Fate/crescent 蒼月の少女【完結】 作:モモのすけ
深夜三時、仙天島にて──。
降り積もる落ち葉を踏み締める音が連続していた。
夜闇の中、無数の人影が疾駆する。
木陰から木陰へ、闇を縫うように疾走する彼らはサーヴァントではない。だが、人間と評するのも語弊がある。
彼らは、人にして人を超えたモノ。
人の権限を超え、神の権限すらをも代行するに至った信仰の悪魔たち──代行者だ。
終わりを告げたはずの聖杯戦争、その起因となる黒幕をいち早く突き止めた聖堂協会が送り込んだ刺客。それが五人の代行者、「異端」を力ずくに鏖殺する人間兵器である。
彼らの目的は聖杯戦争を再開させた起因を殺害し、未だ真偽の定かではない聖杯の調査。
雑木林の中を駆ける三人は、サーヴァントもかくやという動作を披露しながら着実に目的地へと進んでいく。
絶対強者たる魔に対抗する為、代行者たちが持ち合わせる圧倒的身体能力。その実力たるや、数人が揃えばサーヴァントと応戦すらも可能な程だ。
三つの影は雑木林を飛び出し、開けた場所に到達した。
仙天第二浄水場。仙天島の多目的グラウンドや大型レジャー施設の隣にように建てられた、広大な敷地を生かした浄水施設である。
「────行くぞ。突入開始」
一人の代行者が、容赦なく金属製の扉を殴り飛ばす。
凄まじい轟音が月の夜に響き渡った。
バズーカ砲の直撃を受けたかの如くへしゃぎ、吹き飛んでいく扉には目もくれず、三人の悪鬼羅刹が次々に浄水場内へと雪崩れ込む。
「………………」
恐らくは職員の事務室と思われる部屋に気配は無い。
警戒の糸を張り詰めながら──代行者が三人も揃うこの状態で最大限の警戒を続けなければならないという時点で、既にこの状況は危険かつ異質だった──三人のうち一人、大柄な男が奥の扉を押し開く。
プールに似た貯水槽が等間隔に六つ並ぶ広大な空間が、彼らを待ち受けていた。
一見何も無いように見えるが、魔術師の工房が発する独特な空気の濁りが彼らの五感を刺激した。秋始めだというのに冷え切った空気、充満する死の気配。
間違いない──ここに、居る。
「まずはわざわざ遠い極東の地までようこそ、と労っておこうか」
コツ、コツ、と。
甘く蕩ける様な女の声と共に、硬い床を踏みしめる音が行く手前方の闇から聞こえてくる。
「一度落ち着いて、少し話でもしようじゃあないか。万に一つの可能性だが、もしかしたら
「執行開始」
会話らしい会話は無かった。
有ったのはまごう事なき殺意の応酬。
代行者の方は当然だが、女の方も、言葉とは裏腹に絶対の殺意をその全身から立ち上らせていたのだ。この結果は当然と言える。
纏わりつく闇すらも振り払い、先頭の代行者が一息に距離を詰める。女の耳に地を蹴った轟音が到達するのとほぼ同タイミングで、代行者の拳は女の身体に到達する。
マシンガンを撃ち放つような炸裂音が多重に響き渡った。
空間を抉って放たれた数十の拳撃。
自動車をもコンマ数秒でスクラップに変える怒涛のラッシュは、しかし、円状の衝撃波を派手に撒き散らしながら威力を散らしていく。
女がその華奢な片手で、両手で放たれる全ての拳撃を受け止めたのだ。
「む……筋力強化四重、骨格強化三重、組織錬成を重ねてもダメージは追うのか。訂正だな……」
女の目論見は外れ、相殺には至らなかった。受けきれなかった衝撃が腕を破壊し、血が筋肉を裂いて噴出する。
だが──その程度の傷に抑えたという事実と魔術師には不釣り合いな身体能力に、代行者が訝しむように距離を取る。
そこまで、僅か一秒。
「少し計算し直す。──とりあえず、吹き飛べ」
女が呟いたその言葉に、何ら魔術的な要素は含まれていない。詠唱も無しに魔術が発動するなどあり得ない──が、その常識が覆される。
何もない空間が着火、起爆を経て破壊を撒き散らす。
大魔術クラスにすら匹敵する大爆発。それによって浄水場の建物の八割が吹き飛び、紅蓮の炎が深い闇に膨れ上がった。圧倒的な暴力は貯水タンク、窓ガラス、鉄筋コンクリート、周囲の全てを例外なく均等に押し潰していく。
全てを焦がし尽くした猛炎の中、不気味に蠢く人影があった。
女は虚ろな相貌を歪め、嗤う。
ぞわり、と代行者達の胃袋の辺りに緊張が沈む。
「チッ……‼︎」
若い女性代行者が投げ放った幅一メートルほどの刀剣が、爆風を吹き飛ばして女の身体を貫かんと迫る。
俗に「黒鍵」と呼ばれる代行者の基本武装──それらから霊的干渉力を削り、対人戦闘用にチューニングを施された特製の投擲剣。
投げ放たれた六本の投擲剣は、弾丸にすら追い付く速度を伴って女の四肢を吹き飛ばすかに思えたが、
「無駄だ」
女が大きく目を見開くだけで、それらは揃って運動エネルギー失い、ぴたりと空中に静止した。
歴戦の代行者達でさえ、どのような魔術を使っているのかが理解できない。何故なら、あの女はこれほどの魔術を多様に繰り出しながら、これまで一度も詠唱を行なっていないのだから。
「威力、速度共に十分。鉄骨だろうと貫く技術には敬意を表するが──己には無用の長物だ。全てお返ししよう」
詠唱はなく、無言の奇跡が放たれる。
宙に浮いた黒鍵が何らかの力を受けてぐるりと反転、先の更に二倍以上の速度を伴って射出された。
「ッッ⁉︎」
全力で首を反らし、一瞬前に代行者の頭蓋が有った場所を黒鍵が突き抜ける。辛うじて残っていた背後の壁が残らず砕け散る中、
──とん、と地面を踏む音。
揺れる金髪が視界に映る。女性の代行者が目線を下げれば、数メートル先に居た筈の魔術師が既に懐に潜り込んでいて──、
「では、弾けたまえ」
女の左手が稲妻のように走り、代行者にそっと触れる。
短い言葉が告げられた刹那。
ドパッッ‼︎‼︎ という水温と共に、一人の人間が水風船のように破裂していた。
「ふむ、
夥しい鮮血が飛び散る。
が、仲間の一人が肉片と臓物を撒き散らしながら吹き飛んだのにも構わず、残る二人は臆する事なく無防備な女に襲い掛かった。
──いや。それは果たして、無防備なのか。
「質量操作、軽量化、身体強化、硬質化、加速魔術、神経伝達加速、そして四次の際に仕入れた固有時制御。ここまで重ねがけすれば、代行者の身体能力でも追いつかない」
どこかつまらなそうに呟きながら、女がその目を見開いた。
その瞳が黄金色に輝く。ただ、それだけ。
しかし直後、二人目の代行者──最初に殴りかかった大柄な男の胴体が真っ二つに千切れ飛んだ。
真空波とも、不可視の刃ともとれる一撃。巻き起こる破壊は代行者を殺すだけに留まらず、代行者の背後、浄水場の壁面どころか彼らが踏破してきた森林の木々すらも一薙で切り裂いていく。
「ガ──────…………」
だが身体を二等分されても尚、代行者はその恐るべき信仰心と精神力によって闘志を消してはいなかった。
消えていく声はそのままに、全力を振り絞って黒鍵を投擲する。
「────かはッ⁉︎」
捨て身の反撃は予想外だったのか。
女の顔に焦燥が浮かんだように見えた時にはもう遅い。黒鍵が身体を穿ち、彼女は先の代行者と全く同じように体を引きちぎられた。
どちゃっ、という粘ついた音と共に、女の上半身が地に落ちる。明らかに絶命したと思われる光景だが、残る代行者の顔に慢心は無い。
──彼方から飛来した無数の杭が、二等分されて倒れ伏す女の身体に次々と突き刺さった。
その数はまさに雨の如し。一人森の奥に待機し隙を伺っていた四人目の代行者が、トドメの追撃として持つ全ての黒鍵をもって女魔術師の命を潰しにかかったのだ。
上半身だけになった女魔術師は芋虫の如く醜く悶え狂うが、数十本の黒鍵をもって地面に縫い付けられた身体はもはや動かなくなり、ボロ切れのようになった肉塊のみが後には残される。
「背信の大罪、その身で悔い改めよ」
戦闘区域から少し離れた地点、仙天島の端の樹上からその光景を眺めていた代行者は、そう嘯いて残りの柄を懐にしまい込んだ。
結果、四人中二人が戦死した。予想の範疇とは言え、我々が二人も葬られるとは……と悔いながら、目視で生き延びたもう一人の代行者を捜す。
──だが、見当たらない。
最初に弾け飛んだ一人の死体。
身を両断されたもう一人の死体。
剣山のような惨状を晒す死体が一体。
──それ以外の人影は見えない。
「随分と容赦がないな、代行者よ」
「な……ッ⁉︎」
ずぶり、という衝撃音。
暴嵐の如き痛みの前に、代行者の視界が白く飛ぶ。
「まさか……あの程度で己を仕留めた、とでも思ったのか?」
白から真っ赤に染まる視界を下げる。
胸の中心からは、血まみれの手が生えていた。
「非常に残念だが、よくあの死体を見てみたまえ。代わりに串刺しになったのは君のお仲間の方だ」
代行者がその存在を知覚した時には、既に勝敗は決していた。
鍛え抜かれた代行者の目を欺き、数百メートルの距離を一瞬で詰め、彼女は平然と代行者四人を圧倒してみせたのだ。
「といっても、あの反撃は見事だったよ。賞賛に値すると言っていい。実際、一度胴体が下半身から分離しかける感覚を味わった。連中との縁切りの時以来だから100年以上ぶりか」
心臓を左手で貫かれた代行者の口から、鮮やかな血反吐が溢れる。
「が……ごぶっ、は……きさま、やはり……Per……d──」
血が絡みつくような喘鳴は、最後まで続くことは無かった。
左手が引き抜かれ、完全に絶命した代行者は鉄塔の下へと落下していった。月光と血に濡れた金髪を掻き上げて、魔術師は冷酷な目線を代行者の死体に向ける。
「聖堂教会……貴様らには兼ねてより散々な妨害を受け続けたが、ついに我が願望は叶う。この戦争は己のものだ」
勝利の余韻も無く、至極単純な作業をこなしたとばかりに首を鳴らす女魔術師。
──いや。魔術の域に収まらぬ神秘を平然と支配する彼女を、果たして「魔術師」と呼称するのが正しいのかどうか。
そんな時、遥か十一キロメートル先の地表にて瞬く光があった。
「────‼︎」
それは、一発の弾丸だった。
彼女は所詮サーヴァントではなく人間だ。まともなサーヴァントでさえ察知が難しい無音の弾丸、彼女が気付けた時にはもう遅い。通り抜けた近辺の空間を瞬時に凍り付かせながら、弾丸は悟られぬことなく正確無比に女の頭蓋へ吸い込まれる。
狙撃手の予想通り、それは狙い違わず女の脳天に突き刺さり──そして、何もなかったかのようにすり抜けていった。
脳髄を撒き散らして地面に崩れ落ちるはずの彼女は、忌々しげに遠方を睨みつける。
「……神殿に穴を穿ったのは貴様だな。この己が、一度見た狙撃に対して対策を練らずに立っていると思うなよ」
彼女は最初から自分の認識をズラす魔術を身体に掛けておいた上で、代行者達との戦いに臨んだのだ。
しかし──常識はずれなほどの遠方から、さらに常識はずれな速度を伴って撃ち出された呪詛の魔弾。こんな芸当を行えるのは、人間を超越したサーヴァント以外にはあり得ない。
「お見事。正直、あれで死んだと思いましたよ」
「ライダー。貴様にはしばし謹慎していろと言ってある筈だが」
「霊体化は解いてませんし、連中のお相手も任せたじゃないですか。これでも我慢してると思いますよ?」
飄々と答える、変声期も迎えていない幼い少年の声。
女魔術師の肩付近でゆらりと揺れる霊子の残滓が、霊体化したライダーの存在を明確に示している。
「まあ良い──戻るぞ」
「はいはい……工房は吹き飛ばされてしまいましたが、どうするんです?」
「構わない、一分で直る」
「流石は
「フン、何が極致か。果ての果てに辿り着いてさえ、望み一つ己が手で叶えられぬなど──」
言葉が途切れる。
前方の暗がりで、何かが動いた。
緊張感、死の予感、ありとあらゆる警告が女の中を駆け巡る。
反射的に自らのサーヴァントに警戒を呼び掛けようとして、女魔術師はその強かさに舌を巻いた。そんな間隙を敵対者が見逃す筈も無く、闇に刻まれた朱色の光が彼女の視界を埋め尽くす。
「────よう、女」
獰猛な呟きが、鮮血が噴き出す寸前に聞こえていた。
◆
「チッ……俺が外すか。あの狐め」
舌打ちして、男が狙撃銃のスコープから目を外した。
「………………………そんな」
茫然自失と言った様子で、代行者の少女──アナは駅郊外の廃墟ビルの屋上に立つアーチャーの横に立ち尽くしていた。
殺された。代行者が、全て。
圧倒的な暴威の前に殺戮の犠牲となった彼らの姿を見て、足が震えているのに気がつく。だが、どうしてもそれを止める気にはなれない。
元より彼らが失敗した際のサブプランとして送り込まれ、こうして聖杯戦争に参加しているアナだったが、彼女の経験は未だ浅い。圧倒的な存在を前に思考が止まってしまい、どうすべきかも定まらない。
「私よりもずっと強い彼らが──殺されて、いえ、戦いにすらなっていなかった。あんな怪物が……一体、あれは。違う、嘘です、あんなのっ、あり得るはずがありません……‼︎‼︎」
「落ち着けよ、お嬢さん」
アナスタシアが買い与えた安物のタバコを吸いながら、狙撃銃を構えた男がのんびりと答える。だが、その余裕すら漂わせる姿は、却ってアナスタシアの焦燥感を加速させた。
「落ち着いてなんてられますか⁉︎ 代行者を四人も失っては、協会も慎重に動かざるを得ないでしょう。となれば、私が「アレ」を一人で止めなくては……‼︎」
「だから、落ち着けと言っているんだ。アンタは……アイツは例外としても、人間にしちゃあ相当強い部類だ。接近戦なら俺とも互角……いや、俺が負けるかな? 俺は近接戦は専門外だし……うむ」
アーチャーの様子に、緊張感はあまり見られない。
「──まあともかく、アンタにはまだ経験というものが無いらしい」
諭すようなアーチャーの言葉に、アナは思わず黙り込んだ。
殺された四人の代行者達から思考の焦点を外し、脳をフラットに戻しながら、紫煙をくゆらせる男の言葉に耳を傾ける。
「どう足掻いても勝てないと思える戦場でさえ、勝ち筋は意外と残ってるもんだ。焦ったら終わり、焦燥は失敗を生んで絶望を招く。仲間が来ないのなら、俺たち二人であの化物女に勝てる方法を見つけ出すぞ」
「………………ッ」
反論を呑み込んで、アナは唇を噛んだ。
それは正しい。歩みを止めてはならない。
協会の意向を守り通し、悪たる異端を鏖殺する人間兵器──己はその役割を貫き通すのみ。
「んで。さて、どうする?」
「……とにかくは情報収集です。最大の敵はサーヴァントではなく、あの女──聖杯を使って何を企んでいるのかは知りませんが、碌な事ではないでしょう。好きにさせるわけにはいかない」
確固たる決意とともに胸元の十字架を強く握り締め、アナは遠い湖面に映る月を睨む。
「………………む」
男は生温い夜風から何かを察知したかのように眉を顰め、再び無骨な高倍率スコープを覗き込んだ。
「何ですか?」
「面白い。早速、その「最大の敵」が死ぬかもしれん」
「──な。何ですって⁉︎」
「まあ待て、視覚を俺と繋ぐといい。これ以上は用心して手を出す事は出来ないが……俺には慣れたものだ。いつも通り、二人で見物させてもらうとしよう」
大人しく眼球の虹彩に魔力を廻し、同時にサーヴァントとの経路を強く意識する。
かなり難易度が高いとされるサーヴァントとの視覚共有だが、彼女は容易くそれを行なってみせた。──最も、あの女の暴虐を目にした今でなお誇れるほど、彼女は自らの能力を評価していなかったが。
「……っ‼︎」
「繋がった」確かな感覚と共に、視界がぐるりと切り替わった。
──最初に見えたのは、朱色の輝き。
次いで、空間に染み付いた青の残像。
人工島に生い茂る、黒々とした木立の奥の奥。戦闘の余波に木々が薙ぎ倒され、ぽっかりと穴を開けた仮初めの広場の中心に、一人の男が立っていた。
手に持つは、朱色の長槍。
アーチャーの視力を借り受けているお陰で、その神々しさと物々しさが均等に混ぜ合わせになったような異様な輝きが見て取れた。その鋭利な切っ先は女の心臓を刺し貫き、背中から飛び出して溢れる鮮血を地面に落としている。
「あれは……ラン、サー……?」