Fate/crescent 蒼月の少女【完結】 作:モモのすけ
『なんとか工夫を凝らして完成したでえ、楓ちゃん。はいこれ』
聖杯戦争が始まって幾ばくもしない頃。キャスターから突然手渡されたそれを、楓は首を傾げながら受け取っていた。
見るに、両手に装着して使う類の籠手に見える。
その色は純白、という言葉が似合うくらい真っ白で、凹凸の無い滑らかな表面が特徴的だった。構築している物体が金属ではないのか、金属光沢のようなものは見られない。
『なにこれ? 籠手? 私が使うの?』
『その通り。聖杯戦争に参加してもうた以上、君自身が戦う事も避けられんやろ。そういう時のための備えっちゅうわけやな』
扇をぱちんと鳴らして、キャスターはにやりと笑う。
『名前はつけんの面倒くさかったから無いけど、性能は自信アリやで。なんと、楓ちゃんの魔術を瞬間的にサポートして、サーヴァント級の筋力を再現するっちゅう代物や』
『へえ、なんかすごいのね。……うん? どう使うのこれ?』
「なんやリアクションが薄いなあ」と結構本気で残念がったキャスターだったが、楓は目の前に差し出された自分用の礼装を早速白籠手を嵌めて拳を開閉している楓を見て、なんとか気を取り直す。
『使い方自体は簡単や。
礼装が発揮する威力については、詠唱の内容によって変化する。
例えば一連ならサーヴァントにおける「筋力D」相当、三連であれば「筋力B」相当となる。四連であれば最高ランクともなるAだ。
『ただ──……最後に行っておくと、この礼装が再現可能なのは
『な、なんで? 四連ですら、一瞬だけどサーヴァントにおける最高ランクの筋力を再現できるんでしょ? 五連なら……』
『だからこそ、や。まっとうな人の身にAランクの筋力を宿す四連ですら、発動すれば相当な負荷が掛かると予想されるんや。その上をいく五連を発動したら、楓ちゃんの腕がどうなるかわからへん。最悪、使った後には腕がグチャグチャに弾けてるかもしれへんねん』
『な、なんでそんな物騒な機能付けてるのよ⁉︎ 使えるわけないじゃないそんな自爆じみた攻撃‼︎』
『いやね、そこは
◆
楓の拳を、マリウスが受け止めたその刹那──。
キャスターの礼装が効果を発揮し、楓の筋力を向上させている徒手魔術の性能が、ほんの一瞬だけ爆発的に引き上げられた。
その詠唱に謳われた言葉は、四連。
サーヴァント中最高ランクに位置する筋力をもって、楓は全身全霊の拳打をマリウスに叩き込む。たとえ防御されるならば、それすらまとめて押し通せばいい──彼女の頭にあるのはそれだけだ。
「まだこんなものを隠しッ……お゛お゛ぉぉぉぉぉぉぉッ⁉︎」
ズドン、という大砲をぶっ放したような轟音が炸裂する。
その一撃はもはや拳打などという威力を振り切っていた。
自重であれば数百キロにすら及ぶマリウスの身体が、浮く。あまりの衝撃はガード越しに礼装全体を通り抜け、身体中の各所から魔鉄が軋み、ひび割れる破砕音が響き渡った。
「……アイツばかり警戒して、私に意識を向けるのを怠ったわね。ここを登ってくるときに何度か、ネタばらしは済ませてあげてるんだけど‼︎」
ビキビキビキビキビキ‼︎‼︎ という耳障りな音を立てて、マリウスの無敵を誇る礼装が砕けていく。
特に大きな亀裂が走ったのは、楓の拳を受け止めた両腕。
それは二の腕から肩にまで伝播し、正常に働いていた両腕の機能を機能不全に陥らせる。
「……貴様ッ‼︎ しィ、は、らァァァァァァァァァァッッ‼︎」
しかし足りない。マリウスの戦闘力は未だ健在だった。
楓の決死の攻撃は、
かの礼装はまだ動く。
もはや無防備な楓に、マリウスは自慢の礼装を破壊された事に対する激昂を込めて、魔鉄の拳を振り下ろした。
「──倫太郎‼︎」
その瞬間。マリウスの防御に亀裂が入り、その意識が怒りから完全に楓に向けられた絶好の瞬間に。
"合図"を受けた倫太郎が、楓が叩きつけられた事務机の陰から飛び出していた。
その位置関係は、完全にマリウスの正面。
最初から想定していた倫太郎と違い、突然目の前の机を飛び越えて姿を現した倫太郎に、マリウスの対処は間に合わない。
「剣鬼、抜刀」
空気が熱せられ、渦を巻くように吹き荒れる。
その熱源は倫太郎の木刀。彼の「熾刀魔術」の完成が成され、灼炎を纏った刀身が煌々と光を放っていた。
倫太郎は机を蹴り飛ばし、一息でマリウスの懐の中に潜り込む。
の動きに迷いはない。魔術に対する拒否反応も抑えられている。魔術回路の回転数は七割以上にまで立ち直った。
何故なら倫太郎は、今までしてきたように、「自分のため」に魔術を行使しているのではない。
この魔術は、後ろの楓の為に振るうものだ。
魔術師であらんとする自分を捨てて、魔術使いとして魔術を使う。その決意だけでこれ程スムーズに魔術行使が行えるとは、倫太郎自身予想していなかった。
「繭む──……⁉︎」
言葉すら吐かせない一閃。下から上へと円弧を描いて振り抜かれた強化木刀は、亀裂の入った
その傷はほんの微かなもので、致命傷には至らない。
しかしもう、倫太郎が刀を再び振るうことはなかった。
「──終わりだ、マリウス・ディミトリアス。勝負はついた」
切っ先を向けられたまま、マリウスは首を振ろうとする。
何を馬鹿な、たかがこの程度の傷で勝ったとほざくとは愚かにも程がある。憎き志原の一撃によって腕部の機能はかなり失われたが、まだまだマリウスには戦う意思が残っていた。
しかし──それを遮るように、彼の礼装が突如として機能を失う。
がくん、と膝をついた彼は、そのあり得ない挙動不全に愕然として言葉を失った。
「……私に、何をした?」
倫太郎はマリウスの眉間に剣先を向けたまま、油断なく語る。
「"概念切断"……貴方なら聞いたこともあるだろう。これは物理的な切断じゃない。たとえ見えない対象であろうと、「切断」の起源を押し付けて断ち切る異能の刃。それが繭村の魔術だよ」
繭村の概念切断は物理的な切断と違い、倫太郎にとって「存在する」と判断できるものであれば、刃による干渉を可能とする。
もっとも、見えないモノに対する切断の難度は非常に高い。起源である「切断」の魔術による発現を何のリスクもなしに行えるのは、倫太郎の類い稀な才覚と努力あってこそだった。
「それをもって、貴方の魔術回路の七割を切断した。その礼装が貴方の魔力で駆動しているのなら、もうソレは動かない」
「……道理で魔力が正常に回らない訳だ。肉を斬るでもなく、魔術師の生命とも言える回路に狙いを定めたか」
その言葉が正しいと告げるように、マリウスは自ら礼装の最終機能を用い、全装甲をパージした。彼の現魔力量では、まともに礼装を駆動させる事は困難だったのだ。
蒸気とともに礼装が無数の部品に分かれて分解され、マリウスの周囲に重々しい音を立てて落下する。
「知ってはいたが、これが噂に名高き繭村の──ゴフッ⁉︎」
魔鉄の奥から、彫りの深い三十代と思しき茶髭の西洋人が姿を現したかと思うと、彼は突然として血を床にぶちまけた。
傷は浅い。しかし、彼の全身を貪り喰らうような激痛は、マリウスの肉体と精神を同時に苛んでいた。マリウスはくぐもったような悲鳴を押し殺しつつ、倫太郎と楓を睨みつける。
最初は突然の吐血に驚いた楓だったが、その様には見覚えが……正確には、実際に経験した記憶があった。魔力残量が足りない状態で無理にサーヴァントが活動する事による、魔力不足症状だ。
「今すぐ投降して、バーサーカーを自害させるんだ。今の貴方じゃ、バーサーカーに回す分の魔力は精製できない。ロンドンに帰りさえすれば魔術回路の修復は行えるだろうけど、そのまま契約を続ければ、魔力を搾り取られて死に絶えるんだぞ」
「ク、ぐ……魔力が三割以下の状態では……確かに、あの狂犬を従えるのは随分と堪える。やってくれたな、繭村……‼︎」
この事態を最初から予想していた倫太郎は驚くこともなく、どこまでも冷静に、マリウスを見下ろしていた。
彼にサーヴァントとの契約を断つ事を強要させることが、倫太郎が狙っていた決着の形だったのだ。
「魔術使い」として魔術を使った倫太郎にとって、他人を自らの魔術で殺めるなど、もっとも許せない行為である。故に彼は単純明解にマスターを殺害してサーヴァントを止めるという、もっとも簡単であろう道を選ばなかった。
これが正しいのかは、倫太郎にはまだ分からない。
それでも、魔術をなんの躊躇いもなく行使出来たことは事実だ。それを糧にして、倫太郎はマリウスの答えを待つ。
「情けをかけられるとは。全く、力及ばずに加えてこうも恥を晒すとは……グ、ふふ……ははは……魔力不足からも不甲斐なさからも、先程から身体が張り裂けそうだ。ディミトリアスの家名に……泥を塗ったか」
「ふんっ、ざまあないわね……いてて」
未だおぼつかない足取りで、楓が倫太郎の隣に歩いてくる。
その瞬間──倫太郎の背筋に、ぞわりと悪寒が走った。
「っ‼︎」
かなり大規模な魔力が、この階層の入り口付近で蠢いた。それを知覚した瞬間、倫太郎は楓を突き飛ばして木刀を構える。
直後、清廉さを感じさせる真白い刀剣が、倫太郎の木刀にけたたましい音を立てて激突する。
「ちょ、何……⁉︎」
「これ、は……っ⁉︎ ぐ、う────ッ‼︎」
みしみし、と音を立てて、強化を重ねた木刀の刀身が歪む。
それは凄まじい威力だった。倫太郎は無我夢中で、今にも木刀を弾き飛ばして体を貫かんとする白剣を抑え込む。
──このままじゃ押し切られる。
咄嗟に判断した倫太郎は、受け止めるのではなく、木刀の刀身をズラして白剣を受け流した。それは適切な判断だったが、精度が甘い。
勢いを保ったまま軌道を変えた白剣は、倫太郎の肩口を深く抉っていき、決して少なくない血がべしゃりと飛び散った。
「がッ‼︎」
「倫太郎‼︎ 誰よ一体、こんな時に……⁉︎」
ぼたぼた、と血を床に落としながら、倫太郎は片膝をついて苦悶の声を押し殺す。
血に濡れて赤く染まった刀剣は幸いにも追撃を止め、主の元へと舞い戻っていった。フロアの入り口であるガラス戸の近くに立つ、かつて見た雪のような少女の元へと。
「ぐっ……君は……あの、時の……?」
「その人を、いじめないで」
マリウスの結界内をうろついていた、謎の少女。
彼女の正体は、倫太郎達にも推測できなかった。ただ、彼女と接触した途端にマリウスが無理な攻撃を仕掛けてきた、という事実を知っている程度だ。
一度顔を合わせた時には敵意を感じなかったため、その幼い容姿も相まって、敵とは認識していなかったのだが──、
(あの時子供だからって、敵じゃないと見逃したのは甘かったか……? そりゃそうだよ、結界内にいるんだからマリウスの関係者に決まってる。マズった、これじゃ形成逆転だぞ……)
少女の近くを浮遊する刀剣が、さらに増える。二本、四本。
しかもアレは単なる刀剣ではない。あれら一つ一つがれっきとした使い魔、しかも自力で魔力精製までしてみせる超高性能を持つらしい。
ぞわ、と倫太郎の背筋が総毛立った。
あんなの馬鹿げている。まともな魔術師の次元じゃない。ごまんといる魔術師の中でも最上位クラスの才能を持つ倫太郎でさえ、そう判断せざるを得ない絶対的な力。あんなものを一度に四体使役するなど、あの少女の魔力量は一体どうなって──、
(……膨大な、魔力量?)
まるで天啓のように。
倫太郎の脳内で、浮かび上がってきた記憶があった。
(そういや記録によれば、第五次の際に、バーサーカーの英霊を使役したのは……確か、アインツベルンによるホムンクルス。彼女はその圧倒的な魔力量でもって、強力なバーサーカーを使役したと聞く)
バーサーカーとの契約に加え、あの強力な礼装を操ってなお、魔力切れのそぶりを見せなかったマリウスの謎。
この少女が、マリウスが構築した結界内をうろついていた理由。
「まさか……君は」
それらを結びつけて考えられる可能性とすれば、たった一つしかない。
最初に会った時に無害な少女と判断したが、そもそもその判断から間違っていた。前提がズレていたのだ。
そもそも──この少女は、
「君は、ホムンクルス……そして、本当のバーサーカーのマスターはマリウスじゃなくて……君、なのか」
呆然と呟く倫太郎に対し、少女は何も答えなかった。
ただ寡黙に、操る四つの刀剣を向けている。
「は、は──それは違うな。その言い方には語弊がある」
寡黙な少女の代わりに、横合いから笑いを含んで掛けられた声が、彼の推測を否定した。
マリウス・ディミトリアスはゆっくりと、四肢を老人のように頼りなく震わせながらも、悠然と立ち上がる。血反吐を吐いて汚した胸元もそのままに、彼は倫太郎に歩み寄った。
「待ちなさ……っ、うぐ……‼︎」
楓が割って入ろうとしたが、彼女は既に立っているのが精一杯の身体だ。
「バーサーカーのマスターはあくまで、この私だとも。だからこそ、今こうして魔術回路の七割を失い……ぐ、無様を晒しているという訳だ。これでも
マリウスは服の袖を捲り上げて、腕に刻まれた三画の令呪を倫太郎に示した。その輝きは、まさしく彼が、大英雄アキレウスを従えるマスターである事の証拠である。
「……なんでだ。あの子は恐らく、ホムンクルス……それにあれ程の魔力量を誇るんなら、
バーサーカー……それも大英雄たるアキレウスを従えるというのであれば、その魔力消費量は想像すらつかない。
並みの魔術師ではそんな危険な契約を結ぶなどまずあり得ないことだ。魔力量には自信のある倫太郎でさえ、狂戦士との契約は可能な限り避けようと考えていた。
だというのに、マリウスは非効率を承知で、自分とあの少女との分割契約という形をとっている。その理由が見当たらない。
「簡単な事だとも。まだ若い貴殿には分からぬことかも知れんが」
口元を血で濡らした凄惨な光景を晒し、今も魔力を搾り取られる激痛と苦悶の中に叩き込まれてなお──、
「他者に己が仕事を丸投げするなど、私の、マリウス・ディミトリアスの矜持が許さぬ。戦うのは私だ。この戦争に挑むのは私なのだ。なれば私は自らの手で、たとえどのような怪物であれ従えてみせよう」
それはマリウスという男の矜持、プライドにして意地だ。
自分の役割は自分で果たす。時に他者を頼れども、全てを任せはしない。研究も戦いも、全て主となるのは自分でなければ気が済まない。
そうした、彼自分も認めるほど馬鹿で非効率な考え方が、マリウス・ディミトリアスという魔術師の生き様だった。
「マリウス……それは……貴方が、ディミトリアス家を背負っているから? そうあるべしと、定められているから……そんな回り道をしているのか……?」
「は、何を言う。この生き方は
背負った家名に相応しいよう振る舞うのが、倫太郎の今までの生き様だった。それはマリウスのものと似ていながら、本質的には全く異なっている。
彼は自分が「そうしたい」と思うからこそ、ディミトリアス家当主のプライドに恥を塗らぬよう、敢えて困難な道を突き進むのだ。
倫太郎は思わず言葉を失った。
マリウスとの魔術戦を制したとしても──倫太郎はもっと大事なところで、この人間に決して勝利できない。それを思い知らされた。
「……さて。紆余曲折あったが、この勝負は私の勝ちか?」
「んな事──許すわけ、ないでしょうが‼︎」
無言を保っていた楓が突如として叫ぶと、何かを床に目掛けて投げつけた。床に激突した瞬間、何かが砕ける乾いた音が響き渡り、濃い白煙が爆発的に膨れ上がる。
「ぬ、煙幕とは小賢しい……‼︎」
その機を逃さず、楓は足を無理やり動かして倫太郎に駆け寄った。数十センチ先すら見通せない煙の中でも直感で動けるのは、平時の訓練の賜物である。
「倫太郎‼︎ なにぼさっとしてんの、逃げるわよ‼︎」
「志原……」
どこか虚ろな目をしている倫太郎の手を掴んで、楓は階段の方向ではなく、窓があった方向に向けて駆け出す。
「階段はどうせあの子に抑えられてる筈よ。倫太郎、アンタなら着地くらいなんとかなるでしょ。任せた」
「あ、ああ。確かに刻印の機能には色々あるから、組み合わせれば落下速度を抑えられるとは思うけど……僕を信頼して大丈夫なの?」
「さっきも大丈夫だったでしょ。魔術師としてじゃなく魔術使いとしてなら、アンタは力を発揮できるはずよ」
ほとんど視界ゼロの中、楓は苦もなく窓際に辿り着いた。
鍵を素早く外して窓を開けると、蒸し暑い夜風が吹き込んでくる。煙が晴れるのは時間の問題だ。下を見れば、七階分の高さを挟んだコンクリートの地面が見える。
「じゃあ…………その、よろしく」
楓は床に視線を這わせながら、素っ気なく倫太郎に言った。
「え? ──何を?」
「バカ! 着地任せるんだからアンタが私を抱えないとどうしようもないでしょうが‼︎ それをよろしくって言ってんの‼︎」
「あ、そういう事……分かったけど、後で文句とか言わないでくれよ」
何故か顔を真っ赤にしてきゅっと目をつぶっている楓に恐る恐る近づいて、倫太郎はその華奢な身体を抱え上げた。
膝裏と背中に手を添えた、いわゆるお姫様抱っこのまま、倫太郎は窓のへりに足をかける。煙に包まれていた視界が開け、雨に濡れた道路がかなり下の方に見えた。
「……え……ちょっと高くない?」
「ほんと変な所でビビりねアンタ‼︎ 時間無いんだからつべこべ言ってないで飛び降りなさいよ⁉︎」
「ちょっ、暴れ……おあぁぁ⁉︎」
ズルっ、と前に滑る感じで、倫太郎はかなりの高度から一直線に地面目掛けて投げ出された。
途端に身を包む不快な浮遊感。どんどん近づいてくる地面を睨みつけて、焦りそうになる心を落ち着かせる。楓の信頼に応えるためにも、倫太郎はこの着地を何としても成功させる。
(えー、まずは基本の質量操作……気流制御……優雅さには欠けるけど、万が一の保険として風力操作も……‼︎)
ぐん、と二人の身体が一時的に軽量化され、同時に気流と風力の微調整によって地球の引力を限りなく軽減する。一流の魔術師であれば苦もなく行える作業だ。
猛烈な勢いで落ちていた二人は羽根のような速度にまで減速し、ふわりと路上に着地した。
「ふう、成功」
「お疲れさま。ね、できたでしょ?」
楓が我が事のように嬉しそうに言うので、倫太郎は思わず苦笑してしまった。が、状況は笑ってられるほど良くない。
倫太郎たちが降り立ったのは、丁度ビルの入り口あたり。
つまり──彼らはマリウスとの激闘を経て、またふりだしの場所に戻ったということになる。
倫太郎が楓をそっと地面に下ろした瞬間だった。
ビキビキビキビキ‼︎‼︎ とガラスが砕け散るような不快音が連続して、目の前の空間に亀裂が走る。
キャスターの宝具による効果が限界を迎え、裏返った世界が元に戻り始めているのだ。その亀裂の奥から、激しく争う三つの影が「こちら側」に躍り出る。
「アサシン‼︎」
地面を滑るように着地したアサシンを見て、倫太郎は思わずホッとしてしまった。
キャスターも近くに降り立ち、怒り狂うバーサーカーは更に奥に着地する。互いに目立った傷は無いようだが、それはキャスターとアサシンが令呪の補助を受け、数の有利で攻めても拮抗に押し留めるのがやっと、というバーサーカーの比類なき戦闘力を表している。
「マスター……バーサーカーの動きが、鈍ったみたい。けど、契約が断たれた様子じゃない。……どーなった?」
「……説明すると長くなるから、後で話す」
キャスターは宝具の「護身・破敵」を近くに滞空させながら、油断なくバーサーカーから視線を外さない。両者の間に空いた数十メートルの距離も、奴……韋駄天のヘラクレスにとってはゼロ距離に等しいと理解しているからだ。
空気が震えるような緊張感が張り詰めている。
直後。目を爛々と輝かせるバーサーカーが、その神速の足を一歩踏み出した。
「◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎ッ‼︎‼︎」
アサシンとキャスターが素早く迎撃に移る。が──、
バーサーカーは彼らを無視して勢いよく跳躍した。倫太郎たちに襲い掛かるのではなく、バーサーカーは彼らの頭上、夜闇に聳えるマリウスの工房に帰還したのだ。
それは即ち──「ここは痛み分けとする」という、マリウスからの言葉なきメッセージでもあった。
この夜の戦いは、こうして終結を迎えたのだった。
【熾刀魔術】
繭村一族の多くが覚醒すると言われる起源「切断」の効力を最大限に発揮するための、剣術複合型魔術。この様式には江戸時代以前から連綿と続く、繭村一族の侍としての血筋が大きく影響している。
概念切断の効果は物理的な切断にも長けるが、通常の刃では断てないモノすら断つ事が出来る、というのが最大の特徴。
マリウスの魔術回路を切断した倫太郎の理論は、衛宮切嗣の礼装「起源弾」によるものとほぼ同一。もっともこちらは「切断」のみに留まるため、適切な処置を施せば元どおりの修復も可能。魔力が暴走することもない。
【マリウス・ディミトリアス】
鉱石科における超秀才。魔術だけでなく謀略的な手腕にも長け、一代でディミトリアス家の地位を遥か上位まで押し上げた傑物。
最初から「もし結界を爆破される事もなく、嫁とゴタゴタすることもなく、最初から魔術師としての力を存分に振るえた場合のケイネス先生」をイメージして書いてるところがあります。