Fate/crescent 蒼月の少女【完結】 作:モモのすけ
倫太郎は無言で着慣れた服を脱ぎ捨て、襦袢の上から代わりの裾に腕を通した。
──小さく白の家紋が刺繍された、黒染めの和服だ。
それは繭村に伝わる伝統の一品。繭村の魔術師が着用した場合、様々な攻撃、呪詛、魔術干渉から身を守ってくれる。有り体に言えば、着物の形をした防護型魔術礼装だ。
まるで元服を迎える武士の如く、倫太郎は粛々と、定められた手順をもって和装に身を包んでいく。帯を結び、羽織を着用する。風圧で羽織が羽のように広がり、荘厳な光景を作り出した。倫太郎がこれを着るのは初めての事ではないが、今回ばかりは身の引き締まるような思いがして、弱気になりそうな心を鼓舞してくれる。
「──────」
それとまったく同じ頃、楓はいつもの黒装束を着終わり、苦無と手榴弾を懐に忍ばせていた。
動作に支障なく、万全の体制と言えること、太腿のスリットから武装がいつでも取り出せることを確認し、頬を叩いて気合いを入れる。
最後にキャスターの白籠手。両腕ともに機能を確認して、楓はゆっくりと部屋を出る。
「──────」
すると、ちょうど隣の部屋から倫太郎が出てくるのだった。
長い木張りの廊下でばったり出くわし、楓は思わず立ち止まる。
目の前の彼は、どう表現すべきか彼女には分からなかったが、まるで別人のようだった。和装をした倫太郎を見たことがなかったので、最初は誰かと思った程だ。
纏う雰囲気すら、いつもの彼とは異なっている。まるで、いつか見た、一つの剣と自分を変えているような鋭さがある。
「倫太……郎」
「ん?」
声をかけられ、くるりと倫太郎が振り向く。
こちらを見つめる瞳に先の険しさはなく、楓はわけもなく安堵してしまった。
「……なんでもない。行こ」
「ああ、分かっ……──⁉︎」
本能が危機を察知した瞬間だった。
目に見えない魔力の津波が、家ごと彼らを飲み込んだのは。
二人は閉口して身体を屈め、暴風に抗うようにして対処する。
「──……志原、大丈夫?」
「ええ……何とかね。頑丈さには自信あるし」
体を揺らすような衝撃はあったが、常日頃から魔術に親しんでいる魔術師にとっては、強烈な魔力波を受けても多少の目眩を引き起こす程度で済んだらしい。
だが、嫌な予感を感じて倫太郎は冷や汗を拭った。
二人して廊下を走る。士郎たちがいる部屋に飛び込むと、彼らは顔を付き合わせて早くも相談している最中だった。
「二人とも。まずい事態だ」
「どうしたんです?」
「今のを君達も感じ取ったと思うが……これは単なる余波の類いじゃない。明白な、人間に向けた呪詛の類いだ。攻撃と言い換えてもいい」
そう述べた士郎が顔を顰める。その表情から察するに、彼もこうした魔術を行使する敵と交戦した事があるのかもしれない。
そう言われてみれば、確かに身体が重い。
魔術師は多かれ少なかれ魔術に対する耐性を持つ。それが今の魔術波にも発揮され、倫太郎たちには実害があまり感じ取れないのだろう。
「吸血行動……? 違うな。もっと強引な方法だ。無理やり他者を従わせて、魔力を吸い上げている……? このままじゃ、大塚市内の人間は全滅するぞ」
「多分、セイバーの
と。姿を見せたキャスターが、さらりと答えを述べた。
それを聞いて楓は疑問を抱く。セイバーは確かに「魔王特権」なるスキルを持つとは聞いていたが、その効果は基本的に無機物に向いていた筈だ。生物である人間から魔力を吸い上げる、といった芸当は難しいのではないか。
そんな主の疑問もお見通しとばかりに、キャスターは朗々と続ける。
「健斗クンの推測が正しければ……聖杯と融合したセイバーの力は計り知れん。そんな今のセイバーなら、「魔王特権」の効力が拡張されていても不思議じゃあない。それに、時間が経てば経つほどセイバーの力は増してくみたいやし」
「で、でも、セイバーちゃんは人から無差別に魔力を奪うような子じゃないわよね」
「つまり、彼女の意思によるものではないのか……もしくは、健斗クンよろしく彼女も邪悪に染まったか。どちらにせよロクでもない状況や」
キャスターは目線を険しくして、仙天島を睨みつける。
時間に猶予はない。今夜中に全ての決着をつけ、この聖杯戦争を終わらせる──これは、この場にいる誰もが抱える決意だった。
「全員、準備はええよな?」
静かに、いつもの陽気さを捨てた厳格な口調で投げられたキャスターの問いに、各々は無言で返答する。
──衛宮士郎は回路の調子を見るように腕を回し、
──遠坂凛は宝石の残弾を改めて確認し、
──繭村倫太郎は背負ったゴルフバックを担ぎ直し、
──志原楓は両手の籠手を今一度付け直した。
唯一返答を返さなかったフィムが、少し不満げに倫太郎を見上げている。
「………………む」
その無言の抗議は、流石に無視するわけにはいかなかった。
倫太郎は苦笑しながら、フィムの頭を優しく撫でる。
「フィム。君は魔力量に長けるといっても、戦いには向いてない。だから僕らが帰ってくるまで、ここでお留守番、ね」
フィムは製造過程で廃棄されたホムンクルスであり、生来の魔術回路を持ち得ても、それを自発的に使う術をほとんど知らない。
ある程度簡単な攻撃魔術は使えるだろうが、戦い慣れしているとはとても言えないのが現状だ。そんな少女まで向かうべき死地に駆り立てるべきではない、というのが全員の総意だった。
「みんな──」
不満は感じながらも、彼らの優しさは十分に理解しているのだろう。頬を膨らませつつも、フィムは大人しく全員の顔を見上げて、
「……みんな、帰ってきてね。私はもう、誰かに置いていかれるのは……いやだから」
その瞳が微かに潤む。声の震えは、確かにこの小さな少女が、二度目の死別を恐れていることの証だった。
それを見て、倫太郎は無言でその小さな身体を抱きしめた。
冷たい身体を温めるように、力強く。
「僕らは帰ってくる。だから、安心して」
「……うん」
小さな頭を倫太郎の胸に埋めたまま、彼女は頷く。
いい子だね、と呟いた倫太郎は、名残惜しそうに立ち上がった。
フィムの瞳をもう一度見て頷いてから、踵を返す。慣れ親しんだ屋敷を出て、決戦の地に向かうために。他の四人も同様に、皆がひと時の別れを告げて外へと出た。
「……士郎、時間は?」
「丁度いい。今から向かえば、
「オーケー。じゃあ作戦通り、その混乱に乗じるとしましょう」
凛が新しいレンタカーの扉を開け、倫太郎、楓、キャスターに中に入るよう促す。士郎は助手席かと早合点した倫太郎だったが、彼は一向に乗り込む様子を見せない。
「行くわよ。かなーり飛ばすからしっかり掴まってね」
「え、あの、士郎さんは?」
「ああ……アイツなら、」
凛が最後まで言い切る必要はなかった。
車体上部から鈍い音が響く。車外で黒い洋弓をどこからともなく手にした士郎は、人間離れした跳躍で地面を蹴り、なんと車の上に着地したのだ。
言葉を失う倫太郎と楓をよそに、開いた窓から士郎がひょっこり顔を覗かせる。
「──いくら陽動があるとはいっても、こちらにも攻撃は飛んでくる筈だ。特に向こうの弓兵は間違いなく俺たちを警戒している。だから、俺がここから奴の攻撃全てを撃ち落とそう」
「ん、そんなら僕が担当してもええけど?」
「いや、キャスターは魔力の温存に努めてくれ。こちらのサーヴァントは貴方一騎のみだ、使わないでいいなら温存しておきたい」
といっても、相手取るのはサーヴァント。それも遠距離攻撃に長けた、
魔術師が対抗できるものなのか、という疑問はよぎるところだが、最初から士郎がアーチャーの相手をすることは告げられていた。それに、彼はキャスターと共に、サーヴァント級の戦いぶりを見せる健斗と互角以上に戦った実績もある。
当然ながら、彼の意見に反対するものは誰もいなかった。
「出るわ。皆、覚悟はいい?」
首を横に降るものは、誰一人として居ない。
そうして各々が決意を固めたまま、仙天島に向け、凛はアクセルを思い切り踏み込んだ。
◆
それから、少し前のこと──。
既に楓たちの準備が整った、という連絡を受けた俺は、一人暗闇の中で目を光らせていた。
目の前には高い塀と等間隔に設置された蛍光灯が見える。塀の上部には有刺鉄線が隙間なく張り巡らされ、侵入者は許さぬといった様子が言外に伝わってくる有様だ。
それもそのはず。この場所は一般人では立ち入りの許されない特別区域。俗に言う、自衛隊駐屯地である。
「そろそろだな」
時間も頃合い。電車を乗り継いで2時間、わざわざ二県隣の自衛隊駐屯地までやって来たので軽い疲労はあるが、文句も言っていられない。
が──ここからが本番とはいえ、これからしでかす事を考えるとやはり抵抗はある。
「……それでも、やるしかないんだ。ここでアイツを止めなきゃ、何が起きてもおかしくない」
それはともかくすいません、とあらかじめ小声で謝っておいて、そうして余計な雑念は振り払った。
すう、と息を吸い込んで、跳ぶ。
地面を蹴り飛ばす轟音。基地周囲の塀なんて、今の体感的にはハードルを跳ぶよりも簡単だ。瞬く間に基地内への侵入を果たすと同時、闇の中照らし出される立ち並ぶ倉庫へと目を向ける。
ここからは迅速さが肝心となる。立ち止まるのはこれで最後だ。
仙天島にて待つセイバーの場所まで、ノンストップで駆け抜けてやる。
「──────!」
事前に潜り込んでいたキャスターの式神が、俺の目当ての場所をとうに探り当ててくれている。彼らの小さな影を道しるべとして、俺はだだっ広い自衛隊基地内を走り出した。
それにしても本当に広い。滑走路も併設しているから当たり前なのだが、目当てと思しき倉庫までの距離が異様に長い。
負けじとアスファルトを踏みしめる足に力を込め、再度加速。
微かに散る蒼雷の残滓で闇を照らしつつ、俺はフルスロットルで残る距離を駆け抜けた。キャスターの式神が両手を上げて待っていたのは、体育館みたいに広い倉庫の扉の前だ。
「……っ‼︎」
どうせ鍵があるわけもないので、巨大な門扉を蹴り飛ばす。
俺が元のままなら、必死こいて押さないと開かなかっただろう。そもそも鍵がなければ手詰まりだった。期せずして手に入れたセイバーの力に感謝しつつ、俺は暗闇に慣らしておいた目でブツを探す。
「…………これだ」
探し当てるのに時間は必要なかった。
それは隠されるわけでもなく、ただその勇姿を見せつけるかの如く、鉄の翼を揃えて倉庫の中に並んでいた。
──その名を、F15J/イーグル。
言わずと知れた、日本国の航空自衛隊が誇る主力戦闘機である。
聞いたことはあったが実際に見たのは初めてだ。幅13メートルにもなる巨大な異様にごくりと唾を飲み、俺は現代の科学が誇る巨大兵装へと駆け寄っていく。いつでも飛べるようにしてあるのか、パッと見たところではこのまま俺が搭乗しても問題は無いと見える。
(いや、問題しか無いけどな……)
ふと、セイバーが自転車を勝手に盗んでいたのを思い出す。
今と状況が似ているが、俺の方が遥かに色々とマズイ。
これはセイバーに再会しても偉そうな事は言えないな、とため息をつきつつ、俺は操縦席に伸びるタラップを駆け上った。
「ええと……開け」
こういう時、セイバーの力は便利だ。
イメージを直接魔力として飛行機に流し込み、ハッチを開けるのではなく「開けさせる」。開け方が分からなくても、ロックがあろうと問題ない。
独特な音をたてて開いた操縦席に飛び込むと、俺はその光景と、頭に流れ込んできた膨大な情報の波に、思わず言葉を失った。
(びっくりだ。
癪だがキャスターの言葉通りだ。セイバーの「騎乗」の能力はきちんと引き継がれているらしく、俺はまったくの素人だというのに、この機体の動かし方が直感的に理解できる。
あとはコレを借りて空へ飛び立つのみ。
ここからだ。ここから、この第六次聖杯戦争において最後となり、同時に世界の命運すら左右するであろう戦いが始まる。
そう思うと肩にのしかかる重荷は際限なく増すばかり。なので、俺は考えることをたった一つに絞った。
────セイバーを、なんとしても助け出す。
それだけ。それだけを見つめて突っ走るべきだと、壊れかけた、それでも動く志原健斗の魂は声高に叫んでいる。
それに気付くと多少は気が楽になった。
目を閉じて一度深呼吸をしたのち、俺は勢いよく操縦桿を握る。
「待ってろ、セイバー」
スロットル・オン。
無意識に言葉が漏れると同時に、鉄鷲はエンジンの咆哮をあげて、勢いよく滑走路へと飛び出していった。
◆
突如として保有する戦闘機のうち一騎が突然滑走路に飛び出し、とうに閉じていた基地の管制塔は慌ただしさを取り戻していた。
自衛官達は困惑しきりだ。一体誰が何の目的で、無断で戦闘機を飛ばすなんて馬鹿を行なっているというのか。誰もが疑問に答えを出せない中、戦闘機は着々と滑走路から離陸する体制を整えつつある。
「パイロットに呼びかけは⁉︎」
「応答ありません‼︎ 正体不明‼︎」
「当基地のパイロット全員に連絡取れました‼︎ 全員該当なし‼︎ 恐らく部外者が操縦しているものと思われます‼︎」
「誰がンな馬鹿な事を……‼︎」
正体不明の人間に戦闘機を奪われたとあっては、自衛隊史に残るほどの大事件だ。防衛省の沽券にも関わる一大事といっていい。自衛官達は冷や汗を垂らしつつ各々の仕事を果たしているが、流石にもう離陸寸前の戦闘機を止められる者はいなかった。
「再三の問いかけ駄目です‼︎ イーグル03、発進します‼︎」
悲鳴じみたオペレーターの声が管制塔に響き渡った。
エンジンからありったけの熱量を噴出し、鉄鷲が急加速して夜空へと舞い上がっていく。
今日の空は一面の雲。黒を塗りつぶしたような雲海にイーグルは勢いを緩めず突っ込むと、瞬く間にその姿を消してしまった。
「──今すぐ他のイーグルを発進させろ‼︎ 敵味方の判別ができない以上、最悪の場合に備えてあのイーグルは堕とさざるを得ん‼︎ 捕捉は抜かりなく、絶対に逃すなよ‼︎」
叩き起こされたパイロット達に指示が伝えられ、同時に発着誘導を行う自衛官達が滑走路に飛び出していく。正体不明者が戦闘機でもって市街に攻撃を加えるという可能性が否定しきれない以上、アレは既に日本国に牙を剥く敵対者として認識されていた。
その緊張は管制塔を包み込み、慌ただしさの中にも張り詰めた空気が漂い始める。
そんな中、管制塔のレーダーによってイーグルの機影を追い続けていた自衛隊が、隣の自衛官の肩を叩いた。
「どうした⁉︎」
「……おかしい、あり得ない‼︎ 対象のイーグル、とうに機体の限界速度を突破しました‼︎ ま……マッハ4に到達してます‼︎ それにさっきから飛行軌道がめちゃくちゃで……‼︎」
日本航空自衛隊が誇るF15の限界速度は、基本的にマッハ2〜2.5とされる。だが彼が目視するレーダーに映る機影の移動速度はその限界をとうに超え、尋常ならざる速度へと突入していた。
と、唐突に反応が消失する。
当たり前だ。そんな速度を出そうとすれば機体は負荷に耐えきれず、限界を超えて空中分解する。もしくは人間の身体がGに耐え切れず絶命するか、だ。いずれにせよ、空に飛び立ったイーグルは消息を絶った。
後に残された自衛官達は、電撃のように消え去ったイーグルの謎に、しばし呆然とせざるを得なかったのだった。
◆
──当然ながら、イーグルは空中分解したのではない。
鉄鷲を駆って雲の上に飛び出すと、美しい光景が広がっていた。
今宵は「スーパームーン」と呼ばれる、普段よりも更に大きく映える満月の夜だ。月の光に照らされた雲海はどこまでも広がり、ひどく幻想的な光景を俺に見せてくれている。
あまりの美しさに、一瞬何をしようとしたのか忘れた。
冷静に集中を取り戻す。再度気を取り直して操縦桿に力を込め、
「魔王……特権────‼︎‼︎」
操縦桿を硬く握る両手で火花が散る。
こうして戦闘機を強奪してまで俺が目指したのはたった一つ。
遥かなる神代、かつて羅刹王ラーヴァナが騎乗したという大いなる戦車──それを再現することが、今の俺の役割だ。
(大丈夫……セイバーの記憶は全て、今の俺にも思い描ける‼︎)
俺ものではない記憶。俺と溶け合った羅刹王の記憶から、目標の姿を
羅刹王の戦車──その記憶を探ってその形状と武装を考えるにあたって、現世でもっとも近しいのはこの戦闘機をおいて他にない。セイバーは自転車を起点としたが、こいつを起点として再現すれば、かなり真に近付けるだろう。
最後の決め手となるのはイメージの力。
どれだけ元の理想形を思い描き、真に近付けるか。
つまるところ、俺が為すべきことはたった一つだけだ。
(集中しろ……一片たりとも不処理領域を残さずに、常に全てを隈なくイメージして……神代を駆けた、最強の武装を思い描け……‼︎)
何ら問題はない。工程も完成形も、とうに思い描ける。
そのイメージの想起に合わせ、回路を回し、魔力を込める。今までだって「特権」は何度か使ったのだ、原理はそれらと変わらない。
そして、それを
「────────あ?」
ばつん、という音がして、目の前が真っ赤に染まった。
理由はすぐに分かった。
頭のどこかが、風船を針でつついたみたいに、ぱーんと割れた。
即死だ。力の前に、
それでも、意識は途絶えない。
再生する。胸の奥で宝具が脈動し、即死の傷を塞ぎにかかる。
「ウ゛──が、ッ、ア゛ぁぁぁぁあァァァァァあ‼︎‼︎⁉︎」
脳が膨張と縮小を繰り返して、全身の筋肉は暴れまわって、あらゆる組織が悲鳴を上げている。呼吸すらままならない。衝動にまかせて口から胃液と大量の血反吐を垂れ流す。
宝具がなければ死んでいる。
ただ、それは言い換えれば、
スローモーションの世界に放り込まれたような状態で、一つ一つ、身体がコワレていく感覚を咀嚼する。
(────! ──、────‼︎)
頭が真っ白にトんだ。
羅刹王の力は、真っ当な人間には御しきれない。
言葉では理解していたのに、たかを括っていた。感覚では1パーセントも理解出来ていなかった。
これが、本当の彼女の力。大きな力を振るおうとすれば、当然、それに見合うだけの
人の身で易々と振るうことなど許されない。それが、セイバーが背負っていたものの重さなのだ。
「ガ、ぁ──あァァァ──ァァァア゛ァァァ──ッッ‼︎」
無形の魔力を回すだけで熱が身体中を灼いていく。負荷に千切れ、飛び、瞬く間に再生していく全身。こんなのふざけてる。体の芯を糸鋸でガリガリと削るような、あるいは稲妻に絶え間なく身体を細切れにされているかのような、痛みで人を殺さんばかりの苦痛だ。
(ギ────あ、オれ、は──セイバーを、助ケ、殺────)
死ぬ。間違いなく、この調子で続ければ魂のほうが焼き切れる。
生き延びたいのなら選ぶ道は一つだ。いつかのように、全部裏返しにして身を任せればいい。魂の奥底で蠢く黒い感情に、そのまま従ってしまえば楽になれる。
さあ、そうして、セイバーを殺せ。
そうだ。それだけが、最初からずっと、俺の唯一無二の目標で、
(────…………セイ、バーを、殺ス?)
そうして、完全に正気を失う寸前。
殺したい相手の顔を思い浮かべた刹那、僅かに。
『ケント』
俺は、その少女が笑う声を聞き取った。
がちりと歯車が噛み合う。薄っぺらい意識に芯が通る。
殺し、違う、殺したいじゃない、俺は、そうだ、決めただろう。
(そう。オれが、したイ事は、ンなことじゃない……俺は────‼︎)
セイバーを、二度と、魔王なんかにさせるものか。
かつて固めた決意が戻る。
身体の奥で蠢くナニカに相対し、舐めるな、と目に炎を灯した。砕かんばかりの力で歯を食い縛って、死にかけの魂に喝を入れる。
口にすべき名は、既に頭の中に浮かんでいた。
「羅刹王──たる、俺が──命ずる‼︎」
鉄の巨体が、蒼の雷に包まれて搔き消える。
全身の魔術回路が絶叫する。
臓腑を焼き焦がす衝動の中、しかと完成点を見つめ続け。
そうして俺は、あらんかぎりの大声をもって──、
「来い──────『ヴィマーナ』‼︎‼︎」
──瞬間。
──周囲の全てが崩れ去り、そして全てが再生した。
鉄の翼は金とエメラルド製の飛膜へ。幾重にも重なった金の装甲が鉄の装甲に取って代わり、少し魅力的だった計器やレバーの類の一切が失われていく。不要な
────……完成だ。
ヴィマーナ。またの名をプシュパカ・ラタとも云う、羅刹王が騎乗した
これ以上の再現は、セイバー本人ではない俺には不可能だろう。
だが十分。頭の中のイメージは忠実に再現され、羅刹王の戦車が長い時を経て蘇る。
「はっ……はっ……‼︎」
今ので残り少ない寿命がかなり飛んだ。軋む魂の強度は豆腐みたいに頼りない。死がすぐそこに見えている。おそらく、今みたいな無理をするのは、もってあと二回が限度になるだろう。
冷や汗を流しながら、目線を落とす。
手元に残ったのは少し形の変わった操縦桿だけ。
新たなる操縦者を前に、無機質な操縦桿が、しかし確かに応答を返した気配があった。神代の戦車というのは、それ自身すら意思を持つのだろうか。
「…………行こう、お前の本当の主のところに」
まるで、俺の声に応えるように。
ヴィマーナは無音の咆哮を上げ、翠の彗星と化して天を裂いた。
【ヴィマーナ】
羅刹王ラーヴァナが騎乗したとされる空中戦艦。様々な機能を備えてとり、物理法則を無視した速度で空を飛び、大気圏を易々と突破し、莫大な火力で敵を殲滅する。
形状は英雄王ギルガメッシュが所持していたものとほとんど変わらない。ただ、こちらは健斗が再現しただけの劣化コピーなので、速度や強度の面において劣っている。
かつてセイバーは自転車をこのヴィマーナに改造しようとしたが、流石に自転車では限界があったため、飛行戦艦ではなく戦車の形で使用した。彼女が