Fate/crescent 蒼月の少女【完結】   作:モモのすけ

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二十七話 激突、魔王と陰陽師

 それは、小柄な人影だった。

 そして、異様な人影だった。

 闇に溶け込むかのような衣服──いや、アレは元より闇に潜む事を前提として作られた衣装なのか。

 ノースリーブの黒装束に首元を隠す長布と、まるで女忍者が着る忍装束だ。機動力と隠密性のみを求めた軽装。そして魔術的な力が働いているのか、その人影の顔を見ようとすると焦点がぼやけ、まともに顔を見ることもできない。

 一見武器らしきものは何も持っていない。だが、俺はその人影の背後に陽炎のように揺れる闘気を確かに見た。

 

「………………‼︎」

 

 その姿がまともに捉えられたのも一瞬だった。

 住宅街の道路に等間隔で設置された夜灯が一斉に光を失い、夜を照らす僅かな灯りが全て消えてしまったからだ。

 一気に下がる辺りの明度。それは関係ない目撃者を減らすための計らいか、それとも何か別の意図があるのか。

 だがその時、俺の思考は腹の底から業火の如く湧き上がった憤怒に取り憑かれていた。「セイバーを消した」という明確な事実がもたらした衝撃は、全て目の前の魔術師への怒りに変換されていたのだ。

 

「オマエ……‼︎」

 

 自分でも感じたことのない程の激情。怒り。憎悪。殺意。

 それらに駆られたまま、それでも怒りを押し殺して敵対者に問い掛ける。

 

「答えろ‼︎ セイバーに何をした⁉︎」

 

 魔術師は答えない。返答の代わりに、鋭く突き刺さる弓矢の如き殺意が俺の全身を舐め回した。

 完全に敵意剥き出し、対話すら気はさらさらないと見える。

 

「おいッ‼︎ さっさと答えやが──」

 

 ──どぐん、と。

 動かない筈の心臓が、跳ねた。

 

「ごッ、は……ぁ⁉︎」

 

 ──何かが、おかしい。

 心臓がひっくり返る。埋め込まれた宝具で辛うじて魂の遊離を逃れている身体が、生を取り戻したかのように赤熱する。

 

"何がおかシイ?"

 

(ヘンだ。これは、俺の意思じゃ、な……)

 

 頭がノイズで埋め尽くされる。騒音と偏頭痛の洗濯機の中に放り込まれたような気分を味わいながら、何者かの声を拠り所に意識を保つ。

 

"すべき事ハ何だ"

 

(そうだ、あいつは、セイバーは?)

 

 重要なことを思い出した。最も大切な存在が此処には居ない。

 消えたんだ。消えた、死んだ? 誰のせいだ、誰が……。

 

"コイつが、殺シた"

 

 ────ふざけるな。

 そんなことは許さない。

 たとえ誰が許そうとも俺が決して認めない。

 アレを■すのは俺だと、死の淵から蘇った時から決まっている。何の関係もない魔術師風情が介入するなど、まったく不敬極まりない。

 思考が一度ぷつんと途切れて、何がが切り替わった。

 全身の感覚が異様に冴え始める。心の底から沸き起こった残虐な黒い何かが、ぞわりと脳内を埋め尽くしている。

 

「ああ……は、は、は」

 

 がちり、と何かが噛み合った感覚。

 全身の細胞が隅から隅まで裏返る。俺は俺のままの姿を保っているのかも不確かなままで、それでも確かに殺意を籠めた台詞を吐き捨てた。

 

「────オマエは、今すぐ解体(バラ)して殺してやる」

 

 取り憑かれたように、頼りのサバイバルナイフをポーチから引き抜く。微かな月光を受け、十センチを超える分厚い刃はぎらぎらと妖しく輝いていた。

 緊張と殺意で全身が熱い。

 やけに喉が乾く。神経が末端まで発熱しているかのよう。

 頰の筋肉が不気味に痙攣する。遅れて、俺は嗤っているのだと気付いた。

 あるはずの恐怖は無い。

 その場所を埋めているのは、「殺意」という名の熱情だけ。

 

駆動開始(セット)

 

 俺に応えるように、敵の唇からぼそりと何かが呟かれる。

 くる──発熱する頭で漠然と判断する。

 直後。鋭い噴出音と共に、漆黒の闇を紅く照らす凛然とした美しい輝きが生まれた。その輝きに目を僅かに細めながら、何を仕掛けてくるのかと意識を更に集中する──。

 

「………………?」

 

 だが俺の予想に反し、逆巻くように展開する紅い光はいつまでも離れることはなかった。まるで身を包む籠手と脚鎧のように、その光は魔術師の四肢を覆い続ける。

 ゲーム知識で言えば魔術師といえば遠距離攻撃、てっきり坂の上から何か仕掛けてくると考えていたんだが。

 俺の微かな動揺を見透かしたように、魔術師は四肢を不気味に紅く発光させたまま、肉食獣の如く深く腰を落とし──、

 

「ッ‼︎」

 

 僅かに息を吐き、猛然と大地を蹴った。

 

「………………‼︎」

 

 ────あまりに、疾い‼︎

 コンクリートの大地を踏み砕き、本当に人間かと疑う程の俊敏性で、魔術師が真正面から迫ってくる。

 肉食獣を思わせるしなやかな足運び。俺が十歩以上かけて走破するであろう距離をたったの三歩で縮めた魔術師は、坂道の上という位置関係を最大限に利用して空中に身を躍らせると同時、独楽のように身体を回転させる。

 ちりっ、と額を灼く悪寒。

 反射的に首を反らす──直後。

 遠心力を伴ってギロチンの如く振り下ろされた魔術師の右拳が俺の鼻頭を掠め、そのまま足元の地面を粉々に叩き割った。

 

「チッ──‼︎」

 

 全力で背後に跳ぶ。

 続いてアッパー気味に襲い来る左の拳が放たれたのはほぼ同時だった。一瞬前に居た場所を、空気を揺らして凄まじい拳撃が突き抜けていく。

 

「……く‼︎」

 

 坂道でのバックステップ。当然足場は傾いており、バランスを崩した俺は体勢を崩す。数メートル転がったところでなんとか止まると、俺は無言のままに立ち上がった。

 ナイフを逆手に構えるが、荒い呼吸は落ち着きを取り戻さない。

 再び間合いは広がったが、当然魔術師がその気になれば、その脚力で瞬時に間合いは詰められてしまう。

 大方、あの魔術師が使う魔術は肉体を強化する魔法なのだろう……と大体の予想を立てる。

 となると、非常に状況は不利だ。

 こちらの得手はもっぱら格闘戦だというのに、これでは俺の数少ない有利点が潰されてしまう。あんな速度で走り回られたら、素人が拳銃の弾をまともに当てるのも非現実的。

 魔術師ってのは大体近接戦闘は不得手なんじゃねぇのかよ、と心の中で吐き捨てて──、

 

「やかましい……」

 

 細かいコトはどうでもいい、と余計な思考を切り捨てる。

 すべきことは一つのみ。

 ただただ、敵を屠ることのみに己の全てを集中させろ──。

 

"殺せ、殺せ、殺せ‼︎"

 

 笑えてくる。何か変だ、何かおかしい。

 だが、それすらも心地いい。

 喜悦を感じながらも眼光に一層強い殺意を込めて、俺は大地を蹴り飛ばした。

 

 

 

 

 圧倒的な光量が過ぎ去った後。

 目を細めるセイバーは、不気味な違和感を感じて動きを止めていた。

 彼女が身に纏う最高ランクの対魔力は殆どの魔術攻撃を無効化する為、傷を負うことはない、と踏んでセイバーは真正面から閃光を受け止めた。

 結果的には、セイバーが傷を負うことは無かった。四肢は十全に動く。呪詛の類を受けた痕跡も無い。

 だが、彼女の表情は冴えない。

 軽く唇を噛みながら、セイバーは内心で呟く。

 

(あれは、「攻撃」ではない……?)

 

 アレを対魔力など皆無のケントが真正面から受け止めていたとしても、彼は擦り傷一つ負わなかった筈だ。

 つまり今の光は、攻撃以外の、何らかの目的を持って放たれた何かであるという事。

 単純な攻撃よりも、その方が何倍も恐ろしい事は言うまでもない。

 

「何か変です、決して私の背後から……」

 

 セイバーは肩越しに背後に視線を投げ、何かと危なっかしい例の少年に注意を飛ばそうとして、

 

「……っ、ケント⁉︎」

 

 そこで遅れながら主の不在を知り、思わずセイバーは声を荒げた。

 辺りを見回しても、少年の姿はない。

 セイバーが固く奥歯を噛み締めると共に、瞬く無数の光があった。

 坂の上から無数の魔力弾──杭や剣と、攻撃用の形をとっている──が、風を切り裂いて襲い掛かる。その一つ一つが地を穿ち、人体を容易く四散させる、致死確殺の威力を伴った殺戮の雨。

 

「邪魔だ」

 

 ただ短く嘯いて、セイバーは手にした曲刀を薙ぎ払った。

 無造作に見えて、その実恐るべき技倆(ぎりょう)で放たれた剣戟。

 激突、爆裂────‼︎

 撃ち放たれたそれらは連鎖的に爆発を引き起こし、彼女の眼前で瞬間的に灼熱の火炎が膨れ上がる。

 その余波はあろう事か両脇に並ぶ民家までもを粉砕し、灼けた瓦礫がセイバーの頭上に降り注いだ。

 

「……………………」

 

 セイバーは苦い顔をして、崩落する民家に視線を投げた。

 この攻撃の主は、周辺への被害を悟った上で、この苛烈な魔術攻撃を住宅街のど真ん中で繰り出している。犠牲者の数も厭わずに、だ。

 

「屑が。無辜の民を巻き込んでまで、その手に聖杯を求めるか」

 

「おっと。あの彼がおらんくなったからか? 口調も目つきも相当怖くなっとるけど、君にはあんま似合わんで。それ」

 

 侮蔑の感情と共に吐いた言葉に返答があった瞬間、セイバーは全身から溜め込んだ剣気を解放した。実体を持たない筈の剣気(オーラ)。しかし火炎の渦は怯えたように押し戻され、セイバーの目の前から掻き消えていく。

 火焔を裂いて立つ魔王に、飄々とした声が掛けられる。

 

「ま、安心しぃ。ここはもう陰の世界、世界の裏側に貼りついた幻想郷……邪魔なモンはなぁんにもあらへんからな」

 

(陰の、世界……?)

 

 道路の真ん中にすらりと立つ、セイバーから見れば珍妙な格好をした東洋人らしき男の姿を捉えて、セイバーは眦を吊り上げた。

 

「貴様は……キャスターだな」

 

「そういうキミはセイバーやな。真名は……こりゃ……成る程、かの魔王────か」

 

「っ⁉︎」

 

 あっさりと告げられたその言葉で、セイバーは喉が干上がるような緊張を感じていた。

 

(馬鹿な。真名を察するにしても、余りにも早すぎる)

 

 セイバーの沈黙を肯定と捉えたのか、キャスターが可笑しそうに笑う。

 

「すまんなあ、僕の眼は視た者の過去を見通してまうんや。しかしまあ、肩書きの割に可愛い子やんか。なんや興が削がれるなぁ……それに、君が魔王に至った成り立ちを見てしまえば、ますます戦う気も失せるってもんや」

 

「不敬者が……この私を愚弄するか‼︎」

 

 過去を見通された不快感から、セイバーは怒号を上げた。真名を明かされた事よりも、その言葉がまずなにより癪に触る。

 ……だが、今は怒りに我を忘れている場合ではない。ケントの身が危ないのだ。

 くくくっ、と手にした扇で口元を隠して笑うキャスターを睨み付けながら、セイバーは周囲に意識を飛ばす。

 両脇には半壊した民家が二棟。

 あれほどの爆音、爆風が巻き起これば、いかに深夜とはいえ一帯の住民が気付かない訳がない。だが辺りに人間の気配は無く、崩れ落ちる民家の中から悲鳴が聞こえてくる事もない。

 

(どこから見ても、極めて現実世界に類似していますが……確かに静か過ぎる)

 

 風は吹かない。星は動かない。

 この「世界」は、世界の模造品(コピー)とも言える何かだった。

 同じなのは見てくれだけで、中身はからっぽ。世界に溢れ、世界という名のキャンパスを色とりどりに染め上げているはずの生も死も時も此処には存在せず、残るのは孤独な一枚絵の風景のみ。

 その孤独な光景は──自分がかつて嫌という程味わってきたモノに被って見えて、セイバーは思わず瞳を細めた。

 

(ここは……固有、結界? 大気に浮遊する魔力の密度が異常に濃い……少なくとも、まともな世界ではない)

 

「おっと、結界の類やと思っとるんなら違うで。言ったやろ? ここは世界の「裏側」、現世から放逐された幻想の化身たちが隠れ潜む理想郷や」

 

「……つまり、ケントは現実世界の「この場所」に置き去りにされた、と?」

 

「そやで。今頃ボクのマスターが相手しとるんちゃうかなぁ?」

 

 セイバーの言葉通り、ここではない「ここ」に視線を寄越すように、宙を見上げてキャスターは嘯く。

 

「ならば、助けに向かう」

 

「そりゃ無理や。ここからは僕を殺さん限り出れんからなぁ」

 

 その一言で彼女の行動は決定した。

 跳ぶ。姿が霞むほどの速度で。

 足裏からの魔力放出を併用すれば、弾丸の如く飛翔することも容易い。彼女の前には数十メートルの距離も殆ど意味を成さない。

 腰元に構えた曲刀を右から左へ、目にも留まらぬ速度で振り払う。切っ先は吸い込まれるような正確さで男の首元へと迫ったが──、

 

「ふッ‼︎」

 

 虚無から出現した七本の刀剣が、神速で繰り出された刃をすんでの所で押し留めた。

 だが所詮は魔術師(キャスター)の剣。彼女の神造兵器には一秒も対抗できない。強引に力を込めれば刀剣は一本一本砕け散り、その残滓を撒き散らして地面に落下していく。

 しかし、その一瞬の間に、キャスターは詠唱を早口で複数個唱え切っていた。

 呼応するようにキャスターの背後の空間が歪み、ねじれ──、

 

式神跋祇(はっし)。魑魅魍魎、怨鎖招来」

 

 瞬いた五芒星から一斉に飛び出したのは、不思議な風貌の怪物達。鬼、獣、蟲、人魂……セイバーも知り得ぬ極東の妖だった。

 一匹一匹が熊をも凌駕する体躯を誇る数十の影が一斉に殺到する。

 小柄なセイバーの姿は、瞬く間に怪物達の巨躯に埋め尽くされた。

 蹂躙、という言葉こそ相応しい。一匹一匹が計り知れぬ人外の力を持つ怪異。その群れ。圧倒的な物量の飽和攻撃は、セイバーの余りに小さな体躯を真正面から圧し潰す。

 

 ──が。瞬きの一閃。

 

「煩いぞ、不敬者供が」

 

 一瞬で。完璧に。

 猛る魔王の凶刃は、仇なす不敬者らを例外なく一刀の元に両断した。

 刃の軌道がまるで見えない。その音すらも超越した剣速の前には、「斬られた」という事実を認識できた妖は一匹も存在しなかった。

 だがキャスターは動じない。

 莫大な力の一端を披露するセイバーに、不敵にも笑みを浮かべてみせる。

 

「やあやあ。足止めご苦労さん」

 

「……っ⁉︎」

 

 次の瞬間。鋭い炸裂音と共に、何かがセイバーの右腕付近──正確には曲刀の刀身を激しく打ち据えた。

 襲い掛かったのは一筋の雷撃。

 彼女の対魔力を貫いて傷を負わせる事こそ無かったものの、その狙いは別にあった。曲刀に纏わり付いた紫電は勢いを緩めず、セイバーの掌からそれを奪い取ったのだ。

 

「さて勾陳、頼んだ」

 

 矢継ぎ早にキャスターの攻勢。いつの間にか彼の背後に現れていた黄金の大蛇は、正しく彼女が昨晩打倒したモノだ。

 何か言葉を言う暇もない。

 大蛇の口から放たれた赤光は、瞬く間にセイバーの全身を包み込んだ。

 一筋のレーザーとなって地表を舐めるように放たれたその一撃は、セイバーどころか数十キロ先に位置する大塚市の端まで一本の赤熱した轍を刻み込む。たまらずセイバーは数百メートル吹き飛ばされ、舌打ちしながら態勢を立て直す。

 コンクリートが蒸発していく不快な音。セイバーは尚も身を押し飛ばそうとする灼熱の本流に耐えながら──、

 

(ぐ……っ、こいつ、昨晩とはまるで違う……⁉︎)

 

 困惑と共に、セイバーは思う。違う──というよりも、恐らくはこれがあの蛇が持つ本当の力なのだ。どうも自分はあの生物(かみ)が十全に力を振るえる場所に引きずり込まれたらしい。

 記憶しているものとは段違いの威力を伴う火焔の一撃が終わる。しかしその一撃が撃ち切られるよりもなお早く、キャスターは次の手を打っている。

 

「青龍」

 

 セイバーが驚嘆に目を見開く。

 神に類する存在をああして使役しているだけでも脅威だというのに、更にあのキャスターは黄金の蛇に匹敵する存在を複数対使役するのか──⁉︎

 顕現したのは蛇のような身体をうねらせる東洋の龍。溶解して赤々とした地表を晒す瓦礫の山に立ち、全身から黒煙を立ち上らせるセイバーでは、龍の口蓋の奥で瞬く藍色の閃光を捉えるのが限界だった。

 慈悲はなく、絶対零度の一撃が放たれる。

 それは他の竜種も用いる龍の吐息(ドラゴン・ブレス)であったが、正真正銘の神霊たる青龍の一撃は他の竜種と比べても桁が違った。

 放射状に放たれた氷の嵐は触れたものを例外なく凍り付かせ、物体すらも凍死させんばかりの勢いで住宅街を席巻した。実に数千棟の民家が一秒と経たずに氷の彫像と化し、ありふれた街並みが氷の奥に閉ざされる。それはセイバーとて例外ではない。

 

「ぁ──が…………」

 

 口から侵入した冷気はセイバーの気管支から肺を一瞬で蹂躙し、セイバーの喉奥から絞り出したような掠れた声が漏れる。

 正に絶対零度、霊基すら凍て付かせてしまう神の一撃。

 

「次。──押し潰しィ、玄武」

 

 さらに猛追。氷の牢獄に巨大な影が落ちる。

 身体の内側まで凍り付いてほとんど動きを封じられたセイバーは、降り注いでいた月光が何者かに遮られたのを感じて、咄嗟に目線だけを上げて脅威を認識しようとする。

 

「────────な、ん」

 

 が。それは彼女の理解の範疇を超えていた。

 頭上数メートルに現れていたのは、途方も無い大きさの巨大な漆黒亀。それが何かを彼女が認識するよりも遥かに早く、セイバーを大質量の落下が襲う。

 ──虚無の世界から、音が消えた。

 圧倒的な質量を受けてアスファルトが捲りあがり、その衝撃は木々をも根底から刈り取る死の衝撃波と化して、瞬く間に凍り付いた住宅街を更地に変えていく。氷の欠片がガラス片の如く宙を舞ってアスファルトを彩り、凄まじい破壊とは対照的に幻想的な光景を作り出す。

 

「玄武の重量は十万トンを悠に超える。当然、現存の生物が持ち得る筈のない質量や」

 

 民家をざっと数十軒ほど寄せ集めたほどの大きさを誇る巨大亀の落下攻撃は、隕石の落下にすら匹敵する威力を誇っていた。莫大な土砂と共に土煙が巻き起こり、巨大亀の姿すらも覆い隠してしまう。

 

「筋力自慢のサーヴァントでもこの重量は流石に持ち上げられん。更に自慢の剣が無ければ尚更難しい。神々の肩書きは伊達じゃない、ってな感じでもう終わりたいんやけど──」

 

 時折飛んでくるガラスやコンクリート片を扇で軽く払いながら、キャスターは目を細める。

 彼の眼に映るのは、立ち込める土煙。うっすらと煙の奥に霞む巨大なシルエットが、彼の使役せし守護神の健在を雄弁に語っている。

 が。何を思ったか、キャスターは懐から三センチ四方の小さな紙片を取り出して──、

 

式神跋祇(はっし)、紙片防破‼︎」

 

 宙に投げられた、一片2、3センチ程の紙片。それは瞬く間に直径二メートル以上に広がり、堅剛なる大盾へと変貌する。

 ガァァァン‼︎ と響き渡る硬質な衝撃音と共に、凄まじい勢いで何かが防壁に衝突した。

 顔を顰めたキャスターは、跳ね返って横に墜落したその飛来物に目線を寄越す。

 

「ちぇ……足止めにもならんとは、な」

 

 ──それは、首だった。

 見るも無残に、グチャグチャにひしゃげてしまった巨大亀の首から先。

 光を映さぬ虚ろな瞳からは、一筋の鮮血が流れ落ちていた。剣によるものではない、凄まじい力で強引に引き千切られたと思われる傷跡は余りに恐ろしく、傷を付けた者の残酷さを容易に連想させる。

 今もなお血飛沫を噴き続ける生首からキャスターは視線を外し、土煙の向こうから現れた人影を睨んだ。

 

「さすがやな。神の眷属じゃあ相性最悪か」

 

「フン。──貴様、不愉快だな」

 

 ぽた、ぽた、ぽた、と。

 漆黒の棘鎧は真紅に染まり、全身を隈なく血で塗り上げた少女(まおう)が歩く度、返り血が大地に刻まれていく。

 

「はぁ。とんでもない嬢ちゃんを相手にすることなってもうたなぁ、嫌や嫌や……なんてコト言っとると、まぁた頼光サンあたりに叱られるかね」

 

 血に濡れたその細腕に剣は握られていない。握られているのは物言わぬ肉塊だ。彼女が憤怒と共に力を込めると、神だったモノはさらに細かい肉片となって四散した。

 あろう事かこの少女は、神獣すらも超越する存在である伝説の守護神「玄武」の身体を──素手で貫き、臓物を捻り潰し、首を捻じ切ってみせたのだ。赤と蒼のコントラストを見せる前髪の向こうで、爛々と輝く獣の如き眼光がキャスターを射抜く。全てを蹂躙せんばかりのその威容はまさしく魔王に相応しい。

 セイバーが残った肉片を無造作に投げ捨てると、呼応するように蒼の曲刀が遠くから飛来し、難なく彼女の掌に収まった。

 

「貴様は特に私の不興を買った。様子見も加減も無しだ──殺す」

 

 短い言葉。だがそれには、空気さえも殺してしまうかのような圧と殺気が伴っている。

 

「さて、どうやろね? 君のマスターが倒される方が早いと思うで、僕は」

 

 にやりと笑うキャスター。それをどう捉えたのか、更に眼光を強めたセイバーが踏み込んで跳躍する。

 雷光の如き動作だが、図星を突かれた彼女の思考からは既に全てを見通すかのような冷静さは失われていた。

 轟音と共に大地が割れる。地中から突如顕れた巨大な刀剣が、セイバーの腹部をしたたかに打ち据える。

 

「────っ⁉︎」

 

 当然のように傷は無い。だが刀剣の切っ先に打ち上げられる形で、セイバーの小さな身体が軽々と吹き飛ばされる。

 ありとあらゆる神性の攻撃を無効化する彼女の加護。それに敢えて難点を挙げるとすれば、攻撃の威力そのものは殺せないという点が挙げられるだろう。ダメージを負わなくとも、攻撃で吹き飛ばされてしまえばそれだけ時間を稼がれる。

 途方も無い一撃に数百メートルは地表から引き離され、セイバーは唇を噛んだ。

 

(コイツ、なんて出鱈目な膂力を──‼︎)

 

 雲の切れ間に見える月が近い。

 偽物の街を高みから見下ろすセイバーの視界に、地面から姿を現わす巨大な武士の姿が映った。頰を叩くのは、眼下の巨兵が巻き起こした砂塵か。

 

『『『『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■‼︎‼︎‼︎‼︎』』』』

 

 その絶叫は、土色の巨兵のものだけではなかった。

 キャスターを守護するかのように、次々と顕れている複数の巨影。ざっと見えるだけで金色の蛇、灼熱の巨鳥、砂塵を纏った巨兵、それに青色の龍──都合四体。

 それらが一様にセイバーを睨み付け、怒りと闘志に叫んでいるのだ。

 

「皆、手加減無用や。全力で消し飛ばしい」

 

 それら全てが、練り上げた莫大な魔力をセイバーに向ける。

 その魔力の質はAランクを遥かに超え、最早計り知れぬ次元にまで到達。対軍宝具(・・・・)に匹敵する光の渦……それらの集中砲火を受ければ、対魔力など障害にもならない。

 遥か下方の地上で煌めく無数の輝きは、凄まじい破壊を巻き起こす前兆の輝きでありながら、まるでケントと見た夜の街のようだとセイバーは思っていた。

 ──だが、それも一瞬。

 滾る闘志をほんの一刹那忘れたセイバーの瞳に、明確な殺意の色が戻る。

 

「舐めるなよ有象無象が。一体誰を相手にしていると心得るか──‼︎」

 

 頭を下に、足裏を上に向けたまま、天空から落ちる一筋の矢となってセイバーが空を駆ける。

 ぎちり、と刀身が啼いた。

 呼応するようにセイバーが柄をより一層強く握る。

 

(ケント。悪いですが、魔力を借りますよ‼︎)

 

 月光に当てられた彼女の曲刀が、低い振動音と共に輝き始めた。いつしかライダー戦で見せたのと同じ様に、空間そのものが恭順の意に痙攣する。

 真名が把握されているのなら躊躇うこともない。

 そしてこの街が偽物である以上、この一撃で眼下の街ごと全てを吹き飛ばしても(・・・・・・・・・・・・・)何ら問題は生じない。

 故に。

 この剣の真たる名を解放し、一切合切を押し潰すのみ──‼︎

 

()くぞ、■■■■■■■■……‼︎」

 

 桜色の唇から漏れた小さな呟きは、渦を巻く旋風に揉まれて消えてしまう。だがその微かな声を彼女の愛刀は聞き取っていた。

 刀身の根元からバーナーの如く噴き出す銀色の光が伸縮し、刀身の三倍ほどの長さまで伸びる。それだけではない。魔王特権の能力を併用して、セイバーの剣そのものが彼女に不釣り合いなほど膨張する。

 

 ────彼女の剣、その名は「月の刃」。

 

 蒼色の刀身に溜め込んだ月光を圧縮、開放する事により、その一撃は夜をも引き裂く必殺の一撃へと変貌する。凛然たる銀光は曲刀の刀身すらも覆い隠し、セイバーは銀色の流星と化していた。

 全身で風を受けながら、彼女は迫り来る破壊の嵐を睨み付け──、

 

 遥かなる神話に謳われる伝説の一撃が、全霊の力で解き放たれた。

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