Fate/crescent 蒼月の少女【完結】   作:モモのすけ

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六十四話 決意・アナスタシア/Other side

 ゆったりとした時間が流れている。

 洋楽が流れる店内に、金糸のような陽光がカーテンを透過して差し込んでくる。香り立つ珈琲の香りも相まって、椅子に座っているだけでも癒されそうだ。

 そんな、今日も今日とて変わらない雰囲気を保つ喫茶「薫風」の中──、

 

「おい」

 

「はい、なんでしょうか?」

 

 剣呑な声を発する男が居た。短く刈り上げた灰色の髪、剛毅な顔に鋭い瞳。少しでも世界の常識から外れたものが見れば、一目で尋常ならざる男だと判断出来るだろう。

 弛緩していた空気が張り詰める。

 威圧感すら纏ったその男は、手にしたグラスを片手で軽く掲げると、

 

「このコーヒー、悪くないじゃあないか。自信を持っていいと思うぜ」

 

 と言って、ニヤリと笑ってみせた。

 その瞬間に空気が軟化して、槙野も笑顔を見せる。

 

「うちは完全100パーセントアラビカ種使用ですからね。チェーン店なんかに比べれば、まだ価格も良心的だと思いますよ?」

 

「ああ、いい店だ。しかし、こんなに美味いコーヒーがくたばった後に飲めるとはなぁ。本当に、人生というやつは面白い」

 

 側から見ると意味不明なことを呟いている彼に、後方から冷ややかな目線を向ける少女がいた。アーチャのマスターにして代行者、アナスタシアだ。

 戦況が動き始める夜になるまで、彼女はこうしてこの喫茶店で働いているのが常だった。

 

(しかし、なんで貴方が居るんだか……)

 

 アナスタシアは軽く溜息をついて、憂鬱げに窓の外に視線を逸らす。

 聖杯戦争は依然として混沌とした状況だ。

 キャスター達からの接触により、代行者達を殲滅したあの女魔術師が、サーヴァントを複数騎使役していることくらいは把握できているが──、

 

(問題はいつ動くかですね。セイバー、キャスター、アサシンの三騎は協力してあの島を攻略するつもりのようですが……果たして、三騎のみでそう易々とあの島が堕ちるかどうか)

 

 こちらのアーチャーが彼らに協力すれば、多少なりとも勝率は上がるかもしれない。

 が、そもそも魔術師という存在が、アナスタシアのような教会の人間からしてみれば敵なのだ。更に、血縁も家計も異なる魔術師が複数人で協力しようとした場合、大抵の場合上手くいかないというのが定説。

 敵も彼らも予想していないタイミングで奇襲を仕掛け、そのまま優位を掴み取れるような、そんな付かず離れずの距離感がアナスタシアは適していると判断した。

 

(まあ、相応に難しい選択ではありますが)

 

「おーい、アナ? アナスタシア?」

 

 突然ふと我に返って、アナスタシアはびくりと肩を震わせた。

 

「なっ……、ごほごほっ。なんでしょうか、槙野さん」

 

「いや、心ここに在らずなんて顔してたからね。つい気になって」

 

「さ、さっきのお客は……?」

 

「いない。一杯で帰られたよ。なんでも、きりきり働かなくちゃあ煩い上司がいるからとかなんとか……」

 

 内心でイラッとしつつも表情は崩さないアナスタシアは、アーチャーが置いていった空のグラスを流しへと運ぶ。

 それから台拭きと一連の作業を終えて店内を見渡すと、客の姿は一人もなかった。

 最近はこの店も盛況なので、こうした静かな時間は久方ぶりに感じる。

 

「最近、お客さんも多くなってねえ」

 

 と、アナスタシアが思っているのと同じ事を、隣に立ってグラスを拭いていた槙野がぽつりと零した。

 

「アナ。君には感謝しなくちゃあならない。もし君がいなかったら、この店は今でも閑古鳥が鳴いてただろうからね」

 

「そんな事はありません。槙野さん……貴方の腕前が確かだからこそ、着実に人気を得られているんですよ」

 

「はは。そう言ってくれると店主冥利に尽きるけどね……けれど、君はもうすぐここを発つ。留学の期間は、確かもうそろそろ終わる頃だっただろう?」

 

 ──アナスタシアは少し俯いて、床に視線を向ける。

 

「ええ。そうです」

 

「……その顔、何か不満があるのかな? 君にしては珍しい。何かに悩んで、迷ってるような顔だ」

 

 槙野にそう言われて、アナスタシアは思わずぱっと彼の方に視線を戻した。

 そんな事を言われた記憶は一度たりともない。

 いつもいつだって顔色一つ変えずに困難を越え、命を殺め、代行者として生きてきた自分が──そこまで読み取られるなんて。

 

「驚いたかい? ふふ、最初は君の事を知るのに僕も苦労したけどね。最近の君は以前よりもずっと表情豊かになったんだ。もっとも、君自身は気付いてないかもしれないけど」

 

「そ、そうですか」

 

 思わず言葉に詰まって、アナスタシアは咄嗟に考える。

 

 もし、自分の表情から、そんな簡単に己の感情を読み取られてしまうのであれば。

 もし、自分の気持ちが伝えられるのなら。

 もし、このまま、彼をじっと眺めていたら──。

 

「あ……アナ?」

 

 彼は、この胸の高鳴りすらも読み取ってしまうのだろうか。

 ゆったりとしていた時間の流れが変わる。

 どこか緊張感があって、それでいて蕩けるような甘さのある雰囲気。明確に、何かがあると察してしまうような──、

 

「「………………」」

 

 その沈黙は、一体何秒に渡ったのだろうか。

 

「わっ、わた……わたし」

 

 胸の鼓動が爆発的に急加速する。戦闘時でもありないくらいにバクバクと暴れ狂う心臓を必死に無視しながら、アナスタシアはその身体を槙野の体にすり寄せた。

 顔が熱い。目の前の彼と同じくらい、今の自分は顔が真っ赤になっているんだろう、とアナスタシアは自覚する。

 そんな彼女の背中に、槙野の腕が触れた。

 まだ戸惑いが残っているような、恐る恐るといった抱擁。それを無言で受け止めて、アナスタシアは火照った唇を開く。

 

「私、は……っ‼︎」

 

 それを言っては戻れなくなると知りながら、生まれて初めて感じる、心を焦がすような衝動に任せて口を開いた瞬間──、

 

 

「お疲れ様でェす、宅配便お届けに参りましたぁ〜」

 

 

 カランカラン、と軽やかな音を立てて、荷物を抱えた男が入ってきた。

 その瞬間にアナスタシアは代行者の身体能力を遺憾なく発揮し、槙野が何か反応するより早く手の中から抜け出した。

 しゅぱっ! なんて擬音が聞こえそうな速度で元の定位置に戻ったアナスタシアは、いつもの真顔を顔に貼り付けつつも、酔いが覚めたような気分を味わう。

 

(わ、私はっ、私はなんてことを……⁉︎)

 

「あ、ああ、あははは。うん、はい、そういや不足してたナプキンなんて頼んでたね僕。いつもご苦労様、ありがとう」

 

「いえいえェ、ありがとうございますゥ」

 

 槙野は槙野で気が動転しつつも、言葉の端を震えさせながら荷物を受け取っている。

 その様を見つつも、一度ぐるりと店内を見渡してみる。ここに潜伏している期間としては二週間ちょっとだが、随分と馴染んでしまった気がする。この胸の高鳴りも、もう誤魔化せそうにはない。

 

(やはり私は……この場所が、好きです。そして)

 

 印鑑を押して律儀に頭を下げている、丸眼鏡の店主。

 彼に視線を移すと、自然と微笑みが漏れてしまう。

 だから、やっぱり──、

 

(言えなかったけれど、私は……あなたのことが、好きなんです。たとえ、もう一緒にはいられないとしても)

 

 この任務が終わってしまえば、アナスタシアは日本を離れる。

 また様々な異国を駆け巡り、魔を討ち滅ぼし、そしていつかはその道程で力尽きるのだろう。

 死が怖いわけではない。

 ただ、離れることが悲しかった。

 

「……?」

 

 と。アナスタシアは胸元に隠した十字架が微かに反応している事を知り、槙野に電話と断って店を出た。

 外に出た途端、彼女の目つきが一変する。

 それは一喫茶の店員のものではない。魔の撃滅者、神に許されし代行者のみが持つ鋭い眼光だ。

 

『アナスタシア。代行者アナスタシア=グレチニシコワ=イリイーニチナ。応答を』

 

「はい。こちらアナスタシア」

 

 緊張感を纏わせたまま、アナスタシアは十字架を通じて頭に響いてくる声に応答する。

 長い沈黙を経て、ついに聖堂教会は動こうというのか。

 

『代行者四人を失う混乱があったが、こちらでもようやく決議が出た。これより任務を言い渡す。速やかに行動に移りたまえ』

 

 こちらから連絡を試みても一向に応答しなかったというのに今更指示を出すとは、と少し腹立たしいのは事実だが、アナスタシアは神妙な表情のまま沈黙を保つ。

 

『代行者、アナスタシアに通告。今すぐその地から撤退せよ。教会はこれ以上の介入を是としない方針で固まった。サーヴァントの処理は任せる。其方が保有している令呪をもって自害させると良いだろう、とのことだ』

 

「なッ……⁉︎」

 

 アナスタシアは思わず声を漏らして、その通告にくってかかるように声を上げた。

 

「このまま──何もせずに私に手を引けと? 我々の被害からも判断できるでしょう、あの女は危険です‼︎ このまま放置すれば何が起こるか……‼︎ この大塚の街も無事で済むとは思えません‼︎」

 

『だからこそ、だ。我々はもう既に四人もの代行者を失っている……君まで失うわけにはいかない。分かるかね? アナスタシア=グレチニシコワ=イリイーニチナ。君は評価されているんだよ、その類稀な力量を』

 

「だとしても……‼︎」

 

 アナスタシアは一度後ろを振り返り、静かに佇むような喫茶「薫風」の外観を眺める。

 この場所は大切な場所だ。全てを失ってから完全に止まっていた自分の熱を、もう一度呼び覚ましてくれた場所。大切な人がいてくれる場所。

 ここを見捨てて、自分一人で逃げるなんて──。

 

『不可解だな』

 

 躊躇するアナスタシアに、怪訝な声がかけられた。

 

『何故そこまで拘泥する? 任務の為に訪れただけの地、はるか離れた異郷の地だ。そんな場所で何にしがみついている?』

 

 任務の為、と言われればそれまでだ。

 実際、この場所に転がり込んだのも、任務を遂行するうえで適していたからに過ぎない。少し何かが違えば、アナスタシアはこの場所に居なかったことだろう。

 しかし──、

 

「……私は、とある人に会いました。偽りの身分を通じて、色々な人と話しました。沢山のことを学びました。少なくともこのまま、神の代行者として愚直に生きているだけでは決して得られないものを、私は頂いたんです」

 

『貴様、一体何を考えて……⁉︎』

 

「だからこそ、私には責務がある。この恩を、大塚の人々に返すという責務が。──私は最後までこの地に残ります。例えこの地で命果てたとしても、私はこの場所と、大切な人を守り抜く覚悟です」

 

『馬鹿な、自分の役目を忘れたかッ⁉︎ 応答しろアナスタシア=グレチニシコワ=イリイーニチナ‼︎ 神の代行たる我々の一員が、よもや異教徒の猿如きに絆されるなど──』

 

「では」

 

 ぶつん、と通信を切る。

 それはアナスタシアが犯した最初にして最後の命令違反であり、彼女は自らその役割に背を向けた。

 決して褒められたことではない事くらい理解している。それが別の一面から見れば無責任な行動である、という事も。

 でも、どこか清々しい気分だ。

 

 

『貴方は生きて、自分がすべきと思った事を成しなさい』

 

 

 朧げにしかない幼少の頃の記憶の中で、ただ一つ脳裏にこびりついて離れない記憶。

 両親と最期の別れを果たした夜。

 あの日──燃え盛る炎の中で、彼女の母はそう言った。アナスタシアはその言葉と一緒に、正真正銘の聖典をその身に宿し、代行者の資格を手に入れたのだ。

 

「私はようやく、貴方の言葉の通りに生きていける気がします」

 

 ついぞこの地を訪れるまで、すべきと思った事なんて見当たらなかった。

 ただ、全てを奪っていった奴らに対する憎しみがあるだけ。だから、復讐を己が成すべき事に据えて生きてきた。代行者として、感情を押し殺して戦ってきた。

 それでも、今は違う。

 自分が戦うことに変わりはないだろう。けれど、それは相手に一方的に怒りをぶつけるような、子供じみた理由ではない。

 これは、守りたいものを守るための戦いだ。

 

「成すべきことは……もう、決まっている」

 

 アナスタシアは形見である木彫りの十字架を丁寧に胸元にしまい、改めて喫茶「薫風」の扉をくぐる。

 自分が始めて得られた、大切な場所。

 主の代行、なんて畏れ多い行いをするつもりはない。この安寧を壊さないために、アナスタシアという少女は戦いに臨む──。

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