Fate/crescent 蒼月の少女【完結】 作:モモのすけ
……何か、聞こえる。
鎧の金具が擦れる音。靴裏が大地を踏みしめる音。
現代に生きる俺では聞き覚えのない、戦争が奏でる音色──。
「なんだ……あれ」
もうもうと立ち込める土埃の奥から、馬鹿らしい数の人間がこちらに向かって進軍してくる。その姿を一目見て、彼らが何であるかを俺でも理解できた。陽光を受けて鋭く輝く刃に盾、矛……あれは恐らく人間の軍隊であり、これから戦争をしようというのだろう。
……しかし、とんでもない数だ。
千人ちょいが集まる全校集会の様子を思い出しつつ、何人くらいなのかを数えてみるが、すぐに諦めた。ざっと見えるだけでも一万は超えているだろうに、その奥にまで兵士がひしめき合っているのだから数えるのもバカらしい。
「……あんだけ人が集まってんのは、中々見ない光景だな……」
此処がどこなのかも知らず、俺はだんだんと迫ってくる軍隊を隅から隅まで眺めてみた。装備品から年代を推定できるほど博識ではないが、少なくとも中世、近代の装備ではないような……気がする。そもそも数百メートルは離れているので、細部までは見通せない。
(……いやいや。まず第一に、どこなんだここ)
周囲をぐるりと見渡そうとして──瞬間。
何か異様な存在感が、ぞわりと背筋を撫でた。
「────────っっっ‼︎⁉︎」
本能的な恐怖が全身を縛り付ける。
間違いなく──凄まじく恐ろしい「何か」が、後ろにいる。
前方に迫る何万もの兵士達の威圧感も相当なものがあるが、背後のソレは最早人間が持つものではない。神か、魔か。その類の超越者にのみ許された覇気ともいうべき何かが、俺の背後数メートルの場所から強烈に発せられている。
『見えたぞ────ッッ‼︎‼︎』
『ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎‼︎』
地響きと錯覚する程の雄叫びが、眼前の軍隊から発せられる。
笛が高らかに吹き鳴らされ、兵士達は各々の武器を掲げた。
数万の殺意がいっせいにこちらに向く。正真正銘の「戦争」がこれから始まるのだ。先頭の兵士たちが力強く地面を蹴り、速度をぐんと増して一直線に突撃してくる。
ずらりと並んだ槍の穂先は、太陽光を反射してぎらぎらとやけに輝いて見えた。まるで喉元に刃を突きつけられたような威圧感が眼前から迫ってくるが、そんなものには全く恐怖を抱かない。
単純な話。万の軍勢より恐ろしいものが、すぐ後ろにいたからだ。
『…………………………』
無言で、俺の横を通り過ぎる影があった。
その少女の髪は美しい蒼色で。
その少女は見覚えのある黒鎧を身に纏っていて。
その少女の手にはあの長剣が握られていて。
その少女はどこからどうみても、あのセイバーと同じで。
そして同時に、その全てがまるで別物だった。
「……お前……は……セイ、バー……なの、か?」
思わず呟きが漏れた。それは数万の兵士達の雄叫びに容易くかき消され、荒野の風に揉まれて消えていってしまう。
だが、その声が仮に届いたとして。
果たして目の前の彼女は、俺が知っているセイバーなのか。
明るく笑ったり、お菓子を頬張ったりするあいつの姿は、しかし目の前の少女には当て嵌まらない。同じなのはガワだけで、残る全てが完全に違ってしまっている。
(無理だ、不可能だ……勝てる訳がないだろ⁉︎)
直感的に悟る。迫り来るは万の軍勢。対し、彼女はたった一人。
「逃げろって‼︎ おい、頼む、逃げろバカ────‼︎」
喉が痛むほど声を張り上げるが、俺の声は誰の耳にも届かない。
びりびりと振動する空気。殺気に焼け付いたかのような戦場の空気。突進してくる怒涛の兵士たち。剣をゆっくりと構える彼女。
──それら全てを見て、俺は、
「分かってんのか、
戦場に虚しく響いた声は意味を成さず。
魔王の片手で、異様な魔力が蠢いた。
『──────失せろ』
瞬間、致死の竜巻が巻き起こる。
魔王は無造作に剣を振り払っただけ。しかし巻き起こった斬撃の波は地面ごと軍隊の一部を滅茶苦茶に切り裂き、数千人を一撃でバラバラにしてみせた。
余りに大量の鮮血が弾け、荒野の土煙が赤色に染まる。鼻をつく血の匂い、秒間に散った数多の命。しかし魔王は何の感慨も抱かない。
『と……止まるな、止まるなァッ‼︎‼︎ 止まれば死ぬぞ‼︎ 奴の元にまで辿り着ければ、後は物量で押し潰』
そう言った奴は、次の瞬間潰れていた。
第二撃。今度は軍隊の中央、魔王の剣戟が空を駆ける。
すり潰されて原型すら留めない仲間の死体。それすらも踏み越えて迫り来る兵士達の目に余裕などなく、ただあるのは恐怖のみだ。
死を目の前にした絶望。恐怖、怒り、その全てを魔王は──、
『殺せ、あの魔王を殺せ──‼︎』
『早くっ、早く、がああぁぁぁ⁉︎』
『くそっ、クソクソクソ‼︎ 突撃しろ、それしかない──‼︎』
『無理っ、無理だ、ヒィッ、俺の足ィィィッ⁉︎』
阿鼻叫喚、地獄絵図とはこのことか。
まるで子供がアリの大群にホースの水を噴射するように、一撃を放つたびに大地が抉り飛んでいった。だがその犠牲になるのは一人一人がれっきとした人間だ。尊厳も慈愛もなく、恐怖の中で数え切れないほどの人間が死んでいく。
雄壮な雄叫びはとっくに消えた。
聞こえてくるのは悲鳴と怒号だけだった。
──たった数分で、それも聞こえなくなった。
「………………………」
言葉すら出なかった。数万の軍は魔王と剣を交わすことすらなく、完膚なきまでに壊滅していた。
俺はその陰惨たる光景に言葉を失い、ただ彼女の背中を見つめる。
……俺は、甘く考えていたのか。
これが、これこそが、彼女が哀しげに言った「反英雄」たる証。彼女が、自らがこの世界に邪魔だと語る理由の根源。人類史にその悪名を刻み込んだ魔王の所業は、俺の想像を遥かに上回っていて──、
(………………………………)
普通の人間なら、こんな怪物に恐怖しない訳がないだろう。その上で、或いは無謀にも義憤を覚える者もいるかもしれない。
魔王……善なる者たちの敵。全てに恐怖を振りまく絶対の悪。
疎まれて当然、憎まれて当然。他人からそう思われる以前に、彼女自身が自分をそういうものだと決めつけている。
──けれど、俺は。
その背中を、とても悲しいと思ってしまったのだ。
怖くなかったとは言わない。
今すぐ血みどろのセイバーに背を向けて逃げ出したいと思う。
それでも、心の根底で感じたのは、彼女に対する悲しみだった。
セイバーが本当に魔王なら、あんな風に笑える筈がない。
セイバーが本当に魔王なら、あんな風に涙を流せる筈がない。
彼女の本性は魔を統べる悪鬼なんかじゃない。我儘でも可愛らしくて、どこか憎めないようないい奴だと、俺は断言できる。
それなのに、どこかで全てを狂わされて、彼女はこの世界の全てを絶望的に誤解してしまっている。彼女は根から魔王なのではなく、ただ「そうあるべし」と定められているだけなのだ。
だから、たった一言でいい。
「お前は、魔王なんかじゃない」……と。
武器を構えずに駆け寄って、そう彼女に言えたなら、きっと──。
◆
「んごー…………」
明くる朝。煩い寝息に、私は思わず目を開けた。
窓から差し込む朝日に目を細める。昨夜からの深い睡眠で、戦闘での消費分魔力、体力は存分に回復していた。とはいえ、あの程度の戦闘では回復の必要すらも無かったのだが。
「くかー…………かー…………」
狭いベッドの隣で脳天気にいびきをかいているのは、成り行きで私のマスターを務めている少年。
また私が勝手に布団に潜り込んだことを知ったら、彼は昨日のように取り乱すのだろうか。何の気なしに薄い毛布の中で体を動かし、のしかかるように顔を彼の顔の間近まで近づけてみる。
少しボサついた硬めの黒髪、長めの睫毛、太めの眉。いかにも年頃の少年然とした顔立ちの彼の顔をじっと見つめていると、何故か心の底がむず痒くなるような、そんな気分を感じる。擦り切れた記憶の最後のカケラが、彼の顔に共鳴しているのだろうか。
志原健斗……私は、彼を知らない。
どんな生活を送り、どんな家族を持ち、どんな将来を歩んでいくのか。サーヴァントであり魔王である私は、彼という存在についてあまりに無知だった。
それが腹立たしくて、思わず彼の頰を摘んだ。
「……せい、ばー……お前……は……違う……」
私の名前。夢でも見ているのだろうか。両手で頰を引っ張られ、変な顔を晒してなお爆睡を続ける少年の姿に少しだけ笑いを堪えながら、私は思う。
願わくば、私と彼が聖杯を手にするその瞬間まで、ケントには私の正体を知らないでいて欲しい……と。
自ら「魔王」を名乗っておいて滑稽な話だが、私が真名を隠すのは戦略的な理由を主としている訳ではない。
……怖いのだ。真名を知られる事が。
かつて冷酷無比、残虐卑劣を成した反英雄が何を言うか、と自分で自分に呆れ返る。この極東の地では知名度は無いに等しく、仮に真名が露見しても「なんだソレ?」で終わってくれる可能性は高い。
けれど、私の正体を、過去の過ちを知ってしまったなら──、
「チっ……お……もい……んだよぉ……こら」
と。ケントの口から漏れた一言で、私の思考は凍り付いた。
「おもぃ……っての、どけぇ……おらッ」
ほとんど無意識に伸ばされたケントの右腕が私の顔をぺしぺしと叩く。
あまりの不敬発言に考えがまとまらず、とりあえず頭の中でその言葉の意味をじっくりと考えてみる。考えて、考えて、うん、キレた。
目を閉じたまま寝心地悪そうに私をどかそうとしてくる彼の姿に、私の中の怒りがどんどん沸騰していく。無意識に放出された魔力が狭い部屋の内部を掻き回し、毛布が暴風に激しく揺れる。
「んー………………?」
だが、彼は一向に起きない。飛んで来た雑誌が顔に激突しても起きようとしないその図太さが余計に癪に触る。
私は怒りで目を爛々と光らせながら、どうしたものかと考えた。
こうも魔王を侮辱した不敬、どう償わせたものかと──‼︎
◆
「…………なんで俺は窓から突き落とされて目を覚ましたのかな?」
「自分が悪いんですよ。文句は聞きません」
「おかしいだろォ‼︎ 俺何もしてないよな、ただ寝てただけなのに‼︎ それなのになんで二階の窓から投げ捨てられなきゃならないんだ死ぬぞ本当何事かと思ったわ‼︎ 俺がベッドからお前を突き落とすのとは訳もレベルも痛さも色々と違うんだぞお前‼︎‼︎」
「だからー、もう死んでるじゃないですか。窓から落ちた時点で私に対する不敬罪の清算は済んでますから、もうケントは自由の身ですよ。まあどうせ、またくだらないことで私の不敬ゲージを上昇させるんでしょうが」
「……言ってる事がカケラも理解できないんだけど。不敬ゲージって何だよ、理不尽勝手にイライラゲージの間違いだろ?」
言ってるこっちがイライラしながら続ける。
内心今すぐこのふざけた英霊の頭をしばき回したいところだが、そうなれば面倒な事になる+確実にボコボコにされる事は火を見るより明らかだ。
「大体なあ、日本じゃとっくに不敬罪は廃止になったんだぞ。お前曰く、無知は罪なんじゃなかったか?」
「知りませんよこんなチンケな島国の法律なんて。けど腹立ったのでまた不敬ゲージが上昇しました、だいたい半分くらい。あと半分でまたおしおきですね」
「理不尽かつ溜まるのが早すぎる……ッッ」
色々と考えなければならない事がある筈なのに、俺はのんびりと思考に耽るような余裕を持ち合わせてはいなかった。
二階から下の植木に叩き落とされる形で目が覚めた俺は、痛む身体に鞭を打ち、髪の毛に植木の土を被ったまま、鬼の形相でセイバーの蛮行を問い詰めていたのだ。
が、俺が幾ら眦を吊り上げようと、セイバーにはどこ吹く風である。
「セイバー君。正直僕は今怒りすぎて、もう君をメッタンギッタン滅茶苦茶にしてやりたい衝動に駆られています。思わず敬語にならないとついつい罵倒しそうになるくらい」
「……あの、ちょっと離れてもらえます? まさかケントが変質者の類だったとは思ってなかったんですけど、ちょっと認識を改める必要が」
「そういう意味じゃない‼︎」
「あーはいはい、騒ぐと先生とやらに見つかるんじゃなかったんですか。大丈夫ですかそんな声を張り上げて? ン?」
──ああもう嫌だああああああ‼︎ と奇声を上げて、俺は部室を飛び出した。言い合いではヤツに分があると理解したが故の戦術的撤退。
グラウンドを端から端まで全力で駆け抜け、ヤケクソじみた勢いで顔を洗う。毎朝恒例の洗顔により、ポンコツ魔王への怒りは多少なりとも鎮まってきた。
肩で息をしつつ、朝日に照らされたグラウンドの隅から空を見上げる。遥かな天空には雲一つない蒼穹が広がり、心地よい陽気が当たりを包んでいた。大地を浄化するかのような光に身を任せていると、色々なストレスが霧散していく気がする。
「光合成、最高」
「いつから貴方は植物になったんですか」
と、そこに不当なストレスの元凶が襲来。
獲物を横取りされそうになった野良猫の如く飛び退き、両手を挙げて威嚇する俺に呆れた溜息を漏らしながら、セイバーは長い蒼髪を梳くように撫でる。
「なんだよお前。俺たちの間にまだ停戦協定は結ばれてないぞ、帰れ。帰れ‼︎」
「いつの間に戦争おっ始めてるんですか……ほら、ケントこそ帰りますよ。朝ごはんもまだ食べてないでしょう」
部室からわざわざ持ってきたのか、昨晩の帰りに再び立ち寄ったコンビニのレジ袋をセイバーが掲げる。
途端、意識とは別に、忌々しい胃袋がぐぅぅ……と鳴った。思わず赤面して俯く俺に、セイバーが声を抑えて笑う。相変わらず、魔王である癖に人懐っこそうな笑顔を浮かべてみせる奴めちくしょう。
「……おい。いくらは俺のだぞ」
「仕方ありませんね、じゃあ私はしゃけの方で我慢しておいてあげましょう……ケントの面白い姿も見れましたし」
「お前、かつてないレベルの大盤振る舞いだと思えばそれが理由か。今すぐ忘れて」
「忘れませんからね、絶対……絶対に」
「な、なんだよ急に。忘れろよな」
そんな事を言い合いながら、日曜日の朝は慌ただしく過ぎていく。朝日に輝くような蒼髪に目を細めながら、俺は駆け足で彼女の背中を追う。
……と。
その背中を、俺はいつまで眺められるのかと──。
その瞬間、刹那的に思ってしまった。
背筋を冷たい何かが伝う。昨夜のセイバーの言葉が脳裏に走る。思わず平静を装って彼女に言おうとした軽口を呑み込んで、俺は歯をきつく擦り合わせた。
「ケント?」
「何でもない。とっとと行こう」
「ケントこそなんなんですか。まさかまだ寝ぼけてるんですか?」
「寝起きドッキリも真っ青どころか下手すりゃ殺人事件な起こし方で寝ぼけてる訳がねえだろうに。いいから止まるな止まるな、こんなグラウンドのど真ん中じゃ人目につくって」
セイバーの背中を背にかかる蒼色の長髪ともども押して、俺は怪訝な表情のセイバーを強引に前進させる。
その頃にはこれからの聖杯戦争のことや、胃袋を苛む空腹のことなど頭のどこかにすっ飛んでしまっていて、俺はもう一度だけ、その小さな後ろ姿を不安な色の混じる瞳で見つめたのだった。