Fate/crescent 蒼月の少女【完結】   作:モモのすけ

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七十五話 遥か先の魔術使い

「ガァァァァァァッ──‼︎」

「シッ────‼︎」

 

 凄まじい轟音を響かせて、刀剣と拳が激突する。

 弾け飛ぶ空気。撒き散らされる破壊の中、楓はその男を見た。

 

 ──かつて、兄だった男の顔を。

 

 渾身の一撃をぶつけ合い、互いに後退する両者。間をおかずキャスターが扇子を振り払うと、龍頭を模した火焔が轟然と襲いかかった。

 それを俊敏に躱して、健斗は宙に跳び上がる。

 

「お……お兄ちゃん‼︎ お兄ちゃんなんでしょう⁉︎」

 

「バカ志原っ、前に出るな──‼︎」

 

 反射的に駆け出そうとした楓の手を掴み、倫太郎は彼女の身体を渾身の力で引き寄せた。

 健斗の前方で火花が散る。

 それはすぐさま触れたものを灰と変える魔雷となり、キャスター達の頭上へと降り注いだ。キャスターは咄嗟に迎撃を放ち、それらを宙で受け止める。逸れた雷は彼の周囲に着弾し、楓のすぐ傍まで貫いていった。

 

「きゃっ……⁉︎」

 

 その衝撃と音にあおられて、楓は尻から倒れ込む。

 顔をしかめた彼女が顔を上げた瞬間、そこに──、

 

「貴様は」

 

 僅か数センチ先に。

 親しく見慣れた兄の顔が、あった。

 

 

「誰の許しを得て、この俺をふざけた名前で呼んでいる?」

 

 

 彼の濁った瞳を見た瞬間に、楓の呼吸が止まる。

 それは目というよりも、貌にぽっかりと空いた空虚な穴のよう。

 それを見ただけで思い出した。

 数日前の夜。双方の誤解から健斗と楓が戦った時、彼女はこのおぞましい瞳に怯んで、その勝機を逃したのだ。あの優しい志原健斗が持つはずのない、邪悪に染まったこの瞳に。

 

「──────おに、」

 

 向けられた手の中で、蒼の閃光が瞬く。

 それは魔力放出の前兆、コンマ秒にも満たない予備動作。1秒を待たずに、彼を不躾に呼んだ不敬者の頭蓋は粉砕される。

 倫太郎が咄嗟に木刀を構えるも間に合わない。

 だがそれよりも尚早く、音すら越える神速をもって──、

 

「おい、健斗クン」

 

 振るわれた護身・破敵が、その腕を断ち切っていた。

 鮮血が楓の顔を濡らす。ずっぱりと絶たれた健斗の右腕は高く高くふき飛んで、数メートル先の焦げ跡の中にぼすんと突っ込んでいった。

 

「君こそ誰の許しを得て、彼女に手ェ出しとるんや」

 

 この声を発しているのは誰か、と楓は思わず視線を向けていた。

 二対からなる霊刀を構えたキャスターが、健斗を睨んでいる。

 だが──これほど怒りの表情を見せたキャスターを、志原楓は今まで一度たりとも見たことがなかった。

 怒気を孕んだ魔力が膨れ上がる。直後、健斗の身体に不可視の衝撃波が突き刺さり、彼の身体をゆうに数十メートルは吹き飛ばした。

 

「待っ……キャスター‼︎ やめて‼︎」

 

 咄嗟に彼の元に駆け寄って抗議する。

 楓が何か意見を言えば、なんやかやと従ってくれるのがキャスターだった。しかし、今は、目線すら合わせずに健斗の方を睨んだまま。

 

「ちょっと……こっち見てよ、アレはお兄ちゃんなのよ⁉︎ 私たちが何度も殺しあう必要なんてないでしょう⁉︎」

 

「君だって分かっている筈や。彼はもう、楓ちゃんが知る志原健斗じゃあないってことくらい、な」

 

「で……でも……‼︎」

 

 たなびく式服の端をぎゅっと掴んで、首を横に振る。

 あれはたしかに兄だ。志原健斗そのものだ。

 例え彼がどう変質していようと、できない。かつて大切なものを失った傷を未だに抱え込んでいる志原楓に、今度は大切な家族を自分から切り捨てる、などという選択が出来るわけがなかった。

 

「お願い……お願いだから、キャスター……」

 

 だから、頼むしかない。頭の中で最悪の想定をして、キャスターが応じないようならここで令呪を切るという選択肢すら視野に入れる。後のことを考える余裕もないほど、今の楓は冷静さを欠いていた。

 自分がどんな無茶を言っているかくらい楓自身理解はしていたけれど、それでもそう言わざるを得なかった。

 

「キミの命令は一つ。あくまで健斗クンを殺すな、ってか?」

 

「……うん」

 

「そうか」

 

 キャスターは目線の険しさを緩めて、優しい表情に戻って彼の主を見下ろした。強気な瞳が、今は子犬のように揺れている。ただ、不安と恐怖の中でも一つ確かに輝いているのは、自分が契約を果たしたサーヴァントへの信頼だった。

 その眩しい目線から、彼は無言で目を逸らす。まるで、そんな目線を向けられる資格を自分は有していない、とでも言いたげに。

 無言を貫いた彼は、楓の首筋に優しく手を添えると──、

 

「──悪いな」

 

 その言葉と同時。

 いかような術式によるものか、楓の身体から力が抜けた。

 

「あ──……きゃす、たー……………」

 

 意識が瞬く間に刈り取られる。最後の瞬間に楓が見たのは、なぜかひどく哀しげな顔をした、キャスターの姿だった。

 眠りに落ちるように意識を失った楓を、彼は無言で倫太郎に託す。

 

「……キャスター、お前……」

 

「ええんや。しばしの間楓ちゃんを頼んだで、倫太郎クン」

 

 ばさり、と風を受けた式服が翻る。

 目線の先。吹き飛ばされた健斗は鬱陶しそうに瓦礫を弾き飛ばし、再度こちらに掌を向けた。

 斬り飛ばしたはずの片腕はとうに再生済み。全てを焼き尽くさんばかりの極光が、引き出した無尽蔵の魔力をもってキャスター達に牙を剥く。咄嗟に迎撃体制を取るキャスターだったが──、

 

投影(トレース)完了(オフ)

 

 その背後から放たれた、一筋の流星があった。

 それは吸い込まれるように健斗の額へと突き進む。どんな敵であれ、単純な物理威力で爆散させるほどの威力をもった一撃。

 だが相手も、とうに一線を超えた猛者だった。身体を捻ると同時にその矢を掴み取り(・・・・)、遠心力を加えて力技に投げ返す。それを、全く同じ軌道を描いて放たれた第二射が迎え撃ち、二つの矢は甲高い音を立てて激突した。

 神業と神業。人ならざる技量のぶつかり合い。

 信じられざる事はただ一つ。この激突を担ったのが、どちらも当代を生きる人間であるという事実のみだ。

 

「──愚か者はそこの陰陽師だけかと思っていたが。魔術師(メイガス)、貴様らも牙を剥くか」

 

 圧となって感じ取れるほどの殺気。あの少年が発しているとは思えない圧倒的存在感をまるで無いかのように受け止めながら、二人の魔術師が颯爽と前に出た。

 このあたりは乗り越えてきた場数が物を言う。まだ若い倫太郎では、英霊クラスの存在が放つ圧を真っ向から受け止められなかった。

 

「キャスター、こちらで援護する」

 

「ええ……理屈はどうあれ、今の彼はもうまともな人間じゃない。放っておけば何人死ぬか分からないし、下手したら私たちだって全滅する」

 

 今の健斗は理性的に見えるが、違う。

 何も考えず、ただ目の前の存在を攻撃しているだけだ。キャスターが受け止めなければ住宅街の一部が消し飛ぶほどの攻撃を躊躇なく放っていることからも、その狂いようは明らかである。

 

「感謝する。──時間もない、一刻も早く彼を仕留める。倫太郎クン、楓ちゃんとそこのディミトリアスちゃんを連れて下がっとき」

 

「あ、ああ」

 

 倫太郎は楓をお姫様抱っこしたまま、まるで熊と遭遇した登山者のように、一歩ずつ慎重に後退する。

 もし背中を向けて駆け出せば最後、まだ距離があるはずの「奴」に貫かれて死ぬ。そんな予感があったからだ。

 

「────そろそろ行くぞ」

 

 だが数歩も退がらぬうちに、健斗が動く。

 彼は無造作に隣に転がる凍りついた樹木に手をつくと、

 

魔王特権(・・・・)

 

 その言葉を呟いたと同時、樹木だったものがバキバキと歪む。

 余計なものを切り捨てて、自然物を、ただ人を殺すためだけの形状へと強引に捻じ曲げる。それはまさしくあらゆる他者を虐げる魔王の所業。

 樹木は、あっという間に先端の尖った破城槌へと姿を変えた。

 あとは単純だ。あり得ざる怪力でソレを片手で持ち上げて、

 

 ──投げる。

 

 彼が木に触れてから投擲まで、およそ0.5秒と無かっただろう。達人の目にすら、彼は木を引き抜くと同時に恐るべき速度でブン投げた、としか映らなかったはずだ。

 だが。その早業の中で、樹木は殺戮に適した形へと変わっている。

 当然ながら威力、殺傷力共に数倍。それを難なくキャスターは受け流し、空を裂いて巨大な槍が山麓に激突する。

 

「チッ……‼︎」

 

 だが、キャスターはもうそんな方向を見ていなかった。

 前方。攻勢がたった一撃で終わるわけがない。健斗は手当たり次第に樹木を掴み取ると、間隙すら与えず片っ端から投げ放った。

 迫り来る数十の巨槍は、まるで雨の如く彼らに降り掛かる。

 

「紙片防破、三重────‼︎」

 

 迎え撃つは、キャスターが展開せし陰陽の盾。

 ドガガガガガガガガガガガガ──‼︎‼︎ と、形容すらできないほどの轟音が響き渡る。雨に等しい密度で降り注ぐ破城槌の猛攻を、しかしキャスターの盾は無傷で防ぎきった。

 

「う、わ、ちょ、嘘だろバカじゃないのか……ッ⁉︎」

 

「サーヴァントといっても……攻撃の規模が、おかしいー‼︎」

 

 もはやなりふり構わず逃げる倫太郎とディミトリアスのすぐそばに、次々と身の丈の何倍もある樹木の槍が突き刺さっていく。

 一度平らになった大塚の森だったが、今度は逆さまに突き刺さった木々によってある程度の外観を取り戻した。そのおかしさが笑えるが、今なお背中から離れない死の予感がヤケ笑いすら許さない。

 ──しかし、それは前座に過ぎなかった。

 前方で極大の魔力が咆哮する。周囲の(きぎ)を残らず消費した健斗は、その僅かな隙に、しかと照準を構えて掌を向けていた。

 彼の掌の奥で、チカリと蒼色の輝きが覗く。

 

「健斗クン……まさかキミ、それは────」

 

 その輝きが何たるかを悟り、キャスターは驚きの声を漏らす。

 宝具使用、青龍の展開──不可。間に合わない。

 後ろの三人を連れて避ける事は可能か。しかし、ここで避ければ背後の街が消し飛ぶ。それでも彼にとって、自らの主を守る事は何物よりも優先された。

 残酷な決断を彼が下さんとしたところで、再度。

 

「…………ぐ⁉︎」

 

 いつの間に側面に回り込んだのか。横から投擲された宝石が輝いたと思った直後、紫色の閃光が彼の身体を包み込んだ。

 数十倍に増幅された重力が、凶器と化して健斗を襲う。

 思わず膝をついた彼は狙いを逸らされ、動きを封じられつつも、渾身の砲撃を妨げた女を異様な眼光で睨む。

 

「女……この俺、に、脚をッ──‼︎」

 

工程完了(ロールアウト)──全投影連続層写(ソードバレル・フルオープン)

 

 凛の隣で響く声。ただ淡々と結果を成す詠唱をもって、ひとつの奇跡が結実する。

 お返しとばかりに、今度は剣の雨が落ちた。

 投影された剣の群れ、その連続射出。多種多様な名剣魔剣が動きの止まった健斗の体を貫き穿ち、瞬く間に血みどろの惨殺死体へと変える。ものの数秒で成された見事なコンビネーションによって、健斗だったものは数多の剣に貫かれて完全に動作を止めた。

 今度こそ致命傷。だが──、

 

「────小賢しい‼︎」

 

 再び、体内からの魔力放出。放たれた蒼雷が突き刺さった剣の群れを残らず燃え滓に変える。

 身体の自由を取り戻した彼はそのうちの一本、やや離れた場所に突き刺さっていた剣を引き抜いた。敢えて雷撃を注ぎ込まなかったソレを手にすると、

 

「我が刃には劣れども……贋作にしては良く出来てる。慣らし運転を終えるまで、代わりの武器には丁度いい」

 

 魔王特権により、そのカタチを望むがままに変えた。

 メキメキ、と元の形を放棄して刀身が歪んでいく。いかなる傷を負ってもすぐさま再生するその様を見て、凛は舌打ちとともにキャスターに問うた。

 

「キャスター‼︎ 彼、本来なら一般人と変わらないんでしょう⁉︎ 何が起きているのか分かる⁉︎」

 

「ああ、恐らく……彼の異常の原因。それは心臓に埋め込まれた宝具にある」

 

 志原健斗の心臓に埋め込まれ、魂を繋ぎとめた楔。

 その名を、「耐え難き九の痛酷(ラーマーヤナ)」。持ち主に強力な再生能力を付与する対個人宝具である。

 

(今の健斗クンはまともな人間じゃあない。かの羅刹王の力(・・・・・)、それすらも彼は手にしとる)

 

 単純な身体能力だけではない。膨大な魔力に加えて、魔王特権、魔力放出といった特殊なスキルの類まで、今の健斗は使用している。

 そればかりは、「再生能力」の範疇から大きく外れていると言わざるを得ない。

 

(僕の千里眼じゃあ、視た対象が経験した主観の過去しか見通せん。重要になるセイバーの方に何があったか、を識るまで確かな事は言えんけど……まあ、確証に迫るくらいは出来るかね)

 

 眼前の敵が放つ異様な気配は、間違いなく邪悪にして極悪。

 しかしそれと同時に、確かに感じたことのある気配でもある。

 その気配こそが、魔王……あのセイバーと同一の気配だった。もっとも彼女はこれ程歪んだ気配を撒き散らすような、そんな品のない行為は行なっていなかったが。

 

「ええか──死した健斗クンの心臓に埋め込まれた宝具の名は、「耐え難き九の痛酷(ラーマーヤナ)」。羅刹王ラーヴァナという存在が誕生するに至った逸話……凄絶な儀式を乗り越えて力を手にしたという、彼女の功績やな。それがマントとして形を成した宝具、とされる」

 

 それはサーヴァントであれば珍しくもない現象だ。

 形を持たない「逸話」という概念が昇華されて形を持ち、一つの奇蹟(ほうぐ)として英霊が振るう。

 セイバーがかつて纏っていたという紫紺の外套も、それに属する宝具だったというだけのこと。体内のそれを楔とする事で健斗は魂の遊離を防いでいる、というのは、全員にとって周知の事実だった。

 

「ソレの効果は単純、伝承に伝わる通り瀕死からの復活……「強力な再生能力の付与」や。だが、これはセイバーすらも知らんかったことなんやろうけど……かの宝具が持つ力はそれだけじゃあなかった」

 

「再生能力だけじゃ、ない?」

 

「ああ。前から気になっとったんや。単純な再生能力を与えるだけの宝具なんざ、かの月の刃に比べれば遥かに低ランクの宝具に過ぎん。なのに彼の体内には、それに類する程の莫大なエネルギーが眠っとった」

 

 それ程のエネルギーがあって効果が単純な再生能力だけというのは、はっきり言ってあり得ないことだ。

 この不可解に、「耐え難き九の痛酷(ラーマーヤナ)」という宝具の成り立ちが関わってくる。

 ──「羅刹王の誕生」という逸話を昇華した宝具。

 ──ソレを埋め込まれ、魔王と同一の力を振るう健斗。

 この二つの要素を合わせると、自ずと答えは明らかになってくる。

 

「最初から、再生能力の付与はただの副次作用に過ぎんかった」

 

「そうか……つまり、「羅刹王の誕生」が宝具として顕れているなら」

 

 士郎が険しい顔のまま漏らした呟きを補完するように、キャスターは目を細めて、健斗だった何者かを睨みつける。

 

「かの宝具を羅刹王以外の者が使用した場合、「羅刹王の誕生という逸話を再現し、第二の羅刹王を誕生させる」。これが「耐え難き九の痛酷(ラーマーヤナ)」っちゅうふざけた宝具に秘められた、本当の力やった」

 

 もっともあのセイバーが他人に宝具を譲渡するなんてあり得んから、彼女自身気づく訳あらへんかったんやろうけどな、とキャスターは付け加える。

 推測だがこれ以外に可能性は考えられない。あの宝具によって、志原健斗は魔王として覚醒しつつあるのだろう。

 

「英霊と同一の存在を生むなんて、そんな事が起き得るのか?」

 

「可能性は低いが無いわけじゃあない。英霊も星の数ほどおるんやし、同系統の能力を持つ宝具だって世界のどっかには存在すると思うで」

 

 無言のままそれを聞いていた健斗は、まじまじと己の手を見つめてから、不可解だとばかりに首を捻った。

 

「第二……俺が……健斗?」

 

「自分が何者か、すら忘却したンか?」

 

「……はは。ははははははははははははははははははは‼︎」

 

 狂ったように天を望み、健斗は笑い声を響かせる。

 天には煌々と輝く月。ほぼ真円に近づいたソレは銀糸のような月光を降り注がせながら、宙天にて輝きを放っていた。

 

「知らん。ンな戯言、どうでもいい……俺が成すべきことは一つ。もう一人の魔王を殺して、俺こそが(まおう)であると証明するのみだ」

 

「同族嫌悪……いや、それよりもタチが悪いか。全てが全く同一の(・・・・・)二者が顔を合わせた時、どんな奴でも自己存在の崩壊を恐れて「自分こそが本物である」と証明したがるらしいが……君のそれは典型例や。セイバーを殺す事のみが、君の唯一無二たる目的に据えられとる」

 

 ずっと昔からそのフシはあった。志原健斗はセイバーに確かな愛情を抱きつつも、同時に、明白な殺意を覚えていたのだ。

 彼はそれを必死に否定し、人としての理性で押し止まり、ずっと一人でその衝動と戦ってきた。

 時に限界が訪れた時は自らセイバーの元を離れ、街で暴れる英霊と一戦交えることで、その衝動を誤魔化していた事さえある。

 キャスターはそれを知っていた。だが、それを伝えれば余計にその殺害衝動が悪化する事を知っており、同時に志原健斗という人間の精神的な強さを信じていたからこそ、その事実を伝えてこなかったのだ。

 

(しかし、健斗クンは羅刹王としての意識に屈してしもうた)

 

 ただの人間に過ぎない志原健斗がセイバーの力を引き出せる理由は解決したが、まだ疑問は残っている。

 

(──……彼がセイバーへの殺害衝動を急に抑えられなくなった理由と、その異常なまでの回復能力はどういう事や?)

 

 彼の強力な治癒能力は、セイバーが近くにいるという事を前提としていた。それでも限界はあり、例えば断たれた肉体を癒着させる事は不可能といった制限があったはずなのだ。

 だが、今はまるで異なる。 

 繭村の屋敷でライダーの過去を視たキャスターは、確かに志原健斗は死亡したと判断した。健斗は両腕を断たれた上で、首まで刎ねられて捨て置かれたのだ。回復能力が追いつかない次元の致命傷だった。

 それが今の健斗には傷一つ見られない。首も腕も繋がり、全身を焼かれても立ち上がり、キャスターや士郎の攻撃で全身を串刺しにされても意に介さない。道理を無視した異常治癒能力が働いている。

 

「考えられるとすれば宝具の暴走……いや。こればかりは考えても仕方がないかね」

 

 キャスターの話にも聞き飽きたとばかりに、健斗が地を蹴る。

 足裏からの魔力放出。アサシンと戦った頃は不慣れなものだったが、健斗は既に慣れ始めている。

 相対するキャスターは無言のまま、空から引きずり出した護身・破敵をもって魔王の一閃を受け止めた。

 

「おおぉッ────‼︎」

「はぁぁッ────‼︎」

 

 空気が震え、舞う木の葉が嵐となって吹き荒ぶ。

 零距離で睨み合う両者。そこに空から降り注ぐ矢の援護があり、健斗は舌打ちしながら顔を上げた。

 

「不敬者が、貴様から殺されたいか──‼︎」

 

 九十度体を捻って、魔王の眼光が士郎を捉える。

 刹那。全身からブースターの如く放たれた蒼雷が、彼の身体を再度音速の領域に引き上げる。

 その様を見て、しかし士郎は動じない。

 投影開始。彼はコンマ1秒と要さずに武器(けん)を握り、

 

「────ッッ‼︎」

 

 刃の速度すら搔き消える超神速で、三つの刃が交錯した。

 振るわれる歪んだ名刀。

 それを、清廉な太刀筋で放たれた剣戟が押しとどめる。

 干将・莫耶。衛宮士郎が最も扱いを得意とする夫婦剣。互いに贋作、であれば押し負ける道理もない。火花を散らしながら刃は離れ、健斗は忌々しげに舌打ちする。対し、士郎はさらに一歩を踏み出し、

 

投影(トレース)停止解凍(フリーズアウト)

 

 地面が、爆ぜる。

 足元に堆積する土塊や焦げた落ち葉。その中にいつのまにか隠されていた投影剣が、(トラップ)の如く牙を剥いたのだ。

 類まれな直感でそれを回避した健斗だったが──、

 

投影(トレース)開始(オン)

 

 視界に影が落ち、健斗は見た。

 術者(しろう)の身体には不釣り合いなほどの巨大な刃。

 それが高々と掲げられ、振り下ろされる時を待っている様を。

 

「────⁉︎」

 

 息を呑むと同時、凄まじい轟音が響き渡る。

 どこかで見た巨大な斧剣が、縦一閃に振るわれて健斗の体を潰しにかかったのだ。

 とてもまともな人間には扱えぬ巨大武装。

 それをいとも容易く振り回し、第二撃が一撃を防いだガード越しに健斗の身体をカッ飛ばす。響いた衝撃はいかほどのものか、健斗は今度こそ驚愕して後退した。そこにキャスターの攻撃が襲い掛かり、健斗は瞬く間に体勢を崩していく。

 

「うッ……嘘だろ、あの人……⁉︎」

 

 同じ剣に類する魔術を行使する者として、倫太郎は息を呑む。

 あり得ないもの、一つの魔術師の結実(きゅうきょく)をそこに彼は見た。

 やっている事がデタラメだ。魔術回路の質を見れば、倫太郎のほうが遥かに衛宮士郎を上回っている。だというのにあの練度、あの魔術の冴え。どれもが倫太郎ではとても真似できない神業だった。

 考えられるとすればただ一つ。

 あの衛宮士郎という男は剣を鍛えるように、己を燃やすように──ただひたすら、才能というものすらも掻き消してしまう程の研鑽を続けた。その果てに、あの次元の力を振るうに至ったのだ。

 

「──────」

 

 倫太郎は絶え間なく巻き起こる閃光と衝撃波に目を細めながら、その姿を最後まで捉え続けようと心に決めた。

 楓の言葉が脳裏に浮かぶ。

 もし自分が魔術師ではなく、生まれついての「魔術使い」であるならば。

 きっとあの衛宮士郎(まじゅつつかい)の背中は、自分の道を選び取る指標となってくれる──そう、確信めいた予感があったのだ。

 

 楓を抱え、少女を傍らに連れたまま、倫太郎は視線を強める。

 目の前の戦いは、ますます激化する一途を辿っていた──。




耐え難き九の痛酷(ラーマーヤナ)
ランク:EX
種類:対人宝具
羅刹王ラーヴァナが十の頭のうち九を切り落として火にくべた、という歪んだ逸話が昇華され、マントの形となった概念宝具。
「想像を絶する苦行から復活を果たした」という逸話の性質から、この宝具は、使用者に絶大な回復力を与える効果を持つ。他者が使用した場合、近くにセイバーがいるほど効力が高まる。現在は宝具の過剰暴走によって治癒揚力が格段に向上している。
また、「この苦行をもって羅刹王が誕生した」という逸話の性質も有しているため、この宝具を埋め込まれた者は第二の羅刹王として覚醒する可能性がある。本来その事象が発生する確率は低く、健斗自身の理性もその発生を押しとどめていた。しかし何らかの原因によって宝具が暴走を起こし、志原健斗を人間ではない魔性へと変貌させている。

【志原健斗】
今の彼は宝具の効果が働き、羅刹王であるセイバーと同等の存在へと変わりつつあり、宝具、スキル、剣技、魔力、どれもがセイバーのものを受け継いでいる。ただしその力は真っ当なものではなく、使えば使うほど魂が壊れ、理性は焼け焦げていく禁忌の類。
常人の精神では扱えず、何も考えずに使えば健斗のように意識を「魔王」に乗っ取られてしまう。以前から彼は無意識下でこの力を使っており、窮地に陥った時はこれらを駆使して死線をかいくぐってきた。
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