Fate/crescent 蒼月の少女【完結】   作:モモのすけ

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七十二話 避けられぬ離別(わかれ)/Other side

「しっかし、本当アイツに似てきたよなあ」

 

「なんだよ、藪から棒に」

 

 バーサーカーとセイバーの激闘が繰り広げられていた、その一時間ほど前。

 繭村の屋敷で、青い槍兵はニヤニヤ笑いを浮かべて士郎に絡んでいた。士郎はといえば、相変わらずげんなりした表情で牽制する。

 

「髪と肌色は違うがよ。背格好とかそっくりじゃねえか。にしても背伸びたな坊主……ってオイ、まさか負けてる?」

 

「どっちだっていいだろ、ンなの」

 

「よかねえよ! おいおい冗談だろ、ちょっと測るからそこ立ってろ。えーっと……」

 

 士郎を直立させて、自分の頭の高さで手を水平に動かし始めたランサーを見て、同室の机に大塚の地図を広げていた凛が呆れたとばかりに溜息をつく。

 

「あのねえ。貴方たち、もうちょっと緊張感を持ったらどうなの?」

 

「何言ってるんだ。俺は元から緊張感持ってる」

 

 憮然として凛に言い返す士郎を見て、ランサーは気持ちのいい笑い声を発した。

 

「お前ら、本当変わんねえんだな」

 

「それはこっちの台詞よ、ランサー。ま、英霊に時間の概念なんて存在しないから、そんなものかもしれないけれど」

 

 そう言う凛の前に、士郎は付き合ってられんとばかりに腰掛ける。

 ランサーは逆に机に直に腰を下ろし、体を捻って地図に視線を落とした。

 

「……こほん。少し真面目な話に移るわよ」

 

 凛が前置きをするので、二人は真剣な眼差しで凛の方に視線を移す。

 

「倫太郎くん達にも伝えた通り、今この聖杯戦争は大きく勢力が二分化され始めてる」

 

「こちらと向こう、仙天島の連中だな」

 

「それ以外に、どちらにも属さず動いているマスターとサーヴァントも存在するけど……でも、私が話したいのはそこじゃない」

 

 凛はランサーの方を一瞥し、確認するように問うた。

 

「まだ、他にもいる。サーヴァントでもマスターでもなく、どちらにも与していない別の何か(・・・・)が。そうでしょう?」

 

 その言葉に、ランサーは頷く。それはつい昨日のこと、珍しく姿を見せた影のキャスターを仕留めるべく、彼が大塚市のビル街へ向かった時に発生した。

 正体不明の──人間とも英霊ともつかない「何か」が、彼らの間に割って入ったのだ。

 

「結局、アイツが何者かっていう話だろ?」

 

「……正直に言うわ。私はアイツの存在が、なんだか訳もなく恐ろしい」

 

 凛は、遠視の魔術を行使して捉えたあの姿を思い返しながら呟く。

 その全身を黒い鎧で覆い隠し、あの戦士は絶叫と殺気を撒き散らしてランサーに襲いかかったのだ。

 幸いにも、猛者であるランサーを倒すほどの力は有していないようだったが──、

 

「これまで色々なものを見てきたけど……それでも奴を見た時、ゾッとした。あれはこの世を力で捻じ曲げてしまうような、そんな計り知れない邪悪を秘めていたわ。貴方だって感じたんじゃない?」

 

「まあ、まともな奴じゃねえ事は確かだ。立ってるだけでおかしくなりそうな、そんな極限の邪悪だったよ、アイツは」

 

 「ああ、それと」とランサーは呟いてから、一つ思い出したことを述べる。

 

「……奴は、戦い方もどこかおかしかった。なんだかな、滅茶苦茶なんだよ。まるで赤ん坊を相手にしてる気分だったぜ」

 

「それ、どういう意味だ?」

 

「そのまんまだよ。アイツは未熟も未熟、戦い方も何も知らない。多分、自分の力がどんなモンかも理解しちゃいねえ。ただ、がむしゃらに力を振り回してるだけの存在だ」

 

 だから倒すのは楽で済んだんだけどな、とランサーは付け加えた。

 裏を返せば、あの「何か」が着実に戦闘の経験を積めば、それは純粋な脅威となり得るということ。敵でもないが味方でもない第三要素は、できれば排除しておきたいが──、

 

「といっても、あれから姿は見せないし」

 

「ま、未だアレは未完成だ。次に出てきた時も、俺一人で下せるだろうさ。そこについては安心していい」

 

 堅苦しい話に疲れたとばかりに、ランサーは座ったまま背中を後ろに倒し、いい香りの畳に寝転がる。

 

「それよか、向こうの弓兵(アーチャー)のことだがよ──」

 

 不意に、彼が言葉を途切れさせる。

 不思議に思った凛が彼にその意味を尋ねるよりもさらに早く──、

 

「来る」

 

 目にも止まらない速さで起き上がったランサーは、次の瞬間、部屋の障子を蹴り倒して廊下へと飛び出していった。

 

「ちょ、ちょっと⁉︎」

 

 素早く反応した士郎が、同様に廊下に駆け出していく。残された凛は突然の事に悪態をつきながら、必要最低限の宝石をポケットに忍ばせて後を追った。

 中庭に躍り出た三人が、そこで見たものは──。

 

 

 

 

 一方、その頃。

 

「………………マスター」

 

 明日に備えて仮眠をとっていた倫太郎の寝室に、アサシンは姿を見せた。薄めの掛け布団をぺらりと持ち上げて、褐色の肢体をその下に潜り込ませる。

 その身体を倫太郎にぎゅっと密着させたところで、ようやく彼は目を覚ました。

 

「ん……ん⁉︎ あ、あさ、アサシンッ⁉︎」

 

「おは……よーう……」

 

 飛び起きて思わず布団から離脱しようとする倫太郎を、アサシンは上から押さえつける。彼の両手を両手で掴み、上から覆いかぶさるような体勢だ。

 

「な、なにしてるんだよ、いったい……⁉︎」

 

「うーん……ご想像に、お任せしよう……かな?」

 

 ふふ、と笑う彼女の顔は、いつもよりもどこか蠱惑的に見える。

 その唇の艶やかさにどぎまぎしつつも、倫太郎は彼女の顔を見た。

 距離が近すぎてくらくらする。数センチ顔を動かしてしまえば、唇と唇が触れるくらいだ。胸板に押し付けられたアサシンの柔らかな胸の感触がやけに熱く、倫太郎は動かない身体をよじった。

 

「こんな事するきもちになるの……きみが、はじめて」

 

 アサシンの手が、硬直する倫太郎の頰をそっと撫でる。

 

「マスター。君がその気なら、いつだって……わたしを自由にしても、よかったんだよ?」

 

 優しく囁くように吐かれた言葉は、甘くとろける蜜のようだ。

 アサシンは彼が抵抗しないのを見て、少しづつその唇を近づけていき──、

 

「アサシン」

 

 触れ合うその寸前で、倫太郎の声が彼女を制止した。

 その言葉で、少女は律儀に動きを止める。少しだけ、不満げに頰を膨らませてはいたが。

 

「……こんなの、君らしくないよ。何があったんだ」

 

 倫太郎の目は、真剣にアサシンを見つめている。

 それを見た彼女は深い溜息を漏らしつつも、どこか満足げだった。

 

「ふふ。やっぱり君は、わたしを……ちゃんと、理解してくれているんだね。なら、よかった」

 

 なら仕方がない、と表情を切り替えて、アサシンは布団を跳ね除ける。途端として立ち上がったアサシンの行為の意味が理解できなかった倫太郎だったが、直後。

 

 ──ズン、と。

 圧として感じられるほどの「何か」が、彼の両肩にのしかかった。

 

「ワンワンッ、キャンキャンキャン──!」

 

 庭で、飼い犬兼使い魔のシロが吠える声がする。

 優秀な番犬である彼は、これほどすぐに吠え立てたりしない。何か繭村の庭に侵入するものがあれば、低く唸るだけで追い返してみせる。それが、声だけで理解できるほど取り乱すとは──、

 

「これは……⁉︎」

 

「いこう。敵襲だよ、マスター」

 

 襖を開けて板張りの廊下を超え、中庭に飛び出す。

 そこには既に、キャスターや楓、ランサーに士郎や凛たちが集合して空を眺めていた。遅れる形になった二人は、彼らのやや背後でその「圧」が発せられている源泉を見上げる。

 

「よォ、キミとは初対面やなあ。にしても揃いも揃って一斉集合たァ仲がよろしいやんけ、ライダー」

 

「黙ってろキャスター。真っ先に潰されてえか」

 

 バチバチ、と紫電を撒き散らす人影が一つ。

 倫太郎の記憶の中で、その姿には見覚えがあった。獰猛な面構えに似合わない幼き容姿は、まさしく「正規の」ライダーのものと合致する。

 彼はその双眸を歪めて、こちらを凛然と睨んでいた。

 

「くそッ……まさか、こっちの動きが読まれてたのか?」

 

 倫太郎は唇を噛む。

 仙天島に引きこもったライダー達は、こちらを警戒する様子どころか外に出ようとする様子もなかったのだ。今となって方針を変えたにしても、この状況はあまりにタイミングが悪い。

 

「ハッ! こちとら、セイバーの奴にはずっと監視を付けてんだ。奴と合流さえしなけりゃあ、テメェらがコソコソ企んでるのもバレなかったろうになァ‼︎」

 

「………………」

 

 饒舌なキャスターが黙している。彼はその千里眼で、いったい何を見通したというのだろう。

 

「まずいわね。こちらの出鼻を潰された。それに──」

 

 一方、凛が珍しく苦々しい顔をする。

 それも当然だ。今は主戦力のセイバーが不在だというのに、タイミングが悪いにも程がある。

 そして、目線の先には一騎のサーヴァントがいる。

 白髪に褐色の肌。見慣れた洋弓を手にした男が、こちらを冷徹無比な目線で見下ろしている。

 

「いや、違う。……こちらのセイバーがいない時に運悪く襲われた、じゃない。向こうにとっては順番が逆なんだ」

 

「ほう? 聡いじゃねえか坊主」

 

「だからそれはやめろって言ったろ。もう坊主なんて歳じゃない」

 

「まあそう言うな。男の成長が見られるってのも、なかなかどうして楽しいもんだ。今さらながら親の楽しみってヤツを知った気がするぜ」

 

 ランサーに慣れないことを言われ、複雑そうな表情になる士郎。

 二人の会話は敵を前にしているとは思えぬ自然体だったが、よく見れば、すでに士郎の両手に干将・莫耶が握られている。ランサーの方も、とうにゲイボルグを握った臨戦態勢だ。秒の合図でもあれば、二人は即座に戦闘に移れることだろう。

 倫太郎が「順序が逆」という言葉の意味を考える前に、キャスターが口を開く。

 

「皆。最悪の状況やが、ことさら最悪の知らせや」

 

「……それは何、キャスター?」

 

「健斗クンが──死んだ」

 

 その言葉が中庭を駆け抜けた瞬間、皆の動揺は様々だった。

 目線を険しくするもの、舌打ちするもの、依然として微動だにしないもの。その中、驚愕に目を見開いたのは倫太郎だった。

 一体いつの間に。数時間前は、この場所で話し合っていた人間が、どうして一人で死なねばならなかったのか。

 ともあれ彼の妹である楓が気になって、倫太郎は彼女の方を見た。

 

「………………」

 

 彼女は微動だにしていなかった。違う。微動だにしないのではなく、あまりの衝撃に指一本動かせなかったのだ。

 しばらくしてから、楓は「そう」とだけ答えた。

 正直な話、志原健斗と繋がりの薄かった倫太郎では、彼女の悲しみや喪失感を推し量ることはできない。

 ただ、そうした感情を、このライダーがまた彼女に抱かせたという事実が、倫太郎の心を沸騰させる。

 

「セイバーの支配権はライダーのマスターに移行した。その後の動向は不明やが、抑止力の代行たる槍兵の言葉が正しいんなら、まあロクな事にはならんやろ」

 

「そういうコト。こっちはセイバーを手に入れる為にバーサーカーの野郎を焚き付けて、首尾よく簒奪させてもらった。こちらの目的がどうだかは……まあ、テメエらには関係ねえことか」

 

 過去を見通す千里眼の前に、隠し事は無駄と悟ったのだろう。

 自分たちがセイバーを最大の目的としていたことを明かしたところで、ライダーが纏う閃光が膨れ上がる。

 

「どうせテメエら全員、ここで殺されるんだからよ」

 

 鮮烈な輝きが夜闇を煌々と照らす中で、槍兵は一人、無言でため息を漏らしていた。

 このあまりの戦力差で真正面から対峙しても、勝つことは不可能だ。絶望的でも不可能に近いでもなんでもない。完全に、勝利の確率はゼロで固定されている。

 ただし──。

 

「オイ、いいか。ここからは退却戦になるが、殿(しんがり)は俺が果たす。まずキャスター、テメエはこいつらを連れて退け。それとアサシン、テメエの動きはそちらに任せる。その方が動きやすかろう」

 

「おいおい。こっちの被害を最小限にするにゃあ、それが最善やろけどな。流石に一騎じゃ殿には足りんやろ。勝算は絶望的やけど、ここは僕も残って──」

 

「いや、いい。私が……いく」

 

 険しい表情を浮かべたキャスターが前に出ようとしたのを遮ったのは、小柄な少女の掌だった。

 アサシンは短刀を抜き放ち、いつもの調子で胸元に構える。

 倫太郎はびっくりして声を上げたが、彼女は彼の唇に人差し指を当てただけで、その意思を変える気はないようだった。

 

「……覚悟は確かみてえだな。ならいい」

 

 アサシンを一瞥し、魔槍を地面に突き立てるランサー。

 その瞳に篭っていたのは、主を守らんとするアサシンへの賞賛か。

 ランサーが纏う魔力が、ぞわり、と蠢き始めた。

 その構えを見て士郎は驚愕する。この空間そのものを捕食せんとするかのような魔力の高ぶりは、間違いなく宝具の開帳、その前兆だ。

 だが、彼は「構え」をとっていない。

 魔槍ゲイ・ボルクの一撃を放つならば、それこそ定まった構えが必要になる。だというのに、彼は地面に槍を突き立てたまま微動だにしない。

 それこそ、まるでその直立が構えと言わんばかりに──、

 

「俺としちゃあ、できればこの宝具は使いたかねえんだが……ま、こんな非常事態だ。こっちの全霊で行かせてもらう」

 

「面白え。このまま数で蹂躙ってのもつまんねえからな、先手はテメエに譲ってやるよ」

 

 ライダーの意思に従っているのか、英霊たちは動こうとしない。

 その間に、槍兵の周囲の空間が歪曲し、法則を無視した力が捻れ暴れる。それは魔術に近い。だが同時に、一つの世界を塗り替える禁忌でもある。

 

「なあ坊主」

 

 そんな力の奔流の中で、ランサーは気楽に呟いた。

 

「──なんだよ、急にどうしたんだ」

 

「いいやぁ? 十年も経ってどんな調子かと思っちゃあいたが、この数日でちゃあんと理解した。お前さんはもう、十分アイツと並べるくらいには成長してるってな」

 

 槍兵は顎を使って、ライダーの背後に立つ弓兵を指す。

 頰を黒き(ひび)で穢した彼の真名は、今更語るものでもあるまい。

 かつて共に争い、ぶつかり、その背中を追い越してみせると誓った男が、十年の時を経てもう一度目の前にいる。

 

「いいか。分かってるだろうが、アイツを倒すのはテメエの役割だ。だから今は俺が受け持ってやる」

 

「ランサー、貴方まさか……」

 

 凛の言葉に、ランサーは清々しい笑みを返した。

 いつとて変わらない。英雄は決して怯えず、むしろ笑顔すら浮かべて、自ら死地に飛び込むのだ。

 

「嬢ちゃん。短い間だったが、お前さんたちと契約の真似事ができて楽しかったぜ。抑止力の代行なんざ面倒臭いと思っちゃあいたが、こうして美人になった顔を拝めただけでも儲けもんだ」

 

「……ほんと。変わらないのは貴方も同じね、ランサー」

 

「はっ、違いねぇ」

 

 そのやり取りを最後にして、彼はその眼光をぴたりと宙に向けた。

 まるで影の英霊たちに、宣戦布告を告げるように。

 そして、尽きない名残を振り払うように。

 その姿を見て、凛はしばしの無言を挟んだのち、この緊張感にそぐわぬ優しい声色で言い放った。

 

「……さようなら。また貴方に会えて良かった」

 

「ああ。ま、なんだ。坊主と仲良くやれよ」

 

 決して振り返らない彼の顔には、おそらく笑顔があったのだろう。

 彼はそう言い残して──次の瞬間、世界が黒に塗り替えられた。

 

 

 

 

 倫太郎の目の前で、ランサーの魔槍を中心として拡大した巨大な「黒」が、まるで濁流の如く、持ち手の槍兵ごと敵の英霊たちを呑み込んでいった。

 影か闇か。それはある程度の大きさまで膨張を続けると、ぴくりとも動かなくなった。

 

「これが、ランサーの宝具?」

 

「今のアイツは以前と同じじゃない。抑止力の後押しで知名度補正が最大に引き上げられているから、まだ俺たちも知らない宝具を使えたんだ。これは……恐らく結界か、それに似た何かを構築している。術者であるランサーが死ぬまで、連中は外に出られないだろう」

 

 自分ごと敵を閉じ込めた黒を眺めながら、士郎がさらりと解説する。

 ただ、時間に猶予はない。あのランサーがその命を賭して時間を稼いでいる。その間に彼らは一刻も早くこの場から逃れて、体制を立て直さなければならない。

 

「移動には俺たちの車を使おう。とりあえず、俺たちが泊まってた山奥のホテルに場所を移す。あそこなら流石にノーマークだろうから」

 

「了解や。と、キミも来たほうがええわなあ」

 

 もさもさした毛並みのシロがキャスターの足をぺろぺろと舐めたので、屈み込んだ彼はその番犬を丁寧に抱え上げた。

 それからアサシンをちらりと一瞥し、しばしの沈黙。

 

「……楓ちゃん、行くで」

 

「あ、うん……わかった」

 

 彼女はこの場に留まろうとするアサシンの方を気にするそぶりを見せていたが、アサシンはひらひらと手を振るので、険しい表情のまま門の外へと駆けていった。

 そして、最後に二人だけが残される。

 倫太郎に「来い」と言わなかったのは、あの二人の優しさだ。

 

「ふう。じゃあ、私は……行くね」

 

 楓たちが門の外に消えたのち、槍兵の結界に向かって歩き出したアサシンの手を、思わず倫太郎は掴んでいた。

 その時に考えていたことは、何もない。

 ただ無意識のうちに、倫太郎は彼女を引き止めていた。

 

「……どうして、止めるの?」

 

「どうしてって……分かってるんだろ⁉︎ ここで止めなきゃ、君は……‼︎」

 

「うん。分かっていて……その上で、私は行くよ」

 

 倫太郎は、ギリ、と固く歯を食い縛る。

 彼は愚者ではない。ここでアサシンを残さず、殿をランサーのみに任せたのでは、そう稼ぐ時間は得られないだろう。そうなれば、追撃を躱しきれずに全滅する確率が跳ね上がることくらいは理解している。

 だが──退却さえできれば、まだ勝ち目はあるかもしれない。

 ただし、それは。

 アサシンをここで「切り捨てる」という選択の上に成り立つ、ほんの僅かな可能性だ。

 

「……君を、ここで死なせろっていうのか」

 

「うん。もともと……わたしたち(サーヴァント)の役割は、主のために死ぬことだから……ね?」

 

 時間がない。ただ、倫太郎は、それでも迷いを捨てられなかった。

 彼女と過ごした時が脳裏に浮かび上がる。

 

 最初に会った時、いきなり殺されそうになったことから──。

 共に様々な戦いを駆け抜けた。僅かな時間が何倍にも感じられるほどの濃密な時間を、倫太郎とアサシンの二人は共有してきた。聖杯戦争という戦いを経て、この二人は、既に確固たるものを築いていた。

 

 それを彼は、自らの判断で切り捨てるしかない。

 

「ねえ、マスター」

 

 俯いたまま葛藤する倫太郎に、アサシンが手を伸ばした。

 暖かい手のひらが、そっと彼の頬を撫でる。

 

「君は……最初に、私に言ったよね。君は、勇気が欲しいって」

 

 ああ、そうだったな、と倫太郎は思い返す。

 彼女に短刀を突きつけられて、倫太郎はおっかなびっくり、自分の望みを答えたのだ。

 今では笑い話な、おかしな記憶。

 

「でも……君は成長した。もう君は、自分の力にすら怯えていた、かつての君じゃない」

 

 アサシンが目元の包帯を外して、放り捨てる。

 白の奥から覗いたのは、清廉な青に赤が混じった両目。

 直死の魔眼と呼ばれる超常の眼だ。それを見て、倫太郎は変わらない懐かしさを覚える。

 

「ほら、ね。もう、私の目を見ても、君は臆さない」

 

 久しぶりに素顔を晒した彼女は、いつも眠そうな顔をしている彼女にしては珍しく、目を細めて笑みを浮かべる。

 

「だから、もう……私がいなくても大丈夫。自分が何を大切にして、何のためにその力を振るうのか。それを理解した君は……もう、弱虫なんかじゃないよ」

 

 アサシンはそう言うと、手にした短刀を軽く掲げた。

 

「だから、マスター……臆さずに、命じてほしい。君が「敵を倒せ」と命じてくれれば……それは、無限の力になる。君の願いを受けて、私はどこまでだって行ける。どんな敵だって、殺してみせる」

 

 倫太郎は、ずっと無言だった。

 ただ、自らその選択を選ばなければならない苦痛に耐えきった。

 ごし、と腕で目を擦って、少し赤くなった目を彼女に向ける。

 

「──……令呪をもって、命ずる」

 

 目を瞑って、その言葉を吐いた。

 左手の令呪が輝いて、紡がれる命令を受諾する。

 

「その力で敵を倒せ、アサシン」

 

 真っ赤な閃光が走り抜ける。そこに勇壮さはなく、ただ、令呪は哀しい光となって霧散した。

 アサシンが纏う魔力が膨れ上がる。バーサーカーと相対した時と同じく、令呪の支援を受け、霊基の性能が格段に跳ね上がる。

 「ありがとう」とだけ言い残して、アサシンは踵を返した。

 彼女は一人、闇へと踏み込んでいく。サーヴァントとしての自らの使命を果たし、倫太郎(マスター)を守るために。

 

「────アサシン」

 

 だが。倫太郎が発した最後の言葉が、アサシンの足を止めた。

 

「君と志原の言葉を聞いてから、僕はずっと考えていたんだ。僕にとっての、ひいては人にとっての正義って何なんだろう、ってさ」

 

 伏せられていたアサシンの瞳が、ハッと見開かれる。

 繭村倫太郎は、「自分自身の意思」とは何であるかを探す中で、様々な敵と対峙してきた。志原楓、マリウス・ディミトリアス……いずれも倫太郎とは違って、他人に流されることなく、自分の意思で聖杯戦争という戦いに足を踏み入れた者たちだった。

 その意思とは即ち、「己の正義」とも言い換えられる。

 自分が何を信じ、何を正義として戦うのか。誰もが戦いの前に定めるソレを、倫太郎は未だに探し続けている。

 

「僕が何を正義と据えるのか。それは、未だに分からないけれど……君が信じる正義は、僕なりに理解しているつもりだ」

 

 倫太郎は、今も覚えていた。

 アサシンの過去と、彼女がなによりも「正義」を夢想したことを。

 けれど、自分は人の命を奪う事しかできない暗殺者で、だから正義の味方なんかになれるはずもない。

 そう考えてきた彼女の根底には、それでも、暗殺によってもたらされる「誰かの幸せ」を願う、ごく当たり前の正義がある。

 その優しさを、倫太郎はすでに理解していた。

 

「君はずっと自分を卑下したままだった。だから、最後に、これだけは伝えておきたかったんだ。──君の正義が誰かにとっての悪だからって、その理想を貶める必要はないって」

 

 結局、難しく考える必要なんてない、と倫太郎は結論を出した。

 この世界がありとあらゆる可能性に富んでいる限り、「万人にとっての正義」なんて都合のいいモノは存在しえない。

 だから人は、自分の信じる正義を貫かんとする。それで対立が起きたとしても、ヒトはそこから多くを学ぶ。ありとあらゆる価値観を吸収して、自分の正義をより強固に固めていく。

 

 つまり、彼女の正義は、誰にも否定できないひとつの輝きだ。

 

 例えそれが、誰かの命を奪い続けるという行為であったとしても。それは魔眼のハサンという少女が信じた、一つの正義のあり方なのだ。

 

「これからは胸を張って、自分は人殺ししかできないアサシン(あくにん)なんかじゃないと笑ってほしい。悪なんてとんでもない、私の信じる正義は「暗殺(これ)」なんだってね」

 

 最後まで言いきれた倫太郎は、その顔に笑顔を浮かべる。

 それは目の前の少女に向けた、最高の信頼たる笑顔で──、

 

「だから、最後の令呪にかけて願うよ」

「君に勝利を。僕の、僕だけの……正義の味方」

 

 そして。その言葉はなによりも、少女の心を撃ち抜いた。

 最後の令呪が消失する。

 倫太郎が「マスター」であるという、目に見える証が消える。

 令呪が剥がれ落ちていく燐光を浴びながら、倫太郎は少女を見た。

 

「君のマスターとしてじゃなく、一人の人間として君に伝える」

 

 倫太郎は、流れ落ちてくる涙をまるきり無視して──、

 

「魔眼のハサン。こんな僕と共に戦ってくれて、ありがとう」

 

 静寂で包まれたような夜の空を、爽やかな風が駆け抜けた。

 その風に乗って、別れの言葉が宙を舞う。

 違いようのない倫太郎の本心が、その言葉には秘められていた。

 背中を向けたまま少しだけ俯いた少女は、肩をぶるりと震わせる。そのまま意を決したように顔を上げ、振り向いて──、

 

「………………!」

 

 駆け寄ると同時に、彼の唇に口づけした。

 倫太郎の頭に手を回して、その熱さをほんの一瞬だけ味わってから、少女は唇を離す。

 倫太郎は表情を崩さずに、もう二度と見る事のないであろう彼女の顔を、最後の一瞬まで記憶に焼き付ける。

 少女の死を視る魔眼は、微かに潤んで揺れていた。

 

「りんた、ろう」

 

 初めて、少女は彼の名を呼ぶことができた。

 それがよほど嬉しかったのか、彼女はにこりと笑って、

 

「あなたに出会えて、よかった」

 

 そうして。

 言葉を残した彼女は勢いよく、闇へと踏み込んでいった。

 もうすっかり見慣れてしまった彼女の髪が、漆黒に呑み込まれる。

 その姿を最後まで見守って、倫太郎は小さく呟いた。

 

「──……ああ。僕もだ」

 

 時間はない。倫太郎はその決別を乗り越えて、既に正門近くで待つキャスターたちの元へと駆けていった。

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