Fate/crescent 蒼月の少女【完結】 作:モモのすけ
倫太郎と楓が床を駆けて、左右から同時に襲いかかる。
マリウスの眼はそのさまをしかと捉えていた。魔力による動体視力の強化だけではない。彼の全身を包む礼装は、単なる運動能力だけではなく、使用者の神経伝達速度さえも引き上げてみせる。
全身を魔術で形成した特殊合金の鎧で包むという、いかにもな外見の重々しさに反して、マリウスは軽やかに初動へ移る。
その、まず最初の狙いは──、
「っ……⁉︎」
こちらの右手から回り込んでくる楓だった。
身体を並みの人間には再現できない速度で反転させ、右の拳を振り上げる。重々しい外見に反し、そのあまりの俊敏性──楓はおろか、倫太郎にすら予想できなかった。
驚愕に楓の目が見開く。回避が間に合うのか否かという事が脳裏によぎった瞬間には既に、彼女の頭上に拳が振り下ろされていた。
「が────ッ、ぎ⁉︎」
凄まじい金属音。楓の口から押し殺したような悲鳴が漏れる。
楓が咄嗟に頭上で交差させた両腕、そこに嵌められていた白籠手と、想像もつかない威力を誇るマリウスの鉄拳が激突したのだ。
その衝撃は彼女の小さな身体を伝播し、特に両の腕に甚大なダメージを刻み込んだ。たった一撃で骨が軋み、強化しているはずの腕がへし折られそうな激痛が走る。
「志原────‼︎」
想像以上の可動性に冷静さを欠いた倫太郎は、マリウスの背後から木刀を叩き込む。
だが、しかし──。
「う、ぐ……⁉︎」
倫太郎の木刀は──"概念切断"に特化した倫太郎の熾刀魔術は、強固なマリウスの礼装を破ることができなかった。焔を纏って振り払われた木刀はしかし、甲高い音を立てて弾かれる。
いくら武器が強化を施しただけの木刀とはいえ、倫太郎の才覚は常軌を逸している。それだけでコンクリート塊を容易く両断する事が可能とされるほどだ。
それでも、この鎧は──……あまりにも硬すぎる。
「バカな。それがあの熾刀魔術だと? 我が珠玉の結界を切り裂いた、あの? ──ふふ、はははは‼︎ 未だもって我が礼装とディミトリアスの家名を愚弄するか、繭村‼︎」
マリウスの言葉には怒りと失望が込められていた。彼は知っていたのだ。自らの結界を切り裂いた、かの倫太郎の剣の切れ味を。
しかし、これはどうだ。
魔術回路の励起も中途半端、定められた動作も不十分。熾刀魔術が持つ本来の性能を、まるで引き出せていない不出来な魔術。
私はこんなものが見たいのではない──という激昂の一声とともに、マリウスは腰をひねって器用に後ろ蹴りを放つ。
「ぐがっ⁉︎」
それは咄嗟に防御に回した木刀ごと倫太郎を吹き飛ばし、痛烈な衝撃を叩き込んだ。
「うぐ……ぁ……、く……っ‼︎」
「チ、まだ潰れていないか。無駄にしぶといところも害虫に似る」
「や、かま、しいっ……私を、あんまり、舐めるな……‼︎」
回路の回転数を上げて、四肢の「強化」の精度を引き上げる。
その強化精度は瞬く間に危険域に達した。少しでも集中を緩めて魔力の制御を手放せば、四肢の筋繊維がめちゃくちゃに引き裂かれるだろう。例えるなら、強化に失敗したガラスが粉々に砕け散るのと同じことが自分の身体で発生する。
が──そんな失敗、もう何十回と繰り返している。
倫太郎が成功を積み重ねる魔術師なら、楓は失敗の果てに成功を掴む魔術師だ。もはやそんな危険性は無いに等しい。勝つ為に強化精度を可能な限り引き上げていく。
「あ、あ、ううああああああああああああああ……‼︎」
上からの圧力でまともに動かなかった足が、辛うじて動き始める。
ギギギ……と、楓の動きを止めさせていたマリウスの腕が、少しづつ上がっていく。単純な力比べにおいて、楓の膂力がかすかにマリウスの礼装機能を上回ったのだ。
「小癪な。貴様如きが我が礼装の自律強化性能を上回るか」
だが──上からの圧力により動けない楓と違って、マリウスは自在に動ける。
それが何を意味するのか、楓は次の瞬間に思い知らされた。
動けない楓に、マリウスは容赦のない前蹴りを叩き込んだのだ。
小さな身体がくの字に折れ曲り、楓は悲鳴すら上げられずに床を何回か転がって停止する。
「お、ま、えェェェェェっ────‼︎‼︎」
再度、倫太郎が床を蹴り飛ばしてマリウスに肉薄する。
魔力回路の回転率はどうあがいても30パーセント以下。ぎり、と歯を食いしばって魔術への嫌悪感を噛み殺し、繭村の熾刀魔術を組み上げる。
二度目の攻撃に際し、倫太郎は己の攻め口を変えていた。
繭村の起源である「切断」。それが通用しないとなれば、頼れるのは自らが持つ「属性」──彼の場合は火、すなわちは
彼が熾刀魔術を行使する際に発生する焔は、一流魔術師の火焔にすら相当するものの、どれもが副産物に近しいものだ。「切断」という結果を発生させる過程で生じる、彼が持つ属性の発露。
熾刀魔術を行使する上で本来重要視するべきは「属性」ではなく彼の起源であるため、普段はさして気に留めない。
しかし──この時においては、それがもう一つの武器になる。
「むっ……⁉︎」
突発的に膨れ上がった火焔が、マリウスの体を呑み込んだ。
金属の塊に全身を包まれたままそんなことをされれば、中の人間は蒸し焼きだ。
だが──、
「この私を甘く見たな、繭村の」
赤い火焔を引き裂いて、倫太郎に伸ばされた腕があった。
それは倫太郎の頭をむんずと掴み、宙に吊り上げる。掴むといっても、その握力はもはや常人のそれではない。ヒトの頭蓋骨すら容易く砕く、圧搾機じみた握力だ。
「ぐが、あ゛ぁぁあ゛ぁぁぁぁぁぁ……っ⁉︎」
楓が痛みを無視してはね起き、倫太郎に向けてひた走る。
それを視界の端で捉えたマリウスは、片手で掴んだ彼の身体を勢いよく投げ飛ばした。倫太郎の身体が楓に激突し、彼らはそろって後のない壁際まで転がっていく。
「ゲホッ、ゴホッ‼︎ 悪い、志原……」
「だ、大丈夫……それよりあの変な鎧、なんなの……⁉︎」
恐らくは特殊鉱石の一種だろう。門外不出とされる数百に及ぶ工程と、材料となる数十種の金属を積み上げて、ようやく数グラム抽出できるかといった超希少魔金属。
"魔石の担い手"……マリウスの手によって作り上げられたそれは、通常の自然法則では生み出されない頑健さを誇る。
「
正式名、
ディミトリアス家秘蔵中の秘蔵──これが時計塔の学議で公表されれば、鉱石科における礼装開発の次元が一つ二つ跳ね上がるだろう。
神代の神鉄の名を冠するにふさわしく、この礼装はマリウス自ら作成した特殊合金で形成されている。鋼鉄の数倍に及ぶ堅牢さに加え、随所に仕込まれた対属性ルーンが魔術や呪詛の類すらも無効化する。
まさに歩く人間城塞を作り出す、鉄壁の礼装と言えただろう。
「……成る程、ディミトリアスの一族がそれほど情熱を傾けた礼装とはね。ソレが堅牢なのも頷けるよ。素晴らしい技術だ」
「フ。あまりそう褒めたものでもない。いくら硬いとはいえ、私が敬愛したケイネス氏の傑作……「月霊髄液」の利便性と自律防御には及ばないだろうから、な」
ゴキン、ゴキン、と金属の鎧を唸らせて、マリウスは笑う。
「倫太郎、このままじゃジリ貧よ。一度体制を立て直さないと……」
蹴りを叩き込まれた脇腹を抑えながら、楓は苦しげに顔をしかめて提案する。
倫太郎もそれには同意だ。一度退いて何か対策を練らないと、打開策なんて出てきそうにない。このまま嬲り殺されるのが関の山だろう。
「だがな、勘違いしてもらっては困るぞ。私がこの礼装を組み上げる上で焦点を置いたのは、そもそも「防御性能」ではないのだから」
そんな焦燥に駆られる中、マリウスが動いた。
すう、と彼の両手が掲げられる。倫太郎は同時に発せられたマリウスの言葉を聞いた瞬間に、何か嫌な予感を感じ取っていた。
「防御性能はあくまで二の次。私が真に求めたものは至極単純でね。敵対者を問答無用に屠り去る……」
「まずい志原っ、こっちに──‼︎」
「──……絶対的な「火力」だよ」
倫太郎の言葉が言い終わらないかといったタイミングで、マリウスの掲げた両掌が光を放った。
閃光が瞬いた瞬間──。
銃弾に等しい速度で、高密度に圧縮された魔力弾がマシンガンのように撃ち放たれる。色とりどりの光弾はそれだけが壁を穿つ威力を誇り、倫太郎たちが立っていた壁際に残らず着弾した。
「………………」
瞬く間に蜂の巣にされた壁面は砕け散り、灰煙が膨れ上がる。
だが、マリウスは手応えを感じていなかった。煙の向こうに霞むのは瓦礫の山だけで、倒れ伏す人影はなく──。
◆
「「はあっ、はあっ、はあっ……‼︎」」
荒い呼吸が二人ぶん、照明がまばらについた薄暗闇の中に響いている。
倫太郎が咄嗟に床を破壊し、下のフロアに転がり出た彼らは、そこから更に数階ぶんの階段を下っていた。
辺りには数多のデスクが配置され、楓が読んでもちんぷんかんぷんな書類やらパソコンの類やらが散乱している。彼らは結界が構築されていた空きテナント階のさらに下、昼間は普通の会社員が詰めているフロアにまで撤退してきたのだ。
「くそッ、無茶苦茶だあんなの。個人使用の礼装にしては性能が高過ぎる‼︎ まるで戦車じゃないか……‼︎」
「あ、アンタっ、んなことより傷は……」
楓が目線を向ける倫太郎の肩口には、うっすらと血が滲んでいる。
避けきれなかった魔弾の一発が、倫太郎の肩肉を抉り取ったのだ。
「……こんなのかすり傷だよ。べつに、君が無傷ならいい」
「バカ。そんな顔でよく言えたわね。根がビビりなんだから強がってんじゃないわよ、こんな時まで……ほら、ちゃっちゃと見せて」
「大丈夫だよ、刻印があれば勝手に塞がるし後で治療だって……いででででわかった見せる見せる見せるから無理やり引っ張るな‼︎」
血で張り付いたようなTシャツの袖をめくり上げ、楓は懐から取り出したハンカチを傷を抑えるようにぐるぐると巻きつける。その手つきは慣れたもので、止血の応急手当はすぐに施された。
彼女の鍛錬には昔から傷が絶えなかったため、楓はこういった処置が得意なのだ。当の本人はそれが得意であることを悲しく思っているが、なんにせよ今はその経験が役に立った。
「つつ……ありがとう志原、助かったよ」
「別にどうってことないわよこれくらい。た、助けてもらったのはこっちもだし」
素っ気なく呟いて、首元のマフラーをなんとなく弄ってしまう楓。
照れたりすると口調がぶっきらぼうになるところは兄によく似ているのだが、本人は未だに気づいていない。
「それより倫太郎、アンタ一体どうしたわけ? 全然魔術回路が働いてないじゃない、自慢の魔術はどうしたのよ?」
「そ、それは……だね……」
倫太郎は「やっぱりそう来るよなあ」と内心でげんなりしつつ、どうせ言わなきゃならない事だったし、と顔を上げる。
自分が魔術に対して嫌悪感と恐怖を覚えてしまう、という事実。
倫太郎が聖杯に勇気を願うきっかけになったその問題を、とうとう彼女に告白するときがやってきたのだ。
「────はぁ? 魔術が、苦手……?」
「だ、だから言ってるだろ。どうも、魔術を使うのが僕は大の苦手なんだ。そういう人種なんだよ、無理に拒否反応を抑えつけようと何度も試みたけど無駄だった。アレルギー反応みたいなものさ」
そうして打ち明けた彼の悩みに対し、楓は思わず大声で素っ頓狂な声を出してしまった。
何度か聞き直して聞き間違いの類ではないことを確認したあと、楓はじいっと倫太郎の瞳を覗き込む。てっきり笑われるか馬鹿にされると思っていた倫太郎は、逆に呆気にとられてしまった。
「びっくりした。まさか、よりにもよって魔術の神様の大のお気に入りみたいなアンタが、その実魔術が大の苦手だったなんて……」
楓はぶつぶつと呟いたあと、倫太郎の顔にずいと自分の顔を近けけ、
「そもそも、なんでアンタは魔術を嫌うわけ?」
それだけが分からない、と言った顔で聞いてきた。
「なんで僕が、魔術を嫌うか……?」
そのあっけらかんとした問いは、何故か自分に一つの光明を与えてくれるような気がして、倫太郎は無意識のうちに拳を握りしめた。
思ってみれば、そう確固とした理由があるわけではない。
ただ、魔術を習った頃から、この感情はずっと胸の奥で燻っていた。
いついかなる時も、魔術を使う事への恐怖が倫太郎の背筋に潜んでいた。
その理由は──彼自身にもよく分からない。だから分からないなりに考えて、仮説じみた結論を出してみることにする。
「……ああくそ、ちょっと待ってくれ。頭がこんがらがる……ええと、まず僕が担う魔術は「熾刀魔術」。ありとあらゆるモノ、形のないものさえ切り捨てる物騒な魔術だ」
「そうね。単なる物理的な破壊に留まらない、いわゆる"概念切断"。それが倫太郎のもっとも得意とする魔術」
「けど、僕は同時に……その、認めたくはないけど臆病なんだ。さっきも君が言ってた通りだよ」
自虐的な、どこか諦めたような声色で、倫太郎は続ける。
「僕はたぶん、僕自身の力が怖いんだと思う。どんなモノも容易く斬り伏せて、場合によっては命さえも斬り捨ててしまう、この抜き身の刃みたいな魔術が怖いんだ。これを極めた果てに、僕自身だけが食い潰されるくらいならまだいい。でも、僕が少し扱い方を間違えれば……こいつは、他人を容易く傷付ける」
「……ええ、そうね」
「それは」
倫太郎は、無意識のうちに険しい表情を浮かべて呟く。
「それだけは……嫌なんだ。自分のため、家名のためにこの力を使って、自分じゃない他人を傷つけるのは。でも僕は魔術師だから、そうして生きていかなきゃならない」
そもそも「魔術師」とは、ある種究極の自己中心的生物だ。
自らの探求のために全てを費やす。その為ならば、どんな犠牲も被害も厭わない。ただ自分自身とその家系が良ければそれで良し、とする非人間の集団。
そういった存在が、本来魔術師と呼ばれる人間なのだ。
そして倫太郎は魔術師である。それも凡百の内の一人ではなく、繭村という大家の期待と未来を背負った、まだ若き十九代目当主だ。
ならば、どうするのか。魔術師でありながら、まっとうな魔術師のように、自分の為にこの力を使いたくないのなら。
自分は一体、誰のために魔術を使えばいいというのか──、
(じゃあ、なんであの日……ってのは、今は聞く時じゃないか)
楓は今の切迫した状況を優先して、倫太郎に告げる。
「なによ、それじゃあどうすればいいかなんて決まってるじゃない」
「え?」
「アンタはね……たぶん魔術師じゃなくて、生まれついての
魔術師ではなく、魔術使い────。
その言葉は、生まれた瞬間から魔術師であることを運命付けられた倫太郎にとって、まさに光明にも等しい一言だった。
自分の中で何かが震えているのが分かる。この震えは歓喜によるものか、天啓を得た感動によるものなのか。ともあれ凄まじい衝撃と、目が醒めるような感覚を倫太郎が感じていたことは確かだ。
「……魔術、使い。そうか、魔術使いか、この僕が……」
「いい? とりあえず……これからずっと、とは言わないけど、アンタは今だけ魔術師をやめなさい。そうしたら何かが変わるかもしれないし、魔術を簡単に使えるようになるかもしれない」
「ちょ、ちょっと待ってくれ、今から魔術師をやめる⁉︎ 僕が⁉︎」
「だから今だけだっての‼︎ いい倫太郎、アンタはまごう事なき天才なんでしょ。なら全力が出せたらあんな奴なんて怖くない。きっと勝てる、そうよね」
「また根性論みたいなコトを……そもそも、あの礼装は完全に規格外だ。個人が使用していいようなものじゃない。動く小型戦車みたいなもんだよ、アレ」
あの性能の礼装を起動させるには相当の魔力を要するだろうに、マリウスに魔力が切れるような様子はなかった。それも奴は、既に魔力消費量の最も大きいバーサーカーと契約を済ませているのに、だ。
そこに何かカラクリがある……筈なのだが、未だどの考えも仮説の域を出ない。
「大丈夫よ。私が太鼓判押してあげるから、アンタは自分の才能と力を信じてればいいの。んでもって、アンタがマリウスを倒せるとっておきの作戦を教えてあげる」
「僕が? さっき、僕の攻撃は通らなかったんだぞ」
「そりゃあ万全の状態じゃないからでしょ。本気の本気、100パーセントの力をぶつければ、あの礼装を突破できるかもしれないじゃない。んで、アンタが全力で魔術を振るうためには──」
楓はそこで勿体ぶるように一度息を吸い込んで、
「とっても簡単よ。合図するから、
そう言って、にこりと笑ってみせたのだった。
◆
ゆっくりと階段を下って一階層ずつ敵対者の影を探していたマリウスは、薄暗闇の中に見える一つのシルエットを捉えていた。がらんどうの階層ではなく、平時はオフィスとして使われているのであろう、事務机がある程度規則的に配置された空間。そこに誰かが立っている。
闇に溶け込むような黒装束。魔力で眼球の強化を施していなければ、恐らく発見は困難だっただろう。別段隠れているわけでもなく、堂々と立っているだけでこれ程の隠密性を発揮するのだから、志原一族の技術も侮れない。
「ここに居たか、コソコソ逃げ回るのは羽虫に似て鬱陶しい。いや、この場合はドブネズミといった表現が正しいか?」
「だ、誰がドブネズミよこの大ボケ‼︎ アンタ、後で床に頭擦り付けて土下座させてやるから覚えときないよ‼︎」
憤慨する楓の側に、倫太郎の姿はない。
大方どこかで隙を伺っているのか、志原の力を頼って姿を隠すとは繭村も堕ちたもの……とやや落胆しながら、マリウスは騒ぎ散らす楓に殺意の篭った目線を向ける。
同時、彼の手のひらがすっ、と楓に向けられて──、
「死ね」
「うっ⁉︎」
凄まじい面制圧力を誇るマリウスの魔弾が、楓に向かってばら撒かれた。
驚きつつもそれを予想していた楓は身を翻し、事務机の向こうに姿を隠す。
(何を馬鹿なことを。たか机ごときで、我が
マリウスの礼装の向こうに覆い隠された眉が、困惑でぴくりと動く。
彼の礼装は絶大な火力を誇る。膨大な魔力消費量を無視して放たれる掃射は、コンクリート壁ですら容易く穴だらけにするほどだ。
だが、撃ち続けても、ごくありふれた事務机を破壊できない。
「これは、まさか……」
無駄と悟ってマリウスが射撃をやめた瞬間、机の陰から楓が飛び出した。強化は万全に済ませ、目にも留まらぬ速度でマリウスに迫る。
「チッ‼︎」
再びの斉射。が、楓は90度進路を変えて机の陰に飛び込み、迫り来る魔弾の雨をやり過ごした。
ガガガガガガガガガ──‼︎ と弾が机の表面を叩く轟音を聞きながら、楓は我が意を得たりとばかりに笑みを浮かべる。
「成る程──ここら一帯の構造物全てに「強化」を施したか。これでは私の攻撃が貫通しない。随分と大それた事をしてくれたが、貴様の手によるものではあるまい」
「ええ、その通りよ‼︎」
びゅんっ、と楓が机を飛び越えて、マリウスに迫る。
「これ程に障害物が多い中では、私の両掌もその性能を引き出せん。たしかに良い策だ。……だが、貴様は一つ忘れてはいないか──‼︎」
対して、マリウスは立ち止まって掌を向けるでもなく、楓との最短距離を詰めるように床を蹴った。必然的に、二人は真正面から激突していく形になる。
片や魔術による身体的強化、片や礼装による身体的強化。
ほぼ同一の力を手にした二人の魔術師は次の刹那、真正面から己の拳を交わし合った。
「くう……‼︎」
当然ながら拮抗とはいかない。基礎魔力の差に体躯の差──楓の拳の方が強く弾かれ、彼女は足元をよろけさせながら後退する。
それは一瞬ながら、あまりにも致命的な隙だった。
この瞬間に素早く足を踏み出して距離を詰め、マリウスが反対の拳を正確に振るっていたならば、楓はなすすべなく吹き飛ばされていただろう。
だが、楓は攻撃を受ける事なく態勢を立て直し、再度マリウスに向かっていく。
「チ、小賢しい……‼︎」
先程は真正面から向かっていった楓が、今度は攻め方を変えた。
馬鹿正直な力比べを避け、周囲を跳び回りながら隙を伺う。薄闇に姿を隠しながら目にも留まらぬ速度で動くその様は、まさに本物の忍者のように見えた。今のマリウスが正確に捉えられるのは、彼女の姿の後を追うように揺れる首布くらいのもの。
「ふん、やっぱりね。アンタは魔術師であって、本来なら研究職の人間よ。いくら礼装で身体能力を引き上げたって、アンタの動きはただの素人と変わらない……」
闇に潜む声が、挑発するように声を張り上げる。
楓の目には、マリウスの動きが手に取るように理解できた。確かに速いし膂力も楓より上、しかし洗練されてはいない。そもそもアレが尋常ならざる火力特化で設計されている以上、使用者本人が格闘戦に臨むといった用途は想定されていないのだろう。
つまりマリウスは、あくまで身体能力や火力に恵まれているだけ。
動きがズブの素人のままなのであれば、充分に隙はある──‼︎
「この機会に教えてあげる。アタマ使ってばっかりで強くなれるほど、魔術師の現実ってのは甘くないのよ‼︎」
振るわれるマリウスの両腕を掻い潜った楓は、瞬く間に敵の懐に潜り込んだ。
文句なしのゼロ距離で、楓は強く強く脚を踏み出す。
岩砕、とさえ倫太郎に思わせるほどの楓の拳が紅色の光を纏い、唸りを上げて放たれ──、
「随分と言ってくれるな」
その瞬間、楓の顔が戦慄に歪んだ。
タイミングは完璧、マリウスの技量では対処できるわけがない。
しかしその右拳は、正面から受け止められて威力を失っている。
突如として動きの鋭さを増したマリウスが、左手で楓の小さな拳を受け止めたのだ。まるで突然、何らかの武術の達人がマリウスと入れ替わったように、その動きには無駄というものがなかった。
「げぶッ⁉︎」
凄まじい音が響いた。それが少女の体に突き刺さった拳が放つ音だと、誰が信じられただろうか。
楓の身体が紙切れのように吹き飛ばされて、机に叩きつけられる。
それもただの机ではなく、「強化」を施して硬度を増した物に、だ。
「フ。必死の工夫が仇となったか、哀れだな志原の」
「あぐ、ぇ……げほ、ごぼっ……‼︎ う、うる、さいっ……‼︎」
胃液がせり上がり、中身をぶちまけそうになるのを寸前で堪える。
たった一撃受けただけなのに、ダメージは甚大だった。背骨が折れなかったのは幸いだが、肋骨が2本ほどまずいことになっている。全身がバラバラになったような激痛も酷く、目の前がチカチカしたまま正常に戻らない。
それでも歯を噛み締めて痛みを堪えながら、楓は身体をひきずるように立ち上がった。
◆
「あいつ……合図とやらの前に、死んじゃうじゃないか……‼︎」
机の陰の一角に姿を隠した倫太郎は、その様を窺いながら手の中の木刀を握りしめていた。
マリウスに起こった異変は、倫太郎からも見えていた。
奴の動きが突然素早くなったかと思うと、楓の攻撃を瞬時に読み切り、ぴたりと受け止めてみせたのだ。そのカラクリに、倫太郎は思い当たるものがあった。
(降霊術。あの分野の魔術は、前世の自分を自身に一時的に降霊させて、前世で修めた技術を習得したり……なんてことをするって本で読んだことがある。まさか、そっちの方面から技術提供でも受けてるのか?)
その読みは的中していた。マリウスは今にも倒れそうな楓への死刑宣告代わりに、己が礼装の性能を自慢げに語る。
「アタマ使ってばっかり、などと貴様はほざいたな。心外だが、それは認めざるを得まい。我らは武道家にあらず、あくまで探求者にして研究職だ」
どこかフラフラとしている満身創痍の楓に、マリウスは近づいていく。思わず倫太郎は飛び出しそうになったが、彼女の言葉を思い返して踏みとどまった。
──……言葉通り、志原は何があろうと守る。
だが今では駄目なのだ。楓がそのタイミングを作ると断言した以上、倫太郎は彼女を信じて見守るしかない。
「だが……我らがディミトリアスを只の研究職と侮るなよ。己が道たる奇跡の探求を極めれば、たとえ常人が数十年を要して習得する技術であろうと、容易く手中に収めることが出来る。それが奇跡の担い手、魔術師というモノだ」
「じゃあ、アンタの……動きが、変わったのは」
「その通り。これも魔術の一環だとも。この礼装には高名な傭兵や数百年前の武術家といった者らの魂魄、その複製がインストールされている。場合に応じてそれらの魂魄を使用者に憑依させれば、それだけで彼らの技量を用いることができる訳だ。無論、過度に使い過ぎれば自己の魂魄が侵食されかねんというリスクは存在するが……それは今後の課題としよう」
余裕の声色で語りながら、とうとうマリウスは楓の一メートル先まで歩いて来てしまった。礼装のスリットから覗く瞳は、俯いて表情を見せない楓を冷徹に見下ろしている。
今のマリウスはただの魔術師ではない。
その気になれば瞬時に最適な挙動を取り、楓の五体を滅茶苦茶に引き裂くだろう。しかし彼はそうしなかった。
何故なら──、
「貴様の技量は高いんだろう。だがしかし、今現在の私の技量は、お前のそれを遥かに上回る。膂力、防御性能、技術、魔力、全てにおいて下回るお前が、私に勝利することは
それはマリウスではなく彼の魂魄と溶け合った歴戦の何者かが判断した、絶対の真実だった。志原楓にはもう、マリウスを独力で倒すような可能性は残されていないのだ。
だからマリウスは、この少女が脅威ではないと判断し、速やかに命を絶つことをしなかった。
──この時。
マリウス・ディミトリアスという男が礼装の特殊機能を用いず、あくまで一人の魔術師として在ったならば、志原楓は今頃死んでいただろう。
しかし今の彼は、技量と引き換えに、他者の魂魄を半ば憑依させている状態にあった。その冷酷さと合理性が、微かに薄れていたのだ。
「
だからその言葉を──無駄な足掻きと受け取ってしまった。
「
"志原楓"は、確かに、マリウスという魔術師に勝てはしないだろう。
だがその前提は間違っている。
彼女は魔術師であり、この聖杯戦争におけるマスターだ。
志原楓は最初から一人きりで戦っているのではなく、力になってくれる兄も魔王を名乗るセイバーも、共に戦う熾刀の魔術師も、陰陽師のキャスターだって存在する。
だから間違っているのだ。才能も無く、強い弱いで言えば決して強くはない志原楓という少女を、過小評価するのは愚策だった。
彼女の力を測るのなら、その全てを勘定に入れるべきなのだ──。
「ぬ、ここに来て不意打ちとは無駄なコトを……‼︎」
油断を誘った楓が、過去の再現と見まごうほど正確に、体に染み付いた動作で一歩を踏み出す。
そこから放たれるのは、先とまったく同じ軌道の一撃。
身体に残るダメージからするに、これが最後の攻撃になるだろう。
だが同じなのであれば、防げない道理はない。マリウスの防御は正確かつ的確に楓の拳を受け止め、その衝撃を無に帰す──筈だった。
コンマ一秒にも満たない、痛烈なインパクトの瞬間。
楓が両腕に装着した、マリウスとは異なるもう一つの魔術礼装が、主の警句に合わせて起動した。