Fate/crescent 蒼月の少女【完結】 作:モモのすけ
「寝させて」「いや」
天候をも変える巨人との戦いを切り抜けた倫太郎とアサシンだったが、彼らの戦いは日が昇っても続いていた。寝室に向かう扉の前で、倫太郎とアサシンは両手を合わせてぎりぎりと対峙する。
一刻も早く布団に潜り込まんとする倫太郎と、暇を潰してくれるマスターには寝てもらいたくないアサシンとの真っ向勝負である。
「いい加減に頼むよぉぉ……‼︎ 分かるだろアサシン、人間の体力は英霊に比べて貧弱だから睡眠という休養は必要不可欠であ」
「ひま。ひま、ひまひまひまひまひま」
「ああああああ頭にその二文字を刷り込もうとするな! また僕のパソコン貸してあげるからそれで勘弁してくれ‼︎」
「あれ……私の名前、けんさくしても……何にも出てこない。他のハサン様も出てこない。……壊れてる?」
「そりゃあ本物の山の翁の情報がネットなんかに載ってる訳がないだろ‼︎ 時計塔の書庫にだってまともに残ってるかどうか……」
悲しげなアサシンに全力でツッコんで、倫太郎はいっそのこと東部の住宅街を見回らせているシロを呼び寄せようかと考えた。
シロは賢い上に可愛いので、ご近所ではアイドル待遇を受けている。アサシンもあの白柴犬は非常に気に入っているようだった。たまに食事に戻ってきた際には、ボールで彼女とシロが戯れているほのぼのとした光景を見ることもある。
「…………はぁ。しかたない」
とうとう観念して諦めたと見えるアサシン。
自分の言い分ももっともだと思うし、自分から退くことにしたのだろうか──と考える倫太郎だったが、
「もういい。……わんこと遊んでくるから。ふん」
気ままな暗殺者は、霊体化して宙に溶けていってしまった。恐らく住宅街のシロのところに行ったのだろう。
ぽつんと取り残され、何故かワケもなく不本意な気分になる倫太郎。
「いや…………まあいいけど。僕は悪くないし、寝れるし」
そう呟いてみたものの、アサシンとの無駄に疲れる攻防を経てかえって目が覚めてしまっていた。
どうしたものやら、と暫く考えてから、倫太郎は寝室を通り過ぎて更に奥へと向かう。彼の日本家屋は屋敷と言っても差し支えない広さを持っているが、倫太郎はその敷地の中でももっとも奥──小さな武道場へと足を踏み入れた。
「────────」
倫太郎はいつもの強化木刀ではなく、棚に置かれた真剣を手に取った。本気で振るうわけでもなし、刀の方が砕ける事はないだろう。
それを取るやいなや武道場の扉を開け放ち、武道場に隣接する広々とした中庭に降り立つ。どうせ汗だくになるのでシャツは適当に脱ぎ捨てておいた。パチン、と指を鳴らして待機させてある鍛錬用の石人形を呼ぶ。
これは魔術の鍛錬……というよりは、基礎動作の確認に近い。
乾いた地面を踏みしめながら、美しい曲線を描く刀身を鞘から抜き放ち、上段に構える。倫太郎の強い眼差しを表すように、満ちる空気が緊張感を孕んだ。
「剣鬼──抜刀」
ただ一つの詠唱語句。それは自己を変革される暗示であり、この瞬間、倫太郎は全身が剣を振るう為だけの存在に置き換わった事を実感する。
「熾刀術式」。
其れは、遥か戦国時代の先祖より繭村の家に伝わる秘奥である。
繭村家は、心と動の調和によって生まれる奇跡を探求する大家として、極東の魔術師としては破格の知名度を獲得している。
だが、繭村の祖である武家の一族は、元を正せば「ただひたすらに斬ること」の探求を続け、副産物的にこの剣術複合型魔術を生み出した。そこからいつしか魔術と武道の理念バランスが逆転し、繭村の魔術師は「断ち切る」、つまりは「切断」に特化した魔術を極める道を歩み始める。それが大体明治時代の初め、開国によって西洋の情報が潤沢に得られるようになった頃だ。
古来武家の流派には、剣術に於いて様々な「型」が存在するのが常だったという。
倫太郎の先祖はその型に魔術的な要素を見出し、発展させ、「切断」特化の魔術として結実させるに至った。故にその魔術には何文字にも及ぶ複雑な詠唱ではなく、使用者の適切な動作が求められる。他所の神秘で例えるなら、古代インドから全世界に広がりつつある「ヨガ」も本来は動作を起因とする魔術として挙げられるだろう。
(神域に至る刀剣ともなれば、人の業すら断ち切ると云う。僕には到底無理な技だけど、その型落ちくらいなら成せる)
──じわり、と汗が額に浮かぶ。
自らの胸に杭を穿つようなイメージを基礎として複雑な魔術理論を構成し、それを動作に繋ぎ合わせる。
──気分が悪い。吐き気がする。
活性化した身体の魔術回路が淡い緑色に輝き、瞬く間に刀身すらも覆っていく。倫太郎の全身が一つの
──それでも、己は繭村の魔術師だ。
魔力の輝きを上から塗り潰すように、魔術の炎が刀身を包んだ。
狙うは眼前の石人形。間合いは万全、後は己の力を示すのみ。
「ふッ──‼︎」
目にも留まらぬ踏み込みと同時、袈裟懸けに刀身を振り下ろす。
瞬間、怒涛の火焔が倫太郎の眼前を呑み込んだ。
それは剣術の域を超えた一撃。絶大な火力が目の前の空間を焼き焦がし、中庭を突き抜け、倫太郎より大きな石人形に激突する。
轟音を響かせて、発生した炎は霧散──。
黒煙の奥に残されたのは、ゾッとするほど綺麗に切断された石人形。熱された空気は蜃気楼を生み、不気味にゆらゆらと風景が揺れている。
「…………ふぅ」
魔術の行使による精神的負担がどっと襲ってきて、倫太郎は歯を食いしばった。吐き気を催し、喉元まで中身がせり上がってきた。ぐつぐつと煮え返るような不快感を無理やり呑み込んで、荒い息を落ち着かせる。
「くそっ。なんでだ」
結果は申し分ないと言えるだろう。魔術の精度、威力共に最高クラス。非の打ち所がない、とはまさにこの事だ。
けれど、何度繰り返しても変わらないものがある。
纏わりついてくる魔術への恐怖心と拒否感──それに苛立った倫太郎は意味もなく赤熱した日本刀を振り払った。炎の残滓が宙を舞い、空に消えていく。
視線を前に戻すと、石人形の自動修復が始まっているのが見えた。
(踏み込みの瞬間、僕は恐れる。魔術を使うことを恐れ、そして何より、目の前の人形が生きている人間だったらどうしようと怖くなる)
今までは家督を継ぐという責務感から恐怖心を押し込め、無理矢理に魔術の鍛錬を続けてきたが、それもいよいよ限界が近づいている。
いつまでも魔術の行使を躊躇っているようでは、到底この戦争に勝ち残れる気がしないというのに。
昨晩は魔術抜きでもなんとかなったが、今後迅速に魔術を使って戦況を変える必要も出てくるだろう。そんな命懸けの戦いの中で、魔術を使うのを、人を殺すのを躊躇うような猶予があるとは思えない。一瞬の隙が命取りになるような局面だってきっと訪れる。
「もう一度だ」
ざりっ、と硬い地面を踏み締めて、赤熱した日本刀を下段に構える。
今度は敢えて、人形が生きた人間だと想定する。魔術師とは目的を第一に考えるモノであって、他人の命を優先するなど愚の骨頂だ。
──よりによって、最初に思い浮かんだのはあの少女だった。
キャスターのマスター。わざわざ宣戦布告までして、一度はこちらを確実に屠ろうとしてきた己の敵……‼︎
「──────‼︎」
奥歯をきつく噛み締めて、その幻想を叩き斬る。
その表情は歪んで、まるで自分の腹を掻っ捌いているかのような苦痛に満ちていたが、倫太郎自身はそれに気付かない。
そうして、彼の鍛錬は小一時間ほど続いたが──結局のところ、大した結果は得られなかった。
何年もずっと魔術への忌避感情を抱いてきただけに、今更克服しようと思うことこそ都合がいいのだ。
ともあれ、倫太郎が何十回目かの踏み込みを果たそうとした瞬間、来客者を告げる鈴の音が屋敷の敷地内に響き渡った。インターホンではなく魔術的に作動する仕掛けを利用していることから、来客者が一般人ではないと判断できる。
(魔術師の来客? こんな時に珍しい)
魔術を少しでも知る者ならば、この家がどれほど危険な状況に立たされているか分かるだろう。
この地の管理者であるという事は簡単に自らの拠点を把握されてしまうというデメリットを伴う。不用意に近づけば戦闘に巻き込まれる可能性も高いというのに。
「…………敵、はあり得ないか。こんな時間だし、第一にわざわざ来客を伝えてくる間抜けがいる筈ない」
日本刀を置いて汗を軽く拭い、服装を慌ただしく直して小走りに玄関へ向かう。少し時間を掛けたが、向こうは律儀に待っているらしい。少し息を切らしながら倫太郎が古めかしい門を開けると、そこに立っていたのは一人の男だった。
見たところでは恐らく二十代後半。彼の髪は赤銅色と揶揄される倫太郎の髪色よりも少し明るいだろうか。よく日に焼けた身体は引き締まっていて、よく見ると目尻などに幼さが残っているが、その全てを見透かすかのような視線が倫太郎には恐ろしいもののように見えた。まるで一本の剣が人と化したような雰囲気がある。
「こんな時に申し訳ない。君が繭村家の長男、繭村倫太郎か?」
「そうですが」
倫太郎の少し警戒を込めた視線に、赤髪の男は敏感に反応した。
「……申し遅れた。オレは魔術協会のツテで派遣され来たものだから、君の敵じゃないと思って欲しい。なんなら今ここで、気が済むまで身体検査でもなんでもして貰って構わないが」
「大丈夫です。父から魔術協会の調査員が来るという事も聞いてましたから……とりあえず、中へどうぞ」
「ん、じゃあ失礼しよう」
男は丁寧に門の前で一礼すると、先行する倫太郎について来た。
それとなく観察するが、武器らしきものは持っていない。まあ魔術師にとって最大の武器は己が魔力なので、警戒を解く要因とはなり得ないが。
長い廊下を渡り、西洋風の応接室に来訪者を通す。繭村の家柄上他国から魔術師が訪問する事も多いので、倫太郎の屋敷の中で唯一、この応接室だけは西洋風に作られていた。
「お茶を入れますので、ちょっとお待ちを」
「ああ、気遣い感謝する」
コップに注いだ緑茶を差し出して、倫太郎はソファに腰を下ろした。
素早く目線を巡らせて男の全身を観察しつつ、会話を切り出す。
「……早速ですが、本日はどのような要件でこちらへ?」
「その前に、名乗らせて貰ってもいいか?」
倫太郎が頷くと、その男は少し目尻を緩ませて言った。
「オレは衛宮士郎。一応、遠坂凛の弟子を勤めている者だ。宜しく」
衛宮士郎。その名前に聞き覚えはなかったが、「遠坂凛」の方は聞き覚えがあった。冬木の地で聖杯戦争を作り上げた「御三家」の一つが遠坂であり、何より彼女は冬木の聖杯を解体する際に大きな貢献を果たしている。
「遠坂凛……?」
「ああ……凛のことは有名だから知っているだろうが、実はオレも第五次聖杯戦争の生き残りでね。その経験とか諸々を考慮して、ロード・エルメロイたっての頼みで派遣されてきたのがオレと凛という訳だ」
つらつらと語られた言葉に、倫太郎は思わず言葉に詰まった。まさか実際に聖杯戦争を生き残った魔術師が派遣されてくるとは想定外だったというのもあるし、時計塔の「現代魔術論」学科を管理する
ロード・エルメロイII世。
確か位階は「
「なるほど、確かにこれ以上の適任もいない。凛さんはどちらに?」
倫太郎が尋ねると、士郎は黙って苦虫を噛み潰したような顔をした。何かまずいことだったかな、と倫太郎が焦り出す前に、
「……機嫌が悪いんだ、朝は」
「?」
「あー……なんでもない、忘れて欲しい。とにかく無礼で申し訳ないが、凛のヤツは今はいない。ゆくゆくは情報交換とかの際に会えるだろうから、今はオレで勘弁してくれ」
なんとなく察した倫太郎は、そこには踏み込まずに黙って茶を啜った。
「早速だが、本題に入らせてもらう。オレが訪ねてきたのは他でもない、今回この大塚に現れた聖杯についてなんだが……」
士郎の言葉は当然ながら予想通りだったので、倫太郎は黙って頷く。
「……君は、聖杯の解体については知ってるのか?」
「概ねですが。第五次が失敗に終わったのちに聖杯は解体され、冬木の地から大聖杯は失われたと聞いていますね」
最も、その理由は不確かなのだが。
聖杯戦争……令呪を持つ魔術師が伝説の英霊たるサーヴァント七騎を召喚し、「万能の願望器」たる聖杯を完成されるための大儀式。
しかし第五次聖杯戦争を契機に聖杯戦争は幕を閉じ、以後それが行われることはなくなった。その程度の記録しか倫太郎が調べられる記録の中には残されておらず、未だ聖杯戦争という儀式の仔細は謎のベールに包まれている。
五度に渡る儀式の失敗を経て、とうとう始まりの御三家が聖杯戦争の終結を諦めたんじゃないか、などと倫太郎は憶測していたのだが──、
「そうか。じゃあ、聖杯の汚染についても知らないんだな」
「聖杯の──汚染?」
予想外の単語に、倫太郎の眉がぴくりと跳ねる。
聖杯とは万能の願望機であり、文字通り聖なる杯だ。それに「汚染」などというワードが似つくはずもなく、倫太郎は首を傾ける。
「そう。端的に言えば、冬木の聖杯はアインツベルンが呼び出したサーヴァントによって汚染されていた。人類の悪性、「
「この世全ての悪」、それは純粋なるヒトの悪性だという。
人の世に災厄を振りまき、聖杯に託された願いを人を害する方向でのみ叶えようとする呪い。それはいつからか黒泥として聖杯の中に蓄えられ、聖杯を災いの願望器へと変貌させてしまった。
「……そんなものが、本当に? 僕にはスケールが大きすぎて測りかねますね」
全人類の悪性が形を取るほどの呪いとしてこの世に在った、ということ自体が信じられず、倫太郎は思わず聞き返していた。
何しろ、人の感情が持つエネルギーは凄まじいものがある。特に怒りや憎しみが人にもたらす力は恐ろしい。それは魔術師でなくとも生活の中で薄々感じられるだろう。
そしてそれが実に七十億ぶん集まり、堆積し、一つの強烈な呪いとして成立している──それが含む負のエネルギーは計り知れない。
「事実、それが元でオレたちは聖杯の解体を決意したんだ。当然そんなものの存在を公表すれば悪巧みをする奴は幾らでもいるだろうから、聖杯の解体は内密に数年を費やして行った。解体が完全に完了したのがつい最近だな」
どこか懐かしむように士郎は言う。解体の際に魔術協会と一悶着あったと聞いているが、その顔にはあまり後悔の色は見られない。
「話を戻そう。──今回の聖杯戦争についてだ」
「……と言っても、誰が始めたのか、何を目的とするのかも未だ詳細不明。現在数日が経過していますが、もう何が何やらで……正直、僕に聞かれても有益な情報は得られないと思いますけど」
「構わないさ。寧ろオレは尋ねるよりも、君に言いたい事があって来たんだからな」
てっきり細かに現状報告をさせられるのだと思っていた倫太郎は、士郎の言葉に疑問符を浮かべた。
「……そもそも御三家が作り上げた聖杯戦争のシステムは地下深くに厳重に秘匿され、何者も到底真似をすることができなかった。解析すらも難しいだろう。だからこそ聖杯戦争は何十年かの周期を繰り返し、数百年間冬木の土地でのみ行われてきた」
龍洞に敷設された、所謂「大聖杯」と呼ばれる超弩級の魔術陣。それこそが聖杯戦争を成り立たせる大元のシステムであり、そしてそれが遠坂凛たちの手によって解体されたのだ。
「だがこうして、聖杯戦争は場所を変えて行われている」
……それは本来不可能であるはずだ。
冬木からは何百キロも離れたこの土地には当然の如く「大聖杯」たる基盤システムは存在しないし、聖杯戦争を開催する事はできない。紛い物を無理やり再現したとしても、それは英霊の人数が足りない亜種的なものになるに違いない。
だが、実際に儀式が七騎の英霊を召喚して滞りなく始まっている事を考慮に入れれば、この大塚の地に「大聖杯」のシステムが再現され、同一かそれに近い弩級の魔方陣が敷設されている……逆説的にそう考えるしかない。
「つまり……第五次聖杯戦争の終幕から解体までの間に何者かが大聖杯のシステムを模倣する事に成功し、大塚の良質な龍脈を利用して聖杯戦争を成り立たせたと?」
「その通りだ。流石は繭村の長男、俺とは違って理解が速いな」
「い、いやいや」
「……ともかく聖杯戦争を
聖杯戦争を「再現」するという事は即ち、その汚染さえも復元されている可能性がある。その場合、ただ一人の勝者を選定できたとしても──巻き起こるのは二十年前にも冬木の地を襲った大災害だ。場合によってはそれ以上の規模、全人類を危険に晒す可能性もある。
「アレが聖杯に潜んでいる限り、聖杯は願望期としての役目を歪められる。これからオレたちも調査を始めるが、君も気を付けて聖杯戦争に臨んでくれ。決してあの黒い聖杯は、人が掴んでいいものではないんだから」
◆
「…………………」
それから暫く後。倫太郎はとある部屋の扉を前に、無言で立ち尽くしていた。
何重にも物理的、魔術的ロックが施されたその一室は、繭村の屋敷の中央に位置している。ここにこそ、彼ら一族が何百年間も守り通してきた家宝たる刀蔵が存在するのだ。
「マスター」
「あれ、アサシン?」
淡い青色の霊子を散らしながら、霊体化を解いたアサシンが現れる。
それを見て、倫太郎は扉に伸ばしかけていた掌を引っ込めた。
「いたのか。……士郎さんと話してた時から?」
「うん」
「って事は、聖杯の汚染についても聞いたわけだ」
「聞いてた。すごく、残念。まぁ、願いを何でも叶える、なんて都合のいいもの……何かおかしいんじゃないかと思ってたけど」
アサシンの望みは世界総体の幸福だ。この世が少しでも良くなって、少しでも幸せな人が増えることを、彼女は純粋に願っている。
だが、聖杯が人にあだなす災厄と化しているのであれば、アサシンの望みはどうやっても叶わない。つまりそれは、彼女が召喚に応じた意味を剥奪されたのと同じだと言える。
「……そうだね。僕も、何をすればいいのか分からなくなってきた」
「この事態を収拾する」というのが、一応の倫太郎の目的だ。
だがそれはあくまで役目的なものであって、彼自身の目的ではない。彼自身が聖杯に願うのは繭村当主に求められる「勇気」だが、とそれも聖杯が汚染されているのであれば、願ったところで意味がない。
「君は、何をしにここへ来たの?」
アサシンは、目の前に聳える異様な扉を見つめて尋ねた。
倫太郎はその質問に答えられないまま、改めて扉の鍵を外していく。いくつもの物理的な錠を外し、さらに複雑な魔術的ロックに解除信号を打ち込むと、重苦しい音と共に扉が動いた。
「──ここは、繭村の刀蔵と呼ばれる場所だ」
薄暗い室内に仄かな明かりが灯る。青白い、人魂に似た照明に照らし出されたのは、壁面に飾られた無数の日本刀だった。
「繭村の魔術師は、元を正せば侍だったそうだ。侍ってのはなにより武道を尊ぶ連中でね、僕の先祖は剣術における正義……「斬ること」を何よりも極めようとしたらしい」
倫太郎は額に一筋の汗を流しつつ、その刀蔵に足を踏み入れる。
この場所に満ちる威圧感は相当なものだ。アサシンは平気な顔だが、倫太郎は何よりもこの場所に入ることが苦手だった。
「彼らの武芸はいつしか神秘性を獲得し、文明開化を経て正式に魔術師として歩み始め……そうして、繭村という魔術家系が生まれた」
「ここの刀……かなりの力を感じるけれど、これは?」
「繭村の魔術師は二十歳になると、魔術を極めるために、己だけの刀を用意するんだ。彼らは生涯をかけてその刀と向き合い、魔力をその内部に貯蓄し、やがて自分を刀と同一の存在にする。そうして剣士としてのある種の極致に達したとき、人類がまだ見ぬ領域への道を斬り開ける……そう考えたのさ」
聖杯戦争が行われた冬木の地を管理する遠坂家は、宝石に己の魔力を込める「宝石魔術」を使うというが、繭村の熾刀魔術も似たようなものだ。
違う点を挙げるとすれば、担い手の魔力が込められた霊刀は消耗品ではなく、共に魔術師としての人生を駆け抜ける相方だということ。そして担い手の人生が終われば、彼らの仕事も失われる。この場所は歴代の刀を貯蔵する保管庫であると同時に、奇跡を追い求めた繭村の一族の墓標でもあった。
「ここにあるのは全て、歴代の当主の霊刀だ。こんな刀は、神秘が薄れた現代じゃあ中々見れないものなんだよ」
倫太郎は十九代目当主なので、老齢で引退した父のぶんも数え、実に18本の霊刀がここには保管されている。短いものでも数十年、長ければ四百年ほどの神秘を蓄えたこれらの刀は、ただあるだけでも凄まじい威圧感を放っている。
「けど……僕は、これに触れない」
「なぜ?」
「…………分からない。怖いというより、嫌なんだ。ここの刀はどれも最高級の魔術礼装で、僕が使えばきっと想像もつかないような魔術を成せる。根元に辿り着く度胸があるかは別にして、これらを全て束ねたとしたら、万に一つの確率だけど、根元への道を斬り開くことだって可能かもしれない。だけど──なぜか、嫌なんだよ」
なにそれ? とアサシンが首をかしげるが、倫太郎自身にもこの感情の理由は分かっていないのだ。
嫌だ、というのもあくまで恐怖心からくるものであって、単純に自分がどうしようもなく臆病なせいなのだろう──倫太郎はいつもそう結論付けて、結局自己嫌悪に陥るのであった。
「君は、何が……したいのかな?」
「僕は当然、繭村の魔術師としての責務を果たすだけだよ。だからいつか、この嫌悪感を乗り越えなくちゃならないと思ってる」
「──違う。いまの君は、ニセモノだ」
その言葉が核心をついているように思えて、倫太郎は息を飲んだ。
「君の、事態収拾って目的も……繭村の当主に、ふさわしい勇気を得るって目標も……全部、「あなたがしたい」と思ったことじゃ、ない。あらかじめ課せられた役目があるからこそ、君はそう考えてる」
「そんな事ない……‼︎ 僕は魔術師であり繭村の当主だ、なにより自分の家系の事を第一に考えるのが当然なんだ‼︎ だから当主として足りないものを探し続けるし、その邪魔になるんなら、どんなものだって……」
「いや。君は、思い込んでるだけ。あなたに本当に足りないものは……君が思っているような事じゃ、ないはずだよ」
──自分に本当に足りないもの。
そんなものは分からない。魔術師失格な自分を少しでも魔術師として完成させるために足りないものは幾つでも挙げられるくせに、アサシンはそれは違うと言う。
じゃあ、何なのだ。
自分が本当に必要とする「何か」。それが揃ったとき、繭村倫太郎は魔術師として完成し、ここの霊刀を握れるようになるのか──。
「じゃあ僕にどうしろって言うんだ、アサシン?」
「さあ。自分で分かるまで、考えてみよー……」
アサシンは軽快なステップを踏んで、薄暗い刀蔵から出て行った。
その背中を見送りつつ、再び倫太郎は刀蔵の霊刀たちを眺める。その妖しい輝きの中に、答えが秘められているような気がして。
【衛宮士郎】
「第五次から十年後、解体戦争が行われてすぐ」という時間設定なので、恐らくアーチャーより少し若いくらいの容姿をしている。
凛が十年前の約束を守り続けているので、魔術を使い過ぎた反作用による髪の白髪化は発症していない。体も魔術回路もいたって健康、十年経っても荒野を目指して歩き続ける。
喋り方は、凛がついているおかげで変にねじくれてないので、皮肉屋なエミヤと違って結構素直な感じにしています。