Fate/crescent 蒼月の少女【完結】 作:モモのすけ
寒い。──それが始まりの記憶だった。
「彼女」に名前はない。
ホムンクルスにして聖杯の器となるべく製造された彼女は、とあるホムンクルスの
その、「究極のホムンクルス」とも呼ぶべき存在が産み落とされるまでの過程には、様々な失敗が積み重ねられたと云う。何百という命が作られては廃棄され、消えていった。とあるホムンクルスは人間と子供を育むまでに至ったらしいが、そんなのは極々一部の例外だ。
──そして。この少女も、その廃棄物の中の一人だった。
第五次聖杯戦争。冬木で執り行われたそれにアインツベルンは究極のホムンクルスを投入し、そして、敗北した。
これを境にアインツベルンの中で何らかの意識の変化が起こったのか、これより彼らは門外秘術としていた奇跡を独占する事なく、他家の交渉や介入を許すようになる。のちにアインツベルンの凋落と語られる出来事だ。
当然ながら、アインツベルン家の技術を我が物にせんと目論む魔術師らは、屍肉を貪るハイエナのごとくアインツベルンに殺到した。
──そして。そんな中に、一人の男がいた。
まだ若輩の雰囲気から抜け出せていない、しかしその目は野心で煌々と燃え盛っている、そんな雰囲気の男。
その名前を、マリウス・ディミトリアスといった。
彼はディミトリアス家の発展のため、切れるカードの全てを的確に使ってアインツベルンとの交渉、及び他家との競合に望んだ。その様はまさに死に物狂い、なんとしても名声を手に入れんとする鬼の如き姿で。
しかし彼は決して、自らの頭を下げようとはしなかった。
アインツベルンの長老を拝み倒す魔術師らに軽蔑の目を向け、あくまでも対等の立場を崩さず交渉を続けたのだ。
あまりにも非効率。傲慢不遜、愚者の行いと誹られるのはマリウスの方であった。実際プライドを決して汚さんとする彼の姿勢には反対する者も多く、マリウスには内外に敵が多い。
しかし。幸運にもその様が認められたのか、マリウスはアインツベルンとの協力関係の構築に成功した。
そして──マリウスがアインツベルンの地下に建設された巨大廃棄場に通された時、彼らはついに初対面の時を迎える。
「………………お前は?」
その時、彼女はほとんど活動を停止しかけていた。
死体のように死体の間を漂いながら、虚ろな瞳で、十年を軽く超える年月を無為に過ごしていただけ。その過程で思考回路も動作回路もガタがきて、まともに動かせはしなかった。
そんな、動作の9割が正常に働かない状況にあって。
しかし──その男の顔だけは、やけにはっきりと覚えている。
プライドに、矜持に、自らの生き様に燃える強欲にして無垢な瞳。
だからこそかもしれない。半分死んでいるにも等しい生を長い間、とても長い間続けてきた彼女にとって、その生の輝きはあまりにも眩しかった。
「決めたぞ、ユーブスタクハイト。私は
その雪の少女は、その言葉をもって、一つの地獄から救い出されることになる。
◆
「さて。お前に臨む役割は一つだ、ホムンクルス」
彼はそう言いながら、日本へと発つ準備を進めていた。
中途で潰えたとされる大儀式、「聖杯戦争」。
かのシステムは既に破壊され、六度目のそれは永劫に失われたと思われていたが──とある情報筋が、ついに場所を移して「六度目」が執り行われるという情報を掴んだ。
それを金とコネクションを駆使していち早く掴んだマリウスは、秀才らしい即決即断により参戦を決定。
かつてマリウス家が「第五次」に参戦しようと試みた際に蒐集するも、無用の長物と化してしまっていた聖遺物。かつて英雄アキレウスが纏ったとされる黄金の鎧、そのごく僅かな欠片。これを触媒として用いることで、彼が最高クラスの英霊であろうアキレウスを従えることは、既に決定しているようなものだった。
「私と貴様の二重契約によって、魔力の消費量を分散させる。第四次の際、とあるマスターが編み出した抜け道だな」
──そこで、少女は疑問を覚える。
自分の魔力量は、まっとうな魔術師に比べても群を抜いて高い。生存に必要な機能を犠牲に、魔術回路の数を増やしているからだ。
魔力タンクとしての役割を期待しているのなら、それこそ無理に二重契約を成す必要がない。彼女一人で、バーサーカーを使役する分の魔力は十分に事足りるからだ。
「二重契約の理由? 魔力は一人で事足りる? 大馬鹿が。貴様はこのマリウスという人間をまだ理解していないようだな」
「…………?」
「簡単な事だ。これは「矜持」だよ。プライド、とも云う。貴様に召喚の際に発生しうる苦痛も困難も全て預け、私は何も背負わない? 考えただけでも苦笑ものだ。そんな情けない真似、とても私には許容できん」
マリウスは高らかに述べてから、忘れていたと言わんばかりに、
「それと。これは万が一、貴様が離反するという可能性を潰す為のものでもある。増長はしてくれるなよ、ホムンクルス。貴様は私の所有物に過ぎないのだから」
そう付け足して、彼は再び背中を向けてしまう。
……面白い人だな、と少女は思った。
彼は、一般に云う「いい人」ではないのだろう。いかにも魔術師らしい、非人間にじみた冷徹さを持ち合わせた男だ。
だが一つだけ、普通の魔術師とは異なるところがある。
それは、その非効率さ。効率を追求しがちな魔術師の中で、その在り方はあまりにも特異だった。自分の矜持に準じて、自分にふさわしくないと思った行為は、たとえ非効率でも許容しない。
(わたしには……矜持なんて、ない)
彼女に、プライドなんてものがあるはずもない。
元々が失敗作であり廃棄物。アインツベルンに選ばれなかった、あのまま機能停止を待つだけだった少女。
名前すら持たない彼女には矜持どころか、生きる意味も存在しなかった。
(でも、もし、わたしがそんなものを持てたなら……)
この世界は、果たして違って見えるのだろうか。
まだ何も知らない彼女は、そんなことを思ったのだった。
◆
「ゲホ、ゴホッ……‼︎」
ぱたたっ、と吐血が床を濡らす。
夕日を浴びてオレンジ色に染まる、どこかの小さな発電小屋。その暗がりで壁に背を預けたマリウスは、ずるずると崩れ落ちるように座り込んだ。
前の魔術工房は廃棄した。どのみち倫太郎によって破壊された廃墟だ、利用価値は無いに等しい。
さらに魔術回路の七割を失い、今の彼にバーサーカーとの契約を続けるだけの魔力はない。その反動が、今もマリウスを蝕んでいる。
「も、もう契約を切るべきじゃ……‼︎」
「……大馬鹿、が。そんな辛気臭い顔を向けるな、ホムンクルス。私は決して、自分の道に沿わない手段は取らん。それくらい、もう分かっているんじゃあないか……?」
顔を青くして声をかける少女に、マリウスはそんな事を返す。
今にも力尽きそうな様子だった。明らかな強がりだった。
それでも、この男は不敵に笑おうとする。
自分の矜持に殉じるために。自由に選択する自らの意思で、この人生を生き抜くために──マリウスは喜んで苦難を受け入れる。
「まあ、確かに。大馬鹿、大馬鹿と言ってはいるが……その実、私が一番の大馬鹿である事くらいは理解しているさ」
彼にしては珍しく。
自虐めいた声色で、マリウスはそんな事を呟いた。
「だがな。その選択がたとえ非効率で、遠回りで、理にかなっていなくとも……「自分の意思で、自分の選択を決定する」。そんな当たり前の行為を成せるという事は、それだけで尊いものなのだ」
持ち込んだ荷物に彼は手を伸ばし、赤色の液体が注がれた容器を何個か手繰り寄せる。
それらの名は「魔術髄液」。一時的に魔術回路を増やす、闇市場でしか流通していない非合法品。確かに効果はあるが、その副作用は未だもって解明されていないところがある。頼るにしてはあまりに危険な代物だった。
それを脊髄に打ち込みながら、マリウスは言う。
「なあ、ホムンクルス。お前はどうだ」
「わたし……?」
「ああ。お前は、まだまだ世界を知らない。もったいない事だ、とは思わないのか。私のように、自分の意のままに、自分の道を歩んでいきたいとは思わないのか」
困惑する。そんな事は、考えた事がなかった。
ただ、どこまでも自分自身に素直にあろうとするマリウスの姿に、憧れを感じていた事は事実である。
「……参った。ただの道具に何を語っているのかな、私は」
マリウスは、己が行為の「らしくなさ」に苦笑する。
彼自身、どうもこの少女には入れ込むところがあると理解していた。その理由も、薄っすらながら勘付いている。
だが、その理由を言ったところで、何かが起こるわけでもない。
マリウスは瞼を閉じて、
「意識が重い。少し、眠る……」
そう言い残して、疲労からくる眠りへと落ちていった。
少女はそれを見守った後、すくりと立ち上がる。
どうすればいいのだろう。風前の灯めいたマリウスの命を救うには、一体どうしてあげればいいのだろうか。
胸がざわついて、きりきりと痛む。
おかしな話だ。自分の機能停止は怖くないのに、他人の死が恐ろしい。マリウスの死が、思考回路をバグらせるほどに大きな重圧となっている。
「なんとか、しなきゃ」
自分の手で小屋を出て、開けた外に一歩を踏み出す。
その途端、当たり前の世界が違って見えた気がした。
風に揺れて、ざわざわと騒いでいる森。時折吹き抜けていく風。美しい色の移り変わりを見せる夕焼けの空。高みで輝く宙天の月。
「なんとか……しないと、いけないんだ」
少女は、初めて自分の意思で行動を起こす。マリウスに教えられたのだ。その行為こそが、尊いものなのだと。
だが、具体的に何をどうすればいいのか。
彼女はあまりに世界を知らない。危機に瀕しているマリウスを救うために一体何ができるのか、これっぽっちも分からない。無力な自分では、もがいても何も変えられないかもしれない。
──それでも。
かつてのように、何もせずに終わりを待つのは耐えられない。
意を決して、彼女が走り出そうとした時だった。
「やあ。お困りかな、お嬢さん」
再び風が吹いたと思った瞬間、その女はそこにいた。
風に揺れる金の髪。纏ったローブが、風に揉まれて膨らんでいる。
その存在を前に、少女はぴたりと立ち止まった。
敵か、味方か。焦った今では冷静に考えることもままならない。
「警戒しなくともいい。
「え……」
女が顔を近づけて、そっと少女に囁いてみせる。
甘い声だ。聞くものが聞けば、何かあると感じずにはいられないような蠱惑の声。それでも、少女には圧倒的に経験が足りていない。
「助けたいんだろう……? そこにいる男を。それなら、私に任せてくれればいい」
「た、助けて……くれるの……本当に?」
「勿論だとも。ただし、物事を任せるには対価が必要となる。それは、君とて理解できる筈だ」
女は微かに口の端を吊り上げて、芝居がかかった口調で続ける。
「
少女に向けて、女は一枚の写真を見せた。
そこに映っているのは一組の男女。魔術師にはとても見えない風体の、いかにも一般人じみた姿をしている二人だった。
「なあに、簡単なことさ。君と、君のバーサーカーの力をもってすれば……なんてことはない相手だとも」
◆
それから、一時間ほどのち──。
学校も終わり、太陽は既に沈んでいる。
居残り勉強という苦行を課され、健斗もいないものだから夜遅くまで一人で教室に監禁されていた前田大雅は、ようやく下向を許されて校門に向かっていた。
「健斗め、また学校をサボりやがって。次登校してきた時が最期だと思いたまえよ全く。どうせあの子とイチャイチャしてるんだろ」
それとは真逆の状態とは知らず、大雅はのんびりと暗くなった校内を歩いていく。
と、校門のあたりに向かう人影がもう一人。
「おや、三浦さん? こんな遅くまで練習かい?」
「うん。ついつい熱が入りすぎて」
「かーっ、いつも熱心だねえ。いい機会だし一緒に帰るとしよう」
三浦と帰宅できることに内心で喜びの舞を踊りながら、大雅はそれを出すまいと気を引き締め、きりりと表情を固めておく。
実際はたるんだ顔になっているのだが、暗めの校内が幸いした。
「今日も来なかったねぇ、志原くん……」
「本当だよ。なーにをやってるんだか、アイツ」
やれやれと肩をすくめて、大雅は茶化すように言う。
とはいえ、心配しているのは確かだった。風邪を引こうが自動車にはねられようがほとんど休むことのなかった健斗がここまで何日も休むとなると、これは異常事態に他ならない。
最近大塚市で頻発しているという怪事件の数々。
それと何らかの関係があるとしたら、果たして──?
「まあ、健斗は僕と違ってタフだからね。ピンチになっても、何とか切り抜けるだろうさ」
「うん、そうだね。私たちが困ったときも、きっと助けてくれるよ」
「おおっと、三浦さんのピンチを助けるのは僕の役目だぞう。何たって君の
「ふふ。それ、本気だったの?」
「ああ本気だとも。僕は間違いはするが嘘はつかないおと……こ……ッ⁉︎」
大雅が、言葉を言い切る前に呑み込んでしまう。
原因は目の前にあった。
なにかが、いる。
「それ」と目を合わせた瞬間、全身の毛が総毛立ったのだ。
────ヤバイ。
理由も何もない。単なる直感でそうだとはっきり理解できるほど、あの存在は圧倒的に過ぎる。
隣の三浦も、目の前の男に気づいたのだろう。
口元を押さえて、漏れかけた悲鳴を必死で押しとどめる。
「……おい、おい。なんだ、あれ」
心臓が収縮する。足が震える。汗が止まらない。
さっきまで、自分たちはのんびりと会話を楽しんでいたのに。
それがものの一秒で、まな板の上の鯉に早変わり。全身が命の危機に警鐘を鳴らしている、そんな極限状態に放り込まれた。
「み、三浦さん……今すぐ、逃げるんだ」
ずし、と音を立てて。その男が歩いてくる。
手には現代にはあまりに不釣り合いな長剣。身体を包むのは時代を間違えているとしか思えない革鎧。
そしてその目は、爛々と輝いてこちらを睨んでいる。
「言っただろう。僕は、嘘はつかないって」
「で、でも、あれは……ッ⁉︎」
「いいからッ! 僕に構わずとっとと逃げろぉっ‼︎」
空気が震えるほどの大声で、大雅は振り返らないまま叫んでいた。
その光景を見た途端、三浦は微かな頭痛を覚えて顔をしかめる。
覚えていないし、記憶にもない。
それでも。こんなことが、前にも一度あったような──。
「……えっ?」
気がついた時には、男の姿が消えていた。
三浦も、男から目を離さなかった大雅すらも、彼がどこに消えたのか理解できなかった。
忽然と姿を消した男。
幽霊か何かの類だったのか、と三浦が安堵したのもつかの間──、
「っ⁉︎ 三浦さん、後ろ──⁉︎」
男が、彼女の背後でゆっくりと剣を振りかぶっていた。
咄嗟に、ほぼ反射的に大雅が動く。
後先考えずに彼女の体を突き飛ばし、両者の間に割って入り、
──そして。
振るわれたバーサーカーの長剣が、大雅の身体を斬り捨てた。
「い……っ」
飛び散る鮮血。血の雫がぴしゃりと彼女の頰を叩く。
そのまま、ゆっくりと崩れていく大雅の身体。
路上に倒れ伏した彼は、もう立ち上がることはなかった。
「いや……いやああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ‼︎‼︎」
絹を裂くような悲鳴が、夜の大塚に響き渡る。
助けはなく。希望もなく。
バーサーカーは、ゆっくりと三浦に手を伸ばして──。
【少女】
アインツベルンにて作られた「失敗作」のうちの一つ。かの「イリヤスフィール」を製造する上で生まれたため、容姿は彼女に酷似している。性能不足の廃棄物だが、魔力タンクとしての役割を担うには十分。マリウスは彼女を手に入れる為に多大な労力と莫大な財産を投入した。
まだ何も知らない、純粋無垢の原石じみた少女。名前はまだない。