Fate/crescent 蒼月の少女【完結】 作:モモのすけ
「……………………」
倫太郎は曖昧な表示で沈黙したまま、敷いた座布団の上で正座していた。
その隣にはアサシンが足を崩して座っており、倫太郎が貸し与えたパソコンでなにやら調べている。どうせ大した事を調べているわけではないと思うが。
「〜〜♫ 〜〜〜〜♫」
若干ズレた音程で鼻歌を歌いながら、楓はキッチンに立っている。
動くのに都合のいい深夜帯まで時間があったため、倫太郎は大塚市の中心区から一度家に戻ることにした。それだけならばいいのだが、何故か楓とキャスターも一緒について来たのである。
それから紆余曲折を経て、倫太郎の家で楓が料理を作るという謎の状況にもつれ込んでいるわけだ。一体どうしてこうなっているのか、正直倫太郎にもよく分かっていない。
「……僕も何か手伝おうか?」
楓とはいえ客に料理をさせるというのは申し訳ないので、倫太郎はおずおずと提言してみる。
「いや、いいわよ別に。もうちょっとでできるし、そこで待ってて」
すとーん、と大丈夫だと告げられて、倫太郎はすごすごと姿勢を戻す。
「……アサシン。なんで志原は急に料理しだしたんだろう?」
「わかんない」
ちょっと前まで敵対し、時に殴られ、時に手榴弾を投げつけてきた彼女が、こうして警戒を解いて料理をしているというのはまったくもって奇怪な状況である。
まあ──それはともかく。邪魔にならないよう髪をポニーテールに纏め、見慣れないエプロン姿になった楓の姿は、そこそこ長い付き合いながらも倫太郎の目に新鮮に映った。
「………………ハッ⁉︎」
思わずぼーっとして彼女の後ろ姿を眺めていると、隣から冷たい視線が突き刺さってくることに気づく。
倫太郎は慌てて「なんでもありませんよ僕は」と言わんばかりに咳き込んだのち、窓から見える中庭に視線を移した。そうでもしないとアサシンの目線は延々と刺さり続ける気がしたからだ。
「はい、できたわよー」
と、タイミングよく楓が料理の乗ったお盆を持ってきて、倫太郎とアサシンの前に置いた。
「楓ちゃ〜ん、僕のは?」
「ちゃんとあるから安心して。ほら、これ倫太郎のぶん。こっちが貴方のぶん」
いい匂いに釣られたのか、見張りを務めていたキャスターが姿を現わす。ここ最近カップ麺しか口にしていないアサシンもにわかに顔を輝かせて、不慣れながらも箸を持った。
そんなこんなで、どうも落ち着かない食事が始まった。
炊いたばかりの白米を口にして、倫太郎は軽く頰を緩ませる。ここ最近インスタント製品しか食べていない生活だったし、久々のまともな食事はありがたい。
「……志原、わざわざ作ってくれてありがと。でもなんで僕の家で料理を?」
「馬鹿ねえ、そんなの作りたいから作ったんじゃない。どうせアンタ、家の人がいなかったら全部冷凍食品とかカップ麺で済ましてたんでしょ? そんなの身体壊すわよ」
「む……まあお察しの通りではあるんだけど」
思わず黙り込んでしまうくらいには、楓が作った夕食は美味しかった。ご飯に汁物、ほうれん草のおひたしに焼き鮭という、何の変哲もない夕食ではあるが、味付けや焼き方に細かい工夫や気遣いが見られる。
「家庭的な料理」という観点からすれば文句の付け所のない夕食と言えた。何度か楓の弁当を食べた経験がある倫太郎だったが、改めて彼女の料理スキルは高いと実感させられる。というか、この二年でさらに腕を上げたのではないだろうか。
「……うまいな、やっぱり」
「…………ふ、フン。当たり前よそんなの。小さい時から、 基本うちのご飯は私が預かってるんだからね。分かり切ってることを言う必要はないわ」
「またまたぁ、素直じゃないなぁ楓ちゃんは。賞賛は素直に受け取るが吉やで。他の友達と話してるときはそうでもないやろうに、倫太郎クンには必要以上に刺々しくするんやから」
「そ、そんなことは……あるかもしれないけど。けどいいもん、私がどう振る舞おうと被害に遭うのはコイツだし」
「な、なんだよそれ⁉︎ 全く、君は昔からそうだな……‼︎ 君が何かやらかすたびに基本的に僕が後処理に回されるんだ‼︎ 未だに僕は覚えてるんだぞ、貴重な霊薬のサンプルを君が間違えて粉砕した事とか試験体を逃しちゃって街中探し回った事とかその他諸々とか‼︎」
「そそ、それは謝ったし私だって手伝ったでしょ⁉︎ しかも粉砕したって事件の原因は、もともと霊薬を間違えて飲んで酔っ払ったアンタが私を押し倒してきたからであって」
「僕が五番の霊薬を持ってくるよう頼んだのに八番を持ってきたのは君だった筈だ‼︎ 元はといえばそっちが悪いじゃないか‼︎」
「そもそもあの時は瓶に貼られてたラベルが──‼︎」
「あれはたしかに掠れてたけどでも見えないほどじゃ──‼︎」
両者、椅子から腰を浮かせて睨み合う。このまま放っておくと過去のいざこざを全て引っ張り出してどっちが悪いか議論にもつれ込みそうだったので、
「ごはん……冷めちゃう、よ?」
アサシンは口元をモグモグさせながら呟き、やんわりとヒートアップしていく口論に割って入った。
生来のんびりした感じの彼女が口を挟むと、場の雰囲気が急に弛緩する。
「ふ、フン。もういい」
「僕だってもういい」
会話を打ち切るように楓がお味噌汁に口をつけたので、倫太郎も合わせて夕食を堪能することにした。なんとなく喧嘩してるムードは残っていたが、昔からそういったささいな衝突は日常茶飯事なので、一時間もすればケロッとどちらからともなく戻っているだろう。
正念場は今日の深夜。
それまでゆっくり休んで、ここ最近の戦闘で消費した体力を取り戻そう。改めておいしい料理を用意してくれた楓に内心感謝しながら、倫太郎はそう思ったのだった。
◆
──数時間後、夜。
まだ深夜帯に入るには少し早い時間だが、既に周囲は闇に閉ざされている。光を失った空は見渡す限り曇に覆われ、今にも降ってきそうな不吉な空模様だった。
「……で、セイバーの様子は?」
スマートフォンを手にした楓は、倫太郎家の大きな屋敷の上に座り、無意味に足をぷらぷらさせていた。
楓は暇になったり、なにか考えたりしようとすると、おもむろに屋根の上に登る癖がある。それは兄の健斗も同様だ。煙とバカは高い所が好き、なんて言うことを楓も承知しているが、屋根の上に登ると気持ちがいいのだから仕方がない。
もし倫太郎がそんな事を言ってきたら頭を数発はたいてやる、と思いながら、楓は兄との通話に意識を戻す。
『いや……あまり芳しくない、と思う。俺にはよく分からないけど、セイバーはまだほとんど動けそうにない。さっきになってやっと体を起こすことができたくらいだ』
「……そう、思ったより深刻なのね。セイバーの対魔力でも打ち消せないとなると相当に強力なのか、別カテゴリに属する力なのか、それとも単にセイバーと相性が悪かったのか……」
考え込む楓に、端末越しに健斗は話しかける。
『そういや、アーチャーの野郎の真名は分かったのか?』
「あ、そうか、まだ言ってなかったっけ」
キャスターの千里眼は、間合いに入ったモノの過去を見通す力を有している。昨晩アーチャーに接近し、そこから彼が読み取った
「あの男の名はシモ・ヘイヘ。冬戦争っていう近代の戦争で活躍した、伝説級の狙撃手よ」
『狙撃手……スナイパーか‼︎ だから飛んできたのが矢じゃなくて銃弾だったんだな。飛んでくる弾を見たとき、変だと思ったんだよ。現代兵器はサーヴァントに効かないって話だったしな。まさか狙撃銃を使うなんて、そんな近代の英霊もいるのか……』
「なにバカな見栄張ってるのよ、音速を振り切って飛んでくる銃弾がお兄ちゃんに見える訳ないじゃない。……まあいいわ、とにかくお兄ちゃんはセイバーと一緒に安静にしておいて。バーサーカーとの接触は私達がやる」
『なんだか昨日あんだけボコボコにしてくれた連中と協力するってのは癪だけど、力になってくれるんなら……まあいいか』
お兄ちゃんが根に持つタイプじゃなくて良かったなあと、ひそかに一安心。
『でも、気をつけろよ。バーサーカーの奴はこっちのセイバーですら敵わなかった強敵だ。もし戦闘になっちまったら無茶はするなよ、あとバーサーカーのマスター狙いに注意すること。セイバーはそこで油断して、前のマスターをまんまと殺された』
最優の称号を誇るセイバーが敗北を喫した、という事実は、今も楓の肩に重くのしかかっている。その事実一つを取っても、これから遭遇するであろう英霊が相当な強敵であることは理解できた。
「忠告ありがと。じゃ、切るわよ。明日の朝にはまた連絡する」
『おう。セイバーはぐっすり寝ちまってるし、俺も休む。あとは任せるけど、気をつけてな』
楓は通信が切れたスマートフォンを布地の隙間に差し込んで、ほぅ、とため息をついた。
楓は既に私服を着ていない。纏っているのは、いつぞや健斗と戦った時にも着ていた志原家伝統の黒装束である。
首から足先まで黒づくめの衣装だが、脇下と太腿のあたりには大きなスリットが入り、可動性と通気性を高めている。首元には季節外れのマフラーに似た長布が巻かれているが、これには他者に対する認識阻害の魔術が掛けられているのだ。
深い闇の中では彼女を視認することすら難しく、たとえ可能だったとしても、顔を覚えるのは困難となるだろう。闇に溶け込んで迅速に目標を殺害する──という、志原の家が今に至るまで行ってきた汚れ仕事を為す上で、もっとも適していると言える服装だった。
(けど、やっぱり恥ずかしい……)
楓は結構大胆にバッサリ開いている太腿のスリットを見るたびに、こうしてゲンナリするのであった。
(なんでこんな開いてんのよぅ……クナイ取り出すぶんには役立つけど、こう……慎み、みたいなのは無かったわけ?)
屋根の上で一人煩悶とする楓。
と、屋敷の周囲を満たす虫の音を遮るように、屋根瓦を踏みしめる足音があった。
「…………貴方、は」
楓は驚きとともに言葉を呑み込む。そこに姿を現したのは、彼女のサーヴァントであるキャスターでもなく、既知の魔術師である倫太郎でもなく、彼のサーヴァント……アサシンだったからだ。
「わ……私に何の用?」
「君……に、聞きたいことが、ある」
包帯越しの目に見つめられ、楓は少し全身を硬ばらせる。
空気が震えている気がした。目の前の英霊から放たれる殺気じみた緊張感が、屋根の上に充満していくのがありありと分かる。
少なくとも、世間話をするような様子ではない。
楓はそれだけ理解すると、無意識のうちにごくりと唾を飲み込んだ。
「聞きたい──こと?」
「うん」
知らず知らずのうちに毛を逆立てて警戒する猫のようになっている楓に対し、アサシンは無言のままに近付いて──、
「君……わたしのマスターのこと、好きでしょ」
そんな、爆弾じみた一言をブン投げてきた。
立ち上がりかけていた足が思わず屋根の上を滑り、瓦の上を何度か転がって落ちる寸前で停止。しばらくわなわなと体を震わせたあと、楓は勢いよく真っ赤な顔を上げて、
「ば、ばっ、バカなこと言わないでよ‼︎‼︎」
……と、アサシンに向かって声を張り上げた。
「うそ。わたし、分かるもん」
「う、嘘じゃないし‼︎ いい⁉︎ 私は倫太郎なんて、あんな奴なんて、だいだい大嫌いなんだからね‼︎ そんな馬鹿な事言わないで‼︎」
「たしかに……君の言動は……マスターに対してだけ、やけにきびしい」
「じゃあ……‼︎」
「でもね。わたし……ねっと、で見たよ。そういうのは、"ツンデレ"って……言うの。ぶっちゃけ、それ、もう古いと思うから……やめといたほうがいい」
「つつ、つんっ……‼︎⁉︎」
あんまりな物言いに思わず何も言えなくなり、楓は顔を真っ赤にしたり青くしたりを繰り返す。
「どうして……そこまで、躍起になって……自分を……自分の気持ちを、否定しようと、するの?」
「わ、私はっ……‼︎ 私は、自分を……否定してなんか……」
「してるよ、君は」
アサシンの言葉に、楓は強く言い返すことができなかった。
まるで言葉が短刀となって、自分の心に突き刺さるよう。
彼女の言葉は、のんびりとした口調で語られながら、しかしどうしようもなく核心を突いてくる。逃げたりはぐらかしたりするのを許さない、直球どストレートな言葉の奔流。
「それで、いいの?」
「………………っ」
言葉に詰まって、楓は視線を弱々しくアサシンから逸らす。
……それで良いのか、とアサシンは聞いた。
そんなの良いわけがない。自分の気持ちに蓋をして、その蓋が外れないようにわざと変に振る舞うのが、楽しいわけがない。
楓は目尻に涙を溜めながら、アサシンを睨みつける。
「アンタに……たかが倫太郎に召喚されただけのアサシンに、私の何が分かるのよ‼︎ 私の気持ちも知らないで、ふざけた事を言わないで‼︎」
「君の気持ちは……理解してる、つもりだよ」
楓は無言を保ったまま、アサシンの言葉の続きを待つ。
「君は……ただ、
その言葉は正しい。まるで心を抜き取られて全部丸見えにされたのではないかと思わずにはいられないほど、その言葉は正しかった。
自分の弱さや情けなさを全部言葉にして指摘されて、楓は唇を噛むことしかできない。
「……………………そうよ、その通りよ」
長い沈黙を経て、楓は爪が食い込むくらい硬く拳を握り締めた。
「けどね、アンタに分かるの⁉︎ 好きだった人に、「二度と関わるな」なんて言われる気持ちが……‼︎ 他の連中にのけものにされて、差別されるくらいならいい、でも、よりによってアイツにまで拒絶された私の気持ちが‼︎」
「…………………」
「二年前になんでアイツがあんな事をしたのかは分からない。もしかしたらやむを得ない事情があったのかも、なんて今では思ってる。でもね、それでも、もしそうだったとしても……‼︎ 一度失ってしまったら、「また失うんじゃないか」っていう恐怖は消えてくれないのよ‼︎ そんなの、もう、どうしようもないじゃない……‼︎」
信じたい。信じたいけれど、もう既に、楓は一度裏切られたのだ。倫太郎がその手で楓との記録と思い出の全てを焼却するという、最悪の形でもって。
そんな相手をどうして心の底から信用できよう。かつての日のように心の底から親しく話しかけることが、どうしてできようか。
楓は流れ落ちそうな涙を堪えながら、血反吐を吐くように叫び続けた。
それをアサシンは受け止めて、更に一歩を踏み出しながら言葉を返す。
「そうだね。それは、どうしようもない。その心の傷を作ったマスターが悪いってことは、確かだと……私も思う」
それは当然の悲しみであり、嘆きだった。
だからアサシンは否定しない。彼女の苦しみは当然のことであり、そこに生まれる葛藤もまた当然だった。
「でも──……わたしは、きっと、諦めない」
それを知った上でなお、アサシンはそう断言する。
楓はその言葉の意味が理解できずに、首を傾げた。
諦めない、と言われても、何を諦めないというのか。
「うん。そうだね、わたしがもし、「二度と関わるな」なんてマスターに言われたら……たぶん、おもいきり、ぶっとばすよ」
「……は、はい?」
「そんなこと言うなんて、女の子に、失礼……だもん、ね?」
「い、いや、そうだけど」
たしかに言われてみれば失礼だが──そんな事を感じる以前に、あの時の楓は絶望に打ちひしがれていた。
この少年もまた他の魔術師と同じように、自分を見ようとしない。
魔術の世界に於いて、誰も、自分を理解してくれる者はいない。
そうした事実に叩きのめされて、二年前の楓は何もできなかった。
「そんでもって、それから……わたしは、マスターに、聞く。なんでそんな事を言ったのか、そんなこと、しなきゃいけなかったのかを」
「それは、アイツは本来わたしと関わっちゃいけない魔術師で……‼︎ それで、正式な後継者になるからって……‼︎」
「
疑問に思わなかったのか、という言葉を聞いて、楓は二年前の自分を脳内で反芻する。
確かに妙ではあった。倫太郎の言葉通り、「正式な当主になることが決定したから、これ以上楓の師匠として魔術を教えることはできない」のならば、理解できる。
だが、なにも工房をぶった斬って、全てを燃やし尽くす必要はなかった筈だ。
その旨を伝えるだけにとどめておけば、あのような最悪の決別を迎えることもなく、また楓を冷たく突き放す必要もなかった。
じゃあ、なんで──倫太郎は、あんな事をしたのだろうか。
記憶を洗いざらいにすれば、自然と疑問は湧いてくる。じゃあ何故、こうして言われるまで、その答えを突き止める気になれなかったのか──、
「わたしは……まだ、マスターとは短いつきあいだけど……それでも、彼の人柄は理解してる。マスターは、そんな冷徹になれるような人間じゃ……ないと思う。もっとつきあいの長い君なら、それくらい、分かったんじゃないかな」
「でも……私、は…………」
「断言するよ」
頭を抑えて首を振る楓に、アサシンの冷徹な言葉が飛ぶ。
「君は……弱い。弱っちくて、そのくせ勇気もなかったから、彼を最後まで信じる事ができなかった。「所詮は彼も魔術師だったんだな」って勝手に納得して、一人で打ちひしがれて、泣くことしかしなかった。みっともなくても、最後の最後まで、足掻こうとしなかった」
「……〜〜っ‼︎」
図星だった。無意識のうちに避けてきた自分の弱みを、アサシンの言葉という刃でくり抜かれて、晒し者にされた気分だった。
反射的に激昂した楓は勢いよく太腿に挟んだクナイを引っ掴むと、アサシンの首筋に向かって振り抜く。
しかし相手はサーヴァント。目視すら難しい速度で抜かれたアサシンの短刀は、震える楓の刃を受け止めて、簡単に弾き飛ばした。
そのままアサシンの身体がぐるりと回転し、楓の胸に痛烈な掌打を叩き込む。悲鳴をあげる間もなく薙ぎ倒された楓が起き上がろうとすると、その喉元数センチ先に、鋭い刃が突きつけられていた。
「…………しかた、ない、じゃない」
カラカラ、と無機質な音を立てて、クナイが屋根の上を滑っていく。
自分を屋根の上に押し倒して刃を突きつけるアサシンを睨みつけて、楓はなりふり構わず声を張り上げた。
「私はずっと弱くて、負け組で、落ちこぼれで……‼︎ そんな私が自信なんて、勇気なんて持てっこないじゃない‼︎‼︎」
魔術師として生きる中で、彼女の生涯は挫折と苦悩と自己嫌悪、そういったもので埋められていた。
どこまで努力してもほとんど結果は出ない。
たとえ結果が出たところで、それを認める者はいない。
それどころか、その存在そのものを否定され、侮辱される。
そんな人生を送ってきた楓の中に、自信なんてものは一分たりとも無く。代わりにあるのは、折れそうになる心を必死に支える反骨心と、周囲に押し潰されまいとするか弱い自尊心だけだった。
「けどね──自信や勇気が持てないのは、なにも、君みたいな人だけじゃ……ないよ。マスターだって、勇気が欲しいと、いつも悩んでる」
「え……アイツが……? あの、才能の塊みたいな奴が?」
「そう。私が言いたいことは──人は成長できる、ってこと」
アサシンは屋根の上から母屋を見下ろして、今は久しぶりの仮眠を堪能しているであろう倫太郎に想いを馳せる。
「マスターはしっかり、自分の道を見極め始めたようだけど……君はまだまだ、未熟だね。前に失敗したのなら……今度はきちんと、その失敗を糧にするべきだと思う。それが、成長のひけつ、だよ?」
楓は言葉を失ったまま、アサシンの言葉を聞いていた。
倫太郎も自分と同じ悩みを抱え、苦しんでいるというのも驚きだったが、彼女の言葉は何より、失うことを臆する楓にどうすべきかを示してくれた。
「君にはまだ、やれることが残っている。──それでもまだ動かないような臆病者なら……君に、マスターはあげないからね」
アサシンはそう言い残すと、屋根の上から姿を消した。
湿った風が吹き抜けていく。もうじき雨が降るのだろう。
屋根の上で大の字になって呆然としたまま、楓は曇天の空を眺める。
『君にまだ、やれることが残っている』
アサシンが残していった言葉を何度も何度も反芻する。
これからどうして、どう向き合えばいいのか。
それはきっと勇気を少し振り絞るだけで、簡単に見つけ出せるのだろう。
「どれほど難しいかも知らないで、あいつ」
きゅっと口を引き締めて、楓はぽつりと呟いたのだった。
◆
「随分と人間観察がお得意みたいやなぁ、アサシン」
廊下を足音を消して歩くアサシンの前に、霊体化を解いてキャスターが姿を現した。壁にもたれたまま扇子を顎に当て、妖しげな目を細めてアサシンを見つめている。
「別に。視覚をある程度制限してると……逆に、人の隠してる部分とか……そういうのに、敏感になるだけ」
「成る程ねえ。そりゃ確かにそういうモンや。ま、楓ちゃんにとってもタメになるお話だったもんで、口は挟まんかったけど……」
直後、キャスターの扇子がぴしりとアサシンの額に向けられる。
ほぼ同時に魔力が唸りを上げ、瞬きの間に彼は戦闘態勢をとった。
「──二度と彼女に刃を向けンなよ、アサシン。次は僕が許さんぞ」
眼光を鋭く研ぎ澄ましながら、キャスターは吐き捨てるように忠告する。
「自分の主を、傷付けられるのは……嫌い?」
「当たり前やろがド阿呆。僕が主に仕える英霊の身である以上、彼女の安全は全てにおいて優先されるってモンや。……ま、楓ちゃんやからこそやる気が出てるっちゅうのは否定せんけどね」
サーヴァント同士が対峙する硬い空気を霧散させるように、キャスターは自分から魔力の放出を中断した。短刀に手が伸びかけていたアサシンは、それをもって力を抜く。
「とにかく、喧嘩してる余裕があるような状況じゃあない。忠告だけに収めといたる」
「……どうも、ありがと」
二つの影は闇に溶けるように消えていく。刻限まではあと少し、彼らは各々の時間を過ごしたまま、動き出す時を待ち続けた。