Fate/crescent 蒼月の少女【完結】   作:モモのすけ

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二十五話 Assassin in the darkness/Other side

 ──時間は少し遡り、アサシンが砂塵の巨兵を打ち破ってから幾ばくかの時間が経った頃。

 夜明けをあと一、二時間後に迎えるであろう時間帯に、十人を超える数の魔術師たちが集まっていた。

 

「──ゴッダ、お前は五人連れて反対側に回れ。大規模な崩落ではあるが、始発電車に間に合わない規模ではないだろう。私の指示ののち、そちらからも修復作業を始めろ」

 

「了解……おい、お前達‼︎ お前達はこっちだ、ついてこい」

 

 ゴッダと呼ばれた男は、若手を連れてトンネルの反対側へと回り込む。それを見て、この秘匿部隊のリーダーを務める男……グリモアールは軽く舌打ちしていた。

 崩落したトンネルの前で、魔術師達はその被害状況などの把握に努めていた。聖杯戦争の痕跡を秘匿するために魔術協会から遣わされた魔術師達は、こうして日夜頻発する戦闘の後処理のために奔走しているのだ。

 これも本来の聖杯戦争であれば「監督役」の指示によってスムーズに動けるのだが、この戦争にはルールも何もない。指揮系統が崩壊していることで、彼らはますます忙しなく動かざるを得なかった。

 

「よし。各員、修復を開始しろ」

 

「「「Minuten vor schweisen──」」」

 

 ゴッダの連れた魔術師がトンネルの反対に回り込んだのを待ち、彼らは一斉に修復魔術を起動させた。

 各々が放つ魔術回路の淡い輝きが、薄暗いトンネルの中を照らし出す。

 トンネルは数十メートルの長さがあるが、崩落はせいぜい数メートルのものだ。一人で復元しようとすれば莫大な魔力と類まれな才能を必要とするが、十人以上でかかればできないこともない。トンネルを塞いだ土砂は少しづつ持ち上がり、かつての場所へと戻っていく。

 

(……このまま全員で魔力を込め続ければ三十分程度で修復できるか。とはいえ、気が滅入るな)

 

 軽く溜息を漏らすグリモアールの顔には疲れが見える。

 この程度の仕事はさっさと終わらせて帰路につきたいところだが、どうも聖杯戦争の終結には未だ時間が必要になる。

 最近セイバーが脱落したやら生存しているやらといった噂を聞くが、はっきりと脱落したサーヴァントは今のところ確認されていないらしい。この戦争の幕を開けた者の正体も掴めず、どうも得体の知れない不穏感が現地の魔術師の間にも漂っている。

 

「アルフレッド。暇じゃないか?」

 

「いいのかよコンステッド、喋っていて。下手なお喋りで魔力を乱すなよ」

 

「ンなミスを僕が犯すか。つまらん作業なんだ、少しくらい会話を楽しんだってバチは当たらないんじゃないか?」

 

 着々と元に戻りつつある土砂の塊をよそに、コンステッドと呼ばれた西洋人の青年は人のいい笑みを浮かべる。

 一度魔術の詠唱を済ましてしまえば後は楽なもので、継続的に魔力を注ぎ続ければ魔術は発動し続ける。慣れた者ならば、会話をこなしながら魔力を注ぐのは朝飯前だ。

 

「そうだな、じゃあ適当に話題でも──」

 

 呑気に会話し始める若手を見て、グリモアールはまたもや溜息を漏らしつつ、開いた片手で器用に煙草を咥える。

 ライターで火をつけて煙を吐き出すと、隣にいた銀髪の少女が煙たげに咳き込んだ。

 

「先生、こんな密閉空間でタバコはやめて下さい」

 

「ニア君。確か君は幾つかの研修の結果が優れていなかった筈だが、それを理解した上で私にそう言うのかね?」

 

「うぐ……権力を不当に振りかざすのはどうかと思いますよ。それに副流煙は本人よりも他人に悪いんです」

 

「社会とはそういうものだ。若いうちに学べたようで何よりだよ」

 

 彼らは「法政科」と呼ばれる学科の出身であり、今回の聖杯戦争の痕跡秘匿を一手に担う学部出身の人間だ。

 時計塔の十二学部のうち十三番目に位置する法政科は少々他学部とは事情が異なり、根元探求ではなく時計塔の、ひいては神秘の存続を第一目的とする。そのためこういった職務は彼らの仕事なのだが──、

 

(……聖杯は解体されたと聞いていたが、まさか未だしぶとく残っているとは。極東まで出張るのも楽じゃない、これで最後にして欲しいところだな)

 

 無駄な仕事は無い方がいい。最近ちょっと前髪の後退に本気で焦り始めたブロンドの髪をいじりつつ、グリモアールは「強化」した眼球を使って土砂の進捗状況をざっと眺める。

 

「……あんまり弄るともっとハゲますよ」

 

「ニア君、君はもっと社会の上下関係の厳しさを知るべきだな。罰として秋季課題の量を君だけ特別に増やしておく、喜ぶといい」

 

 顔を青くする少女は置いておいて、グリモアールは目を閉じて考え事に耽る。

 現在彼らが隠蔽した痕跡は幾つか挙げられるが、完全に全てを隠し通せている訳ではない。特に人命に関する被害は、隠そうとも全て隠しきるのは非常に困難だ。人が消えればそれだけで大ごとであり、人は痕跡のように簡単に偽装できない。

 ここ最近、大塚市では行方不明者が相次いでいる。

 行方不明者──と言えばまだ柔らかい印象を受けるが、実態は全員が死亡しているのだ。

 何らかのサーヴァントによって惨殺された者たちを、ひとまず衆目から隠蔽しているだけに過ぎない。とはいえそれすらも容易な事ではなく、いくつかの変死死体が警察によって回収されてしまっているのも事実だ。

 とうとう全国区ニュースでも取り上げられるようになり、街の人間も少しづつ不穏な空気を感じ取っている様子が見られる。魔術協会からかけられる重圧も日に日に増しているという二重苦だ。

 

(サーヴァントが魂喰いでも行なっているのか、第四時のように享楽殺人鬼がマスターに紛れているのか。どちらかは把握できないが、マズイ状況であることは確か……人々を殺して回る英霊がいる事は間違いないだろう)

 

 監督役がいなければ、聖杯戦争を乱す陣営に対してペナルティを与えることもままならない。そもそもどのマスターがどのサーヴァントを使役しているかも不明瞭な時点で、第三者がこの聖杯戦争に介入する事は困難を極める。

 つくづく監督役の不在とは大きいものだ、と思い知りながら、グリモアールは腕時計を眺める。修復開始から実に三十分、もうそろそろ完全に修復が完了してもいい頃合いだが──、

 

(…………予定の時間を上回っている?)

 

 更に数分が経ったが、土砂の向こう側が見えてくる気配はない。

 誰かが手を抜いている様子もないというのに、明らかに修復されるスピードが落ちている。

 

「先生、三十分経ちましたよね?」

 

「あぁ……妙だな。時間がかかり過ぎている」

 

「どうせ向こうに回った連中がサボってんじゃないですかね。全く何してんだか……」

 

 そんな事を言いつつ、予定より十五分も遅れてトンネルの修復作業は完了した。

 土砂の最後の一掴みぶんが時間を巻き戻したかのように浮かび上がっていくのを見て、作業中止の指令を出す。

 

「さて、各員次の……」

 

 ぐるりと周囲を見渡して、次の作業に移ろうとしていたグリモアールは、トンネルの向こうを見て目を疑った。

 本来ならば開通した向こう側からゴッダが連れた半数の作業班が姿を現わす筈だが、一向に姿を見せる気配がない。

 

「……ありゃ、いませんね?」

 

 サボりについて問い詰めてやろうと考えていたコンステッドが拍子抜けしたような表情で呟く。

 

「先生、彼らはどこに──」

 

 少し不安げなニアの声を遮り、グリモアールは静かに周囲を見渡す。トンネル内の照明は薄暗く、特に土砂に押し潰された部分の修復は未だ終わっていない。彼らの周囲は完全に闇に包まれていた。

 

「……各自、念のため視力を更に「強化」。一ヶ所に集まれ」

 

 グリモアールはそう言い残すと、残りの班員を捜すために前進した。硬いレールの枕木を踏みしめながら、向こうにいるはずの人影を捜す。

 

「ハハッ、幽霊(ゴースト)でも出たか? だってよアルフレッド。とっとと集ま──アルフレッド?」

 

「何してんの、早く集まりなさいよ」

 

「いや……アイツ、俺の隣に居たんだが……」

 

 後方から聞こえてくる会話をよそに、グリモアールは崩落の中心地点まで慎重に歩を進めた。だが相変わらず人影は見えず、どこまでも一直線な線路が続いている。

 

(馬鹿な。何処に消えた──?)

 

 忽然と消えた魔術師たちは何処へ消えたのかを考えようとした時、グリモアールの鼻に一滴の雫が落ちた。

 水漏れか、と鼻を拭って、そのどろりとした感触に背筋が凍る。水などではない。この微かに臭う鉄の香りは──そして指先に付着した、真っ赤に汚れた跡は──、

 

「⁉︎」

 

 勢いよく上を向き、彼は見た。

 ちょうど六人分、向こう側に渡った者たちは、例外なく骸と化して天井に吊るされていた。吊るされているというより、トンネルの天井に半ば呑み込まれてぶら下がっている。恐らくは修復魔術の最中に土砂に死体が混じり、そのまま修復に巻き込まれたのだ。

 

「……馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な‼︎」

 

 戦慄する。手足が震える。動悸が加速する。

 何故、どうやって、誰が、疑問符が竜巻のようにグリモアールの脳内を駆け巡り──、

 

「ぜ、全員……固まったまま出口へ急げ‼︎」

 

 ほぼ反射的にそう叫ぶと、グリモアールは勢い良く後ろに駆け出していた。だがトンネル内に響くのは自らの足音だけで、目の前にいたはずの班員たちから返事はない。

 

(まさか、もう……⁉︎)

 

 だとすれば残っているのは自分一人、という絶望的な考えが脳裏をよぎったが、幸い前方に見慣れた銀髪が見えた。

 あの髪はニアのものだ、その隣にはアルフレッドの紅毛も見える。思わず安堵して、気が動転しながらも彼らに駆け寄って──、

 

「君達、何を立ち止まっ、て──」

 

 その二人は、ぐるんと後ろを振り返る。

 どこか生気のない表情だが、二人はまだ生きている、と思ったのもつかの間──、

 

「──────な」

 

 遅れて、ようやく認識した。

 二人の首から下が、ない(・・)

 暗くともはっきり分かるほどの鮮血が断面から落ち、引き抜かれた脊髄は宙にぶらぶらと揺れている。その奥に転がっているのは、グリモアールを除いた魔術師たちの死体。

 

「あ、ああああああああああああああああああああああああああああああ──‼︎⁉︎‼︎⁉︎」

 

 虚無の闇に浮かび上がる何か。

 その、白い人魂のように見えたモノの正体は、どこまでも不気味な髑髏の面だった。

 

『まじュツ、し。ます、ター、ころ、ス?』

 

 そう呟いた人影は、両手に掲げるように持っていた二人の生首を放り捨てる。

 

「やめ、やめろ、待て、貴様は──」

 

『ギ、ギぎ』

 

 昆虫の様なおぞましい呻きを漏らし、影が動く。

 瞬きの間に黒衣の下から放たれた黒塗りの暗器は、知覚すらさせずにグリモアールの急所を貫いた。

 

 

 

 

「アナ?」

 

「何でしょうか」

 

「いや。何か、ぼーっとした風だったから」

 

「いえ。私はぼーっとなんてしてません。いたって真剣に、買い出しという職務を果たしている最中ですから」

 

 喫茶店の店主である槙野と、アーチャーのマスターであるアナスタシアは、二人して昼過ぎの陽気に包まれた道を歩いていた。

 郊外の線路沿いには綺麗に家々が並んでいて、反対側には侵入防止のフェンスが建てられている。やかましい音を立てながら、ときおり電車が通り過ぎていった。

 

「ははは……付き合わせて悪いね。この前志原くんが連れてきた子が色々壊しちゃったから、ついでに色々買い込んじゃって」

 

「構いません。居候させて頂いている以上、この程度の仕事は当然のことです」

 

「真面目だなあ、ほんと……」

 

 あろうことか店内で暴風を巻き起こしたセイバーの姿を思い返しながら、アナスタシアは軽く唇を噛む。

 現状維持が現在の目標とはいえ、昨日はキャスターにこちらの位置を把握された。

 幸い仕掛けてくる事は無かったが、これでますます警戒を必要とするだろう。最悪の場合店主の槙野が巻き込まれる可能性もある。

 キャスター陣営は、まず真っ先に潰さなくてはならない。敵サーヴァントを撃破してはならない、などという指令は受けていないし、そもそもアナスタシア自体予備戦力なのだ。少し独自に動こうと上は本隊の作戦遂行にかかりきりだろう。

 

「……槙野さん」

 

 アナスタシアはますます深刻そうな表情を浮かべると──、

 

「はい?」

 

「ズボンのチャックが開いています」

 

「えっ、嘘⁉︎」

 

 両手に持ったレジ袋を放り出してわたわたとズボンを確認する槙野を見て、アナスタシアは微かに笑った。それが微かすぎて、槙野はなかなかその笑顔に気付かないのだが、彼女はここ最近でずっとよく笑うようになった。

 

(……穏やかで、心が温かくなるような……これが、「平和」というものなのでしょうか)

 

 若くして代行者としての道を歩み始めたアナスタシアには、こうして平穏の時を過ごすという経験がない。

 代行者は常に死と隣り合わせ、気を抜けば死ぬような厳しい職務だ。戦いと近しい者の死を繰り返し味わってきた彼女にとって、この時間はなによりも大切なもののように思えた。

 だが──、

 

「…………‼︎」

 

 血みどろの戦闘に慣れすぎたアナスタシアの鼻が、微かに漂ってくる血の匂いを感知した。

 素早く周囲に気配がないことを確認し、血の匂いの出所を探す。

 

(あそこ……トンネルの内部ですね。しかし今は買い出しという大切な仕事中ですし……けど、そもそも私は代行者ですし……)

 

 線路沿いの道は目の前で折れ曲がっていたが、匂いはその奥にあるトンネルから漂っている。歩きながら悶々と考え続けた結果、アナスタシアは自分本来の職務を全うすることにした。

 

「槙野さん。少し用事を思い出したので、申し訳ないのですが……」

 

 アナスタシアは少し俯くと、片手に持った小さめのビニール袋をおずおずと差し出した。両手に袋を持った槙野は少しきょとんとしてから──、

 

「ああ、構わないよ。大学のこと? なんにせよ、気をつけてね」

 

 よいしょ、とアナスタシアの分の袋を持つと、人のいい笑顔で曲がり道の奥に消えていく槙野。それを相変わらず真顔で見送りながら、彼の人の良さを利用してしまったような気分になったアナスタシアは軽く唇を噛んだ。

 

「──いえ。今は……」

 

 トンネルから漂ってくる不穏な空気に集中する。

 戦闘用の修道服ではなく夏用のワンピースという軽装だが、武装はいつ何時も準備している。人影がない事を確認してから、アナスタシアは勢いよく駆け出した。線路のフェンスを容易く飛び越え、硬いレールを蹴り飛ばしてトンネルの暗がりに忍び込む。

 

「……………………」

 

 奥に進めば進むほど、入り口の光は消えていく。頼りになるのはトンネル照明の明かりだが、それも途中から途切れていた。

 こつーん、こつーん……と反響する足音。

 数センチ先の闇の中に何かがいるような悪寒を感じ取りながら、アナスタシアは両手に代行者の武装である「黒鍵」を構える。

 

「……………………」

 

 ──何か聞こえた。

 電車が入り口側から来るのかと思ったが、違う。

 粘ついた水音のような、まるで獣が何かを貪り喰らうような音が微かに聞こえてくる。

 鬱陶しい闇を見通そうとアナスタシアは眼球に魔力を通そうとして、

 

「っ、く⁉︎」

 

 何かが飛んできて、アナスタシアは咄嗟に首を横に振った。

 投擲されたのはボール大の何か。それがアナスタシアの横を通過した際、生暖かい水滴がアナスタシアの頰を濡らした。

 

『ギ、き、キ……魔術、し。心の、臓、喰ウ』

 

 反射的にアナスタシアは黒鍵を三本まとめて投げ放ったが、闇の向こうにいる「何か」はそれを容易く回避した。

 

(──この場所は、流石にまずい……‼︎)

 

 死体がある事は想定していたが、まさかこんな昼過ぎになっても当事者が残留しているとは想定していなかった。生きてここを出られる可能性は低いが、全力でアナスタシアは後退しようとして──、

 

「‼︎」

 

 咄嗟にアナスタシアは横っ跳びに飛ぶと、壁面に身体を押し付けた。

 直後、線路の上を猛スピードで電車が通過していく。唸りを上げるトンネル内の空気に、アナスタシアのブロンドの髪が激しく揺れた。

 

「これは……‼︎」

 

 電車のライトがトンネル内を一瞬だけ照らし出したことで、アナスタシアはその惨状を見て取った。

 死体らしきものが天井に幾つか。残った死体はトンネルの端に投げ捨てられ、ただおびただしい量の血痕が床と壁にぶち撒けられている。

 

「──────‼︎」

 

 電車の最後の一両が通過した瞬間、アナスタシアは入り口めがけて疾走する。

 闇の奥で蠢く空気は消えず、むしろ代行者の走力に容易く追いついてくる。ヒュン、と空を裂くようなこの音の正体は──、

 

(投擲物‼︎)

 

 まともに迎撃する余裕はない。

 足を止めれば、生存確率はゼロになる。

 人体の急所──眉間、喉、心臓。そこだけを守る為に、アナスタシアは反転すると同時に黒鍵に魔力を通し、その三点を覆い隠す。

 

「ぐ、ぶ……っ⁉︎」

 

 だが──。

 予想に反し、白いワンピースを切り裂いて、アナスタシアの太腿に二本の短刀が突き刺さった。

 素早い獲物は、まずその機動力を奪う。

 当たり前で単純な思考。だがアナスタシアはかえって先読みに失敗した。激痛が走り、足がもつれ、勢いを殺せずレールの上を転がっていく。真っ白なワンピースの布地が噴き出した血と砂利の砂で汚れていく。

 

「ゲホッ、はぁっ、は────」

 

 立ち止まったら、死ぬ──それは怪我を負っても構わない。

 アナスタシアの走力はヒトの限界をはるかに越えている。だがそれ故に、転倒した際のダメージも相当なものだ。骨が軋む音を聞きながら、アナスタシアは再び疾走を──、

 

「がは……っ、あ゛‼︎」

 

 する暇もなく、今度は肩に深く短刀が突き刺さった。機動力を削ぐだけでなく、防御手段すらさせまいと言わんばかりの攻勢。

 トンネルの出口まではあと数歩分。

 次の投擲は恐らく命を奪いにくる。迎撃は到底不可能、このまま一縷の望みに賭けてトンネルから飛び出すしかない。

 

(もう少し、で──‼︎)

 

 出血が激しい足に鞭打って、必死で地面を蹴る。動けるかどうかは殆ど賭けだった。辛うじてアナスタシアの脚は動いたが、傷の奥の筋繊維がぶちぶちと千切れる感覚があった。

 死に物狂いで死のトンネルから飛び出したものの、もうアナスタシアは一歩も動けそうになかった。

 力なく線路の上に倒れ込んで、顔だけを上げて追跡者の姿を捉える。その影はどこまでも異形だった。白い髑髏の面に黒衣を纏い、棒状になった歪な右腕がやけに目を惹く。だが何よりも目線を引きつけたのは、その白髑髏を侵食するかのように広がる漆黒の痣だった。

 

「…………アサ、シン?」

 

『……アサ、シン。クラ、ス?』

 

 その男は自分が何者かを理解していないように呟くと、降り注ぐ日差しを嫌がるように顔を背けた。

 先程から言葉に理知的なものを何も感じない。まるで狂化を受けたバーサーカーのような口調が不気味だったが、この絶体絶命の状況ではそんな事に構う余裕はない。

 

『死ね』

 

 アナスタシアが瞬きをした瞬間、彼女にすら認識困難な速度で、アサシンは短刀を投げ放っていた。

 一刹那ののちに目を開けると、すぐそこに黒塗りの短刀の切っ先がある。喉元と眉間狙って放たれた短刀は、上半身に僅かに残った力を総動員して何とか避けれた。だが、心臓めがけて放たれた三本目だけは──、

 

『フン』

 

 瞬間。数百メートル後方にて閃光が走り、

 

『屋内で戦うなと言ったろう。そんな場所じゃあ、俺の弾は届かない』

 

 音速を遥かに振り切った速度で放たれた銃弾が、その三本目を容易く弾いていた。

 アサシンが怪訝な様子でアナスタシアの背後を見る。後方に聳える小山、その内の一本の樹上に立つ狙撃手を探す為に。

 

「暗殺者風情が太陽の下に出しゃばるとはな」

 

 「白い死神」と呼ばれた男は、もう既にトリガーを引いていた。

 大口径から爆音が炸裂し、アーチャーの周囲を覆い隠す木の葉が激しく揺れ動いた。だが銃声は数百メートル先のアサシンに伝わる事なく、それより遥かに速く彼の魔弾は着弾する。

 彼に「外れる」などという概念はない。

 彼は「確実に当たる」状況でのみ引き金を引くし、その確信を得て放たれた一撃は的確にターゲットを貫く。

 何度も何度も、魂に染み付くほどに繰り返された行為は、時として伝説の英雄たちすらをも仕留める絶技へと昇華されるという。例えば鳥を断ち切らんとした男が究極の剣技を生み出したように、この男の「狙撃」という行為も、既に唯一無二の領域へと達している──‼︎

 

『ギ──────』

 

「失せろ砂虫。貴様には骸がお似合いだ」

 

 着弾。アサシンの脳天を弾丸が貫き、花弁のように鮮血が舞った。

 その手から残りの短刀が滑り落ちる。だがアサシンは消滅するのではなく、溶けるようにドロドロした黒い塊に崩れると、そのまま地面の奥に沈んでいった。

 ワンショット・ワンキル──スナイパーが遵守する絶対原則。例えサーヴァントになろうとも、その原則は揺るがない。

 

『アーチャー……助かり、ました……』

 

 念話でアナスタシアはアーチャーに礼を述べる。応援を呼ぶ暇どころか、まともに令呪を使う暇すら無かったので、外に飛び出してもアーチャーの援護をアテにして生き延びられる確率は低いと考えていたのだが──、

 

『俺はお前のサーヴァントだ。主の姿は逐一把握しているし、危険に突っ込みそうな時はいつでも撃てるように準備してある。……まあ、店にサーヴァントが来店したりする馬鹿げた例外は除かせてもらうが。ともあれ、あまりシモ・ヘイヘ(おれ)を舐めないで貰いたいね』

 

『……そうですね、反省します。貴方を過小評価していました』

 

『分かってくれたなら構わない。折角だ、俺からアドバイスを言わせてもらうか』

 

『アドバイス? サーヴァントを前にしての戦闘についてですか?』

 

『馬鹿かお前は。いくらお前が代行者だろうと、まともにサーヴァントとやり合おうなんざ思わない事だ。命がいくらあっても足りん』

 

 不満げな真顔になるアナスタシアだが、その言葉はもっともだ。キャスターの一件で少し焦りが見えてしまったが、今後はもっと慎重に動かなくては──と自分に言い聞かせる。

 一仕事終えた気分で煙草を取り出し、古ぼけたライターで着火しながら、木の幹に背を預けたアーチャーは語る。

 

『さて、俺が言いたいのはだな……反省した時は仏頂面で言うんじゃなく、もっと分かりやすくシュンとした方がいいって事。感情を出す時はもっとそれらしく。アンタの男もそれじゃ困惑するだろうさ』

 

『アンタの男──とは?』

 

『分からん奴だな、店主の槙野とかいう奴の事だ。アレ、もうすっかり仲がよろしいようだからてっきりお前が告白でもされたのかと』

 

『………………!』

 

 念話はそこで切れた。煙草をふかしながら、アーチャーは少し意外そうな顔で首をすくめる。

 己のマスターの今の顔をスコープ越しに眺めたくなってみたが、やめておいた。後で怒られると面倒だし、何より勝手に想像した方が楽しいような気がしたからだ。

 

「最初召喚に応じた頃は、まるで機械みたいな奴だと勘ぐったものだが……やれやれ、ずいぶん不器用な女だ」

 

 マスターの微かな変化を楽しみながら、アーチャーは二本目の煙草に火をつけた。




【アサシン(?)】
アナスタシアを殺そうとしたサーヴァント。
まともな思考力どころか己のクラスが何かすら把握しかねている状態なので、気配遮断のスキルを使いこなせていない。もし闇に紛れる彼本来の戦い方が可能だったなら、アナスタシアは確実に死んでいた。
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