない。
花屋のアルバイト募集を渡りに船だと感じた僕は、おばさんに僕がアルバイトとして花屋で働くことを今日提案した。
働かないことを周囲に喧伝していた僕に、おばさんは当初はとても困惑していた。
『自分達のためにそこまでしなくていい、その気持ちだけは受け取っておく』的なことを言われて、当初は断られた。
だけど、僕がきっぱりとそんな親切心なんて持ち合わせていないこと、全ては自分のためであることを告げて、おばさんのことを娘に似て自意識過剰だと鼻で笑った。
すると、おばさんは怒りで遠慮が無くなったのか、あまりにも迅速な対応で準備されて、今に至っていた。
「いらっしゃいませー」
「…………何やってるの?」
カウンターの席に腰かけていた僕は、玄関から訪れたお客に対して笑顔で挨拶をした。
そんな僕を見てギョッとするお客は、幼馴染で最近アイドルになると頭のおかしいことを言い出した、この花屋の経営主であるおばさん達の一人娘――渋谷凛。
長いストレートな髪はとても艶やかで、少し切れ長の目には長い睫毛、若々しく桃色の唇は瑞々しい。
スクールバックを肩に担いで、学校指定の黒いセーターポケットに両手首の先を突っ込んだ彼女は、花屋の玄関近くで若干体の重心を片側に寄せて立っていた。
「あ、凛ちゃん。おかえりなさいませー」
「う、うん、ただいま。……それで何してるの?」
彼女はカウンターに近づきながら、再度僕に同じことを尋ねた。
「アルバイト」
僕の装いは学生服のブレザーを脱いで、白ワイシャツの上に青いエプロンを着ている。そして青いエプロンはこの花屋の従業員としての基本装備である。
凛ちゃんは物珍しそうに僕を眺める。
「藪から棒にどうして? 高校に入る少し前くらいに、お母さん達がバイトしないかって何回か誘っても、いつもきっぱり断ってたじゃん。何か欲しい物でもあるの?」
待っていましたよ、その質問を。
「いや、別にお金じゃないんだなあ、これが。……あれ、その表情……もしかして聞きたい? 僕がアルバイトを始めた理由聞きたい? あっちゃあ、どうしようかな、教えてあげてもいいんだけど、あまりの悲劇に凛ちゃん泣いちゃうかもしれないし、迷うな?」
僕は頭を悩ませて渋るふりをした。とても困ったように眉間を寄せて、目の間にしわを作る。
あからさま過ぎて、逆に気になって仕方ないだろう。
「ふーん、そっか。なら良いよ」
凛ちゃんはそっけなくそう言うと、僕が座るカウンターの横を通り過ぎようとする。
僕は一瞬呆けたが、彼女が常に僕の予想通りに動くとは限らないことを熟知しているので、素早く別の対応に切り替える。
「まてぇい!」
凛ちゃんを二階の居住区に繋がるカウンター奥の階段に向かわせないように、僕は通路で腕を横に広げて立ち塞がる。
「……邪魔なんだけど」
凛ちゃんは面倒くさそうに僕の顔を見上げた。
「なんだかんだと聞かれたら、答えてあげるが世の情け」
「『なんだ』とは言ったけど、別に聞いたわけじゃない」
「凛ちゃんのアイドル生活を妨害しないため。世間に男がよりついていると思われないようにするため。愛と建前でバイトを貫く、凛ちゃんラブな敵(かたき)役、それが僕だ!」
「もういいからどいて?」
「幼馴染がアイドルで忙しくなりそうな上におばさんにこき使われることになった僕には、ブラックホール、黒い明日しか待っていない!」
「はいはい、分かったからどいて」
凛ちゃんは手をひらひらとさせて、僕にここをどくようにジェスチャーしてきた。
そんな彼女の姿を見た僕は、眉を吊り上げ激昂する。
「分かってない! 分かっていたらアイドル止めているもん! ここを通りたければ、僕を殴ってでもして通ってみろっ! それが嫌ならここで僕とお話ししろぉ!」
「じゃあこっちで」
ぺちこんっ。
「あ、どうぞお通り下さい」
頬にじんわりとした温かい熱を感じた僕は、通りの邪魔にならないようにさっと端に移動した。そのまま車の移動を促す警備員の如く片腕を水平にして進む方向を指すと、もう片方の腕を招くように動かした。
凛ちゃんは馬鹿を見るような顔をしながら開いた道を進んで、すたすたと奥の階段に向かった。
◇◇◇
数分後。
凛ちゃんは荷物を抱えて、二階から下りてきた。
「それじゃあ、行ってくるよ」
「今日は346プロダクションに初出勤の日だっけ?」
「うん、そうだよ。……本当は学校から直接行くつもりだったんだけど、卯月――一緒に行く子が忘れ物しちゃったらしくて。だから、教科書とかいらない荷物を置いていくために、一度家に帰ることにしたの」
「ああ、例の凛ちゃんをアイドルへと誑かした悪女か……」
その名を島村卯月という。
茶色の長髪をハーフアップとゆるふわカーブにしていて、はにかみなデイズを送る優し気な女らしい。またスマイルが超いいねという理由で凛ちゃんと共にアイドルに選考され、これから同じ事務所のプロジェクトに所属することになる女でもある。
アイドルになれるほど可愛くて、愛嬌があって、優しい。
非の打ち所がない男受け最高の完璧少女、と思わせてくるが、これは奴の表の姿。
この女は凛ちゃんがアイドルに散々勧誘されて困惑している最中に、もしかしたら同期になるかもしれない新人アイドルというポジションから、会話と称して彼女をアイドル道に突き落としたのだ。
長年養成所に通いつめて培ったアイドルへの憧れを由来とした巧な話術と、永年叶わなかった夢のアイドルになれるが故に輝かしすぎる笑顔を浮かべることによって、我が幼馴染をアイドルへと即落ち二コマさせたと渋谷家で語られている元アイドル志望者の皮を被った化け物。それがこの女の正体だ。
まだ一度も会ったことがないが、必ずや報復することを決めている僕のブラックリストに載る一人。
ちなみにもう一人は凛ちゃんをアイドルに連日勧誘し、今や彼女のプロデューサーというなんかかっこいいポジションにいる年齢不明、顔も不明の謎の男。
アイドルになるそもそもの原因たる存在を、僕が許すはずがない。
『絶対に僕が成敗してやる』
その意志を凛ちゃんに伝えると、「背が高くてがたいがよくて強面で間違いなく強そうだから、平均より背が高いだけのアンタじゃ絶対勝てない」とのこと。
ふふ、あえて言いたい。「だからどうした?」と。
だいたい、正面から戦う必要はないのだ。
人間の体はもろい。
体のあちこちに弱点があり、いくら強靭な肉体を持とうとも鍛えようとも急所がなくなるわけではない。
強い奴に限ってそういった決して補うことができない弱い部分を忘れて、奢っていることが多いはずだ。僕はそこを付け狙えばいいのだ。
足元がお留守な奴ほど、足を掬うことが簡単な相手はいない。
それにわざわざ相手の土俵、つまるところ物理的な手段で相手を成敗する必要はないのだから。
今に見ていろ、島村とプロデューサー。どんな汚い手を使っても貴様らに地獄を見せてやる。
虎視眈々と獲物を狙う獣のように恐ろしい形相を浮かべるそんな僕を見て、凛ちゃんは顔をしかめる。
「もしかしなくても、卯月に何かしないでよ?」
「分かってるって……くくくっ」
「…………はぁ、これ分かってない時の顔だよ」
僕の返事を聞いて、凛ちゃんはため息をついた。
そしてもう一度注意の言葉を重ねると、花屋を後にしようとする。
そんな彼女を僕は呼び止める。
「凛ちゃん」
僕の声を聞いた彼女は進む足を止めて、玄関手前で振り返る。
事前にカメラのファインダーを覗いて待ち構えていた僕は、その振り返った姿にシャッターを切った。
少し呆けた顔をファインダー越しに確認して、カメラから目を離した僕は笑って言う。
「初出勤記念の写真」
誰も言葉を発さない奇妙な空間が生まれた。
けれどもそれは一瞬で、秒針が二度角度を変えるまでには終わった。
彼女は、呆気にとられた表情を少し柔らかくして――。
「いつもと変わんないよ」
――簡素な言葉を返した。
◇◇◇
私――渋谷凛は、346プロダクションの玄関前に着いていた。
「わあー、お城みたいですね!」
隣の卯月が思わず感嘆を漏らしているけど、私も似たような心情だった。
目の前の建造物はまるで舞踏会でも行われているのかと疑うほどに、綺麗なお城の外観をしている。
幼馴染伝いに知人が芸能事務所としてだけでなく色々としている大手企業であると聞いたけど、本当にそれを改めて実感することになった。
敷地の出入り口からすぐの建物の中に入ると、天井にはきらりと輝くシャンデリア、正面には赤いカーペットが中央に敷かれた大きな階段がある。
まるで別世界に迷い込んでしまったかのような美しさが広がっている。
花の配達の手伝いをした時に結婚式場のエントランスを見たことがあるけど、それと同レベルの内装だった。
芸能事務所がそんな所にお金をかけて何の意味があるんだろう。
環境が人を作るなんて言うけど、ここまでゴージャスにしちゃうと働く社員の貯金がすぐに飛んでってしまいそうだ。
私と卯月が受付に行くと、そこでつり下げ名札を渡され、私達が所属することになる『シンデレラプロジェクト』専用の部屋に向かうように指示された。
『シンデレラプロジェクト』
346プロが新しく立ち上げた企画で、アイドルの卵を見つけ出して、様々な方面で活躍できるアイドルに育て上げるというもの。
プロデューサーの話によれば、この企画はスカウトやオーディションから選抜した総勢十四人をプロジェクトメンバーとする予定で、最初は全員すでに決まっていたらしい。
でも三人の欠員が出て、私と卯月はその補充としてメンバーに入ることが決まったというのが事の顛末。
残りの一人は二次オーディションで選抜するとのことで、確か一昨日の土曜日に行うと言っていた。
ちなみに私はその話を聞いて、密かにほっとした。
私がプロデューサーの勧誘を断り続けたせいで、他の確定メンバーのデビューを遅らせてしまったのではないか。そんな一抹の不安が拭い去られたからだ。
目的の部屋は私達のいる建物とは別の建物で、三十階というとても高い階層にあるらしかった。移動を開始した私たちは、その道中で周囲にいくつかある346プロ所有の施設を目にすることになる。
高層ビルはもちろん、綺麗に木々が手入れされた芝生の庭やオープンテラスのあるカフェなども設置されていて、私は仕事をしに来たのではなく大学へ校外学習をした時のような気分にさせられていた。
私達が目的の部屋に到着して扉を開けて中に入ると、そこは三十階という高さから景色を一望できるよう大きなガラスが広がる部屋。
卯月が周囲に呼び掛けてみるが、人の反応はない。
私達は白と深緑の正方形がマス目状で交互に広がっている床を進んで奥に向かう。
部屋の中央には高級感のある黒ソファーがコの字型に配置されていて、その中に茶色のテーブルがある。窓際にも小さなテーブルを挟むように椅子があり、景色を見ながら一息なんてことも出来そうだ。
通路を邪魔しないように設置されてる横に長い直方体の黒い棚の中に物はなく、色の調和をよくするために簡素な観葉植物が上に載せられてるだけだ。
見渡しても私達以外に人がいなくて、私物という私物が見つからないのも相まって、まだ人に使われていない新品の部屋、そんなイメージを抱かせる。
私達が誰もいないことに疑問を抱いたのも束の間、遅れてプロデューサーと知らない二人の女性が入ってきた。
軽く自己紹介をすると、一方は私達に続く最後の欠員補充で同じプロジェクトの本田未央。
元気溌剌としていて、外にカールした短めの茶髪と人懐っこい笑顔が魅力的な子。
学生服の上にピンクのパーカーなんて目立つ格好をしていることも加味して、不愛想で人に注目される経験のない私よりアイドルに向いているという印象を持った。
もう一方はこのプロジェクトを様々な面で手助けをしてくれる千川ちひろさん。
未央より少し明るめの長い茶髪をまとめて、片側で太い三つ編みにしている。
垂れ目で優し気のある外見通りに、おっとりとした口調とマイナスイオン溢れる柔和な笑顔。応援がてらにドリンクを渡してくれる気遣いと、「それは自前の物なんですか?」と問いたくなるほど奇抜で目を引く黄緑色のスーツジャケットを着用している。
この人もまた、私よりよっぽどアイドルに向いていると思った。
プロデューサーからの指示で、私を含むアイドル組三人はまずダンスレッスンに向かうことになった。
簡単な自己紹介の際に卯月が私と未央より一つ上であることが分かった。その上三人の中で一人だけダンス経験者だったために、年上兼先輩として彼女は威勢よくレッスンに挑むのだった。
◇◇◇
一時間半程度の過密なレッスンが終了した。
現在の時刻は、五時。一時間後の六時には、他のシンデレラプロジェクト――CPメンバーとの顔合わせがある。
まだ予定の時間に余裕がある私達は予想以上にハイペースで行われたレッスンによって、クタクタになって休憩スペースの椅子に腰かけている。
体を動かすのは苦手じゃないけど、それでもやっぱりダンスは難しい。
テレビでアイドルが踊っている姿を目にすることはよくあるけど、私にはあまり難しそうには見えてなかった。
でも今日のレッスンを通して、視聴者側からは簡単に見えるだけで実際に行ってみると大変であることを痛感した。
隣に座る卯月は落ち込んでいる。
ダンス経験者としての矜持を見せようと意気込でいた彼女が、練習の途中で転んでしまったからだ。
でもあれだけ難しいと失敗するのも仕方ない。
私も転んだりはしなかったけど、慣れないことをして、いつもとは違う筋肉を使って体は疲労でいっぱいだ。
なのに、私は少し笑っていた。
重くなった体が苦しいだけじゃなくてどこか達成感を与えてくるから。心地よい爽やかな倦怠感があって、疲れた体が真剣に取り組んだ証しのように思えて妙に嬉しく思えた。
高校に入ってから運動部を外から見学したりした。その時は分からなかった彼女達が汗水流して体を動かす理由が、やっと分かった気がする。
中学の頃から今まで部活動に入らず家の手伝いをしていたけど、もし部活動に入っていたら何か変わっていたのかもしれない。自分だけの何かが見つからなくて、変わらない日々への嫌悪を、すぐに捨てられていたのかもしれない。
そんなもしものことを思うと、少しだけ後悔が押し寄せる。
ぼんやりしている私が少し暗い思考に入りかけた時、会社の敷地内でエステルームなんて珍しい場所を見つけた未央が一つの提案をする。
「ねえねえ、冒険しない?」
彼女はそう言うと、強引に私の手を引っ張った。
◇◇◇
施設内の様々な場所に顔を出した。
他の人のレッスンを部屋の外から眺めたり、温泉施設を覗いてみたり、立てかけのアイドルポスターと一緒に写真を撮ったり、屋上でたまたまギターを弾いていたアイドルの演奏を聴いたりもした。
大方の場所を探検した私達は、夕日に包まれるカフェのテラス席でひと休みしていた。
春の爽やかな風に当てられながら取り留めのない話をしていると、卯月が何かを見て驚く。
「あぁ、インタビューしてます!」
卯月の目線を追いかけると、テーブルを二つ跨いだ先の席でスーツを来た男性から質問を受けている二人の女性がいた。
「小日向美穂と小早川紗枝だ!」
未央が興奮したように、名前を叫ぶ。
先ほどまでの探検で、卯月達が同じような反応をしているところを何度か見ている。私はなんとなく目線の先にいる二人の女性がどういう立場の人か予想がついた。誰かは知らないけど、どうやら有名人なようだ。
「あの子たちって……もしかして、アイドルだったりする?」
「そうだよ!」「そうですよ!」「そうよ!」
卯月達は興奮したように、目を見開いて私に返事をした。
ていうか、卯月と未央以外にも返事が聞こえたような気がする。
謎の声の発生源、つまり私の背後に顔を向けるとそこには一人、学生服を着た女性が立っていた。
私と同じような黒のヘアカラーで、肩にかかる程度の長めのボブカット。ゆるいパーマがかけられた髪は、毛先が内側に少しカールしていて、厚めの前髪を左に軽く流している。
釣り目ながらもくるりと愛嬌のある瞳。小顔で少し丸みのある輪郭と、整った目鼻立ちによって、とても女性らしく可愛らしい。
346プロに来てから俳優やアイドルみたいな顔立ちの良い人を何度か見かけたけど、今目の前にいるこの人も負けず劣らずの美人だった。
「……えっと、知り合い?」
卯月達の知り合いかと思い二人に尋ねると、二人とも知らないと首を横に振る。
そんな私達のやり取りを見ていた彼女は、私の隣に移動して顔を近づけると鬼気迫ったように喋りかける。
「私のことは後でいいのよっ。そんな事より、小日向美穂と小早川紗枝なんていう素敵なアイドルを知らないなんて……あなたすごく損しているわよ。……いい? すごく損してるのよ?」
「は、はあ」
私は彼女のすごい眼力に気圧された。
「というわけで、そんなあなたに私が彼女達について説明してあげるわ!」
「え?」
先ほどの威圧感はどこ吹く風。彼女は満開の笑顔で元気に声を上げる。そして私が止める間もなく、彼女は取材を受けているアイドル達の方向を向いて喋りだす。
「見て、左側のあの子が小日向美穂よ。黒髪ショートで丸っこい垂れ目、優し気な雰囲気から分かる通りのキュートな清純派アイドルなのが彼女。アイドル飽和時代とも呼ばれる現在では、多くの人の注目を集められるように、一つ頭が飛びぬけた個性を持つアイドルが必然的に求められるようになるわ。でも、そんな時代なんか知らないとばかりに彗星の如く現れたのが彼女よ。昔ながらに可愛くて優しくて笑顔が素敵、そんな理想の女性像としての王道アイドルを体現したの。かといって、個性が埋没しているなんてこともないのが彼女のすごい所よ。彼女はとても恥ずかしがり屋なの。ここだけの話だけどアイドルになった当初は、ライブ前の楽屋で担当プロデューサーに泣きついたりしていたらしいわ。でもそんな羞恥する姿を見て、小日向美穂のファンに昇格した者も多数いるのよ。……あ、ほら。今も私の声が大きくてベタ褒めしてるのが聞こえちゃったのか、顔が赤くなってきているわ。……見てみてっ、照れてインタビューにどもり始めたわよ! すごく可愛いわ!」
隣で子供のように騒ぐ笑顔な彼女が言うように、小日向さんは顔を真っ赤にして恥ずかしがっている。
それでも必死にインタビューに答える小日向さんの直向きさに、私は尊敬の念と確かなアイドルとしての魅力を感じた。
でもそれと同じくらい私が感じたのは、仕事中に茶々を入れていることへの申し訳なさだったりした。
「そしてもう一人の着物を来た女性は、アイドルの小早川紗枝よ。ロングのパッツン黒髪とおっとりとしていてお上品な様が、見事に着物と相まって和風的優美さを醸し出しているわ。和の文化を基調とした美しさや愛らしさがアイドルとして人気の理由だけれども、それは一朝一夕で身に付くレベルではないわ。伝統深い京都を出身とし、そこに住み続けた彼女の本質があるからこそ、生み出せるのよ。現に彼女が今着ている服は自前の私服で、ほぼ毎日好んで和服を着ていて、むしろ逆に洋服を着るために決死の覚悟が必要になるほどらしいわ。それに喋り方は『どすえ~』とか「あきまへんなぁ」とかみたいな独特な京言葉を使用していて、趣味はこれまた和風な日本舞踊。心技体の全てにおいて伝統的な和風文化からくる京都っぽさを骨の髄まで染み込ませている、そんな彼女を一言で言い表すなら……『ザ・京娘』といった感じかしら。『紗枝はんのファンになったら京都に行きたくなる。さあ、京都に行こう! しかし京都に行ったら紗枝はん見たくなる! なら、ライブに行こう! そして紗枝はん見たら、また京都に行きたくなる!』の無限ループによって京都の観光収入に貢献する面からも、名実ともに『ザ・京娘』の名に相応しいわ。私も何度京都に行ったことか…………ああ、やばいわ。また京都に行きたくなってきたわ! 紗枝はん、なんて恐ろしい子なの!?」
彼女は昔の少女漫画が衝撃を受けた時みたいに、白目を向けていた。
やばいよ、この子。相当変な子だよ。
私は彼女にどこか頭のおかしい幼馴染と似たようなものを感じていた。
「あのぉ、メニューをそろそろお渡ししてよろしいでしょうか?」
そう言って主に一人が騒いでいる私達に声をかけてきたのは、メイド服を着た店員と思われる女性。
「あ、あなたは……アイドルの安部菜々!」
さっきまで白目を剥いていた彼女は、瞳を元の位置に戻して驚愕する。
え、店員さんもアイドルなの?
茶髪をポニーテールにしてる安部さんは確かに愛嬌のある整った顔立ちをしているけど、まさかカフェで働いてる人もアイドルなんて思わなかった。
驚かれた安部さんは若干引きながら答える。
「……な、なんでそんなびっくりしてるんですか? 要(かなめ)さんとはよくお話しする仲ですよね?」
「ええ、確かにそうなのだけど。さっきまで熱烈にアイドルについて語っていたから、その熱が冷めてないのよ。思わずアイドルと会った時のテンションで反応しちゃったわ」
「まあ……要さんのアイドル好きは病気ですからね」
「いやいや、そんなまだまだ私は若輩者で……恐れ多いわ」
彼女は恐縮する。
「いやいやいや、別に褒めてませんからね!?」
「あの、すいませーん。店員さんもアイドルなんですか?」
会話する二人に割り込んで質問する未央に、要さんは手のひらの先を安部さんに向けて説明する。
「ええ、そうよ。時間が空いている時はこのカフェで働いている、自称十七歳。自称ウサミン星出身。自称歌って踊れる声優アイドルの安部菜々よ」
「全部自称じゃないですか!? ちゃんと声優アイドルとして活動してますよ!?」
「ごめんなさい、言い直すわ。歌って踊れる声優アイドルの部分が本当で、それ以外は詐称よ」
「なななに言ってるんですか!? や、止めて下さいよ! わ、私はウサミン星からやってきた十七歳の歌って踊れる声優アイドルですよ!? 皆さん、違いますからね!? 私ちゃんとウサミン星出身ですから!」
私達三人は、安部さんの必死な形相に頷く他なかった。そもそもウサミン星がなんであるかさえ、よく分かっていなかったけど。
安部さんはそんな私達を見てほっと一息吐くと、隣の女性を半眼で見て口をすぼませる。
「だいたい……要さんだって詐欺みたいなもんじゃないですか……」
「あのー、私達その要さんって人のこと全く知らないんですけど、どんな立場の人なんですか?」
未央が私達が抱き続けていた疑問を尋ねると、安部さんは手を口に当てて驚く。
「ええ!? 要さんのお友達なんじゃないんですか!?」
「アイドルの話をしてたらいきなり話しかけられて、まだ自己紹介もしてないです」
「……な、なるほど。確かに要さんはアイドルの話になると、水を得た魚のようにハイテンションで、誰彼構わず声をかけますからね……」
そういって安部さんが目を向けた先には、件の要さんは卯月に喋りかけていた。
「あなたも小日向美穂と小早川紗枝のファンなのよね?」
「は、はい。ライブを見に行ったことがあるくらいの大ファンですっ!」
「やっぱり。彼女達を見るあなたの目には、私と同じものを感じたもの。……ここで同士と会ったのも何かの縁だから、できればあなたのこと、教えてもらえないかしら?」
「え、えっと、し、島村卯月です。気軽に卯月って呼んでくださいっ」
「ええ、分かったわ。よろしくね、卯月。私は美城要(みしろかなめ)。苗字から分かる通り346(美城)プロダクション会長の子供よ。美城だと会社の名前と音が被っちゃうから要って呼んでくれたら嬉しいわ」
「「「ええ!?」」」
話していた卯月も、その話に聞き耳を立てていた未央と私も一斉に声を上げた。
「わっ!? なに、なんなの!?」
そして、要さんは突然声を上げた私達を怖がった。
◇◇◇
要さんが驚愕の真実を発表した後。
彼女が安部さんに接客をしなくていいのかと指摘したことで、安部さんは急いで仕事に戻っていった。
彼女は私達と同じテーブルの席に腰かけると、未央と私の方を向く。
「それで、あなた達の名前も教えてもらっていいかしら?」
「あ、はい! 私は本日付けでアイドルになった本田未央です!」
未央は彼女の立場を理解したために、背筋をピンと伸ばして綺麗に頭を下げた。
「私は渋谷凛です。私も未央と同じ所属のアイドルです」
私も未央に倣って同じように礼をして顔を上げると、要さんは目をキラキラとさせていた。
「ええ!? あなた達はアイドルだったの!? 道理で美人揃いだって思ってたのよ!」
「……えへへ、まあアイドルだから可愛いのは当然ですよっ」
彼女の全く飾られていない純粋な言葉に、未央は茶化すように照れた。
「そうねそうね! すごく可愛いわ! あの、握手してもらえないかしら!?」
彼女のお願いに未央はノリノリで、私と卯月は困惑気味に握手した。
まだアイドルらしい活動の一つもしていないので、アイドルとして喜ばれることに私はどうにも違和感を抱いてしまう。
それは卯月も同じようだった。
恍惚とした表情で握手した手を見つめる要さん。
「……手……洗えないわね」
この人はどれだけアイドルが好きなんだろう。まだ素人同然の私達の握手にそれほどの価値はないと思うよ。だから手を洗って欲しい。
彼女は数秒経ってから、はっと何かを思い出す。
「あ、そうだったわ。アイドルだったことに驚いて言うのが遅れてしまったけど、そんな畏まらなくていいのよ? 私高校一年生の若造だし、ここの会社に就職しているわけでも上司なわけでもないもの。ただ親のコネを使って、たまにアイドルを見るためにここを出入りさせてもらっているだけだから」
そういって、彼女は来ている学生服のブレザーをひらひらとさせていた。
確かに、その装いからして学校帰りに立ち寄った感じがする。
というかその制服には、見覚えがある。私に寄生する我が儘っ子が着ている服に。
似たような制服かと思っていたけど、胸元のポケットにあるエンブレムというか校章をよくよく見るとそっくりだった。
「どうしたの? 私の制服をじっくり見て?」
「あ、はい……じゃなくて、うん。……えーっと……私の幼馴染が一緒の学校だから、見覚えのある制服だなと思って」
「へー、幼馴染。……幼馴染……。……幼馴染ねぇ」
彼女は私の言葉を何度か反復して、それと同時進行で段々とその表情を悲しげに、落ち込んだように肩を落としていった。そしてしまいには、人差し指を使ってテーブルの上に『の』の字を書き始める。
「…………それいいな、いいなあ、羨ましいなあ。アイドルの幼馴染いいなあ」
流されると思った幼馴染の話に、案外彼女は食いついてきた。
「いや、でも、待って。……確かにその人のことハンカチを噛み締めたくなるくらいに羨ましいけど、見方を変えると私はそのアイドルの幼馴染と同じ学校に所属していることになるわ。それって、滅茶苦茶運が良いことなのじゃないかしら? なんと言ってもアイドルの幼馴染なんだもの……絶対素敵な人に違いないわ、その人」
彼女は期待が溢れんばかりのキラキラとした瞳で私を見る。
「……ねえ、その幼馴染の方ってどんな素敵な人なのかしら?」
そのアイドル至上主義の考え方はどうかと思う。私の幼馴染は素敵でも何でもなく、むしろ素敵の正反対なので全くもってその考えは的外れだよ。
私はアイドルになってからごちゃごちゃ煩い、ただ今絶賛アルバイト中の幼馴染の姿を思い浮かべて、その特徴を考える。
…………。
「……………………変態?」
「「「変態!?」」」
私の言葉に一斉に驚く他の三人。
これは言い過ぎたかもしれない。もうちょっとマイルドな表現をしないと……。
…………。
ダメ、思いつかない。
ここ最近のアイツの言動を思い返してみるけど、大体全部『変態』の二文字で片付けられる。
未央が苦笑いを浮かべる。
「変態が真っ先に浮かぶ女子って……」
「え……男だけど?」
「「「男!?」」」
三人はまたも一斉に驚く。
「う、うん……」
私はこの反応にどうしたらいいか分からず、とりあえず肯定の返事をするしかなかった。
未央は手を顎に沿わして、芝居がかった表情で私を見る。
「……ほほう、未央ちゃんセンサーに確かな反応あり! 長年連れ添ってきた男の子と恋に落ちるのは少女漫画の王道ストーリー。これはもしかしなくてもラブな予感がビンビンしてきますな!」
そんな未央の言葉を聞いて卯月は予想以上に楽しそうに頬を染めて、手をわちゃわちゃさせる。
「りりり凛ちゃん、本当ですか!? ラブがビンビンなんですか!? もしかしなくても恋する乙女ってことですか、キャー、凛ちゃんすごいですよ!」
「いやいや、アイツはそういうのじゃないから。……どちらかというと、手のかかる子供みたいな感じだから」
「はいでました! 未央ちゃんには分かります! これは『今まで意識してなかったけど、アイツって案外……』のパターンだよ!」
卯月は深く同意するように何度も首を縦にふる。
私はため息をついて頭を抱える。
そういえば、中学に入学した当初もこんなことがあった。
小学生の時はアイツの通う学校が違ったから、学校での関わりは無かった。でも中学は同じで、学校でも男女で一緒にいることが多かった私達を見て色めきだした同級生達に話しかけられることがあった。
あれがきっかけで中学では友達作りに苦労しなかったのは確かだけど、今の状況はあの時に限りなく近い。
「ほんとに違うから。どうしようもない奴だから。アイツに恋愛感情を抱く要素がない」
私は眉間を寄せて、本当に嫌そうな表情をした。
それを見た三人は困惑する。
「こ、これは案外ガチで嫌悪しているパターンかもですな」
「そ、そんなひどく言われる人なんだ……」
「……むしろ、逆にどんな人なのか気になってくるわ。写真とかないのかしら?」
写真か……。私が撮られることはあっても、アイツの写真なんて撮ったことあったっけ?
私はポケットに入っているスマートフォンを取り出して、アルバムアプリを開いた。
スクロールして写真を探すけど犬の花子や花の写真ばかりで、特にめぼしいものは見つからない。
やっぱりないと諦めかけた時、写真ではなく花子とアイツを撮影した動画が見つかった。
「あ、動画だけど一つあった。……これ」
私は動画の再生ボタンを押して、皆に見えるように画面の向きを外側に向けた。
『こちらコードネーム――スネーク。凛ちゃんの部屋に侵入した。ああ、今から「ベッドの下からこんにちは」作戦を実行に――って、うわっ、なんだこの揺れは!? ダンボールの外から襲撃を受けている!?』
そこにはダンボールの中に入って私の部屋に侵入したアイツが、ハナコに襲われているシーンが映っていた。
「ぶふふっ」
「ふふっ」
「あははは」
皆は笑った。
◇◇◇
「いやー、すごい面白かったよ、しぶりん。結局ダンボールの中に籠もってやり過ごそうとするけどひっぺがされて、最終的に小犬に組み敷かれて助けを求める人なんて初めてみたよ」
「えへへ、すいません。私も思わず笑っちゃいました」
「なかなかのエンターテインメントだったわ」
彼女たちの感想は好評だった。
まあ、私も動画を撮っていた時はその間抜けさに笑っていたけれど。
「部屋に勝手に入るのは無遠慮過ぎてどうかと思うけどさ……、しぶりんが言うほど酷い人でもないと思うよ?」
「そうですね。私も面白い人って素敵だと思いますよ?」
「私はあんまり男の人に興味はないからどうとは言えないけど、悪い人には見えなかったわ」
各々がアイツに対しての感想を述べていく。そして最後に声を揃えて同じ言葉を口にする。
「だってさあ――」「それにですね――」「なんてたって――」
「「「――イケメンだし(でしたし)」」」
顔ってすごい影響力。
確かに悪くない顔をしているのは認めるけれど、ずっと一緒に居るからそれほど魅力的に見えない。何より、言動や性格が問題過ぎてどうしようもないレベルなのだから、顔がいくら良くても中身で全部台無しだったりする。
現に、アイツが女子に告白されたのは中学に入学してから二か月にも満たない間。
その間に私にしていた変態的な言動が広まって、一気にモテなくなった。それ以降はむしろ一緒にいる私が同情される始末。
そんな奴とずっと一緒の私が恋心を抱くわけがない。もっとも、アイツといるせいで甘酸っぱい青春を取り逃してしまった可能性もあるから、憎しみは抱いているかもしれない。
ふと空を見上げると夕暮れから夜への移り変わりが見て取れる。スマホの時計を見れば、六時まで数分。
そういえば、私達は何か予定があった気がする。
例えば、六時から行われる他のCPメンバーとの顔合わせとか。
「も、もうすぐ予定の時間になりそうっ」
私は慌てて椅子から立ち上がった。
卯月と未央は私が突然声を上げたことにギョッとして驚いた後、言葉の意味を理解したのか慌て始める。
「……え、ええ!? た、大変です!?」
「うそっ、もうそんな時間なの!?」
「あら、どうしたの?」
夕暮れのカフェテラスには、慌てふためく少女三人と何が起こっているのかよく分からない少女一人がいた。
◇◇◇
結局、私達は約束の時間を遅刻してしまい、プロデューサーから注意を受けることになった。
それと同時に伝えられたのは、メンバーとの顔合わせだけでなく宣材写真の撮影も同時に行うということ。
私達はプロデューサーの後について撮影スタジオの中に入り、奥の控え室のような場所に向かうとそこには他のメンバー達がいた。
そこで出会った卯月と未央と私を除いた十一人のメンバーは皆個性豊かで、驚くことの連続だった。
特に目立っていたのは、猫、背の高い、厨二病、働いたら負けという個性を持つ四人の女の子。
語尾に「にゃ」をつけて猫っぽく話すのは、前川みくさん。ショートボブの黒に近い茶髪。はにかんだ時に見える八重歯が印象的な子だ。猫語はキャラ付けの一環らしいけど、全くもって理解できない。
カラフルな服を纏って、その長身に似合わずファンシーな雰囲気の諸星きらりさん。胸元まで伸びる明るい茶髪をパーマで巻き毛にしていて、垂れ目な瞳と長いまつ毛が相まって優し気ながらも妙に目力がある。この人も喋り方が独特で、慣れるまで時間がかかりそうだ。
全体的に黒を基調としたゴシックドレスに身を包んで、小難しい言葉を使うから何言ってるか分からないのが神崎蘭子さん。銀髪なんて珍しい色に染めた髪をツインテールにしている彼女だけど、言動や服装も奇抜だからか、統一感がある。真っ白な肌が綺麗で、その体質もあって日に弱いのか室内なのに黒い日傘を差している。室内なのに。
働いたら負けという言葉が大きくプリントされたTシャツを着て、寝転びながら面倒そうに自己紹介したのは双葉杏。体格は中学年程度でCPメンバーの中でも一番小さいかもしれない。腰まで届く長い金髪をサイドに二つ、肩あたりの位置で結んでいる。見るからにやる気のなさそうな表情と控え室に置かれた丸椅子を並べて寝転ぶ姿勢が、ここに仕事をしに来たと思えないほどに怠惰だった。
この四人の人達は見るからに変わり者な感じで、常識という点が合うのかですでに心配していたりする。
一つ確かに言えるのは、私の中のアイドルというイメージが崩壊し始めていることだ。私の幼馴染の頭のおかしさも、案外この業界では普通だったのかもしれない。
世界は広い。私はもう少しあの幼馴染に優しく接することを検討しなければならないかもしれない。
全員との軽い自己紹介を終えると、その輪の中に一人の女性が声をかけてきた。その女性は私も雑誌で見たことがあるくらい有名なアイドルの城ケ崎美嘉さんだった。
なんでも私と同じCPメンバーである城ケ崎利嘉の姉にあたる人らしく、今回はたまたま私達がいるこのスタジオで撮影をしていたようだ。
美嘉さんと利嘉は姉妹と言われれば、誰もが納得するくらい瓜二つとはいかないまでも近い顔立ちをしている。高校生と中学生で体格や顔立ちは妹の莉嘉が幼いけど、つり目でギャルっぽい感じがそっくりだった。それに加えて美嘉さんはサイドポニーのピンク髪、莉嘉はツーサイドアップでロングの金髪と、ヘアカラーが目立つ配色なあたりも似ていた。
挨拶ついでに少しの間私達は美嘉さんの撮影を見学していたけど、スタッフの方から撮影の準備をするように指示されてその場を後にした。
すでに他のメンバーは撮影を終えている人も、今から撮影を始める人もいる。
後から来た私達三人はまだメイクやヘアセットをしていなくて撮影体制に入っていなかったので、早速鏡の前に座ってメイクの人に準備をしてもらうことになった。
他のメンバーはすでに身支度を調えていて、どんどん先に撮影を済ませていく。
順番が近づくごとに表情が固まっていく補欠合格の私達と違って、彼女達は緊張をした感じもなく各々の個性溢れる姿をカメラのレンズに向ける。
若干一人恥ずかしがっている子がいたけど、あれがあの子の個性なんだろう。
あっという間に私達の出番が回ってくることになった。
◇◇◇
「ありがとうございました」
白い背景をバックに、照明に照らされた撮影スペースに立つ私は、カメラマンの人に礼をした。
「はい、お疲れ様。……いやぁ、君すごいね。とても綺麗に撮らせてもらったよ。もうほんとばっちり。ほとんど指摘することもなくほぼ完璧だったよ。こちら側も楽しくなって何枚も撮っちゃったしね。もしかして、モデルとかの経験があるのかな?」
思っていた以上に簡単に撮影を終えた私は、カメラマンの人に話しかけられていた。
「い、いえ、そういう経験はないです。…………けど、知り合いや家族にカメラをよく向けられる環境にあったからかもしれない、です」
主に幼馴染とか、お父さんとか。
「まあ、最近はスマートフォンとかでカメラも身近に普及しているから、カメラ慣れしている子は多いんだけど……君はなんていうか、その一段上のステップにある気がするね。いつもカメラを意識しているって言い方は悪いけど、どんな時も綺麗に映るように動きが洗練されているっていうのかな……。自然体でありながら、自分の魅力を最大限に引き出してるような……、なんていうのかな……ああ、ごめん。言い出して悪いけど、うまく表現できなかったよ」
まさか毎日幼馴染にカメラを向けられることを意識して、突然シャッターを切られることに身構えていた私にこんな成果があったなんて。
でもやっぱりプロの人はすごい。全部的を射ている。
自分自身でも気づいていなかったのに、プロの人が見ればやっぱり分かるのかな。
内心感心しながら私はもう一度頭を下げてお礼を言うと、撮影スペースから立ち去る。
そんな私に卯月と未央が突撃してくる。
「な、なんでそんなに凛ちゃんはおおお落ち着いていられるんですか!?」
「そ、そうだよ、しぶりん!? さっきまで私達と一緒に緊張していたのは何だったの!? 裏切ったの!?」
「裏切ったって……」
私より先に撮影をした二人は、どちらも終始ぎこちない表情をしていた。
卯月はいつもの晴れやかな笑顔ではなく、苦笑い。
未央はカメラを意識しすぎて、自分を作っている感じがあるとダメだしを受けていた。
二人とも自然体でいられないのは、おそらく数ヶ月前から決まっていた他のメンバーと違って、アイドルになるという心の準備が出来ていなかったからだと思う。同様に補欠組の私もプロデューサーからの撮影宣言にまだ気持ちの整理がついていない。
それでも私だけがうまくいった。同じような立場にあるにも拘らず私だけが乗り越えられた理由は、さっきカメラマンさんが言った通りなんだろう。
私はあの幼馴染のせいで二十四時間密着撮影を受けているみたいなものだから、そんな特殊な境遇が偶然この状況にぴったりと適していたんだ。不幸中の幸い。人生何が起こるか分からない。
「ただ人より写真を撮られる機会が多かったから、緊張とか関係なくスイッチが入ったっていうのかな? ……さっき話した幼馴染がいるでしょ? アイツ、撮影が趣味だから、強いていうならそいつのおかげ?」
いや、これは私の日々の苦労が実を結んだといった方がいい気がする。
そんな私の回答に、なぜか未央が私の肩を持って非難するように揺らしてくる。
「うがああ、また幼馴染かあ!? イケメンで面白くて撮影が趣味の高スペック幼馴染のせいなのか!?」
「……凛ちゃん羨ましいです。私なんて笑顔と頑張ることしか取り柄がないのに、その笑顔でさえうまくできませんでした。凛ちゃんは素敵な幼馴染さんがいて、そのおかげでカメラにも慣れていて、とっても素敵に撮影されていて……島村卯月、もっと頑張ります……」
いつもはニコニコ元気に「頑張ります!」と言う卯月が、今に限って滅茶苦茶落ち込んでいた。
心なしか、その要因の一部が私のような気がするのはなぜだろう。
とりあえず、私は卯月を慰めるために何とか言葉をひねり出す。
「だ、大丈夫、卯月自身は気付いてないだけでいっぱい良いところあるよ。それに私の幼馴染は全然素敵じゃないから、羨ましがることなんてない。えーと……例えば、アイツは私が怒ると喜ぶおかしいやつだし」
「「え?」」
二人とも驚いたように目を丸める。
この際だから、卯月を慰めるのと同時進行で二人が勘違いしている私の幼馴染がどんなやつなのか、ちゃんと説明してしまおう。百聞は一見に如かずだけど、何個か悪いところを聞いてもらえば、見るには及ばずとも理解してもらえるはずだ。
私は思い出せる限り、ここ最近の行動を含めたアイツの汚点を口に出していく。
「他にも突然写真を撮ってくるし。恋人でもないのにお尻触ろうとするし。お父さんと私の写真交換会してるし」
「「え…………」」
「言動がおかしいし。叩くと喜ぶし。言うこと守らないし。鼻水ついたティッシュ近づけてくるし。あと、えーと、付きまとってくるし。……ほらね? 最悪でしょ?」
「「…………」」
私が思い出すために上に向けていた視線を二人に戻すと、二人は唖然としながら声を失っていた。
あ、言い過ぎたかも。伝えなくていい事まで伝えた気がする。流石にここまで酷い言われようは、アイツとはいえ可愛そうかもしれない。……まあでも、全部事実なのだけど。
どうしよう。少し良い所も紹介するべきだろうか。でも……あいつの良い所って……なんだろう? 勉強ができるところとか?
そんな風に頭を悩ませる私を他所に、意識が帰ってきた未央と卯月は互いに顔を見合わせて二人同時に振り向くと言う。
「「……イチャイチャしてるようにしか聞こえない(聞こえません)」」
「…………」
その言葉で頭が真っ白になった私は何も言い返すことが出来なかった。
ただゆっくりと撮影所の隅に座って、体育座りで項垂れるしかなかった。
◇◇◇
少しの休憩時間。
結局、プロデューサーとカメラマンに呼ばれた卯月と未央は再撮影になったことを伝えられた。
しかし、そんな状況にも拘らず二人は体育座りの私の隣に腰かけると、落ち込んだ私の元気を取り戻そうと尽力していた。
「好きでもない相手にやられたらそりゃあ嬉しくないよ。うんうん」
「そうですね! 分かりますよ、凛ちゃん!」
「…………二人とも、さっきと言ってること違う」
「「うっ!?」」
二人は図星をつかれたように、言葉を詰まらせる。
「もういいよ。……卯月がアイツに襲われても知らないから」
「ええ!? ど、どういうことですか!? 私、幼馴染さんに襲われるんですか!?」
「……アイドル反対派だったアイツに、私が卯月の話を聞いてアイドルになることを決めたって言ったら、すごい形相で報復を暗躍していたから」
「…………」
私がそういうと、卯月は黙ってしまった。
その反応が、私に一抹の不安を抱かせる。
もしかして……私の言葉で、卯月を落ち込ませてしまったのだろうか。
ほとんど見ず知らずの誰かにでも、恨まれたり憎まれたりすることは良い気分ではない。
卯月は私よりそういった悪感情に打たれ強いとは思えない。
自分基準で言った冗談は相手側に冗談として受け取られなければただ暴言になってしまう時もある。卯月にとって私の冗談は、ただ友人の知り合いに嫌われてしまったという悲しいだけの出来事だったのかもしれない。
私は伝えなくていいことを伝えてしまった後悔を抱きながら顔を上げて卯月を見る。
だが、予想に反して彼女の表情は全く違ったものだった。
「え……なんで笑ってるの?」
予想外の反応に困惑する。
「えへへ、ごめんなさい。その……凛ちゃんがアイドルになった理由を聞いたら嬉しくて」
「え…………そ、そう?」
卯月に指摘されると、急に恥ずかしいことを言った気がして、頬に熱を感じた。
私はなんとかこの顔を見られたくない一心で卯月から顔を背けた。その目線の先には、カメラマンと会話をしているプロデューサー。
その大きな後ろ姿を見ていると、アイツは卯月意外にプロデューサーについても言及していたことを思い出した。
「……そういえば、アイツはプロデューサーを成敗するとかなんとかも言ってた気がする」
「私に加えて、プロデューサーさんもですか?」
「うん。……そもそも私がアイドルになった根本の原因はプロデューサーのスカウトだから、いつか成敗してやるって」
「プ、プロデューサーさんは強そうですよ!?」
「だよね。犬にも負けてる奴が言うセリフじゃないよ、ホント」
「ぶふっ、あははははっ」
そんな会話をしていると未央が突然笑い出す。
私と卯月は苦しそうに笑い転げる未央になんとも言えず。本人はそんな周囲の反応も知ってか知らず笑い続ける。
数十秒経過してようやく喋れるくらいの笑いに落ち着いた未央は、苦しそうにしながらも喋る。
「ふふ、いやあ、ごめんごめん。さっきの動画で幼馴染君が犬にやられている姿を思い出しちゃって……。あははっ。それでそんな幼馴染君がプロデューサーに襲撃をしかけるも手も足も出ずに捻りつぶされる姿を連想したらもう、あははは」
解説しながらも、未央は笑顔を止められない模様。
そんな未央につられて、私もアイツがやられている姿を想像すると思わず笑ってしまう。
卯月も私と同じように笑う。
そんな私達の笑い声を聞きつけたのか、狙ったようにカメラマンさんが撮影再開の声をかける。
未央は笑い涙を一指し指で拭いながら、卯月と共に立ち上がった。
「それじゃあ、未央ちゃん行ってきます」
「島村卯月、頑張ります!」
私に声をかけて立ち上がった二人の表情は、もう最初のように張り詰めた表情ではなかった。
私は二人のその笑顔なら、カメラマンさんもきっと大満足な写真が撮れると思った。
「うん、行ってらっしゃい」
私がそう言って手を振ると、二人はカメラマンさんの元に駆けていった。
二人は自然な笑顔で、カメラマンさんに言う。
「「よろしくお願いします!」」
私はほっと息をついて、スカートを払いながら立ち上がる。
色々と苦労をかけられて、一緒に居るのも懲り懲りになるくらい大変な幼馴染。頭のおかしさだけは一級品で、馬鹿の上に馬鹿を塗り付けたように大変馬鹿な馬鹿。
そんなどうしようもない幼馴染だけど、奇想天外な行動によって話題作りに事欠かない点だけは、尊敬に値するかもしれない。
主体的に話すことがあまり得意じゃなくて、話し上手でない私でも、二人の気晴らしになるような会話ができたのだから。
私の幼馴染に対する評価は、少しだけ軌道修正されるのだった。