Fate/crescent 蒼月の少女【完結】   作:モモのすけ

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このお話を読む前に第一話、および第三話の後半を読み返して頂くと、話の繋がりが分かりやすいかもしれません。


六十九話 運命の夜

 俺は、その「俺によく似た誰か」が最期にセイバーに何かを伝え、死に絶えた光景を眺めていた。

 永く沈黙しかなかった玉座に、再び沈黙が戻る。

 彼女はこらえようともせずに、ぽろぽろと涙を流して、静かに悔いるように泣いていた。

 その悲痛な泣き声を聞いて、俺はまた思い出す。

 9月4日。俺が死んだ夜、セイバーはこうして泣いていた。

 あの時、あの夜、彼女は何と言っていたんだっけ──。

 

 瞬間、世界がぐにゃりと捻じ曲がる。

 

 周囲の景色が加速的に流れていく。この追憶の世界が動き、また、別の光景を俺に見せようとしているのか。

 目が回りそうになるのを目を瞑って耐えた。

 耐えて、耐えて、何も聞こえなくなる。

 そして、ようやく収まったかと目を開けた瞬間──、

 

「っ⁉︎」

 

 ──凄まじいまでの閃光が、俺の視界を塗りつぶした。

 轟音と衝撃。莫大な光と荒れ狂う魔力の向こうで、神速をもって激突する二つの影が辛うじて見える。

 その様に思わず言葉を呑んだ。

 俺が初めてサーヴァントの戦いを目撃した時、まるで神話の再現だと思い込んだような記憶があるけれど──。

 

「──……これが、本物の神話なのか」

 

 以前の考えを一蹴するほどに、その戦いは熾烈だった。

 何がどうなっているのかさっぱり見えないが、必死で目を凝らすと、辛うじて誰が戦っているのかくらいは理解できた。

 

 戦いの最中にいる二人のうち、一人はセイバー。

 そして二人目は、見たことのない赤髪の男。

 

 正体を掴めるような何かは存在しなかったが、彼が戦場においてさえ纏う高潔な雰囲気と、その清廉な眼光から理解した。

 

 ──間違いなく、アレは勇者だ。

 彼こそが、魔王を打ち倒すものなのだ。

 

 彼らの周囲の地面は抉れに抉れ、木々は一つのこらず吹き飛び、大気中の魔力は残らず消費されている。その様たるや、彼らが争っている場所を中心として、隕石の落下跡じみた幅数十メートルのクレーターが出来上がっているほどだ。

 その「跡」だけでも、この二人の激闘がいかに熾烈かを物語っていた。

 さらに両者は今にも死にそうな顔で、それでも負けられぬといった表情で武器を振るっている。手は震え、足は揺れ、呼吸はまったく安定しない。身体中を血まみれにするほどの無数の傷。勇者の片腕は既にへし折れ、魔王は片脚が捻じ曲がっている。

 ──あの二人は、とうに限界を超えているのだ。

 それでも彼らは倒れない。意地や信念、守りたいもののために、あの二人は限界を超えてなお戦っている。

 叙事詩「ラーマーヤナ」の最後を飾るに相応しい、勇者と魔王の全霊を賭した死闘がそこにあった。

 

「翔べ、シューラヴァタッ──‼︎」

 

 そう叫んだ勇者の周囲には、いくつもの武具が彼を守護するように浮遊していた。

 そのうちの一つ。煌びやかな長槍が超加速してセイバーの側面に回り込み、猛然と襲いかかる。

 

「小賢しいッ‼︎」

 

 それを、セイバーはなんと片手で防いだ。

 数センチ先に迫る槍の穂先を前に瞬き一つせず、片手で柄を握って力づくに停止させたのだ。そのまま掌を通じて膨大な魔力を流し込み、神の武具をまた一つ灰と変える。

 ぱらぱら、と掌から落ちていく武具の残骸。

 それを前に、しかし勇者は臆さない。

 

「フッ──‼︎」

 

 その隙を突いて、勇者は次の攻撃を繰り出している。

 セイバーがハッと顔を上げると、そこには「壁」があった。

 否。壁ではない。ただ、勇者が瞬く間に放った数百に及ぶ矢が、その密度から壁の如く見えただけのこと。

 まさに人を超越した神業。

 しかしその神すらも縊り殺すのが、彼の前に立つ羅刹王だ。

 

「せあァっ‼︎」

 

 ヒュヒュンッ、と風を切る音が連続した。

 刃が姿を消すほどの速度で振るわれた月の刃が、こちらに降り注ぐ矢を一本残らず迎撃する。

 ドガガガガガガガガガッ‼︎ と、マシンガンを壁にばら撒いたような炸裂音があったが、当のセイバーは一歩も動かずにまったくの無傷。矢の雨をくぐり抜けて、勇者を視界の中心に捉える。

 一手先を互いに奪い合うような、神代における最強同士の戦い。

 そこにきて、セイバーがついに攻勢に回った。

 

「……来るか、羅刹王‼︎」

 

 轟、と大気が悲鳴をあげる。

 その威力に軋む空間。爆ぜるように膨張する圧倒的な魔力。

 

 ──その質も、圧も、俺が見たものとは比べ物にならない。

 これが、彼女の本当の全力(・・・・・)なのだ。

 英霊と化したが故に避けられない「マスター」という制限に加えて、自分の力に自ら枷を掛けた今のセイバーでは、その身に秘められた全力を振るうことは叶わない。

 それは生前の羅刹王が放つ、究極無比たる一撃だった。

 

 構えは変わらず。足が折れていようと強引に踏み込み、腰だめに構えた剣に己が全てを叩き込む。

 溢れ出す銀を束ね、セイバーはその極光を解き放った。

 

煌々たる月雫の夜刃(チャンドラハース)‼︎」

 

 ────咆哮。

 凄まじいまでの極光が、全てを白に塗り潰した。

 魔王にあるまじき優美さをたたえた月の光は、甚大なる破壊力を伴って勇者を呑み込んだ。

 その一撃はそこで留まらず、天へと向かっていく。高く、暗い夜の帳を振り払うように。舞い落ちてくる燐光は、魔王の勝利を高らかに讃えているかのように美しい。

 轟音ののち、しん、とした静寂が訪れる。

 戦いの終わり。

 セイバーは苦しげに肩で息をしながら、とうに限界を迎えて倒れそうになる体を、剣を支えにして立ち続けた。

 

 

 

 

「はあ、はあ、はぁッ……!」

 

 私の放った最後の一撃は、間違いなく勇者ラーマに直撃した。最強の敵であるあの男を前に、私はかろうじて競り勝ったのだ。

 満身創痍の全身から力が抜けていく。

 あの男は、かつてない次元の強さを誇っていた。

 それは神々の圧倒的な力とは種類が違う。弱々しいはずなのに、決して折れずに向かってくる不屈の炎。一体どこからそんな力が湧いてくるのか、なにを支えに立ち続けるのか、私にはさっぱり理解できなかった。

 足腰に喝を入れて、ふらふらと立ち上がる。

 

 ──その瞬間。ありえない魔力が、私の前方で膨れ上がった。

 

「な……⁉︎」

 

 巻き上げられた土煙の向こう。

 月の刃をまおもに受けてなお、勇者は生きていた。

 全身から鮮血を流し、全身を極光によって灼かれた死人一歩手前の姿になろうとも、それでも彼は生きていた。

 あり得ない。不可能なはずだ。

 私の刃は、あのズタボロの男一人を仕留められないほど鈍くはない。それなのに──、

 

「──……返して、もらうぞ」

 

 彼は、ただただそう言った。

 その手は、一本の槍──いや、「矢」を構えている。

 滞空するそれは熾烈な閃光を撒き散らしながら、ぴたりと私に狙いを定めていた。それは勇者が生まれ持ったという不滅の刃。私に終わりをもたらすもの。

 動けない。私は先の一撃に全てを注ぎ込んでいる。

 ゆっくり、ゆっくりと、千切れかけた腕が持ち上がっていく。

 勇者が向ける鋭い眼光。そこに込められているのは、ただ一つの感情しかなかった。

 殺意でもない。敵意でもない。恐怖でも高揚でもない。

 

 それは──。

 ただ愛する人に逢いたいという、強烈なまでの願いだった。

 

 

「──……羅刹を穿つ不滅(ブラフマーストラ)

 

 

 私が、私の敗因を理解した瞬間。

 放たれた一条の閃光が、私の胸に風穴を開けた。

 

 

 

 

 ……とある日、私の前に一人の少年が現れた。

 彼は私に人間とは何かを告げると、そのまま私によって殺された。

 

 あの日以来、私は無機質なまでに繰り返してきた人間を殺めるという行為を、そう易々と行えなくなってしまった。

 目の前の命、その一つ一つに家族があり、友があり、大切なものがある。人間は決して、私を憎むことしか能のない獣ではない。それを知ってしまったからだ。

 あの少年の言葉は、完成された「魔王」という殺戮兵器を、不完全なものへと変えてしまったらしい。彼のおかげで私はこころを取り戻すと同時に、自らの罪と向き合わなくてはならなくなったのだ。

 

 ──しかし。私はそれでも、殺戮をやめなかった。

 

 人間が作る営みはたしかに尊いものだと思う。でも、それでも、私は剣を振るって数多の命を奪い続けた。

 何度も立ち止まろうとした。何度もやめようと思った。

 でもそう考えるたびに、私の下に積み上がる死者たちが轟き叫ぶ。

 

『今更、魔王の座から降りられると思うか』

『そんな都合のいいことが許されると思うか』

『死んで償う、なんてことが許されると思うか』

『お前は戦い続け、苦悩し続けろ。その罪悪で潰され続けろ。殺して殺して殺して殺して、最期の時まで殺し続けろ』

 

 ──そう。それこそが、私の最大の罪だ。

 

 私は、あまりに多くを殺しすぎた。

 だからかつての彼と同じように、もう引き返せなかった。

 今更、魂にまで刻まれるほどの在り方を変えるなんて、都合のいいことができるわけがない。血みどろの魔王は魔王らしく、永遠に人を殺し続けるしか道はない。

 

 ──だから、こういう結末を迎える事になる。

 

 決着。不滅の刃に胸を穿たれて、全身から力が抜ける。

 月の刃が掌からこぼれ落ち、音を立てて地面に転がった。

 そのまま前のめりに倒れこむ。七日間にも及ぶ激闘を飾る幕引きにしては、あまりに静かな決着だった。

 冷たい地面の感触を味わいながら体を動かそうと試みたが、指一本すら動かせない。あれほど力に満ち溢れていた身体が、今では糸の切れた人形のようだ。

 

(…………ああ。私はここで、死ぬんだ)

 

 とめどなく溢れていく鮮血の冷たさを感じながら、私は悟った。

 かろうじて動く頭を動かして、勇者の方に目を向ける。

 絶命寸前で私を上回ったあの男に、駆け寄る女の姿があった。

 王女シータ。羅刹王(わたし)が形だけでも婚姻を成しているという事実を作るために、羅刹たちが目をつけて攫ってきた女性だ。

 彼女を奪還するため、勇者ラーマは十四年に及ぶ私との戦争を経て、ついぞ私を超えてみせた。

 

「シータ……シータ……僕は、僕は……‼︎」

 

 十四年もの年月だ。念願の再開に言葉が出てこないのか、勇者ラーマは言葉をつまらせる。そんな彼を、シータは両手で受け止めた。

 言葉はない。ただ、何か言わなくとも想いは伝えられると、優しく彼を抱きしめた。

 

「ラーマ、私の愛しい人。……必ず来てくれると、信じていた」

 

 その囁きと抱擁は、勇者ラーマにとって、どんな名声や富よりも価値のあるものなのだろう。

 涙を流して歓喜に震えるその姿は、眩しかった。

 私は魔王。故にこうして独り、誰にも抱かれることなく息絶える。

 

「────あれ、が」

 

 彼は道理すらもねじ伏せる胆力でもって、私の渾身の一撃を耐えてみせた。あり得ない力を振り絞って私を打ち倒した。

 その力。私にはなく彼にはあり、故に勝敗を決したもの。

 それこそが、「愛する人に逢いたい」という願いだった。

 

「私が負けた、理由。誰かに……ただ逢いたいと、いう……願い」

 

 そのささやかな願いは、しかし、時に魔王の一撃すらも帳消しにしてしまうほどの力となる。

 

 ──……それを知って、私は憧れた。

 

 おかしな事だとは思うけれど、魔王は勇者に憧れた(・・・・・・・・・)のだ。

 愛する人に逢いたいと感じ、そして、その為にゼロの可能性すらも掴み取ってしまう。「愛」という一つの感情のためにそこまでできるのは、この地球上においても、おそらく人間だけなのだろう。

 

 ──けれど、私は独りだ。

 

 誰とも話さず、関わらず、ただ刃を振るい続けただけの魔王だ。

 だからそんな幻想(ユメ)を抱くなんて、誰かを愛することなんて、出来るわけがない。そもそも、そんな相手が存在しない。

 

 ──諦めかけたその時、一人の少年を思い出した。

 

 唯一、私に敵意なく語りかけてきた人間。

 名前すら知らない、私が殺してしまったひと。

 

 

 ──ああ。もし、私が誰かに逢いたいと願うなら。

 ──私はあの人に、もう一度だけ、逢ってみたい……。

 

 

 そんな事を考えながら、私は孤独に死んでいった。

 勇者の英雄譚は終わりを告げ、同時に、私の生もそこで潰えた。

 

 ──そして。私は死してもなお、その純朴な願いを抱き続けた。

 

 ただ一つの奇跡を願って、願って、願い続けた。

 英霊の座に刻まれ、輪廻の輪から外れた存在となったが故に、私はそれだけを願い続けることができたのだ。時間の概念すらも存在しないこの場所では、「待つ」という行為が果たしてどれほどの長さだったのか、それすらも曖昧だけれど。

 それでも私は、その奇跡を待っていた。

 待っているだけでは決して叶うはずがないと知りながら、ずっと。

 

 ──そして、あの夜。

 

 私の目の前で胴体を吹き飛ばされた少年を見た瞬間、私は。

 

「ぁ…………あ、嘘だ、そんなの、ありえ……ない」

 

 時間が飛んだと思うくらいに何も考えられなくなって、ただ、呆然と膝をつくことしかできなかった。

 血に濡れ、朦朧とした表情の彼。

 似ているなどという次元ではなかった。同一だ。魂まで、彼はあの少年と同じであると、私は一目見た瞬間に理解できた。

 私の魂が、共鳴してその事実を叫んでいる。

 

 ──まっとうな生命は死すと輪廻を経て、魂は転生する。

 

 だとするならば。私のように魂が英霊の座に至った例外ではなく、ただの人間だった彼が、転生してこの世に生を受けていたのならば。

 こうしてもう一度出逢うことだって、可能なのかもしれない。

 

 ──もし、その奇跡に名前があるのなら。

 ──人はそれを、きっと「運命」と呼ぶのだろう。

 

「っ……‼︎」

 

 無我夢中で、死にゆく彼を抱きしめた。彼にもう助かるすべはない事くらい、誰の目から見ても明らかだ。

 気がついた時には、涙が溢れていた。

 悔しかった。悲しかった。奇跡に等しい再開があったのに、何も話せないまま、彼はその人生を終えようとしている。そして私は、そんな彼に何一つしてあげることができない。

 

「なんで……もう一度、貴方に会えたのに、なんでっ‼︎ こんなのあんまりじゃないですか……‼︎ お願いです、いやだ、まだ私は、あの時の……‼︎ 私は、何も貴方に伝えられていないのに──‼︎‼︎」

 

 必死に言葉をかけようとしたけれど、気が動転してうまく話せなかった。そうしている間に、彼はゆっくりと目を閉じていく。

 

「待って、いやだ……‼︎ 私は‼︎ 私は、もう……‼︎」

 

 彼は何故か、にこりと笑ってみせた。

 死はすぐそこに迫っている。それはきっと、普通の人間にとっては耐え難い恐怖のはずだ。それなのに、彼は最後に笑顔を浮かべた。

 

「いやああああああああああああ────ッッ‼︎」

 

 彼の胸に顔を埋めて、私は号泣した。

 私には何もできない。何も変えられないままだ。

 

 ──その時。一つだけ、打開策が閃いた。

 

 ただし、浮かんだ案は禁忌に等しい行為だ。成功するかどうかも定かではないし、別の機会に試す事すらままならない。

 こんなものを埋め込んでしまえば、きっと彼のどこかが破綻する予感がある。そうなれば、待っているのは最悪の結末だ。

 でも、やるしかない。

 一つの命。その「死」を、道理を捻じ曲げて先延ばしにする。

 

「……ッ‼︎‼︎」

 

 私は背中のマントを強引に掴み取ると、「魔王特権」を行使して形状を変化させた。可能な限りの極小サイズにまで分解し、粒子レベルにして彼の身体に埋め込む事で、彼の死を押し留める。

 

 かつて、勇者にだって出来たことだ。

 

 あの男は、不可能を可能にしてみせたのだ。

 ならば出来る。

 私だってきっと、この想いを力としてみせる──‼︎

 

「うぐ……ああああああああああああああああ‼︎‼︎」

 

 全身の傷が痛い。指先が霞み始める。

 英霊として召喚された私が、世界から消えかかっている。

 

(間に合わせる……絶対に、絶対に‼︎)

 

 もう私は限界を超えていた。とうに消滅しているはずだった。

 それでも力づくに、たとえ限界を超えているとしても、気力だけで現界を果たし続けながら作業を続ける。

 

 そうして──地獄のような時を経て。

 彼の身体に、私は一つの宝具を埋め込んだ。

 

 かつて乗り越えた拷問(ぎしき)。そしてそれから這い上がった私は、人々からの認識の歪みもあり、一つの宝具を得るに至った。

 その名は、「耐え難き九の痛酷(ラーマーヤナ)」。

 私の誕生こそがとある一つの叙事詩の始まりとなったが故に、この宝具はその名を冠している。

 その宝具を楔として、天に昇ろうとしていた彼の魂は、辛うじて繋ぎとめられたのだ。

 

 

 

 

 それから、運命と出逢った夜が明けて──。

 

「おい。出てこいよ、いるんだろ?」

 

 翌日、夕暮れ時の公園。

 震える声で、彼は姿を隠した私にそう言った。

 

「俺は昨日の事をハッキリ覚えてるぞ……化け物め。生き延びた俺を殺しに来たのか?」

 

 その声は、かつて聞いたものと寸分違わない。精一杯低くしようとしていても、聞き覚えのある、どこか優しい声のままだ。それが無性に嬉しいので、私を「化け物」なんて呼んだ事は許してあげよう。

 そんなことを思いながら、私は近くの屋根から飛び降りる。

 

「それは、違いますよ」

 

 彼の背後に着地した瞬間、彼は私の存在を察知したのか、振り返ってこちらを思い切り殴りつけた。

 少し驚いたものの、私は難なくそれを受け止める。動きを止められた彼は弾かれたように、私の瞳をまっすぐに見つめた。

 

 ──そうして目が合った瞬間、全ての時間が止まった気がした。

 

 この気持ちを、何と言えばいいか分からない。ただ、涙を流すような歓喜ではなく、心があったまるような充足があった。

 

「……………………おまえ、は」

 

 彼は知らない。この私のことなんて、これっぽっちも覚えていない筈だ。

 

 ──けれど、それでもいい。

 ──この胸に、確かなものが残っている。

 

 たとえ彼が覚えていなくたって、私の胸にこの想いと記憶があるのなら、あの過去は決してなくならない。

 それを思うと、悲しくなんてなかった。

 ただただ、再び巡り逢えたことへの歓喜があった。

 だから。満ち足りた感覚のまま、私は──、

 

「このゴミムシ馬鹿愚か不敬者ぉーっ‼︎」

 

「ぶべらっ⁉︎」

 

 さすがに化け物呼ばわりから殴られるのは許せないので、問答無用で彼の横っ面を引っ叩いた。

 

「うお……おおぉ……ビンタが、なにゆえ、右ストート並の威力に……⁉︎」

 

「フンッ。いきなりこの魔王に殴り掛かるとは、いい度胸してるじゃあないですか。本来なら万死に値する愚行です」

 

「お、お前、一体……てか、馬鹿力にも程が」

 

「あっ‼︎ 今馬鹿と言いましたね、馬鹿と‼︎ よろしい、今すぐもう一発追加してあげますよ」

 

 そう言って近づいていくと、目に見えて彼は狼狽する。

 あの時のように、生きる希望も何もない彼ではない。

 話せばこうして色々な表情を見せてくれる。これからきっと、もっと彼と話して、彼のことを知れるのだろう。

 それは、とても嬉しいことだ──。

 

「と、とにかく悪かったのは俺なんだな⁉︎ よし理解した、だから、あー、その、そう‼︎ お詫びはなんでもする‼︎ だからその手を降ろして一回落ち着け頼むって怖いんだよ本当‼︎」

 

「ほう? なんでも、と言うんですね」

 

 それは好都合。私は少し息を整えて、彼に伝える。

 

「では、一緒に来てくれますか。私の……マスター」

 

「……ます、たー?」

 

「貴方のことですよ。そんなきょとんとされても困るんですけど」

 

 と言っても、彼が魔術師だったりするような素振りはない。きっと、何も分からないままこの戦争に巻き込まれたのだろう。

 少し意地悪をしてしまった気もするけれど、説明の手間があるぶん、色々なことを話せるだろうし。多少のわがままは許してもらおう。

 

 ──その言葉を合図としたかのように、沈みかけていた夕日が完全に西の山脈の影へと没した。

 これからは夜、太陽は役割を終えて月が主役に成り替わる。

 

「私の名前はセイバー。貴方のサーヴァントにして──」

 

 手を取って彼を立ち上がらせたところで、一つだけ思い出した記憶があった。

 古い記憶。私に消えない傷跡を刻んだ、とある少年の言葉。

 

『分かるだろ? 俺は、お前の敵なんだ』

 

 ……かつて、彼はそう言った。

 あの人は、私の味方になるには、あまりに多くを失っていた。生きる希望すらも無くした、死に場所を求めるだけの死人だった。

 けれど、今は違う。あの時とは真逆だ。彼の身体は死んでも、まだ精神(こころ)が生きている。ならこれからたくさん話して、きっともっと仲良くなれる筈だ。

 絶対に、今度こそ、私は彼の敵になんてならない。

 だから──、

 

「きっと、私は貴方の味方(・・)です」

 

 そう言って、私は心の底からの笑顔で笑った。

 ……ここは終着点の先。ある筈のない、もう一つの始まり。

 さあ始めよう。

 濃紺の(そら)には、既に薄っすらと半月が浮かんでいる──




【セイバーの願い】
勇者ラーマとシータの再開。その姿を忘れられなかった彼女が聖杯に託す願いは、「あの時に出逢った少年との再会」。
彼と会って、何をしたいのかは彼女自身も分からなかった。それでも無性に会いたかったから、彼女はその願いを抱き続けた。
しかしその願いは、偶然にも運命という名の奇跡によって叶うことになる。転生を経た彼と出逢い、満足したことで、彼女は自らの願いは半分でも叶ったと判断した。今の彼女の望みは、健斗を元の安寧に送り返すことのみである。
ただし。この二人の運命が、必ずしも良いもの(Destiny)であるとは限らない。
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