Fate/crescent 蒼月の少女【完結】 作:モモのすけ
……私は、とある"憧れ"を糧に魔術師として生きてきた。
だが同時に、私の魔術師としての道には一つの鬱屈した感情が絡み付いている。思い出したくもないが、その過去の傷が、「志原楓」という魔術師を突き動かす一つのエンジンになっているのは確かだ。
──私は、繭村倫太郎という魔術師を憎んでいる。
それは蒸し暑い夏の日のこと。
忘れもしない、私がまだ中学校にいた頃の話。養子として兄を後継者にする目論見は潰され、私の魔術の成長は遅々として進まず、一向に晴れそうにない苛立ちと苦しみの中にいた頃。
最も、その葛藤は今でも私を苦しめているのだが──、
「………………」
私は今なお使っている黄色のリボンを揺らしつつ、夕焼け色に染まった道を歩いていた。遠くでうるさく蝉が鳴いている、その些細な雑音すら私の精神をきりきりと苛んでくる。
疲れからか耳鳴りと頭痛が酷い。鍛錬の後の手足は鉛をありったけ詰め込んだみたいに重く、まともに歩くのも億劫だった。
「明日も朝から地下室に篭って……今度は最初から、もう一度魔術理論の把握と……ちがう、そんなんじゃ……」
呟きながらフラフラと夢遊病者のように歩く。その目は虚ろで生気に欠け、私が疲労困憊している事は見るからに分かっただろう。
あの頃の私は何をすべきかも分からずに闇雲な訓練を繰り返していた。最も、そういった疲労や悲しみを隠して見栄を張る事だけは得意だったので、今まで家族に悟られた事はなかったが。
と、長い影が道路に落ちているのが見えて視線を上げる。
こちらに歩いてくる人影に、私の目線は吸い寄せられていた。
「アイツ…………」
あの赤銅色の髪は見覚えがある。この地を統括している魔術師の嫡子にして、稀代の天才と呼ばれている少年だ。
……確か名前は、繭村倫太郎。
彼の魔術回路の優秀さは時計塔でもちょっとした話題になる程らしい。元々繭村家は極東の大家として有名なのに、更にあんな優秀な後継者にまで恵まれたとは、天は二物をなんとやらという格言は嘘だったのだろうかと疑いたくなる。
「しても虚しくなるだけだ」と分かっていながら、私は彼と自分を比較するのを止められなかった。
片や優秀な後継者は得られず、不利益と悪評、侮蔑のみを受けて。
片や優秀な後継者を獲得し、名声と地位を磐石のものとしている。
「……………………っ」
苛立ちがますます募って、私はコンクリートの地面を睨み付けた。彼の姿を見ていると自分の惨めさが際立つような気がして、とても真正面から見てなどいられなかった。
唇を噛んで目尻の涙を堪えながら、顔を伏せて彼と足早にすれ違おうとする。どうせ他の魔術師と顔を合わせたところで好意的な反応なんて望むべくもないのだから、トラブルになる前に逃げるが勝ちだ。
だが運が悪かったのか。
とうとう連日の無茶な鍛錬で限界を迎えていた身体は、私の意思を無視して、その全てをぶつんと停止させてしまった。
「…………………え、ぁ?」
ぐらり、と視界が回る。まるで体を支える糸が寸断されたかのように、全身から力が抜けていった。
どしゃ、と道路に倒れこんで、そのまま指先一本動かせない。
喉から漏れるのは掠れた息だけ。筋肉は異様に痙攣して、全身からあり得ない量の汗が噴き出しているのがわかる。
当たり前だ。こんな暑い日に、空調もロクにない地下室で一日中夢中で身体を動かしていれば、当然熱中症だって発症する。
それにしても、倒れるというのは相当マズイ症状で、今すぐ救急車でも呼ばなきゃまずいんじゃ──なんて事を考えている意識も、次第に朦朧と消え失せていく。
「……? ──⁉︎ ──、──‼︎ ────‼︎」
ぼやけ始めた視界の中、倒れたこちらに駆け寄ってくる人影が見えた。
私の虚ろな目を覗き込んで何かを叫ぶ赤銅色の髪の少年。
その光景は、まるでいつぞやの焼き直しのように、ひどく見覚えがあるような気がして──しかしその瞬間、私の意識は完全に落ちた。
◆
「ぅ…………」
底なし沼から無理やり這い上がるような、酷い目覚めだった。
頭痛の残滓はまだ頭の中にこびりついている。体調は優れないと自覚できるくらいには酷いし、しばらくは身体を休める必要があるだろう。
「ここ……は……?」
頭の両側に異物感を感じて、のろのろと手をあげる。
首の両側に当てられる形で置いてあったのは、氷水を詰めたビニール袋だった。よく見ると脇には冷えたペットボトルが挟まれていて、さらに私はどこかの和室に寝かされているらしき事が理解できた。
身体を包むこの柔らかい感触は布団のものだ。
どこかで嗅いだことのあるような、優しい木の香り。開け放たれた障子から見える中庭には、酷く見覚えがあるような気がする。
だるい身体に鞭打って、起き上がる。ここが何処かは知らないが、礼を言うにしても家主を探さなければ始まらない──。
「……あのさ。あんまり無理しないほうがいいと思うけど」
と。
完全に見ていなかった方向から、そんな声が私に掛けられた。
反射的にぎゅんっ! と首を回してその声の主を見る。胡座をかいて畳の上に座り込んだ少年の髪は確かに赤銅色。そしてそんな髪色をした奴といえば、私に心当たりは一人しかいない──。
「あ、あ……アンタ、繭村倫太郎……‼︎‼︎」
驚愕と混乱がごちゃごちゃになりながら、私は布団を跳ねのけて勢いよく立ち上がった。そんな私と正反対に、彼は胡座をかいたまま一つ溜息を漏らしただけだ。
「そうか、ここは……繭村の家‼︎ どうりで見覚えがあると思った」
幼い頃。私は一人でこの場所に入り込み、酷い目にあったのだ。
その事件をきっかけに私は自分の劣等感を強く意識するようになり、同時に幼心に大きなトラウマを植え付けられた。今まさにその場所に立っていると分かり、身体も精神も成長したはずなのに、小さな子供の頃に戻ったかのようにガクガクと手足が震えてくる。
「っ……なに、こんなところに連れてきて、また囲んで私を痛めつけようって言うの。今度はそうはいかないんだから……」
じわりと脳裏に広がる恐怖を押し殺すために声を上げる。
だが、思い切り叫んだはずの声は、尻すぼみになって呟くくらいの声量にまで掠れてしまった。
「君、何か勘違いしてるだろ。そんな気はさらさらないし、君が突然道路のど真ん中でぶっ倒れたから介抱してやっただけだ。君に僕が睨まれる理由は何にもないと思う」
「──うるっさい‼︎ アンタも魔術師なんだし、どうせ何か目的があるんでしょう。わざわざ借りを作って法外な要求でもする気……⁉︎」
敵意の塊のような私を前にして、倫太郎は驚いているようだった。
なにを馬鹿な──私を
不機嫌そうに足を踏みならして、私は中庭に走り出そうとした。どこに繭村の魔術師がいるかも分からないし、一刻も早くこの場所から離れたかったので、塀を飛び越えて逃げようと思ったのだ。
が──病み上がりの足はまともに動かず、足をもつれさせて転倒する。
「あぐ…………このッ、なんで…………‼︎」
「ああもう、馬鹿か君は‼︎」
「え、ちょ、ちょっと、なに触ってんのよ‼︎ 身動き取れない女の子に乱暴するなんて最低、変態、セクハラ‼︎ ひひ、人呼ぶわよ⁉︎」
「黙っててくれへっぽこ、そういうトコが馬鹿だって言ってるんだ。今人を呼んだらマズイのは君の方だろ⁉︎ どうせ誰もいないけど、声は抑えてくれ‼︎」
よくよく考えればごもっともな言葉に、沈黙してしまう私。
「まず、無闇に動こうとしちゃ駄目だ。君の足はただでさえ筋肉疲労が溜まってるのに、無理に
ブツブツと文句を言いながら、ズボンを太ももまで捲りあげて的確に状態を調べていく倫太郎の姿を、私はぽかんとして眺めていた。
「……なんで、私を助けるのよ」
「君には大きな貸しがある。それを返したかっただけさ」
「貸し……? 私には覚えがないけど、アンタは……その、私の出自を知ってるんでしょ?」
若干俯きながら、私はその疑問をぶつける。
少ないが、今まで出会ってきた魔術師の中で、私の出自を知った上でまともに取り合おうとした魔術師はゼロだった。
皆例外なく私のことを蔑み、貶し、会話を拒絶した。
だからこそ不思議だったのだ。この
「君は……そっか、覚えてないか。あんな事があったんじゃ思い出したくもないだろうし、当然かな」
跪くように私の足を診ながら、倫太郎は目だけを上げて私の顔を見た。彼は少しだけ悲しげな表情を浮かべたかと思うと、その表情を無かったことにするかのように首を振る。
「……幼い時、僕は君と出会ったんだ。そん時は魔術師の規則も常識も何も知らなかったから、僕は君を家に簡単に入れてしまった」
「え……それは、確か──」
そんなことを言われても、あの時の記憶は混乱している。
幼い心に刻まれた暴力と侮蔑の傷が大きすぎて、その前後の記憶はそれに上書きされてしまったのだ。
「……僕が知っていたら、君はあんな酷い目に合う必要もなかった。僕の無知が、君の傷を作ったんだ。だから今度は助けるべきだろ。君の出身がどうとか魔術師がどうとか関係なく、ね」
呆然とする私に、彼はいたって真面目な顔で頭を下げると、
「あの時はごめん。──うん。今度は守れたみたいで、良かった」
そう言って恥ずかしそうに、けれど安堵したように頰を掻く少年の目に、敵意は全く存在しなかった。
私は何も言えずに、その綺麗な瞳を見つめる。私が知る魔術師といえば、保身的で身勝手で私の事を毛嫌いして高慢ちきでうんざりするくらい偉そうな奴らばかりだったのに、彼は例外だった。
──そう。この少年だけは、私を否定しなかったのだ。
◆
それから数ヶ月。
倫太郎は県外の中学校に進学していたので、私が彼に遭遇する機会はそうはなかった。しかしたまに会うたびに私たちは仲良くなり、機を見つけて魔術の手ほどきをしてもらうようになっていた。
……その発端は、私自身が倫太郎に弟子にしてほしいと頼み込んだ事にある。
両親は海外にいる事が殆どで、私は碌に指導も受けられない。
兄は当然ながら魔術を知らないのでどうしようもない。
独力の訓練に限界を感じる中で、私が意を決して倫太郎に魔術の手ほどきを頼んだのが数週間前。
私は初めて会った時の倫太郎の笑みに惹かれて、彼を信じたいと思ったのだ。当時の私はまだ十四歳であり、精神的な困憊が頼れる誰かを求めさせたのかもしれない。
だが、普通の魔術師なら、志原のような邪道の魔術師を弟子とするなど以ての外だろう。そもそも「弟子を取る」という行為には何らかの報酬が用意されるからこそ発生する。契約金、弟子を取ることによる名声の獲得、研究資金確保の足掛かりにする、繋がりを広げるなど。しかし私の場合、出せるお金は無いわ他魔術師に知られたら悪い噂になるわ、いい事は皆無で悪い事ずくめと言っていい。
しかしそれを承知の上で、倫太郎は簡単に私の頼みを受諾した。
「なんでそんな簡単にって? まあ、正直に言えば……君にはまだ貸しがあるし、君は放っておくには危なっかしいし。それに弟子をとるって、自分が少しは成長したような気がして個人的にも嬉しいんだよ」
照れ隠しかぶっきらぼうに言う倫太郎を見て、私は笑った。どうも倫太郎は過去のあの出来事に大きな罪悪感を感じているらしく、熱中症で倒れたのを助けたくらいじゃ少しも満足していないらしい。
──そんなの、こうして話してくれるだけでも充分なのに。
その頃には彼に対して感じていた劣等感は私の中から消えていて、週に一度くらいの彼の「講義」を心の底から楽しみに思うようになっていた。
「──要はさ、志原は魔力の引っ張り方が下手なんじゃないかな。もっとイメージを強固に……何か魔力と繋げられるようなイメージってない? 例えば僕なら胸に杭を打ち込むイメージを発端としてる」
「う、うるさいわねっ……そんなの、考えらんな……い⁉︎」
魔力が暴走しかかって、慌てて魔術回路の活性化を抑える。
志原に伝わる「徒手魔術」は「身体強化」を基にした魔術だ。強化の魔術で失敗すると対象物が耐えきれずに砕け散ってしまうように、徒手魔術も程度を見誤れば腕の筋繊維が断裂してしまう。
「ダメだ、やっぱり危険すぎる。志原はまず先に確固としたイメージを構築することから始めた方がいい。そうすれば格段に安定する」
「………理屈は分かるわ。けど、なんか偉そうで腹立つ」
「そりゃあ僕は一応君の先生なんだし当たり前じゃないか。これ以外にどうしろっていうんだよ」
むぐぐ、と言葉に詰まって沈黙する。彼の言葉は正しい。それでいて分かりやすく、私のどこが足りないのかを的確に指摘してくれる。
私たちがたまに集まるのは、大塚市西部にぽつんと佇む廃工場だった。彼は何とも思っていないようだったが、私との関係が露見すれば他の魔術師が騒いで問題になるのは間違いない。倫太郎はこの敷地内の端っこにあった倉庫を改良して簡易的な魔術工房に仕立て上げ、繭村の関係者から隠れられる環境を構築したのだ。
なんだか秘密基地みたいでよくない、こういうの──とかなんとか言って、隠しきれないほどはしゃいでいた彼の姿が思い出せる。
「あーもう、なんだか気がつまってきた。なんかやってよ、倫太郎」
「だから毎度毎度僕に無茶振りをするのはやめてくれよ……まあいいけど。これが終わったらイメージ構築だからな」
彼は私のリクエストになんだかんだと応じて、よく私が扱えないような様々な魔術を披露してくれた。
ライター大の炎を無数に飛び回らせたり、ただのハンカチを下敷きみたいに硬くしたり。私には出来ないことでも、彼が魔術を使うのを見るのは好きだった。
ごく稀にネタが思い浮かばない時、繭村の家に伝わる一家相伝の魔術──「熾剣術式」を見せてくれたこともあった。
その焔は暴虐的でありながら芸術品のように美しくて、あんな事が出来たらいいな、と何度も妄想したのを覚えている。それを言うと、彼は「君は君の得意分野を伸ばせばいいだろ。まあ、君は一つしか出来ないけど?」と言って意地悪く笑うのだが。
とはいえその言葉は他の魔術師による侮蔑とは違って、親しいもの同士が交わせるような冗談に近いものだった。
◆
「え? これ全部志原が作ったの?」
「当然でしょ。私、料理は上手いんだから」
「ふぅーん……むぐ……確かに美味しい……けどそのドヤ顔が鬱陶しいから美味しくないという事にしておく」
「どんな評価よ。先生が弟子に劣ってるのを素直に褒められないの?」
「いいんだよ、僕は黙ってても料理なんて女中さんが運んできてくれるんだから。君みたいに料理なんて面倒な事に時間を割く余裕は僕にはないの」
「はぁー⁉︎ どうせ半分引きこもりみたいなアンタの事なんだから鍛錬してないときはずっと部屋でネットしてんでしょ⁉︎ そんな奴に言われたくないわよ‼︎」
「こら、やめっ、すぐそうやって肉体言語に訴えるな髪の毛引っ張るなぁ‼︎ いつもいつも思うけど君はゴリラか? 頭ん中まで筋肉で出来てるんじゃないだろうな‼︎」
「……女の子に言ってはならないコトを口にしたわね、アンタぁ‼︎ こうなったら徹底的にシめて立場を分からせてあげる‼︎」
「僕は先生、君は弟子‼︎ 立場なんてとっくに決まってるだろーが‼︎」
◆
「……んで、こいつが火蜥蜴の幼体。繭村の家系は「火」を起源とする事が多いから、こういう被験体を何匹が保有してるんだよね。こんなの滅多に手に入らないんだぞ」
「うわ燃えてるじゃない。熱そう」
「………………ウン。燃えてる、熱そう、ね。君に魔術師らしい反応を期待する僕が馬鹿だった。今後気をつけることにする。魔術的価値に対して君にはリアクションを期待しない方がいいみたいだ」
「し、仕方ないじゃない。うちには魔術師とか魔術世界に関する教科書とか書物とか置いてないし、そういうのあんま詳しくないの。だから凄さがわかんないの」
「なんとなく察せるだろ⁉︎ ほらこの、いかにも神秘纏ってますよ感とか……」
「あ、こののぺっとした顔はかわいいわね。ウーパールーパーみたいで、ゆるキャラとかに向いてそう」
「はぁ……もういいや、今日も回路の調子の確認からね」
◆
──そんな調子で、楽しい半年が経った。
その頃になると、私は自分自身の変化に気づき始める。
魔力の引き出し方がぐんと効率的になり、失敗して筋繊維を痛めるような事も殆どなくなった。両腕どころか四肢に徒手魔術を安定して使えるようになり、私は廃工場の錆びついたパイプの森を縦横無尽に跳び回れるくらいに成長していた。
けれど、もう一つ。
魔術の上達などの外面的なものだけでなく、内面的な点においても私は変化していたのだ。
「────はら? 志原? 聞こえてるか?」
「ぁ……な、何? 今何してたっけ?」
「バカ。君の参考になるかなと思ってわざわざ家の書庫からエンチャント関連の本を選んで持ってきたってのに、君が聞いてなきゃ意味ないじゃないか。君、古文字は読めないんだし」
「ご、ごごご、ゴメン。……うん、続けて」
「たく、ちゃんと聞いといてくれよ。で、この箇所に図示されてる部分の記述なんだけど、志原の徒手魔術は「身体強化」の発展形で元より難易度が高いんだよね。なら、ここに書かれてる──」
「ひえ‼︎‼︎⁉︎⁉︎」
「‼︎‼︎⁉︎⁉︎」
その事故は突然として訪れた。
まず私が奇声をあげて突然跳ねるという無駄に高機動なリアクションを取り、それにビックリした倫太郎はひっくり返って倉庫の奥の棚に激突、結果としてそこに積まれていた本やら木刀やら試薬やらが雪崩となって私たちを呑み込んだのだ。
ドラガラガッシャーン、なんて音を遠くに聞きながら、頭に激突してきた魔道書の一冊を手でどかす。
すると、目の前には緑色のベトベトした試薬を頭からぽたぽたと垂らしながらこちらを睨んでくる倫太郎の姿があった。
「あのなあ……なんで君は最近いきなり奇声を上げるんだ‼︎ 今までは黙ってたけどこうなったらいい加減僕も我慢の限界というかなんというかとにかく怒るんだからな⁉︎」
「ち、違……違……わ、ないです……」
否定したかったが、どうも怒られるべきだという自覚はあるのでいつものように真正面から口喧嘩するわけにもいかず、私は唇を尖らせながら倫太郎が怒っているのをやり過ごした。
……倫太郎は私が突然奇声を上げる、なんて言うが、私のオーバーリアクションにはちゃんとしたきっかけがある。
問題はそのきっかけが、ちょっと肩が触れてしまったとか、そんな些細過ぎることだという事だろう。
最初は全くそうでもなかったのに、最近は気がつくと倫太郎の側にいるだけでむやみやたらと緊張するようになってしまった。必死で平静を取り繕おうとしているせいで、たまに意図せず急接近したりするとリアクションが暴発するのだ。
(参ったなぁ……なんでだろう)
観念した私は、中学校で同じクラスだった友達にそれとなく訪ねてみた。知り合いの男子といるとヘンな感じになるというか、ちょっとしたことで心臓が爆発しそうになるみたいなことを言ったのだ。
すると、向こうの女の子の反応は爆発的だった。
『それは恋だよ、恋に決まってるよ楓ちゃん‼︎ 今までそんな事は無かったってことは、初恋ってことでしょー⁉︎ そうかそうか、楓ちゃんが……』
『ちょ、ちょっと、やめてよ京子。そんなんじゃないって』
『いぃーや、絶対そうだもん。で? で? どうする気なの?』
それまで私は魔術の鍛錬ばかりしてきたせいで、"そういうの"には疎かったのだが──友達の助けもあって、私は自分がどういう感情を彼に抱いているのかを知ったのだ。
いや。本当は薄々自覚していたのに、あえて気づかないふりをしていたのかもしれない。
ただでさえ身を隠して時たま会うような関係だと言うのに、この想いを伝えてどうこうできる訳がない。私と倫太郎は、例えるなら奴隷とエリート貴族みたいなものだ。一般人としては同じ人間であっても、魔術師として全てが決定的に違ってしまっている。
『そんなの……告白とか、私には無理よ。私とアイツは生きてる次元が違うし、認められるわけが……って、あ、例え話ね。あはは……』
──そう言って、そこで諦めてしまえば良かったのだ。
──でも、私は……。
『イヤ‼︎ 恋は当たって砕け散れだよ楓ちゃん‼︎ さあさあ、そうと決まれば計画を立てないと。まずは──』
『ちょ、ちょっと京子、話聞いてた⁉︎ それに当たって砕け散れってどっちかというと男性側のモットーな気がするというか砕け散ったらいろいろまずいというか、ね? だから話聞いてよぉ……』
ウダウダ言い訳やら境遇の違いやらを遠回しに述べた私だったが、結局告白じゃなくていいからバレンタインに気合い入れたチョコくらい渡しなよ、という方針で固まってしまった。
幸いバレンタインデーが間近に迫った頃だったので、告白は流石に無理だからそれで勘弁して、と言い切ってしまったのだ。
それからは当然チョコ作りである。親友の京子がやたらと熱心に私の初チョコ作りに協力してくれたので、結果は失敗することもなく完璧と言っていいものが出来上がった。問題はチョコの型が四角とか星とかじゃなくてハート形ということだったのだが。
『う……こんなの私、やっぱりキャラじゃない気が……』
『そんなのだから男子から女子か男子か分からないみたいに言われるんだよ、楓ちゃんは‼︎ もう渡すって決めたんでしょ、なんで男の子が絡むと途端に気弱になるかなあ?』
『しょしょしょ、しょうがないでしょ⁉︎ 初めてなんだから‼︎』
『ンフゥ……やっぱり楓ちゃんはかわい……じゃなくて、ほら次はきちんと包装だよ。小さくていいからメッセージカードも』
『わ、わかった、分かったからぁ……』
そうして私は苦労して手作りのチョコをこしらえ、決戦の日に備えたのだった。文句を言いつつも何だかんだ完成させてしまったあたり、私も内心では乗り気だったのかもしれない。
来たるバレンタインデーは休日。同時に、彼と会う日でもあった。
──やけに寒い日だったのを覚えている。
その日は青空の見えない曇天。都合の悪いことに雨が降りそうな空模様だったが、隠し倉庫の中に入ってしまえば関係ない。
そんな事を考え続けていると、自転車で片道二十分の道のりは一瞬だった。
目立たないように自転車を廃工場の中に停める。彼の独特な色合いの自転車はもう既に置かれていたので、先に到着しているらしいことは一目で分かった。
それだけで、心臓が急激に跳ねるのを否が応でも感じ取る。
一歩を踏み出すごとにやっぱりやめようかな、なんて弱気が加速度的に膨れ上がってきたが、今更やめられる筈もなく。どうせ告白する訳じゃないし、そもそもまだハッキリ好きとかそういうのを認めたつもりはないし。
そんな言い訳を頭の中でエンドレスに繰り返していると、錆びついたパイプのトンネル前にまで辿り着いてしまった。この先には隠し倉庫があり、いつも私たちはここに集まっている。
たぶんこのまま飛び出しても何も言えずに無言でチョコを差し出すという、最悪な醜態を晒すんだろうなあ、と何処かで冷静な自分が告げているが、それを考慮できるほど私は落ち着いていなかった。
(うぅ〜っ‼︎ ええい、ままよ‼︎)
進退窮まった私は、決死の覚悟でトンネルを抜けて──、
その光景を、見た瞬間。
私の全身は不可解と困惑に縛られ、一歩も動けなくなった。
目の前には、轟々と燃え盛る焔が見える。熱された風が私の頰を撫でて、やけに気持ち悪い感触を残していった。
脳が理解を拒んでいるのか、燃えている不気味なオレンジ色だけがやけに網膜に染み付いてくる。
様々な思い出が詰まったあの倉庫は──二人だけの秘密だったあの倉庫は、しかし何らかの一撃によって完膚なきまでに両断され、今も激しい焔で焼かれ続けていたのだ。
そのような事をできる人間を、私は一人しか知らなかった。
目の前にいる倫太郎が手にした木刀は、その事実を無言で示している。
「な……なに、してんの」
声に出せたのは、ごく短いその言葉だけだった。
咄嗟に握り締めたチョコレートの袋を後ろ手に隠し、私は眼前の全てを否定したいように首を振る。
けれど、彼の目線はどこまでも冷酷に私を見つめていて。
頰に水滴が落ちた。地面にいくつか染みを作った雨粒はすぐに激しくなり、私と倫太郎の身体をくまなく濡らしていく。
「──────終わりなんだよ、志原」
「は、はぁっ⁉︎ なに言ってんのよ、なにが終わりだって──」
「気が付いてるだろう。君は本来、僕と関わっちゃいけない存在だ」
その言葉を聞いた瞬間、私は目の前が真っ暗になった気がした。
"関わっちゃいけない"──そんなこと、とっくに二人とも承知の上だった筈だ。それなのにどうして、なんで突然としてその言葉を持ち出すのか。全てを裏切られたように思いながら、しかし愚かな私は、それをどうしても認めたくなかった。
「は、はは……冗談きついわね……ほんと。もう、こんなに壊しちゃってどうすんの? ねえ、これから直すんでしょ? 今までみたいにすごい魔術を見せてくれて、そしたらまた──」
「今日で終わりなんだよ、志原。昨日、僕に繭村の魔術刻印が受け継がれることが決定した。これから本格的に繭村の魔術師としての修練が始まる。もう君みたいなのに付き合ってる暇はない。
「そん、な」
倫太郎は手にした木刀をしまうこともせず、私の横をすり抜けていく。
──嫌だ。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。
待って、せめてもう少しだけでいい。
しようと決意したことも為せず、初めて好きだと思えたひとに裏切られて終わるなんて、そんなの──。
「や、やだ……いやよ……お願い、そんなのって……‼︎」
遠ざかっていこうとする背中は見慣れている筈なのに、ひどく遠く見えてしまった。
憧れていた。信頼していた。──たぶん、初めて魔術師として純粋に接してくれた時から、もう好きだったのだ。
だが、その想いは全て、彼がかつて否定したはずのものによって無駄になろうとしている。抱いていた感情全てが叩き潰され、ズタズタにされて、どこまでも崩れていく。
ここで彼を留めなければ私はどうなるかわからない、という恐怖心がぞわりと這い上ってきたのに抗わず、私は反射的に手を伸ばした。
「近寄るな‼︎‼︎‼︎‼︎」
──それは、凄まじい感情とともに放たれた一言だった。
一閃。焔の残滓が目前で舞った。彼の木刀が焔を纏って振り払われ、私の鼻先でぴたりと止まっている。
燃え滾る刃先の威圧感と熱さに圧されて、私は硬い地面に尻餅をつく。彼が武器を抜いて私に向けたという衝撃も強かった。けれど何よりも一番心に突き刺さったのは、たった五文字の彼の言葉だった。
こちらを見下ろす目線に、かつての優しさなんて残っていない。
むしろ激しい嫌悪の表れなのか、倫太郎は歯を食いしばってこちらを睨みつけている。
「…………………………最後の、警告だ。二度と僕に関わるな」
そうして、彼は二度とこの場所に現れなくなった。
──単純な話だ。結局、彼も他と同じ魔術師だっただけ。
チョコレートの袋が地面に落ちる。くしゃり、という乾いた音は、まるで自分の心が完全に折れた音をそのまま表したかのようだった。
──ああ、もう、終わったのだ。
私の初恋は、粉々になって終わった。惨めに終焉を迎えた。
振られたならいい、遠回しでもいいから想いを伝えるだけでよかったのに──そんな些細な事すらも、倫太郎と残酷な現実は許してくれなかった。ただ魔術師としての生まれが悪かったという事実だけで、しかしどうしようもない事実を盾に、彼は私を否定してしまった。
「……は、は。ふふ、はは、あははははははははははっ‼︎ どうしようもない馬鹿ね、ほんっと‼︎ なにいい気になってんのよ、
──ああ、愚かだ。
彼を勝手に誤解して信じ込んで、挙げ句の果てには恋までして。
馬鹿なことを。志原は穢れた一族であり、魔術師である以上その存在を許容することはできない。それでも話してくれる
だがその都合の良さを信じ込んだ挙句、私はさらにその先を妄想しようとした。その一歩として、この、今やただのゴミになったチョコレートを握りしめて胸を躍らせていたのだ。
──ああ、本当に、愚かだ。
自分の馬鹿さ加減をひとしきり笑ってから、私は無理やり笑顔のまま帰ろうとした。けれど足は帰るどころか、ぐるっと回って燃え続ける思い出の残骸の方に向いてしまう。
「はは、はははは……うっ⁉︎」
足元のパイプに引っかかって転ぶ。よく見ていれば難なく避けられるはずなのにどうして、と考えて、そもそも視界が滲んでほとんどなにも見えないことにようやく気がついた。
もう、起き上がる気力もない。
こうして倒れたまま燃え盛る残骸を眺めていると、どうしようもなく、かつて彼と出会った日に逆戻りしたような気がした。
結局私は惨めな魔術師もどきのままで、倫太郎は決して手の届かない、私が憎む魔術師のまま。
"オマエは、誰にも理解されない"
思い出だったモノを燃料にして燃え続けている炎が、私にそう突きつけてくるような気がした。やめて、やめてよ、やめてください、と口の中で懇願しても、たった今起きた決別という名のナイフは止まる事なく、私の心を滅茶苦茶に切り刻んでバラバラにしていく。
「う……うぅっ……うわああああああああああああああ……っ‼︎‼︎」
ああ、最初は笑って誤魔化そうとしたのに、これじゃ無駄骨だ。涙はどんどん溢れて嗚咽は止められないし、もうそれを止めようと努力する気すら起きない。
ただ、身が裂かれるくらい悲しかった。
降りしきる豪雨が彼の炎を消し尽くすまで、私は呆然と思い出の炎を眺めて涙を流し続けた──。