Fate/crescent 蒼月の少女【完結】   作:モモのすけ

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第十一話 血まみれの記憶 【9月6日】

 ──息苦しくて、目を開いた。

 

(う……なんだ、やけに血生臭いな……)

 

 ここは夜闇よりもなお暗く、どこまでも黒しかない漆黒の中だ。

 若干戸惑いつつも、たぶん夢なんだろうなと考えて周囲の状況を把握する。

 身体はてんで動かない。四肢が石膏か何かで固められてしまったかのように、筋肉はぴくりとも反応を返さなかった。

 体勢はというと、大の字に手足を広げ、仰向けに寝転がっている。この場合、床に磔にされていると言ったほうが正しいのだろうか。

 

『dtgAw……? xtpju@Mkw@J』

 

 聴覚にノイズが走る。この声を俺は知らない。だが恐らく、俺ではない「彼女」は嫌という程知っている筈だ。

 直感か、はたまた必然か。この黒一色に塗り潰された視界は、既に知っている彼女の記憶なのだと、俺は何故か理解していた。

 ……何に起因しているのか、この世界は酷く不安定だ。

 ここは川面に浮かぶ泡沫に似ていて、偶然に存在を保っているに過ぎない。恐らく数分で、何の脈絡もなくこの世界は搔き消えるだろう。たぶん、俺自身の記憶にすらも残らない。

 そんな事を何故かぼんやりと悟っていると、荒れ狂う感情の奔流がどっと胸の中に流れ込んできて──、

 

「っ⁉︎」

 

 ゾッとして息を呑む。

 その感情は、気が狂うほどの恐怖だった。

 

 この身体の持ち主と視界共有を行える程同調しているが故、相手の感情までもを感じ取っているのか。それとも、俺が彼女自身の記憶を追体験しているからなのか。

 「恐怖」という残酷な感情はこの身体の心の内で暴れまわって、他人の感情だと分かっていても尚、俺の精神を強く揺さぶってくる。

 これ程の恐怖を彼女に刻み込んでしまうほどの何かが。

 粘り着くような不気味な闇の中、すぐ目の前に居る──。

 

『い、い……やだ……! おねがい、やめて……‼︎』

 

 喉奥から呻くような、掠れてすり切れた絶望の声が響く。

 しかし、実際に声を出しているのは俺ではない。俺は彼女の身体と重なる形でこの状況を俯瞰しているに過ぎない。

 ──故に、何もできない。

 動かない右腕の手首あたりに何かが触れたのが見えた。

 

『なんで⁉︎ なんで、私が、私は何もしていないのに‼︎ いやだ、やだ、やめてください、いっそ殺してください‼︎ わたしを────』

 

 これは……どろりとした血に塗れた、刃だ。

 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も彼女を切り刻み、絶望に叩き落とし、人権も尊厳も生きる希望も奪い去った刃。

 必死で声を張り上げ、殺してくれと懇願するその声に、刃を握る「ヒトではない何か」は嘲笑を返した。

  そして次の瞬間、感じていた嫌な予感が現実となる。

 

『ぃぎ──⁉︎ い、いやいやいやいや、ぁ、あ、ぎああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ‼︎‼︎』

 

 鮮血が噴き出した。おぞましい悲鳴が上がった。

 最近ようやく聞き慣れてきた彼女の声が、想像を絶する痛みの前に聞いたこともないような悲鳴に変わる。

 

 痛い。痛い。痛い。痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いイタイイタイイタイタスケテイタイイタイころしていたいいたいいたい……い……ぃ…………‼︎‼︎

 

「お、おい、やめろ……⁉︎ なあ──おい、クソッ⁉︎」

 

 刃が沈み、肉が断たれていく感覚があった。

 幸い俺が痛みを感じる事はない。だが、絶え間無く上げられる絶叫じみた悲鳴と伝わってくる感情の波が、その感覚の恐ろしさを伝えてくる。

 身を必死に捩って逃げたくとも、身体はまったく動かない。洪水に似た恐怖と痛みの中に晒される。動くのは悲鳴を叫び続ける口くらいのものだ。

 次第に身体が壊れていく。その内、ぶちぶち、と残酷な音を立てて、見る影もなく血に濡れてしまった細腕が寸断された。

 

『ぎゃあああああああああああああああああああああ、あ、うわああああああああああああああああああああああ‼︎‼︎‼︎‼︎』

 

 悲鳴に構わず、再度刃が腕に押し付けられる。人間ならば容易く死に得る傷でも、彼女に「死」という安寧の終わりは許されない。

 この地獄は、あるかも分からない目的地に到達するまで続くのだ。

 終わりなどない。そのまま、永遠とも言える時間が過ぎていく。

 彼女が憶えているその全ては、神さえ同情する程の痛みと恐怖に埋められていた。

 終わらぬ地獄に無理やり適応するように、彼女の心も壊れていくのが判る。本来彼女を支えていたはずの純粋な心が、穢れなどなかった少女の心が、無力な羽虫を握り潰すように殺されていく。

 

「……やめろ……やめろって‼︎ おい、頼むよ、やめてくれ、やめろって言ってんだろうが──‼︎」

 

 思わず叫んでいた。

 怒りで脳が沸騰する。視界が狭まって目が血走る。かつてここまでの激情を抱いた事はない、と今ここで断言してやってもいいくらいに俺は激怒している。

 今にも全身が怒りで張り裂けそうだった。

 どうしても、彼女を殺し続ける輩を許せなかった。

 だが、その激情は哀しい程に意味を持たない。この世界で、俺は何の力も持たなかった。いくら声を張り上げてもその声が届く事はない。この世界は記憶のカケラ。過去を変える事は出来ないように、俺がこの世界に介入する事は出来ない。

 ──それでも、叫ばずにはいられなかった。

 喉奥から悲鳴を迸らせ、絶望の淵に叩き落されている彼女を前にただ傍観する事は、他でもない俺自身が許さなかった。

 けれど、無意味だ。この身体の持ち主は、彼女は此処で完全に壊れてしまう。壊れた少女は絶望と憎悪の果てに、神をも喰らうバケモノへと変貌する。

 それは確定した過去であり、覆す事の出来ない確定事項。

 

 そうして、ユメの終わりが来た。

 

 遠ざかる視界の中。辛うじて最後に見えたのは、血に塗れた刀身に映る、少女(セイバー)の絶望に染まった虚ろな顔で──、

 

 

 

 

「う……ぁ……セイ、バー…………?」

 

 ベッドの上で重い身体を起こしてから、遅れて朝を認識する。

 寝ぼけ眼を擦るよりも早く、何故か喉元まで胃液がせり上がってきた。思わず口を押さえて吐き出すのを堪えてから、何故か心の底で渦巻いている腹わたが煮えくり返るような怒りを認識する。

 

(……寝ぼけてんのかな、何に俺は怒ってるんだ。変な夢でも見たか)

 

 酷い悪夢を見ていたような、気味の悪い感覚が頭に残っていた。

 埃っぽく、懐かしい匂いの漂う七畳程の狭い部屋をぐるりと見回して、部屋に一つしかない窓から差し込む朝日に目を細める。

 薄暗い室内には色々な物が散乱していた。漫画の類、誰かのカッターシャツ、忘れ物の教科書。体の下には、それなりにしっかりした作りのベットが横たわっていたりする。

 

「……なんだ、重いな……?」

 

 雑にかけられた毛布が、やけに重い。

 まだ若干寝惚けた頭で「重い」という感覚だけを感じ取り、半ば無意識に毛布を横に押し飛ばす。

 ──と。

 やけに鈍い音を立ててベットから転がり落ちた毛布の塊からは、真っ黒な何かが飛び出していた。それは床に激突した際、「ぶぎゅっ」なんて潰れた猫みたいな声を上げる。

 

「………………んえ?」

 

 ベットから墜落した毛布と一体化している黒い物体は、丸まった猫のようにモゾモゾと蠢いたあと、不気味な猛獣を思わせる声で低く唸り始めた。

 その声で俺は状況を瞬時に理解。次いで、その絶望的な状況に眠気が吹き飛んだ。

 朝っぱらから額に冷や汗が流れる嫌な感覚に肝を冷やしながら、おっかなびっくり毛布の端に手を掛け──、

 

「せ、セイバー? おは」

 

「ブチ殺しますよ」

 

 毛布の奥から放たれた、殺意満点のドス声が耳を打った。

 目にも留まらぬ速さで猛獣が跳ぶ。風を切る音がやけに大きく聞こえたと思えば、眉間の皮膚がチクリと痛んだ。

 その痛みに眉を顰めてから──認識する。

 セイバーの曲刀、その切っ先。それが俺の眉間にギリギリ触れるか触れないかの距離で静止している……いや、ほんの僅かに先端が刺さってしまっているう──⁉︎

 

「よ──……ぉおああああ⁉︎ うわっ、おっ、おまっ‼︎ ……お前はッ‼︎ なんでそう心臓に悪い事を‼︎ あーもう嫌もう嫌になった俺は全てが嫌になったもう知らん‼︎」

 

「ウルサイですね。次に私をベットから叩き落とすような事があれば、ただじゃ済みませんからね」

 

「いやだってお前昨日、サーヴァントは睡眠も食事も必要ないからベットはケントが使っていいですぅ、とかなんとか言ってたじゃねえか‼︎ なのになんで起きたら俺と一緒に毛布にくるまってんだ‼︎」

 

「昨晩はそんな安物のベットで寝る気になれなかったんですよ。……まあ夜通し寝ずの番というのも非効率なので、結局私も寝る事にしましたが」

 

「お前それ暇だっただけだよな、絶対」

 

 俺の追求にもこの魔王は寝ぼけ眼を擦るばかりで、不機嫌そうに唇を尖らせている。

 あー面倒くさ、と俺がもはや何度目かも数えたくない感情を抱いていると、案の定セイバーはあくび混じりにぐちぐちと文句を並べ始めた。

 

「ふわぁ……そもそも……ここ、学生が活動の為に使う部屋ですよね。改めて言いますが、私には余りにランクが低すぎます。かつての私の部屋はここの数十倍の広さを有していたというのに」

 

「広っ……けどなあ、しょうがないだろ。楓には外泊って言ってるんだし、今更家には帰れないんだ。そう我儘言うなって、王様目線で庶民の暮らしを測るんじゃねえ」

 

「チッ、使えませんね本当……」

 

「あ、今何か言った? 何かとんでもなく精神を抉る一言を呟いたなお前こらァ‼︎」

 

「いえ何も。……まあ強いて言うなら、思った事を素直に口にしてしまったかもしれませんがぁー」

 

「こ、この……野郎……ッ」

 

 俺がセイバーと行動を共にする関係上、我が家にはあまり立ち寄りたくない。セイバーの存在をどう説明するのかという問題もあり、なにより最悪の場合、無関係な家族が巻き込まれる可能性が考慮されるからだ。

 とはいえ──心もとない金銭事情を考慮した上で、学生が安全に一夜を過ごせる場所となると相当限られてくる。

 

「ごほん……しかし、学校の部室に泊まるコトになるとはなあ。ほぼ幽霊部員とはいえ、文芸部に入っといて良かった」

 

 最終的に俺が選択したのは、深夜の学校に侵入し、文芸部の部室を仮宿として使用する、という方針だった。

 ここには仮眠用のベッド、部員が持ち寄った漫画にゲーム、更に菓子の類まで揃えられている。文芸とは……と突っ込みたくなるような内装だが、残念ながら鷹穂高の文芸部に高い志を持った人間は存在しないのだ。国語の高木先生は泣いていい。

 

「はは、ケントが文芸とか、まったく想像できないんですが……本当ですか?」

 

「想像しないで結構。どうせ部活所属義務を避けるために所属してるだけだし、他の奴らもそうだ。小説を書こうと頭を悩ました事なんて生まれてこのかた一度も無いよ」

 

「じゃあここ、サボりの巣窟ってことじゃないですか」

 

「まあな。けど、運動部の汗臭い部室とかよりは遥かに快適だと思う。ちょっとボロいけどベッドに娯楽と揃ってるんだから、過ごしやすさじゃどんな部室にも負けないし」

 

 欠伸を噛み殺しながら、ドアの鍵を慎重に押し開ける。

 土曜日の朝七時、文化部の部室棟が校舎から離れているとはいえ、教師がうろついていないとも限らない。俺一人なら言い訳は効くが、朝早くに女子と部室から出てくるところを目撃されれば、生徒指導科のおじさんによる説教は確実だろう。

 

「……よし、いないな。ちゃっちゃと顔洗おう」

 

「なにをビクビクしてるんですか。とっとと出てくださいよ」

 

「うるっせえなお前はさっきからいちいち‼︎ お前が素直に霊体化してくれれば済む話なんだよ‼︎」

 

「なーんで魔王である私がわざわざ霊体化しなきゃならないんですか、たかが一般人のために」

 

 その声に押されるようにして部室から出る。グラウンド横に設置された文化部部室棟は朝日を浴び、綺麗な銀色に輝いていた。

 土曜練習の運動部員たちも、こう時間が早いと姿を見せない。

 今のうち、とばかりに二階建ての、小型アパートか建設現場の小屋じみた部室棟に背を向けて、グラウンドの隅の水道へ走る。

 

「がぼぼぼぼ……っはー、スッキリ。やっぱ朝は顔洗わないとやってらんないな」

 

「ほう。ケントにしてはいい心がけじゃないですか。どれ、私も」

 

 運動部の連中が飲みやすいように上向きで水を吐き出し続ける蛇口。水に濡れた顔を手で拭いながら、俺は天啓じみた発想が悪戯心という原動力を得、実行されるのを止められなかった。

 セイバーが水を掬おうと手を伸ばす。

 彼女の顔には無警戒の字がありありと浮かんでいる。

 

(その、油断した瞬間をっと……今ぁ‼︎)

 

「ん? わ、ぶふぉぉ⁉︎」

 

 俺は素早く手を伸ばし、蛇口のハンドルを思い切り捻った。

 途端、水が猛烈な速度を伴って飛翔する。朝日にキラキラと輝く飛沫の中、透明な一筋の激流は見事セイバーの顔面に吸い込まれ、彼女の鼻っ面に直撃した。

 ハンドルを戻すと、ずぶ濡れで呆然とするセイバーが残される。いつもはくるんっと跳ねている前髪がへにょっと垂れているあたり、新鮮で中々に可愛い。

 

「ははははははは‼︎ ざまあみろこの非常識魔王めが、朝っぱらから殺されかけた恨みを喰らえバカ‼︎ バーカ‼︎」

 

「ケントォォ……?」

 

 セイバーは呪詛の如く俺の名前を呟きながら、ゆっくりと近づいてくる。

 数秒後、愉快にブッ飛ばされる自分を幻視した気がした。

 だが、俺も無策でこんな事をする程間抜けではない。セイバーの無言の圧力にやや焦りつつ、俺はとっておきの一言を言い放つ。

 

「オイオイオイオイいいのかよ。ン? セイバーは『令呪』ってのがあれば、命令には従わなくちゃなんないんだろ? あんな事やこんな事、なんだって命令できるんですよぉ」

 

「気持ち悪いんですけど」

 

「ぐっ……お前の口調の真似だっつーの……」

 

 セイバーのドン引きした目線にまたもやメンタルダメージを負いながら、俺はなんとか昨日まとめて詰め込んだ知識を引っ張り出す。

 令呪──サーヴァントを律する鎖であり、絶対命令権である刻印。

 まさしくマスターの証、とも言えるこの証は、現在俺の右手の甲に刻まれている……という事を、昨晩他でもないセイバーに教えてもらったのだ。

 コレさえあれば、セイバーは俺の言う事を聞くしかない。要はこの魔王を好きなように操れる。故にこうした行動に出ても、報復を受ける心配は無い。

 と、そこまで考えたところで、俺は肝心な事に気が付いた。

 

(あれ。令呪って、どうやって使うんだ? ……そもそも回数制限ってあるんだっけ?)

 

「あー……えー……あれ、どうするんだっけ? えと……なあセイバー、令呪ってどうやって使えば」

 

「遅ぉい‼︎」

 

「ぎゃふぁっっ⁉︎⁉︎」

 

 哀れ、俺は先の予想通りに宙を舞い、グラウンドの硬い地面に転がった。

 凄まじい平手打ちをモロに受け、うつ伏せで痙攣する俺の前で、仁王立ちのセイバーは冷ややかにこちらを見下ろす。

 

「令呪の行使に面倒な詠唱などは必要ありませんよ? 命令を強く念じて口に出せば、令呪は効力を発動します。コレ昨日説明しましたよねぇ?」

 

「い、いやその、魔術師の存在から聖杯戦争の仕組みまで、一気に説明されたら暗記抜けだってあるだろ……仕方ないって。人間の理解力にも限界があるんだしさ、あと令呪って何回まで使えるんだっけ?」

 

「あるだろ、じゃありませんよ! たったの三回しか使えません‼︎ こんな大事な事を忘れないでください‼︎」

 

 ズン、と背中にセイバーの足が乗る。

 潰れたカエルのような声で呻く俺に、魔王は裂帛の勢いでまくし立てる。

 

「大体私を令呪で縛ろうとか、そういう考えが気に食わないんです‼︎ ケントはそういうんじゃなくて、ああもう腹が立ちます‼︎ ムカつきますね‼︎‼︎」

 

「あがががががががが背中を蹴るな踏むなマジで痛いほんと痛いイタイ背骨折れるって‼︎」

 

「このっ、このっ、このっ」

 

 げしげしげしげし……と、セイバーの蹴りは続く。

 彼女にとっては大分加減しているつもりなのだろうが、一応コイツもサーヴァントだ。その威力は女の子が出せるレベルの力ではない。

 ──よって、冗談抜きにマズイ。背骨はヤバイヤバイと悲鳴を上げ、先程からずっと鋭い痛みを訴えている。

 

「ちょ、おま、ごはぁっ⁉︎ おいコラ、やめっ、やめ、やめろっていってんだろ馬鹿──‼︎」

 

 ──その瞬間。

 俺は愚かにも、明確に「令呪」の存在をイメージしてしまっていた。先程まで話していたせいで、叫んだ瞬間、その存在がふと頭によぎったのである。

 刹那、右手の甲に激しい痛みが走る。

 

「が……あああああっ⁉︎」

 

 思わず左手で右手を抑える。全身に激痛が走り、何か得体の知れない神経が発熱して身体中を滅茶苦茶にした。

 だがその凄まじい痛みの原因を知るより早く、朝の風が吹き抜けるグラウンドに、膨大な魔力の発露と共に真っ赤な閃光が走り抜ける。

 

「「………………え?」」

 

 セイバーが足を止める。俺はうつ伏せのまま呆然と右手を見る。

 気まずい沈黙。

 

 ──真っ赤な刻印は、一部分が消えてしまっていた。

 

 俺の「蹴るのをやめろ」というシンプル極まりない命令を受け、貴重な三画の内、一つが呆気なく消費されてしまったのであった。

 

「…………あ、使っちゃった☆」

 

 セイバーはどこまでも無言だった。沈黙が一瞬で恐怖に変わる。言葉の代わりに、彼女の掌の中に一振りの刃が現れた。

 それを見た瞬間、俺はカッターシャツの汚れを払うことすらもせずに逃げ出していた。

 逃げる。転がるように、とにかく逃げる。

 背後で膨れ上がる殺気が頬を撫でた。

 

 ゆっくりと、彼女が剣を振り上げたのが見えた気がする──、

 

「……だ、誰か助け──⁉︎」

 

「このクソ馬鹿ナス愚か者──‼︎」

 

 慈悲は無かった。

 ──凄まじい衝撃があって、何が何だか分からなくなった。

 

 垂直に振り下ろされた彼女の剣は、その莫大な力を吹き荒れる衝撃波へと変え、グラウンドに巨大な跡を刻み込んだのだ。三十メートル以上に刻まれた真一文字の傷跡が、その威力を無言で物語っている。

 それはまさしく、魔王の一撃だった。

 その余波を受け、身体が虫けらのように吹き飛ばされる。無数の土塊と共に空中遊泳。破壊は真一文字に留まることなく、薄氷を力一杯踏みつけたように大地に亀裂が走り、面白いように粉砕されていくのが辛うじて見えた。

 

 ──このグラウンド、誰が直すんだ……。

 

 そんなどうでもいい事を考えながら、俺は地面に墜落する。

 そこで、俺の意識は断絶した。




【鷹穂高高校】
普段は志原健斗、繭村倫太郎などが通うありふれた学校。大塚市の東部、ちょうど龍神湖とは反対の山中にある。
健斗はここの部室を一時的な活動拠点とし、滞在している。

【夢】
健斗が垣間見たもの。魔王たる彼女の原点たる記憶。
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