Fate/crescent 蒼月の少女【完結】   作:モモ太郎

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七十話 もう一度、君に伝える

「………………ぅ」

 

 俯瞰していたセイバーの記憶が薄れ、意識が戻ってくる。

 閉じていた目を開けると、こちらを覗き込む碧色の瞳があった。どうやら俺は、セイバーの膝に頭を預けて仰向けに寝ているらしい。

 身体は重りをしこたま詰め込まれたように重い。既に治癒は始まっているだろうが、まともな人間なら即死級の傷だ。相応の時間が必要になるだろう。

 しかし、全身がぐったりと思い癖に、一部分だけやけに軽い……というか、感覚すら感じない箇所がある。

 視線をのったりと下げてみると、そこにあるべき左腕は存在しなかった。

 

「腕が、ない……?」

 

「すみません。私の宝具にも限度があります。表面的な傷を塞いでも、一度切断された腕をもう一度つなぎ直す、なんてことは……」

 

「……ああ、そっか。そうだった」

 

 バーサーカーから一瞬の隙をもぎ取る代償は大きかった。俺は奴の一撃をまともに受け、左腕をもっていかれたのだ。

 思わず呆然としたが、黙っていても始まらない。

 あれから、大雅の方はどうなったのだろうか。

 

「セイ、バー……二人は、どうなった?」

 

「最初の打ち合わせ通り、あの子に救急車を呼んでもらいました。事情の説明はまた後で、ということで。……例の男の子ですが、派手に肩を斬られてはいるものの、命に至るような傷じゃありませんでした。あれなら完治も可能でしょう」

 

「……はは。いや、良かった。あの二人が俺みたいな犠牲にならなくて、本当に良かった……」

 

 ──安心すると、どっと睡魔が襲ってきた。

 バーサーカーの一撃を受け止めたのだ。それを抜きにしても、今日は街中を走り回っている。疲労が随分と溜まっているらしい。

 が、俺は気だるさと眠気を我慢して周囲を見渡す。

 周囲は夜の闇に包まれ、照明といえば数個設置された電灯のみ。家と家との中途半端に余った空間に遊具を詰め込みましたよ、と言わんばかりの狭っ苦しい公園だ。

 金網のフェンスの向こうには、大塚市が一望できる景色が広がっている。色とりどりの光が闇の中に輝く大塚の夜景。

 その光景を見て、俺は思い出した。

 

「ここ……俺とお前が、初めて、会った……?」

 

「ええ。ここで私は、貴方にいきなり殴られそうになったんです。覚えてますか?」

 

「覚えてるよ。それからお前に容赦なく引っ叩かれたこともな」

 

 くすり、とセイバーが笑う。

 笑顔……彼女が、生前に一度も見せなかったもの。

 それを俺がセイバーにあげられているのなら、それはどんなに嬉しい事だろう。そんな事を思いながら、話を切り出す。

 セイバーの過去を覗き見た俺は、それを打ち明ける責任がある。

 

「なあ、セイバー」

 

「なんですか?」

 

「気絶している間に……また、お前の夢を見たよ。お前が生まれてから死ぬまでと……召喚されて、俺に出会うまでの夢だった」

 

「……そうですか。厄介なものですね、契約というのも」

 

 セイバーは少し暗い顔をする。

 そりゃあ、誰だって勝手に自分の過去を覗かれるのは嫌だろう。

 とはいえ、これは俺の意思とは関係なく発生する。だから俺に出来ることといえば、過去を見たという事実を伝えること。

 そして、そこから俺自身が彼女に伝えたいと感じた事を、真っ直ぐに届けることだけだ。

 

「やっと分かったんだ。お前の本当の名前。それと、お前の願い」

 

 セイバーが軽く息を呑んで、こちらを見つめる。

 

「──お前はずっと、「アイツ」に会いたかったんだな」

 

 そんな彼女に、俺はそんなことを呟いた。

 碧色の瞳が、その言葉を皮切りにして微かに潤む。

 それは、セイバーが今の今まで一人で抱え込んできた孤独な願いを、こうして誰かが解してくれたことへの喜びなのだろうか。

 

「いつかの夜にさ、言ってただろ。「私の願いはもう半分叶ってくれたから、もう満足した」……みたいなことを。アレはそのまんまの意味だったんだ。志原健斗はアイツの生まれ変わり。魂が同一だとしても、アイツ自身じゃない。だから、お前は半分叶ったと表現したわけだ」

 

 少しだけ自虐気味な声色になってしまって、少し情けなくなる。

 もしかすると、俺は嫉妬しているのだろうか。生前の彼女に何かを残して死んでいき、また逢いたいとまで思わせた「アイツ」に──。

 

「そんなこと……言わないでください」

 

「えっ?」

 

 ──なんてことを思っていたから、思わず素っ頓狂な声を出してしまった。

 

「私が会いたかった相手は確かに、あの日私が出逢った、あの名も知らぬ少年だった。……でも私は、今を生きようとしているケントのことを、とても大切に想っているんですよ」

 

「そっか。なら、良かった」

 

 軽く目を閉じて、それからゆっくりと体を起こした。

 片腕が無いせいで身体のバランスがおかしくなっているのか、やけにふらつきつつも立ち上がる。セイバーは少しだけ驚いたようだったが、止めることはなかった。俺に応じるように、彼女も腰を上げる。

 期せずして──。

 まるで始めて出逢った時のように、俺たちは向かい合った。

 

「俺は、セイバーに言わなきゃいけないことがある」

 

 その碧色の瞳を見つめて、俺はそう切り出した。

 

「セイバー。お前は自分自身を怪物だの、魔王だのって言うだろ? でも、俺にはそう思えない。どうしたって思えないんだよ」

 

 どうやって彼女の哀しい自己認識を改めるべきか悩んできたが、いい加減にケリをつけるべきだろう。

 やっと言い出せた言葉。まだスタートラインに立ったに過ぎないが、迷いはない。俺は、思いをありのままに伝えるだけだ。

 

「貴方が何度言ったって、私がどういう存在であるかは変わりません。私が犯した罪は、たとえ死んでも消えない。いえ、消えるなんてことが許されるはずがないんです」

 

 それは彼女の覚悟だ。

 自分が殺めた数万に及ぶ命。その人すら殺せそうな重荷を、今も彼女は責任として背負い続けている。決して投げ捨てようともせず、ひたむきに。その罪悪から、決して逃げようとしない。

 最初の夜。俺が見たあの光景は、彼女の心象だった。数万の骸の果てに独りで立つあの姿は、彼女の決意の表れだったのだ。

 

「その通りだと思う。それは、お前が永遠に背負わなきゃならない十字架だ。別に俺は、お前の罪まで否定したいわけじゃない」

 

「じゃあ、貴方は何を言おうと」

 

「俺が話をしてるのは、かつてのお前じゃない。「今の」お前の話をしてるんだよ、セイバー」

 

 雲の切れ間から差し込んできた月明かりが、彼女のジャージを淡く照らし出した。

 

「お前は俺に会ってから、人を一人でも殺したのか?」

 

「それはっ……それ、は」

 

「違う。俺が実際に触れたお前は、人なんて殺しちゃいない。俺を何度も助けてくれて、一緒に戦ってくれるサーヴァントだった。ずいぶんと手を焼かされるけど、強くて、かわいくて、甘いものが好きで、誰かのために泣いてくれる……ただの、どこにでもいるような女の子だった」

 

 それだけだ。俺が彼女を魔王ではないと思えるのは、ただ単純に彼女と接した記憶があるからだ。

 

 ──つまるところ。何千年も昔に何があったかなんて、今を生きる俺にとっては関係ない。

 

 「今の」セイバーと話してみればわかるはずだ。

 確かに世間ズレしているし偉そうなところがあるけれど、彼女は自分から好き好んで殺戮を繰り返すような奴じゃない。不器用だけど、確かな優しさを持った女の子だと、誰もが理解できるに決まってる。

 それなのに。だというのに。

 それでも世界が彼女を「魔王」として爪弾きにしようとするのなら、それこそ世界の方が間違っている。

 

「そんな奴にすら居場所を与えないくらい、この世界は残酷じゃない。それでもお前がまだ自分が怪物だから、この世界にいちゃいけないなんて悲しい勘違いをしてるんなら、俺がお前に気づかせる」

 

 俺はセイバーに詰め寄ると、残る右手でその肩を掴んだ。

 こちらに引き寄せる身体。空いた距離が一気に近くなって、揺れた蒼色の髪が俺を叩く。

 けれど、セイバーは大人しかった。

 ただ無言で、俺の顔を見つめていた。

 ゆっくりと口を開く。ずっと言いたかった、言おうとして何度も何度も失敗してきた言葉を、ついにそのまま口にする。

 

 

「お前は、魔王なんかじゃない」

 

 

 その一言を述べた瞬間。

 セイバーの瞳が、ハッとしたように見開かれた。

 

 

 

 

 私の生涯においてたった一つだけ。

 それこそ永遠に、頭から離れなかった言葉があった。

 

「お前は元から魔王なんかじゃなかった。ただ、自分の道を、あり方を、強引に歪められちまっただけなんだ」

 

 彼の言葉が、胸に突き刺さる。

 いや。突き刺さる、という表現が正しいのかは分からない。

 ずいぶんと穏やかな感覚だった。私という存在を揺るがす確かな衝撃が、彼の言葉には秘められている。

 それなのに、優しく染み渡るように、その言葉は私の胸に広がっていった。

 

「だから、もう……いいんだ。お前は無理をして、魔王なんて似合わない肩書きを背負い続けなくていいんだよ。歪んだきりの道を、そのまま進まなくたって構わない」

 

 彼の瞳を見る。

 今も変わらない、その黒曜石のような瞳を。

 

「お前は、お前の思うがままに生きるべきだ。だってお前は、ずっと最初から、魔王なんかじゃなかったんだから」

 

 かつて、私はひとりの少年に出逢った。

 私と戦い、私が殺した、無力で平凡な少年だった。

 悠久の神話に刻まれることもなく、この世においてあらゆる生命が忘れ去る中で、私の記憶にのみ残り続けた彼。

 そんな少年が、死の間際に残した言葉がある。

 

 

『お前は、魔王なんかじゃない』

 

 

 ──その言葉が、どれほどの衝撃だったことか。

 

 羅刹王ラーヴァナはその一言をもって、完全から不完全へと堕ちたのだ。何も考えないはずの殺戮兵器が、「わたし」という人格を取り戻したが故に。

 とはいえ、それが何かの変化をもたらしたわけではない。

 羅刹王(わたし)はそれでも変わらなかった。「勇者ラーマに倒される」という結末も、彼に出逢っていようといまいと、きっと変わらなかったはずだ。かつての私が、変われなかったように。

 つまり彼の言葉は、この世界になんら影響を残さなかった。

 それでも──。

 

「貴方は」

 

 精一杯、背中に回した手に力を込めて、彼の身体を抱きしめる。

 

「貴方は……いつだって、そう言うんですね」

 

 訳の分からない熱さが、目の奥と胸の奥で暴れている。

 こんな気持ちになったのは初めてだった。

 ただ、どこか安堵のような安らかさが、私を満たしていた。

 

「何度だって言うよ。「俺」がお前に逢ったなら、きっと」

 

 その言葉で、私の中の何がが崩れ落ちていった。

 意固地なくらいに凝り固まっていたそれが崩れた瞬間、私は堪えることをやめて、彼の胸に顔を埋める。

 

「う……わたし、わたしはっ……‼︎」

 

 ぼろぼろと涙が出てきて、まともに話せない。

 それでも必死に話そうとする私の頭に、ぽんと掌が触れた。

 残った片腕で、彼は私を撫でている。それが子供扱いするようでほんの少し気に障ったけれど、今くらいは許してあげよう。

 だから──このまま、満足いくまで泣かせてほしい。

 

「これからもう一度、やり直してみればいい。前は歪んだ道の半ばだったから、もう変わることなんてできなかったかもしれない。でも、今は違う。お前はこれから、他の誰でもない自分の意思で、新しい道を歩んでいける」

 

 私は、その言葉に無言で頷く。

 顔を押し付けたまま何度も何度も首を振ったせいで、ケントのシャツがびよんと伸びた。

 

「わたしは……もう、魔王として生きなくても、いいんですね」

 

 真っ赤になった目を擦って、少しだけ落ち着いた私は顔を離す。

 胸の中でずっと渦巻いていた、葛藤じみた気持ち悪さがない。

 

 私は、ようやく理解したのだ。

 かつて犯した罪は消えない。永劫に、私はこの罪過と向き合い続けなければならない。

 でも。だからといって、さらに罪を重ねるような生き方をしなくたっていい。私が魔王のように振る舞う必要はなく、私は私が正しいと思う在り方で生き続けられる。

 その当たり前の結論を。

 彼が数千年を経て、もう一度教えてくれた。

 

「問題は解決したみたいで何より。……それで、その〜……」

 

 私がどこか晴れ晴れとした気持ちで涙を拭いていると、さっきまで堂々としていたはずのケントが、気持ち悪くモジモジしている。

 それを見て怪訝な顔になった私は、思わず尋ねてしまった。

 ちょっと考えてみれば、分かることかもしれなかったのに。

 

「ケント、いったい何ですか?」

 

「その、俺、前セイバーに色々と言っただろ。あの返事のほうはどうなってるのかな……なんて事をね、ふと思い出した訳」

 

「………………‼︎‼︎」

 

 言葉はなく、私は無言でひっくり返りそうになった。いや、実際数センチは跳び上がっていたかもしれない。

 今までの事で忘れかけていたものの、ケントはとんでもない事を言っていたではないか。

 彼は私に詰め寄って、こう、何というか色々と恥ずかしい言葉を、

 

「……あ、ぁ、あれは……その……」

 

 思考がまとまらない。さっきまで晴れやかに落ち着いていた思考が、今は別の要因で沸騰している。

 がーっと急上昇していく体温。こんな体調の変化は初観測だ。

 よく考えてみれば、こうして抱き合っている今の状況は、傍目から見れば全く違う意味があるようにしか見えないではないか。

 

「そ、その、わたし、私は……ケントの言葉に対して、別に問題は……ない……と、いうか。別に嫌だという理由もないわけでありまして……そのう」

 

「な、何ッ──⁉︎」

 

「うおぁちょ、ちょっと急に顔近づけないでくださいよ‼︎」

 

 血相を変えてケントがこちらを覗き込んできたので、思わず私は顔を左右に揺らして回避する。

 

「バカっ、そこは大ッッ切なところだろ⁉︎」

 

「ば、バカって言いましたね、また‼︎ 怒りますよ⁉︎」

 

 しんと静まり返った夜に、二人して騒いでいると、またいつもの様子に戻ったような実感があった。

 ああ、こんなに楽しいことなんて、今まで一度たりともありはしなかった。彼と過ごしてきた今までが、こんなにも愛おしく思える。

 

 ……いや、これまで、だけじゃない。

 

 「この先」を夢見るくらいは、私にだって許されるはずだ。

 何故なら私は、もう、魔王なんかじゃないんだから──。

 

 

「いいや? 何を言われようが貴様は魔王だよ、ラーヴァナ 」

 

 

 自然と笑みがこぼれた、その瞬間。

 一人の女が、ケントの背後でその手を振り上げていた。


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