Fate/crescent 蒼月の少女【完結】   作:モモのすけ

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十六話 不穏な夜

 ──時間は流れ、今の時刻は夜の十一時前。

 二回も気絶すると貴重な休日が過ぎるのはあっという間なんだと、俺は理解したくもないことを理解する羽目になった。

 雲間から差し込む仄かな月光が、所々が破れ、見るも無残に汚れてしまった俺の制服を照らしている。

 

「ったく……コレ帰ったら捨てないとな……」

 

 ところどころ土色に汚れたカッターシャツは、セイバーの怒りの一撃に巻き込まれた代償である。ともあれあれで無傷で済んだだけマシ、と考えることにして、なるべく悪い事を考えないようにする。

 

「先行の魔術師が──西──異様な──だから──は──」

 

「──じゃないか──わかった──けど──冬木──……?」

 

「それは──だから、まずは──」

 

 思わず溜息を漏らしながら、よく日に焼けた赤髪の男性と黒髪の女性とすれ違う。

 何やら気難しい顔で話し込んでいる二人だったので少し気になったのだが、意識を彼らに向けるより早く、唐突に黄色のぷるんぷるんしたアレが頭に浮かび上がってきた。

 

「あーっ! プリン買い忘れた」

 

 一応コンビニ袋の中を確認してみるが、プリンと思わしき物体は存在しない。

 

「あいつ、怒らないといいけど……ったく、コンビニまで往復三十分以上かかるんだぞ、なんなんだよアイツは。せめて自転車くらい貸しやがれっての……大体いちいち偉そうなんだよ、なんで俺が」

 

 セイバーの物になった例の自転車を借りようと思ったら、これは私専用機なので駄目ですぅ、とかなんとか言われたのだ。

 

(ソレ、もともとお前のじゃねえだろ‼︎)

 

 そろそろ深夜に差し掛かる頃合いだからか、辺りの住宅街に人気は無かった。ヘッドライトを点けた車がごく稀に通り過ぎる程度で、さっきの二人以外に歩く人影は見当たらない。

 そんな中、片手にコンビニ袋を提げながら、仮宿代わりの部室がある鷹穂高へ向かう。少し足早になっているのは、この暗闇から早く抜け出したいという恐怖心からだろうか。

 とはいえ、ここから鷹穂高まではそこそこの距離だ。手持ち無沙汰に、空いた片手でスマートフォンの画面に指を走らせる。

 

「……魔王、魔王……と。検索」

 

 「魔王 伝承」、「魔王 史実」……。

 考えうる限り、色々と言葉を変えて検索を繰り返す。

 彼女の正体について無理に聞きはしないと言ったが、かといって黙って何もしない程俺は馬鹿正直ではない。俺だってアイツの事を知りたいし、もし情報を持っていれば、俺でも少しは力になれたり──、

 

「魔王、ま、お、う……っと、あった」

 

 ゲームの攻略サイト等々に邪魔されつつも、俺は目当てのネット百科事典に辿り着いた。

 「サーヴァント」……彼等はこの世の伝承、歴史に名を刻む者達だ。セイバーの名前とて、その捉え方が善であれ悪であれ、人類史の中核に深く刻み込まれている。

 故に必ず、その存在の手がかりは存在するハズだ。

 

「えー……神話や伝承に登場する、邪悪の頂点。悪魔や魔物達の王……。ま、大体イメージ通りだよなぁ」

 

 ざっと読み上げて、セイバーの姿に文面から思い描くイメージを重ね合わせる。

 非戦闘時のセイバーは、魔王というよりも我儘な王女って印象の方が強い。酷いくらい自由奔放で、気に入らないものには素直すぎるくらいに不満を示す。

 ──だが、戦闘時ともなれば話は別だ。

 敵対者に何ら臆する事なく、冷酷に相対する彼女の姿が脳裏に浮かぶ。一度鎧を纏ったセイバーは思わず味方側のこちらでさえ身震いするような威圧感を放ち、その言葉は重石の如く眼前の敵対者に突き刺さる。

 

「知らない事が多いな」

 

 ──思いかえせば、知らない事は多い。

 

 あの月の夜。彼女を始めて見た日。

 あの時から散々セイバーに振り回されているのに、俺は彼女の事を全然知らないままだった。それが何故か悔しくて、セイバーの背中を時折遠く感じてしまう。

 とはいえ、セイバーが積極的に多くを語りたがらないのも事実だ。

 渋る理由について聞くと、「真名は秘匿するものなんです」とかなんとか言っていたが──彼女は真名を明かす行為そのものに忌避感を抱いているような気がした。

 そんな事を思いながら、神話、伝説に登場する「魔王」の一覧をスクロールしながら眺める。と、ふと一つの名前が目に留まった。

 

 その、瞬間──、

 

 

 

 

”………………オマエハ、ダレダ?”

 

 

 

 

 何かが、軋んで。

 俺という存在は、致命的に穢れてしまった。

 全身を巡る血流が膨れ上がり、感じた事のないドス黒い何かが、ほんの一刹那俺の思考を奪っていく。

 

「……っ……あ?」

 

 目を覚ます(・・・・・)

 画面に映っていたのは、聞いたこともなければ知るはずもない、初めて見た名前だった。

 だが確実に、その名は俺の目線を引きつけている。

 不快な緊張感が腹の底で渦巻いていた。まるでその名前だけは、ずっと前から知っていたような──不思議な既視感が俺を襲う。

 瞼が痙攣する。全身が総毛立つ。ただの文字列、名前を見ただけだというのに、「何か取り返しのつかない事をしてしまった」という感覚だけが離れてくれない。心の内を埋めた既視感と、それに匹敵するおぞましい何かに翻弄されながら、無意識に唾を飲み込む。

 

 ──それでも俺は、その名を。

 その名前を口に出してみようと、無意識に唇を開いたその瞬間、

 

「志原くん?」

 

「…………み、三浦? 何してるんだ、こんな遅く」

 

 目の前に見知った顔があったので、一度思考を中断する。

 ──三浦火乃香。

 まだ夏の残滓を残すかのようなカッターシャツから察するに、まさか今まで学校に残っていたのだろうか。

 

「おいおい、まさか今まで練習? もう十一時前だぞ」

 

「そうだよ。あはは……本当は部活動が許されるのは八時までなんだけどね、つい練習に熱が入っちゃってこっそりと……志原くんは? なんだかコンビニ帰りっぽいけど」

 

「え、えーっと、学校に忘れ物取りに帰るとこかな……」

 

 まさか部室に泊まるという訳にもいかず、適当に誤魔化して笑う。

 セイバーの存在、もとい聖杯戦争についての情報を漏らす訳にはいかない。それは神秘の秘匿などというよく分からないお題目の為ではなく、単純に犠牲者を増やしたくないからである。

 俺が戦う理由は、個人的に生き延びたいという願望だけ、という訳でもない。

 この街が人知れぬ戦場と化している以上、いつ何処で犠牲者が増えるか判らない。この戦争を可能な限り早期に決着させ、あの安寧の日々を取り戻す。欲張りと言われようが、この二つ目の目標を撤回する気はないのだ。

 ……とまあ、そんな訳で。

 戦争中はなるべく知人とは顔を合わせたくなかったのだが、このような不意の事態は致し方ない。

 が、言い方が不自然だったのか、三浦は少しだけ目を細め、

 

「ねえ……なんだか志原くん、ヘンだよ?」

 

「へ?」

 

「制服もボロボロだし、顔も片側だけもんのすごく腫れてる気がするし……それに、なんだか雰囲気が──」

 

「うぇっ、そ、そうか⁉︎ ……あ、そうそう、さっきすっ転んでさ、だからボロボロなんだな」

 

(やば、そんな目立つのかコレ)

 

 慌てて目を逸らしながら、この状況をどうしたものかと思案する。

 魔術師とかいう訳の分からん連中の殺し合いに参加させられて、魔王を自称する奴と戦ってます、と正直に言えれば楽なのに。

 

「……志原くん、危ない事はしないでよ。志原くんに何かあったら、私も前田くんも、みんなだって悲しいんだから」

 

「………………うん。そうだな、その通り。気をつけるよ」

 

 こくりと頷いて、今更だが確認した。

 こんな俺でもこうして身を案じてくれる人が、少なからず確かに存在する。一度殺されて命の尊さを否応無く思い知らされた今、その事実は余りに有り難く、儚いものだった。

 

「まあ、それはそれとして。……今、外出たついでに色々買い込んでるんだけどさ。三浦も一本いる?」

 

 少々苦手なシリアス風の空気が漂い始めたのを敏感に察知して、レジ袋をそそくさと三浦の眼前に差し出す。

 

「ありがと。じゃあ私はこのオレンジジュースで」

 

「じゃ、俺はコーラ貰う」

 

 炭酸の抜ける小気味いい音を聞きながら、今後の景気付けとばかりに勢い良く飲む。目を閉じて久方振りの弾けるような味を噛み締めていると、一足先に唇を離した三浦が口を開いた。

 

「そうだ。知ってる? 今日、グラウンドが壊れちゃったんだよ」

 

「んぶふッ……⁉︎」

 

「今日のお昼に登校したらね、グラウンドの真ん中にテープが張ってあったの。なんだか、滅茶苦茶にひび割れてた。まるで隕石が落ちたみたい」

 

「ウン………………怖いなあ、それ。とてもこわい」

 

 嫌な記憶が十四時間ぶりに蘇り、やや死んだ目で学校の方角を見やる。

 脳裏では、ここまでの記憶がまざまざと再生されていた。

 意識を取り戻したのは令呪使用から数時間も経過した夕方。目を覚ますとセイバーの姿が無く、慌てて俺が外に飛び出してみると、丁度帰ってきた気ままな魔王様は「今まで散歩していました」とほざきやがる。

 お前という非常識な存在を俺の目の届かない場所に放置する恐怖を知ってほしい。一人で行動している間に人様に迷惑を掛けていない事を祈るばかりだ。たぶん手遅れだったようだが。

 結局また気絶して放置されて、なんとか部室に帰ったら──、

 

『いいですかケント、令呪をあんなしょうもない事に使うなど以ての外であって、そんな事では聖杯戦争を乗り切れません‼︎ さっきからずっと俯いて、分かってるんですか‼︎』

 

『……アレはお前も悪いと思うよ、俺は』

 

『わ、悪くないですよ‼︎‼︎ ああもうこの際ですから、普段の行いの愚かさから云々かんぬん──‼︎』

 

 今度は激怒からのお説教だ。

 お前は一体なんなんだ口うるさい教師か、とかなんとか考えながら、嫌な記憶を脳の引き出しの最奥に押し込む。苦虫を噛み潰したような顔で、思わずもう一回引っ叩かれた頰をさすった。

 不思議と墜落の際にも大した傷が無かったのが幸いだが、そう言っていられるほど事態は甘くない。

 破壊されたグラウンドは即刻生徒達の間で話題になり、その異常性に警察が駆けつける事態に発展していたのだ。

 目撃者がいなかったのは不幸中の幸い。だが、話題になる事自体が既に十分に問題であるとも言えるような……。

 

「明後日の体育、どうなっちゃうんだろ。グラウンドの真ん中が壊れてたらどうしようもないし」

 

「……げ、原因が分かんないんじゃ近寄れないなー。しばらくは体育館競技に変更になるんじゃないか?」

 

「めんどうな持久走が無くなると考えたら、いいことって思う事もできるけどね」

 

 そっか、と呟いて、俺たちは笑い合った。

 秋の夜風に乗って、二人ぶんの笑い声が町の片隅に溶けていく。そんな雰囲気は久方ぶりに、心地いい安寧の感覚を与えてくれた。

 

「え?」

 

 最も、人気の無い住宅街は少しばかり不気味ではあったが──、

 

「ん? どうしたんだよ、三浦」

 

「…………し、志原、くん? 手が」

 

 三浦が怪訝な顔でこちらを見ているので、尋ねてみた。

 先程から視界は歪みきり、身体の中はドス黒い感情で轟々と燃え盛っている。

 いつから? 違う、元より俺はそういう存在だ。

 いつの間にか俺の両手は、三浦の白い首筋に添えられていて──、

 

「手がどうしたんだ、何か変か?」

 

「いや、だから──」

 

 夢遊病者のようにゆったりと、自らの両手に視線を下ろす。

 

 手は揃って三浦の首元にある。何もおかしくない。

 

 ぎぎ、と壊れかけのロボットみたいに首を捻りながら、ぼんやりと思考を回す。

 

 そういえば、さっきから耳障りな幻聴が聞こえるな。煩い。

 

 なんなんだお前は、誰だお前は、ああ、俺はお前なのか。

 

 くそったれ、煩い、煩い、煩っての──……

 

"   ラ      コロ テ  カ?"

 

 思考がすとんと切り替わって、スイッチが入った。

 

 ──幻聴は置いておいて、今は、目の前のコイツの事を考えよう。

 ──さて。この首を今すぐ捩じ切ってみたら、どうなる?

 ──簡単だ。さぞ綺麗な血がたっぷりと溢れ出るんだろう。

 ──どばどは、ぶしゃあっ、と。真っ赤な悲劇のできあがり。

 

 一人の人間を縊り殺した両手はどっぷり血に濡れて、そこで俺は一人で嗤うんだ。三浦はこの綺麗な喉からどんな断末魔を上げてくれるだろうか。思わず身震いするような愉しい愉しい絶命の叫びを上げて、一つの命がぷちっと潰れ、ああ想像しただけで鳥肌が立つ、命を奪い取る感覚、愉悦、光悦、どんな表現を用いようとも言い表せない最上最大最高の悦楽がそこにはあって、俺はその為だけに存在するようなものであって要は今すぐ名前忘れた誰だっけまあいいこの女をこの手で

 

『それなら、殺してみるか?』

 

(ああ──なんだ。簡単なことじゃないか)

 

 口の端から奇妙な音が漏れる。

 それはくぐもった笑い声。

 

 俺の笑い声。

 

「志原くんっ‼︎」

 

 また、目が覚めた(・・・・・)

 

「…………ん?」

 

「ど、どうしたの? いきなり」

 

「あれ? いや、なんでも……なんでもない」

 

 目眩を振り払うように頭を振る。

 どうやら一瞬、記憶が飛んでいたのか。

 何故かは知らないが、所詮数秒のことだ。魔力関連で身体が少しおかしくなっているのかもしれない。無理矢理魔術回路とやらが開かれたせい、という可能性もあるし。

 

(しかしなんだか、やけに気味の悪い……さっきまですぐ後ろに死神が立ってたみたいな……うーん)

 

 言いようのない恐怖感に首を捻っていると、いつのまにか両手が三浦の細い首元に伸びていたことに気がつく。全く何をしているのやら、俺はいつのまに意識切り離しオートメーションでセクハラまがいの行為をするようになったのか。

 とにかくパッと手を離して、きょとんとする三浦に頭を下げる。

 

「わ、悪いっ、よく分からんがゴメン」

 

「い、いーよいーよ、私だってさっきの志原くんはよく分からなかったし……」

 

 なはは、と笑う三浦の笑顔はまさに聖女の如し。学校イチ慈悲深いと前田が声高に言うだけある彼女の性格に助けられて、俺は一安心して胸を撫で下ろした。

 が。頭を上げてすぐ、その束の間の安心は崩れ去ることになる。

 

(ん? ……え、何だあれ?)

 

 全身に突き刺さるような視線を感じて、俺は頭を上げると同時に視線を巡らせていた。

 本能的に警戒を強めた視線が、塀の上を歩く小さな影に収束する。

 最初は猫かと思ったが形がまるで違う。とても信じられないことだが、歩いているのは紙で作られた人形だった。人形というにはあまりに平面的で、精巧に作られた折り紙、という表現が一番しっくりくる姿。高さは十五センチ定規程度で、真っ白な足を変わらぬペースで動かしている。

 その少しコミカルな呆気にとられ、反応が遅れた。

 顔の無い頭がこちらを見た瞬間、得体の知れない寒気が背筋を撫でる。バカか俺は、ひとりでに人形が動くわけがないだろうが。

 人形の身体はその中心に吸い込まれるように捻れ、長細く変化していく。そう、それはまるで一本の槍のように──、

 

「ッ⁉︎」

 

 全力で首を振って。

 

   ────同時、射出があった。

 

 疾風が駆け抜け、槍の穂先が俺のこめかみを軽く裂く。

 焼けるような痛みが走った。

 数滴の鮮血が宙を舞った。

 あろうことか、人形はその身体自体を槍へと変え、俺の頭蓋を貫こうと試みたのだ。

 

「な、ッ────⁉︎」

 

「え、な、何」

 

「駄目だ三浦、来るな‼︎ 急いで逃げ──‼︎」

 

 ろ、とまで言いかけたところで脳裏に浮かんだのは、他でも無い俺自身の記憶。

 この三浦もまた、非日常の目撃者だ。たった今。刹那の攻防を経て、彼女も非日常の領域に足を踏み入れた。

 俺の不注意だ。完全に油断していた。

 サーヴァントの戦いを目にしてしまった俺がどうなったか、今更説明するまでもない。ここから三浦が逃げられたところで、待っているのは、もしや──。

 

「くそ、こっちだ‼︎」

 

「う、うわっ、きゃあ⁉︎」

 

 咄嗟に手を取り、駆け出す。背後で人形が再びヒトの形を取り、俺たち同様走り出すのが見えた。

 歩幅は俺たち人間に比べて遥かに小さいだろうに、かなりの速度。全力で走ろうとも引き離せそうにはない。

 

「な、ななっ、何あれ……何なの一体⁉︎」

 

「わかんねえ‼︎ けど逃げるしかない‼︎」

 

 逃げる場所は……迷う余地なんてない、学校だ。

 セイバーが居る部室棟まで辿り着けば、どうにかなるに違いない。彼女の力量を持ってすればこの程度の相手など障害にもならない。

 だが、大前提としてセイバーはここにいない。

 そして俺たちにとって、あの一匹は命を脅かす難敵と化す。

 体こそ小さいものの、アレは生きて自動で照準を合わせてくる猟銃に近い。こちらから立ち向かうどころか、射線を合わせられたまま下手に立ち止まれば即座に撃ち抜かれる。あの槍の威力の程は想像したくないが、少なくとも数ミリの弾丸よりかは破壊力があるに違いない。

 ──とにかく走る。逃げる。

 他の事は逃げ切ってから考えろと、歯軋りしながら前を睨む。

 

「し、志原くんっ、アレ……‼︎」

 

「……は、嘘だろ⁉︎」

 

 三浦が指し示す先。そこを見て、俺は愕然として目を見開いた。

 周囲の民家の屋根から、わらわらと紙人形が姿を現わしている。

 

(何十、何百──? 駄目だ、多すぎる‼︎)

 

 数えるのも馬鹿らしい数だ。直後、その全てが不気味に捻れる。

 射出の合図。今度は一本ではない。何百と整列した人形達は全て、こちらに標準を合わせている。

 ギリギリまでタイミングを見計らえ、秒の差が命取りになる、落ち着け、まだ、タイミングを完全に合わせないと死ぬ、まだだ、射出まであと──、

 

「……くそ、が!」

 

   ──ゼロっ‼︎

 

 カウントと同時に三浦の小さな身体を抱え、俺は思い切り地面を蹴っていた。

 狙ったのは、家と家の間に伸びる細い路地。そこに背中から飛び込んだ瞬間、数百の槍がアスファルトを砕き、俺と三浦が居た場所に突き刺さる。

 瞬時に剣山の如き様相を呈する目前の道路。

 眼前に広がる惨状を見て、三浦が恐怖に息を呑んだのが痛い程に分かった。状況の把握はともあれ、己の命の危機であるという事は敏感に察したらしい。

 

「し、志原、くん、あれ……は」

 

「……大丈夫。何とかする」

 

 人型形態へと戻った人形達は、再度こちらに狙いを定め、一様にその身体を軋ませる。

 踵を返し、再び走りながら、死に物狂いで情報を整理する。

 

(考えろ、考えろ、考えろ……‼︎)

 

 ヤツらの行動パターンは単純。基本は人型形態で移動。標的を捉えた後、槍に姿を変えて飛んでくる。捻れてから発射までは約一秒半。その猶予がギリギリ救いか。

 避難通路を抜けて角を曲がった直後、再び追うように数百の槍が通路を飛び出した。物騒な音をこれでもかと放ちながら、民家の壁にその全てが突き刺さる。

 人的被害が出ていない事を祈りながら、三浦の手を確かに握り締める。

 一度射出されれば、あの速度には到底反応できない。だが事前の予備動作さえ見れば、まだ対抗策はある。

 

「このまま学校まで走るぞ、三浦っ。そこまで行けば、アイツが──!」

 

 言い終わるより早く、再びの斉射があった。

 今度は身を隠す路地が無い。咄嗟に電柱の陰に隠れ、三浦の身体を引き寄せる。

 ドカカカカカカッッ──‼︎ と、暴力的な炸裂音が何重にも重なって鳴り響いた。

 続いて、嫌な音が連続する。氷がひび割れていくようなその音に振り返れば、背中を預けた電柱全体にヒビが入っていて──、

 

「うっ、おおおおおおおおお⁉︎」

 

「きゃああああああああああ⁉︎」

 

 地響きと共に電柱が倒壊し、俺と三浦は転がるように走り出した。

 電線が千切れ、獰猛な火花を散らしながら落下してくる中、人形達は無慈悲に狙いの修正を繰り返す。

 ──ああ、駄目だ。

 ──このままでは、死ぬ。

 そんな直感を受け入れた瞬間、俺はぴたりと足を止めていた。

 

「なっ、何してるの、志原くん! 早く……」

 

「三浦。お前は先に学校まで行って、文化部の部室棟で助けてって叫ぶんだ。そしたらきっと何とかなるから、お前は助かる」

 

「し、志原くんは? どうする気⁉︎」

 

 ……正直なところ、これは賭けだ。

 三浦は運動が得意じゃない。彼女を連れこのまま二人で逃げていれば、学校に辿り着く前に二人揃って串刺しにされる。

 

「……多分、あいつらの狙いは俺。三浦は優先目標に入ってない」

 

 もしも奴らが数を二分し、俺と三浦を同時に狙う事が可能ならば、俺はともかく三浦に自らの身を守る術はない。

 だが、奴らが俺を「マスター」として最優先目標に設定しているのなら──。

 

「志原くん……怖く、ないの?」

 

 奇妙なまでに冴え渡った頭。

 そこに、三浦の恐怖に震えた声がするりと入ってきた。

 

「怖くはないだろ? だって俺は、──なんだからさ」

 

「え、な、何? 聞こえないよ‼︎」

 

 生物が呼吸のすると同じくらい当たり前で、突然のことだった。

 この人形の群れに単身突撃する事に対して、恐怖などあるはずがない。死ぬ可能性は十分にあると知っても、俺は一寸たりとも怖いと感じていない。なぜなら、そんな感情は──に不必要なモノだから。

 答えると同時に強く強く拳を握り、目線で全部殺し尽くすくらいの気持ちで紙人形達を睨み付ける。

 

「ちよっと、志原く──」

 

「行ってくれ‼︎ 頼んだぞ三浦‼︎」

 

 最後に答えてから、全力で走り出す。

 方向は後ろではなく前へ。

 目前で数百の人形が一斉に姿を変え、裏返しにしたハリネズミみたいに蠢いた。無機質かつ鋭利な直径数センチの棘に似た槍の先端が、全て同時に俺を捉える。

 三浦が大声で何かを言いかけて、それから必死に駆け出したのが、死を前にして鋭敏に研ぎ澄まされた聴覚で理解できた。

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