Fate/crescent 蒼月の少女【完結】   作:モモのすけ

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第三話 数千年を越えて、また君に出逢う

「お兄ちゃん、授業中はあんま寝ないでよ? ティッシュとハンカチあるわよね? 何かあったら妹のわたしも恥かくんだから、きちんとした行動を」

 

「ああーもう、わかってるって……いいからさっさと行け! 一年校舎はあっちだろ⁉︎」

 

「はいはーい、じゃあね」

 

 楓は軽く手を振って、色々と世話の焼ける兄と別れた。ツインテールに纏めた髪を無意識のうちに弄りながら、ぼんやりと今日の夕食の予定を考えてみたりする。

 

(今日の家計も割とギリギリだし……うーん、どうしよう。ちゃっちゃと帰ってスーパーのセールに間に合うようにしないと)

 

 お財布の中身を思い返しつつ、今日もそこまで余裕のない志原家の財政状況に溜息を漏らす。今月も残ったお金は大して多くない。家計簿アプリにつけた出納記録を洗いざらい確かめてみても、楓がほっと安心できるような裕福な時期は今までないのだった。

 三年前に無理して新築に引っ越したのが響いているのかもしれないが、快適性と引き換えなら仕方がない。もう一軒借りている空き家の維持費も結構バカにならない。

 

「……うぅ、わたしだって他の女の子みたいに色々買いたい」

 

 恨み言をぼそっと呟きつつも視線は落とさない。昔から見栄を張るのだけは得意なのだ。とはいえその活発な明るさは人を惹きつけるに足る魅力であって、志原楓は色々な友人に慕われている。嫌いな奴はキライと言えるようなハキハキした性格も、好意的に捉える人は多かった。その中の何人かは恋慕に似た感情を抱いているということを、当の本人は全く自覚していないが。

 そんな訳ですれ違う友人に軽い挨拶を交わしつつ、少し気だるげに教室の扉をくぐる。

 どっせぇい、と重めのカバンを机の上に投げ捨てる感じで置いてから、楓はその視線を教室の端っこに向けた。

 ──視線の先にはまだ誰も来ていない机がある。

 だが、恐らくチャイムが鳴ろうとも、お昼の時間になったって、その生徒が来ることはないだろう。

 

「………………ふん、アホらし」

 

 楓は不機嫌そうに鼻を鳴らすと、テキパキと一時間目の教科書を取り出す作業に移ったのだった。

 

 

 ◆

 

 

 楓を見送ってから、俺は二年生校舎の廊下を歩き始めた。

 我が2年5組は一番奥。まだ授業開始二十分前だが、廊下を歩く生徒の数は意外と多い。早くから登校する奴がこんなにいるんだなあ、とギリギリセーフが常の俺が場違いな感慨を抱いていると──、

 

「おっはよう我が友よ! 珍しく早いじゃないか‼︎」

 

「おいっ、いちいち挨拶で背中を叩くなって言ってるだろ⁉︎」

 

 スパァン、と小気味よく響いた音。俺の背中が叩かれた音だ。

 怒声とともに背後を振り返れば、日焼けしない白い肌に年中変化ナシの整った金髪ロン毛、おまけに西洋人とのハーフである奇人高校生こと前田大雅(まえだたいが)が、平時と変わらぬ人のいい笑顔を浮かべて立っていた。

 

「まあまあ、それはそれとしてだね……やっぱり楓ちゃんは可愛いよなぁ。運動もできるし頭もそこそこいいし、おまけに明るくて家事好き! どうして君なんかの妹なんだい? 勿体無い。僕にくれ」

 

大雅(たいが)さあ……願望をストレートに出していくその姿勢は嫌いじゃないけど、社会的には嫌われるぞ。あと絶対そんなことはしない。どうしてもと言うなら、俺を力ずくでどかしてみろ」

 

「い、いやいや。健斗に喧嘩で勝つなんてそんなの無理だ。君の取り柄って、腕っ節の強さくらいしかないだろう?」

 

「……なるほどね、つまりお前はその喧嘩を売っ」

 

「というか、君って存外シスコンだよねー。過保護」

 

「はあ⁉︎ おいお前、覚えとけよなその軽率な発言‼︎ いつか纏めて返すからな」

 

「何を言うか、借りはなんだかんだで結局返さないもんだって相場が決まってるんだよ」

 

 そんな事を話しつつ、教室の扉を二人揃って潜る。

 まだ綺麗な黒板の前を横断し、教室では一番窓際の列、その前後並んだ席に二人して腰掛ける。

 

「おはよう、志原くんに前田くん」

 

「おはよう」

 

 席に着くやいなや、隣の少女が口を開いた。

 背中までかかるほどの艶やかな黒髪に、片手には文庫本。学年でも噂になる程の美貌まで兼ね備えた、如何にも優等生ですと言わんばかりのオーラを放つその少女──三浦火乃香は、やや大人しい性格なのに何故か俺たち二人と仲が良いのだ。

 

「朝っぱらから三浦さんに挨拶して貰える僕ッ……ああ、全くもって幸せ者だ‼︎」

 

「相変わらずやかましいよね、お前」

 

「ハハハ、僕が元気じゃない日? そんなの、この先百年は存在しえないねぇ‼︎」

 

「それじゃあ、長生きしないとね〜……」

 

 間延びした可愛らしい声で返答しつつ、三浦は長い睫毛の目を細める。

 そんな何回繰り返したかもわからない朝の会話を噛み締めながら、俺は椅子の上で身体を90度回転し、少し声のトーンを落として三浦に語りかけた。

 

「なあ三浦。そこの大雅(バカ)は置いといてさ、昨日の夜なんかあったって話聞かないか? 例えば、そう……変な人影を見たとか」

 

「変な人影……? そんなの聞いた事ないよ」

 

「おぅい僕も知らなああああ──い‼︎ 知らないぞそんな、胸踊るアドベンチャーに繋がりそうな情報は────っ‼︎」

 

「お前には聞いてないから」

 

「うーん、変な人影なんて怖いだけだと思うんだけどなあ……」

 

「安心したまえ三浦さん。僕こそが君の騎士(ナイト)となり、この街に潜む脅威から守り通してあげようじゃない──かッ‼︎」

 

「お前で騎士が務まるならこの学校の男子全員が務まるって」

 

 そんな溜息を漏らしていると、三浦が続ける。

 

「でも最近色々起きてるよね。一昨日も行方不明者が出たらしいし、四日前には殺人事件まで起きてるんだから」

 

「ああ、駅前のビル裏で二人死んでたってヤツだな。それに、今月だけで行方不明者は十人越えか……」

 

「えっ、そんなに増えてるのか⁉︎」

 

 行方不明者……というのは、残念なことに今この街で話題となっているワードだ。今月の頭あたりから行方不明者が続出するようになり、前田の話によると一昨日でとうとう計十人に達したらしい。

 大塚市に潜伏している連続殺人犯(シリアルキラー)だの、数年前に壊滅した筈のカルト集団が行動しているだの、情報が錯綜している上にそんな噂まで流れ始めているとか。そろそろ全国区ニュースでも取り上げられる頃合いだ。

 

「知ってるか、君たち。駅近くのビル街で死んでた二人組なんだけどな、一人は……喉と腕と腹をばっさり切られ、挙げ句の果てに心臓を引き抜かれて死んでたんだと。もう一人の死に方も異常でね、身体の右側は黒焦げなのに、左側は骨の芯まで凍り付いて死んでたらしい。この場合は焼死か凍死、どっちになるんだろうな?」

 

「や、やめてよ前田くぅん……‼︎ 私そういうのダメなんだから……」

 

「そうだよ大雅、三浦を守るはずのお前が怖がらせてどうする」

 

「い、いや、すまん。ついうっかりしていた、許してくれ」

 

 ハッと気付いた大雅は慌てて三浦に頭を下げる。とはいえ三浦は末恐ろしいほど人が良いので、きちんと謝れば決して怒らないだろう。

 

「……まあ、何もないならいいか。そうそう話は変わるけど、実は昨日ゴタゴタしてて今日の課題終わってないというかなんというか」

 

「あ‼︎ おいおい、先取りは良くないぞ健斗‼︎ それは失礼で卑劣極まりない行為だ、僕だってまだやってないのに‼︎」

 

「ま、まあまあ。慌てないでもノート見せてあげるから」

 

「あ、ああっ……なんという……やはり聖女」

 

「お、オイ気持ち悪い声を出すな、うっとりして三浦の方ににじり寄るんじゃない‼︎ お前本当に大丈夫か⁉︎」

 

「ハッ。僕が元気じゃない日は無いと言っただろう健斗ォ‼︎」

 

「違うよ、体じゃなくて頭の事だよ……」

 

 再びため息をつく俺をよそに、大雅は座ったまま喜びの舞を踊る。

 しかしそう簡単に世の中はいかないもの。ノートを机の上に出した三浦は、見せようとする直前に思い出したように大雅を見て、

 

「あ、前田くんはさっきヘンなこと言ったからやっぱり見せてあげない」

 

「そ、そんなっ……待ってくれ三浦さん、僕が悪かった。お詫びの印に……ああクソ、何もない! あああ時間が‼︎」

 

「悪いな大雅、けど自業自得だぞ」

 

 結局有益な情報は得られなかったが、構わないだろう。

 そんなこんなで変わらぬ朝は過ぎていく。大雅が騒ぎ、三浦に癒され、そして退屈な授業が聞き慣れたチャイムと共に開始される。

 数学の教科書とノートを気だるげに開けつつ、そんな「あたりまえ」を何度も何度も慎重に確認して、ふと窓の外に目をやる。

 窓外には、どこまでも広がっていく蒼穹。

 

「──────、?」

 

 何百回も見た筈の窓の外の景色。ありふれた地方都市の、何の変哲も無い街並みだ。

 けれど、それを見て背筋に冷たい何かが這い上がる。

 

(一体なんなんだ、これ。やっぱり何か異常だ、絶対に「何か」がこの街に起きてる)

 

 穢れとも言うべき淀みがあった。

 町全体をすっぽり覆い隠してしまうような不気味な何かは、今にも俺の足元まで這い寄ってきそうな程で──、

 

「……志原くん。貴方の番ですよ?」

 

 と。前方から飛んで来た声が、俺の意識を学生の本分たる学業へと引き戻す……が、時すでに遅し。

 

「はぁ。また窓の外を眺めてたんですか、もう。確かにここからの眺めはいいですけど、もっとしっかりと学生としての自覚をですね」

 

「す、すいません……」

 

 思わず項垂れる俺の周囲で、笑いが幾つか。

 

(くそ、能天気な奴らめ。昨日の俺みたいな目にあってみろ、まともに勉強する気なんて失せるっての……)

 

「じゃ、お隣の三浦さん。志原君のフォローをお願いします。この単語の意味を」

 

「はっ、はいっ! え、えっと。この、Destinyは……運命、って意味がありまして。そういう訳でこの文の訳は……」

 

 すこし戸惑いつつもきちんと説明し始めた三浦を眺めつつ、俺は再びシャーペンを掴み直した。先生の丁寧な板書を見ながらノートにペンを走らせる。

 

「はい、その通りです。ちなみにこの、「運命」という単語ですが……「良い運命」と「悪い運命」、この意味の違いによって単語も変化することを覚えておきましょうか。まず文中のDestinyは俗にいう「良い運命」を指しますが──」

 

 ……その瞬間。

 ふと、優しい視線を感じたような気がした。

 

「不幸をもたらす運命、死の運命……そういったものは──」

 

 再び懲りずに視線を窓の外に戻すが、強めの風が吹き抜けただけで、そこには相変わらず気味の悪い街並みが広がっているだけ。

 

 

「いわゆる、Fate(運命)と呼ばれるのです」

 

 

 その時、俺はまだ気付いていなかった。

 教室から遥か彼方、肉眼では捉えきれないくらいの距離を挟んだ場所から、一対の宝石みたいな碧色の瞳が俺の姿をじっと見つめていた事を──。

 

 

 

 

 退屈で、かけがえのない時間はすぐに過ぎる。

 太陽が西に沈み始めた放課後。部活動の活動にも縛られぬ自由気ままな幽霊部員である俺と大雅は、緩い登り道を二人で歩いていた。

 

「あーあ。君じゃなく、三浦さんと帰れたらなああああ────‼︎」

 

「ハイハイ、諦めて下さいね。アイツ、大人しそうだけどウチのかるた部のエースなんだから。しかも全国控えてるんだぞ」

 

 一瞬怒りに任せて学生鞄を振り回したい衝動に駆られたが、それは心の奥底に押し込んでおく。サラッと失礼な事を言う大雅の発言を俺は受け止める気力もなく受け流すと、

 

「そういやさー、最近やってる映画……アレ、なんだっけ。前世から結ばれた男女が数百年ぶりに再会するってやつ」

 

「ああ、あの……アレね、アレ。俺も名前忘れたけど」

 

「そうそう、定番だよなそういうの。まあそれを最近見た訳なんだけど」

 

「見た映画のタイトルを忘れるかフツー……」

 

「まあまあそれは置いといてだね、もうすんごいクオリティ高かった。後半泣きっぱなしの鼻水垂れ流し。という訳で君にもオススメしておこうかと思ってね」

 

 歩道の縁石の上をひょいひょいと歩きながら、大雅はそう言ってにやりと笑う。

 

「ふーん……まあ話題性はあるよな、確かに」

 

「そうそう、前世からの繋がりとかさ、なんていうの……運命? 三浦さんがそういや言ってたな。ま、そういうのって憧れるんだよね」

 

「運命……大雅君。さては君、意外とロマンチストだな〜?」

 

「たはーっ。今更かよ健斗、長い付き合いだってのに遅すぎるぞ‼︎」

 

「それはしょうがない。こんだけ顔を合わせといて毎日新しい発見があるやつとなると、この世を探してもお前くらいだよ」

 

 はっはっはっは、と互いに大口開けて笑い合う。

 こいつ、前田大雅と話すのは気が楽でいい。色々と困った時もこの男がいればなんだかんだで解決に向かうのだ。無論、その過程で様々なトラブルを引き起こすので最終的には余計に疲れるだけなんて事も多いが。

 とにかく今だけは、不安や懸念も何処かに吹っ飛んでくれる──そう、思っていたのだが。

 

「…………‼︎‼︎」

 

「ん? どうした健斗、急に真っ青な顔して」

 

「……ああ。いや、なんでも……」

 

 とっさに取り繕った笑いで誤魔化す。

 唾を飲み込んで深呼吸、無理矢理にでも気持ちを落ち着かせる。

 

「…………なあ大雅、聞いていいか」

 

「ん? ああ、明日明後日の予定とか? うーん、明後日は地元の祭りの手伝いとかあるから無理だな。明日なら空いてるから映画に付き合ってもいいぞ、あれは二回見てもいい価値がある」

 

「いや、映画じゃなくて。……仮に、お前が物凄い危険な事件に巻き込まれかけたとしよう。それはもう下手したら死ぬかもしれないってくらい物騒な事件でさ。そんな時、お前ならどうする? 見て見ぬ振りをして逃げ去るか、思い切って事件の渦中に飛び込むか」

 

「映画じゃないのか? ……じゃあ、僕なら逃げるだろうなあ。まだまだ僕ってば若いのに死にたくないし。どうしたんだ急に」

 

「だよなぁ。うん、普通ならそうだ。でも、とんでもなく可愛い女の子が関わっていたとしたら──どうする」

 

「そりゃあなりふり構わず、後先考えずに突っ込むに決まってるだろう。それは愚問だな、僕に言わせれば」

 

「……はは。やっぱりお前ならそうするか」

 

「おいおいどうしたんだよ、本当。それにどことなく冷めた目線を向けるのはやめてほしい。なんだ、サスペンスドラマにでもはまったのかい? 今日の君は一段とおかしいぞ」

 

「学校で一番頭がおかしい奴に言われたくない」

 

 言葉の意味がわからん、とばかりに首を傾げる大雅から視線を外す。

 

「よし。そんじゃ、俺はこっちだ」

 

「あれ? 健斗の家はそっちじゃないだろ?」

 

「ちょっと用事が、ね。悪いけど、今日はここで」

 

「ふぅん、なら仕方ないか。それじゃあまた明日な、我が友よ‼︎」

 

「はいはい、じゃあな。あと明日お前と映画に行く約束をした訳じゃないから、朝六時半とかに俺の家に来てピンポン鳴らしまくるとかいう迷惑行為はやめろよ? ほんとに。フリじゃないからな」

 

「あれ? そうだったか? ……まあいいじゃないか、はっはっは‼︎」

 

 秋、見事に鮮やかな夕焼けの下。

 相変わらず大きな声で叫びながら、俺とは違う道を後ろ歩きに進んでしつこく手を振り続けている大雅に軽く手を振る。「また明日」とはいかないだろうが、またアイツと言葉を交わしたいものだ。

 

「しかしアイツ、いつまで後ろ向きで歩く気……あ」

 

 後方不注意。ガードレールに引っかかり、豪快に背中から引っくり返る大雅を苦笑交じりに見やってから、俺は踵を返した。

 相変わらず歩道を進み、険しい斜面を下ったり登ったり。俺の家と我が鷹穂高高校があるここ大塚市東部は、山を切り崩して住宅地開発が進んだせいでやたらと起伏が多い。

 

「くそ、つくづく面倒臭い立地」

 

 下って、登って。また登る。

 家は鷹穂高高校よりも更に高い場所に位置しているので、自然坂を登ることは多くなってしまう。とはいっても、俺が向かうのは家ではないのだが。

 前田がいなくなると、住宅街は異様な程に静まり返ったように思えた。踏み出す足が重い。まるで黒泥の中を進んでいるような感覚を味わいながら、ひたすら足を動かす。

 

 ……なにか不気味だ。

 どこかで、この街は狂い始めている。

 

 電柱の上に、ひらひらと揺れる黒い外套が見えた気がした。その真ん中に浮かび上がる髑髏の面、それは闇に潜む暗殺者の影か。

 ゾッとして視線を向けると、カラスが飛び立って行くのが見えただけ──。

 

「………………ンな馬鹿な」

 

 俺はどうかしているのか。

 それとも周囲がどうかしているのか。

 そんな馬鹿げた存在がこの街にいる筈がない──と、否定できないのが不安を煽る。

 暫くして道から逸れ、住宅街の隙間、高台に面する形で作られた小さな公園へ向かう。平均的な民家一軒分程しかない敷地の中には、申し訳程度にブランコとベンチが置かれていた。寂れたそれはどこか哀愁を漂わせるが、当然それらに興味はない。

 公園を突っ切り、一番奥へと歩を進める。

 

「───────」

 

 ……言葉を失うように、俺は立ち竦んだ。

 背の高いフェンスの奥に広がる斜陽に(あかがね)色に染め上げられた街並み、そして彼方に広がる銀色の湖面。まるで天然の展望台だ。柵の奥に広がる景色は学校の教室から見えるソレよりも遥かに美しくて、だが確かに「何か」を感じてしまう。例えるなら、瞬きの後にこの街が火の海と化していてもおかしくないような不安感がある。

 

 ……間違いなく、何かがいるのだ。

 この街には。そして、俺のすぐ近くにも。

 

 フェンスを掴みながら覚悟を決める。

 未知の世界へと飛び込む覚悟を。

 

 ──さあ、帰るにはまだ早い。

 その前に、やる事が一つ残っているだろう……‼︎

 

「おい。出てこいよ、いるんだろ?」

 

 俺はついに言葉を投げた。大雅との会話の途中から感じていた、隠そうともしない異様な気配に。

 その言葉を以て空気が痙攣する。時が止まったかのように周囲の空気が重圧と化し、重く両肩にのし掛かる。何者かの視線は異様に鋭く、明らかに常人のモノではない。

 

「俺は昨日の事をハッキリ覚えてるぞ……化け物め。生き延びた俺を殺しに来たのか?」

 

 震えそうになる声を抑え、教科書を読み上げるかのように淡々と姿なき敵対者に述べる。湧き上がる恐怖心を悟られないように、せめてもの抵抗だった。

 振り向いて、狭い公園の中心へ向かう。

 

 爽やかな風が吹き抜けて、前髪が微かに揺れた。

 

(…………どこだ)

 

 気配は感じる。痛い程に。

 

(どこから、来る────?)

 

 全身に感覚を行き渡らせて、周囲の隅々を観察する。

 どうせ殺されるのだろうが、せめて抵抗くらいはしてやらないと気が済まない。武器もないし、パンチ一発くらいは──、

 

「それは、違いますよ」

 

 またもや風が吹いた。

 けれど違う。風向きが違う。俺の背後から、まるで何かがそこに降り立ったかのよう(・・・・・・・・・・・・・・・)に、風は軽やかに俺の背中を撫でていく。

 

「っ‼︎」

 

 ────背後(うしろ)‼︎

 咄嗟に振り返り、同時に右の拳を振り抜く‼︎

 

 けれど、無駄だった。

 十分な速度を乗せだはずの拳。しかしそれは、俺なんかより遥かに細く、小さな手に止められていたのだ。

 弾かれたように視線を上げて、目の前に立つ少女を見る。

 

 ──目が合った瞬間、全ての時間が止まって。

 ──形容し難い感情が、胸の内で吹き荒れた。

 

「……………………おまえ、は」

 

 視線が釘付けになる。透き通る清流を思わせる蒼い長髪。美しいエメラルドに似た碧色の瞳。はっとするほど整った顔立ち、朱い頰。

 まるで金縛りにあったかのような衝撃の中で、俺は呆然と彼女の顔を眺める。

 日常の中で錆びついていた魂が脈動を始めたような感覚。

 長く長く眠っていた感情が、再起動を果たして燃え上がる。

 

 

 ああ。そうだ。忘れる筈がない。

 確かに俺は、この■■を憶えて────、

 

 

「このゴミムシ馬鹿愚か不敬者ぉーっ‼︎」

 

「ぶべらっ⁉︎」

 

 いたって真面目な顔をしていた俺の顔がぐんにゃりと歪んだ。

 超早口で述べられた罵倒の言葉を聞き取る間も無く、少女が振り抜いた平手が俺の頬をしたたかに打ち──いや、打ったというより殴り飛ばして、俺は横殴りに吹き飛ばされた。

 首から嫌な音が響く。そのあまりの衝撃は直に俺の脳を揺らし、視界がぐわんと歪んだ。

 

「うお……おおぉ……ビンタが、なにゆえ、右ストート並の威力に……⁉︎」

「フンッ。いきなりこの魔王に殴り掛かるとは、いい度胸してるじゃあないですか。本来なら万死に値する愚行です」

 

「お、お前、一体……てか、馬鹿力にも程が」

 

「あっ‼︎ 今馬鹿と言いましたね、馬鹿と‼︎ よろしい、今すぐもう一発追加してあげますよ」

 

 ゆっくりと近づいてくる少女。よく見るとあの刺々しい鎧は着ておらず、代わりにフード付きの黒ジャージを着ているのが分かった。

 でもって目が爛々と輝いているのを見るに、相当怒ってらっしゃるご様子。その手が再び振り上げられるのを見て慌てて尻餅をついたまま後退し、あれこれ言い訳を探してから、殆ど考えずに叫ぶ。

 

「──と、とにかく悪かったのは俺なんだな⁉︎ よし理解した、だから、あー、その、そう‼︎ お詫びはなんでもする‼︎ だからその手を降ろして一回落ち着け頼むって怖いんだよ本当‼︎」

 

「ほう? なんでも、と言うんですね」

 

 ジャージ少女は、その言葉に口角を釣り上げて笑う。

 これはマズイ、という直感が俺の脳裏を突き抜けるが、一度空気を震わせた言葉はもう口の中に戻らない。未だ尻餅をついたままの俺に少女は悠然と立ったまま───、

 

「では、一緒に来てくれますか。私の……マスター」

 

「……ます、たー?」

 

「貴方のことですよ。そんなきょとんとされても困るんですけど」

 

 ──その言葉を合図としたかのように、沈みかけていた夕日が完全に西の山脈の影へと没した。

 これからは夜、太陽は役割を終えて月が主役に成り替わる。

 残照の中で彼女は手を伸ばし、俺の手を掴んで立ち上がらせた。

 

「私の名前はセイバー。貴方のサーヴァントにして──」

 

 そこで一度言葉を区切り、彼女はにっこりと笑顔を浮かべて、

 

「きっと、私は貴方の味方(・・)です」

 

 そう、どこか安堵したような声で言ったのだった。

 その笑顔に思わず頬を赤くして、俺は「ワケわからん」と呟く。

 

 ……ここは終着点の先。ある筈のない、もう一つの始まり。

 さあ始めよう。

 濃紺の(そら)には、既に薄っすらと半月が浮かんでいる──。

 

 

 

【挿絵表示】

 




【前田大雅】
十七歳。健斗の同級生。
基本的に「今日をいかに面白く生きるか」に全力を費やす人間。先の事は全く考えていないタイプの陽気な男。西洋人とのハーフなので王子様みたいな容姿だが、性格が足を引っ張ってモテたことはないらしい。健斗とは最も長い付き合いであり、彼の一番の友人である。

【前田火乃香】
十六歳。健斗の同級生。
心優しく真面目ながら、かなりマイペースな女の子。かるたという得意科目がある上に成績優秀。が、運動は大の苦手。大雅と健斗の二人と仲が良い。
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