Fate/crescent 蒼月の少女【完結】   作:モモのすけ

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第四話 魔王さま、キレる

 夕方と夜の境界と言える曖昧な時間。夕日の残滓に映える蒼髪を揺らす少女と、公園の中心で相対する。

 殴られた頰はじんじんと痛むが、色々と状況がしっちゃかめっちゃかで気にならない。ともあれ確認から入ろうかと、俺は口を開いた。

 

「せ、セイバーって名前でいいのか、お前?」

 

「む。こちらが名を明かしたのですから、そちらも名乗るのが先ではないですか」

 

 非常識の塊みたいな奴に至極真っ当なコトを言われ、俺は思わず狼狽して──、

 

「…………志原、健斗」

 

 結局、無愛想に名前だけを告げる。焦ったり気恥ずかしくなると無愛想になるのは生まれつきで、今更どうしようもない悪い癖だ。が、当の彼女はさして気にした様子もなく、

 

「そう、ですか。……ええ。では、ケントと」

 

 どことなく噛み締めるように言って、セイバーと名乗る少女は俺に真っ直ぐな眼差しを向けた。碧色の瞳は綺麗に澄み渡っていて、彼女の性格を窺わせる。

 改めて思えば初見が暗い夜であっただけに、彼女の容姿をはっきりと捉えるのはこれが初めてだった。

 同年代か、歳下──10代半ばに見える。身長は高校一年生の楓とほぼ同じ。百七十センチ程度の俺より十センチ以上背が低い。こうして見るとかなり小柄だが、改めてこの体格で長剣を振り回していたのかと驚かされる。一体この体のどこにあれ程の力が秘められているのだろうか。

 

「オイ、なんだよ。ニヤニヤしやがって」

 

「いえ? そうだろうとは思っていましたが、やはり素人でしたか」

 

「素人? 何が?」

 

「この世の理から外れた神秘の力に関する知識を、ケントは何も持ち合わせていないんですね、と言ったんです」

 

 ぷーっ、と吹き出しそうな表情を少女は浮かべた。そのイラっとする言い草に、憮然とした表情のまま反論する。

 

「はぁーっ? 学校で習わないんだから仕方ないだろ、ンなの。馬鹿を馬鹿にするのは最も馬鹿な行いだって習わなかったのか」

 

「残念ですけど、私が知ってるのは『無知は罪なり』という言葉なんですー。そう考えるとケントは有罪人です、よってケントが悪いんです」

 

 ……ウザい。非常にウザい。

 なんだかもういっそ帰ろうかと思うが、まだ聞いていない事が多いのも事実。ふつふつと湧く怒りを抑えて冷静さを保ちながら、未だに腹立つ表情を浮かべるセイバーに問う。

 

「……お前、自分がサーヴァントだって言ってたよな。悪いけど、最初から説明してもらうぞ。『サーヴァント』ってのは何で、この街で何が起きているのか──」

 

「へえ。人間ではない、という事くらいは理解してたんですねえ。そこから説明しなきゃいけないと思ってましたが」

 

「当たり前だ。……昨日の夜、俺はお前達が戦うのを見てたんだぞ。あんなのを見て、まだお前らが人間だと思える方がどうかしてる」

 

「それでも、常識の尺度でしか物事を測れない愚かな人間は多いんですが……まあいいでしょう。長い話になりますから、ここでは都合が悪いです。魔王たる私を歓待するに相応しい場所を用意することを要求します」

 

「……つまり?」

 

「立ち話は疲れるので何処か座れる場所に連れてって下さい」

 

 そんな頼み事を、何故かふんぞり返ってセイバーは堂々と言う。その姿が一応様になっているのが少しだけ可笑しい。さすがは魔王さまと言ったところだろうか。

 

「しょうがないな。最初からそう言っとけ、おチビ」

 

「ちびっ⁉︎ チビじゃありませんよ、私は誇り高き魔王で……あっ、ちょっと、さっさと行かないで下さいよ‼︎」

 

「フン。言っとくけど、俺はお前をまだ信用してないからな。それを分かっとけよ」

 

「こ、こいつ、不敬ですねホント‼︎ いーでしょう、それじゃあまた鉄拳制裁をかましてあげますからね」

 

「こ、こらっ、そうやってすぐ暴力を行使するのはやめろっ」

 

 ──第一に、彼女が何者か。

 

 この、何かがおかしい街に何が起きているのか。俺はどうなったのか。それと、この少女は何故似合わないぶかぶかのジャージを着ているのか……まあ、それはどうでもいいか。

 積み重なった疑問の山を削り崩す為、俺は張り倒された頰をさすりながら、彼女を先導して歩き始めた。

 

 

 

 

 質素な木製の扉を押し開くと、据え付けられたドアベルが爽やかな音を鳴らし、心地いい木の薫りがふわりと鼻腔を刺激した。

 『喫茶 薫風』と書かれた看板を提げた店内へ入る。俺の姿を目ざとく見つけたここの店主──槙野和也は、「いらっしゃい、志原君」と顔を綻ばせた。

 二十代前半の、眼鏡の奥に人のいい微笑を浮かべた青年である。親元から離れ、ここ大塚市で夢だった喫茶店を開くに至ったらしい彼は、何時も俺を喜んで迎え入れてくれる。

 

「や、マスター」

 

 挨拶を交わしつつ、店の奥へ。内部には四人がけのテーブルが窓際に配置され、反対側には長いカウンターが置かれている。だが客は居ない様子。この店はいつも閑古鳥が鳴いているので、今更驚くことでもない。

 二人して端っこのテーブル席に腰掛け、流れるようにアイスコーヒーを二つ注文する。

 

「二人分だから、いつもより時間はかかるね」

 

「全然大丈夫だから、ゆっくり作って」

 

 そんなやりとりを交わす間、セイバーは不思議そうに周囲を見渡していた。

 

「……ふむ。ここが、かふぇ、という所ですか。知ってはいますが、来るのは初めてです」

 

「ココには客も全然来ないし、店員もマスターだけ。のんびり落ち着くのにはもってこいって訳だ」

 

「……おいおい、聞こえてるぞー。ついに女の子を連れて来てしまった志原くん?」

 

 名前も知らぬ機械をあれこれ触りながら、マスターは苦笑する。とりあえず、見当違いもいい所なその発言を即座に否定しておく。

 

「えー……君は、見たところ……中学生……かな? コーヒー飲めるかい?」

 

「はい? 私を舐めてるんですかね、「こーひー」が何かは知りませんが私に飲めないものなんてありません。……あと、私は中学生じゃありません次言ったら不敬罪でぶっ飛ばしますよ」

 

(物騒な子だな…………)

 

「まあいいや、話の続きだな。改めて言っておくけど、俺はお前を信用したって訳じゃない。嘘をついたら──」

 

「はぁー、もう聞きましたよそれは。それで構いませんから聞いてください」

 

 睨み付けた俺の目線を柳に風と受け流したセイバーにむっとしながら、彼女の言葉に耳を傾ける。

 

「ではまず、『聖杯戦争』についてお話しましょうか」

 

「聖杯戦争?」

 

 真相に迫りつつある事を自覚し、鼓動が加速するのを感じる。

 それは恐怖からか、好奇心からか。どちらにせよ構わない。無言を保ったまま少女の話に耳を傾ける。

 

 ──それは、到底信じ難い話だった。

 魔術師と呼ばれる神秘の代行者達の存在。

 聖杯戦争……万能の杯、聖杯を巡る争い。

 聖杯が七人の魔術師を選抜、『サーヴァント』と呼ばれる英霊を召喚させ、聖杯の担い手に相応しい人間を殺し合いによって決定する。剣士、槍兵、弓兵、暗殺者、魔術師、騎乗兵、そして狂戦士。それら七つのクラスに振り分けられた一騎当千の英霊達が激突する、比喩でもなんでも無い文字通りの「戦争」。

 

 今更だが。遅まきながら、そこで俺はようやく「セイバー」が彼女の本名ではなくクラス名に過ぎないのだと知ったのだった。

 

「サーヴァントとは、一個人の力で神域へと辿り着いた存在……人類史にその名を刻み込んだ者達とも言えるでしょう……が、受肉して現界したものです」

 

 英霊としての自負からか、やたら得意げに話すセイバー曰く。

 生前に人の身に余る偉業を成し遂げた者達は、死後魂の輪廻から外れ、ヒトを越えた領域に昇華するらしい。 それが『英霊の座』。自らもまた、その座から呼び出されたのだとセイバーは語る。

 

「人類史に名を刻んだ者。世界史なんかで習う史実の偉人達って事か」

 

「いえ。半分は正解ですが、半分は違います。英霊は何も実在の人物とは限りません。その出展が御伽噺であれ伝承であれ、人々の信仰、畏怖を十分に集めた存在はそれだけで神秘の獲得に至り、英霊の座に登録される」

 

「んー……英霊にフィクションノンフィクションの違いは無い?」

 

「まあ、そうですね。現代風に言えば、概ねそれで合っています」

 

 現界時、聖杯がサーヴァントに与えるという現代知識。それは今も早速その恩恵を発揮し、彼女の理解を円滑に進めてみせた。

 

「なるほどね。信じられないけど、伝説や神話の英雄達か」

 

 そのあり得ざる神秘を伝え聞いただけで少し胸が高鳴る。しかし同時に、それを遥かに上回るの恐怖と焦燥感が俺の内心で吹き荒れた。

 目の前のセイバーは置いておくにしても、俺は知っている。理性を失い、全てを破壊する、名も知らぬあの狂戦士(バーサーカー)の存在。

 

「………………くそ、震えてくるな」

 

 更にアレに類する人外の存在が七騎も殺し合う、まるで悪夢だ。

 バトル漫画を読みながら、超人達の戦いに巻き込まれる街の人々を「可哀想」なんて他人事に思ったこともあるが、それが現実に起こるかもしれない状況。他人事なんて言ってられない。

 そして、目の前の少女とて例外ではない。小柄な身体に想像を絶するような力を潜ませており、簡単に人々を抹殺できるのだろう。

 

 ……そんな奴らが、この大塚市で激突するらしい。

 全くもって末恐ろしい話だ。どことなく感じていた街の異常はこのせいなのか。それとも、何か他の要因なのか──。

 

「……ケントも案じているようですが、ケントの様に市政への被害が出る事もありますし、召喚されるのは人々が憧れる完璧な英雄ばかりとは限りません」

 

「と、言うと?」

 

「反英雄……英雄とは対となる存在。暴虐と悪逆の果てに人々の信仰、恐怖を得、英雄とは真反対のプロセスで座に至った者達の総称です。彼らは人命を軽んじ、無辜の民の犠牲を厭わない事も多いです」

 

 ──その声が。

 ほんの僅かに震えていた気がしたのは、(ただ)の気のせいだろうか。

 こちらのコーヒーをぐいっと飲み干してから、改めてセイバーを見る。彼女はらしくもなく目を伏せ、茶色いコーヒーの液面に視線を落としたまま淡々と続けた。

 

「聖杯戦争とは本来、一般人に秘匿され、隠し通されるものなのです。しかし反英雄だけでなく、マスターの中にさえ、多少の無茶を通す輩も存在します。例えば、まさに……」

 

「昨日のバーサーカー……そのマスターか」

 

 セイバーより早く口に出すと、彼女は神妙に頷き、下方で彷徨わせていた視線を俺の瞳に戻した。

 その瞳を見た瞬間、何か嫌な予感──知りたくも無い事実がその瞳から分かってしまうような──を強く感じて、軽く息を呑む。

 

「一般人を巻き込むなど、本来あってはならない行為なのです。いくらケントが自ら首を突っ込んできたとはいえ、あそこまでする必要はなかったはずです」

 

「あそこまで、ねえ。あんまり覚えてないけど」

 

「……あれ。ケントは、昨日の事を覚えていないんですか?」

 

「あんまり。バーサーカーに吹き飛ばされてからの記憶は曖昧」

 

 真っ直ぐな瞳を逸らして、彼女は口ごもった。

 

「お、おい、なんだよ。はっきり言ってくれよ」

 

「じゃ、はっきりと言いますけど……昨晩、ケントは死にました」

 

「へ?」

 

 驚く事も、悲嘆する事もなく。否、できずに俺は体を強張らせた。

 仮に言葉の表面的な意味だけを切り取るのなら俺はもう既に死人だという事になるが、俺はこうして生きている。朝にも感じた矛盾に突き当たった俺に、セイバーは続ける。

 

「正確には、『身体だけが』死亡している状態ですね」

 

「それは……どういうコト?」

 

「言葉の通り。ケントの身体は既に生命活動を停止しましたが、生命の源である魂はその身体に残留しているんです」

 

「残留って……魂と言われても、正直ピンと来ないんだけどな」

 

 そういやさっきも言っていたっけ。英霊になる条件はその人物の「魂」が英霊の座に押し上げられる事だと。

 ……つまり、非科学的だが魂とやらは確かに存在するって事だ。

 あながち迷信の類も間違っちゃいないのかもなあ、と思いつつセイバーの言葉を待つ。

 

「まず、生物の『死』から説明しましょうか。死には大きく分けて二段階の死が存在します。一つが身体的な死亡、そしてもう一つが魂の遊離」

 

 要は身体が死んでから魂がフワーッと抜ける事で、人は始めて死亡するらしい。なんとなくだが、この理屈は理解できる。

 

「昨晩、私がケントの元へ辿り着いた時、ケントは既に死亡していました。しかし魂の遊離より早く、私がケントの身体に『宝具』という楔を埋め込むことで、完全な死亡……魂の遊離だけは防げたのです」

 

「ま、待ってくれって。いきなり言われてもわからないっての。そんな事が可能なのか? 離れていく魂を抑え付けて、死に掛けの人間を救うなんて」

 

「器を用いず魂のみを固定化するとなると、それはもはや魔法の域になってしまうんですが……器となる元の肉体があったので、なんとか擬似的な延命に成功したようですね。正直私も駄目元だったんですが」

 

 そこでセイバーは一度言葉を区切り、深く息を吐いた。彼女の表情は晴れない。続きを言いにくそうに、口を開いては閉じる。まるで最適な言葉を探すかのように。

 その理由は、俺にもなんとなく察しがついた。

 

「延命……ってことは。つまり俺は、助かった訳じゃないのか」

 

「……理解が早くて助かります。仰る通り、ケントの身体は依然死んだままであり、私の宝具が無ければ生きていられません」

 

 その返答を予期していなかったのか。少し驚嘆の表情を浮かべてから、セイバーは静かに目を伏せて頷く。

 

「私の消滅、それはケントの命を保っている宝具の消滅と同義です。宝具の動力源(エンジン)は私ですからね。……つまりケントが生き延びるには、この聖杯戦争に勝利し、私が消滅する前に蘇生の奇跡を聖杯に願うしかないんです」

 

 聖杯、万能の願望器。詳しい事は分からないが、「何でも願いが叶う」なんて代物だ。魂まではどうか分からないが、肉体の活動を再開される事くらいは造作もないのだろう。

 要は、俺の命は潰えたままで、生き延びるには聖杯が必要らしい。

 そこまで状況を整理してから……といってもできれば信じたくない悲惨な状況だったが、浮かんだ疑問を問いかける。

 

「認めたくはないけど、仕方ない。俺の状態は理解できたよ。次に、俺がいつの間にかお前のマスターになってる理由を尋ねていいか」

 

「ほ、本当に理解してます? だいぶ絶望的な状況なんですけども」

 

「してるって。けど、過ぎたことをウダウダ言っても仕方ないし……正直、あんまり死んだ実感が湧かないからな」

 

「では……おほん。あの夜、私にはマスターが存在しませんでした。そこで不足する魔力の供給を得るため、私はケントと勝手に契約を交わしたのです」

 

 それからのセイバーの話を纏めよう。

 まず、「マスターが存在しなかった」という彼女の発言には語弊がある。

 正確には、「マスターが存在していたが失ってしまった」というのが正しい。なんでも昨晩突如として現れたバーサーカーの奇襲により、セイバーは前マスター、つまりセイバーを召喚した魔術師を殺されてしまったそうだ。

 それについて突っ込むと、「……それは不意打ちとか空が曇ってたせいとか相性とか云々」などとモゴモゴ言い訳を並べていたが、ここでは割愛。

 

 ──原則として。魔術師による魔力供給が無ければサーヴァントは存在を保つ事ができない。サーヴァントは霊体であり、現世に存在を保つための要石が必要になるからだ。

 故にサーヴァントにとって、己のマスターを失う事は敗北に直結する。

 魔力供給も途切れ、力も出せず、敗北が確定している凌ぎ合いの末にセイバーあの森林公園まで追い込まれた。

 

 ……悲しきかな、そこにノコノコ現れたのが俺である。

 バーサーカーは不都合な目撃者を排除し、無駄な魔力消費を嫌って勝手に撤退。後には死に体の俺と消滅寸前のセイバーが残された。

 

「そこで私が契約を結び、私はケントからの魔力供給によって、ケントは私の宝具によって共に生きながらえたのです」

 

「互いに助け合う事で、両者を同時に生かした、と……逆に言えば、俺たちはどちらかが死ねば終わりなのか。今も両方が相手の存在に依存しているから、片方が倒れれば共倒れする……」

 

 長い説明が終わった開放感からか。思わず唸りつつ肩を伸ばしながら、改めて状況を整理していく。

 これで大まかな謎は解けた。

 ……が、大きな疑問が一つだけ残っている。

 

「あ、話は変わりますが。私の咄嗟の判断力を褒め称えてもいいんですよ、ケント」

 

 ──何故、俺は「魔術師」とやらでもないのに、セイバーと契約を結べたのだろうか。

 英霊を使役する契約というのは、そんなに簡単な物なんだろうか。魔術の「ま」も知らない一般人が何も知らずに契約を結べる程に。

 魔術師について詳しくは知らない。世間から秘匿された力、神秘の奇跡を魔術という形で行使する者達……とセイバーは言っていたが、当然ながら俺は魔術師なんかではない。その筈だ。

 

「お待たせしました、アイスコーヒー二つになります」

 

 と、俺がセイバーに疑問を投げるより早くアイスコーヒーが二つテーブルの上に置かれ、俺の思考は非日常の範疇から引き戻された。

 「ありがとう、和也さん」そう言おうとして、ギョッと目を見開く。

 そこに立っていたのは俺がよく知る若店主ではなく、艶やかな銀色の髪を背中まで伸ばした、端正な美貌を持つ外国人女性だった。大学生程の年齢に思えるその女性は、日本人では到底持ち合わせることの出来ぬ艶やかな長髪を揺らしつつ、俺とセイバーに視線を向けていた。

 

「あ、え……槙野さんじゃないよな、当然。あんたは?」

 

 何のモデルだよ、と思わず困惑しつつ、店に入った時は見えなかった彼女に尋ねる。

 

「申し遅れました、お客様。私は先週からこの店に入った、アナスタシア=グレチニシコワ=イリイーニチナと申します。まだまだ不手際も多いですが、何卒宜しくお願い致します」

 

「あ、親切にどうも……よ、よろしくお願いします……?」

 

「………………」

 

 セイバーは相変わらずの無愛想で、名前からしてロシア人と思われる女性を一瞥しただけに留める。

 が、アルバイトだという彼女もそれなりに無愛想に踵を返すと、トレイをカウンターに戻しつつ片隅のロッカーから箒を出して店外へと出て行った。恐らく店前の掃除にでも行ったのだろう。

 

「アナスタシア……アナスタシア=グレチニシコワ=イリイーニチナ……だっけ。長くて覚えられそうにないな……悪いセイバー、ちょっと待っといて」

 

「へ?」

 

 呆けた声を出すセイバーはそのままに、カウンターでコップを拭く和也さんの元へと駆け寄り、小声で耳打ちする。

 

「ちょっとっ。誰だよあのお姉さんは?」

 

「はは……ガールフレンドが出来たのは君だけじゃない、と言いたいんだけど残念ながら違う。彼女は本当に、ただのアルバイトとして雇ったのさ」

 

「う、嘘だろ⁉︎ 前来た時はアルバイトなんて要らない、って言ってたじゃん‼︎ 「どうせ客はあまり来ないんだから、僕一人で十分だ」って‼︎ 実際二人いても客が来ないんじゃ無駄だろうに‼︎」

 

「うぐ、さらりと酷いことを……いやね、ちょっと気が変わってさ。あれだけ美人なら、評判になって客足が増えるかもしれないだろう?」

 

「……まあ、そういうモンか。確かに来る頻度をちょっと上げたくなるかも、あの人がいると」

 

「だろう⁉︎ これからもじゃんじゃん通ってくれ、君は貴重な常連さんの一人なんだからね……いやほんと、頼むよ⁉︎」

 

 切実なマスターの頼みを承ってから、会話を訳もなく小声で済ませてセイバーの元へ。アイスコーヒーの黒に染まった氷をストローでかき混ぜながら改めて浮かび上がった疑問を問おうと、セイバーに声をかける。

 が、当のセイバーは窓の外を眺めたまま微動だにせず──、

 

「おい、どうしたんだよ。さっきまでうざったいくらい饒舌に話してたじゃん」

 

「フンッ、話の途中でこの私を放り出して他の人間と他の人間について話すなど以ての外です。私は著しく気分を害しました」

 

「…………ちょっと待って? 俺が悪いの??」

 

「そうです。大体、ケントには私への敬意がこれっぽっちも感じられないのが不愉快なんですよ。別に恐れろと言っているわけじゃないですが、私は魔王なんですよ」

 

「そりゃあそうだよ、だってこれっぽっちも尊敬してねえんだもん」

 

「……………………〜〜‼︎」

 

 俺のもっともな意見に、顔をリンゴのように真っ赤にしてセイバーが唸る。だが流石に店内で暴れない程の分別は持っているのか、不気味な音がなる程度に拳を握るだけに留めたらしい。

 ……後が怖いけど、今は考えないでおく。

 

「ま、まあまあ、落ち着けって……お前怒るとほんとシャレになんないんだから。一旦それ飲んで、な?」

 

「先程の発言はともかく、確かにこの『こぉひぃ』という物に興味はありました。仕方がありませんし、頂くとしましょう」

 

 セイバーはカラカラと音を立てる氷が幾つか入ったコップを持ち上げると、朱色の唇でストローを咥えた。

 黒色の液体が吸い上げられていき、彼女の口の中へと到達する。

 何故か固唾を飲んで見守る俺。

 そういや砂糖とか全く入れなくて良かったのかなコイツ、と一瞬だけ思ったが後の祭りだ。セイバーの喉がごくりと鳴り、それから無言で小さい身体を小刻みに震わせるのを見て、俺は恐る恐る声を掛ける。

 

「ど、どうしたよ」

 

「……………………にがい」

 

「え?」

 

「苦い、と言ったんですよ‼︎ ──あのですねえ、私は甘い物が好きなんです‼︎ なのに一体なんなんですかこの飲み物は‼︎ ニガニガの水か何かですか‼︎⁉︎ この私にこんな物を飲ませるなど、いい加減に堪忍袋の緒が切れますよっていうか今切れましたァ‼︎」

 

 緒が切れるのが早すぎるだろ。

 そして前言撤回。このワガママ魔王、店内で暴れない程の分別すら持ち合わせていないと見た。

 後ろの方でマスターが少なからぬショックを受けたのが分かったが、それどころではない。セイバーは怒声を張り上げただけ。だというのに殺気とも威圧感ともつかぬ何かが激しい烈風となって吹き荒れ、狭い店内を蹂躙した。なんか小さな雷まで見える。ナプキンや椅子やコーヒーの液体(セイバー曰く「ニガニガの水」)が吹き飛ばされ、瞬く間に店内が破茶滅茶な地獄へと変わる。

 

「うおおおお────⁉︎ まままマスターっ‼︎ とにかく砂糖! 角砂糖でもシュガースティックでもとにかく全部寄越して今すぐ‼︎」

 

「わわわわっ、分かった! 何が起きてるのかさっぱりだけど分かった! ああっ、色々ぶっ飛んでるよもう熱っ‼︎ 熱い熱いコーヒーかかった‼︎」

 

「ちょっ、ぎああああああ⁉︎ 俺にもかかってるから熱い熱い熱い‼︎」

 

 ……それから三分ほど。

 一瞬かつ長かった戦いは終わった。角砂糖五個、シュガースティック十二本という途方も無い量の砂糖を含んだコーヒーをお召し上がりになった魔王様は、なんとか機嫌を取り直された。

 が、店内はまるでこの中にだけ時期外れの台風が襲来したかのような有様を晒していて、

 

「いいですか、覚えておいてください。私は甘い物が好きです」

 

「はい、もう聞きました」

 

 力尽きて床に倒れ伏すコーヒーまみれの茶色なマスターと俺に、そんな憮然とした声が投げられる。

 その頃には俺は痛感していた。コイツは剣士(セイバー)である以前に、色々と手のつけられない「魔王」なのだ。

 

「こんな奴と一蓮托生……はぁー……やっぱ死ぬのかなぁ、俺」

 

「あっ、口直しに甘い物をください」

 

 ──やかましいわ。

 なんかもう起き上がるのも億劫で、綺麗に掃除された床に額を押し付けながら、俺は自らの運命を改めて呪わずにはいられなかった。




【セイバー】
剣の英霊。蒼色の長髪が特徴的な、小柄な少女。
一人称は「私」。好きな物は甘いものオンリー。
事あるごとに健斗に迷惑を掛けるが、戦闘能力は超一線級。大英雄、神殺しの豪傑にさえ匹敵する力を持つ。
「無辜の怪物」スキルによってその姿を異形の怪物に変貌させてしまう筈だが、本人の並外れた魔力量、加えて「魔王特権」のスキルを無理やり自分に適応させる事でその発現を抑えている。仮にそのリミッターが外れれば、彼女は人々が思い描くような恐怖の怪物と成り果ててしまう。

〈ステータス〉
筋力A、耐久A、敏捷B、魔力A+、幸運C、宝具EX
〈保有スキル〉
■■■■■の加護EX
魔王特権A
魔力放出A+
直感B
無辜の怪物A(抑制)
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