Fate/crescent 蒼月の少女【完結】 作:モモのすけ
「ぐー……ぐー……」
広めの和室に微かないびきが聞こえている。その主は繭村倫太郎だ。
昨日、衛宮士郎という来客から聖杯戦争の基幹システムが歪んでいることを知らされた彼は、すぐにアサシンと話し合った。
聖杯は獲得したとしても次第速やかに破壊、以後の再出現を防ぐために徹底的に"破壊"、即ちアサシンの直死の魔眼によって完全に殺害する。そうした方針を立ててから土地主として各位に連絡を回した頃には夜も更けていたので、倫太郎は久々にまともな睡眠をとることにしたのだ。
そして時計の針は進み、現在の時間はお昼すぎの二時三十分。
布団の中で未だに惰眠を貪っているぐうたらマスターを咎めるべく、とある人影が行動を開始していた。
足音を立てずに板張りの廊下を駆け抜け、障子をすらりと引き開ける。こんもり大きくなった布団の奥からは微かに寝息が聞こえてきて、彼女は不満げに頰を膨らませた。
全く起きる気のないマスターをいい加減起きさせるため、持ってきたシロのドックフード入れに倫太郎の木刀を構える。それから、すう、と軽く息を吸い込んで──、
「わー、敵だー」
どこかぼんやりした声を上げながら(アサシンにとっては大声のつもりだった)、アサシンこと魔眼のハサンは手にした二つをガンガンガンガン──‼︎ と激しく打ち鳴らした。
つんざくようなその爆音に、おわああああああああああああ⁉︎⁉︎ などと叫びながら跳ね起きた倫太郎は悲鳴を上げる。
彼は気が動転した様子で布団から飛び出した後、畳の上を何度も転がり、壁に一度激突し、その衝撃でクラクラしたまま最終的に騒音を撒き散らすアサシンへと顔から突っ込んだ。
突然の事で何が何だか分からない様子の倫太郎は、アサシンの柔らかなお腹に顔を埋めたまま──、
「……おはよう」
「うん、おはよー……目は覚めた?」
「覚めたけど、ここまでしなくても僕は起きる」
「嘘つき。マスター……何回も、起こしたけど……結局起きてこなかった」
記憶にございません、と倫太郎が突っぱねると、アサシンは不機嫌そうに眉を釣り上げた。
寝ぼけた頭はとうに覚醒している。
畳の上でぐだぐだしているのも何なので、大人しく倫太郎は起きることにした。寝ぼけたままキッチンに向かうと、アサシンも後ろをついてくる。
「アサシン、君も何か食べたいのか? 食べたいなら作るけど」
「マスター、料理できるの?」
「うん。僕にかかればカップラーメンにカップ焼きそば、カップ担々麺とか色々作れる」
「……それは……料理とは、言わない……」
キッチン奥の棚にしまわれたカップ麺を適当に二つ選んでから、さっさと水を沸騰させる。ぼこぼこと泡立つ熱湯になったら手際よく湯を注ぎ、そこらの新聞紙で蓋をして3分待機。その間に二人で使うには広めの食事場に移動する。
なんだかんだ初のカップ麺に期待しているらしいアサシンとその何とも言い難い3分を過ごして、倫太郎とアサシンは少し遅めの昼食に手をつけた。
「「ずずずず……ずずずず……」」
遅めの昼食。聖杯戦争が始まって以来、このだだっ広い家に残っているのは現当主でありマスター権を持つ倫太郎だけだ。
倫太郎の家が田んぼばかりの西部に近い地域にあることも相まって、平時は心地いい静寂がこの家を包み込む。聞こえてくるのは鳥の鳴き声、微かな風の音、あとはカップ麺をすする音くらいのもの。
普段は家政婦さんが繭村の当主に相応しい身体作りを配慮した食事を作るせいで、倫太郎には好きな料理を選ぶ自由すらない。こうして密かな好物のカップ麺を好きに食べられる聖杯戦争という期間は貴重だった。
(僕がサーヴァントを召喚した頃は、まさかこうして二人でカップ麺を食うような状況になるとは思ってなかったな……)
召喚した当初、いきなりナイフを突きつけられて殺されそうになったことを思い出す。
そんなゴタゴタも、過ぎてしまえば意外と何とかなるものだ。アサシンの猪突猛進な戦闘方針も吞み込めるようになってきたし、この非常識な日々に適応し始めているのかもしれない。
「これ……あんまり好きじゃない、かも」
「そうかな。僕はこの、インスタント食品特有の変な美味しさが大好きなんだけど……はぁ、僕にはまともな料理なんて作れそうにないから諦めてくれ。志原とかなら料理上手いんだけどね……」
「しはら?」
アサシンは倫太郎の言葉にぴくりと反応し、一度カップ麺を食べていた手を止めて、包帯の巻かれた瞳を彼に向けた。
思わず口を滑らせてしまった倫太郎は何でもないよ、とだけ言い残して無かったことにしようと試みたが、どうもアサシンの粘っこい目線は離れてくれない。三十秒ほど我慢比べは続いたものの、結局倫太郎は先に根をあげてアサシンに向き直った。
「……志原楓ってのは、キャスターのマスターのコトだよ。ほら、いただろ、茶髪でツインテールでやたらツンツンした感じの奴」
「いたね。うん……そうだった」
「君、サーヴァントを倒したいからってマスターの事を完全に忘れてただろ。まぁ、そういう性格とかも含めて行動指針を立てるのがマスターの役目なんだろうけど……まあいいや。もうこれで志原の話はおしまい」
「ダメ。もっと……話して?」
「なんでさ。君があいつについて知っておくべことなんてあんまりないじゃないか。どうせ君が戦うのは向こうのサーヴァント、あの和服姿のキャスターなんだから」
「いいから。もっと教えて」
有無を言わせぬアサシンの剣幕に、倫太郎はたまらず言葉を続ける。
「……じゃあ知ってる限りで話すけど。志原楓は僕と同い年、同じ高校に通ってる。けど目立った交流は今のところない。魔術系統は身体強化系統のみに特化した「徒手魔術」。キャスターを使役してるみたいだけどあいつの魔術回路は正直へっぽこだから、魔力量に余裕はないと思う。そんな状態で神霊クラスを使役するんだから大したものだよ。多分何らかの手段で魔力を汲み上げてるか、キャスター本人が燃費のいいサーヴァントなのか。僕としては後者だと思うけど」
一息でぺらぺらと話してから、少し冷め始めているカップ麺の残りを勢いよくかっ喰らう。
それに倣ってアサシンも残りの麺を完食し、再び倫太郎に向き直る。どうも簡単には解放されそうにないな、と頭を掻きつつ、倫太郎はまたもや志原楓について話し始めた。
「──それと。あいつは、誰よりも僕を憎んでる」
「?」
突然倫太郎の口から飛び出した言葉に、アサシンは少し怪訝な顔をする。
それも当然だろう。倫太郎という少年は決して悪たる者ではない。アサシンは悪たる者の屍を積み重ねてきた暗殺者であるがゆえに、人の本質を敏感に捉える。
そんな彼女が認めたマスターが、特定の人物に憎まれるような行いをするとは思えなかった。
「簡単なことだよ。あいつは僕を信頼してくれていたのに……僕はそれを、全部
倫太郎自身、その言葉を吐くのには、心を少しづつ少しづつ
「なんで?」
「理由はどうでもいいだろう。僕が犯した過去は変わらないし、決して変えられないんだから。忘れちゃいけないのは"僕が志原を裏切った"っていう揺るがない過去だけだ。……くそ、どうしてそうなっちゃったのかな」
だから志原楓は、強烈な敵意を倫太郎に抱いている。
二日前の朝。志原楓はわざわざ倫太郎の家を襲撃した上で、「次会った時は殺すから」と告げて去っていった。次はない、という忠告にも聞こえるが、裏を返せば次会ったら私は殺意を抑えられない、という言葉ともとれる。
だから倫太郎は聖杯戦争が始まって以来、今まで彼女と出会うのを避けてきた。
マスターとサーヴァントが二組出会えば、戦いは避けられない。楓の方は倫太郎を容赦なく殺しにかかるだろうが、倫太郎はそもそも「魔術師なのに魔術を恐れる三流魔術師」だ。
さらに相手が顔見知りとくれば、倫太郎は自分のことながら、志原と戦ってもまず勝てないだろうなと予想していた。いくらイメージしようと、志原を斬れる気がしなかったからだ。
そういう相手にわざわざケンカを売る必要もないだろう、ということを密かに心に決めていたのだが──、
「よし。じゃあ……キャスターと、戦おっか」
「はい?」
倫太郎の口から素っ頓狂な声が漏れた。
首をぎぎぎ、と傾けつつ、「何を言ってるんだ君は?」という意思表示。だがそんな倫太郎は無視して、アサシンは相変わらずぼーっとしたままだ。
「……あ、あのな、いいかアサシン。僕は最初も言った通り、臆病でビビりでチキンな奴なんだ。他のマスターを倒すってんなら現当主として努力もするさ、けど顔見知りの奴を手にかけられるほど僕は肝が据わってない。いいか、君がキャスターをどうこうできたとしても、僕は間違いなく志原に殺されるぞ」
「殺されたら……うん、しょうがないね」
「しょうがなくないだろ‼︎⁉︎ なんでわざわざ死にに行くような事をしなくちゃならないんだよ、僕は絶対行かないからな‼︎」
こちらの敗北が決まりきっている戦いに自ら身を投げたところで、一体何が得られるというのか。
倫太郎は断固拒否の意思を全身で表現しつつ距離を取ろうとしたが、アサシンはお箸をカップ麺の上に置くと立ち上がった。
「──マスター。聞いて」
「後ろから関節固められてるような状況じゃそんな事言われなくても聞くよ、ちくしょう」
アサシンの早業は倫太郎にはとても捉えられなかった。気がついたら腕がグルンと後ろに回り関節をキメられ、あいだだだだだだ‼︎ と悲鳴を上げていたのだ。
「……君には、願いがない」
倫太郎は虚を突かれたように言葉を飲み込んだ。
それは昨日、倫太郎が繭村の家に伝わる遺産である十八本の霊刀を、どうしても使う気になれない……と愚痴ったときのこと。
アサシンはふと思いついたように、「君は、何がしたいのか」と言ったのだ。
自分がしたいこと──すなわち願いなんて、召喚の夜、アサシンの前で宣言したときから決まっていると思っていた。繭村の魔術師たるにふさわしい勇気を得ることだと、倫太郎はそう考えていたのだ。
だから彼はそう答えたが──アサシンは倫太郎という人間を知ったことで、その答えを否定した。
だってそれは"倫太郎"の願いではない。
"繭村の魔術師"という役割を担う上で発生した願いであり、あくまで倫太郎本人が心の底から願ったものではない。それは願いの対象というより義務、役目に近いものだ。
──では倫太郎の願いとは何か。
そう考えると、倫太郎は「わからない」という単純な答えに突き当たる。
昔は純粋な願いを抱いていた筈なのだ。
けれど歳を重ね、繭村の後継者として完成していくにつれて、彼の思考は役割と責務の二重苦にがんじがらめにされていった。
「……無駄だよ、アサシン。そんな僕じゃもう、繭村の魔術師として足りないものなら分かっても、僕自身の願いなんて見つけられそうにない。僕の価値は繭村一族の為だけにあって、僕自身なんて
倫太郎が吐き捨てるように言うと、アサシンは首を振って否定する。
「違うよ、マスター。君自身は……立派で、確かにひとりの人間なんだから。それに、きみは過去を……その、志原とかいう魔術師との間に築かれた過去を……悔やんでる。よね?」
それは正しい。
志原楓が倫太郎に敵意を燃やすように、繭村倫太郎も楓に対して深い後悔と罪悪感を抱いている。
「悔いというのは……もともと、自分の欲求、つまりは
「………………」
倫太郎は無言のままで考えた。
かつての裏切りを、志原楓との間に決定的な溝を作り出した過去を、倫太郎は確かに悔いている。
もっとやり方があったのではないか、自分はそもそも間違っていたのではないか。そんな答えの出ない疑問は、その過去から二年に渡ってずっと倫太郎を苛んでいる。
後継者という役割に徹し過ぎた挙句空っぽになった倫太郎の中に残っているのは、その後悔だけだ。
「私……言ったよね。君には「何か」が足りないって」
「言ったね。それは君自身が見つけて、とも言った」
「うん……けど、君はもう理解したはずだよ。……もう。随分君がのんびりしてるから……私も、口出ししちゃったけどさ」
君にのんびりしてるなんて言われたく無いな、と倫太郎は皮肉を返す。
ともあれハッキリした。倫太郎に足りないものは、力でも金でも、彼自身が己に不足していると思っていた勇気でもない。
──ヒトは強い。
運動能力にも身体の頑強さにも恵まれていない、知恵くらいしか能の無い生き物だ。しかしそれらがこの地球上に蔓延るようになつた理由は、結局はたった一つに帰結する。
それこそが欲求であり、願いだ。
生きたいという欲求はいつしか利便性や娯楽、さまざまに枝分かれした欲求となり、更なる欲求へと加速していく。人類の発展の一歩先には、常に「己は〇〇をしたい」という欲求が走っているのだ。
だからこそ願いの力は計り知れない。
けれど倫太郎には願いではなく、責務という名の二文字しか残っていないというのなら──、
「僕に足りないのは……自分自身の、願いか」
後悔しか残っていないのなら、そこから紡ぎ出せばいい。新しい目標を──繭村の魔術師としてではなく、己の身を掛けた目標点を。
その言葉に満足したように、アサシンは腕を固定していた手を離す。やっと解放された倫太郎は恨みがましい目線をアサシンに向けたが、彼女はどこ吹く風である。
「うん、その通り。けど……こうして何もしないでいたんじゃ、見つけられるわけもない。だから、君から行動を起こすの。君の唯一の後悔に関係する、その子と話せば……昔に取りこぼした願いについて、何か、掴めるかもしれないでしょう?」
「その為に命を危険に晒せって? 君まで消滅するかもしれないんだぞ」
「構わないよ。どうせ、聖杯はロクでも無いもの……みたいだし。それにね」
アサシンはずいっと顔を近づけて、倫太郎の瞳を覗き込んだ。思わず逃げようとした倫太郎だったが、やはり頰をぴったり両手で抑えられているので逃げ場がない。
「私はもう、新しい願いを見つけたよ?」
「え?」
「君が……自分自身の願いを、見つけられるように……頑張る。それ、いいと……思わない?」
アサシンは上機嫌のようで、いつもぼーっとしている癖にに少しだけ笑っていた。
そう笑顔で言われると怒る気も失せて、倫太郎は深い溜息を漏らす。願いを見つける為だけに死にに行くとはどう考えても馬鹿げてると思うが、アサシンは方針を変えないだろう。それはよく倫太郎も理解するところだ。
「……はぁ、参ったな」
時刻は夕刻に差しかかろうとしている。
志原楓の居場所は一応把握している。夜は何をしているのやらさっぱりだが、昼間はどうやら律儀に学校に通っているらしい。
であれば──居場所が掴めている今のうちに、こちらから仕掛けるべきだろう。下手に探し回って、またあの人形の群れに襲われたらたまらない。
「どう転ぶかは分からないけど、やってみる。──もし死んだら君のせいだぞ、君を呪いながら死んでやるからな。人が抱く死に際の負のエネルギーってのは恐ろしいんだ。それに志原が聖杯を使う気ならやめておいた方がいいって事も伝えないといけないし」
「じゃ、死なないように頑張って」
「他人事みたいに……」
倫太郎は素早く制服に着替えると、木刀を入れた竹刀袋をひっさげて家を出た。
アサシンは霊体化し、主の出陣に従うのみ。
──決戦地は学校、鷹穂高高校。
自分の望みを得られるかどうかどころか、そもそも生きて帰って来られるか怪しいところではあるが、倫太郎は覚悟を決める。
「……やってやるさ」
聖杯に託す願いを持つはずの
自分だけ他の参加者より周回遅れを食らったような感覚を感じつつも──だが少しだけ嬉しそうに、倫太郎は自転車に跨った。
【繭村倫太郎】
当主に相応しい魔術師を目指す過程で「自己」というものを極限まで押し殺したため、全ての行動を繭村の当主として相応しいものか、必要なものかどうかという観点から捉える悪癖がある。
かつては自分自身の願望や意思を少ないながら持っていたが、二年前に志原楓と決別したことで、彼はとうとう自己というものを完全に手放した。無色透明になった彼自身に残ったのは後悔だけ。
アサシンの言葉によって、倫太郎は自分自身をもう一度見つめ直し、「当主として」ではなく彼自身が望む願いを取り戻そうとしている。