Fate/crescent 蒼月の少女【完結】   作:モモのすけ

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八十話 体は剣で出来ている/Other side

 大塚の地を魔力波が襲う、その僅か数十分前。

 凛の車に乗った倫太郎達は、最後の準備を終える場所として、仙天島にほど近い繭村家の屋敷を訪れていた。

 あたりは田畑が多いとはいえ、不気味なまでに静まり返っている。

 空を見上げても月はなく、一面に広がる昏い雲海が見えるのみ。何か不吉な事が起こる、そんな前兆を予感させる夜だった。

 

「時間もあまり無いことだし、ちゃっちゃと進めるわよ。楓ちゃんとフィムちゃんは私について来て。倫太郎君、奥の間を借りるわ」

 

「分かりました。僕は刀蔵に」

 

「俺は……ふむ、屋根の上で見張りでもしておこうか。クロウリーの奴も、こんな俺達を脅威と認識してるか怪しいが」

 

「いや、それは僕がやろう。君は倫太郎クンについてってくれ」

 

 屋根に上がろうとした士郎を止めて、キャスターはそんな事を頼む。

 とはいえ士郎は己に向いている魔術のみを極めた人間で、かの天才児にさしたるアドバイスができるとも思えない。そういう役回りは凛の方が──、と言いかけたところで、キャスターはにやりと笑った。

 

「ええからええから。倫太郎クンには君が適役や」

 

 その声に押されるように、士郎は倫太郎の背中を追っていった。

 一方、楓とフィムも速やかに移動を済ませる。凛に連れられて畳が一面に敷かれた殺風景な一室に入ると、彼女はしっかりと襖を締め切り、くるりと二人の方に振り返った。

 

「さて。手短に済ませましょうか」

 

 凛の言葉に、力強く頷く二人。

 

「じゃあまずは二人とも、今すぐ上に着てるものを脱いで」

 

「……や、やっぱり、そうなるんですか?」

 

「精神と身体の融合には、地肌で触れ合うのが一番効率がいいから。それにいいじゃない、女同士なんだし。ほら、フィムならもう脱いでるわよ?」

 

「楓は恥ずかしいの? なんで?」

 

「うっ……いや、その、場所が……」

 

 楓がぱっと横を見ると、フィムは着ていた患者服風の紐を解き、するすると脱いでしまった。瞬く間に大きめのソレが床に落ち、人間とは思えぬ神々しさすら感じさせる、真白な肌が露わになる。髪の色も合わせて、フィムは本当に雪の精といった雰囲気があった。

 幼さゆえか、知識の無さゆえか、とにかく彼女に躊躇いはなかった。それを見て、若干もたついていた楓も上着に手をかける。

 

「普通の更衣室とかなら良かったんだけど……ええい、気にしてる場合じゃないわね」

 

 よりによって半裸になる場所が倫太郎の家である、という事実が、少なからず羞恥のブレーキになっていたらしい。

 とはいえこんな事で諦める訳にはいかない。意を決した楓は上に着ていたものを全て脱ぎ捨てて、むしろ堂々と胸を張った。

 

「ありがとう。じゃあなるべくくっついて、目を閉じて。あとは私が執り行うわ」

 

「……こう?」

 

「わ、わひ……つべたっ」

 

 無邪気に抱きついてきたフィムの冷たい体温を受け止めて、楓は言われた通りに目を閉じる。

 その小さな身体が冷えたままでは可哀想なので、しっかりと体を密着させて。楓の優しさは功を奏し、肌と肌の密着面積が拡がったことで、二人の親和性を上げていく。

 

「目を閉じたまま、よく聞いて。……説明した通り、これからフィムの魔術回路と楓ちゃんの魔術回路を繋ぐパスを作る。そうすれば、楓ちゃんとキャスターはそのパスを通じて、フィムの魔力まで動員して戦う事が出来るようになるわ」

 

 サーヴァントはマスターからの魔力供給によって現界し、戦う。

 これは誰もが知る大原則だ。凛がこれから行おうとしているのは、フィムと楓の間に魔力供給を行うパスを繋ぐ、という、原理だけで言えば英霊との主従契約にも等しい行為だった。

 

「本当に……そんなこと、できるの?」

 

「昔の私だったら難しかったでしょうね。でも魔術も日進月歩、やれる事だってちょっとずつ広がってるの」

 

 凛に疑問をぶつけたフィムはもともと、アインツベルンにて聖杯戦争の為に鋳造され、その過程で廃棄されたという過去を持つ。故に彼女は、最高傑作と謳われるかのイリヤスフィールには遥かに劣れども、魔術師とは次元の違う魔力を貯蔵しているのだ。

 そんなフィムと楓の間にパスが繋がれば、楓を介し、キャスターは思うがままにフィムの莫大な魔力を振るって戦う事が出来る。

 サーヴァントが一騎しか残っていない今、キャスターの戦力強化は必須と言えた。故に、この案が実行に移されようとしている。

 

「ただ……これはかなりの大仕事になる。その中でも、最も負担がかかるのは楓ちゃん、貴方よ。キャスターだけじゃなく、フィムとまでパスを繋ぐんだから。魔力が流れる方向が逆とはいえ、貴方の魔術回路にかなりの負荷が掛かることは想像に難くない」

 

 フィムの魔力をキャスターが消費する場合、楓はその間に挟まれる、いわば開きっぱなしのコックのようなものだ。

 あまりにも莫大な魔力の流出入に晒される彼女の魔術回路は、相応の負荷に晒されることになる。

 

「あらかじめ言っておいたけれど……このパスを繋げれば楓ちゃんの魔術回路は間違いなく損傷する。最悪の場合、二度と機能しなくなる可能性も考慮しなくちゃならない」

 

 神妙な面持ちのまま告げられた言葉に、楓は思わず息を呑んだ。

 

「つまり、貴女は魔術を使えなくなるかもしれない、って事よ」

 

 その事実は最初に明かされていた。

 倫太郎のように強靭な魔術回路であれば違ったかもしれないが、楓のそれはその負荷に耐えられないがしれない。

 そうなれば彼女の体内から魔力を巡らせる機能は失われ、志原楓という魔術師は、この世界に存在しなくなる。治療できる腕のいい魔術師との繋がりがあればまだ希望はあるが、いずれにせよ彼女にそうしたコネクションは望めない。

 

「もっとも、それはあくまで最悪のケースね。回路が完全に断線するまで損傷する確率はかなり低いし……一応、他の方法が無いわけじゃないわ」

 

「他の方法、って……?」

 

「士郎の力を借りて、楓ちゃんとキャスターの契約を破棄するの。それからフィムとキャスターの間で再契約を成せば、貴女にかかるリスクは避けられる。もっとも、キャスターは嫌がるかもしれないけれど」

 

 ──破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)という宝具がある。

 第五次聖杯戦争において召喚された英霊が所持していた、魔術破りの短刀だ。十年前、この宝具は様々な局面において用いられ、士郎と凛を窮地に追い込んだという過去がある。

 そして、衛宮士郎には、その短刀を「投影」する力がある。

 かの宝具の力をもう一度借り受け、楓とキャスターの契約を破棄し、フィムと契約を結び直す──士郎の力があれば、そういった力技も可能になるだろう。

 

「──…………」

 

 その提案を受け、楓は迷っていた。

 賢い選択をするべきだ。自分が無理をして契約を続ける必要はない。リスクを孕んだ手段をわざわざ選ぶ必要は、どこにもない。

 そう考えるたびに、けれど、と止める自分がいる。

 

「楓、どうしたの?」

 

「……うん、なんでもない。もう決めた」

 

 閉じていた目を開けて、楓は凛に返答する。

 

「契約は破棄しません。私を介して、このまま経路を開いて下さい」

 

「本当に、いいの?」

 

 再度意思を確認する問いかけに対し、力強く頷く楓。その答えに凛は笑顔を浮かべる。

 十年前──もし、かつての遠坂凛があの弓兵と契約を切るべきだと言われようと、彼女もまた同じ回答をしただろう。英霊とマスターという関わりは、時に道理を無視して切り離せないものを生むものだと、彼女は知っていた。

 施術が始まる。凛の処置に合わせ、煌々と輝きだす両者の魔術回路。その淡い光が部屋の中を照らし出す中、楓はキャスターと契約を結んだときのことを思い返す。

 

(アイツは……)

 

 キャスター・安倍晴明。

 遥かなる平安の時を生きた、伝説の陰陽師。

 楓は一人の魔術師として、彼に憧れを抱いてきた。だからこそ、英霊召喚の儀に際して、彼女は安倍晴明の姿を思い描いたのだ。

 そして、今──。

 戦友として共に聖杯戦争を駆け抜けて、心の内にあるもの。まずはっきり言えるのは、「憧れ」の類に分類される気持ちは、以前よりも弱まったということだ。

 

(だってアイツ、想像してたよりもお調子者で、色々と残念なところがあるし……)

 

 楓が勝手に脳内で構築していたクールな性格の「安倍晴明」とは、かなりかけ離れているが多かった。憧れも萎むというものだ。

 ただ、それは悪いことでは決してない。

 憧れは、ある意味、対象からかなり心的な距離を置いた感情とも言える。その点からすると、楓の中から憧れが消えたのは当たり前かもしれない。

 

(……それでも、キャスターは私に応えてくれたサーヴァントで……何だかんだ、ちゃんと今まで私を守り抜いてくれた。私みたいな魔術師、途中で見限られても仕方がないのにね……)

 

 キャスターには迷惑をかけ続けてきた、と楓は思う。自分の脆弱な回路では、キャスターは全力の三割すら引き出せなかった。その状態でなお彼は高潔に戦い抜き、主である楓を今日まで守り続けてきた。

 その過程。二人で戦いを駆け抜ける中で、憧れは信頼へと変わっていた。

 キャスターは志原楓が誇る、最高のサーヴァントだ──と。

 今ならきっと、胸を張ってそう言えるだろう。

 

(キャスターのマスターは、この私)

 

 目は閉じたまま。当たり前の事実を、もう一度認識する。

 

(それだけは何があったって変えたくない。私の手で変えてはいけない。だってそれは……今まで私に付き合ってくれた、キャスターへの裏切りと同じだから)

 

 ──そう決意した時、ふと。

 聞き慣れた彼の笑い声が、楓の鼓膜を震わせた気がした。

 

 目をうっすらと開けて、まさかキャスターでもこんな時に覗き見はしていまい、と思いつつも──否定しきれない。楓が契約したのは、そういう英霊だったのだ。

 少し笑いながら、まあいいや、ともう一度目を閉じる。

 楓は決意を新たに、魔術回路が溶け合いゆく感覚に身を投げた。

 

 

 

 

「…………ここ、は」

 

 重苦しい音を立て、ゆっくりと開いていく巨大な鉄扉。

 そこに踏み込んだ士郎が見たものは、墓標だった。

 青白い炎に照らされて、いくつもの日本刀が妖しく光を放つ。壁面に並べられたそれらは、一目見るだけで分かるほどのエネルギーを放ちつつも、同時に言い表せない寂しさを纏わせていた。

 

「これがかの有名な……繭村の刀蔵か」

 

「ええ。もっとも、僕の刀はまだありませんが」

 

 ぐるりと視線を巡らせて、倫太郎が紹介する。

 繭村の刀蔵といえば、日本の魔術師で知らないものはいない。古いものでは聖遺物に匹敵する魔力を蓄えた、魔刀の保存庫だ。

 

「繭村の魔術師は二十歳になると、自分自身の刀を与えられ、それに生涯をかけて魔力を注ぎ続けます。その過程で身体を刀剣と一体化させ、渾然一体の極地に至るのを目的とする……まあ、その極地に立った者は、まだ確認されていないそうですが」

 

 つまりこの場所は、歴代の刀を貯蔵する保管庫であると同時に、奇跡を追い求めた繭村の一族の墓標でもあった。

 話しながら、倫太郎は、目の前に飾られた刀剣のうちの一本に手を伸ばす。

 が──その指先が触れる寸前で、彼は動きを止めてしまう。まるで、それに触れるのを嫌うように。

 

「……それを、使わないのか?」

 

「使おうにも……僕は自分の刀すら持っていませんから、どうにもこれらを使うイメージが湧かないんです」

 

 倫太郎は才能の傑物だが、今まで本物の日本刀に触れたことはない。繭村の魔術師が生涯を共にする刀は常に一本と定められており、それ以外のものに触れることは禁じられているのだ。

 故に成人を迎えるまで、倫太郎は木刀のみを振るってきた。

 しかし、今ここに至って、そんな禁則に縛られている場合ではない。ありとあらゆるものをかき集めなければ、仙天島で待つクロウリーに勝ち目はないだろう。

 倫太郎本人は気づいていないことだが──そうした柔軟な思考を行なっている時点で、彼は立派に成長していると言えた。

 

「成る程、そういうことか」

 

 士郎はそう呟いて、しばし思案する。

 

「それなら、力になれるかもしれないな」

 

「士郎さんが?」

 

「ああ。君に対して魔術の先生を名乗るには不足もいいところだが……剣の講師には向いているらしい」

 

 剣の講師、と言われてもピンと来ない。まさかこれから剣術の稽古をするわけでもあるまいし、倫太郎にはさっぱり予測がつかなかった。

 

「今すぐ始めよう。これに関しては言葉より感覚だ。倫太郎君、魔術回路を開けるか」

 

「は、はい」

 

「それじゃあ、回路を開いたまま俺に触れるんだ。そうだな……心臓のあたりが手っ取り早いか」

 

 士郎の言葉に従って、倫太郎は彼の胸の中心に掌を押し当てる。

 伝わってくる力強い鼓動。それを感じ取って息を呑む。その力強さときたら、地を割って芽吹く大樹のようだ。

 そうしている間に、士郎は目を閉じて意識を集中し始めた。慌てて倫太郎もそれに合わせ、可能な限り精神を鎮めていく。一人ではなく、二人で行うある種の瞑想に近い形になるのだろうか。

 

「よし……これから一度、俺と君の魔術回路を同調させる。肉体を無視して精神だけに絞った融合、みたいなものかな」

 

「魔術回路の……同調?」

 

「やってみれば判る。大したことじゃない」

 

 あくまで精神鍛錬の延長だ、とこともなさげに言ってみせた士郎が、その身に駆け巡る魔術回路を起動する。それと同時に、士郎が聞き慣れぬ単語を口にした。

 ドイツ語かなにかの詠唱らしい。すらすらと述べている訳ではないので、士郎本人が編み出した詠唱ではないらしい。何処かで、誰かに教えてもらったものといった感じだ。それに耳を傾けて、倫太郎はその時を待つ。

 ──唐突に。ぐらりと、意識が揺らいだ。

 目を閉じているのに暗くなっていくような感覚。あるはずの意識が希釈されて細くなり、自分が遠く離れていく。

 

「雑念を振り払うんだ。意識を束ねて、平坦(クリア)に」

 

 詠唱の途中に挿し込まれた言葉をなんとか聞き取って、倫太郎は加熱しそうな心を落ち着かせる。

 

「始めるぞ」

 

 暗く閉ざされた視界。

 その果てから、輝く何かが迫ってくる。

 全身を暴風が叩く。速い。速すぎる。光にすら迫る速度をもって、倫太郎は光の回廊を突き進む。

 恐怖はなかった。ただ、何かを考えるよりもずっとずっと早く、倫太郎はその境界を突破した。

 

「──────、あ」

 

 世界が反転する。

 ベクトルは逆になり、周囲の世界が逆しまに螺旋を描く。

 カラダは形を保っていない。繭村倫太郎のガワは全て剥ぎ取られ、ここに漂うのは四肢すら持たない精神体だ。それでも、はっきりと、自分が何者かの内部に潜ったのだという事実は理解できた。

 速度を緩めて、穏やかに堕ちていく。

 魔術回路を通して、衛宮士郎という人間の精神、その最奥へと落下していく。

 

「──────」

 

 周りを取り囲む木の根じみた回路は、決して多くはなくとも、どれもが力強く脈動していた。

 その輝きは仄かな青。邪悪も汚れも妥協も後悔も介在しない、清廉無垢そのものの輝きである。

 倫太郎は思わず、無意味と化した息を呑んだ。

 ──人とは。

 人とはここまで、綺麗な在り方を貫けるものなのか、と。

 

「──、────」

 

 感嘆のまま、緩やかな沈下を続けていく。清流のような魔術回路の奔流を通り抜けて、奥へ。

 時間の概念があやふやだ。その綺麗な輝きに打ちのめされていた時間は一瞬か永劫か、倫太郎には判別できない。ともあれ、遂に終わりが見えてきた。

 目線の先。堕ちてゆく先の最下層に、終点がある。

 それは魔術回路の大元にして、衛宮士郎という魔術師の、たったひとつの心象風景──。

 倫太郎は何をすることもできず、ただ、墜落の果てにその中へと飛び込んでいき、そして。

 

「──────っ‼︎」

 

 そこで、倫太郎は確かに見た。

 無限に広がる荒野。

 そこに突き刺さる、数えきれない剣の群れ。

 頭上に広がる空は、雲一つない蒼を浮かべ──、

 

「──────、が⁉︎」

 

 内部に堕ちた、その瞬間。

 反応も回避も出来なかった。

 速度の概念すら振り切って放たれた無数の剣が、倫太郎の身体を容赦なく串刺しにした。

 

 ── / は   で 出    い  。

 

 遥かなる地表から放たれ続ける剣の雨。

 幾千の、幾万の、果ては無限の剣に貫かれる。

 痛覚は瞬く間に消し飛んだ。身体すら持たないはずなのに、四肢を、頭蓋を、胸を、ありとあらゆる名剣魔剣が吹き飛ばしていく感覚が叩きつけられる。

 

 ── 体 は ■ で 出  / い  。

 

 絶叫した。

 無限の致命傷を味わい続ける苦痛苦悶に、倫太郎は吼えて意識を途切れさせんとした。

 だが──、

 

「──、──ッ‼︎」

 

 違う、と無声の咆哮をあげる。

 無いはずの目を見開いて、無限の剣戟を真正面に捉える。

 この場所に、精神を競いにきたのではない。

 むしろ逆だ。この場所から、衛宮士郎という魔術師の深層から何かを得るために──そして、志原楓を守るという、ただ一つの正義を果たすために。倫太郎は自ら、この場所に飛び込んだのだ。

 ならばするべき事は一つだけ。

 この剣の濁流を、逆らう事なく受け止める。

 

 ── 体 は ■ で 出 来 て い る。

 

 何度も、ジジ、と、脳の奥で何か響いている。

 意識を刃のように研ぎ澄まして、その声に耳を傾ける。

 浮遊落下は続き、体は今も、飛来する剣に貫かれていようと──荒波の中で一つの光明を目指す船乗りの如く、倫太郎は意識を集中させ、

 

 ── 体 は 剣 で 出 来 て い る。

 

 遂に、この世界の言葉(おと)を聞いた。

 それだけで十分だった。倫太郎はこの世界の全てを、理論ではなく、感覚をもって理解する。

 倫太郎は貫かれているのではない。地表から飛来する刃が、全身を抉り飛ばしているのではない。

 全ては最初から逆だった。

 剣の全ては倫太郎の身体を突き破って放たれ、一直線に、無限の荒野へと突き刺さっていたのだ。

 

「──────」

 

 言葉を、失う。

 驚嘆と感動、畏怖に、あるはずのない身体が総毛立つ。

 繭村の魔術師が数百年をかけて至ろうとした遥かなる到達点。剣と己を合一のものとした、渾然一体のあり得ざる極地。

 しかし、それを。

 この衛宮士郎という魔術師は、既に。

 

「……体は、剣で出来ている……」

 

 その言葉を聞くたびに、倫太郎は痛感した。

 剣を振るうということの意味。

 剣と自分を一体化させ、戦う方法。

 教科書を読むような行儀の良さはない。ただ、野ざらしの苦痛と精神を削る苦行の果てに、倫太郎はその極地の、ほんの僅かな片鱗を掴んだ。

 

 無限の剣。それを内包する世界。

 

 倫太郎にはとても真似できない。体を剣として変えるその覚悟も、誰も持ち合わせないその美しい在り方も、倫太郎には模倣できない。

 それでも。

 彼の姿から、学ぶ事は山ほどあった。

 ぎゅんっ! と、身体が急浮上して荒野を離れる。荒れ狂う剣の波は静まり、静謐をたたえた剣の荒野は、倫太郎の手が届かぬ場所に離れていく。

 それを──彼は最後の最後まで、敬意とともに見守っていた。

 

「──────は⁉︎」

 

 浮上を経て、光速を振り切った果てに、倫太郎は覚醒を終えた。

 目を開いて荒い呼吸を繰り返す。目の前には、けろりとした士郎がこちらを覗き込んでいた。精神同調の負担など、まるで感じさせない自然体で。

 

「さて、どうだったかな」

 

「あ、どうだったかな、と言われると……」

 

 凄まじいものを見た、としか言えなかった。

 衛宮士郎。名の知れた遠坂凛に比べると、その正体について、倫太郎は詳しい事をほとんど知らない。

 だが、その内面を見て思い知った。

 これほどの、あらゆる意味における怪物が、遠坂凛のパートナーなのだと理解した。

 

「貴方は……僕達が目指すべき剣戟の極地に、もう立っている」

 

「繭村家の嫡子にそう言われると面映いな。……けど、俺の力は、何百年もの研鑽の果てに掴んだものじゃない。たまたまとあるモノを有していて、そこから裏技じみた方法で手に入れただけさ」

 

「そ、それでも……‼︎」

 

 彼の魔術回路、そして精神の奥深くにまで触れた倫太郎には判る。

 彼の力は、それこそ常人では計り知れない鍛錬と研鑽によって編み出されたものだ。その言葉は謙遜だと、倫太郎は確信をもって言える。

 

「ま、俺のことはいいのさ。問題は、君がいかにして、この剣の群れを使いこなすか……だろ?」

 

 その言葉に、素直に頷く。

 

「元々、君には素質がある。繭村の後継者である君が、これらを使えないわけがないんだ。だから、問題があるとすれば一つ……精神に関係するもの」

 

「使えないわけが、ない……僕が?」

 

「おそらく君は、剣を魔術の基礎とするには、あまりにも優しすぎる。つまり、性格的に向いてないんだろう。優しさのあまり、誰かを傷つける事を恐れて……最初の一歩が踏み出しきれない」

 

 でも、と士郎は前置きして、落ち着いた風格の笑みを浮かべる。

 

「俺にも、その一歩を踏み出す手伝いくらいはできた。さっきの同調で、剣を魔術とすることの意味を、掴めたんじゃないか」

 

「ほんの少し……だと、思いますが」

 

「それでいい。最初の一歩さえ踏み出せれば、あとは君自身の力で歩んでいける。なんせ君は、繭村の天才だからな」

 

 彼に言われると、それは正しいような気がしてくるから不思議だ。あまり自分に自信がない倫太郎でも、自分を信じてみる気分になる。

 そうして、頷きかけて──ふと、倫太郎は一つの疑問をぶつけてみたくなった。

 

「──……体は剣で出来ている。貴方の魔術回路と同調する最中に、この言葉を聞きました。あれは……」

 

「ああ、それか」

 

 士郎は少し困ったような顔をすると、引き締まった片腕で頭を掻く。

 

「I am the born of my sword。俺が魔術を使う際に、核とする言葉だよ。ただ……この詠唱(ことば)は、君にはきっと似合わない。体を剣と変えるには、君はあまりに優しすぎる」

 

 詠唱というのは、あくまで本人が、本人に働きかけるために編み出すものだ。

 衛宮士郎の詠唱は衛宮士郎のもの。倫太郎がそれを真似ても、さしたる成果は望めない。

 

「──それじゃあ最後に、一つだけアドバイスをしておこう。要らぬ世話なら、聞き流してくれて構わない」

 

 真剣な表情で聞き入る倫太郎に、士郎はどこか遠く、昔の戦いを思い出すような瞳で呟く。

 

「なんでもいい。どこかに、君が信じたいものがあるはずだ。戦いを臨むのなら、それを信じて剣を握れ。たとえ戦う事に迷いがあろうと、これだけは譲れるものかと、心の底から叫べばいい。そうすれば……君ならきっと、剣戟の極地に辿り着ける」

 

 その言葉に、倫太郎は無言で頷いた。

 以前ならきっと、ここで立ち止まっていただろう。

 自分が信じたいものなんて、分からないままもがくだけだった。

 それでも、今は違う。繭村倫太郎のたった一つの願いは、志原楓を守ることであると、とうに結論は出されている。

 その為なら、きっと──、

 

「────剣鬼、抜刀」

 

 ズオッッ‼︎‼︎ という凄まじい轟音を立てて、倫太郎の周囲に暴風が吹き荒れた。壁に立てかけられた十八の刃が共鳴現象を起こしたかの如く振動を始め、吠え叫び、空気を震わせている。

 彼らは、讃えているのだ。

 正統なる繭村の血統を持つ男が、今一度、己を握らんとしている喜びを。

 

「ありがとうございます。これで、準備は出来ました」

 

「そうみたいだな」

 

 魔力の発露を抑え、倫太郎は躊躇うことなく刀の柄を握り締める。

 第六次聖杯戦争における最後の戦いは──こうして、静かに幕を開けようとしていた。




【魔術回路の接続】
凛が楓とフィムに行った処置。両者を同調させ、肉体的ではなく精神的な魔力のパスを結ぶ事で、一方からもう一方への魔力の移し替えを可能とする。
士郎と凛が10年間タッグを組んで活動する中、士郎の魔力を補うために凛が編み出した技術。遠坂家の特性である「転換」を用いるため、他の魔術師が再現するのかもは難しい。
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