Fate/crescent 蒼月の少女【完結】 作:モモのすけ
────見知らぬ筈の風景を、目にしていた。
(…………っ? なんだ、この場所)
オレンジ一色に染め上げられた空の下、荒涼とした大地が延々と続いている。赤土が剥き出しの土壌には草一本生えておらず、どこか寂しさを感じさせる風景だった。
そして、焼け付くような空気に混じる、思わず顔を顰める程に濃い血の匂い。それは不愉快なまでに鼻腔を刺激し、俺は嗅覚に従って振り返った。
「…………………っ‼︎‼︎‼︎」
……何も言葉が出なかった。
何と、言えばいいのか──、
目の前の地獄を。すぐそこに口を開けた地獄よりも酷い何かを。それを言い表わせるような言葉を、俺は持ち合わせていなかった。
死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体。
折り重なり。鮮血を撒き散らし。四肢をすり潰され。身体を真っ二つにされて内臓をぶち撒け。苦悶や恐怖や憤怒を浮かべて絶命している死体の海。それが、俺の立っている場所から先に広がっている。
つま先からうなじまでを駆け抜けた悪寒が震えとなって襲い、俺は無意識に両手で自分の身体を軽く抱いた。震えが止まらない。自分がこの死体の海の一員にならずに済んで本当によかったと思えてしまうくらい、この死体の山から発せられる怨念は俺を圧倒した。
「う゛っ……なんだ、これ……?」
夢にしては趣味が悪い。悪すぎる。
吹き荒ぶ荒野の風に誘われるように、足元から先に広がる地獄に釘付けにされた視線を、俺は少しだけ上に向ける。
──その地獄の中心に。
誰かが、ぽつりと立っていた。
折り重なり、俺から離れる程に高さを増していく死体達の山の頂点。そこにただ立ち尽くし、紫紺の外套をたなびかせる少女に、俺は見覚えがあった。
(あいつは……間違いない。あの子は)
あの蒼く美しい、波打つ海を連想させる長髪を簡単に忘れる筈がない。
────あれは、あの夜の彼女だ。
少女は全身を真っ赤な返り血で濡らし、死体の山の天辺から辺りを睥睨していた。
……あたかも、死を
「──────」
少女の両目と、ふと目が合った。
綺麗な碧色の瞳。くりんとして睫毛は長く、愛嬌のある目をしている。けれど、その瞳の中は冷え切っていて光なんて存在しない。自分すら価値などなく、世界すべてを敵にしているような孤独な瞳だった。
俺が何かをしようとするより速く、彼女はさっと踵を返す。
死した命を踏み散らして、彼女はだんだんと遠ざかっていってしまう。
(もう、行っちまうのか──?)
まだだ。まだ俺は何も聞いていない。
なによりここで立ち止まってはならないと、俺の魂が叫んでいる。あの彼女を一人になんてさせてなるものかと、鬱陶しいくらいに魂が吠える。
……それでも、今の俺では不足だった。
身体は死体の山を前に硬直し、ぴくりとも動かず。小さな両肩は次第に死体の山の向こうへと消え、完全に見えなくなって──、
◆
「……ぃだぁっ⁉︎」
そんな夢想が搔き消えると同時、俺は勢い良くベットから転げ落ちた。
フローリングの床に後頭部をしたたかに打ち付け、鈍い痛みが駆け巡った頭を抑える。
「くぅ……〜っ。ンだよ、くそっ……」
悪態を吐きつつ、まだじんじんと残る鈍痛に顔を顰めて立ち上がる。ふと机の上に置いたデジタル時計に目を移せば、現在時刻は六時半。
俺にしては非常に珍しい事だが、独力で早起きに成功した模様。
カーテンの隙間から差し込む朝日が、寝惚けた瞳に染み渡っていく。そんな朝の陽気に誘われ、思わずふわぁ、と大きなあくびを一つ。
「うぁ〜…………ねむぃ……んー……」
変な声を唇の間から漏らしつつ、ぼんやりと窓からの景色を眺める。思考が半分ほどしか回ってないみたいだ。
小さな雀が何羽か視界を横切っていき、早起きのサマリーマンが早足で真下の道路を歩いている。いつも変わらない、ありふれた朝の風景──。
「………………?」
一体いつからか、全身が震えている事に気が付く。
……どうしてか、何かに怯えるように。
季節は未だ残暑が残る秋始め。蒸し暑い事こそあれ、まだまだ寒いなんて時期じゃない。事実、俺は寒さなどこれっぽっちも感じていない。
であれば、何故。
俺はこんなにもがたがたと震えてるんだ?
一体何に、恐れをなしている──……。
「…………あ」
そのふとした瞬間に、全ての景色が戻ってきた。昨晩の全て。腹をごっそりと吹き飛ばされ、そのまま死に絶えた記憶を思い出す。
フラッシュバックしたのは衝撃と恐怖と死を前にした諦念と、とにかく気持ち悪い感情。それが洗濯機みたいに頭の中で渦巻いた。
「──ッ⁉︎」
思わず吐き気が込み上げてくる。咄嗟にゴミ箱に胃液をぶち撒け、肩で荒い呼吸を繰り返して──恐る恐る、震える手でジャージを捲る。
「……なん、でだ? 俺は、確か」
しかし予想に反して腹には傷一つなく、元通りの身体がそこにあった。
けれど安堵感は無い。残っているのは不気味な浮遊感と疑問だけだ。
……あの体験が夢だったにしては、余りにも鮮明に覚えている。覚えすぎている、と言ってもいい程に。
今でもついさっきのように身体が死にゆく感覚を寸分の狂いなく思い出せるのだから、まず間違いなく俺は昨晩死亡している。
「う……あの辺りの記憶を思い出すのはやめとこう」
二度と味わいたくない感覚を思い出しそうになり、思考を切り替える。
考えるべきは一つ。昨晩何が起きたかだ。
記憶の糸を鋏でぶっつりと切断してしまったかのように記憶が途切れている。それも、死に掛けた寸前で──。
「深呼吸、深呼吸……よし、最初から思い出すぞ……」
落ち着いて、最初から記憶の糸を辿っていく。
……確か昨晩深夜一時過ぎのこと。
どうも昨晩は寝付けなかった俺は、コンビニにでも行こうと深夜にこっそり家を抜け出した。しかしお目当てのアイスが売り切れていた事で、遠い駅前のコンビニまで足を運ぶ流れに。
「ああ。そうだ、アイツらが……」
……そして、あの人影を目撃した。
大体思い出した。分からない事も多いが。
昨晩から着ていたジャージは汗でびっしょりと濡れてしまっていて、その不快感に俺は思わず身を縮こませる。
「……うん。よし。とにかく、飯……」
思考を落ち着けようと、そして我が身の安全をこの目で確認しようと、自室のドアを開けて廊下へ出る。木製の階段を下り、広いホール状の玄関を通り抜けて、包丁がまな板を軽やかに叩く音が聞こえるダイニングへ。
毎朝聞いている筈の何気ない生活音。だがそれが、怯える心を勇気付けてくれた。
頰を叩き、なんとか気合でポーカーフェイスを作成。それを顔にぺたりと貼り付ければ、平常時かつ寝起きの志原健斗が完成する。
俺はいつも通りの志原健斗だ、と脳内で何度も連呼し、何気ない様子を装ってダイニングルームの扉を開けた途端──、
「あ、お兄ちゃん。今日は早いのね。どうしたのよ、いっつもぐうたら寝てるのに」
カウンター式に作られたキッチン、その奥から聞き慣れた明るい声が飛んでくきた。
真っ黒な俺とは異なる栗色の髪。それを黄色いリボンでツインテールに纏めた小柄な少女の名は、志原楓──俺の一つ下の妹だ。
毎朝見る妹の顔。それも今は貴重な物に思えて、少しばかり泣きそうになった。
「……お兄ちゃん、聞いてんの? まだ寝てる?」
「い……いや。なんでもない。今日も悪いな、いつもいつも」
「大丈夫よそんなの。……ていうか、今更どうしたわけ? なんかヘンだよ、今日のお兄ちゃん。顔が真っ青だし」
「べ、別にヘンじゃないって……ちょっと着替えるついでにシャワー浴びてくる。遅くなりそうなら先食べといてくれ」
はーい、という弾むような返事を背中で受け、俺は汗で濡れたジャージを着替える為にバスルームへと足を向けた。
ポーカーフェイス作戦は──うん、無かったって事にしよう。失敗は素直に受け入れるが吉。
扉を開け、洗濯籠にジャージをシュート。急いで鏡に視線を移す。
……外傷はやはり存在しない。大雑把に確認してから風呂場の磨りガラス付き扉を開け、物思いに耽りながら無意識にシャワーのハンドルを捻る。
と、何故か温水ではなく冷え切った水が唐突に俺の頭上から襲来──‼︎
「うぉあ‼︎」
情けない奇声をあげて飛び退る。空気を読まずに冷水を吐き続けるシャワーを一睨みし、シャワーの温度設定をぐんと上昇させる。電子制御されたシャワーは数秒のラグの後に温水を吐き出し、俺はようやく汗を洗い流す事が出来た。
「ついてないな、昨日といい今日といい」
瞳を閉じて肌を打つ水滴に身を任せながら、昨晩の事を慎重に思い返す。
(──そう。俺は、死んだのか?)
この記憶を夢だと仮定してみる。だがそれでは、外出してから家に帰り、楓の目を盗んでベッドに潜り込んで就寝するまでの記憶が無い事が説明出来ない。
とはいえ、俺があそこで「死亡」していたとして──それからどうやってこの家に戻り、今こうして動いているのか。それがさっぱり分からない。
「……駄目だ、全然わからん。無理」
水にしっとりと濡れた硬い黒髪を掻き上げて、俺はシャワーを停止させた。
やはり朝シャワーはいい、なんというか生を実感する。ふわふわのタオルに顔を埋めながら、ひとまず命がある事の有り難みを味わっておく。
「ん……? なんだ、この痣」
身体を隈なくタオルで拭いている最中、奇妙な痣が右手の甲に存在するのを発見した。
真っ赤な、鮮血を連想させる少し不気味な痣だ。
シャワーを浴びる前は、腹の辺りを重点的に確認していたので気付かなかったらしい。まあ大方、ベッドから落ちた時にでも打ったんだろう──そう簡易的に結論付けて歯ブラシを引っ掴む。
速度重視で歯磨き顔洗い。その後そそくさと下着を着て、一度自室に戻って学生服を羽織り、一応見栄えが悪いのでぺたりと湿布を貼り付ける。上から包帯をぐるぐる巻きつけて、学生鞄を引っさげつつ再度リビングへ。
「もきゅもきゅ……ん、遅いよ。ご飯、もうできたって」
「おー、ありがとう。いやもう腹減っちゃって」
どうやら、まともに会話をこなせる程度には落ち着けたらしかった。椅子を引いて腰掛けつつ、テーブルの上に並べられた朝食に視線を落とす。
この料理がもう二度と食べられなくなるかもしれなかったのだ、と考えるとゾッとするが、そんなそぶりはなるべく出さず、
「……いただきます」
「うん、ありがたく味わってよね。もきゅ」
そう言って、昨晩の事を脳から追い出さんばかりの勢いで箸を動かし始めた。
そぼろ丼に味噌汁、アジの干物に漬物。程よく味付けが施された挽肉を卵そぼろ、熱々のごはんと共に喉奥へ流し込み、その美味さに思わず嘆息する。
「──ねえお兄ちゃん、それどうしたの?」
「ん……ああコレ? どっかで打ったみたいでさあ、痣ができてたんだよな。目立つから隠してるけど、まあすぐ治ると思う」
「ふぅーん。変なの」
「他人事丸わかりって感じの返事、ありがと」
そんなこんなで味噌汁を一杯飲み干す。うまいうまい、と一人で感想を漏らしていると、それに気を良くした楓は少し声を明るくして、
「うまいって言ってもらえるのはありがたいんだけどさあ……本当、ゆっくり食べるって事を知らないよね。お兄ちゃん」
「んぐんぐ……うるさいな。これが俺の食う速さなの、だからお前にとやかく言われる筋合いは無い」
「もう……はいこれ。しっかり飲んでよ、お兄ちゃん全然お野菜食べないんだからね⁉︎」
「あー、へいへい……了解です」
頰を膨らませながら小生意気に言って、楓は俺にパックの野菜ジュースを差し出してきた。
コレ、正直あんまり好きじゃないのだ。変な味するし苦いしいいところがない……いや、栄養価とかはあるんだろうけども。
とにかく気を遣ってくれる妹の好意を無下にはできまいよ、という訳で野菜ジュースを渋々学生鞄の中へ押し込み、溜息。
「あ、そうだ。なぁ楓、昨日の夜何かあった?」
「え? 昨日の夜?」
思い付いた疑問を口にして、楓の返答を促す。もしも俺が昨晩帰宅した所を楓が目撃していたのなら、何かが掴めるかもしれない。
「お前、最近結構遅くまで起きてるよな? だからさ、何か変な事なかったかなー、とね」
「そんなの知らないわよ。そりゃあ、昨日はだいぶ長い間起きてたけど。……なに、兄ちゃんまた外で変な事してたの⁉︎ 最近殺人事件とかあって物騒だって言ったよね、私‼︎」
鋭い指摘に思わず声が裏返る。
「あえっ⁉︎ い、いやいやそんな事ないって。そのー、なんか寝付けなくてさ。昨日の夜はやたらと蒸し暑かったみたいだから、楓は大丈夫かなぁ、と」
慌てて誤魔化しつつ、彼女の追求を逃れる術を探す──あった。机の端に無造作に置かれたテレビのリモコン。この際チャンネルは何でもいいので、適当にスイッチを押す。
画面に映し出されたのは、ありふれた朝のニュース番組だった。ニュースキャスターが難しい顔をして複雑な政治経済の世情についてフリップを翳しながら語っているが、当然俺はそんなものに目もくれない。目当ては画面端の時刻表示。
現在時刻は7時45分過ぎ。幸運にもそろそろ家を出る時刻だ。
「お、時間だ。そろそろ出ようぜ、まだ出るにはちょっと早いけど」
「うーん……まあいいや。んじゃ、片付けちゃいますか」
なんとか誤魔化せたことに安堵しつつ、俺はテレビを消して立ち上がった。
カチャカチャ、と音を立てて、食器を重ねて洗い場へと向かう。
刹那。記憶の淵から浮かび上がるのは。
舞い散る火花、鬩ぎ合う刃──。
毎朝聞く食器が擦れる金属音は、昨夜の剣戟の音を思い出させるかのように聞こえたのか。
俺は思わず顔を顰め、ダイニングの窓から降り注ぐ朝日に目を細めた。
◆
「……………………」
雲一つない蒼穹の下。
──少女は、悠然と立っていた。
大塚市の中心部。商業施設複合型の大塚駅に隣接する形で天高く聳える、高さ百五十メートルを誇るランドマークタワーの頂点。
──そこに、
「……………………」
朝日が東の山麓を越え空に昇った事で、にわかに人が増え始めた駅前のビル街。遥か下のアスファルトは人と車で埋め尽くされ、一様に蠢いている。
だが、そんな有象無象の民に興味はない。
視線を移す。遥か先、大塚市の東側へ。
彼女のクラスはセイバー。千里眼の類に相当するスキルは保有していない。だが結ばれた契約の賜物か、姿も碌に視認できない程距離を置いているというのに、坂道を登るその少年の姿だけははっきりと捉えられた。
黒い鞄を肩に下げ、白のカッターシャツとかいう服を着ている。聖杯が与える現代知識は速やかに、彼が『高校生』という身分である事を彼女に知らせていた。
──あんな事があったというのにこうして外出するとは、全く。肝が据わっているのか馬鹿なのか。
「………………」
少女はひどく懐かしそうに。
そして愛おしそうに、少しだけ笑った。
軽やかに足取りを運び、跳ぶ。高さ百五十メートルからの自由落下。しかし彼女は微塵も臆さない。空中で軽やかに姿勢を整え、眼下のビルの無骨な屋上へと音も無く降り立つ。
そのような芸当を苦もなくこなし、少女は微かに言葉を紡いだ。
「………………さあ、行きましょうか」
少女は嬉しそうに顔を上げる。
彼女の鋭い視線は明確に、少年が居る、遥か東へと向けられていた。
【志原楓】
十六歳。健斗の妹。
運動神経には自信がある。趣味兼特技は料理。
風貌としては茶髪、かつ髪を短めにした凛みたいなイメージ。