Fate/crescent 蒼月の少女【完結】   作:モモ太郎

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五十二話 英霊の領域へと

 ……明白すぎてうんざりするくらい、戦況は絶望的だった。

 こちらのセイバーは倒れ、まともに動くこともままならない。対して向こうは万全の状態らしい。こんな状態では、俺の足では逃げ切れるとも思えない。

 だが──そもそも、俺たちは戦いをしに来たわけじゃない。あくまで交渉に、聖杯戦争を覆さんとする敵に立ち向かうために力を借りにここへ来たのだ。

 アクシデントが重なってセイバーは瀕死、楓とキャスターは戦闘中のままという状況に陥ってしまったが、それでもこちらに敵対の意思はない。まずはそれを伝えれば──、

 

「うくッ⁉︎」

 

 反射的に首を振った。まるでセイバーの「直感」が俺に宿ったように、そうすべきと感じたのだ。

 そして直後、額があった場所を銀に鈍く輝く短刀が貫いていった。

 

「ま……待て、こっちに敵対する意思は──」

 

「君たちは最初から最も警戒すべき敵だ。言葉を交わす必要はない」

 

 その、どこまでも平坦な声を聞いて察する。

 この相手は駄目だ。何故かは知らないが、声の端々にこちらに対する不信感が滲んでいる。今俺が声をかけても、瀕死のセイバーでは勝ち目がないから打開策を探している、くらいにしか思われないだろう。

 

「クソ‼︎」

 

(悪いセイバー、ちょっと我慢してくれ‼︎)

 

 後ろ手にポーチを開けると、俺は隠し持っていたスタン・グレネードのピンを外した。

 投擲すると同時に目を瞑り、ぐるんと背を向けて耳を塞ぐ。背後で閃光が炸裂するやいなやセイバーを抱きかかえて、最高速で工場から離脱を試みる。

 

「が────ッ、あ⁉︎」

 

 だが、三歩も走らないうちに肩口に短刀が深く食い込んでいた。

 爆発する激痛、噴き出す血。

 バランスを崩して転倒しそうになりつつ、方向を変えて廃工場の敷地から飛び出すのは諦める。障害物も何もない正面玄関のあたりを走り抜けてここから離脱できるとは到底思えなかった。

 

「……ん、まぶしい……はずしたかも」

 

「──く……そ……魔術師のくせに変な手を使う……‼︎ アサシン、僕はいいから追ってくれ。……ここは僕の領域だ。奴の動きは手に取るように分かる」

 

「りょーかい」

 

 流石に回復が早いアサシンは短刀を新たに構えると、勢いよく工場の外に飛び出していく。

 倫太郎は咄嗟に庇ったとはいえまだ安定しない視界と平衡感覚にうんざりしながら、近くのタンクに手をついて意識を結び直した。

 十秒以上かけると、なんとか霧散しかけていた意識が元に戻ってくる。同時にこの敷地内の構造が頭の中に浮かび上がり、倫太郎はその中で蠢く「異物」の姿をはっきりと捉えた。

 

「────……そこか」

 

 その時、俺はボロボロになった工場の中を闇雲に走っていた。

 工場の敷地内には三つの工場棟が並んでおり、今は真ん中の棟から逃げ出して右側の棟に入ったところ。なにかの組み立て作業でもしていたのか、ベルトコンベアが五つは並列に並んでいる開けたスペースだった。

 と、再び首筋にチリっとした嫌な予感が駆け抜けて──、

 

「っく⁉︎」

 

 足裏を押し付けて急停止した瞬間、目視できない速度で何かが俺の前を駆け抜けていった。

 辛うじて見えたものを無理やり言葉にするなら──"真っ赤なギロチン"とでも言おうか。ただ、それが襲ってきたのは真横から。停止していなければ間違いなく腕と胴体を分離させられていた軌道だった。

 

「────⁉︎」

 

 悪寒は消えず、視界の端で赤い何かが瞬く。

 ほとんど考えずに体を動かし、身体を低くかがめて横に転がる。髪が断たれるほど紙一重のタイミングで、さらに二つのギロチンが俺の居ない空間を切り裂いていった。

 やはり早過ぎる。鋼鉄の機材も切断する切れ味も恐ろしい。当然ながら魔術のことはさっぱりで、あの赤い刃がどこからどう飛んできそうかなんて分かりゃしない。

 だが──神経を極限まで研ぎ澄ませば、それでもなんとかなってくれる。

 

「ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ……‼︎‼︎」

 

 発熱した身体の中で何かが蠕動する。俺という殻がすっぽりと脱ぎ捨てられて、まるで脱皮みたいに何かが生まれそうな感覚が臓腑を焦がし続ける。

 気をぬくと思考がバラけそうだ。

 例えば、今を生き延びることではなく、今手の中にいる無防備なセイバーの首筋に意識が持っていかれそうになる。

 

「走れ──いいから、走れっての──……ッッ‼︎‼︎」

 

 全身、指先に至るまでに違和感を感じながらも、可能な限り必死で足を動かす。そうしなければ、一瞬でも気を抜いてしまえば、余分な考えで頭の中が狂いそうだったから。

 そう考えると──この、今にも俺を切り刻もうとする赤の乱舞は実に心地いい。

 それを避けて避けて避けまくっていれば、気も紛れるというものだ。刻一刻と近づく体力のリミットも気にせずに、秒間隔で飛んでくるギロチンの嵐の中を走り続ける。それはサーヴァントが操る剣戟にも似て凄まじい密度と速度、威力を伴う死の嵐だったが、それでも俺に傷を与えるには至らなかった。

 

「ふぅん……キミ……何なの……かな?」

 

 だが、そんな都合のいい逃走劇も長くは続かい。

 天井や床を見事に跳び回って、暗殺者が俺の眼前に降り立った。

 まるで猫のようなしなやかな着地。それとほぼ同時に飛んできた短刀を躱して、俺はセイバーを抱いたまま拳銃を抜き放った。

 

「ぜぇっ、ハァッ、ぜえっ……‼︎‼︎」

 

「そんな無茶な動き、したら……身体も、おかしくなる。……お馬鹿さん、だね」

 

 その言葉を聞いた瞬間、俺の中で極限まで研ぎ澄まされていた何かがぱっと霧散するような感覚があった。

 そしてアサシンの言葉通り、俺の足から力が抜ける。糸の切れた人形のように倒れ込んだ俺は、そこで初めて自分の体力がとっくに尽きていたことを理解した。

 

「うぐ……ちく、しょ……ッ」

 

 ガクガクと震える足ではまともに立つ事もできない。

 というか、なんでこんなに追い込まれるまで俺はあの攻撃の中を無事に駆け抜けられたのか──と、自分自身が怪しくなってくる有様だ。

 

「しかし、頑張った……ほう。一体どんな……からくりか、知らないけど……キミの動きは、一瞬だけ……英霊のそれに迫るものがあった」

 

 もう答える気力も無かった。そもそも酸素不足で脳がぼーっとするし、言葉を話すための口はさっきから酸素を貪るのに必死で機能しない。

 このままでは、なすすべなく此処で殺されるというのに。

 辛うじて向けているベレッタ92を握る手も震えているし、そもそもサーヴァントに拳銃の鉛玉なんぞが効くとは思えない。

 

「でも、ま──終わりかな」

 

 短刀の切れ味を確かめるように、少女はそれを軽く振るう。ヒュオンッ、という風切り音がやけにはっきりと聞こえた。

 暗殺者の目を覆っていた包帯が外される。その奥から覗いた瞳を見た瞬間に、全身の細胞が恐怖と警鐘に震え上がった。

 見られているだけで、「アレは死をもたらす」と理解できてしまうほどの何かが、あの両目だ。

 楓から聞いたところによると──確かあれの名は、"直視の魔眼"。

 

「…………〜ッッ‼︎」

 

 間違いない。死ぬ。

 俺は恐怖からくる唾を無理やり飲み込んで、手の中のセイバーに一瞬だけ視線を落とした。

 微かに開かれた彼女の碧色の目が、「逃げてください」とでも言いたげに潤んでいる。目尻に溜まった涙はすぐに溢れて、彼女の柔らかな頰を流れ落ちていった。

 セイバーの涙を見たのは俺が死んだ夜以来だが、どうも慣れないもんだと思う。

 

(……この泣き虫さんめ。お前が死んだら俺も死ぬって忘れたのか?)

 

 ──いいや、そもそも。

 俺が生き延びるとか死ぬとか、俺に関する利害を全部度外視しても、俺はセイバーを失うという結末を単純に許せない。

 結局、ありきたりでどこまでもシンプルな感情論なのだ。

 「大切な人を失いたくない」っていう、恥ずかしいくらい素直な気持ちがあるから、俺はここまで全力で突っ走ってこれた。

 

(どうする。セイバーを守るには、俺はどうすればいい)

 

 臆するな。考えろ。「英霊」という最強にして破格の敵を相手にして生き延びる方法を、何としても見つけ出せ──。

 

 時を置かず、思考が再び熱を帯び始める。

 今度は体ではなく脳の方に、さっきまで俺に取り憑いていた何かが移ったようだった。考える事も倫理観も思考回路も、どれもが短絡的でどす黒い方向に染まっていく。

 

(ああ──駄目だ。手を伸ばしたらマズイ。これは、よくない)

 

 その選択肢を視野に入れるだけで心が軋んで悲鳴を上げる。

 精神が歪んで発狂しそうになる。

 魂が穢れて、どうしようもなく黒くなる。

 ロクなことにならないと知りながら、この得体の知れない何かを初めて自分で受け入れる際に襲い来るであろう痛みと恐怖を覚悟の上で、俺は黒い奔流に抗わなかった。

 そうしなければ後ろのこいつを守ることは叶わないと、それだけは理解していたから。言葉も碌に出ない今の彼女の瞳をじっと見つめてから、俺はいい加減に覚悟を決めた。

 きっとセイバーは怒るんだろう。いやもう怒ってるのかもしれないし、もしかしたら悲しむかもしれない。だから──、

 

「………………悪い、セイバー」

 

 絞り出した謝罪の言葉だけを残して、目の前の敵と対峙する。

 そうして、いつしか我が家の屋根の上で告げられた警告を、俺は堂々と真正面から破り捨てた。

 力だ。今はただ、こいつを守れるだけの力を寄越せと願って。

 

 ──そうして、意識が反転した。

 

 

 

 

「……?」

 

 アサシンは、足腰が限界にも関わらず、自然体でふらりと立ち上がった少年を見て奇妙な違和感を覚えた。

 その姿を見ると、完全に同一人物だというのに、まるでガワを同じくしたまま中身だけを取り替えたように思えたのだ。

 首を傾げながら、まあいいやと違和感は捨てる。どうせ"視え"ている黒点に刃を挿し込むだけで、全ては終わってくれるのだから。

 

 ──だが。

 少年の拳銃が跳ね上がってこちらの眉間に向いた瞬間、アサシンの警戒心は最大まで引き上げられた。

 

「つ゛⁉︎」

 

 全力で首を振るのとほぼ同時。空気を震わせて、鈍い銃声が鳴り響く。

 弾丸はアサシンの頰を掠って大気を貫くと、背後の錆びた機械に衝突して大穴を穿った。ただの鉛玉が持ちうる威力をとうに振り切った、まるで大槍をブチ込んだかのような破壊だった。

 軋み、歪み、連鎖的に金属が凹む嫌な音が連続する中──、

 

「こロしてやる」

 

 いつのまにか距離を詰めた少年が、勢いよくサバイバルナイフを振りかぶっていた。

 ゾッ、とするような無表情が顔に張り付いている。

 その刃が振り下ろされる速度はまさしく神速。それをまた神速でもって迎撃しながら、アサシンは驚愕に目を見開く。

 

「なに……キミは、誰……?」

 

「お──お、あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼︎‼︎」

 

 ギガガガガガガガガガッッ‼︎ と、猛烈な勢いで二振りの刃が衝突と離散を繰り返した。

 薄暗い廃工場の中で激しく火花が舞い散り、この工場にかつて溢れていたであろう光景をもう一度蘇らせる。

 

「アサシン⁉︎ なにが起きてる、そのマスターに一体なにが起きた⁉︎」

 

「わから、ない。ただ、なんか……すごく、強くなった」

 

「うんざりするくらいアバウトだな、君って‼︎」

 

 文句を言いながら、倫太郎は離れた場所から遠隔的に術式を次々と作動させる。

 魔法陣に込められた彼の血液が弾丸として作動し、秘められた「切断」の効力を存分に生かす形状をとって少年に襲い掛かるが──、

 

「────邪魔だ、どけ‼︎‼︎」

 

 今度は、もはや回避すらしなかった。

 彼に激突した瞬間、倫太郎の魔術の全ては容易く無効化されたのだ。

 

「な……⁉︎」

 

「……‼︎」

 

 倫太郎とアサシンに動揺が走る。特に何もすることなく触れただけで魔術を無効化するなど、それはまるで──、

 

「ただの人間が対魔力……⁉︎ アサシン、そいつは何か様子がおかしい‼︎ マスターだからって油断するな、サーヴァント同様に最大の警戒をもって相手をしてくれ‼︎」

 

「りょー、かい……‼︎」

 

 一瞬の隙を突いて、アサシンは少年のナイフを思い切り弾き飛ばした。

 彼のナイフを持つ右手が跳ね上がり、無防備の懐にしなやかな脚で強烈な一撃を見舞おうとして──、

 

「っ、また……‼︎」

 

 左手に握られた拳銃から発射された銃弾が、アサシンの腹を軽く裂いた。

 いや──そもそも、彼女が軽傷とはいえ傷つくというのがまずあり得ないことだ。

 サーヴァントにとって、人間が用いる近代兵器など玩具に等しい。神秘を纏わぬ弾丸では彼らに傷をつけられないし、たとえ魔力を弾丸に込めようが、拳銃の銃弾程度では彼らの動体視力からすればあまりに遅すぎる。

 では何故、彼の拳銃はサーヴァントに傷を与えうるものへと変わっているのか──。

 

「自律制御一時停止。狙いを変更、対象を目標から目標上部の構造物にシフト。目標より半径五メートル内の術式を選択、起動準備……」

 

 一進一退の攻防を続ける二人。

 その戦いを、視界の片隅に浮かべた映像で捉えながら──、

 

「うっ、く────全術式、放て‼︎」

 

 息を荒げつつも拒絶反応を抑え込んだ倫太郎の指示に従って、飛び出した血液のギロチンが廃工場の中を縦横無尽に暴れ回った。

 その狙いはセイバーのマスターから逸れ、彼の頭上に向いている。具体的には所狭しと並ぶパイプやゴテゴテしたダクトに加えて天井そのもの、それらが鉄塊の雨となって少年に降り注いだ。

 

「……‼︎」

 

 サーヴァントと戦闘するマスターとはいえ、その耐久力は人間のままのはずだ。単純な質量で押し潰されれば死に至る。

 が──ヒュヒュン、と鉄塊の中に閃光が瞬いたかと思うと、

 

「は、は、はははははッ、あ、あ゛ァぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ‼︎」

 

 それらを例外なく切り裂いて、少年は姿を現した。

 殺意を叩きつけながら咆哮するその姿は、まるで狂気に囚われたバーサーカーのよう。

 手に握られているのは一振りの黒光りする長剣。まるでセイバーが持つものを真似たように、その形状は瓜二つだった。しかしあんなに目立つ長物を、一体どこに隠し持っていたのか──、

 

「……まさか、さっきの……ナイフ?」

 

 首を傾げるアサシンに、少年は疾風じみた勢いで距離を詰める。

 足裏からの魔力放出──加速、加速、先程よりもさらに加速。空気に爆ぜ散る魔力の雷鳴を残像に残して、彼はセイバーに迫る速度にまで到達する。

 

「けど……まあ、残念だったね」

 

 形を変えたからか、先程よりも少年の剣さばきに磨きがかかっている。障害物も術式もおかまいなしに細切れにしていく剣戟を避けながら、アサシンはそう呟いた。

 そう──彼女を相手にする上で、彼が自らの武器を扱いやすいように伸ばしたのは失策だった。

 

「そんな長いんじゃ……こっちとしても、殺しやすい(・・・・・)

 

 形状が全く異なろうが元が同じならば、小さい刃より長い刃の方が、その分死点も多く捉えられる。

 アサシンが短刀を一閃すると、少年が持つ長剣がバラバラに分解されて宙を待った。

 次の攻撃に移る暇も与えず、彼女の拳と脚が次々に少年の体に突き刺さる。瞬く間に骨を数本はへし折って動けなくしたのち──、

 

「うん。……これで、おしまい」

 

 つまらなさそうに呟いて、彼女は倒れた少年の頭を掴み上げた。

 

 

 

 

 その光景を──、

 彼が私をそっと床に置いて立ち上がるのを、私は止めることができなかった。

 

「っ……やめ……それ、は……だめ……で……」

 

 声が掠れてまともに出ない。こんな蚊の鳴くような声では、もう背を向けるケントの耳には届かない。

 私はバカだ。大バカだ。本当の本当にバカだ。敵の攻撃でまんまと大怪我を負って、挙げ句の果てに彼をこんな窮地に追い込んで。

 

「おねがっ……です……から、ケントぉ……‼︎」

 

 サーヴァントとして戦えないことが、無力なまま彼を見守ることしかできないことが、涙が滲むくらいに悔しい。

 私は責められて当然だった。サーヴァントとしての責務を、彼を守り抜くという責務を何一つ果たせない私は、彼の信頼を全て失っても当然だった。

 それでも──役立たずの私を全く責めることなく、逆に死にものぐるいで守ろうとしてくれたケントは、申し訳なさそうな声色で呟いた。

 

「…………悪い、セイバー」

 

 そうして──彼の周囲の空気が、ぞわり、と蠢いて。

 次の瞬間、ケントは敵に向かって容赦なく引き金を引いていた。

 

「……ぐ‼︎ やめて、くだ……さぃ……ケント……‼︎‼︎」

 

 私の声はだれにも聞き届けられることなく、そのまま鮮烈な戦いが始まった。

 常人の限界をはるかに飛び越えてナイフを振るうケントの姿が、私にはひどく痛々しいものに見えて。彼の何を代償としてあんな力を前借りしているのかは、考えたくもなかった。

 

「お──お、あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼︎‼︎」

 

 血反吐をぶちまけるような、痛々しい咆哮が廃工場に木霊する。

 ケントは、見かけ上は、アサシンと互角に渡り合っていた。迫る刃を弾き落とし、逆に踏み込んで攻め込む余裕すら保っていた。

 でも──表面上は見えないところで、彼は確かに追い詰められていく。

 

「やめ……もう、もう……あなたが、そんなに……こころを、軋ませてまで……無理を、しちゃ……だめなんです……‼︎‼︎」

 

 彼が振るう力は、人が手にしていいようなものじゃない。それは私が一番理解している。

 あんなものに魂を穢されながら、それで戦い続けるのは──きっと、死ぬより何倍も恐ろしく苦痛をもたらしてしまう。たとえここを切り抜けられても、彼の魂に消えない傷を刻み込む。

 それは彼も、たぶん理解していたろうに。

 それでも負けられないと、自分なんざどうでもいいから力を寄越せと、彼は自ら地獄の深淵に身を投げた。

 

「う、うぅぅぅぅ…………っ‼︎」

 

 私のせいだ。

 私が万全なら、彼があんな姿を晒さずに済んだだろう。

 私が万全なら、彼があんなに傷つかずに済んだだろう。

 どれもこれも、今となっては意味のないイフ。残酷な現実は、今目の前で繰り広げられる光景となって私の心に突き刺さる。

 

「あ、あ゛ァぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ──‼︎‼︎」

 

 私の剣そっくりにナイフを変えたケントが、さらに速度を増してアサシンに迫る。足裏で瞬いたのは、魔力放出による稲妻の残滓か。

 だが──ありえないはずのケントの奮闘も、そこまでだった。

 いくら強化を重ねたとはいえ、元が市販の武器では限界があったのか。彼が振るう剣は粉々に砕け散り、次の瞬間に勝敗は決していた。

 全身に痛打を叩き込まれて倒れこむケントの髪が強引に掴まれ、アサシンは軽々と彼の身体を持ち上げる。

 既に私はカエデから聞いていた。あのアサシンの瞳は、どれだけ強靭なる存在であろうと、短刀の一刺しで殺してしまう希少かつ強力な魔眼であると。そしてケントはただの人間だ。そんな彼を殺すことなんて、あの目をもってすれば朝飯前もいいところ──、

 

「にげ……っ、ケント……‼︎ うぁ……まって、だめっ、やめ──」

 

 嫌だった。どうしようもなく、嫌だった。

 あれ程、最後の時には分かれるのが定めなのだと語っておきながら、いざ実際に彼が死んでしまうと思うとたまらなく怖かった。

 だけれど、呪詛に蝕まれた私の体はほとんど動いてくれず、微かに数センチだけ血まみれの身体を引きずっただけで──、

 

「じゃあね」

 

 トス、と。

 驚くくらい軽やかな音を立てて、彼の胸にアサシンの刃が吸い込まれていった。

 力を全て失って倒れ込んだケントは、もう、動かなくなった。

 死んだ。

 

「……………………う、そ」

 

 まず、私を容赦なく叩きのめすような絶望があって、私の思考が一度凍り付いた。頭の回転が完全に停止して、現実を認識しようとする脳と認識したがらない心のせめぎ合いがあった。

 そして──。

 言い表せぬほどに心中で膨れ上がった猛烈な憎悪が、この連中を今すぐ八つ裂きにしても気が済まぬほどの憤怒が、私の中をくまなく燃やし尽していった。

 

「マスター……敵は、死んだ。終わったよ」

 

「待ってくれ。まだセイバーが残ってる。もう虫の息だろうけど、念のため消滅を確認してくれ」

 

「はいはーい……」

 

 ああ──黒々とした感情で身体の中が燃え尽きそうだ。

 ぽっかりと空いたような心の中に在るのは憎しみと怒りだけ。

 

 そうして、自分が背負うべき咎の重さをもう一度理解した。

 もう二度と戻らないものを失ったことを改めて思い知った。

 その大切さを、尊さを、手から零れ落ちたが故に教えられた。

 

 そして──。

 

 

「き、さま、らあ゛ああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ───────ッッッッ‼︎‼︎」

 

 

 その激情を、自分の全てを引き換えにする覚悟で爆発させた。

 傷ついた霊基に更にヒビが入る。だが、己に残った魔力の七割を費やした攻撃の威力はそれに見合うものがあった。

 剣を振るえないならば全身全霊の魔力放出でもって吹き飛ばす、という考えのもとにうずくまったまま放たれた私の雷撃は、大雑把な狙いをつけて進路上の全てを粉砕していく。

 極大まで膨れ上がった雷撃は廃工場の八割ほどの敷地を無に帰しただけでなく、そのまま地表を舐めるように縦一線の焦げ跡を刻み込み、最後に湖面に激突して凄まじい水柱を作り出した。一瞬で熱せられた空気は熱風となって駆け抜け、私の涙を拭き取っていく。

 

「うッ……なんて奴だ。魔力を纏めて放出しただけだろうに、威力が並みの対軍宝具なみじゃないか」

 

「さぞかし、名のある英霊……みたい」

 

 瓦礫や燃え滓が落下してくる中。忌々しくもそれから逃れたアサシンとそのマスターが、こちらに敵対心の篭った目を向ける。

 

 ──貴様らだけは、私が出来る限り凄惨に殺してやる。

 

 憎しみしかない目を見開いて、私は覚悟を決めた。まだ私には、「魔王特権」を無理やり当てはめて常時発動を抑制しているもう一つのスキルがある。

 その名は、「無辜の怪物」。人々の認識によって歪められた私は、もはや人間とも魔族ともつかないバケモノとして顕現する。この姿は私は好まないし、何があろうと発動させることはないと思っていた。それでも、今この状況に於いてはそんなくだらない拘りなどどうでもよかった。

 この枷を一度でも外せば私は引き返せない。この身体はあっという間に伝承に知られるとおりの異形へと変貌し、ありとあらゆる破壊を撒き散らすだけの怪物がそこには残されるだろう。

 

「ガ……あ゛、ふふっ、ぁ……ぎ……あはははッ‼︎‼︎ ころし、て、やる‼︎‼︎ きまさらは、めちゃくちゃにして、殺す──‼︎‼︎」

 

 めきめき、ばきばき、と。骨が砕けて肉が裂けて身体が膨張する。

 これ以上進めば引き返せなくなるという一瞬前に、私はさっきから霞んでいる視界の中で、倒れて動かなくなったケントの姿を見た。

 ごめんなさい、と言いたくても、もう遅い。

 

「マズイ、まだ何かしようとしてる──アサシン、今すぐセイバーを仕留めてくれ‼︎」

 

「うん……‼︎」

 

 マスターの迅速な指示を受けて、憎き暗殺者が駆け抜けてくる。

 馬鹿め。お前が間合いに入った瞬間、私はお前ごと巻き込んで異形へと変貌する。

 その時はゆっくりと、マスター共々腹の中で細切れになるまで噛み砕いて殺してやる殺してやる殺してやる──、

 

「────オイ。暗殺者風情が、身の程を知りやがれ」

 

 直後。天空から、一つの稲妻が落下した。

 それは地面に垂直に突き刺さると、アサシンとそのマスターがいた場所を容赦なく破壊し尽くした。轟音と空気が焦げる匂いがボロボロになった廃工場を席巻し、土煙の中から一人の男が姿を現わす。

 

「よォ、セイバー」

 

 眩いほどの閃光を撒き散らしながら黄金の髪を逆だてる、その姿。

 まさしく──二度も戦ったライダーが、私を庇うようにしてそこに立っていた。

 

「らっ……らい、だー……?」

 

「おーおー、テメェ程の英霊でも存外追い込まれるもんだ。が──テメェはここで死なせねぇ。舞台に上がる前にくたばる役者なんざ許せるわきゃねえわな。まあ、前はちと興が乗りすぎたんだが……今は自重してやる。分かったらとっとと逃げろ」

 

「なっ……けど……ケント、が」

 

「馬鹿野郎、よく見やがれ。直視の魔眼だかなんだか知らねえが、アイツはまだしぶとく生きてるぞ」

 

 弾かれたように視線をケントに向ける。

 彼はやはりぴくりとも動かない。だが──それでも、一度冷静になって意識を向ければ、確かにケントとの繋がりを感じ取れた。

 あの魔眼を前に何故生きているのかは分からない。

 とにかく、安堵から思わず力が抜けそうになるのを堪えて、不可解にも私を庇おうとしているライダーに意識を向ける。

 

「あーれ……? 私、殺し損ねたこと、ないんだけどな……」

 

「フン。テメェのその、「直視の魔眼」とやらは確かにどんなモンでも、神だって殺し得る反則級の魔眼だって事は聞いてる。だがな、もう既にくたばってる奴を殺したところで結果は変わらねえだろうが」

 

「……蘇った死者とかなら……ちゃんと、殺せるよ?」

 

「そりゃぁ食屍鬼とかそういう話か? 阿呆、連中は死したまま動いていても、厳密にはヒトとは違う「生きている別生物」ってカテゴリに含まれてんだよ。だからテメェの魔眼は反応する、殺せる。けどそこのソイツは本当にただ死んだまま、別種の化物に変貌する事もなく、ただヒトのまま世界に抗い続けて生き延びてる超レアケースだ。だからお前の魔眼で殺しても、死人が死人になるだけで変化はない」

 

「何だって……? そのマスターは、もう死んでるって言うのか」

 

 問答を繰り返すライダーとアサシン、そしてそのマスターを眺めてていると、視界の端で何かが動いた。少しだけ視線を動かしてそちらを見ると、地面を這うアリの大群のようにこちらに向かってくる無数の影が見える。

 それがキャスターの式神であると気づいた時には、私は数百の紙人形に抱え上げられていた。先程私がアサシンのマスターが張り巡らせた結界を全て破壊したから、ようやく敷地内に入ってこれたのだろう。

 

「とまあ、理屈は置いておいておいて。どうする、テメェらが今すぐ俺と戦いたいってんなら勿論──っと」

 

 ライダーの言葉が不自然に途切れる。

 その理由は私にも理解できた。東から超高速で向かってくる超弩級の魔力反応が一つ、私の壊れかけの感知にも反応している。

 この、尋常ではない存在感を持つものといえば──、

 

「来たな狂戦士。おいマスター、令呪を寄越せ。あの大英雄は一筋縄じゃあいかねぇぞ‼︎」

 

 次の瞬間、遥かな夜空に翠色の閃光が瞬いた。

 令呪による恩恵か、ライダーの身体にまとわりつく紫電がより一層熾烈に膨れ上がる。そしてほぼ同時に、そのサーヴァントは暴威と疾風を伴って姿を現した。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■────‼︎‼︎」

 

 バーサーカーの手にした魔剣が唸りを上げ、ライダーが身を引いた場所を地面もろとも抉り取った。そのまま二騎はもつれ合うように激突を繰り返し、衝撃波と突風が撒き散らされる。

 

「な……っ、バーサーカー ……‼︎」

 

 式神はケントの身体も私同様に持ち上げて、一目散に東へ向かって走り始めた。だんだんと遠くなっていく廃工場の跡地から視線を外さないまま、私はあの衝突の結末と、アサシン陣営の動向を見送ろうとする。

 だが心身ともに、限界が私に追いついてしまった。

 思考はもうまともに保てず、視界は次第に狭まっていき、私はそこで意識を失ってしまう。最後に聞こえてきた激しい戦闘音は、やけにしつこく耳に残っていた──。


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