Fate/crescent 蒼月の少女【完結】   作:モモのすけ

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五十五話 代行者、溶けゆく心/Other side

「──問う。お前が、俺のマスターか」

 

 霧散していく魔力の霧の中で、彼はその姿を眺めていた。

 自らを呼んだ召喚者。やがては彼の戦友になる定めの、一人の少女の姿を。

 しん、と静まり返ったトンネル。本来ならば使われる筈のない、線路に並ぶ形で作られた避難用通路。滅多に人の立ち入らないその場所で、召喚の儀は執り行われていた。

 

「はい。私が貴方を召喚しました」

 

 平坦で、凍てついたような声が木霊(こだま)する。

 応えた声には英霊を前にした歓喜も畏怖も無く。ただ、事実を事実として述べるだけの作業じみた返答だった。

 

「サーヴァント、アーチャー。真名はシモ・ヘイヘ。お前の召喚に応じ参上した。俺は主人を守る剣になれる訳じゃないが、用心棒くらいなら受け持とう」

 

 ひとまず、どこか頭のネジが飛んでいたり殺人狂のような奴ではなさそうだ、ということに安堵しつつ、アーチャーは掌を差し出す。

 それを少女はしばらく見つめた後、

 

「………………ああ。握手、ですか」

 

 まるで握手という行為が存在する事を今しがた思い出したといった様子で、アーチャーの手をそっと握り返した。

 その様子を見てアーチャーは怪訝な表情を見せる。

 自らを召喚した少女。西洋人と思われる顔立ちに金糸に似て美しいブロンドの髪、身に纏うは漆黒の修道服。

 見かけはまだまとも(・・・)だが、どうも違和感を感じる。

 

「マスター、名前は?」

 

「アナスタシア=グレチニシコワ=イリイーニチナです」

 

「そうか」

 

 ……最低限度、必要な事柄のみを伝える返答だ。

 アーチャーは己がマスターに対して好奇心とも警戒ともつかぬ感情を抱きながら、探るように会話を続行する。

 

「──どうして俺を呼んだ?」

 

「私に下賜された触媒が、かつて貴方が用いたという猟銃だったからです。貴方の隠密性が任務遂行に役立つと判断されたのでしょう」

 

「その任務遂行とは何だ? どうもお前は魔術師じゃないな。その服装から察するに教会の人間か」

 

「はい。遅れましたが私は第八秘蹟会所属の代行者であり、今回の聖杯奪取任務を担っています。詳細は後ほど」

 

(これは驚きだな。かの有名な教会のエクスキューター、神の代行者がマスターとは。この違和感もそのせいか?)

 

 生前から奇跡や魔術についてある程度の知識を有していた彼は、その名前に聞き覚えがあった。最も実際に会って言葉を交わしたりした経験はなく、あくまで想像するしか出来なかったのだが。

 

「お前の出自、目的はよく分かった。次は……お前自身の話でもしようか」

 

 誰もいないトンネルの床にどかりと座り込んで、アーチャーは召喚陣の側に置いてあった古い猟銃を手繰り寄せた。

 懐かしい木と火薬の薫りが入り混じった匂い、銃身や木目についた細かな傷。どれもが自らの記憶と合致していて、確かにこれは自身がかつて狩りに用いたものだと確信する。

 

「私についての会話? 必要ありません。貴方が把握すべき事柄は現在の戦況と私からの指示、それのみです」

 

「────やはりお前、どこかおかしいな」

 

 アーチャーは不満げに鼻を鳴らす。

 この少女にはどうも何かが欠落している。

 その"何か"がなんなのかはある程度察しがついたが、アーチャーは鷹の目を鋭くしてアナスタシアに再度話しかけた。

 

「いいから話してみろ。お前は過去に何があって、いまこうして神の代行者とやらを務めている?」

 

「…………それは」

 

 やや口ごもるような素振りを見せたが、アナスタシアは素直に自分の身の上を話し始めた。

 代行者になる道を歩む前は、田舎のありふれた教会の一人娘として生きていたということ。

 そして数年前、いわゆる"魔"などと呼ばれる者らに家族を皆殺しにされ、保管されていた聖典と融合して一人生き延びたこと。

 

「…………語る必要があったとは思えませんが。そののち私は魔の撃滅を命題とする代行者となり、今に至るのです」

 

「ふむ」

 

 手で弄んでいた猟銃を置き、アーチャーは彼女が無意識のうちに握りしめている、首から下げられた小さな十字架を眺めた。

 

(おおかた何もかも失って、復讐に頼るしか無くなったのか。言うなれば心を閉ざした復讐鬼。……そういう奴は、俺も沢山見てきた。戦争の中で敵への憎しみしか持てなくなった奴はごまんといる)

 

 アーチャーは過去の戦争で散っていった者らの姿を思い返す。

 銃声と悲鳴と吹雪の音しか聞こえないようなあの戦場は、そうした連中の恨みで埋め尽くされていた。

 自分はどこかドライで、ただ命じられた事を遂行することに徹しきっていたから、そうした黒い感情に囚われることは無かったが──、

 

(大の大人でも容易く心を喪う。人の心は脆いもんだ。それが、まだまだ何も知らない子供だったってんなら尚更か)

 

 北方の厳寒に震えながら、理不尽に全てを奪われたことへの怒りと憎しみに縋ることしか、幼い少女にはできなかった。

 だから、きっと──その時点で、アナスタシアという人間の心は凍結されたのだ。

 心は冷めきり、感動も喜びも感じない。

 深くに刻まれた傷跡は、アナスタシアの心にそんな暖かさ(よぶん)を許そうとしない。だから、「握手」という、初歩的な友好を示す行為にさえ戸惑いを見せた。

 

「チッ……」

 

 アーチャーは忌々しげに舌打ちする。

 彼は知っている。そうした人間を山ほど見てきた。

 そして──そのどれもを、彼は救えなかった。

 アナスタシアという少女が置かれた境遇が腹立たしいのか。それとも、そう知りながら何も言葉をかける事ができない自分が腹立たしいのか。

 

 ……それが、この二人の出会いだった。

 

 そして、しばらく時間は流れて。

 アーチャーは今日もビルの屋上に陣取ったまま、己のマスターと念話を交わしていた。

 

「──再度確認を取るが。奴らとは共闘はしないがハッキリした敵対もしない、ってことでいいんだな?」

 

『ええ。彼らとの関係は一時的な停戦と、せいぜい情報共有をするくらいに抑えます。目下最大の敵が仙天島の魔術師なのは確かですが、こちらは私達が思うように動く。その方が貴方もやり易いでしょう』

 

「無論だ。深入りしても最終的には敵同士になることを考えれば、確かに妥当な結論だな」

 

 昨晩、キャスターとそのマスターから聞かされたのは、今の大塚市で何が起きているか、という事だった。

 深くは割愛するが──仙天島に潜む魔術師は大聖杯に何らかの細工をしたのか、サーヴァントを推定七騎従えているらしい。ルールを根底から覆す過剰戦力を前に、彼らは共闘を申し出たのだ。

 

"……確かに、その言葉には信憑性がある。私たちがこのまま争っていては各個撃破を招くだけでしょうから、貴方たちとの停戦は必要ですね。そこのサーヴァントに過去を勝手に覗かれた事は不本意ですが、貴方たちの提案を呑むとしましょう"

 

 そう言って、アナスタシアは彼らの提案に応じた。

 そして一晩が経過し今に至る、という訳だ。

 

「まあ、狙撃手の距離を取っておきながらあのキャスターとガキに遅れを取ったことは不本意だが……」

 

『意外と気にするんですね、貴方は。少し意外です』

 

「当たり前だろうが。結果的に良い方向に転んだとはいえ、あの条件で勝利できないようでは「白い死神」の名がすたる」

 

 憂さ晴らしに煙草に火をつけながら、アーチャーは己の油断と慢心を反省する。令呪で正確に瞬間移動を果たした騎兵はどうしようもなかったとはいえ、あのキャスターは倒せる相手だった。

 

『あれは共に戦った私のミスでもあります。それに貴方にはまだライダーにつけられた傷が残っていますから、本調子ではありません』

 

「慰めどうも。次はキチンと仕事を果たすさ」

 

 目を細めて、アーチャーはふと己のマスターと出会った日のことを思い出した。心まで凍て付いた、あの少女と初めて言葉を交わした日のことを。

 

「なあ。マスター、俺を呼んだ日の事を覚えているか」

 

『あ、すみません、今お店の方が忙しく……もう一度お願いします』

 

「……フ。いや、なんでもないさ」

 

 アーチャーは口元に微笑を浮かべて、空に消えていく紫煙を眺めた。

 ……アナスタシアは、この短期間で急激に変わりつつある。

 その理由は決まっている。アナスタシアが下宿している喫茶店の店主の存在、ただ一つだ。

 

「随分と感情豊かになったもんだ。独りになって以来、ほとんどの時間を教会の管理下で過ごしたと言うし、そういう機会が無かったんだろうが」

 

 ──全て失った日から、彼女に安息は訪れなかった。

 最初はありふれた孤児院に引き取られるも、すぐにアナスタシアは教会の者らに引き渡された。

 なんせ詳細不明ながら強い退魔の力を宿した少女など、格好の研究材料だ。

 アナスタシアは結局最後まで自分と融合した聖典のことを話さなかったらしいが、彼女は多感な時期にずっと独り、暗い牢獄のような部屋に閉じ込められるしかなかった。

 かつて家族と築いた暖かい思い出も、思い出せば辛いだけ。

 だから蓋をした。心の深い深いところに沈めて、二度と浮かび上がらないように努めてきた。

 ──だが。長い時を経て、任務を遂行する過程でとはいえ、彼女はついに安寧というものに触れた。

 店内に満ちる平穏。店主の優しさと誠実さ。そういったものがアナスタシアの心に絡みついて、閉じた蓋をこじ開けたらしい。

 つまるところ、今のアナスタシアは、心を喪う前の彼女に着々と戻りつつあるのだ。

 

(ああ、お前はそっちの方がずっといい。叶うならばずっと、そのような心を抱え続けて欲しいものだ)

 

 言葉にはせずとも、彼は高潔なサーヴァントだ。

 自己の幸福よりも、正しき主人の幸福を願っている。

 

「ああ──俺があの男のような善人なら、或いは」

 

 かつての戦場で復讐鬼に堕ちた者らを、もとの道に引き戻せたのだろうか。

 殺し殺される連鎖を、どこかで止める事が出来たのだろうか。

 自ら撃ち殺した者らに対する罪悪感を無視して、言われたことをやるだけの機械になろうとした。そうした連中から「止めても無駄だ」と目を逸らして、自分の役割に没頭した。

 そんな真逆な自分では、無理な話か──。

 

「ふん、今更考えても意味が無いか」

 

 煙草の吸殻を床に押し付けて、アーチャーは二本目の煙草に火をつけた。

 

 

 

 

『アサシン。今日の夜、志原と一緒にバーサーカーのマスターに接触する。万が一の場合は君とキャスターにバーサーカーと戦ってもらう事になるけど、異論は?』

 

 赤毛の少年が自らのサーヴァントと思しき少女に確認を取る姿を、一対の小さな瞳が高みから見つめていた。

 壁面に取り付けられたパイプにぶら下がったコウモリ──の形をとる使い魔は彼らの会話内容をしかと記録し、主たる魔術師の元へと送信する。

 

「────……成る程」

 

 薄暗い部屋の中、一人の男の姿があった。

 西洋人特有の彫りの深い顔立ち。顎には立派な髭を蓄えているものの、顔には若々しい生気が溢れている。二十代後半といった容姿であった。子供でも高級と分かるような灰色のスーツをピシリと着こなし、如何にも貴族然とした風格を漂わせている。

 修道服だったり忍者だったりと、変な連中が揃っている今回の聖杯戦争における参加者の中で言えば、もっとも魔術師らしい(・・・)格好をしている、と言えなくもないだろう。

 

(色々と不可解があったがこれで繋がった。クラスの重複、禁忌とされる多重召喚。第五次の際にもキャスターが英霊を召喚したらしいが、今回のそれ(・・)は比較にもならん)

 

 ──男の名は、マリウス・ディミトリアス。

 時計塔の鉱石科に属する名門生まれの魔術師にして、バーサーカーを使役するマスターの一人である。

 

「既存のルールが覆され始めたか。元より監督も何も無い野蛮な殺し合い、ルールなどあって無いようなものだったが」

 

 志原楓と繭村倫太郎の会話を盗聴し、現在の聖杯戦争が如何に定石を逸脱し始めているかを理解しつつも、マリウスはさしたる驚嘆や困惑を見せなかった。

 彼は聡い。情けや感情に流されて冷静さを失うような者では魔術師は務まらぬと、幼い頃から自らを律しているからだ。

 そのストイックな生き様の成果か、君主の地位に就くまでには至らずとも、未だ三十半ばにしてマリウスはかなりの成果を残している。確実な研究実績、優れた後継者、資金確保も抜かりなく、まさに秀才という言葉が相応しい男だった。

 

「そしてキャスター陣営とアサシン陣営は結託し、共闘を試みている、と……確か第四次の際にそうした指令が出された前例が有ったが、それに近い形になるな」

 

 もっとも、「令呪の獲得」といった分かりやすい報酬も正規の指令もない、曖昧模糊な共闘だが。

 とはいえ志原の魔術師の言葉から察するに、再契約を果たしたセイバーもそんな共闘関係に加わっているらしい。

 残る三騎士の弓兵、槍兵がどう動くかも気にはなるが、やはり最重要はバーサーカーを使役する自分がどう動くか、という事であろう。

 

「さて。この流れに乗るべきか否か──」

 

 男はより一層眼光を険しくし、壁際へと歩み寄った。

 一面ガラス張りとなったそこからは、ビルの最上階ということもあいまって狭い大塚市が一望できる。青く澄んだ湖面に霞む仙天島を一度だけ視界に入れてから、男は口の端を吊り上げた。

 

「愚問だな。他の誰でもない、聖杯は私が奪う。誉れ高きディミトリアスの末裔として、他者の力を借りずとも──私が勝利を収めてみせるさ」

 

 呟いて、視線を肩越しに向ける。

 

「最強を誇る貴様とならば、聖杯に至ることも不可能ではない。暴れてもらうぞ、バーサーカー」

 

 いつの間にか背後に控えていた狂戦士は返答を返さず、凍てついたような眼光を主に向けるだけだった。

 高ランクの「狂化」による影響か、彼の引き締まった筋肉に覆われた肢体はそのままだが、その肌は血に濡れたように赤黒く変色している。それを上から守護する鎧は煌びやかな黄金色に輝き、傷痕ひとつ残さぬ堅牢さを誇示していた。

 手には一振りの長剣が握られ、不気味な黒靄が生物のように蠢いている。

 

「今まで逃げに隠れてを繰り返されてきたが、今回は別だ。あの連中は夜、向こうからこの場所を訪れるだろう──貴様にはこの英霊二騎を殲滅してもらう」

 

 このサーヴァントが言葉を解するのかは未だもって謎なところが多かったが、マリウスは律儀にバーサーカーに状況を語る。

 彼には確信があった。

 この英霊は万夫不当、一騎当千と謳われる英霊の中でも文句無しの"最上位"クラスに位置する男だ。

 英霊が二騎程度(・・)では相手にすらならないと、マリウスはよく理解している。「最優」のクラスと称され、神代の英霊であると同時に同じくトップサーヴァントに名を連ねるであろうあのセイバーを小細工なしに撃破した事からも、その強さは実証済みだった。

 

「存分に暴れろ、魔力ならば問題ない。そこの(・・・)と私の魔力量であれば、十分に供給には足る」

 

 マリウスは視線をバーサーカーから外し、部屋の端で三角座りをしている小さな少女に目線を向けた。

 目が紅く、雪のように白く透き通った肌。

 背丈は短く、十歳かそこらの年齢のように見える。だが実際は更に短く、せいぜい生後三年かそこらといったところであろう。

 

「…………っ」

 

 彼女はマリウスの視線を嫌うようにトコトコと床を走ると、大きなバーサーカーの陰に体を引っ込めた。

 この少女をある者が見れば、こう思っただろう。

 第五次聖杯戦争にて狂戦士を引き連れていたマスター、アインツベルンの最高傑作たる少女に似ている……と。

 

「──……また、戦うの?」

 

 太いバーサーカーの脚から片目だけ覗かせて、小さな少女は小声で尋ねる。

 

「ああ。聖杯戦争という儀式に参加した以上、戦いは避けられない」

 

 さも当然とばかりに、彼は返答した。

 毅然とした声色は空気を震わせ、マリウスの覚悟を彼女に示す。

 

「だが、それをおまえが気に病む必要はない。戦いを担うのは私とバーサーカーだ。それが嫌だと言うのならば、お前はここで待っていろ」

 

「………………気をつけてね」

 

 幼い少女はそれだけ口にして、再びバーサーカーの陰に隠れてしまった。

 勝手に視線避けの障害物にされているバーサーカーはと言えば、特に何かを話す様子もない。彼女もまた主人であると認めているからか、まるで石像のように微動だにしなかった。

 

「陶芸品などと揶揄される割には可愛げのない。それでも構わんが」

 

 若干不満げな言葉を漏らしてから、マリウスは踵を返す。

 その背中を──白い少女は、もう一度顔を覗かせて見守っていた。

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