Fate/crescent 蒼月の少女【完結】   作:モモのすけ

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三十九話 倫太郎と楓/Other side

 ……トントン、と上靴の先で床を叩く。

 

駆動開始(セット)

 

 その詠唱(ことば)を唱えた瞬間、志原楓の身体は変革される。

 魔力回路が全力で励起し、四肢の末端に至るまでを唸るような魔力の熱が包み込む。

 基本骨子、構成材質。それらを解析する必要はない。

 元より己の身体だ、その構造なんて頭に叩き込んでいる。あとはその構造の"空き"の部分に、余す事なく魔力を叩き込めばいい。

 

全工程(オール・シークエンス)完了(クリア)──‼︎」

 

 身体がヘンに帯電したような感覚。腕も足もずっと軽く、身体に翼が生えたような高揚感が駆け巡る。

 特に志原の「徒手魔術」は特別製だ。

 単純な筋力強化だけではなく、瞬発力、耐久力、更には運動神経と感覚神経の伝達速度さえも飛躍的に引き上げる。難度が強化の中でも最難度とされる「他者の強化」並みになる代わりに、人外の領域に少しだけとはいえ足を踏み入れる奇蹟である。

 繭村倫太郎と志原楓は廊下のど真ん中で相対したが、先に動いたのは楓だった。

 身体は低く。数メートルの距離を弾丸のように駆け抜ける疾駆。

 

「…………っ‼︎」

 

 倫太郎が構えた木刀を防御に回すのと、風を纏って放たれた楓の拳が炸裂するのはほぼ同時だった。

 硬い、金属同士がぶつかり合う反響音が人のいない校舎に響き渡る。実際楓の拳は鋼鉄並みの硬度を持つし、倫太郎の強化木刀もそれに準ずる硬度を誇っていた。

 倫太郎はその勢いに押されるように後退。

 楓の方には"退く"なんて選択肢はとうに無い。倫太郎という魔術師が自分からやって来て戦おうとする以上、彼に対する胸を焦がすような憎悪を拳に乗せて叩きつけるだけだ。

 

「ふッ、たぁっ、りゃっ──‼︎」

 

 魔術師としての力量は倫太郎の方が上回ってるが、戦況は圧倒的に楓に傾いている。

 やはり躊躇して剣を振り切れない倫太郎に対し、楓の拳に躊躇などあるわけがない。隙あらば頭を粉々に潰すという気概で、楓は流れるように突きを放っていく。

 

「つ゛──ぁ‼︎」

 

 渾身の力で木刀を振り払って、倫太郎は半ば無理やりに距離を取った。

 

(くそ、やっぱり斬れない……僕には無理だ‼︎)

 

 魔術への嫌悪感に似た、とてつもない拒否感情が倫太郎の動きを縛っている。彼女を殺めるという事実は想像する事すら恐ろしい。

 

(剣が振れないのも、僕の心が弱いからか……⁉︎ 責務を貫き通す覚悟もできない、魔術師として勇気のない三流だから、人を手にかけるのが怖いのか⁉︎)

 

 ──これは、二年前と同じだ。

 手にした木刀は鉛を詰め込んだように重く、魔術回路は錆び付いたようにその機能を拒否しようとしている。この葛藤に似た感覚を感じたのは二年前、自ら思い出に剣を振り下ろした時以来だった。

 ──あの時、あの曇天の日。

 倫太郎はあまりに自分を殺し続けてきたせいで、自分の願いと責務が衝突した時、どちらを優先すべきかが分からなかった。そして挙げ句の果てに、どちらも(・・・・)叶えようとして失敗した。

 その選択の代償は、今こうして己に向けられる楓からの憎悪という形で現れている。

 

(違う。アサシンが言ってただろ……魔術師としてって考えは捨てろ‼︎ "僕自身"が何をしたいのかを考えろ、僕も一人の人間なんだ‼︎‼︎)

 

 アサシンの言葉から分かったことは一つだ。

 いまの繭村倫太郎に足りていないのは、「自分が何を為したいか」という願いだ。それは望みと言い換えてもいい。

  そして今この瞬間に、繭村の魔術師としての責務に背き、剣を振り下ろさないことを望む自分がいるという事は──。

 

(とりあえず……僕自身の願いは、「志原を斬らない」ことに他ならない……‼︎)

 

 この瞬間、倫太郎は始めて自分の決断を「繭村の魔術師としての判断」より完全に優先させた。

 親が目上の社長よりも子供を先に庇うが如く、普通の人間にとっては当たり前の行為。けれど役割と責務しか教えられてこなかった少年にとって、この行為はとんでもなく禁忌に近いものだ。内心では繭村の先祖やら父やらに謝り倒しである。

 まあ、最初の理解としては、十分かな……とアサシンなら言うだろうが、そんな事を拳をいなすのに必死な倫太郎が知る由もない。

 

「──このっ、スカタン‼︎ なにさっきから避けてんのよ‼︎」

 

「痛いのが嫌だからに決まってるだろ⁉︎」

 

「アンタの意見は聞いてないから大人しく殴られなさい──よっ‼︎」

 

 楓は一段と低く腰を落とすと、一拍の溜めを置いて凄烈な正拳突きを放った。その威力は連突きなどとは比べ物にならず、木刀越しだというのに倫太郎の身体が宙に浮く。

 みし、と肋骨が軋む音と、楓の足裏が獰猛に唸る風切り音。

 聞き取れたのはそこまで。危険信号が突き抜けると同時、楓の回し蹴りが宙に浮いた倫太郎の後頭部に突き刺さった。

 

「ガ────っ、あ゛⁉︎」

 

 位置を入れ替わるように吹き飛ばされる。

 倫太郎は床を転がりながら、跳び上がって蹴りを決めた楓は羽のように廊下に降り立つ。勢いよく倫太郎は振り返ると──、

 

「速っ……‼︎」

 

 姿を捉えた瞬間には、もう既に楓は距離を半分ほど詰めている。

 思わず木刀を構えて衝撃に備える倫太郎だったが、あろう事か彼女は倫太郎の横を何もせずにすり抜けていった。予想外の行動に呆気にとられ、姿を目で追う倫太郎の視界に飛び込んできたのは──、

 

 ピンの抜かれた、手榴弾だった。

 

「ウソだろっ……⁉︎」

 

 すれ違いざまに手榴弾を置いてったあの爆殺魔ヤロウこと志原はとうの昔に距離を取っている。

 直後。鷹穂高(たかほだか)高校の廊下で、投擲された手榴弾が起爆した。窓ガラスが砕け散り、白煙と轟音が狭い廊下の中を蹂躙する。手榴弾から飛び散った破片は教室の壁に突き刺さり、無残な光景を晒していた。

 

「…………死ん、だ?」

 

 落下する破片がパラパラと音を立てる中、楓は白煙がたなびく廊下の奥を眺める。

 あの距離ではとても回避はできなかったはずだ。

 その声は憎っくき相手を仕留めたにしては大して嬉しげな感情が篭っていないというか、むしろどこか悲しげな声色だったが、本人はそれに気付かない。

 

「結構高いのよ、これ……あの距離じゃまず即死、ね」

 

 言葉を途切れさせながら、楓はなぜか震えそうになる声を無理にこらえて爆散したであろう倫太郎の姿を探した。

 ──が、その姿がない。

 白煙の向こうに飛び散るはずの血痕はなく、当然倫太郎の死体も確認できない。楓がふと視線を下げると、そこには綺麗な円形に斬られた穴がぽっかりと開いていた。

 

「ま、まさかあいつ……‼︎」

 

 穴を通って階下へ軽やかに飛び降りると、倫太郎は意外にも少し離れた場所で楓が来るのを待っていた。

 先程から戦う気が無かったようだから、逃げて当然だと思っていたが。

 

「志原。君に聞きたいことがある」

 

 ……倫太郎の雰囲気が、変わった。

 目の前の気配がどこまでも細くなっていく。細く鋭く、まるで一本の剣のように研ぎ澄まされる。

 

「僕は……君を斬りたくない。けど繭村の魔術師として生きるなら、僕は君を斬らなくちゃならない。武家の末裔たる繭村の家は、敵を斬り殺すことでその刃の精度を高めてきたからだ」

 

 楓は怒りで沸騰しそうな頭が、冷水を浴びせられたように冷えていくのを感じていた。

 今の倫太郎は──たぶん、一つの刃だ。

 繭村の秘奥に最も近づいた少年が纏う気迫は、既に老練の達人の域にまで達している。そして彼自身、未だ自分自身の意思と責務のどちらを取るかを迷っている。

 この状況で踏み込めば──二年前のように倫太郎は反射的に思考に染み付いた責務を遂行し、敵対者(かえで)を斬るだろう。

 

「二年前、僕は君の知っての通りに責務を優先させた。僕にとってそれだけが存在意義だったからだ。けど、その時の後悔だけが、今も消したはずの自分の奥で燻ってる」

 

 倫太郎の目にはまだ迷いがある。

 自分の願いを見つけろと言われても、そもそも自分自身を押し殺し続けてきた少年には難しい命題だ。

 

「どっちをとるべきなんだろう、僕は。都合がいいとは思うけど、君ならどう思──」

 

「この、ばかやろ────ッ‼︎‼︎‼︎」

 

 めきょ、という音とともに、倫太郎の顔に楓の拳が深々とめり込んだ。

 「ふげら⁉︎」なんて悲鳴をあげてぶっ飛ぶ倫太郎を冷たい目線で見下ろしながら、楓は上靴で倫太郎の頭をゲシゲシと踏んづける。

 

「痛い痛い痛い‼︎ やっぱ対話に応じる気ナシか⁉︎」

 

「バカね、私がその気なら今のでアンタの頭はトマトみたいに破裂してたわよ‼︎ 叱ってあげる気があるから強化抜きで殴ったんじゃない‼︎」

 

「た、確かに……硬くない、普通の拳だ」

 

「いい倫太郎、ほんっとぉーにつまんないこでウジウジ迷ってるみたいだから私が言ってあげる」

 

 馬乗りになった楓は倫太郎の襟首を掴むと、若干腫れた彼の顔をぐいと近寄せる。

 さっきから聞いていれば、コイツはそんな事で迷っていたのかと楓は苛ついた。自分が望む選択すらできなかった倫太郎にも腹が立つし、まずそんな奴になるしかなかったコイツの周囲にも腹が立つ……‼︎

 

「──アンタの生き方は酷く(いびつ)よ、倫太郎」

 

「僕が……歪んでる、だって?」

 

「ええ。人間ってのはね、本来自分がしたいように生きるものなの。そりゃあ他人に迷惑をかけるような事は自重するし、規則を破れば罰を受けるわ。でもね、その縛りを受けない範囲だったら、人間は自由であって然るべきなのよ」

 

 倫太郎の目を正面から見て、自分の言葉を叩きつける。

 散々ぶっ飛ばしたいくらい怒っているのに、なぜか思考は落ち着いていた。

 

「それが、その自由がアンタにはない。魔術師にしてもあんたのその生き方は狂ってるとしか思えないわ。だって意思を、自己を封殺して役目に生きるなんて、そんなのロボットと変わらないじゃない‼︎」

 

 倫太郎は無言のまま、楓の言葉を受け止める。

 

「岐路で迷って、それでも結局自分の意思を選べないのは、誰でもないアンタのせいよ。自分が今まで信じてた生き方が間違いだって否定する勇気がないから今までと同じように行動しちゃうだけ。でもそれじゃあダメなんでしょ、アンタは二年前のことを悔いてるんでしょう⁉︎ じゃあ学習しなさいよバカ、アンタは自分がしたいように生きろっての‼︎」

 

「……それでも。正規の魔術師じゃない君には分からないかもしれないけど、僕は繭村の魔術師だ。自分は極限まで封殺して、可能な限り役目に徹するべきなんだ……‼︎」

 

「口答えするな、頑固者ぉ‼︎」

 

「げぶ⁉︎」

 

 楓に思いっきりビンタを受けて、内心で「何だかんだ暴力で言い聞かせるとはなんてひどい奴だい」と思いながら沈黙する倫太郎。

 

「楽しそうじゃなかった……」

 

「……?」

 

「あの隠れ倉庫で自分の家の魔術について語るときだけ、アンタはいっつも楽しそうじゃなかった‼︎ ずっと何かに耐えるような、そんな表情ばっかりしてたの気が付かないの⁉︎」

 

 楓はぼんやりと、思い返したくもなかった過去の光景を脳裏に蘇らせる。

 かつて倫太郎が自分の前から姿を消した時、彼は歯を食いしばってこちらを睨んでいた。あれは激しい嫌悪と敵意の表れで、倫太郎も完全に志原を差別する他の魔術師と同一になってしまったのだと思っていたが──、

 

「もし……あの時のアンタが、相反する意思と責務の板挟みで苦しんでいて、結局責務の方を選んでしまったんなら。そしてアンタが、あの選択を悔いているんなら──‼︎」

 

 楓は手を離して、倫太郎の目をもう一度覗き込む。

 綺麗な瞳だ。他の魔術師と出会った時には絶対に楓に向けられない、澄んだ色がそこにはある。ならば──、

 

「今度は私が決めてあげるわよ‼︎ アンタは自分のしたいように生きなさい、倫太郎──‼︎‼︎」

 

 その一言は、倫太郎の精神を構築する芯のにしかと響き渡った。

 ──自分のしたいように、だって?

 そんな事は今まで考えた事すらなかった。

 けれど、自分はそれを無意識に行ってきた事があったのではないか──かつて路上でぶっ倒れた彼女を目にした時、自分が何かを考えるでもなく、そうすべきだと思ったから彼女を助けたように。

 

「………………僕、は」

 何か、馬鹿な思い込みを、していたような。

 首を振ってその違和感を突き止めようと試みていると、楓は馬乗りになっていた姿勢からスカートをはたいて立ち上がった。

 

「……その目を見るに、アホでマヌケなアンタも何となく理解できたみたいね。まっとうな人間の考え方ってやつが。で、「倫太郎は」これからどうしたいの? まだ私と戦いたいと思う?」

 

「……いや、全く思わない」

 

 その言葉にひとまずは満足したのか、楓はさも満足げに頷く。

 なんだか戦うというような雰囲気ではなくなってしまったものの、楓はけろりと表情を変えて倫太郎に嫌な笑顔を浮かべると──、

 

「まぁ、私はこれから倫太郎を倒すけどね?」

 

「な……なんでだよ⁉︎」

 

「だって私には叶えなきゃいけない願いがあるもの。聖杯を奪る以上はいてもらっちゃ困るし、参加者は当然倒すわよ」

 

「うーん、よし、逃げよう。僕は逃げる。三十六計逃げるに如かず‼︎」

 

「あ、待ちなさい‼︎」

 

 脱兎の如く走り出した倫太郎を追って楓がスタートを切ったあたりで、彼女は表情を曇らせて足を止めた。

 

『……楓ちゃん、聞こえるか⁉︎』

 

 魔術的な経路を通じて、楓にキャスターの声が念話で届いたのだ。倫太郎の方にもアサシンから念話が繋がったのか、何事かを倫太郎は答えている。

 それに倣って、楓も突然脳内に響いてきたキャスターの声に耳を傾ける。ちなみに念話は高度すぎるので楓にはできず、故に彼女とキャスターの念話はいつも一方通行である。

 

『理由は話してる暇ない……‼︎ そっちの状況がどうかは分からんが、今すぐその場所から離れるんや‼︎‼︎』

 

 キャスターの声はやけに緊迫している。どんな時ものらりくらりと立ち回る柳のような印象の彼がそこまで焦るとは、正直楓は想像すらしていなかった。

 

『マスター……今すぐ、逃げて……‼︎』

 

「逃げろって……いや今まさしく逃げる気だったわけなんだけど。アサシン、そっちで何が起きてる⁉︎ そもそも一体何から逃げろって言」

 

 そのまま念話を続けている余裕はなかった。

 ぞわり、と。倫太郎の全身を悪寒が襲う。

 魔術師としての本能か、刻まれた魔術刻印が残り続けようと主に危機を伝えたのか。ともあれ数瞬後の「死」を悟った倫太郎は、ほぼ反射的に駆け出していた。

 早く。一歩でも早く──躊躇えば終わる。

 窓に黒い巨影が映る。だが倫太郎はそれに目も寄こさず、突撃する倫太郎に驚いた様子の楓だけを捉えていた。

 

「え、何──⁉︎」

 

 困惑する楓の身体を抱きかかえて、直後。

 

 ──大きな校舎全体を揺るがして、一つの暴威が落下した。

 

 「それ」は校舎横のグラウンドから跳躍して倫太郎たちがいる二階まで肉薄したのち、窓どころか壁そのものを吹き飛ばして突っ込んできたらしい。

 ロケット弾を撃ち込まれたよりも酷い衝撃と破壊があった。窓ガラスは飛び散り壁の破片は反対側の壁に突き刺さり、煙が巻き上がって何者かの正体を包み隠す。

 だが──この場の二人は全身で、放たれているだけで粉々に潰されてしまいそうな威圧感を感じ取っていた。

 

「志原、君も生きてるな?」

 

「私は……なんとか。ごめん、助かった」

 

 二人して廊下を転がったお陰で、彼らは間一髪すり潰されるのを避けていた。

 少しでも遅れていたら、おそらく煙の向こうに見えるシルエットの下で二人仲良く挽肉になっていただろう。だが楓が感謝の言葉を吐く暇すらなく、そのシルエットは自ら姿を現した。

 

「………………‼︎‼︎」

 

 恐怖の表れである微かな吐息は、一体どちらのものだったのか。

 変わり果てている(・・・・・・・・・)

 二人とも目の前の敵の元の姿なんて見たことない筈なのにそう感じてしまうほど、その敵影は酷く狂っていた。

 まず二人を圧倒したのは、その尋常ならざる巨躯だった。身長は悠に二メートルを超え、学校の低い廊下では頭が擦りそうだ。

 だがそれは、その巨人の異質さの前には、どうでもいい外見情報に過ぎなかった。人を超越した巨躯、丸太と見紛う筋肉隆々の四肢、それら全てが黒いナニカに穢されたように覆われている。もはや奴には目も鼻も口もなく、判別できるのは殺意に燃える赤い両眼のみ。

 

 ──────死、ぬ。

 

 二人は言葉を交わす必要すらなく、それを一瞥した瞬間に理解していた。

 一秒後、五秒後、僅差はあれ間違いなく自分たちは殺される。あの巨人が手にした斧剣が台風じみた勢いで振るわれれば、倫太郎と楓の上半身はグチャグチャに潰れて跡形もなくなるだろう。

 絶望と、恐怖と、不可解があった。

 逃走は不可能。逃げきれずに死ぬ。

 抗戦は不可能。歯向かっても死ぬ。

 降参は不可能。武器を捨てても死ぬ。

 彼らはこの瞬間、どう足掻いても詰んでいる。

 二人のサーヴァントがいれば抗戦も撤退も視野に入るだろう。だがこの場所にサーヴァントは存在せず、離れた場所で交戦していたであろう彼らがここに駆けつけるのにどれほどの時間を要するかは不明だ。

 令呪を使って呼ぶことを考える──却下。

 サーヴァントをこの場所に瞬間移動させたとて、どれほど歴戦の英雄であろうと自分が意思に反して転移すれば転移後の状況把握に僅かな時間を要するだろう。その隙にサーヴァントを潰されれば、今度こそ生存の道は途絶える。

 

「志原──」

 

 倫太郎は絶望に屈しそうになる膝を叱咤しながら、

 

「やるぞ」

 

 そう、僅かな言葉を呟いた。

 黒い巨人が弾け跳ぶまでの僅かな時間に、倫太郎が言えたのはそれだけだったのだ。

 戦ったところで勝ち目はない。だが背中を向ければば更に勝ち目が無くなる。

 ──つまり、彼らにはただ幸運を祈る事しかできない。

 二騎のうちどちらでもいい、サーヴァントが間に合えば辛うじて二人は生き延びられる。その「間に合う」という奇跡を願う他ないのだ。

 だが前提として、このまま突っ立っていては恐らくどちらのサーヴァントも間に合わない。間に合わないからこそ、二人の全力を賭して時間を稼ぐしか道はない──‼︎

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■‼︎‼︎‼︎」

 

 次の瞬間、巨人が動いた。

 倫太郎の言葉の真意が楓に伝わったかどうか、それすら曖昧なままだったが、倫太郎は全霊であの巨人を押しとどめるしかない。

 

「剣鬼──抜刀‼︎」

 

 やる事は単純明快。

 次の一撃、この一刀に全ての余剰魔力を乗せて焔を放つ。

 あれ程苦しんでいた魔術への嫌悪感が──すっかり無い。

 極限状態に追い込まれたからか、それとも別の要因が存在するのか。その謎に気付く余裕すらなく、倫太郎は全身の魔術回路をコンマ数秒で最大速まで加速させる。

 廊下の狭さが幸いし、動きを遮られたバーサーカーの到達よりも倫太郎の剣が閃く方が速かった。廊下の全範囲を燃やし尽くす程の焔が木刀を中心に巻き起こり、猛然と牙を剥く準備を整える──‼︎

 

全魔力(セット)──集中(コンセントレート)完了(オールクリア)‼︎」

 

 同時に楓も、余剰魔力の全てをその右腕に叩き込んでいた。

 筋肉が不自然に膨張し、許容量オーバーの魔力に右腕の神経が激痛に叫んだ。だがその痛みと悲鳴すら無理やり押し殺して、迫り来る巨人を睨みつけ、楓はその右拳を振り上げる──‼︎

 

 ──勝敗は誰がどう見ても明白だった。

 

 倫太郎の一撃は頑強な巨人の肉体に激突した瞬間に霧散し、彼はそのまま巨人の突進に轢き潰されて絶命しただろう。

 楓の右腕は巨人に当たった瞬間へし折れ、反撃で振るわれた斧剣が彼女の胴体を容易く両断していただろう。

 それは自明の理だ。二人だって理解している。

 だから彼らが魔術の矛先を向けたのは巨人ではなく──、

 

「「墜ちろ‼︎‼︎‼︎」」

 

 その下。

 倫太郎はバーサーカーの足元めがけて木刀を振り払い、それに追従する火焔が痛烈な勢いでバーサーカーの足場に激突した。

 だが足りない。床に亀裂が入ってバーサーカーは軽く足を取られたが、倫太郎の魔術が得意とするのは「切断」だ。粉砕には向いていない。床が陥没するより早く、巨人は二人の元へ到達するだろう。

 ──だが。

 

「はぁぁぁぁ──っ‼︎‼︎」

 

 志原楓の拳は、たとえ相手が岩であろうと粉砕する硬度と威力がある。その魔力を右腕に集中させるのには若干時間を要したが、その隙は倫太郎が受け持った。

 あとは単純、今度は足元に渾身の一撃を楓が叩き込む。倫太郎の比ではない量の亀裂が廊下の端まで走り、それを確認したと同時、二人は全力を振り絞って後退した。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■────‼︎」

 

 巨人が怒りの咆哮と共に突っ込んでくる。唸りを上げて廊下を踏みしめ、走り、暴風の如く倫太郎たちに肉薄し──楓が穿った一点を踏み抜いた瞬間、ついに廊下が不気味な音を立てて崩壊した。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■────ッッ‼︎」

 

 連鎖的に崩れて行く廊下に、その巨人は巻き込まれていく。

 

「よしっ‼︎」

 

「バカ止まるなっ、あんな子供騙しじゃ──」

 

 憤怒の巨人は下階に落ちてなお、その進軍を止めようとしない。

 巨人の自重で空いた大穴から、倫太郎の身体くらいはあるであろう巨大な斧剣が顔を覗かせる。その荒削りな切っ先は迷う事なくこちらを見据えていて、倫太郎は息を呑んだ。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■──‼︎‼︎」

 

 轟、と空気が震えた。

 咆哮と共に巨人が走る。当然、巨大な斧剣を廊下の穴から覗かせたままで。

 廊下を掘削機の如き勢いで削り潰しながら、石塊の巨刃が迫ってくる。その光景はまるでホラー映画のサメの背びれを連想させたが、ここは陸だしアレは巨大鮫の数百倍は恐ろしい化け物だ。

 

「っ‼︎」

 

 今から走ったんじゃ間に合わない。横っ跳びに避けようにも、巨人はあろう事か廊下の天井そのものを粉々にする膂力を持っている。

 斧剣に削られた床はたちどころに崩れ落ち、八つ裂きにされるのをなんとか回避できても、その後はバーサーカーがいる階下に放り出されることになるだろう。

 

「倫太郎、私が令呪を──」

 

 切羽詰まった楓の声に、倫太郎は唇を噛んで考えようとする。

 間に合うのか。令呪が発動し、サーヴァントが顕現し、サーヴァントが状況を把握し、迎撃する。それだけの猶予が果たして残っているのか、そもそもこの考えた時間が致命的なのでは──⁉︎

 

「二人とも、お疲れさん」

 

 声が、聞こえた。

 ふわりと二人の前に降り立った男は、迫り来る破壊の嵐を前に少しも臆さず──、

 

「式神跋祇、現世(うつしよ)縛り」

 

 ほんの僅かな詠唱を以って、天才は対価に見合わぬ奇跡を成す。

 前方の空間が固定され、舞い散る瓦礫も含めてバーサーカーらしき巨躯の周囲が完全に"閉じた"。一瞬で物言わぬ標本と化した狂戦士を前に、陰陽師は軽やかな足取りで着地する。

 

「ちっ──こいつぁ相当やぞ、楓ちゃん‼︎」

 

 だが、その戒めは僅か一秒ともたなかった。

 天才の技巧を、暴威は尋常ならざる膂力という純粋な力量で上回る。再び黒い旋風が渦を巻き、鉄筋コンクリートの校舎をスポンジか綿きれのように裁断していく。

 

「逃げることは、できない。こいつは……ここで、倒さなくちゃ……大きな被害が、でる」

 

 少し遅れて駆けつけたアサシンが呟く。その手に握られたナイフの輝きは頼もしいが、目の前の暴威の前には霞んでしまいそうだ。

 

「あの巨人が何かは知らないけど……その通りだ。アイツはここで食い止めなきゃならない」

 

 高校の周りは三方が住宅街。残る一方には雑木林が広がっているが逃走に使えるほど広くはない。下手をすればあの巨人が住宅街に飛び出し、家々を文字通りに薙ぎ倒していく光景が広がるだろう。

 それは正義に憧れたアサシンにとって最も唾棄すべき展開であり、倫太郎も同じ考えだった。

 

「……けど」

 

 ──アレを。あんなのを、本当に、倒せるのか?

 

 あんなのをたったサーヴァント二騎程度で相手にしていいのか。

 あれはそもそもサーヴァントではなく、もっと異質で強力な何かなのではないか──。

 その弱気な言葉と考えを飲み込んで、倫太郎はサーヴァント二騎を前にしても全く臆する様子のない巨人を睨む。きっと力を合わせれば奴に勝てる筈だと、今はただそう信じるしかなかった。

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