Fate/crescent 蒼月の少女【完結】   作:モモのすけ

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七十七話 たった一つの願い 【9月12日】

 目を開けると、目の前に誰かが立っていた。

 蒼色の長い髪が揺れている。もう見慣れたその後ろ姿、間違いなくセイバー本人だ。

 俺はほぼ反射的に、彼女の名前を呼んでいた。

 

「セイバー?」

 

 声はどこまでも反響していく。昏く深いトンネルの中で声を張り上げたような、そんな風に聞こえる不思議な感覚。

 それでも、彼女は振り返らない。

 セイバーは無言のままに歩き出し、俺から離れていく。

 ムッとした俺は焦れったくなって、闇雲に足を踏み出した。動かないかと不安になったがちゃんと動く。そのまま一息のうちに加速して、セイバーの背後に走り寄る。

 

「セイバー‼︎」

 

 声を上げながら無造作にの駆け寄る。

 あと数メートル。

 距離が近くなって、再び、黒い長髪が視界に映る。

 

 ──……黒、だって?

 

 違う。セイバーの髪は、そんな色をしていない。

 ありえないものを見た違和感を覚えた瞬間。

 身体を反転させたセイバーが、手にした剣を閃かせた。

 

「ご、は────……?」

 

 すとん、と、豆腐を裂くような気軽さで、俺の胸に月の刃が突き刺さる。それと同時に奥から奥から溢れ出す生暖かい血がセイバーの頰を濡らし、そこで、俺はようやく彼女の顔を見た。

 黒に染まった髪。光を失った瞳。

 痛みも死にゆく恐怖も忘れて、俺はその顔を脳裏に焼き付けた。

 

「だめ、だ。行くな、セイ、バー…………」

 

 声は掠れ、俺は地面に崩れ落ちる。

 瞬く間に霞んでいく視界。その先で、彼女は赤と黒のナニカにずぶずぶと身を染めていき──そして、完全に呑み込まれていった。

 

 

 

 

「────ッは⁉︎」

 

 飛び起きた。とにもかくにも飛び起きた。

 布団を吹っ飛ばして周囲を確認する。セイバーの姿があるかと辺りを見渡したが見当たらず、代わりに見たことのない部屋が視界に飛び込んできた。

 和室だ。畳の香りが心地いい、広めの寝室。細かな所を見るに、どうも寝室というより旅館か何かの一室のように思える。

 それを見て疑問符を浮かべる。俺はなにゆえこんな所で寝ていたのか、と記憶を探ると──、

 

「確か、セイバー……が、アイツに……」

 

 突然現れた謎の女によって、セイバーを奪われたのだ。

 そして俺は意識を失った。

 ギリ、と歯噛みする。こんな所で呑気に寝ている暇など無いというのに。理屈はわからないが、今もセイバーが助けを求めているのがはっきりと理解できる。なら、立ち止まってなんていられない。

 急いで出口を探し、俺は部屋の扉を勢いよく開いた。

 と──、

 

「「………………」」

 

 丁度扉の前でドアノブに手を伸ばしていた幼い女の子と目が合い、

 

「いきゃあああああああああああああああああああ‼︎‼︎」

「わあ゛あああああああああああああああああああ‼︎⁉︎」

 

 その子がびっくりして特大の悲鳴をあげるものだから、俺も一緒になって悲鳴をあげた。二人分の悲鳴が廊下に響き渡り、隣の部屋、さらにその隣の部屋の扉が開く。

 

「──あら、起きたみたいね。おはよう、健斗君」

 

「お、お兄ちゃん‼︎」

 

「おーう、やっと起きたんかいな」

 

 隣の部屋から顔を覗かせたのは凛さん。キャスターも霊体化を解いて姿を見せる。また、さらに奥の部屋から飛び出してきた楓が血相を変えてこちらに駆け寄ってくるのを、俺は状況を飲み込めないまま呆然と眺めていた。

 楓は俺の身体に体当たりするかの如くタックルをかますと、そのまま頰を両手で挟んでぎゅむぎゅむと揉みしだく。

 

「──どこかおかしいところは? ねえお兄ちゃん、お兄ちゃんは本当にお兄ちゃんしてる? 急に豹変したりしないよね?」

 

「なッ……ひょま、おまへ、なにしへんだ。どうなっへるんはよ」

 

「後で話す……もー、心配させて……でも、よかった」

 

 肩を撫で下ろした、といった様子の楓を見て疑問符をいくつか頭の上に浮かべることしかできない俺。キャスターのほうに視線を移すと、その端正な美貌はそのままだったが、左頬に真っ赤な手の跡が残っている。それが彼の美しさに不釣り合いでシュールだった。

 

「で……お前は、なんだそのほっぺ?」

 

「勝手に気絶させて好き放題した罰やと。体罰反対」

 

 これまたキャスターが意味不明なことを述べる。すると隣の楓の目が険しくなったので、途端に彼は口笛を吹いて無関心を装った。本当に白々しい奴である。

 そういや、さっき驚かせてしまった雪の妖精みたいな女の子のことも気になる。

 その子に視線をちらりと向けると、ひえっ、と再び小さな悲鳴をあげてからキョロキョロと目線を彷徨わせた。なぜこんなにも初対面の幼い少女に怖がられねばならないのか、と不本意な気持ちになっていると、少女は隠れる場所を見つけたらしい。ててて、と廊下を走っていき──、

 

「お……フィム、そんな涙目でどうしたのさ?」

 

 丁度廊下の角を曲がって姿を現した倫太郎の陰に、ひしっとしがみついて隠れてしまった。

 

「あの人、わたしを驚かせた」

 

「……あ、目が覚めたのか。昨夜は散々な暴れっぷりだったけど、元気そうで何よりだよ」

 

 会釈代わりに手を挙げた倫太郎は両手にビニール袋を携えている。見るに何らかの買い出しの帰り、といったところだろうか。

 その緊急時とは思えない落ち着いた顔と、日常感に溢れる庶民的な姿を見て、逆に気が抜けてしまった。

 

「お、おう──倫太郎か。その子誰?」

 

「こっちの子はディミトリアスっていう……名前が無いと不便だから相談の結果「フィム」って名前になったんだけど……それよりも伝えなきゃいけない事は山ほどある。起きたんならさっそく作戦会議といこう」

 

 どうやらフィムという名前らしい女の子は、倫太郎にとてもよく懐いているらしい。彼の背中から離れようとしないので、思わず苦笑してしまってから、俺は表情を引き締めた。

 

「──悪いけど、ンな悠長な事はしてられない」

 

「な、なんだって?」

 

「……聞こえる。セイバーの声が聞こえるんだ。アイツが今、めちゃくちゃに苦しんで助けを求めてるのが分かる」

 

 これは確かな感覚だ。

 止まった心臓の鼓動。それに入れ替わるように、誰かのか細い悲鳴と助けを求める声が聞こえてくる。

 それは間違いなく、セイバーのもので──、

 

「それなら少し待ってくれ」

 

 と、部屋から顔をのぞかせた士郎さんが、俺の肩をぽんと叩いた。

 思わず振り返る俺。彼の顔を見るとなにやらよくない記憶が蘇りそうになったが、結局よく分からなかった。

 

「こういう時はまず腹ごしらえが良い。ほら、腹減ってないか?」

 

「け、けど、セイバーがっ……」

 

 いいからいいから、と士郎さんは笑う。タイミングといい、まるで俺の焦りと怒りを見透かされたかのようだ。その上で俺の気が逸りすぎている、と言外に優しく窘めてくれた気さえする。

 ──衛宮士郎。

 前回の聖杯戦争を勝ち抜いた魔術師としか聞いていないが、底知れぬものを感じてしまう。英霊を目にしているでもあるまいにこの底の見えなさとは、一体どんな人生を歩めば、人はここまで清廉な気配を纏うに至るのだろう。少なくとも俺なんかには想像もつかないものなんだろうな、という事は確信できた。

 

「君の焦りと怒りは正しい。けれど、まだ猶予はある。とりあえず部屋に入ってお茶でも飲んで、のんびり落ち着いていくといい。その間、俺が腕によりをかけるからさ」

 

 倫太郎が買ってきた食材を受け取り、士郎さんはそれを掲げてみせる。ビニール袋からはみ出た長ネギが揺れて、がさりと小さな音を立てた。どうやら彼は料理を得意とするらしい。

 と、料理をすると聞いて目ざとく反応した楓が手を挙げた。

 

「私だって手伝いますよ。これでも料理は得意なので」

 

「じゃあ手伝いを頼もうかな。……凛、後任せた」

 

「はいはい。士郎はとっととご自慢の腕を振るってきなさい。今日も期待させてもらうわよ?」

 

 ひらひらと凛さんが手を振ると、士郎さんと助手役の楓は廊下の角に消えていった。たぶん宿泊者用の共用キッチンか何かを使うのだろう。口を挟む余地のないやりとりを前にして、俺はしばしポカンと立ち尽くすことしかできないのだった。

 

 

 

 

「ごちそうさまでした、と……」

 

 士郎さんと楓が運んできてくれた料理を完食し、俺は心の底から満足して息を吐いた。

 どれも手早く作られたものながら美味いものばかり。

 食事中の話題といえば、もっぱら楓が士郎さんの腕を褒めちぎるか、質問やらコツやらを問いただす事が中心だった。それをなんだか微笑ましい目で眺めつつ、俺はのんびりと舌鼓を打つことができたのだ。

 俺と頃合を同じくして、倫太郎の隣に座ったフィムが小さな両手を合わせ、

 

「ごちそうさまでした」

 

 そう言うと、可愛らしくぺこりとお辞儀をするのだった。

 それを見て目ざとく倫太郎が反応する。

 

「お。分かってるじゃないか、フィム。どこで教わったんだい?」

 

「あの人が……前に、教えてくれた」

 

「へえ。うん……あの男とは敵同士で、相容れないところもあったけれど、僕が見習うべきものもきっとたくさん持っていたんだろうね。もう少しゆっくり、聖杯戦争なんて舞台じゃない場所で、のんびりと話をしてみたかった」

 

「倫太郎ならきっと、彼から色々学べたとおもう。私にだって、色々な事を教えてくれたんだから」

 

「あはは……きっとそうだろうね」

 

 どこか遠くを眺めて呟き、わしゃわしゃとフィムの頭を撫でている倫太郎は、どこか達観しているような雰囲気を纏っていた。

 俺と初めて会い、戦った時とは何かが違う。

 あの頃の彼にはまだ余裕というものが無かったように思える。それが、この聖杯戦争という戦場を経て、繭村倫太郎も急速に成長しつつあるのだろうか。その顔を無言で眺めつつ、そんな事を思う。

 

「──さて、皆も食べ終わったかしら?」

 

 弛緩した空気が、彼女の一声によってぴしりと張り詰める。

 ──遠坂凛。

 もう一人の聖杯戦争勝者。彼女は彼女で、衛宮士郎とは別種の、決して折れない強さを秘めているように思える。瞳を見るだけで感じ取れるほどの気持ちのいい性格をしているのだろうな、と、その強さが少し羨ましい。

 

(……なんか俺、今日は人の性格とか強さの推測ばっかりしてないか? なんで急に、人の機微にこれほど目ざとくなったんだ?)

 

 なんとなく、「わかる」のだ。

 その瞳を見ただけで、その人物が秘める強さというものが。

 それは異変の一つに過ぎない。じつは、今日起きた時から身体中が異変をきたしている。身に余るエネルギーが駆け巡って今にも破裂しそうな、そんな感覚が離れない。

 ひとまず俺の疑問は置いておいて、話題はついに聖杯戦争絡みの内容へと移るらしい。気を引き締めて、俺は凛さんの続きを待った。

 

「これからは真面目な話をするわよ。こんがらがった現状を一度整理するから、各々聞いて」

 

 そうして、現在の混沌とした戦況が、改めて言葉に置き直される。

 

 ──大敵にして元凶は、仙天島に巣食う魔術師。

 奴はバーサーカーとの戦いで疲弊したセイバーを拉致し、俺とバーサーカーのマスターであるマリウス・ディミトリアスを殺し、残る倫太郎たちを皆殺しにせんとサーヴァント複数騎を連れて攻め込んできたらしい。

 結果、ランサーとアサシンが応戦。最終的な戦績は不明ながら二騎ともが消滅。こちらに残るサーヴァントはキャスターただ一騎となったため、計画していた仙天島への攻撃計画は再考せざるを得なくなってしまった。

 

「その後、私たちは宝具の過剰作用によって暴走した健斗君、貴方に遭遇。キャスターがこれを無力化したわ」

 

「……お、俺?」

 

「ああ。君は覚えとらんやろうけどな。君の心臓に埋め込まれた宝具、そりゃあ治癒効果はオマケ、本当は「第二の魔王を生む」っちゅう宝具やったんや。そのせいで君はラーヴァナのまがい物として覚醒するも、意識を失ったまま暴走。これを僕がブチのめした」

 

 ブチのめしたとはなんだこの野郎、と反論しかかったが、その事実に衝撃を受ける形で俺は言葉を詰まらせる。

 その言葉が真実ならば、確かに、この全身を駆け巡る力の説明がつく。もっとも普段よりエネルギッシュになったからといって全く喜んではいない。生存本能が今もこう叫んでいるのだ。

 「この力を使うということは、自分から死に近付くと同義である」と。

 人が触れてはならない禁忌。引きずりだせば出すほど魂が汚染される類の悪しきチカラ。この得体の知れないものこそが、魔王ラーヴァナの力なのだろうか。

 

「それは……悪い、迷惑かけた」

 

「うむ、貸し1な」

 

 ひとまず会話を区切り、凛さんの総括に任せる。

 

「というのが、ここに至るまでに起こったことね。現状を纏めると、仙天島にには恐らく今も複数のサーヴァントが潜んでいて、しかも要のセイバーを奪われてしまった。対するこちらが頼れるのはキャスターのみ。正直なところ、かなり厳しい状況よ」

 

 その言葉に意を唱えるものは誰もいなかった。

 その現状と、何よりセイバーをみすみす奪われてしまった自分への不甲斐なさに歯を食い縛る。

 頭がこのまま爆発しそうなくらい怒っているのを自覚しているが、同時に、いかにセイバーを助け出すかを考えている自分もいる。これは士郎さんが気を利かせて、一度気を落ち着かせてくれたからだろう。起きてすぐにこのことを聞かされていたら、大雅たちの時のように激昂してホテルを飛び出していたかもしれない。それじゃあ何も変わらないままだ。

 

「……それと、悪いニュースがもう一つ」

 

 更に悪くなるのか、とげんなりしつつも、皆はしんと静まり返って凛の言葉を待つ。

 

「フィムちゃんの協力で、仙天島の魔術師、その名前が判明したわ。彼女の名前は……アレイスター・クロウリー(・・・・・・・・・・・・)

 

「あ……アレイスター・クロウリーッ⁉︎」

 

 その言葉を聞いた瞬間、倫太郎がテーブルを叩いて身を乗り出した。

 アレイスター・クロウリー。

 その名前は知らないので、俺には脅威を測るすべがない。楓の方をちらりと見てみたが、楓は楓でよく分からないらしい。無言で首を捻りながら、大声をあげた倫太郎に問う。

 

「ねえ。そのアレ……レ……アレイなんちゃらって誰?」

 

「知らないのか仮にも魔術師のくせして。いいか、アレイスター・クロウリーっていうのは世界中に知られる「最悪の魔術師」だ。時計塔と正面きって争い、神秘の漏洩をこれっぽっちも恐れず、我が道を往くを最低な形で実現し続けた、まさに悪魔みたいな魔術師だよ」

 

 倫太郎の最初の一言で口をへの字に変えた楓は、果たしてきちんと続く説明を聞いていたのだろうか甚だ不安が残る。

 そんな感じで兄として不安になる中、凛さんが補足を加える。

 

「前世紀……20世紀においては、その賛否は置いておいて、世界で最も知られた魔術師といっても過言じゃないほどの超大物よ。正史じゃ死んだ事になってるんだけど、実際はこの21世紀までピンピンしてたみたいね。そんなクロウリーは長い潜伏期間を経て、なぜかこの日本でアクションを起こした……それが、この第六次聖杯戦争」

 

 第六次聖杯戦争を引き起こした張本人は、どうも魔術師の世界では広く知られる伝説級の人物だったらしい。

 それもその異名が「最悪の魔術師」とくれば、嫌な予感しか感じられない。

 

「今、急ピッチでルヴィ……おほん。時計塔の知り合いに書庫(バンク)を探らせてるわ。詳しいことが分かれば伝えるけれど、どうも彼女は高ランクの魔眼を有していた、っていう記録があるらしいの。その力を用いて、今回の聖杯戦争を引き起こしたんじゃないかしら」

 

「俺もその説を推したい。冬木の聖杯の解体に関わったものとしては、あんな奇跡と研鑽の産物を、いくらクロウリーとはいえゼロから再現できるとは思えないからな。なんらかの反則、もしくは裏道を使ってるはずだ」

 

「だからこそ、クロウリーだけが聖杯戦争のルールを弄って好き勝手できてる、とも考えられるかもなァ」

 

「クロウリーの……魔眼、か……」

 

 少し考え込む倫太郎。ただこれ以上の議論は推測の域を出ないので、この場の議題は「如何にクロウリーの企みを阻止し、セイバーを取り戻すか」という方向に切り替わる。

 

「抑止の守護者として顕現したランサーの言葉から、クロウリーとセイバーを引き合わせちゃいけないのは分かってる。このまま何もしないでいたら、恐らくとんでもない大災害が巻き起こるわ」

 

 その大災害、というのがどんなものであるかは、これも推測する事しか出来ない。企みの詳細を知るのはクロウリー当人のみだ。

 しかし俺だけは唯一、その脅威をなんとなく感じ取っていた。

 その理由も薄っすらと分かっている。消沈しかける議論に待ったをかけるように、俺は身を乗り出して手を挙げた。

 

「俺の心臓に埋め込まれた宝具の件なんだけど」

 

「もう一人の魔王を生むマント、やな?」

 

「そうそれ。俺が起きた時からなんだけど、どうも、セイバーと俺が同調(リンク)してるような感覚があるんだよ」

 

 ほう? とキャスターが興味深そうな声を発する。

 他の一同も余計な口を挟まず、俺の言葉を待っている様子だ。

 

「令呪みたいな主従契約はもう失われてるけど、多分この宝具を介して、俺とセイバーはより太いラインで繋がってるんだ。それで……それを通って、俺に流れ込んでくるんだよ。あいつの力と、黒と赤のドロドロしたよくない何か……それと、あいつの消えかけの意識が」

 

 無意識に拳を握り締める。消えかけで瀕死に喘いでいるこの声は、確かにセイバーのものだ。これが宝具というラインを介して俺に伝わり、俺の心臓で響いている。

 

「セイバーとの繋がったパスから、彼女が危機に瀕している事を健斗クンは理解できると。しかし、「よくない何か」っちゅうんは、まさか……」

 

「恐らく、この世全ての悪(アンリマユ)ね」

 

 先取りするように、凛さんが聞きなれぬ単語を口にした。

 アンリマユ……というのは、一体何か。

 知らない単語でありながら、何故か聞いた瞬間に鳥肌がたった。つまるところ、それほどの何か、という事なのだろう。

 

「アンリマユっていうのは、聖杯に巣食う極大の呪詛だ。言ってしまえば世界全ての悪性を凝縮したモノ。まっとうな人間が触れれば狂死するし、英霊でも正気を保てない、おぞましい代物だよ。これが原因で、冬木の聖杯……そして恐らく今回の聖杯も、願望機としての役割を正常に果たす事はない」

 

 それを聞いて絶句したのは俺と楓だった。

 しばし沈黙してから、楓が信じられないとばかりに首を振る。

 

「──ちょ、ちょっと待ってよ‼︎ 聖杯は願望機なんでしょう、なんでも願いを叶えてくれる器なんでしょう⁉︎ それが果たされないなら、私たちは何のために戦ってたの⁉︎」

 

「「「────…………」」」

 

 その悲痛な問いに答えられるものはいない。

 楓は、俺と合流してからずっと、「俺を蘇生させる」という願いのためにセイバーと共闘して戦ってきたのだ。

 それが、この土壇場でその願いが叶うことはないと知らされれば、そのショックは大きいだろう。

 そもそも、その願いを抱いていたのは俺だ。

 この聖杯戦争を終わらせ、死に絶えた身体を元に戻す。

 それが俺が戦うと決めた最初の理由で、変わることのない目標だったのだ。それが急に達成できないと知らされて、俺も少なくとも頭が真っ白になるくらいには衝撃を受けている。

 

「……ごめん、志原」

 

 そんな沈黙の中。

 ぽつりと、倫太郎が言った。

 

「君にこの事実を伝えるべきか迷ってはいた。でも……兄を蘇生させようとする君のひたむきな姿を見たら、どうしても僕には伝えられなかった。これはひとえに僕の責任だ」

 

「……っ」

 

「貴方も知らなかったのかしら。健斗くん」

 

「そう、ですね」

 

 俺たちが求めていた聖杯は、最初から使えない欠陥品だった。

 これで、俺が生きる道は閉ざされてしまったわけだ。

 その事実は理解してるけれど、実感がない。何度も死にかけたのに今もこうしてしぶとく生きているから、死が身近になってしまったのだろうか。

 

「でも……それは、いい。今はセイバーをどう助け出すか、俺たちはそれを考えるべきだと思う」

 

 俺の答えは、本心そのままの答えだった。

 命が危険に晒されているのは許容できないが、それよりも、セイバーが苦しんでいるという現状はその恐怖を無視してでも許せない。

 俺の意見に楓が反論しそうになるのを、キャスターが片手で遮った。

 

「道は無いわけじゃない」

 

「えっ……そうなの? 聖杯は使えないんでしょう?」

 

「それはそうや。けど、セイバーを助け出して、健斗クンたちがこの聖杯戦争の勝者になれば、消えゆくセイバーを現世に留めることが出来る。そうすれば君が死ぬこともないやろ? まだ可能性はあるから、そう簡単に諦めなさんな」

 

 そう言うと、例のごとくキャスターはどこからともなく取り出した煎餅を齧った。楓は可能性が残されている事実に安堵したのか、ほっと胸を撫で下ろした様子だ。

 

「俺なら大丈夫だよ。だから話を進めよう」

 

 誰かさんみたいに鼻を鳴らして、覚悟を決める。

 自分の命については、ひとまず目の前の課題を解決してから考えよう。セイバーを助け出して、クロウリーの企みを阻止して、それから猶予があればゆっくりのんびり対策を考えればいい。

 さて、そうなれば作戦会議の続きだ。

 

「えー、アンリマユ、だよな……そう聞いて納得がいった事がある。伝わってくるセイバーの意識と感覚から察するに、たぶんセイバーは聖杯に巣食う極大の悪意……つまりはアンリマユに呑まれてるんだと思う」

 

「なんだって?」

 

 倫太郎がずい、と上半身を乗り出して話に食いついた。

 自分の胸に手を当てて、俺は続ける。

 

「俺が意識を失ったまま暴れてた理由も分かる。聖杯の中の「アンリマユ」って奴が、セイバーとのパスを逆流して俺に流れ込んだことがきっかけなんだ。キャスターがそれらを封じてくれたおかげで、今はアンリマユの呪詛がせき止められてるけどな」

 

 セイバーと同調した俺にしか理解できないフィーリングの話なので説明が非常に困難だが、なんとか身振り手振りで伝えんとする。

 

「けど本体のセイバーの方は、こうしてる今もアンリマユに侵食されて、悪性を取り込んだ最悪の「魔王」になりつつある……っていうのが、現状なんだと思う。そんな夢も見たしな」

 

「成る程、合点がいった。これで、どうして急に君の「耐え難き九の痛酷(ラーマーヤナ)」が活性化し、健斗クンが突然第二の魔王として目覚めたんかの理由も説明できる」

 

「どういうこと? キャスター」

 

「んー……聖杯っちゅうんはアンリマユを蓄えると同時に、無尽蔵の魔力を秘めた盃でもあるんやろ? なら簡単や。恐らく攫われたセイバーは、聖杯と接続した(・・・・・・・)んやろ。そうして健斗クンの方にも聖杯が持つ「無限の魔力」と「アンリマユ」の二つが逆流し、君はその二つの影響をモロに受けて、強大な力と高次の再生能力を持つ悪鬼と化したんや」

 

 聖杯の持つ莫大な魔力が俺が持つ耐え難き九の痛酷(ラーマーヤナ)に逆流し、その効果を活性化させたことで、俺は首を刎ねられても修復するほどの再生能力と、セイバーと同種の力を手に入れた……ということなのだろうか。

 つまりクロウリーは俺を殺しておきながら、セイバーを聖杯に接続させたことで、かえって俺を生かしてしまったわけだ。

 もっともアンリマユとかいう余計なモノまで押し付けられたせいで大変だったらしいが、それはキャスターが解決してくれた。

 つまるところ──、

 

「今の俺には、聖杯からセイバーを通じて引き出せる無尽蔵の魔力と、羅刹王(セイバー)の力が残ってる。なら、この力を役立てる事ができるはずだ。そうだろ」

 

 そう言うと、俺は軽く掌を掲げる。

 全員の視線が集中する中、俺は手の中に、見慣れた蒼色の火花を散らしてみせた。

 力を引き出すのに苦労はしない。例えるなら自転車に乗るのが当たり前に出来るように、今の俺にとって、彼女の力はごく当たり前のものになってしまったのだと思う。

 

「…………………」

 

 それを見てなお、キャスターは無言を貫いた。渋い顔で、まるで俺がその力を振りかざすのを忌避するような表情だった。

 それでも今は戦力が足りない。

 サーヴァント数騎を相手取るならば、キャスター一騎では限界が来る。せめてセイバーが果たすはずだった役割の半分くらいは、まがい物の俺でも担えるはずだ。

 

「頼むよ。キャスター、教えてくれ。お前なら策の一つ二つあるんだろ?」

 

「……あい分かった。その確固たる意志に免じて、これからどうやってあの島を堕とすか──その作戦を立てるとしよか」

 

 

 

 

 それから、しばらくして──。

 

「んじゃあ、行ってくるよ。キャスター、例のあれ(・・・・)の準備ありがとな。お前のおかげで希望が見えてきた」

 

「構わん、が……」

 

 荷物をまとめた俺は、そうして楓たちに別れを告げていた。

 といっても、持って行くものはほとんどない。なけなしの現金くらいがポケットにねじ込まれているだけだ。

 これから一度家に帰って、武器やらを調達してから、改めて二県ぶんも離れた「とある場所」に向かう。そこから俺は直で仙天島に向かうのだ。いわゆる、単独行動というやつである。

 

「………………」

 

 楓が、弱気な目でこちらを見ている。

 なんでそんな目をするんだよ、と笑ってから、昔のように頭を撫でた。

 

「俺は大丈夫。きっとセイバーを連れて、ごたごたも全部解決して家に帰るよ。俺たちの家にな」

 

「うん。……お願いだから、気をつけて」

 

 楓、倫太郎、キャスター、士郎さん、凛さん、フィム、都合六人に手を振って別れる。

 サーヴァントはキャスターしか残っていないし、クロウリーのそばには数騎のサーヴァントが控えている。この圧倒的劣勢を覆せるかどうかは、キャスターが考えてくれた秘策と、俺の頑張りにかかっているといっても過言じゃない。

 頬を叩いて気合を入れてから、俺は旅館の玄関を出た。

 灰色の曇天の下、タクシーを探しながら思い出す。

 病院に送られた親友の安否を確認するくらいの時間はあるから、お見舞いを先に済ませておこう。アイツのことだから、とびきり豪華なフルーツの詰め合わせなんかを持っていくと喜ぶかもしれない。

 

「健斗クン」

 

 と。

 背後から呼び止める声がして、俺はぴたりと足を止めた。

 

「キャスター?」

 

 振り返って彼の顔を見る。そこに張り付いていた表情はどこまでも真剣な、キャスターらしくない顔だった。

 思わず苦笑して、何の用だと問うてみる。

 

「分かっとるんやろ? その力を使うことの、意味を」

 

 静寂の風が、俺とキャスターの間を吹き抜けた。

 俺は口を閉ざして、答えに詰まる。

 

「楓ちゃんの手前、事実は口にできんかったが……その力は真っ当な人間には御しきれぬモンや。それを使って、わずかな可能性に縋って戦い抜いて、仮にセイバーを救い出せたとしても……君は死ぬ」

 

 ……分かっている。そんな事は、ずっとずっと分かっていた。

 昔、それとなくセイバーに言われたこともある。俺の胸の内で眠る羅刹王の力は、俺に破滅をもたらすもの。それに手を伸ばしたが最後、まともな結末は迎えられないだろう、と。

 実際、もう、魂にガタがきているらしい。

 手足の感覚は恐ろしいほど軽く、身体はカラになったように薄っぺらい。それが逆に恐ろしい。ありあまる力はあるのに、決定的な破滅がすぐそこに待っている感覚がある。果たして俺という人間はあと何日、何時間、こうして動いていられるのだろう。

 考えれば考えるだけ怖い。恐ろしい。けれど──、

 

「いいんだよ、キャスター」

 

 それでも、俺は笑ってそう答えた。

 

「俺はさ、もう決めたんだ。アイツをもう二度と、魔王なんかにはさせないって」

 

 かつて、彼女にかけた言葉がある。

 お前は魔王なんかじゃない──と。

 あの言葉を吐いた以上、俺には責任がある。

 彼女がもう一度、誰かに歪められた道を歩まんとするのなら。他でもない俺がその背を抱きとめて、彼女を止めてやらなくてはならない。

 それは責任でもあると同時に、俺の、たった一つの願いだ。

 

「不思議だよな。死ぬのは怖くて、嫌で、俺はそれでこの聖杯戦争に飛び込んだんだ。でも、いつのまにかゴールがすり替わってた。アイツの哀しい認識を変えることだけが、俺の目標点になってたんだ。だから、今更目標を変えるつもりはない」

 

 キャスターに向けて、そして同時に俺自身が最後の覚悟を決めるためにも、高らかに宣言をする。

 

「俺はアイツをなんとしても救い出す。たとえその果てに、この魂が燃え尽きたとしても構わない」

 

 そう言い残して、俺は彼に背を向けた。

 前を向いて歩き出す。空を覆う曇天は変わりなく、背筋に潜む死の予感は確実。間違いない破滅の前兆を感じながら、それでも折れずに進んでいく。

 こうしている今も、セイバーが助けを求めているのだから。

 

「最後に、聞きたい」

 

 キャスターはもう俺を追うことなく、静かな声でそう問うた。

 

「君は何故、そこまでして彼女を救わんとする?」

 

 変な声だった。まるでキャスターのものではないような、彼の裏に潜む誰かが述べているような、そんな不思議な質問だった。

 その問いについて考えた途端、色々な記憶が、光の速さで頭の中を駆けていった。どれもが満月よりも綺麗に輝いていて、いつもその中に、ひとりの女の子が立っていた。

 わずか一秒と要らずに、振り返ることなく結論を出す。

 考えるまでもない。

 迷う余地なんてありはしない。

 その答えなんて、ずっと前から決まっていた。

 

 

「──……アイツのことが、好きだからだ」

 

 

 それが、俺と彼の間に交わされた最後の言葉だった。

 俺は再び歩き始め、もう振り返ることはなかった。

 やり残した事がない訳ではない。悔いも無念もまだ残っている。それでも、振り向いたらそこで終わりだ。唇を噛み締めて、前へ。

 

「その尊い感情。私が決して抱けないモノ。しかしてその輝きと、純粋にそれを信じんとする君に……心の底から、最高の敬意を表そう」

 

 キャスターの言葉。

 俺にはもう、何を言っているのか分からなかったけれど──。

 

 その言葉は風に乗って、俺の背中を押してくれた気がした。




【志原健斗】
セイバーが聖杯と接続し、その無尽蔵の魔力が逆流して彼が持つ宝具に流れ込んだため、「第二の羅刹王」として目覚めてしまう。
セイバーと同調しているため、基本的にセイバーと同じ力を扱うことができ、セイバーが力を得るほどに彼も力を得る。魔力もパスを通じてセイバーから引っ張り出すため実質無限。
ただし、羅刹王の力は人ならざる魔が担うものであり、純粋な人の魂ではその穢れに耐えられない。力を使えば使うほど死期は近づき、理性は崩れ、やがて魂すらも食い潰されてしまう。
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