Fate/crescent 蒼月の少女【完結】 作:モモのすけ
「……驚きましたね。この大蛇、既に神獣の領域に達しています。経た年月は千を軽く超え、単純な強さでは恐らく竜種に匹敵する。こちらに現界させた際に少しばかり格落ちしているようなので、まだ弱体化してると思いますが」
眼前に立つ蒼色の剣士は、少しの驚きを含めた声で呟く。
「恐らく差し向けたのはキャスターでしょうが……これ程の存在を使役するとは」
「神、獣………竜種……?」
伝説の中に語られる、幻想の中に棲まう獣──幻想種と呼ばれる彼らは大きく分けて、魔獣、幻獣、そして神獣に分類される。
魔獣程度の存在であるならば、魔術師が使役することもあり得るだろう。だが幻獣、そしてその更に高位、神獣クラスの存在ともなれば話は別だ。
「神秘は、より強い神秘により打ち消される」。
この魔術界の大原則に則って言えば、その存在は正しく伝説である。神獣の類が持つ神秘性は魔法の域にすら達し、とても人間が御しきれるモノではない。
だが眼前に突きつけられた事実として、敵はその神獣をこうして使役している。
流石は伝説の神秘すらも超越した、幻想の調伏者たるサーヴァントと言ったところ……とセイバーは考えていたのだが、知識の疎い俺は精々目の前の家一軒分はある大蛇の危険性を察する程度の事しかできなかった。
「少しは褒めてあげましょう。しかし貴様、自ら墓穴を掘りましたね」
黄金の大蛇へと変貌した紙人形達の力量は、先程よりも遥かに増大しているに違いない。客観的に考えれば、戦況は先程とは一変して不利になっていると思われる。
だがそれでも尚、セイバーは不敵に口の端を吊り上げた。
「さっきからギラギラピカピカと……その輝き、非常に目障りです」
小さな右肩に担ぎ上げられた長剣は、魔力の煌めきに霞んでいた。
魔王の眼光が怒りに光る。
軽やかに謳われるは、敵対者への死の宣告──。
「──沙汰を下す。疾く、今ここで死に絶えよ」
『キ……ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ────‼︎』
静かな怒りを込めて放たれたセイバーの言葉に応えるように、大蛇は咆哮。
目にも留まらぬ疾さで、大蛇の口蓋から灼熱の火炎が放たれた。
まさに神威の一撃、天然自然の生物が有する筈のない圧倒的な熱量が、数メートル大の灼熱の塊と化して飛翔する。
それは森羅万象一切を灰燼と化す、神秘の火焔。
対し、セイバーは防御姿勢をとる素振りすら見せない。不敵な笑みを浮かべたまま、俺を庇う形で燃え盛る火球を睨み付けるのみ。
「おいっ、避け──⁉︎」
続く言葉は熱風に呑まれた。
着弾と同時、凄まじい爆発が巻き起こる。
感じ取れたのは閃光と熱、轟音。数メートルの距離を挟んでも、その余波たる熱風は俺の全身のみならず喉から肺までをも蹂躙し、焼け付く痛みが全身と気管支を走り抜けた。
天地が震え、闇に包まれた街に一筋の火柱が立ち昇る。その破壊力たるや、セイバーの背後を除く公園の全範囲が残らず吹き飛ばされたほどだ。
吹き荒れた爆風によって鉄棒は遥か彼方に吹き飛び、ジャングルジムは半ば融解し、ベンチの表面は炭化した。
伏せたまま咄嗟に左手で鼻と口を抑え、苦しげに咳き込みながら、あの一撃をまともに喰らったセイバーの姿を黒煙の中に探すが──、
「鬱陶しい」
彼女を見つけるより早く、雷鳴に似た轟音と共に放出された魔力の蒼光が、立ち込めた黒煙を跡形も無く消し飛ばした。
「大した火力ですが、残念ながら無駄ですよ」
あれ程の一撃を真正面から受け止めて、無傷……‼︎
焦げ跡一つ無く、セイバーは平然と目の前の大蛇を眺めている。
──「対魔力」とやらがセイバーの身を守ったのか?
──それとも瞬間的な魔力放出により、火球の一撃を相殺した?
……どちらもたぶん違う。その考えを即座に否定する。
セイバーの対魔力が働く対象は、確かあくまで「魔術」に対してのみだった筈だ。れっきとした魔術をこの目で一度も見たことがない俺が言うのもおかしな話だが、あの大蛇が放った一撃は、魔術ではなく大蛇の身体構造を生かして放たれた「物理的な攻撃」に分類されるように見える。
そして火球の激突の際に、セイバーが魔力を放出したような様子はなかった。ならば、何がセイバーの身を守ったのか……?
『シャア──────ッッ‼︎』
疾風が唸る。高く鎌首をもたげた大蛇は攻撃方法を変更、大口を開けて直接セイバーに躍り掛かる。
黄金の残像が空間に染み付く程の速度を伴った、神速の一撃。
魔術師どころか、その牙はサーヴァントすらも容易く仕留め得る。幻想種、幻想の担い手の名は伊達ではない。
鋭利かつ巨大な牙は正確無比にセイバーを狙い、次の瞬間、それは確かにセイバーの喉元を捉えた。
だが、彼女の白く透き通るような喉が食い破られる事はない。
幾ら力を込めようとも、大蛇は彼女を傷つけられない。寧ろ牙の方に亀裂が走り、砕けていく有様だ。
「言ったじゃないですか。貴方がいくら足掻こうと、私に傷はつけられない」
魔力を放出する雷鳴と共に、セイバーの姿が消えた。
正確には、目視すら困難な程の超速度で大蛇の身体を駆け上がった。
「さて──これでも私は、怒っていまして」
斬る。斬る‼︎ ──怒涛の勢いで、斬って斬って斬り続ける‼︎
断続的に噴き上がる鮮血が霧状に舞う中を、魔王が走る。
黄金の躰の上を疾駆しながら、蒼色の剣戟が次々に巨躯を切り裂いていく。大蛇が怒りの絶叫と共に火焔を放つが、セイバーの動きは微塵も止まらない──いや、あれは誰にも止められない。
「私に牙を剥く不敬はともあれ……いや。許せませんけど……」
ヒトの動体視力では彼女の太刀筋を捉えきれない。閃光が駆け抜けると同時に血飛沫が舞い散る、そんな光景を見せつけられるのみだ。
一際高く跳んだセイバーは、空中で数回転。
重力と遠心力を乗せた渾身の踵落としが、大蛇の脳天に突き刺さる。
『ギギッ……ガァァァッ──⁉︎』
大蛇の頭蓋は地に叩き落とされ、公園の地面が粉々に砕け散った。
へしゃげた血塗れの頭蓋の上で、魔王が呟く。
「我がマスターを傷付けた罪、それだけは万死に値する。その大罪、今此処で贖うがいい」
それは最早、戦いではなく。
魔王の手による、圧倒的な蹂躙だった。
独楽のように回転しつつ、円弧を描く対の刃が有無を言わせず大蛇を切り裂いていき──最後に締めの双撃が、裂帛の気合いと共に大蛇の胴体を真っ二つに両断する。
『……ガ──ア、ァ────…………』
二本の刀身を真っ直ぐに突き立てられて体を二つに分かたれた大蛇は、音も無く絶命していた。ガラスにヒビが入るような轟音が連続し、大蛇の死骸が砕け散っていく。
そんな光景を見せつけられ、
「アイツ、あんな強かったのか」
何故か悔しさが篭った声が、俺の口から漏れていた。
黄金の燐光を撒き散らしながら崩壊していく大蛇に踵を返し、セイバーが俺に歩み寄る。
「…………ケント」
「ああ、お疲れさま……悪い。まったく……油断して、こんなザマだ」
「ケント‼︎」
「うおわっ、な、何だよ⁉︎」
怒声に近いくらいの大声を張り上げて、こちらにズンズンと歩いてくるセイバー。痛み以外の感覚が無い肩を抑えつつ、顔を顰めながら俺が反射的に問い掛けると──、
「う。いえ、その……謝るのは私です」
少しだけたじろいだセイバーは、少し拗ねたような顔でそう言った。
その言葉の意味が……正確にはその言葉をこのワガママ魔王が述べたというこの状況がまるで理解できず、俺の思考が凍りつく。
「こんな時に、ケントを一人にするべきではありませんでした。つまらないことで腹を立てて……完全に、私の不注意です」
「な、なに? ……もう一回聞いていい?」
「だから──ご、ごめんなさい、ケント」
まさかセイバーの口から聞くとは思っていなかった謝罪の言葉に、俺は気が動転するような気分を味わう。例えるなら、急に泣き出した女の子を目の前にして慌てているような状況に近いだろうか。
セイバーの場合、涙が謝罪にすり替わるというのが面白い──ような、ぜんぜん笑えないような。
「い、いや、待てよ、お前が謝るなよ、調子狂うだろ? どうして急に謝るんだ。お前はどーんとふんぞり返って、ワガママにあーだこーだ言ってる方が似合ってるだろうに」
「そ、そんな事ないです。私は魔王ですがサーヴァントでもあり、サーヴァントとはマスターを守るものですから。ケントに一人で「ぷりん」を買いに行かせるのは明らかな失策でした。私は頭に血がのぼると正常な判断ができなくなるといいますか、悪いくせというか、とにかく悪いのは私で……」
「バカ、だからもういいって! ほら見ろよ、怪我は酷いけど、こうしてまだ動ける。生きて……いや、もう死んでるんだっけ? まあともあれ結果オーライじゃんか。そもそもお前、素直に謝って反省するようなタイプじゃないだろうに。らしくないぞ、それじゃ」
俺としてはセイバーには素直かつあまり手間のかからない性格でいて欲しいのだが、一度彼女のワガママに慣れてしまうと、急に素直になられるとどうしたらいいか分からないのだ。
俺も大概面倒な性格だなあ、と自己嫌悪しつつも、彼女がしゅんと落ち込んでいる姿はあまり見たくない。ならば、とっとと立ち直ってもらうとしよう。
「けど……」
「いいんだよ。だからそんな落ち込むな」
尋常ではない肩の痛みを忘れようと、意地悪く笑ってみせる。
セイバーは少し呆気にとられたような表情を浮かべて呟いてから、何故か機嫌を損ねたのか、ぷいっと視線を俺から背けた。
「……今度窮地に陥った時は、令呪で私を呼んでくださいよ。決して無理はしないでください。いま約束してください」
「分かったよ、約束する。……ちなみに、もし無理したらどうなる?」
「その時は私がものすごく怒ります。そしてケントは前のように私の怒りを鎮める為に令呪を使います。つまり結局使うので、ケントは身に危険が迫れば令呪を使うべきなんです。分かりましたか」
「どういう理論だよ、それ……」
大好きな甘い物を食べさせてやるか、もしくはコミック本を数冊読ませればケロッと忘れる癖に、という言葉は心の内に仕舞っておく。
俺達の関係は一蓮托生だ。
単純明快。どちらかが欠ければ、もう片方も死ぬ。
故にセイバーが俺を気にかけるのは至極当然な行いなのだが、それが単純にマスターを生存させるという利己的な考えによるものなのか、「俺」という存在を思いやった上に成り立つものなのかでは、行動が同じであれ大きな違いがある。
さてこの魔王サマはどっちなんだろうね、と雲の影に隠れた月を眺めて考えていると──、
「ん?」
むにゅり、というとてもとても柔らかい感触。
それが二つ。同時に。
体感したことのないような柔らかさに、心地いい暖かさが同居している。一瞬ちょっとアレな想像をしてから、俺は自分の馬鹿らしさに苦笑してその考えを投げ捨てた。
たが──それから視線を下げればそこにはまさに想像通りの光景が広がっていて、俺の思考は完全にフリーズ。
「これからしばらく心を平坦にして、動かないでください」
「なっ、え、は、なにやってんのお前⁉︎ そんなの無理──」
「いいからぁ! 黙っててください‼︎」
「むむ、胸ッ‼︎」
「馬鹿にしてるんですか?」
鬼気迫る剣幕に「了解!」と返すつもりが、混乱した頭で咄嗟によく分からない返事を叫び、とにかく言われた通りに沈黙する。
いつものジャージ姿に戻ったセイバーは、何故か俺の体に真正面から抱きついていたのだ。
もう、ありえないくらいの至近距離。
夜風に揺れる蒼色の髪から放たれる花に似た香りが、俺の鼻腔を刺激する。その香りを知覚した瞬間、顔が燃えるように熱くなった。
ますます動転した俺はその行動の真意が図れず、というかそれを考える以前に色々と感触がヤバいというかあれコイツ背のわりにかなり胸でかくない? というかやけに柔らかくないか──、
「あのですね、これから失礼な事を尋ねてもいいでしょうか」
「仕方ないので、許可します」
「魔王様、貴方はブラジャーという物をご存知ですか」
「それは、現代の……女性用の下着ですか? 私の生まれにはそんな風習もありませんし、着けていませんけど。それがなにか?」
「……まさかジャージの下は全裸とか言わないだろうなお前」
「何か悪いんですか、それが」
流石は非常識の権化、セイバー。
彼女が着ているのは基本的にジャージ「のみ」であるという凄まじい事実が明らかになったところで、彼女に問う。
「まあその件は非常に悩ましい問題だけど、今は置いといてだな……無理矢理置き去りにしてだな……‼︎ 何ゆえお前がこんな奇行に走っているのか、そろそろ説明してほしい」
「きっ、奇行じゃないですよ‼︎ 宝具ですよ、私の宝具! 思い出してください、ケントの魂を繋ぎとめている要が存在するでしょう」
「宝具? お前のあの綺麗な剣じゃなくて、俺の心臓に埋め込まれてるっていう宝具のほう?」
「そうです。それですよ、それ……‼︎」
視線を俺の胸元辺りに落としながら、セイバーは続ける。
「その宝具は本来、持ち主に有り余る生命力を付与するものです。現在は機能の半分を魂の定着に用いているので、回復効果はあんまり発揮されていませんが──」
「が?」
「……その、本来の持ち主である私が近くに寄れば寄るほど、宝具もそれだけ活発に力を発揮するんです。そこ、見てください」
セイバーに従って視線を横に逸らすと、今まですっかり忘れていた肩の痛みが、心地よい暖かさにじわじわと上書きされていくのが分かった。
傷が早送りしたかのように癒着し、再生していく少し不気味な感覚を味わいながら、改めてサーヴァントが持つ宝具の奇跡を思い知る。無性にむず痒いのは我慢するとして、おそらく十分もこうしていれば治るだろう。
「すげーな、これ。まるでゲームの回復魔法だ。なんだ、昔からこんな便利な回復アイテムを持ってたのか?」
「…………いえ。これは生前の所有物がそのまま宝具として顕現したケースではなく、生前の「逸話」が宝具として昇華され、形を得た部類ですね。ケントに量子化して譲渡する以前は、
ほぼ反射的に、俺はセイバーを初めて見た夜の光景を思い出した。
確かにあの夜、セイバーは大きな紫紺の外套を纏っていた。魔王の背に悠然と揺れるあの威風堂々たる姿は、今でもはっきりと脳裏に染み付いている。
「ああ、あれか。それが今は俺の心臓に埋め込まれてる、と……マントを埋め込むって、一般人にゃあんまり想像できないんだけども」
「それはいいんですよ、どうでも。とにかく細かい事は置いておいて、今は怪我の治癒に専念して下さい」
「へいへい。分かりましたよ、黙っときます」
専念しろ、と言われても俺がする事と言えばじっとしている事しかない。必然、セイバーの身体の感触に意識が向けられてしまう。
……これだけ近いと、俺の鼓動まで聞こえてしまうんじゃなかろうか?
セイバーも俯くと、俺と同じように押し黙ってしまう。
「「………………」」
二人分の身体に挟まれ、柔らかに形を変えている双丘から意識を逸らしつつ、どうしたものかと思案する。
(いや、どうにもできないだろこれは……⁉︎)
思案といってもそれは完全殺人を前にした探偵の苦悩に近く、俺がまとまった行動指針を出すのにはかなりの時間が必要だった。
「──セイバー」
「──ケント」
しばらくして、俺たちは同時に口を開いた。
ぎょっとしてお互いに視線を合わせ、慌てたセイバーが眉毛を伏せながら「お先にどうぞ」と促してくる。
「え……えと、くそ、なんか調子狂うな……サーヴァントってのは、それぞれの目的を持って聖杯戦争に参加するんだよな。だからこそ、セイバーは召喚の招きに応えた……と。合ってるか?」
「そうですね。主人に仕え、その為に働く事を願とする者や、暇潰しのような軽い気分で参加する英霊もたまーに存在しますが」
「……けど、セイバーはそのどっちかって感じじゃない。じゃあ、お前が聖杯に託す願いって何なんだ?」
「それは──その……」
セイバーが再び、言葉に詰まった。
彼女は自分の事を語りたがらない。俺の方も無理に聞き出そうとする気は無いので、この問いも諦め半分だった。「いや悪い、言いたくないなら別にいいよ」と口にしてから、動く方の腕で頭を掻く。
それから再び、沈黙が訪れた。
セイバーが嫌がる話題を選んでしまったかな、と後悔しつつ、否応無く押し付けられる胸の感覚を遮断しながら長続きしそうな話題を探すという困難な任務を再開する。
だが暫くしてから、セイバーは少しだけ口を開き──、
「……ケントは。魂って、死んだらどうなると思いますか」
そう、ぽつりと言った。
「魂? 俺はそういうのに疎いから、よく分からないけど」
「サーヴァントの魂は英霊の座に押し上げられ、通常の輪廻の輪から外れます。なので、決して転生することはありませんが……普通の、何の変哲も無い人の魂は、輪廻の輪に従って再び生を受けるんです」
その言葉は、ゆっくりと、独白のように語られていく。
俺は、無言でその言葉に耳を傾ける。
「私が魔王になるずっとずっと前に、誰かが言っていました。何度転生を繰り返しても……魂は必ず、強い縁がある者同士で惹かれ合うんだと」
その声に、思わずドキッとした。
反射的に思い出す──確か、どこかで俺はこの声を聞いたことがある。
明るくもないが冷酷でもなく、激しくもない。彼女の心の底から滲み出たような声色。その声がトリガーとなって、混濁していた死の淵の記憶を呼び覚ます。
生を終える寸前に記憶した最後の光景。確か、血まみれの俺はセイバーに抱きかかえられていて──、
(そうだ。思い出した……俺が、死に掛けてた時……こいつは)
──俺が死ぬ寸前。何故か、彼女は泣いていて。
そして、こんな声で何かを叫んでいた筈だ。
「いわゆる運命というヤツでしょうか。そんな物はただの迷信だと信じていませんでしたが、それは違ったんです」
背中に回された彼女の手が、微かに俺のシャツを握る。
「ケント。私の願いは、とても簡単な事だったんですよ? ケントが死んでしまったあの夜に、それでも、半分叶ってしまうくらいには」
──その言葉の意味は、よく
ただ、綺麗な碧色の瞳には、どこか愛しむような色があった。こちらを見上げてくる柔らかな視線は微動だにせず、俺の瞳を捉えている。
「半分でも、私は……もう満足なんです。あなたが無事に生き延びてくれれば、私はそれでいいんですよ」
そこまで言って、彼女は桜色の唇を閉じた。
暫くの沈黙を挟んでから、今度は俺が話し始める。
「…………じゃあ、お前はさ」
分かりきった事だ。俺の問いは、もう既に答えが見えている。
けれどその答えを否定したくて、俺は無駄と知りながら問い掛ける。
「この殺し合いが全部終わって、俺が仮に生き返って、なにもかも丸く収まったとしたら、その後お前はどうするんだよ。前、英霊は受肉して第二の生をうんぬんかんぬん〜とか言ってなかったか」
「やっぱ適当に話聞いてましたねコイツ……そりゃあ、あくまで一般的な英霊の話です。第二の生を求める英霊も多い、ってだけで。私は事が済めば、大人しくケントの前から消えますよ。また、英霊の座に戻るんです」
俺はその言葉で、硬く奥歯を噛み締めた。
夜空を睨み付けるように頭を上げて、その言葉を反芻する。
「消える」──そうだ。彼女は元より英霊であり、この世を生きるモノではない。一時的な役目を終えてあるべき場所に戻るのは当然の帰結だ。
だが、それを認められない自分がいる。
「それは……仕方ない、事なのか? そんなことないだろ⁉︎ お前は魔王なんだろう、いつもみたいにワガママになれっての……‼︎ 例えば、ほら、まだ沢山この世には甘い物があるんだ‼︎ それに──」
「ケント」
ぴしり、と空気を震わせて、彼女は俺の言葉を遮った。
まるでそれを、決して叶わぬ夢物語だと理解しているかのように。
「確かにそれは魅力的ですけど、貴方は私という存在の性質を理解してないみたいですね」
「……性質だって?」
「はい。真名は明かせませんが、私は魔王。人に、神に、世界に仇なす敵役にして負の象徴。だから今更どう振る舞おうと、私は絶対の
セイバーの口調はどこまでも単調だ。自らの役割を把握しているロボットのように淡々と告げる、その声色に躊躇いはない。
「現世に至り、争いは随分と数を減らしました。戦乱で死ぬ人間も少なくなりつつある……そんなこの世界にとって、私は邪魔者なんですよ。こんな存在が留まっては、きっと迷惑になってしまう。だから私が消える事は、ケントにとっても、きっと正しい事なんです」
(そんなの違う。ふざけるな。「いてはならない」なんて、ンな訳がないだろうが……‼︎)
……そう言いたかった。
それでも俺には、どこまでもそう考えている目の前の少女に、なにを言ってやればいいのか分からなかった。
鬱陶しいくらいにもやもやしたまま、俺に抱き着く形になっている彼女の頭に触れる。蒼色の髪を撫でるように手を動かしながらも、語るべき言葉は喉奥に引っかかって出てこない。
結局、俺は少し戸惑うような表情のセイバーに笑いかけて──、
「……何が正しいなんて、俺にはまだ分からない。けどそんなのは、捕らぬ狸のなんとやらって奴だろ? よくよーく考えたらまだ一騎たりとも倒しちゃいないんだし……だから、答えを出すのは先にしよう」
「ふふ、そうでしたね」
彼女はどこまでも英霊であり、俺はどこまでも普通の人間だ。
そんな俺たちの
きっと、出逢った時から決まっている──。
「じゃあ、治ったら帰るか。ん……そういや、コンビニ袋どこ行ったかな?」
「あー、無くしたならまた買ってきて下さいね」
「お前、一人で行かせて悪かったとか言ってなかったか⁉︎」
「仕方ないので私も行きますよ。今度は」
「いや、金の問題もあるから……お前、俺の財布を無限に金が湧いてくるアイテムか何かと勘違いしてないか?」
そんな風に軽く言葉を交わして、夜空の下で互いに笑い合う。
だが、その笑顔は偽物であって。俺にとっては最大の問題を先延ばしにしただけの、取り繕った笑顔に過ぎず──、
「────────」
俺の心は、深く深く沈んだままだった。
【セイバーの宝具】
持ち主に絶対の回復力を与える、彼女の逸話が昇華された宝具。
通常時は紫紺のマントという形をとり、セイバーは背中にそれを纏うことで、瀕死の重傷であろうと数分で治癒してみせる。ただしマスターからの魔力供給を断たれてしまうと、その能力は大幅に減衰する。逆もしかり。
この治癒能力だけを見るとせいぜいBランク程度の宝具。だが、通常の宝具にはあり得ない「とある性質」を持つが故に、この宝具のランクは「EX」とされる。