Fate/crescent 蒼月の少女【完結】 作:モモのすけ
──遠い、遠い、昔の記憶だ。
私は、「羅刹」と呼ばれる魔族たちの中に生まれ落ちた。
その魔族は、かつては栄華を自在のものとしたらしい。
それでも私が生まれた頃には凋落の一途を辿り、皆が飢餓と憎悪に呻いていた。そんな、苦しみしかないような場所に、私は生まれたのだ。
父はヴィジュヴェーシュヴァラ、母はカイカシー。
二人の弟と一人の妹よりも早く産まれた私に期待されたのは、ただ一つ。かつての羅刹族の居城であり、今は異母兄弟であるクベーラ神のものとなっているランカー島を、もう一度この手に奪い返す事だった。
その為に、敵を殺すために、私は幼い頃から剣を握った。
でも、私は──。
「できません……わたしには、そんなことできません」
戦士にはなれなかった。冷酷になれなかった。
地を這う虫ですら、殺すのに躊躇ってしまうような有様だった。
「わたしは……戦士なんかに、なれません……」
私の言葉を受けて、羅刹たちは考える。
どうすれば私を、血みどろに呻く魔の者らしい、この世界への復讐に燃える羅刹女に変えられるのだろうか……と。
そこで、一人の羅刹が言ったらしい。
「このラーヴァナを、羅刹らしくさせようとするのが間違っていた。所詮は羅刹女に相応しくもない出来損ない。であれば我らが今一度栄華を掴むため、この女を神に捧ぐ贄としよう」
利用価値がないとされた私は、羅刹族の生贄にされたのだ。
深い深い地下の牢獄に連れていかれて、それから数年間、私は太陽の光も兄弟たちの顔も、一度も見ないまま過ごすことになる。
そこで何が行われたのかは……あまり、思い出したくない。
生贄の役割は一つだけ。ただ、想像を絶する程の苦行を延々と与えられ、あるかもわからない神の恩寵を待ち続ける。神を倒すために別の神の加護を求めるとは、なんとも馬鹿な話だ。
儀式を遂行する捕虜の人間たちは、羅刹族である私を手際よく、絶命する寸前を保ちながら拷問していった。
許してなんてくれなかった。ごめんなさいと謝っても誰も聞いてくれなかった。殺してくださいと懇願しても、安寧の死は訪れなかった。誰も私を助けなかった。
私は人間によって、生きる希望を全て失った。
血みどろの拷問に終わりはない。死にかけるたびに別の人間がやって来て、呪術で私の傷を元どおりにする。そしてまた、肉を断ち骨を折り臓器を掻き回すような拷問が繰り返される。
──延々と。延々と延々と延々と。
悲鳴と絶叫に耐えきれず、喉は一日で壊れた。
体をすり潰されて、何度も何度もバラバラにされて、まともにモノを考える心は三日ももたなかった。
地下牢には私の血の匂いが充満し、それにつられた蝿や鼠の巣窟と化した。一ヶ月もした頃には、血の儀式の担い手を除き、まともな生き物は近寄らなくなった。
これこそが、羅刹王が臨んだとされる、「十の頭のうち九を斬り落として火にくべる」とかいう苦行である。
色々と改変されて伝わっているせいで、なぜか私の頭が十個もあることになっているし、そんな馬鹿げた事を私が自発的に行ったことになっているらしいが。
まあ、とにかく──。
その終わりが来るとも分からない儀式が、どれ程の間続けられたかは知らない。記憶も擦り切れて、もうまともに覚えていない。
だが、その永きに渡る血の儀式は、とうとう神に通じてしまった。
とある神がその働きを認め、私に絶対の加護を与えたのだ。
「神仏に対し、必ず敗北しない」ブラフマー神の加護。それを得た私は、同時に天下無双の力をも手に入れた。
体内で生成する魔力量は抜群に高まり、身体には天性の戦闘技術が備わり、老化による劣化は存在しなくなった。
神代においてさえ、考えうるところの「最強」がそこにあった。
……魔王「ラーヴァナ」は、そうして誕生したのだ。
力を得た私は、しかし、何をすればいいのか分からなかった。
ひとまず掠れ切った記憶を辿り、儀式を担っていた人間たちが私に行った行為を参照する。
私の五指をすり潰し四肢を切断し肉を削ぎ落とし腑を引きずり出し──それ以上は記憶の再生に失敗した。
理解したことは、奴らは私にとっての脅威であるということ。
故に。「人間」という存在は、私を害する害獣であると判断した。
あとから振り返ってみると、私を「人間、そしてそれらが信仰する神々の敵」にするべく、羅刹族はかの儀式を人間の手によって行わせたのだろう。
ともかく、今日も私に血まみれの鋸を振り上げてきた「人間」を、この手でバラバラに引き裂いた。
気が済まないので、そこにいた捕虜たちを、私を痛めつけた人間全てを完膚なきまでに皆殺しにした。
気分は良くない。だが、常人ではとても耐えようがない儀式という名の拷問の中で磨耗しきった私の心は、ほとんど考えるという機能を捨てていた。破綻していたのだ。
だから。
それが良いことなのか悪いことなのか、よく分からなかった。
そうして誕生した私という魔王を、彼らは嬉々として受け入れた。
幸い、私の意思や心といったものはとうの昔に砕けていた。だからこそ、「私」という暴威の制御はいとも容易く行えただろう。
つまるところ、物言わぬ破壊兵器と同じだ。
私は魔王という座に担ぎ上げられ、羅刹族の猛進の旗印となり、言われるがままにその力を振るって命を奪った。
一度も敗北した事が無い、というわけではなかったものの、私と羅刹族は戦いを重ねるごとに勢い付き、とうとうランカー島を奪還。かつての栄華に返り咲く事となった。
しかし──。
一度壊された心は壊れたまま。
どれほど殺そうが何も感じず、何も考えず、ただ、命令通りに動く人形のようにあり続けた。
斬って。
潰して。
焼いて。
千切って。
ありとあらゆる全てを殺した。
それがどんな事かも知らずに、私は延々と殺し続けた。
人間は敵で害獣なのだから、駆除するのは当然の行いだ。
そうして気がついた時には、もう私を脅かすものはいなくなっていた。
人間では私に勝ち得ない。神々ですら私には敵わない。例え世界すべてを敵に回したとしても、私は戦い続けられる。敵を永遠に葬り続ける、恐怖の魔王として在り続けられる。
(だから、なんだというのだろう?)
分からない。分からない。分からない分からない分からない。
もうコワレている私には、分からない。
この鬱屈とした感情はなんなのか。誰かに聞いてみようか、と思ったこともある。でも、誰もが私を畏怖か敵意をもって見つめるものだから、会話なんて出来ないと諦めた。
そして、一つ諦めてしまえば楽になる。
(……もう私は、何も分からないままでもいいや)
どうせ神もヒトも、あらゆる全部が敵なのだ。ならば力尽きるまで月の刃を振るい、善も悪も、何も考えずに死んでいこう。
そうして、一体どれほどの骸を積み上げた頃だったのか。
その日、私は──運命に出会うことになる。
◆
(夢……ああ、これは……セイバーの記憶だ。生まれた時から、あいつが王に至るまでの過程)
身体が重い。まるで水の中にいるような、ふわふわしながらもついに上手く動いてくれないもどかしさを感じながら、俺はその光景を俯瞰していた。
セイバー……真名を、"羅刹王ラーヴァナ"。
以前調べた時の情報によると、彼女はインドの叙事詩「マハーバーラタ」に登場する。神代の魔王として君臨したのち、勇者ラーマに討ち取られた魔族の王だ。
(ラーヴァナ。羅刹を束ねしもの、羅刹王)
ようやく彼女の本当の名前を知ったのに、それでも、俺はさしたる驚きを感じていなかった。
はっきりした理由は分からない。ただ、調べている時からなんとなく予感はしていた。その名前を見た途端、何とも言い表せない懐かしさが、俺の胸中いっぱいに膨れ上がったからだ。
おかしな話だ。「ラーヴァナ」なんて名前、生まれてこのかた聞いたこともなかったのに。
(けど……あいつ、今のセイバーとはまるで別人じゃないか。あんなの生きてる、なんて言わない。
玉座に腰かけたセイバーの瞳は、昏い。
そこには何も映っていないのだ。だから何も考えず、何も感じず、何万という命を容易く手にかけていく。
そもそも彼女は数年前、既に死んでいた。
身体が死んで、心は生きている俺とは真逆だ。この少女の身体は生きているのに、肝心の心が死に絶えている──。
「……………?」
ゴゴゴ、と重い音を立てて、魔王の間へと至る鉄扉が開く。
今日もまた、うやうやしく傅く戦士たちによって、彼女はどこかの戦場へと連れていかれるのだろうか。
だが。その扉を開いたのは、魔族たちではなかった。
そこには一人の、人間が立っていたのだ。
「あいつ、は────」
俺は驚嘆に目を見開いた。なんと言うべきか分からなかった。
魔王に相対した黒髪の少年。
その顔は、俺と瓜二つだったのだ。
◆
「……お前を倒しに来たぞ、魔王」
俯いていた顔を上げて、私はその声の主を視界に捉える。
驚いた。ひ弱な人間が、この場所まで辿り着いたというのか。何千という勇者や無謀者が私を打ち倒さんとして、皆例外なく羅刹族の戦士や、我が兄弟たちによって殺されていったというのに。
あるいはこの男が、本当の勇者なのか。
ただ──何かが、おかしい。
飢餓による痩躯には擦り切れた革鎧と、片手には今にも折れそうな鉄剣。
……余りに貧弱、余りに無力だ。
倉庫の隅にあった剣を引っ掴んで駆け出して、万に一つの幸運で此処まで辿り着いてしまったような、そんな姿。
そんな凡骨が魔王に立ち向かうなど、傲岸不遜にも程がある。
力の優劣で言えば虫ケラ以下の存在。
剣を握るまでもない。私の力は絶大だ。手首を右から左に動かすだけで、彼の首はすっぱり綺麗に切断される事だろう。
「なぜ……?」
「俺がなんでここまで来れたか、を聞いてるのか」
彼は一度構えた鉄剣を下ろすと、
「……実のとこ、俺にもわからない。ただ、運があり得ないくらい良かったんだ。本当に笑えるくらいの幸運でコトが進んで、気がついたらここまで辿り着いてた」
声色からするに、本当に驚いているらしい。
だが、決してあり得ないことではない。今の今まで何千何万という人間が私に挑まんとしたならば、そのうち一人くらいは、小数点以下の天文学的確率を勝ち取って、幸運と勢いだけで私の元まで辿り着いてしまうような人間がいてもおかしくない。
ただ、それも意味をなさない。
何故なら私が殺すから。運良く私の居城を突破してきたこの男は、しかしここで私に殺されて死ぬだけだ。
「くだらん」
人間は敵である。ゆえに、私はこれからこの害獣を殺す。
それだけ呟いて、私は手を振り上げて──、
「……………?」
それを、振り下ろすことができなかった。
その日──私は、初めて見たのだ。
私に敵意を向けていない人間を。
私を恐怖とともに見つめていない人間を。
「お前を倒しに来た」と言っているのに、この少年には、私を殺そうという気概が全くない。
その矛盾が不可解で、少しだけ、この人間に興味が出た。
「貴様は……変だ。おかしい。本当に人間か? なぜ貴様は私に恐怖を向けない、
そう問いかける。すると、少年は少し返答に迷ったようだった。
やや言いにくそうに口をもごもごさせてから、彼は──、
「…………それはお前が、すごく綺麗だったから。どんなバケモンかと思ってたもんだから驚いて、怖いなんて感じる暇がなかったんだ」
その言葉を聞いた瞬間、物事に理解が追いつかない、というのを初めて経験した。
この魔王が美しいと、この少年はそう言ったのか。
「魔王ラーヴァナは頭が十個、腕が二十本。全身岩壁みたいな皮膚に覆われてて、山のごとき巨躯、その貌は獣の如し……と、そういう風に聞いてたんだぞ。全然違うじゃないか」
会った人間は例外なく殺してきたのだから、まともに私の姿形が伝えられる訳もない。私に関する言い伝えに、それくらいの尾ひれはついてもおかしくないだろう。
「……だからどうした。お前個人がどう思っていようと、人間は皆、私を痛めつけようとするのだろう」
「待ってくれよ。人間が全部お前の敵だって、誰が決めたんだ? そもそも──」
開いた長い距離をゆっくりと歩いて詰めながら、彼はこちらの瞳をまっすぐに見つめる。
その綺麗な色の瞳を、私は初めて見た気がした。
どれも殺意が恐怖に濁った目しか向けられてこなかったから、私は思わず何をしていいのか分からなくて、押し黙る。
「お前はなんで、人間やら神様やらと争ってるんだ?」
気がついた時には、数メートル先に彼はいた。
何故なんて……そんなの、理由はない。考えてもこなかった。
ただ、敵だから。人間は全部私をおびやかす敵だから、男も女も老人も子供も、全部全部殺し尽くしてきただけだ。神については色々と込み入った事情があるが、敵対するものには容赦はしない。
それを伝えると、彼はしばらく黙り込んでから──、
「神様とか森の賢者たちについては、知らないから置いておくけどさ。「人間」は例外なくぜんぶ敵で、だから殺す、なんてのは……きっと間違ってるよ。お前は何も知らない、分からないまま、そう思い込んでるだけだ」
「……………」
「知ってるか? 人間には色々な奴がいるんだぞ。悪い奴だっているけど、いい奴だってたくさんいる。面白い奴もいれば優しい奴もいるし、中には……お前の敵にならない奴だって、きっといる筈だ」
私の胸を襲った疼きから悟った。
この少年の話をこのまま聞いていたら、私のどこかがおかしくなる。機能不全を起こして、兵器として機能しなくなる。
だから殺す。今すぐ殺す。──なのに、手が動かない。
動け、と命令する頭に反して、死んだはずのこころが発熱している。この熱い脈動が私の頭を鈍らせて、どうしても動けない。
「人間がどんなものか知って、それでも殺し続けるってんならもう何も言わない。でも、まだ何も知らないのなら──「人間」ってものを、お前が敵とみなしている全部を、殺す前によく知るべきだ。それから、生かすか殺すか決めればいい」
……そんなの知らない。知るわけがない。
人間がどんな存在なのか。何のために生きるのか。
だってそんな事、誰も教えてくれなかったんだから。
この擦り切れた記憶には、かつての私を地獄に突き落とした人間たちの顔と、私を憎んでいる人間たちの顔しか残っていないのだから。
「……馬鹿を言え。どこの誰が、私に人間について説いてくれる? 神々すら敵に回したこの私に、いったい誰がそんなことをする」
「いないんなら俺がやる」
「………………」
まただ。驚くほど澄んだ瞳にまっすぐに射抜かれて、私は言葉が出せなくなった。
──コイツはこの
ありえない話だ。私を相手にして10秒もった人間などいなかったのに、この少年はゆうに数分間も私の前に立っている。
それも、真たる勇者などではない。
何の力もない、ただ運が良かっただけの少年が、だ。
「いいか、人間っていうのはな──」
そうして彼が語り始めるのを、私は止められなかった。
◆
そうやって、俺はずっと眺めていた。
「俺にそっくりな誰か」が、魔王に、人間について話す様を。
まず話したのは生活のこと。牛を飼う奴、畑仕事をする奴、魚を捕る奴、服を織る奴……とか、色々と話をしていた。ちなみに、ソイツは木こりをしていたらしい。
が、何故かその口調が悲しげなのが、やけに気になった。
(しかし……コイツ。俺にそっくりだな、本当……)
まるで鏡を見ているかのようだ。どこまでもそっくりで、もう一人の俺と言っても差し支えない。
服を整えて入れ替わっても、外見だけじゃ誰にもバレないだろう。
(セイバーは……何を考えてるんだろう。ただ、さっきまでの尋常じゃない威圧感がない。大人しくなって話を聞いてる)
ソイツは、次に人間というものの営みについて話し始めた。
人は誰かと一緒になり、子供を愛し育んで、次の世代も繰り返す。
生物としては当たり前のことだけれど、そこには人間がもっとも尊ぶ「恋」という名の感情が介在する……と。
「……知らない。そんな概念は、知らない」
と。無言を保っていたセイバーが、ぽつりと呟いた。
「我々が子供を産むのは戦士を育てるためだ。交わる相手だって、より強く、より良い血統という観点から決定される。愛する相手と、大切に子供を育てる……なんて知らない。私の子とされる戦士だって、本当は私を元に鋳造された
セイバーはハッとしたように我に返って、大人しく黙り込む。
その態度は言外に、続けろと彼に命じていた。
彼は少し驚いたようだったが、そのまま続けて話し始めた。
人間全体を説くようなスケールの大きいものから、話は次第に細々とした、彼のありふれた記憶の話へと移っていく。
◆
……前の月、村の夫婦が子供を産んだ話が始まった。
それから、お調子者の友人が、この前ついに大物の猪を仕留めて、腹いっぱいになるまで肉を食べれた話。
自分が伐採した木材が家として組み上げられていくのを見るのが楽しい、なんて話。
自分の妹が近所の赤毛の少年にお花を渡しているのを見て、なんとなくイラッとした話──、
「とまあ、これがありふれた人間ってやつだ。分かったんじゃないか? 人間がどいつもこいつも、剣振り上げてお前を殺すかお前を恐れるしか考えてない連中、なんて認識が間違ってるんだって」
その時の私は、かつてないほどに動揺していた。
人間はただの獣と同じで、だからいくら殺したって構わない。世界から駆除すべき汚物なのだと思っていた。一人でも殺し漏らしたら、今度こそ私は殺されるとも思っていた。
だけど。その前提が、そもそも全く異なっていたとしたら。
嫌な汗が止まらないほどに、私は動揺している。
その時点で私は致命的な傷を負ってしまっているとも気づかず、私は心の底に湧いた疑問から必死に目を背ける。
「違うっ……違う、私はそんなの認めない……‼︎ 人間は駆除すべき獣と同じだ、そんな話は全部でたらめだ‼︎ だって人間は、あんなに、あんなに私を痛めつけたじゃないかっ‼︎‼︎」
「でたらめなんかじゃないさ」
彼はしっかりと私の瞳を見据えて──、
「それが人間なんだよ、羅刹王」
そう言って、彼は下げていた剣を再び構えた。
錆びて刃毀れした刃が、鈍く煌めいて私に向けられる。
「あ、え……?」
その行動は何度も見てきたはずなのに、私はその意味を理解できなかった。
たじろぎつつも、反射的に立ち上がる。
傍にあったチャンドラハースを握る手は、微かに震えていた。
「なっ、何をして……いるんだ、貴様はっ⁉︎」
「何って、最初に言っただろ。俺はお前を倒しに来たって」
「馬鹿なことを‼︎ お前からは闘志も殺気も感じない‼︎ 私に立ち向かおうという気概が、一欠片もないだろうがッ‼︎ 元から戦う気すらない者が何をほざいて……」
そこまで言ってから、私は気付いた。
彼の瞳から──その輝きが、消えている。
まるで死人のよう。生を望む者の輝きが、喪われている。
「なあ……なんで、俺なんかがここまで来たと思う? 勇者なんて器じゃなければ戦士でもない、ただの人間が」
彼はどこか遠くを望むように視線を上げて、
「さっき話しただろ、俺が住んでる村のことを。……あの村はな、もう存在しないんだよ。攻めてきた羅刹の奴らが、俺以外の全員を殺していったからな」
「なっ……」
「たまたま仕事で森の奥に入ってたから、俺だけは助かった。そうだよ、助かっちまったんだ。皆と一緒に死ねればよかったものを」
私は言葉を失った。
その安穏とした日々の尊さを、人間が作り上げる営みの美しさを聞かされていたからこそ、その衝撃は大きかった。
「だからさ。俺が一人で羅刹王の玉座を目指したのも、要はやけっぱちの気まぐれというか、回りくどい自殺みたいなものなんだよ。どうせ死ぬなら最後に、
彼は死を求めて、羅刹の居城であるここを目指した。長い道程を乗り越えて、そうしてランカー島まで辿り着いたのだ。
その幸運に加えて、彼の貧弱さが逆に幸いしたのだろう。
強者が纏う気配を兵士達に察知される事もなく、魔術的な結界が脅威と判断する事もなく、彼はあり得ない侵入を成功させてしまった。
「どうもお前が魔王らしくないから、ついつい変なことを喋っちまったけど……もう前も後もない。ここが俺の終着点だ」
「そ……そんな……こと」
だから、この少年には闘志も殺気もなかったのだ。
彼は最初から、私を殺すことなんて諦めていたのだから。
むしろその逆。自分が魔王に殺されるためだけに、彼はここまで辿り着いた。
私は何も言えない。言葉を投げかけられない。
だって私は羅刹の王なのだ。羅刹族によって全てを失い、生きる希望も無くしたのが彼ならば、私には何かを言う資格がない。
「ひき……かえして、ください」
それでも、絞り出すように私は告げた。
何故そんな言葉が出たのかは知らない。けれど、彼が死ぬということを考えると、胸のあたりがきゅっと締め付けられるような気がした。
だから。頼むから、この場所を去ってほしい。
私に貴方を、殺させないでほしい。
「引き返すなんてできやしないさ。だって帰ったって何もない。俺の中にすら何もない。もう生きる目的もなにもかも全部、無くなっちまったんだから」
鈍く光る剣先はもうぴたりと静止している。
まるで、彼の覚悟を示すように。
「──分かるだろ? 俺は、お前の敵なんだ」
その一言で、彼は自分の立場をはっきりと示してみせた。
「もう話は終わりにしよう。元よりお前は羅刹を束ねるものだ。な
ら、この俺の最期まで、
「嫌だ」と呟きながら、私は否定しようと首を横に振った。
目の前に立つのは、あれ程なにも考えずに殺してきた人間の一人。
しかし、このたった一人を手にかけるのだけは、どうしてもしたくなかった。私に大切なことを教えてくれた、この人間は。
「さあ。俺を殺してみせろよ、羅刹王ッ──‼︎」
しかし。少年は素早く駆け出して、剣を大きく振りかぶった。
その様を見た瞬間、私の身体に染み付いた殺戮兵器としての本能が、私の身体をどこまでも正確に作動させる。
意思ではなく反射。
放たれた刺突は正確無比に、彼の心臓を貫いた。
「────────あ」
鮮やかな、致命の一撃だった。
月の刃が、噴き出す血に赤く染まっていく。
彼は刃に貫かれても無言だった。くぐもった笑いを漏らすと、吐血が口元を赤く濡らす。
茫然とする私に、脱力した彼は身を任せるように倒れ込んだ。
「はは、まあ、こうなる。本当……悪い、な……? 敵にならない人間だって、いるはず……なんて、言ったのに。当の俺は、お前の味方に、なれないんだから……」
「そんなのっ……そんなの、当たり前じゃないですか‼︎」
「そうだ……な。そうさ、当たり前だよ……実際、こうしてお前と会うまで……魔王なんて、憎い仇敵としか思ってなかったんだ」
彼はおかしそうにくぐもった笑い声をあげながら、最期の言葉を紡いでいく。
「でも、一目見たとき……敵とかそういうのが、全部吹っ飛んでた。ただ、「綺麗だ」って思って……もっとたくさん、話してみたかった。お前と一緒にいたいって……思ったんだ」
それは彼にとっても、予想だにしないことだったのだろう。
勝てないとは思っていただろうが、まさかこんな風に色々な話をして、人間について説く事になるとは思いもしなかったはずだ。
「それでも、俺は、お前の味方には……なれない。今からお前の味方を気取る、には……もう、失い過ぎたんだよ」
──あるいは、その運命が異なるものであったなら。
彼が何も失わないままに、ラーヴァナという魔王に出会えたなら。
彼はこの世界で初めて、「魔王に寄り添える人間」になれたのかもしれない。でも、それは想定すら無意味な妄想だ。
「だから、ごめん。もう俺は、生きるのを諦めちまったから……この先を生きていく、お前と一緒には……いられない」
冷たくなっていく彼を抱きながら、私はその衝動に抗わなかった。
目から熱い何かが溢れて、頬を伝って、彼の身体にぽつぽつと落ちる。
「…………泣いてるのか、お前?」
彼は少しだけ意外そうに言った。
泣くなんて、魔王らしくない。涙なんて、兵器には不要のものだ。
それでも、泣きたかった。悲しいから涙を流したかった。
みっともなく嗚咽を漏らす私を見て、少年の口元に笑みが浮かぶ。まるで、何かを私の姿から悟ったかのように。
そして、尽きそうになる力を限界まで振り絞り──彼は、私にしか聞こえないほどの小さな声で、最期の言葉を口にした。
「──────」
名も知らぬ少年の遺言となる、その言葉は──。
私の魂魄に、例え死後でも消えない傷を刻み込んだ。
そして、完全に力が抜ける。
生というものが消えた感触があった。
ただの物言わぬ死体となったひとりの少年。彼が最後に遺した言葉を何度も何度も反芻しながら、私はずっと彼の身体を抱き続けた。
何故かは知らないけれど。
溢れてくる涙は、どうしても止まりそうになかった。
──その日を、私は永遠に忘れないだろう。
死に絶えた心を蘇らせるほどの光に出逢った日。
そう、まるで一つの流星のように──。
暗く閉じた世界に彼が切り込んできた、あの運命の日のことを。
【少年】
志原健斗にそっくりな少年。名前は不明。
ごく稀にセイバーが健斗を「貴方」と呼ぶ時、彼女は彼の姿を健斗に重ねて呼んでいる。
【セイバー】
真名:羅刹王ラーヴァナ
剣の英霊。蒼色の長髪が特徴的な、小柄な少女。
インドの二大叙事詩がうちの一つ、「ラーマーヤナ」に登場する羅刹族の王。「神仏に敗北しない」という加護を得た彼女は、神が絶対の上位者として君臨していた神代において、まさに無敵の存在だった。
故にその戦闘能力は超一級。総合的な戦闘力では、もう一つの叙事詩「マハーバーラタ」に登場する英雄にも引けを取らない。
「無辜の怪物」のリミッターを外せば通常時の数十倍に及ぶ絶大な火力を手に入れるが、代わりに伝承通りの、「頭が十に腕が二十」のおぞましい怪物に変貌する。これをセイバーは無理に禁じているため、常に本来の力を発揮できていない。
〈ステータス〉
筋力A、耐久A、敏捷B、魔力A+、幸運C、宝具EX
〈保有スキル〉
ブラフマー神の加護EX
魔王特権A
魔力放出A+
直感B
無辜の怪物A(抑制)
【ブラフマー神の加護EX】
セイバーが苦行という名の拷問の果てに獲得した加護。神性を持つものに対し、絶対の優位権を獲得する。相手の攻撃は彼女に傷一つつけられず、こちらの攻撃によるダメージは数倍に上昇する。
【
ランク:A
種類:対軍宝具
彼女が破壊神シヴァより賜った神造兵装。「月の刃」の異名通り、その刀身に月光を蓄積し、破壊力に変換して解き放つことで外敵を殲滅する。その性質から、月の満ち欠けによって威力が変動する。
満月時のみの
【
ランク:EX
種類:対人宝具
羅刹王ラーヴァナが十の頭のうち九を切り落として火にくべた、という歪んだ逸話が昇華され、マントの形となった概念宝具。
「想像を絶する苦行から復活を果たした」という逸話の性質から、この宝具は、使用者に絶大な回復力を与える効果を持つ。他者が使用した場合、近くにセイバーがいるほど効力が高まる。
本来であればCランク相当の宝具。ただし、セイバーすらも知らないもう一つの特異な効果が秘められているが故に、この宝具のランクは「EX」とされている。