Fate/crescent 蒼月の少女【完結】   作:モモのすけ

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第一話 運命の夜 【9月4日】

 その日。

 俺は、夜空に煌めく流星を見た。

 

「はッ、はぁッ、はぁッ──‼︎」

 

 ──某県大塚市中心、大塚駅付近。

 

 等間隔に置かれた街灯が疾走する俺の姿を照らし、その影を歩道に長く映している。

 両脇には高く聳えるビルの群れ。縦に区切られた不自然な形の暗い夜空を、千切れた雲が流れていく。綺麗な秋月も今宵は雲の向こうに姿を隠す、そんな不気味な夜だった。

 そんな夜空を跳び回る「何か」。乱立する高層ビルの間を縫うように、二つの影が激突を繰り返している。

 あの影の正体について分かることなんて何一つない。だが、不思議と心の底から湧いてくる感情があった。

 

 ──走れ。たとえ足が千切れたって。

 ──名も知らぬ誰かに逢うために、走れ。

 

 後方でなんとか追い縋る俺には当然目もくれず、二つの影は交わりながら東の空へと飛んでいった。人型だが、少なくとも人間ではない事は明らかだろう。

 

(何なんだアレ……幽霊、怪物……少なくとも幻じゃない)

 

 俺がそんな無為な思考に耽る中、不思議に輝く二つの光は夜空に美しい軌跡を刻み、尾を引くような光の残滓を残していく。

 

「はぁ、はぁ……‼︎ くそ、速いっての……‼︎」

 

 閃光と火花を遠目にも判るほど激しく撒き散らしながら、二つの影は何度も何度も交錯した。

 息は切れ、脚はどんどん重みを増していく。肺が苦しい、酸素を求めて悲鳴を上げているのが分かる。

 ──それでも、諦めずに追い掛ける。

 前へ。前へ。足を踏み出す、ただそれだけの行為をいつまで繰り返したのか。俺とその人影は駅前のビル群を抜けて、大塚市東部の住宅街へ。いつしかちらほら見えた人影は消え、閑静な住宅街が両側に続く。

 時間帯は深夜。この日の住宅街は異様なほどに静まり返り、まるで街全体が息を潜めて「奴ら」の激闘の終わりを待ち侘びているかのようだった。

 

「──⁉︎」

 

 遥か彼方で響き渡る硬質な、それでいて激しい響きの金属音が、微かに俺の耳を打った。

 ほぼ反射的に、ぴたりと足を止める。

 息は切れているが、体力的な限界ではない。単純に、あの二つの影が発する尋常ならざる威圧感に気圧されたのだ。

 感じた事もないような悪寒が全身を駆け巡る。死が限りなく近いと理解できる。どうやらあの影は、俺の、人間の想像力の範疇など容易く超越しているらしい。

 

「………………っ‼︎」

 

 思わず息を呑んだ。恐怖に息を呑んだ。

 闇に包まれた行く先へ瞳を向ける。すぐ目の前には、山の中腹を切り開いて作られた森林公園へと続く階段が、まるで地獄の入り口のように佇んでいた。

 六時過ぎには閉まってしまう森林公園に人の気配は無い。しかし確かに、ゾッとするような気配だけは漂っている。ざわざわと不気味に鳴る葉擦れの音。それがこれ以上は立ち入るな、と警告を発しているように思えた。

 

 ……この先に踏み込めば、きっと俺は何かを失う。

 不思議とそんな嫌な予感だけは感じていて──、

 

「今更なに言ってんだ、俺。ここまで来たってのに、逃げ帰る訳にもいかないだろ……‼︎」

 

 ──それでも構わないと、力強く一歩を踏み出した。

 

 二歩、三歩と勢いよく駆け出す。粘つく恐怖で止まりそうになる脚を無理やり動かし、金属製の門扉を飛び越えて、俺は再び全力疾走を開始した。

 

(……どうして、俺はこんなに必死なんだ)

 

 はっきりいって異常だ。数日前からこの街を包んでいる不気味な気配も、頻発する行方不明者も、あの正体不明の二つの影も、こんな必死になっている俺自身も。

 自分で自分の行動の理由が説明できない。この行為は自ら奈落の底に中に身を投げるようなものだと知りながら、俺はあの影を追うことを止められない。

 

(ああ……けど。一つだけ、理由はある)

 

 懐かしいような、嬉しいような、そんな感覚が胸を焦がす。

 それが、俺の中にあるたった一つの理由だ。非科学的で、馬鹿らしくて、それでも強い強い意志の咆哮。「走れ」と声高に叫ぶ魂だけを原動力に、俺は今こうして走り続けている。

 しかし、此処に在るのは静寂のみ。

 木々は鬱蒼と生い茂り、森は漆黒の闇で埋められている。真っ黒なペンキを全てにぶち撒けたような不気味な闇が、この場全てをすっぽりと包み込んでしまったかのよう。

 

「はぁ、はぁ……この階段の上、ね……」

 

 この闇の中では、急な階段に沿って一定間隔で並んでいる夜灯の頼りない光だけが唯一の拠り所だ。何十段も上がったところで、ようやく階段が途切れた。肩で息をするように荒い呼吸を繰り返して、目の前の闇を睨む。

 

(近い。間違いない……ここに、いる)

 

 いよいよ激しい戦闘音が近づいてくる。それは余りにも近過ぎて、その音一つ一つに籠められた殺意までもが伝わってくるようだった。

 何かが激突する金属音。

 地面を粉々に粉砕する音。

 木々が烈風に震える音。

 蛇のように曲がりくねった森の小道。そこを奥まで進んだ先にある広場で、二つの影は熾烈に戦っているのだろう。

 ……既に、俺という存在は日常の世界から逸脱してしまっているらしい。

 早鐘の如く心臓を鳴らしながら、俺は移動を開始した。馬鹿正直に遊歩道を進む訳もなく、整備された道から外れて木々の間に身体を滑り込ませる。

 ぱきり、ぱきりと、積もった落ち葉を踏みしめる。響き渡る大音響に掻き消される筈の小さな音にも怯えながら、ゆっくりと身をかがめて進む。木々が途切れ視界が開けるその寸前、俺は一際太い大木に背を預けた。

 

(この先だ)

 

 この大木の先からは、鬱蒼とした森がすっぱりと途切れている。夜の森林公園は遮蔽物も邪魔者もない、まさに決着をつけるに相応しい場所だ。

 

(この先に、奴らが────いる)

 

 俺はまず冷静になろうと努めた。深く深呼吸を繰り返して動悸を落ち着かせる。たったそれだけの行為に十秒以上もかかった。ようやく落ち着いたその後、額を握った右拳でまじないのように小突いて──。

 

 そして少しだけ、身体をズラす。

 奥を。片目で木々の奥を、未知の世界を覗き込んだ。

 

「…………………な、に?」

 

 その瞬間、世界が違って見えた。

 自分の口から漏れた小さな声を意識することすらできずに、呆然と眼前の光景を眺める。

 美しく混じり合う蒼と紅の光芒。凄絶な速度で激突する刃。

 

 ──其処には、本物の死闘があった。

 

 桜花のように舞い散る赤い火花に、対のように輝く蒼光。

 それは、二人のうちの一人が振るう長剣の軌跡だった。ヒトの視認可能限界を悠に越えた速度で打ち合う、長大な二振りの刃。

 たった一太刀、一合──それだけで大地は粉々に割れた。空気は吹き荒れる暴風と化して悲鳴を上げた。そんなバケモンじみた威力の剣戟は絶え間なく続けられている。恐らく秒間に数十は行われているであろう、莫大な威力を誇る剣戟の激突。

 斬り結ぶ両者はまるで天変地異の具現。

 直視する事を思わず避け、再び背中を幹に預ける。衝突の現場から十メートル以上離れた位置に居るというのに、背中を預ける大木が今にも折れそうに揺れていた。こんなにも太い巨木が、今は細い枯木を背にしているかのように頼りない。落ち着いた筈の心臓は再び狂ったように鼓動を繰り返し、思わず歯を食い縛る。

 

(やっぱアレは、人間じゃない……‼︎)

 

 そう、はっきりと。

 今更ながら理解してしまい、愚かにもヤツらを追ってきた自分自身を俺は呪った。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■‼︎」

 

 地を這うような獰猛な咆哮──それに込められた意味などない。

 在るのは殺意、殺意、殺意。殺意‼︎ それだけがひしひしと伝わってくる。地獄の呼び声だってここまで恐ろしいもんじゃないだろう。全身に鳥肌が立って、体の震えが止まらない。だが──、

 

「ぐ……っ、う‼︎ ──あぁぁぁっ‼︎」

 

 それに真正面から立ち向かわんとする、弱々しくも凛々しい声があった。

 今にも咆哮に掻き消されそうなそれを辛うじて聞き取り、はたと気づく。

 

(………………聞き覚えが、ある? 気のせいか)

 

 その声に触発され、決死の覚悟で再び地獄を直視する。今度は余裕も少しは取り戻せたのか、視界の中心で剣を交わす両者以外も視界に映す事が出来た。

 夜灯に照らされた、半径数十メートルはあるすり鉢状の広場。綺麗に刈り揃えられていた筈の芝生は見るも無残に抉り割られ、激闘の熾烈さを物語っている。月が出ていないせいか夜灯の少ない広場はなお暗く、昼間ののどかな明るさとは正反対の印象を抱かせた。

 今も争っている二人に視線を移す。

 一人は、ドス黒く禍々しい長剣を携えた、かなり高い背丈の大男。その程度の情報ですら、理解するまでにかなりの時間を要した。距離もあり、辺りは暗い。だがそれを抜きにしても、あの男は疾すぎたのだ。

 まともに視えるのは、精々が振り回される長剣、その残像らしきもの程度。その速度は生物の限界をとうに超え、もはや生物ではない何かの域へと達している──。

 

「馬鹿げてんな……くそ、なんなんだアレ」

 

 無意識の内に呟きながら、もう片方に視線を移した。

 暴れ回る一方に対し、もう一人は殆ど動かない──否、動けないと言うべきか。

 絶叫と咆哮を上げながら疾風の如く飛び回っては、殺意に任せて長剣を叩きつける大男。力任せの、乱雑極まりない剣技──されど男の速度をそれに加えれば、巻き起こるのは斬撃の檻だ。周囲を覆う男の連撃に閉じ込められるように、少女は一歩たりとも動けないでいた。

 周囲三百六十度、全方位から息もつかせず迫り来る嵐の如き凶刃。常人なら瞬きの間に細切れにされるだろう。人を超えたモノのみが扱える人外の剣戟。

 そして、それらを全て迎撃するあの少女も、恐らく──。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■──‼︎」

 

「う、あァァァァァァァ────‼︎」

 

 両者が吼える。彼らの刃は持ち手の意のままに閃き、真正面から激突した。

 同時に闘志と殺意と剣気が一緒くたになって膨れ上がり、両者の間を埋め尽くす。

 円状に広がった衝撃波は突風と共に空気すらも吹き飛ばし、周囲の木々がへし折れんばかりの勢いで揺れ動いた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 その轟音と衝撃に怯むことなく、音速をたやすく振り切った超速で振るわれる男の長剣。少女は手にした曲刀を長剣に押し当て、受け流す形で致死の剣戟を凌ぎ切る。

 だがそこに、二撃目の斬撃が迫る。凌ぐ。追撃。凌ぐ。追撃──、

 彼女は全ての斬撃を打ち払うが、幾ら攻撃を防いでも無意味。反撃に転じる動作そのものを、男は怒涛の攻撃で潰してしまう。

 それはまさに、「平穏」や「日常」といった言葉から乖離した光景だった。ここは俺の知る世界ではない。超常と未知に溢れた地獄だ。

 だが、そんな光景の中で──、

 

(……あれ、は。あの子は…………なんなんだ)

 

 気高く剣を振るう少女の姿だけが、俺の網膜に焼き付いてくる。言いようのない不思議な感覚を味わいながら、俺はその姿を始めてまともに捉えていた。

 全身を覆っているのは刺々しい漆黒の鎧。澄んだ湖面のように蒼い髪が、巻き起こる風を受ける度に揺れる。その奥に覗く顔は思わずはっとするほど整っていて、少し赤みのさした頰には一筋の刀傷が走っている。

 ……思わず、彼女以外の全てを忘れた。

 だってその姿は、まるで一枚の絵画のように美しくて──、

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■──ッッッッ‼︎」

 

 ──なんて馬鹿な事を考えている場合じゃない。全てを破壊せんとする一匹の獣が、今ここには存在しているのだ。その声で呆けていた頭は我に返り、慌てて頭を振る。

 男の猛攻で見え辛いものの、彼女は見るからに追い詰められているのが素人目にもはっきりと見て取れた。絶える事ない攻撃を受け続け、次第に防御の鋭さが鈍くなっていく。

 その隙間を縫うようにして、男の凶刃が彼女を何度も何度も斬り裂いた。その度に噴き上がる鮮血が地面に溢れ、鮮やかな赤色が苦痛に顔を顰める彼女の周囲を彩っていく。

 

「……はぁ──はぁ、っ! う──ぐぅぅ……‼︎」

 

 よく目を凝らして見れば、彼女の全身を覆う鎧は所々が砕け、流血が彼女の全身を伝っている。身体の所々には決して少なくない量の血が滲み、酷い傷を負っている事を窺わせた。無意識の内に右手を震えるほど強く握り締めてから、改めて考え直す。

 

(……分かるだろ。アレはきっと、人智を超えた怪物だ)

 

 そう。とても人間が関われるような、関わっていい存在じゃない。

 無茶を通そうとする理性に言い聞かせるように、理不尽を無理矢理飲み込ませるように、ただただ逃げろ──と己に命令する。

 そっと森を抜けて家に帰り、ベッドに入って全て忘れる。それが正しいと、生存本能とも言うべき何かが、恐怖と緊張で小刻みに震える身体の奥で警鐘を鳴らしている気がした。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■──‼︎」

 

 それはきっと正しく、生存確率の最も高い確率だ。

 だが同時に、あの子が目の前で殺されかかっているという事実は揺るがない。

 

(じゃあ、飛び出すのか──俺は。できるのか)

 

 しかし、脚は地面に不可視の糸で直接縫い付けられてしまったかのようにぴくりとも動てくれない。

 ……単純な話、どうしようもなく怖かった。

 確実に殺されると知っていたから怖かった。

 飛び出す事も、去る事もできない中途半端な勇気を抱いたまま、ただ荒い呼吸と葛藤を繰り返す。

 

(……クソっ、動け、動け、動けよ‼︎ 何のためにここまで来た⁉︎ 今動かないと、ここであの子は死ぬんだぞ……‼︎)

 

 砕けるかと思うくらいに歯を食い縛り、無理矢理恐怖を心の奥底に押し込める。

 腹の底から声を上げる準備。拳を握る。覚悟を決める。全て整ってから思い切り息を吸い、木の陰から俺がヤケクソ気味に飛び出そうとした──その瞬間だった。

 

『もういい。終わりだバーサーカー』

 

 何処からともなく響き渡ったのは、男の声。

 それは果てること無き暴虐と破壊に囚われていた凶戦士の動きを、一言でぴたりと止めていた。振り上げた拳のやり場に困るように、飛び出す寸前の中途半端な姿勢で硬直しながら、俺は呆然として耳を傾ける。

 

『マスターを失っても、流石は最優のクラス……無駄に長引かせる。まあ構わん、そのサーヴァントはあと一分と保たずに消滅する』

 

(なにを言ってんだ、この声は……園内放送? 違う? じゃあどこから……)

 

 その声は、何処からでも聞こえてきた。

 ある時には目の前。ある時は後方から。前後左右、居場所を掴ませないその声は、聞くものに言い表せない不安を与えてくる。

 

『タダでさえ、お前は魔力消費が馬鹿にならない……帰還しろ。無駄な戦いは避けるべき愚行だ』

 

 先程までとは一転。完全に沈黙した狂戦士は、やはりその声に従っていた。

 この声の正体?あの狂戦士が帰る場所?

 ──そんなものはどうでもよかった。

 何より重要なのは、ヤツがここから立ち去るという事実。俺は思わず詰まった息を吐き出すのを堪えられなかった。ヤツが立ち去ってくれるならどうとでもなる筈だ。彼女の傷は酷いが、今すぐ救急車を呼べばまだなんとか助かるだろうし──、

 

『それと。そこの鼠は忘れず殺しておけ、バーサーカー』

 

 瞬間。矛先が一転する。

 幹の向こうで発せられる膨大な殺意。それは全て、木の陰の俺に向けられた。

 

(…………ぇ?)

 

 全身が総毛立つ。

      ──やばい、と察する。

 目の前に回り込むように、あの男が現れた。

 駄目だ速い。速すぎる。

      ──これは、死ぬ。

 赤く灼熱するその眼光は、無言のままに告げていた。

      ──このまま殺される。

 「オマエをコロス」と。無慈悲なまでに。

      ──ダメだ。やめろ。俺はまだ、

 目の前に闇が奔る。死の闇が。

      ──ならはやく逃げろ、走っ

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■──ッ‼︎」

 

 炸裂音が、広大な森林公園全域を揺るがした。

 それは多分、普通の蹴りだった筈だ。しかしその威力は俺の腹を蝋細工のように粉砕し、その背後に聳える大樹までをも一撃でへし折った。

 人間一人が受け止めるには余りに重すぎる衝撃。もはや爆発に近い。正常だった筈の五感は何処かへ一瞬で吹っ飛んだ。致命的な何かが途切れてしまった、そんな感覚だけを鮮烈に味わう。

 そうして──自分が生きているのか不安になった頃。口から迫り上がってきた血の塊が、ごほっ、と口蓋から溢れて、俺は明確な意識を取り戻した。

 

「あ──ごふッ、が……?」

 

 気がついた時には、地面に寝ていた。

 ……ぐじゅり、という粘ついた音。

 見れば辺りの芝生も、視界に映る自分の右腕も真っ赤に染まっている。どうやら広場の中央付近まで蹴り飛ばされたらしい。浅い呼吸を刻む俺のすぐ横で、無残に抉られた地面が茶色の土塊を露出させていた。

 赤い水溜りに沈みながら思考を回す。

 身体の感覚は、もう全く残っていない。

 

(………………あ、れ。俺、これで、死ぬ──のか……?)

 

 革鎧が擦れる不気味な音を立てながら次第に遠くへ立ち去っていく足音は、恐らくあの男のものだろう。

 糸の切れた操り人形のように手足を投げ出したまま、ようやっと迫りつつある死を認識する。

 胴体は元通り繋がっているのか、そんな事も分からない。腹は文字通り破裂し、絶望的な量の血液が流れ出しているに違いない。臓器だって、幾つかは滅茶苦茶に潰されてしまったと思う。

 

(ああ、これは、駄目だ……詰んでる、な)

 

 酸素が吸えない。生命活動が続けられない。血の塊だけが口から溢れていく。死の淵へと転がり落ちていく。

 

(クソ、こんな、何も出来ずに、俺は──)

 

 恨み言と文句と、耐えきれないくらいの死への恐怖に襲われる。

 死にたくなんてない。こんな、訳がわからない奴らを追ってきてしまったくらいで死ぬなんて。

 

「ぁ…………あ、嘘だ、そんなの、ありえ……ない」

 

 そんな後悔と絶望の中。

 俺は失われかけた聴覚で、柔らかい、それでいてか弱く震えた声を聞き取った。

 透き通るような蒼髪を不釣り合いに俺の血で赤く汚しながら、彼女は俺の身体を抱き留めて頰に手を添えている。

 暫くして、落ちてきた水滴がその白い手を濡らした。

 

 ……その少女は、泣いていた。

 

 吸い込まれそうな碧色の瞳に涙が溢れている。理由は知らない。そもそも俺たちは初対面のはずだ。それでも彼女は泣いている。見知らぬはずの俺の死を前にして、その悲しみに涙を流している。

 彼女の涙を見ていると、俺も無性に泣きたくなった。何故か謝りたかったけれど、もう唇はぴくりとも動かない。

 

「なんで……もう一度、貴方に──、──‼︎ こんなの……‼︎ お願いです、──、まだ私は、あの時の……‼︎ 私は──、──‼︎‼︎」

 

 殆ど聴き取れない彼女の言葉は、てんで頭に入ってこない。まあ今の状態じゃ、聞き取れたとしても理解できていたかどうか。

 

 ──ただ、暖かさだけが。

 添えられた彼女の手の暖かさだけが、死の間際に俺が知覚できた全てだった。

 

「──、────‼︎ ──‼︎ ──……‼︎」

 

 彼女の悲痛な叫びは次第に遠ざかる。

 全身から力が抜けていく。深い沼に沈んでいくように、全てが遠くなっていく。

 

(ああ、これが死。……命の、終わり)

 

 数秒後に死ぬという事実。それはたった一人で孤独に受け止めるには余りにも重過ぎるのだと、俺は死ぬ寸前に理解していた。

 

(けど、俺は一人じゃない……)

 

 俺を看取ってくれる名も知らぬ少女がここにはいる。せめて名前ぐらいは知りたかったが、それは強欲というやつだろう。もう死ぬとはいえ、一人でくたばるよりはマシなことに変わりはない。

 それを思うと、自然と笑顔が浮かんだ。

 後悔も恐怖も消え失せる。ただ、無性に嬉しくて。

 

 互いに知らない筈の彼女と俺は。

 それでも確かに、この場所で出逢えたのだ────。

 

「──────────────‼︎」

 

 最期に……何か聞こえた、ような。

 けれど、そこで全てが断絶し──、

 

 午前零時ジャスト。

 俺……志原健斗の命は、そこであえなく燃え尽きた。

 

 

 

 

 

 

 ────"私"は、ずっとずっと忘れなかった。

 

 『お前は、魔王なんかじゃない』

 

 死の淵にいる彼の口から語られた、あの言葉を。

 この日、この運命の夜に至るまで、その記憶を抱き続けた。

 

 ああ……もし、一度目の出会いが奇跡だったなら。

 

 二度目のそれは、きっと────。




【志原健斗】
十七歳。神秘も魔術も知らない高校生。深夜に家を抜け出し、コンビニにでも行こうかと街をふらついていたところ、戦闘する二騎のサーヴァントを目撃。追っていった先の森林公園で死亡する。
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