Fate/crescent 蒼月の少女【完結】   作:モモ太郎

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七十三話 さよなら、倫太郎/Other side

 倫太郎とアサシンの別れから、時間は少し遡る。

 眼前を埋め尽くす闇に敢えて呑み込まれた騎兵は、ゆっくりと目を開けていた。

 暗く、寒い──。

 静謐な夜空とはまるで違うおぞましい闇が、辺りを閉ざしている。

 

「……ハ。これがテメェの宝具か、ランサー」

 

 ニイ、と口の端を吊り上げて、騎兵は嗤う。

 不本意ながら影の英霊どもを連れて行け、という無粋な命令を受けてしまったことで、およそ大した勝負はできまいと考えていたが──、

 

「面白え。これ程のモンを見せてくれるたァ、俺への献上品にしちゃあ最上級だ」

 

 彼の目の前に聳え立つモノ。

 それを凝視して、騎兵は声が震えるほどの興奮に身を震わせる。

 

「其は我が追憶の城にして、あらゆる生命を破却せし断絶魔境」

 

 ──槍兵、クー・フーリン。

 第五次聖杯戦争において、彼が「城」の宝具を有したという記録はない。

 ただし、今もそうとは限らない。抑止力の加護を受けたこの槍兵は、英霊としての知名度補正が最大に引き上げられ、その全能力(フルスペック)を振るえる状態にあるが故に、だ。

 闇の中、悠然と槍兵の背後に佇む巨影。

 これこそが、彼が保有するもう一つの宝具に他ならない。

 

「即ち是れなるは影の国。その女王が治めし永久不変の城塞」

 

 槍兵は、ゆっくりと魔槍を水平に構えて──、

 

「名を、死溢るる魔境の城(キャッスル・オブ・スカイ)

 

 その名を紡いだ瞬間、ライダーを含む英霊たちの全身に、重力を何倍にも倍加したかの如き重圧がのしかかった。

 影の国の女王。かつての槍兵を導いた、絶対強者たる女戦士。

 この宝具は、今なお世界の外側に在り続ける彼女の城を擬似的に構築し、外敵を例外なく「影の国」へと誘う。

 そしてこの空間において、生命は通常通りの在り方を許されない。

 影の国は死の国と同義。であるならば、生命がまともに活動できる道理が存在しない。

 ──ただ一つ、影の国に認められし勇士を除いては。

 敵対者である騎兵たちとは真逆。槍兵の全身を、熱く滾る血潮の如き力が駆け巡っていく。

 

「待たせたな小僧。恐れずしてかかってこい」

 

 

 

 

 擬似的に再現された影の国に踏み込んだ魔眼のハサンは、視界が開けると同時、眼前の状況把握に努めた。

 聳え立つ巨大な城。その数十メートルはあろうかという門前で、複数の人影が熾烈に争っている。そのうちの一人、痩躯の男がこちらを振り向くと、ほんの僅かな刹那に目配せをした。

 その意を汲み取って、彼女は短刀を構える。

 すると、髪が発生した微風で浮き上がるほどの力が、少女の全身に満ちていった。影の国の城塞が、彼女もまた槍兵が認める勇士であると認識したからだ。

 

「──────」

 

 全身が燃えるように熱い。

 この身を流れる血潮の一滴に至るまでが高揚している。

 ただし、こればかりは、ランサーの宝具によるものではない。

 主が最後にかけてくれた言葉と信頼が、彼女の芯を補強して、その瞳を冴え渡らせている。

 

「本当に、運が良かったなあ」

 

 魔術師といえばだいたいロクでもない連中だ、というのが当初から抱いていた認識だったからこそ、彼女は倫太郎に向かってはじめは刃を突きつけた。

 それが、実際に話してみれば、ここまで自分を認めてくれる人間に巡り会えたのだ。この幸運と倫太郎には感謝してもしきれない。

 だから。この感謝を、別の形で返そうと思う。

 

「……いくよ」

 

 その言葉を合図として、カッ、と両目が見開かれる。

 彼女の力、「直死の魔眼」。

 微かに青く光るそれが、急激にその明度を上げていく。

 曰く。「山の翁」と呼ばれる暗殺者集団の長たちは、各々が奇跡にも等しい秘伝を編み出したと云う。19にも及ぶ歴代当主のうちの一人に名を連ねる彼女とて、もちろん例外ではない。

 山の翁たちは皆、その秘伝をただ一つの宝具名で呼称する。

 それは彼女が保有する唯一の宝具にして、最強を誇る攻撃手段。

 すなわち、その名は──、

 

妄 想 死 滅(ザバーニーヤ)

 

 その言葉を呟いた瞬間──全身が、泡立つように発熱した。

 

「──────が、」

 

 死ぬ。

 頭の中が焦げ付いて、ぶすぶすと音を立てている。

 耐えられない。この熱に、この力に、この身体(うつわ)は耐えられない。

 破裂した目元の血管から血が流れ出す。それはまるで涙のように彼女の頰を伝い、地面へと吸い込まれていった。

 頰に赤い涙を流しながら、彼女は瞳孔の開いた眼を上げる。

 

「は、は──……やっぱり、きついね」

 

 正常に機能していたアサシンの視界が黒く塗りつぶされていく。

 黒、黒、黒。その中に浮かび上がる、ほのかに明るい命の光。

 偶然にも、「この場所」は都合がよかった。

 彼女がこの宝具を使うには、世界にはあまりに生命が多すぎるのだ。それが、この空間にはほとんど存在しない。この場所は生命を破却する、死者の国であるがゆえに。

 だからこそ、満ちる死の中で蠢いている、(いのち)の姿がありありと視える。

 

「ふふ。でも──なんだか、つらくないや」

 

 ヒュオンッ、と短刀を振り払った少女は、勢いよく駆け出した。

 地を這うように身体を低くして、一直線に駆けていく。

 最初に反応を返したのは、セイバー。バイザー越しの視線を新たな敵対者に向けて、黒く染まりし聖剣をすっ、と構える。

 

 そして──。

 空気を震わせる凄まじい轟音と共に、世界を塗り潰さんばかりの膨大無形たる闇が噴き出した。

 

「エクス……カリバー…………!」

 

 唸りを上げて炸裂する魔力に、少女は思わず息を呑む。

 騎士王の聖剣。名には聞いていたが、途方もない威力だ。

 アレに比類する威力を持つのは、星の数にも等しい英霊たちの中でも、ごくごく一部に限られるだろう。

 そして。さらに驚くべきことに、あれはあの騎士王が放つ全身全霊の一撃──などではない。

 聖杯に接続した今のセイバーに魔力切れという欠陥は存在せず、彼女は望むがままにその聖剣を打ち放てる。開戦を告げる様子見の初太刀であろうと、その聖剣は全力をもって牙を剥いてくるのだ。

 

『来い、死神。──その挑戦に応えよう』

 

 光の反転たる膨大な闇は、彼女の剣を中心として収束し、黒い星と化して咆哮する。

 ましてやまともな対軍宝具すら持たぬ魔眼のハサンに、騎士王が放つ一撃を受け止められる道理はなく──‼︎

 

約束された勝利の剣(エクスカリバー・モルガン)────‼︎‼︎』

 

 瞬間。全てを消し飛ばす極光の黒が、少女の眼前に迫っていた。

 彼女は、無銘の短刀を振りかざして迎撃する。

 それは不可能だ。

 聖杯からの供給をもって宝具の連射を可能としたセイバーは、猛者揃いとされるかの第五次聖杯戦争においても、頂点に位置する攻撃力を誇るという。その、大地を割り空を裂く究極の一撃。

 それを、まともに受けれる道理がない。

 

 ──だが。

 

 少女が右から左へ短刀を振り抜いた、次の瞬間。

 全てを呑み込む漆黒が、跡形もなく──消えた。

 

『……!』

 

 堕ちた騎士王が足を止め、興味深そうに敵対者を眺める。

 魔力消費を無視して戦える今のセイバーは、確かに、第五次においては頂点たる攻撃力を誇るサーヴァントだろう。

 しかし、その座は一人きりとは限らない。

 その順位付けでいえば、もう一人「頂点」に至るものが在る。

 

「ずいぶん、明るいね」

 

 暗く閉じた影の世界で、彼女はそんなことを呟いた。

 ──「この」聖杯戦争において、最強たる攻撃力を誇る英霊。

 それは羅刹の王でも、韋駄天の英霊でも、伝説の陰陽師でもない。白い死神でもなければ、主神の槍を振るう皇帝でもなかったのだ。

 

「もう、なんにも見えないけれど。あなたたちの命の輝きだけは、はっきり視える」

 

 余計な言葉を述べる隙を許さず、渾身の魔力とともに放たれた弓兵の矢が、音速を超えて少女に降りかかる。

 空間すらも捻じ切る威力をもって放たれたそれは、セイバーの一撃には遠く及ばずとも、彼女を爆散させるには十分過ぎた。

 しかし。それを、彼女は再び刃の一閃で無力化する。

 相殺ではない。ただ、矢も魔力も悲鳴も上げずに分解され、落ちる。

 

「この世界の万物には……不可避の死が存在する。死を待つのはなにも生物だけじゃない」

 

 ヒュンヒュン、と、掌の中で回る短刀が音を立てた。

 

「モノは朽ち果てるし、大地だって死に絶える。この惑星(ほし)だって、いずれは滅び去る……私は、その結実を視ているだけ。想像もできないでしょう? 私が見ている、この世界は」

 

 その少女に視えている世界は、誰にも分からない。

 周囲すべての死が視える世界。ありとあらゆる全部が、押したら崩れ落ちそうなほどに脆く見えてしまう、終末と隣り合わせの世界。

 

 それはどんなに怖くて、孤独なものなのだろうか。

 

「テメエ……何をした?」

 

 少女には最早「点」と「線」の集合体にしか見えないライダーが、全身に雷光を纏わせながら問いかける。

 直死の魔眼……話には聞いていた。以前に一度交戦した際に、ライダーはその性能についても理解している。

 だが、あそこまでの攻撃性は持っていなかった筈だ。

 生物の死なら分かる。非生物の死もまだ理解の範疇にある。だが、この惑星の死を視るなど、それこそあり得ない。

 もし仮にそんな事があり得るのなら──それはもう、人間の手に余る権能じみた力でしかない。

 

限界(リミット)を外して……この瞳がもつ力を、限界の限界まで発揮させただけ」

 

「ハッ……笑えねえな。その気になりゃあこの星すら殺せると?」

 

「うん……それが、生きているのなら」

 

 ライダーが放ったその言葉に、彼女は平坦な声で返答する。

 

 

「私に殺せないものは────ない」

 

 

 血を涙のように溢れさせながら、アサシンは言葉を切り上げる。

 ここから先は生死を分かつ決戦の地。もはやここに至って言葉は不要、振りかざすべきは己の刃のみ。

 

「アサシン。分かっちゃあいるだろうがここが正念場だぞ」

 

 黒く硬い地面を滑って少女の隣に着地した槍兵が、にやりと笑ってそう投げかける。

 彼女は素直にこくりと頷いて、並び立つように短刀を構えた。

 対し、眼前に並び立つ六騎もの英霊たちは、その挑戦に応えるように武器を構える。実に八騎にも及ぶ猛者たちが放つ闘志と殺気が混じり合い、空間はそれだけで軋みを上げていた。

 立っているだけで気絶しそうな重圧。それに負けじと、少女はその瞳を煌々と輝かせる。

 

「うん……だいじょうぶ。絶対に……ここを通しは、しない」

 

「ハッ、いい意気()だ。背中を預けるには十分さね」

 

 影の城による加護を受けた二騎は、示し合わせたように同時に搔き消え──。

 凄まじい火花と閃光を撒き散らし、英霊たちの戦いは始まった。

 

 

 

 

 ──(けん)が、猛然と喰らいついてくる。

 ──閃光が、その身を穿たんと降り注ぐ。

 ──鉄鎖が、四肢を引き千切らんと絡みつく。

 ──拳が、骨肉を砕かんと掠めていく。

 ──大剣が、暴風と化して唸りをあげる。

 ──漆黒が、全てを消し飛ばさんと振るわれる。

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおお────ッ‼︎‼︎」

 

 その全てを、二騎は迎え撃っていた。

 混戦と化した状況を利用し、時に敵を盾にして別の敵の攻撃を防ぐ。そうしてこちらの手数を誤魔化して、なんとか命を繋いでいく。

 魔眼のハサンは脳天を穿つ軌跡で飛来した矢を首を捻って避けながら、限界を超えて輝く魔眼で周囲を見渡し、目の前の「命」に飛びかかる。

 

『────‼︎』

 

 目の前に視える暗く落ちていくような光は、セイバーのものか。

 彼女が無駄のない動作で短刀を振り下ろすのを、セイバーは後退する事で避けた。そう、避けたのだ。その聖剣を振るえば脆い短刀など一太刀で両断し、カタをつけられただろうに。

 それを見て少女は舌打ちする。この英霊たちは、泥の影響によって汚染されようとも、戦士の直感で理解しているらしい。

 

 この少女(しにがみ)と刃を交えるのは、危険であると。

 

「ハッ! 面白くなってきたじゃねえか、なァ‼︎」

 

 目にも留まらぬ俊敏さをもって戦場を駆ける槍兵が、獰猛に笑って咆哮する。 この状況下でなお戦いを楽しむ豪胆さは、彼が大英雄とされる所以であろう。

 厄介なセイバーを少女が押しとどめた事で生まれた隙に、彼は所定の構えをもってその魔槍を起動させた。

 

「──刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)────ッッ‼︎」

 

 閃光と共に放たれた魔槍が、因果を逆転させて心臓を穿つ。

 その餌食となったのは、宙で魔力投射を矢継ぎ早に放っていたキャスターだった。吹き荒れる魔力にたなびくローブを引き裂いて、紅い稲妻がその身体を貫く。

 槍兵が確かな手応えを感じると同時、キャスターの輪郭が溶け落ちる。それは不定形の黒泥に戻ると、もう二度と動くことはなかった。

 まずは一騎。

 それを良しとせず、槍兵は手元に戻ってきた魔槍を更に振るう。

 

『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■‼︎』

 

 疾風の如く迫り来る狂戦士。それをなんとかいなして宙に跳ぶと、今度は弓兵の矢が降りかかる。怒涛の攻撃を技倆と加護を併用して避け切るも、今度は聖剣と稲妻、短剣の重ねがけだ。

 流石にこの攻勢は、彼一人でどうこうできる次元を越えている。

 だが──、

 

目を離したな(・・・・・・)

 

 ランサーがそんなことを嘯く。その言葉を敵が解するよりも早く、一騎の背後に回り込んでいる影があった。

 魔眼の少女が握る短刀が、閃光じみた速さで振り抜かれる。

 それだけ。しかし掠めるほどの傷は確かに死点を捉え、背後を取られたライダーの身体が崩れ落ちた。

 

「これで、二騎」

 

 その骸を飛び越えて、少女は眼前の雷帝に勇ましく飛びかかる。

 見開かれた瞳がこちらの「死」を確かに捉えていることを察知し、彼は全身に纏う電圧を引き上げた。影の国から放たれる重圧が彼の動きを縛り付けるが、それを無視して動き続ける。

 とはいえ、今の魔眼のハサンと真正面からぶつかれる者は存在しない。こちらの武器も魔力も宝具も、あらゆる全てが例外なく殺されるが故に。

 

「チッ、この雷帝に攻勢を許さんか──女ァ‼︎」

 

 目にも留まらぬ速度で放たれる短刀の煌めき。

 その全てが、一太刀で命を刈り取りかねない死神の鎌だ。

 いくら雷撃を放とうが、今の彼女の前には搔き消えるしかない。

 

(ああ、不敬極まるが認めるしかねえ。コイツの攻撃力は、俺の「雷帝」を遥かに上回っている。それだけじゃねえ……たとえ俺が主神の槍をぶっ放そうと、この女は易々と殺してみせる──‼︎)

 

 これでアサシンのクラスとは馬鹿げた話だ。こんな怪物を止められる英霊なぞ、三騎士の中でも一握りしか存在しえないだろうに。

 だが──それでも、ライダーは嗤っていた。

 掠めるだけで即死をもたらす刃を掻い潜りながら、彼は呟く。

 

「面白え手品だが……果たして、いつまで続く(・・・・・・)?」

 

「っ……⁉︎」

 

 怒涛の攻撃を続けていた彼女が、微かに焦りの表情を見せる。

 

「星を殺すほどの力? ありとあらゆるモノを殺す異能? 馬鹿が。そりゃあ人ならざる神域の力だ、まっとうなヒトには使えねえ。俺とてあの女の調整があって、ようやくソレの片鱗を行使できてんだ」

 

 ライダーは何より血と殺し合いを好む兇人だ。だが彼は同時に、かつてありとあらゆる無法がのさばった極寒の地を統べた、至高にして原初の皇帝でもある。

 暴君であり賢帝。それがイヴァン雷帝という男なのだ。

 

「ンな力を最大限に使って、まっとうな人間が耐えられるわけがねえ。瞳から溢れてるその血、そして貴様の顔色を見るに……その宝具には、時間制限が存在する」

 

「──────が、ぁ……‼︎」

 

 その言葉に触発されたように、アサシンの身体がぐらり、と揺れた。その眼球は異常痙攣を繰り返し、今にも破裂しそうな様を晒している。

 その隙を逃さんと喰らいつく多種多様な攻撃を、再び彼女は短刀一本で完璧に防ぎきった。

 しかしその身体は今にも折れそうにふらつき、瞳からこぼれ落ちる血の量は加速度的に増加していた。その様は、彼女が先ほどまで絶対的な攻勢に回っていたというのに、まるで無限の責め苦を耐え抜いた後のように弱々しい。

 

「そらな。そうなる事くらい、分かっていたんだろう?」

 

 ライダーの言葉に、ところどころノイズが走る。

 もう、言葉の意味すらも、だんだん分からなくなってくる。

 

「は、はは……そう、その通り……」

 

 彼女の脳は、既にその機能を終え始めていた。

 否。脳を焦がす過負荷に耐え、まだ動いているというのがそもそも奇跡。その身体はもう、とっくに死んでいるべきなのだ。

 

「わたしがこの宝具を使えば、もって3分しか……このわたしの命は、続かない」

 

 ──それでも、彼女は耐えていた。

 脳は過負荷で今にも破裂しそうで、全身の筋繊維は常にどこかがぶちぶちと音を立てて千切れ、眼球は熱した鉄球にでも変わってしまったかのように眼窩を焦がしている。短刀を握る五指にはもうまともな感覚が残っておらず、片耳は既に聞こえない。

 

 ──それでも、だ。

 たとえこの身が死を振りまくものであったとしても、自分を正義と認めてくれた人がいる。

 最後まで、自分を信じてくれた人がいる。

 霞み、まともに分からなくなっていく世界。黒に染まっていく全ての中で、一つ確かに残り続ける言葉がある。

 

 『君に勝利を。僕の、僕だけの……正義の味方』

 

 それだけが、一つの光明のように輝いた記憶。

 もう折れる。もう終わる。もう壊れる。もう戦えない。

 湧き出そうになる弱音を数えたらキリがない。それでも──、

 

「……私は、まだ……立てる」

 

 ──この正義で、彼を救うことができるのなら。

 ──それはどんなに、素晴らしいことなのだろう。

 

「私はまだ、戦える……‼︎」

 

 彼女は素早く視線を動かして、一際巨大な光を捉えた。

 狙うべきは「あれ」だ。

 目の前のライダーも周囲の英霊も無視して、彼女はその敵へとひた走る。その目線の先に捉えていたのは──、

 

『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■‼︎』

 

 理性を捨てた狂戦士、ヘラクレス。

 泥に(まみ)れたかの英雄は空気を震わせるほどの咆哮を上げ、小さな死神を迎え撃つ姿勢を見せた。その斧剣が高々と振り上げられ、懐に飛び込まんとする彼女を迎え撃つ。

 その狙いを察したライダーが動くよりもなお速く。

 彼女は死を運ぶ疾風と化して、残る距離を駆け抜けた。

 

 ──予測計算。残存時間、残り十秒。

 

「この命をかけて」

 

 このバーサーカーが保有する宝具、「十二の試練」。

 十一個の代替生命を保有するこの宝具を持つこの英雄がいる限り、セイバーを欠いた倫太郎たちが一丸になろうと勝機はない。

 ただし、彼女だけは例外だ。

 迫り来る絶対の蘇生。対抗するは「直死の魔眼」。

 確実に命を屠る彼女の瞳であれば、その加護すらも貫こう。

 

「あなただけは──ここで、殺し尽くす」

 

 ──残存時間、残り五秒。

 

 踏み出される巨大な一歩。それと間を置かず、轟然と振り降ろされる斧剣があった。

 それを紙一重ですり抜けて、少女は短刀を逆手に構える。

 斧剣が巻き起こした烈風が彼女の髪を弄び、掠っただけの剛刃がその脚を粉砕する。だが、既に魔眼のハサンは止まらない。

 視界の中心に死を据えて、命を賭して敵を討つのみ。

 

 ──残存時間、残り一秒。

 

 最後に頭によぎった光景が、彼女を少しだけ笑わせた。

 その瞳が、限界を迎えて破壊されると同時に──、

 

「バーサーカ────────ッッッ‼︎」

『■■■■■■■■■■■■■■■■ッ‼︎‼︎』

 

 最後の刹那。

 正義を信ず刃が、音速を凌駕する神速でもって放たれた。

 

 

 

 

 カラン、という乾いた音を立てて、短刀が地面に落ちる。

 交差する形で動きを止めた少女と狂戦士。

 僅かな沈黙ののち、鈍い音を立てて、巨人の右腕がぼとりと滑り落ちる。

 

「一歩、足りなかったな」

 

 ライダーは右手で少女の心臓を抜き取ると、無表情のままそれを粉砕した。抜き手によって穿たれた胸の穴から血が噴き出すよりも速く、さっきまで死神だったモノが地面に倒せ伏す。

 ──彼女の最後の攻撃。

 それはほんの少しだけ、数センチ届かなかったのだ。

 死点を貫くはずの刃は届かず、腕の死線を断つに留まった。だからこそ、バーサーカーは腕をもぎ取られつつも存命している。

 

「こりゃあ……トドメを刺すまでもなかったか」

 

 忌々しそうに呟いてから、彼は少女の前面に回り込み、血に濡れたその顔を覗き込む。

 絶対の死を視る異能、直死の魔眼。

 それは過度な使用の反動か、光を失って機能を停止していた。

 そして。機能を止めたのは、また主である彼女も同様だ。

 

 それ以上彼女の身体に触れることなく、ライダーは視線を再び残る槍兵に向けた。

 二騎を失ったが、こちらの勝利は揺るがないだろう。

 セイバー、アーチャー、バーサーカー 。強力な英霊三騎は未だ彼の陣営にあり、状況の優位は覆るべくもない。とはいえランサーのように強力な英霊と手合わせに臨めるのは稀有な機会だ。影の英霊たちがこの場にいなければもっと楽しめたろうになあという無念を呑み込み、ライダーは踵を返す。

 しかし、彼はそこで足を止めた。

 

「………………ほう?」

 

 視線を背後に戻す。そこで、彼は信じられないものを見た。

 立っていた。

 少女が無言のままに立ち上がり、その刃を構えていたのだ。

 もう意識はない。とっくに体も脳も死んだ筈だ。それでも彼女を突き動かす何かが、その身体を再起させている。

 

「まだ立ち上がる、か。見事だ、アサシン」

 

 その様を見て、彼は素直に感嘆する。かつて人の上に立ったモノとして、彼女の忠誠が最上級のものであると理解したが故に。

 

「この雷帝が認めよう。その献身と覚悟は、本物だとな」

 

 それは彼の本心から滲み出た言葉。

 目の前の敵対者に対して述べる、最大の賛辞であった。

 

 ゆっくりと、しかし確実に歩み寄ってくる少女。

 それに彼はそっと掌を押し当て、戦闘時に見せる獰猛な表情ではない、慈悲に満ちた顔のままで呟いた。

 

「だが──もう休め。お前は十分に戦った」

 

 その言葉と同時。

 押し当てられた掌から、熾烈な雷撃が注がれる。

 それはまごう事なき、致命の一撃だった。

 霊基すら破壊する紫電は、その身体を獰猛に食い潰し──そして今度こそ、彼女は力尽きて地面に崩れ落ちた。

 

 

 

 

 ──……身体が、もう、動かない。

 

 もう死ぬだろう。表面上は無傷でも、ナカがぐちゃぐちゃに掻き回されて潰れているのでは元も子もない。五感すらとっくに失われて、あと10秒ともたずにこの意識も死に絶える。

 

 ──……最後の最後で、届かなかった、か……。

 

 彼女は理解していた。最後の一閃、この命を振り絞って放った一撃は、しかしあの大英雄には届かなかったことを。

 内心に「彼」の顔を思い返して、ごめんと呟く。どうせ聞こえる訳もないのだが、それでも謝っておきたかった。

 

 ──……でも。身勝手で、ごめんね。

 

 少女は倒れ伏したまま、別の後ろめたさを謝罪する。死を間際にした今、しかし心の中で渦巻いているのは敵を仕留めきれなかった後悔ではなかった。

 

 ──……私は……貴方と戦えて、楽しかったよ。

 

 自然と思い出されるのは、この戦いを駆け抜けた日々の、輝くような記憶。たった一人で孤独に戦い、最後の最後まで孤独に死んでいった生前の記憶とは、全く異なる暖かい記憶。

 

 ──……ああ、変なの。死ぬのは、寂しいはずなのに……。

 

 その記憶の中にずっといてくれた、倫太郎の顔が浮かぶ。

 こんな自分を最後の最後まで信じてくれた、一人の男の子。

 それを思い出すと、やけに心がぽかぽかする。この先に待つとは思えない冷たい死を待ちながら、彼女はくすりと笑った。二度の死はいつも苦しくて寂しいものだったのに、今度は異なるものだったから。

 

 ──……なんだか、とっても、あたたかいな──。

 

 そうして。

 まるで心地のいい微睡みに落ちていくように、魔眼のハサンはその命を終えた。




妄想死滅(ザバーニーヤ)
ランク:B
種類:対人宝具
魔眼のハサンが保有する奥義。「直死の魔眼」が保有する性能を100%引き出すことで、3分後の脳の自壊と引き換えに、その間のみ絶大な力を振るう自滅宝具。
殺害できる対象は飛躍的に増加し、どんな敵であろうと、どれほど高度に存在する生命であろうと確実に死点を視抜く。この状態の彼女には惑星の死すらも視えており、仮に3分間の制限が存在しなければ、この地球すらも殺すことが可能とされる。

死溢るる魔境の城(キャッスル・オブ・スカイ)
ランク:A
種類:対軍宝具
クー・フーリンが保有する宝具。彼の記憶にある「影の城」を擬似的に構築し、この世界とは断絶された影の国に対象を幽閉する。
この空間に存在する限り通常の生命は破却されるため、敵は常時体を裂くかのような激痛と重圧を課せられ、対象的にランサーが認めた味方には影の国からの補助が与えられる。
この空間でランサーと一騎打ちを行なった場合、彼に勝利できるサーヴァントはほとんど存在しない、とされる。この宝具がなければ、いくらアサシンとランサーの二騎であろうと、七騎を押し留め二騎を打ち倒す戦果は得られなかった。

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